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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
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[1085]
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■無冥流・手裏剣術講座●「古武術が永久に抱える歪み」
by:
鈴木崩残
2010/03/26(Fri)07:25:57
>更新・20:15 文末に見本の動画を二つ追加しました。
幻想の中の古武術
●私が最初に古武術と呼ばれる分野の人々と交流を持ったのは、
1999年ごろでした。
●武術そのものに親しんだことが全くないかと言えば、
以前に書きましたように、中学3年の時に空手、
高校生のときに、毎週、九段下の、日本武道館に通って、当時はまだ
珍しく、その名前すらも、ほとんど世の中で知られていなかった
太極拳を習いました。確か毎週木曜日に学校が終わってから夜の部に
通っていました。
が、武道館での稽古は「型」と、形式だけの「推手」のみでしたので、
それでは飽き足らず、
実際に技をかけたり、突き蹴りを行う形での、
孫派太極拳や形意拳の指導を、別の人から個人的に受けました。
最後に、青龍刀の操作の為の型を習い始めたころに、
大学受験になったために、そこで中断し、
また武術の意義について、何日も考え抜いた末に、思うところがあり、
以来、武術の稽古の類を、一切行っていません。
●武術家の方とのご縁と言えば、10年以上も、本の販売で、
最も親しくお付き合いを戴いていた古書店(数年前に閉店)の
店主の遠藤靖彦さんは、若いころに、単身で台湾、香港、中国に渡った方で、
八卦掌の師範でもありました。今でも指導されています。
「太我会」↓
http://www.taigakai.jp/profile.html
●ところで、私は詳しくないのですが、中国武術には、
「古武術」などというカテゴリーはあるのでしょうか?
ただし、日本の場合には、敗戦後に、GHQによる、さまざまな規制を受け、
そこから生き延びるために、武術が「武道」へと変容せざるを
得なかったという、他国にはない経緯があります。
従って、もしも敗戦後のアメリカのGHQによる統治がなければ、
そもそも、「古流武術」と「現代武道」という呼称の区分すらも、
存在しなかったかもしれません。
●中国では古いものも、そのまま連綿と受け継がれていますので、
今でも(日本ならば確実に古武術に分類されてしまうような)各種の
武器術も、型だけは演じられ続けています。
そういう点では、仰々しく「古武術」「古武道」などという名称を
つけているのは、日本だけなのかもしれません。
(この部分は、もしかしたら、中国にも失伝しそうな古い流派も
あるかもしれないので分かりませんが。)
そのように、武術という分野そのものとは、
平均的な社会人より「ほんの少しだけ」ご縁があったという程度の
お付き合いでした。
●そして、いわゆる「日本の古武術」と呼ばれる分野の人たちと接触した時、
その最も始まりの時から、私はすぐにその世界に存在する
盲点に気づきました。
個人団体を問わず、ほんのごく一部の人々を除いては、
ほとんど全員が、ある種の幻想に陥っているという事でした。
そのほんのごく一部の正常な人たちとは、
現在も、年賀状を交換したり、何か専門的な知識が必要なときには、
お知恵を伺ったりして、日ごろよりお付き合いを戴いております。
●しかし、それ以外のほぼ全域において、私は古武術という世界には
一貫して、違和感を感じています。
そこで、まず次の問題について考察してください。
現在地上において、人間が扱う武器の中で、
もっとも発達し、進化したものは何かを考えてみることです。
この場合の「発達」の定義とは、機能的にも発達し続け、
さらに「その運用法」についても同時に発達し続けたという意味です。
戦車や戦闘機といったものを除いて、手に持つことのできる武器の中で、
もっとも常に時代とともに、その運用法と機能が発達しつづけたのは、
言うまでもなく、「銃器」です。
●では、なぜ銃は、日進月歩で発達しつづけ、
そして、その運用法も、狙撃技術から、近距戦における運用、
さらには、チームプレイを含む戦略法、
ゲームとしては、速射ち、曲芸的な射ち方まで、
あらゆる運用法が今もなお、生きているのでしょうか?
