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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
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[1092]
■
●精神世界の定義●そのほとんどは、人間の欲望の「吐き溜め」
by:
鈴木崩残
2010/04/20(Tue)19:03:27
本当の意味での精神世界とは?
●先日の土日に、翠月庵の市村氏が遊びに来てくれまして、
打剣はそこそこにしまして、翌日の朝日が差す頃まで、
お互いに、武の世界からは、また違う話題なども織り交ぜて、
いろいろな話を楽しみました。
しかし、夕食に、酒のつまみに、揚げたての「てんぷら」を出すのを、
すっかり忘れてしまいました。
焼き鳥を食べているうちに、
全員おなかが、いっぱいになってしまいました。
酒といえば、ビールは数年前に、他所様の道場の合宿のときに、
ほんのお付き合い程度だけで、飲んだ記憶はあるのですが、
(ビールは抜けるのが早いので)
日本酒とか、ブランデーとか、ワインとか、果樹酒の類は、
おそらくは、15年ぶりぐらいだったと思います。
その手の酒類は、酔いが深くなり、お互いのオーラが影響し合う
(と私個人は認識しています)ので、
よほど心を許した人としか、私は本格的には、飲まないのです。
ちなみに、会社とかの飲み会で、上司や部下から、邪気を
思いっきり吸ってしまい、泥沼の関係から抜けられなくなるのは、
そのほとんどが、「酒」が原因ですね。
酒を飲みすぎると、特に「希釈自我」の人たちは、
必ず、他者に「入り込まれて」います。
市村氏は、太鼓判押せるほどの「全自我」の人ですので、
どれだけ飲んでも、他者からの影響は、跳ね除けています。
↑
>追記。**********
>のちに自我判定をしたところ、「希釈自我」でした。
>最初は酒のせいだけで、意識が混濁して記憶がループしているのか
>と思ったのですが、酒が入っていないときにも、
>記憶がおかしい状態でしたので疑問は長くありました。
>当時は手裏剣の話題だけに限定してしましたので判定は行わなかったのですが、
>2015年に、いよいよ挙動や思考法がひどくなっていたので判定したところ、
>希釈されていましたし、そのせいでトラウマも全く解消されていませんでした。
>とりあえずは、手裏剣でのお付き合いだからと判定をせずにいましたが、
>もっと早期の段階で自我率を見ておいて、
>そうした人には関わらない事の予防の重要性を認識しました。
>あるいはその相手の自我率に応じた対応だけしかしない方法です。
*********
で、ついでに言うと、女性関係も、酒がからむと危ないです。
といっても、別にお酒を飲んで、記憶がない間に、誰かを妊娠させていたとか、
そういう問題ではなくって、
単に、酒の席を一緒しただけで、
相手が持っている業や病気の種まで被ることが
かなりあると見ていいです(変な相手の場合ですよ。)
ですから、「これは、なんかヤバイ」と少しでも思った女性とは、
「飲んだら、寝るな」です。(笑)
というより、半径約2メートル以内では「一緒に飲むな」ですかね。
●ということで、
市村氏が、うちの地元で買われて持参されたお酒と、
うちに前から温存してありました、有名旅館御用達のお酒を味わいながら、
あれやこれやと、楽しい時間を過ごしました。
実は、少し余裕があるご予定の場合には、
せっかくですから、いつもはビデオでしか見ることのないマジックを
10個ばかり、目の前30?pとかで、お見せしようと、以前には考えていたのですが、
なにしろ、私も現役ではないので、腕が、なまっていまして、
複雑な手順を思い出すまでに、練習が必要なものも多く、
今回は、あきらめました。
あ、それと、
朝っぱらから、ちょっと胃には、重い中華丼とかを
私が作ってしまいまして、市村氏には、本当に、ごめんなさい。
しかも、味噌汁が、めちゃくちゃ濃すぎた。
_____________________________
●さて、市村氏と仏教とか精神世界に関して、意見交換をしたのですが、
市村氏から「精神世界というのは結局はどういうもの」という
言葉を受けまして、その対話の中では、私は、
「いやー、一般には、ですが、
マッドサイエンスから、超能力から心霊から、それこそ、
新興宗教の電波話から、やりすぎ都市伝説まで、なんでもあり、
のようです」
とは言ったものの、
原始仏教だけは明らかに、現代の「多神教と偶像崇拝の仏教」とは
まるで違い、それは限りなく「ニヒリズム」に近似値であるという
話をさせて戴きました。
ただしニヒリズムが絶望で終わるのに対して、
仏教や、その一部がなんとかまだ生き延びた禅は、
絶望の底の、
「その底すら崩れて、底が抜けたところにある領域」のもの、
と、私は言いました。
>一切の希望が死ぬときにのみ、一切の絶望もまた死滅するという、
人間の精神の「方程式」のようなものです。
それに関連する、私自身の過去50年の経験があるのですが、
そのあたりまでは、今回は、お話をする時間はありませんでした。
↑
書は、行書体の「寵(ちょう)」という字です。
*********
●ところで、
実は、私の既刊の書籍に「悟りなき悟り」という本があります。
以前は、書籍として売っていたのですが、
今では、印刷代が高いので、CDに収めて販売しています。
(その書籍の販売店については後述します)
●それで、その本というのは、過去から言われてきた「悟り」
というものが、いかに現在皆さんが耳にしているような
坊主たちや宗教学者の並べる御託とは、本質的に違うか、
ということを書いたとともに、
「精神世界というものを、私の視点で「定義」したこんな箇所がありましたので、
何かのご参考となればと思いまして、
その部分のみ、書籍からまるまる引用します。
***************************
「悟りなき悟り」
第2章・
「精神世界って言うじゃない、でも、それって?」より抜粋。
●「精神世界」というのは、そもそも、書店さんが作った「コーナー」の名前です。
分類上、アカデミックな宗教にも、精神医学にも実用書にも分類できないが、なんとなく、
精神?とか言われるものを扱っていると「思わしき」書物を、分類する「棚」の名前が
「精神世界」という「エリア」の名前です。昔、それは、宗教書の一角にあったのですが、
今では「キワモノ」を押し込んでおく為の「便利な書棚」になったのかもしれませんね。
読者の人にも精神世界に興味あると自分で思っている人も多いでしょうが、ではあなたに
とって「精神世界とは何ですか?」と尋ねたら、なんと答えるのでしょうね。その区分は?
