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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
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[1089]
■
手裏剣術講座「本当の忍者の推測図」
by:
鈴木崩残
2010/04/09(Fri)10:58:22
では、本物の忍者の実像とは?
■あれもこれもデタラメだと指摘するのではなく、
逆に、では本当の忍者はどうだったのか?
という事を推察してみようと思います。
ただし、以下に書くことは、すべて私の「推測」です。
つまり、もしも自分が、例えば、
映画会社から「本当の忍者を描いて欲しい」と依頼されたら、
私は、一体どうするかという「仮定」をした場合の話です。
*********
身分が低い
だれが好き好んで、本当の当時の時代の、「日陰者」の「工作員」や
「使い捨ての兵士」になるでしょうか?
言うまでもなくそれは武将に雇われた現地の人たちです。
「その後の時代に」その人たちが、どのような高い地位についたにしても、
出身の「ほとんど」は、平民です。
ただ、その平民の中で、薬学、火薬の扱い、武術、気象学、易学、地形学、
建築学、武器製造、盗賊、諜報、足が速い、泳法が得意、
計算が得意、測量が得意、変装、なりすましが得意、
など、「各自ひとつ、といった特技」を持っていた、
「一部の人」たちや「野武士」が雇われて、
(あるいは雇ってもらうために)「日陰の仕事」を請け負った。
それが忍者の始まりと推測できます。
■戦国の合戦の表舞台に立てない人たちが、
自分から雇ってもらうために、どこかの軍に入るか、または、
逆に、武将からスカウトされた事もある、といったようなものです。
本職では食っていけない人や、
家業よりももっと儲けたいと思った人がやるものです。
早い話が、そんな「自分の名前も知られてはならず」、
自分が武芸を出来ることすら知られてはならない「日陰仕事」を
請け負うとしたら、
その「唯一無二の動機」は、「お金」や「食べ物」です。
なにしろ、名誉や名を残すなどとは目的も違いますので
名前を売る為、などということは、断じてあり得ません。
それよりも、「どこの軍につくほうが報酬が多いか?」が問題です。
敵に知られてはならない事
■まず、自分が工作員であることを知られた時点でアウトですから、
自分がそもそも「武芸が出来る、農民や商人や職人」であることなど
絶対に他人に見せてはなりません。
(もしも、そんなところを見られたら、その相手を殺さねばなりませんし、
しかも、殺人であるとは怪しまれない方法が必要で、
えらい面倒なことになりますよ。)
●だから、終始、一環して、
「目立たないこと」
「目的を知られないこと」
「誤認させること」これが忍者の最大の掟です。
したがって、へんてこな武器など使ってはならず、
手裏剣を投げるなど、もってのほかです。
それを相手が見たり、地面に落ちている手裏剣を拾った時点で、
自分の領内に不審者がいることを知り、
相手陣営は、警戒態勢に入ってしまいますから。
●「忍び」たる者の最大の原則、
言い換えると「頭の良いチンピラ」の原則とは、
それは自分に与えられた任務を確実に達成するためには、
一番目の原則が、「相手に警戒させない」ことです。
二番目の原則が、「相手を、やんわりと威嚇すること」になります。
この「わんやり」こそが、ミソです。
あからさまな威嚇は、素人のやることです。
三番目は、「逃げる」で、
四番目に、とっつかまったら「謝るふりをする」になります。
最後の五番目が「戦う」です。
■やっていた主な仕事。
情報収集、暗殺、窃盗、家宅侵入、詐欺、火付け、罠の仕掛け、
女性の性的誘惑による情報収集、賄賂で情報収集、
逆スパイ、情報操作、噂話の流布と、
現代の「チンピラ政治家」の手下と全く変わりありません。
200%良く解釈しても、
単独行動ならば、戦国の007、現代ならば、SWATのチームですが、
現代の先進国の特殊部隊とは、おおよそ武装した武器や、
組織統制力においても、かけ離れています。
■もし運悪く、怪しまれて、戦うことになっても、
農民や商人や職人の姿をしているのに、
変にかっこよく、武士に勝ってしまうところを他人にでも見られたら、
その時点で忍者失格である。
よって、「かっこ悪く勝つ」ように、おそろしく上手く偽装するか、
(まるで、低姿勢に振舞いながら相手をなだめる「座頭市」だな・・・)
逃げるか、場合によっては、秘密を守るために自分よりも弱い相手に
進んで殺されるか、
自分の目的を知られない事を優先して、自殺を選ぶ必要すらあります。
■そして、彼らを統制していたのは、中間管理職でしょう。
特殊能力に秀でたヤクザを、上からの命令で、金で雇っていたわけです。
と、ここまでは、スパイや山賊と変わらないわけですから、
そういう雇われ集団や個人は「世界中」に存在します。
●前回の投稿でも書いた「他の諜報活動や、武芸と違うという区分」
そんなものは実際の戦国時代にはありません。
「むしろ、ごちゃまぜ」といった方が正しいです。
その後どうなったか?