言うまでもなく、それは、「今も使われている」からです。
警察や軍隊において、現場で、現役で今も使われていること、
それが銃というものをただの一歩も後退させなかった唯一の理由です。
●ちなみに「核兵器」というのは、そういう意味では、
実は、全く「進歩」していないのです。
二度しか使われていないからです。
ただその威力と数の拡大のみが開発されたものの、
幸いにも「大量発射や、それに対する迎撃という実戦攻防」が
された事がないからです。
(通常兵器のミサイル攻防と、核ミサイルとでは、話はまったく違ってきますから)
●さて、一方で、日本刀や古武具といったものは、
既に明治時代には無用の長物となりました。
それが世界的にも稀に見る製鉄法と、
日本人がそれに対して固有の美観を抱く故に、
文化として保存しようとしたことから、現在も作られていますが、
現実的に見れば、生活の中では、全く必要のないものです。
●古武器に属するものは、ご存知のように沢山あります。
手裏剣もその一つですが、現実にあったかどうかすら疑問の残る武具や
忍具を含めれば、鎖鎌や分銅鎖や各種の暗器、槍、弓にいたるまで、
すべてが「古武器」です。
そして、むろん古武器の最大の特徴の一つは、
昔の社会の中で与えられていた存在意義のもとには、
もう、使われていないということです。
使われないものは、当然のこととして、運用法が発達するわけもなく、
またその形状が発達することもありません。
もしも日本刀が現在もまだこの時代で使われていたとしたら、
明治以後、特に戦後の文明の発達によって、
その材質や形状はさらに別の形に発達した可能性すらあります。
科学的に最も計算されつくした反りや、厚み、そして長さや重心の位置、
さらにはどのような特殊合金や、合成ダイヤモンドの刃になっていたかも
想像が付きません。
●しかし現実には、
日本刀を含むすべての古武器の時間は「止まったまま」です。
つまりその機能性も、運用法も全く時代から取り残されました。
その中で、私が見たほとんどの古武術家というのは、
骨董品をいじっては、「現実に使ったら、こうのはずだ、
こうなるんだ、こうなるだろう、いや、こんなに凄いんだ」と、
あーだこうだと、脳内妄想をしては、史料をたまに読んでは、
脳みその中で時代劇ごっこをしている子供に過ぎませんでした。
●そこにどれほどの精神論や大義名分をひっつけたとしても、
もっとも基本的な現実に横たわっている事実は、
それらの武器は、もう何百年も、実戦では使われていないということです。
試合が可能な武術
●そこで、ご存知のように、剣道や空手に代表されるような、
試合という形式での、実戦的ファクターを残そうと努力した人々がいます。
また既に言いましたように、敗戦後の諸事情もありました。
さて、「ルール」というものをどう設定するかによっては、
本来の古い武器の運用や、技の運用から、著しくかけ離れることが
多いために、
このスポーツ武術の世界の住人と、
いわゆる武器による試合を行わない古武術の世界の住人との間には、
常に一定の「軋轢」があるようです。
●どちらが健全かといえば、私個人は、試合というものの中に、
生きた武術を見出そうとした人の方に、「やや」軍配をあげます。
自称・古武術家の言い分に従えば、
「あれでは、現実的には、同じ武器を使用しておらず、
ルールの中という制限があるから、あんなものは武術ではない」と
なるのでしょう。
しかし、それでも、勝ち負けの勝負の世界の中では、
技の運用は(制限はあるものの)発達をし続けます。
ただし「武器の発達」という意味では何も起きませんでしたが。
しかしそれを言ったら、古武術の世界の人たちも、この数百年の間に、
何ひとつも「新しい古武器」を作れたわけではありません。
●そこで私が古武術という分野の人たちに接したその最初から
一環して主張し続けたことがあります。
それはすべての古武器を、試合が可能な素材と形式に変えるべきだ、