●私はこう思っています。前にも書きましたが、現在あるほとんどのものは、
「魔術とか、生活の知恵とか、医療」です。それが市民権を得ているとか法的に認可が
どうであるとかには関係なく、現在流通している情報のほとんどは、
「人間の欲望の延長」であり、分類上「精神世界」といえるかどうかは、疑問です。
◆1/たとえば、まず「心霊」、これは精神世界ではなく、情念とかの世界の「処分法」に
関する分野であって、宗教でも哲学でもなく、よくて単なる「死者の為の人生相談」です。
◆2/精神の病に関しては、その治療法が普通の精神科のカウンセリングであるか、
へんてこな前世治療であるか、いかがわしい心霊治療であるかに関係なく、目的とする
ことが、患者の社会復帰や、安心した生活のためというのであれば、これらはすべて、
リハビリのための「医療とか治療」の分野であって、精神世界ではありません。
◆3/次に「宗教」。これも精神世界ではありません。
(ほとんど、大人の為の御伽噺とも言える、そのトンデモな内容を)
信じるとか信仰というのはこれは、
人間の願望の延長に設置されたものであって、心の問題を直接に扱っているのでもなく、
その信仰の元をなす思考そのものを科学しようとする態度を最初から放棄していますから。
◆4/次に「神話」などの伝承あるいは一般的な占星術といったもの。これは生活の技術
です。「魔術」です。それは精神世界ではなく、確立されつつある途上の「生活技術」です。
それが目的とするものは、個人が地上的な生活において目的とする事を成し遂げるための
効率の良い座標を見つけるということです。あくまでも「生活の知恵」ですね。
◆5/次に気功などによる「治療」。これは、治療師に言わせれば、精神世界に分類される
ことは、「はなはだ迷惑な話」であって、単に「方法の違う、治療法」であるにすぎません。
あれは、精神世界でもなく、宗教でもありません。ちょうど、それはアロマテラピーを
やっているからといって、精神世界と言われたのでは迷惑な話というのと同じです。
◆6/また「癒し系のなんとか」って、そりゃ精神世界ではなく、
社会的ストレス緩和のための「医療補助」の一種でしょうよ。
◆7/「超能力」って、そりゃ、本来は「物理の世界の研究課題」でしょうよ。
宗教とも関係なければ精神論とも全く関係ない。哲学もありゃしない。
ようは、ああいう分野は、能力者をモルモットにして、
未知の「エネルギーの一種を研究する分野」なのであって、別に「精神探求」の世界では
ありません。「精神作用」の研究といってもいいのです。
●まー、他にもぞろぞろと、いろんな分野が書店の「精神世界コーナー」にはありますが、
こういったものが、無造作に、乱雑に交錯しているものだから、何を勘違いしてか、
単なる治療師が、宗教を開業してしまったり、単なる信仰をしていた信者が何を勘違いを
してか、インチキ超能力ネタをはじめたり、はたまた、関係ない分野をごちゃまぜにした
ようなカルト教団を作ったり、武術家もどきが、禅の逸話に妄想と夢を投影したりと。
精神世界と言う名の非常に乱雑に分類されている「書店の一角にある文化」というのは、
分解してしまえば、それぞれの本が収まる「通常に分類される本棚」があるわけです。
ただ、強いていうと、一般書籍との違いというのは、「その他のアカデミックでない・・・」
と分類されて命名されるだけの事です。つまり「トンデモ◎◎学」とでも命名できます。
まー、だからといって、たとえば、宇宙人ネタの本を、天文学のコーナーには置けない
わけでして、それは、「面白い話の本」とかいうコーナーでよろしいかと。
強いていうと、あれらは「旅行記」とか、「体験記」になるわけですかね。
●総括すると、私から見ると、書店で分類されているそのコーナーには、 精神世界と
呼べるものは、ほとんどなくて、そのほとんどは、
>「普通」にやって出来ないこと、または、普通にやっても出来る事を
>「普通じゃない方法」によってやろうとする、
>という、「ごく普通のこと」をしている分野であるにすぎません。
その「ごく普通のこと」とは、すなわち、俗に言う「世間的な幸福」とやらを、
漠然と求めている人間の欲望の産物であるわけです。
だったら、それは、まー、ただ分野の違う「実用書」というカテゴリーですね。
●心のどこかをトラウマったのなら、心理学のお世話になればいいし、それでも駄目なら、
怪しい治療にかかればいいし、そもそも、「精神世界って何なのでしょう?」となります。
たとえば患部についての霊的な透視、これは「違う知覚のセンサー」を使うというだけの