■天下が統一されたら、ほとんど「廃業」です。
金が入ってこないのですから、
誰もそんな汚い仕事などしたくありません。
みなさん、家業に戻ったことでしょう。
また、武芸に達者だった者は、
どこかの道場に転がり込んだかもしれません。
結局のところ、ずっと「日陰者」で、「使い捨ての兵士」そして
「何の名誉もなく」「金の為にやったこと」というのが実像だったのですが、
天下泰平になると、どうも人間というのは「脳内妄想」が始まるようです。
●自分たちでその道を選んだのですから、
文句を言う筋合いではないのですが、
それまで、雇い主からお金を貰うために「日陰の身」でせっせと働いていたときの
「ストレスと憤懣が爆発した」のかもしれません。
自分や、自分の親たちが工作員やゲリラだったという事実を、
そのままストレートに伝えるのではなくて、
また、本来は単に「個人個人が持っていた特殊な知識や専門的な技術」
であったはずのものを、
あたかも「体系化されていたもの」であるかのように偽装して、
「壮大なる」「忍術のようなもの」として書き記したもの、
それがのちの「忍法書」のはじまりだったと私は考えています。
とうぜん、当時本当に使われた武器は、基本的には武器に見えてはならず、
そもそも、武器を使うことそれ自体が主目的ではありませんので、
大げさに忍具と言うべきほどのものが存在しません。
多少の「特殊な工夫のなされた器具や武器」はあっても、
(今ではなくて)当時にしてみれば、
歴史的価値のあるとして自慢できるような品物ではありません。
■記述された内容は、見聞録以外にも、他人からの又聞きも含まれ、
「想像」や「推測」で図面を書いた武器や道具も、含まれていると思います。
動きや武器が、かっこいいか悪いか?といったら、
「かっこいい」と言えるアクションなどほとんどありませんし、
そもそも、それは忍者としては派手でカッコイイ事など禁じ手です。
ちなみに「忍者」という言葉、これはかなり近代になってから
登場したもののようです。
■アクション部分といったら、
それは既存していた古武術そのままということになります。
何か特別に忍術に特有のもの、ということにはなりません。
強いて言うならば、正々堂々と戦ったらそれは忍術になりませんので、
正当武術よりも、卑怯で意外なことをして勝てば、
それでこそやっと「忍術の技」ということが出来ます。
つまりは心身ともに、トリッキーかどうか。
そうでなけれは、ごく普通の「正当な古武術」にしか分類できない類の、
アクションになるのですから。
■そういうわけですから、忍術書なるものの中で描写するときに、
かなりの嘘や「希望的観測」が、
事実や見聞の中に、紛れ込んだと見ていいです。
ただ、その中に「掟」や「心構え」なるものが登場するのは、それは、
ある意味では、戦国時代に実際に必要だったであろう心得や原則もあれば、
「見下げられないように」、そして「立派に見えるように」と、
権威づけるために、あとから、偉そうな心得を書き記した、
と見てもいい箇所もあると思います。
■ただし、そうして出来上がっていった「忍術書」を密かに見せたり、
あるいは、実際にまだ残っていた専門技術を、お偉いさんに見せて、
それをもってして、自分を「お上」に売り込もうとして、
隠密のような形として「雇ってもらおう」と画策した人たちがいたことは
否めません。
むろん、これもまた「正義の為」ではなく、「食ってゆくため」です。
文献には、どう書かれているか?
●そうは言っても、なんとかの陣で、どうこうしたとか、
城を落としたとか、なかなか、それこそ「忍者的な」、
かっこいい活躍をしたという記録も多く残されています。
伊賀甲賀の地形や、情報収集をしたい京都に近かった、
という「地理的な位置」が原因となって
そこに忍術が発展したという説も有力である。
「徹底的にかっこ悪く」というのも、お笑い芸人でもないかぎり、
実は人間には不可能なものです。
とうぜんのこととして、いくつかの戦いでは、
「かっこいい実績」も残したことでしょう。
ただし、敵からすれば、それはただの山賊扱いかもしれませんし、
中には、大きな手柄を立てて、感状を貰って、のちに江戸時代に、
村の名家となったというケースもあるようです。
最後に、幕末の討幕派。
隠密であるかのように描かれる者も多いですが、
武器を振り回すのではなく、
ほとんどは単なる諜報活動や、住居への「不法侵入」です。
●最後に、これらの「資料」に対する「考察をなした」良い本としては、
「山北篤」著の「忍者・忍術」(新紀元社)をお勧めします。
★結語★
戦国時代、またはその後の時代においても、
諜報戦、武術、ゲリラ戦、そのどれひとつとっても、
これが「忍術に固有の」と言えるものを、私は発見できません。
総括して言えば、「ごちゃ混ぜ」です。
●したがって、やはり、
「他の国のスパイ術や、他の日本の古武術と忍術は、どこがどう違うというのか?」
などと、もしも問われたら、結論は前回の投稿と同じです。
>「そのように思えてしまう武具や道具の使用」
>「そのように聞こえる説明」
>「そのように見えるスタイル」
これ以外に、その時代に実在したことが確実な
他の、
「通常範囲のゲリラ戦法」
「通常範囲の武術戦法」
「通常範囲のスパイ活動」
それらと「忍術」とを区分する、明確な「線引き」は何も出来ませんでした。
なのに、どうして「忍術?」なのか?
さっぱり分かりません。
もしも私が、映画を作れといわれたら、
戦国時代の単なる「通・常・戦・略」を描写した映画になると思います。
タイトルは「どこ忍者?」です。
そして、映画鑑賞した人たちに必ずアンケートをとります。
「シーンの中で、
どの部分が、忍者みたいに見えましたか?」って。
どの衣装、
どの武器、
どの動き、
どの台詞、
どの演出
が、「忍者のように見えたか?」
これこそが、
「忍術とは何か?」という問いへの、
「皆さん個人」の主観的な(または集団的な)答えなのです。
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