ということです。
これをしないかぎりは、古武器が生き延びる道はありません。
●ただし、武備舎の岩井虎伯氏は、
独自に、プラスチックの鎖と、ラバー製の分銅で、
「対戦用分銅鎖」を作り、ヘルメットを着用した打ち込みをしており、
また、柳生新陰流でも、稽古に模擬刀を使用しているようです。
↓
http://nihontou.jp/choice03/toukenfuzokuhin/shinai.htm
●ただ、この場合に、もっともネックになるのが、
武器の重量です。
武器の素材を安全なものにしたり、
それと平行して防具をつけることによって
試合や対戦シミュレーションが可能になりますが、
日本刀ひとつとっても、当然、重量と形状において、
原型とは著しい違いが生じますから、
そこだけを、古武術愛好家が、
「スポーツ古武術(これは私の造語です)」愛好家の揚げ足を取れば、
「そんなものは、現実の古武術と比較できない」ということになる
わけですが、
ただし、それを言っていたら、せっかく残っている技すらも、
保存も発達も一切しません。
すべてがただの、脳内妄想でもて遊ばれる、「幻想の中の古武術」に
なり下がるのみです。
結果として、型稽古と、試斬にあけくれる日々が続くのみで、
それでは、「武術とは、それで良かったのか、それで良いのか?」という
当然の「自問」が浮かばないのは、おかしいわけです。
●銃が今もなお、使われているために、その機能と運用が
今も生きているのに対して、白兵戦における武術のほとんどは、
現在は、かろうじて、スポーツの試合という形で残っています。
*********
●さて、よく古武術家やその他の武術家が言う「能書き、または寝言」の一つに、
「この技は試合では使えない殺人技だ」という文言がありますが、
それは実際に使われねば、ただの能書きにすぎません。
また銃弾が飛び交う戦場では、現在、実際にそれを使う機会は
ほとんどないわけですから、当然のこととして、
それらのご自慢の「必殺技」も進歩は、とうの昔に止まったままです。
もしも今もそれが続いていれば、
その必殺技とやらを「打ち破る技」も生まれていたでしょう。
そして、その次の技も、その次の技も生まれていたはずです。
これは日本刀での戦いにおいても同じです。
しかし、こうした生きた武術ではないものは、
使わないのであれば、保存する意味がありません。
むろん、どんなに口先で自慢しようが、現実には使えないわけですから、
検証することは不可能です。
●この「検証の不可能性」というのが、古武術の住人の脳内妄想を、
さらに加速して、狂人や精神病に近い状態にまで堕落することも
あるようです。
「つまり、やってもみないで、これは現実に使ったら、凄いはずだ」
と脳内で自慰に耽るわけです。
●しかし既に述べたように、
それを試合として使える武具やルールに変化させた場合には、
かならず原型から重要な要素が、いくつもなくなります。
この矛盾をどう解決するかが、古武術が生き延びるか、
脳内妄想で終わるかの、分岐点として残された道ですが、
防具さえ開発すれば、この問題はある程度は解決できるはずです。
武器に関しては、特に重量を可能なかぎり、原型に近づけることに
なります。
しかし、この問題はまだ現実には、少し難しい。
●たとえば、模擬手裏剣ひとつとっても、たとえば、無冥流では、
実際の打剣と同じ姿勢で飛ぶという利点から、
スポンジで金属棒を包んだものを試作して使用しましたが、
ゴーグル以外には防具なし、という場合には、重量が100gを超えた
あたりから、当たり所によっては、怪我をする可能性が出ました。
むろん、ボクシングや現代格闘技のように、
多少の大小の怪我は同意して覚悟の上で双方が行うという試合形式にすれば、
この点は改善は可能です。
ただしそれでは、社会的には安全性を欠くものとなりますから、
現実に道場で一般の人の為に使用したり、
試合として認知させるには、とうぶんの間、
まだ武具と防具の素材の研究が必要です。
●いずれにしても、銃や、現代のスポーツ格闘技と比較した場合、
古武器の世界が、いかに、時代から取り残されたかが分かるはずです。
世間を見ると、何も深く考えずに、古武術の世界に飛び込む人たちも
多くいますが、
いまどき、斬りあいを目的として入門する人など気違いだけですから、
大半は、武器として日本刀そのものに憧れたり、
フィクションの殺陣に憧れたり、またはその古風な外見に憧れたり、
または健康法や、他の武術と並んで、「術理」に興味があるという人たちが
大半です。
むろん、それらの人の入門の動機が、
斬りあいを目的にしていないという点では、
ごく常識的な健全な動機であることは、言うまでもないことですが、
ただし、注意が必要です。
道場主や師範や宗家の脳内は、現代では出来もしない斬り合いという
一人妄想にふけっている場合もなくはないからです。
否、そういうケースは多いと見ていいです。
ひとえにそれは、試合ですら使われない武器を抱えたまま、
時代錯誤を起こしている古武術の世界が持つ、
「現実」と「病理」を同時に持つ「文化」なのです。
●私は、この「文化保存」を目的としていると自称する人の中にも、
歪んだ殺人妄想、あるいは、時代劇妄想、または、
本当はこうだったんだという妄想に耽っている人たちを多く見てきました。
ですから、文化保存の為だという、口先だけの大義名分も、
その師範の人格を見る場合には、あてにはなりません。
社会の中の古武術
●かといって、
古武術は「現代のスポーツへの応用や、健康や、介護に役立つ」、
といった「売り方」、
これがいいのかどうかは、賛否が分かれるところであり、
私自身も、白黒は、はっきりつけられませんが、
古武術の世界では、いわゆる古武術をある意味では世間に広めた
甲野氏を支持する一派と、
反・甲野氏という一派に別れていることが多いようです。
業績の一部は認めるが、一部は否定するといった姿勢が理性としては、
最も健全ですが、ただし、
その「業績の認め方」にも、かなりの歪みを私は感じることがあります。
つまりはその批判的な古武術家ご当人の「ご都合主義」によって、
ある部分は批判しては、別の部分を評価しているという点です。
●甲野氏は、おそらくは、どこまでもその始まりが、
武士の「生き方」への「憧れ」であったのでしょうし、
最後まで、「趣味」として突っ走ればそれでいいのであり、
それが彼の本来の姿だと私は勝手に思っています。
「生き方」への迷いと模索の途中に、
たまたま武術があったというのが、元来の彼の本質であると
私個人は、観察しています。
どうやら、テレビ局や出版社が、あらぬ方向へと彼を誘惑したようですが、
それに乗った彼自身にも、むろん責任がありそうです。
●一方で、
では、甲野氏が完全に科学的に古武術の解明を試みたり、
その応用の研究だけに専念して研究したかというと、そうではなく、
彼の頭の中には、史実を元にした想像上の「時代劇的な妄想」も充分に
見受けられますし、
某武術研究家の氏に対して、
真剣での試合を申し込む、などという子供じみたこともしていますし、
高校生の前で、感情的になってしまい、刀を抜いてしまうなど、
私から見れば、充分に、狂っている面もあります。
●一方で、甲野氏が、いろいろな武術家、格闘家と、
模擬的な試合をしてみて、
ボコンボコンに(あるいは静かに)負けたという話も聞きますが、
それを批判する資格は、多くの古武術家にはないと私は思います。
結果がどうあれ、他流との対戦を試みるという、
その研究の姿勢は、充分に評価に値します。
なぜならば、現実には、ほとんどの古武術家は、
口先だけで、それすらしないのですから。
●このように、
評価できる面もあれば、評価できない面もあるのが現実というものです。
多くの古武術家が甲野氏を、技量や術理の面で批判していますが、
そう言っている人たちは、ちゃっかり、甲野氏の恩恵に乗って、
道場がつぶれずに済んだ人たちもいたり、
または、ブームにあやかって、それまでカビの生えていた古武術の
看板を押入れから持ち出して、再び使ったりしている人もいるわけです。
●そうした古武術の、
いわば近代史、あるいは、この約20年間を見てきた皆さんは、
ご自分が「生徒」の立場であれ、「師範」の立場であれ、
今一度、実戦として現場で使われることもほとんどなく、
スポーツ格闘技としても生き延びる道を見出せないままの、
今の「古武術」の
その「存在意味」をどう考え、
必要とあらば、「どう変化させるべきか」を、
ここらで、頭を静かにして、一服して、
各自で自問し、模索すると良いでしょう。
左から「盲点」「盲点」「逆風」
________________________________
無冥流の一貫したポリシー
無冥流は、その始まりが、
既存する手裏剣術への疑問から始まりました。
それと同時に、私個人が、生来、体系化または、原理研究ということが、
手裏剣にかぎらず、どの分野においても、根っから好きでした。
セックス技法や、正しい恋愛術から、果ては瞑想法まで、
なんでも私自身の「実経験」に基づいて、
論理的に体系化してきました。
ですから、手裏剣おいても、「研究不足である」と見た部分について、
徹底した検証や個人研究を繰り返してきました。
ただし、それは私の本業ではありませんから、
毎日手裏剣を投げているほど暇ではなく
時間のある範囲で行ったことですから、それなりに年数はかかりました。
2003年から2008年までの約6年が、最も集中した時期でした。
●無冥流の創始者としての私が焦点を絞ったのは、以下の問題です。
それぞれに、それを刺激した、きっかけもありました。
1■直打法の基本原理とは何か?
(まともな論理もなく、具体的な投げ方の説明すらも、
その当時の本には、なかったからです。)
2■直打法に適した剣とは何か?という問題と、
それを論じる「前提」の提示を義務づけたこと。
(当流の剣こそ最高だ、とか、わめく馬鹿者が何人かいたからです)
つまり、「論や主張の前提」を提示せよというのは、
a−その剣は、どのような事を「目的」としているか?
(たとえば、剣筋を良くしたいからという目的と、
試合で勝つ手裏剣や、遠間打ちや多本打ちでは、
剣を設計する場合のポイントが全く違ってくるという事です)
b−どのような「距離」または「距離変化」の中で打つのか?
c−「どのような打法」を使って打つ時には、
「どのような設計法」を必要とするか?という研究です。
3■既存する打法、既存しない打法をも含めて、どのような打法が可能か?
(いきなり異なる種類の剣や代用品を持たされても、常に4間から、
問題なく打つ方法を私が探している中で必然的に生まれたものです)
基本的には、今も、継続して研究しているのは、この三つのみです。
●あとは、一人稽古で、しかも、結果を評価してくれる基準も曖昧で、
やっていても、何の励みもないということから
稽古をやめてしまう人のために、
>「稽古法や目的を、飽きのこない形にしたり、ゲーム化する事」も
私の課題の中にはあります。
基本的に手裏剣というのは、単に打っているだけですから、
もしも普通に、ただ標的に打ち込むことだけをやっていたら、
10人がやれば、7人までが必ず飽きると見ていいです。
●多本打ち、下手打ち、距離延長、異物投擲、両手打ち、基本打剣の「型」、
そして模擬剣を使用した地稽古などを積極的に組み込んだ最大の理由は、
この今回の投稿で述べた、
>「発展性の停止」から、手裏剣術を回避させたかったからです。
つまり、「他の古武術のようなものになってほしくなかった」という
私の手裏剣術への、個人的な愛情のようなものが、
そうさせたと言えます。
●いわば、
「この女の子は、見ると地味で、
他でも、ちっとも、美人としては扱われていないけど、
こうすれば、こんなに魅力を引き出せるんだよ」と
そんなことをしているのが私の手裏剣術です。
「野ブタ。をプロデュース」の、ドラマのようなものです。
今後、手裏剣術というものが、堀北真希さんのように、
表舞台に立つかどうかは分かりませんが。
●ただし、私が大嫌いなこと、
それは、嘘つきと、誇大妄想癖と、誇大宣伝と、過大評価と、
精神の屈折した幼稚な批判です。
ですから、現在の手裏剣術に存在する、
武具や打法としての「限界や欠点」は明確に論じますし、
手裏剣が(他の武器と同じように)明確に限界を持つという「現実」の中から、
手裏剣の可能性を、スポーツと武術の両面から探ってゆくつもりです。
●実際には、ほぼ8割以上がスポーツ、または「理」としての研究が、
私の受け持つ分野ですが、
2割未満は、翠月庵の市村氏との出会いによって、武術考察を含むように
なりました
といっても、実際には、武術考察の「お手伝い」というのが
私のできることの限界ですが。
●「武術としての手裏剣術」という分野では、
私が唯一、全面的な信頼と親交を持つのが、市村氏です。
古武術に関わる世界の人たちとの、ささやかな交流の、
約10年目にして出会えた、
きちんとした客観性と、味のある人間味を持つ方でした。
何事も、本当の良い出会いまでには、歳月がかかるものです。
「剣術と手裏剣術の併用」というテーマについて、
関心のある方は、ぜひ、「翠月庵」のページをご覧ください。
↓
【翠月庵】
http://www.bugaku-club.com/
★庵主の市村氏のブログ
↓
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/
今後の私個人の課題
●さて、手裏剣術についての総論を言えば、
その目的が、「武術」=つまりは「かつての殺人術」から、
もしも現代の「スポーツ古武器」の試合となった場合には、
射程距離の設定は3間以内、どんなに遠くても4間まで。
打法の種類、剣の種類、戦略手段に制限はなく、
いかにして勝ちを取るかだけが研究の全てとなります。
従って、刀剣類と手裏剣だけでも、
技を持つ人であれば十分に勝てますので、
距離を8間までとか投げるというのは、
無理をしてまで、両手打ちを稽古しようとするのと同じぐらいに、
無駄なことです。
また、術技の検証には、模擬手裏剣を使うとはいえ、
常に原型の武器に立ち戻って、実際の手裏剣を標的に剣を打ち込みつつ、
総合的に術理を模索するという形になります。
*********
●一方で「私個人」が立ち上げた「無冥流の投剣術」とは、
武術的な模索をしている人たちにとっても有効であるような
稽古法や打法を、相手の方と「共同で模索し、創作する」ことです。
それは今までに、あくまでも、私個人が研究したり経験した理論から、
紡ぎだします。
●その中で、結果として、武術的手裏剣をしようとしている人も、
やはり、7間という距離は通しておくことをお勧めしています。
相手が、よそ見でもしていないかぎりは、実用性は、全くない距離ですが、
直打法の理を理解する意味では、経験しておくにこしたことはない
距離だと私個人は思っています。
また、それは実戦至近距離での打剣にも大きくフィードバックしますし。
____________________________
無冥流の体系による稽古項目
私個人は、自分の無冥流のカリキュラムは次のように組み立てています。
私自身も、一人で地味に、
今でも、時間のある時に続けている基本稽古です。
しかし、全部をフルコースで稽古できる時間はありませんので、
この項目の中から、数種類だけを選んで稽古しています。
1−まず「刺中率」の向上。
初心者は、利き手の場合には、最初から3間を目標とする。
安全性の面から、決して2間未満では打剣を行わないこと。
そして3間の直後からすぐに、まず7間までを目指します。
この時に「1本打ち」が重要になります。
また距離が変化しても刺中できるようにすることも、
この初期の時期に稽古します。
この点で、古流手裏剣術とは、かなり考え方が違います。
2−「命中率」の向上。
A−剣を、「縦(|)横(−)斜め(×)」に複数剣を並べようとする稽古と、
B−「極端に小さな標的」を使うことで、養われます。
C−命中させるのではなく「避けるべき標的」の使用も有効です。
3−異物の投擲(ただし直打法に限定)。
脇差や、ナイフや、工具を含む、いろいろなものを直打で稽古します。
直打法では、かなり投げにくいものをコンスタントに刺せたら、
この学習は終了します。
4−多本打ち。
これは自分のフォームの修正や、手の感覚を養います。
本数が増えるほどにモーションが遅くなる事がその効果の理由です。
5−無冥流の、基本打剣用の「型」の稽古。
これは打剣時の異なる足のスタンスに慣れるためです。
(直立、自然体、逆体、順体、順歩、逆歩、左右足の後退を含みます)
(この他に、あぐら打ちと、3種の座打ちを含みます。)
6−「複数の打法」の研究。
10種類以上の「異なる打法」を経験してゆく。
また、「下手打ち」は、本打ちが不調の時にしますと、
手の内や手首の角度が修正される事が多くあります。
7−剣速の向上。
これは模擬剣を使った試合などで速度が必要となった場合に、
後から、つけたせば良い。
これは単に、むやみに剣速を出そうするだけではなく、
起こりの少ない打剣や、フェイントのかけ方も研究すること。
8−両手打ち。
これは、最も後回しで良い。
時間的な暇と、興味があったらやればいいという程度のもの。
無冥流では「両手同時打ち」からはじめ、両手「時間差打ち」、
その後に、予備動作を繰り返しつつ、
利き手でない片手による打剣へと移行してゆく。
9−最終目標。
学んだ事を全て捨てて、理も技も忘れ去って、
「無心の剣」を「打たされる」こと。(「自分」が打つのではない)
「輝月」
無冥流の稽古項目の動画
●全部は紹介できませんでした。
もう既に、多本打ち、多種類の打法、そして無心剣なども、
今までに、かなり、この松の間で、紹介しましたので、
今回は、主に、
「刺中率 と 命中率」を向上させる為に、私個人が使っている稽古法を
まとめて紹介させて戴きます。
しかしまー、久々に、座打ちと居打ちを行ったら、
もうボロボロでしたが(苦笑)、そのままアップしました。
この動画は、いずれも、特にベストショットというわけではありません。
2回ぐらい、派手に失敗をしまして、さすがに撮り直したものもありますが、
自分の現在の未熟さを、そのままアップしてあります。
それにしても、やはり、標的上に、剣を直線的に並べる為に、
狙いをずらして行くといった、複雑な事をしようとすると、
まだ首落ちが一定にならず、剣の刺さり方が、汚くなっていますね。
まー、これも「慣れ」が解決する問題なんですけどね。
●無冥流・手裏剣術の基本稽古−その1/2
↓
http://www.youtube.com/watch?v=DQwkE2iL2Sc
●無冥流・手裏剣術の基本稽古−その2/2
↓
http://www.youtube.com/watch?v=6QPl6hcqNME
■ちなみに、座打ちで足を入れ替えているのは、
これは「何かの技」ではなくて、単なる私の「不精」がなしたことです。
ビデオの収録時間を短縮したかったので、
いちいち、足の前後を入れ替えるのに、
もたもたと、無駄な時間を使いたくなかったものですから、
めんどくさくなって、少々「行儀の悪いこと」をしてしまいました。
どうも見る人によっては、何かの技に見えてしまうようですが、
全く違います。単に足の入れ替えを「急ぎたかった」だけです。
★この日は、ご覧のように、
ブリジット(近所の猫)の仕草や表情が、実に可愛いかったです。
(^=w=^)
_____________________________
★
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