話でして、精神世界とかそんなものじゃなくて、「検査法の一種」なだけです。
あたりはずれがあるので、その検査法は、「不安定」なようですが。
●では、何が私から見て、「精神世界」と言えるかと言いますと、それは、むろん昔から
精神世界のコーナーの一角にあった分野なのですが、とりわけその中から、選ぶと、
それは次の「3つだけ」です。
■1=哲学。
すなわち、人や世界はそもそもなぜ存在するかということを命題とした分野。
これは宗教でもなく、実用知識でもありません。純粋な「知的探求」です。
とはいえ、その根底には、人が持つ生や死への不安というものが動機とはなっていますが、
それでも、安易に信仰という、「ごまかし」に走る宗教や、安易に、解決法に走る、
いろいろな実用的技法よりは、マシです。
哲学というのは、そもそもそこに解決というものがあるのかどうかすらその根底から、
疑ってかかりますから。
>さらに言うならば、人はなぜ疑問するかという疑問それ自体にも
>疑問を持つ、つまりは、「究極のなぜ」の連続が哲学の本質です。
だから、この分野は、真に「精神の世界」と呼んでも差し支えないです。
■2=次に悟りの問題を扱う分野。
これも私は分類上精神世界に分類します。その理由は
それは、現時点で人が目的としているさまざまな「願望とは全く無関係な問題」を扱って
いるからです。
それは、何になるか、何を知るか、何をなすか、何を理解するかは全く論外で、それは
「非対象意識に関係する分野」だからです。
何かを人間が知る、認識するという場合に、
通常は、すべて対象化されて知るわけですが、
「その認識法則が無効になる」のが、この悟りの要点となるところだからです。
「知る者、知られる対象、知るという現象」、
それらが同時に共存してしまうために、
主体とか客体の法則がなくなります。
では、これが一体何に役立つかというと、
>「全く何にも役立たない」のです。
唯一、本人が、一切の生と死の不安が全くなくなるという効能以外には何ひとつも。
そのときに「なくなる」のは死の不安だけではなく、生の不安もです。
永久に、地獄にいろと言われても、「はいそうですか」、となるでしょうね。
強いてこれを精神世界に分類した理由は、
他のものは、すべて「認識の本人」それ自体には、たいした変化を及ぼしません。
何を経験したところで、せいぜい、ちょっとした
カルチャーショックか「考え方の変化」や「感情変化という程度のもの」にすぎません。
しかし、悟りの体験だけは、その体験の主体である本人の意識自体が、大きく、変容を
してしまいますので、これは「精神に直接に関係する分野」であるといえます。
精神が「何を見たかではなく」、その見る目の精神の視点が「どう移動したか」の問題です。
他の精神世界と一般に言われるような分野は、人間の、思考とか感情とか身体といった
分野をターゲットとしていますが、悟りを問題にする体系は、「意識」の問題が主要であり、
また、それは学問的に知られるものでもなく、それで人格がよくなるわけでも悪くなる
わけでもなく、何か世間的に得することがあるのでもなく、
ただ、「人が、本質的には、人ではないものであった」ということを
「人ではない状態で、経験する」だけのことです。
■3=意外かもしれませんが、
私は「異星人問題」を、精神世界に分類しています。
ただし、それは「地球に何の利害もないような情報」に、かぎります。
いや、厳密にいうと、利害が明確になった方がいいかもしれません。
つまり、今のところ、異星人なるものは、ほとんどの場合には、ただの絵空事ですし、
政府との密約がどうのこうのといっても、せいぜい、地球人と密約などするほどの、
「程度の知れた異星人」なのですから、そのテクノロジーがどれほどのものであったと
しても、そこにあるのは、たいした「文化性や精神性の違い」ではありません。
●しかし、これがもしも「全く異なる宇宙観を持った生物」であったり、そこに地球の
人間に対する「捕食行為」が含まれていたり、そうした利害関係が現実のものとなった
状態で、しかも、彼らが我々とは「全く異なる認識で世界を見ている」ということを、
「私たちが思い知らされること」があるとしたら、そのときになって、はじめて、
この分野は、そのときには、「精神世界」となり得ます。
その時が来るまでは、この異星人という「Xファイル的な世界」は、地球の人にとっては、
>人々が妄想している「天使の代用品」か、「悪魔の代用品」でしかありません。
異なる知覚を持って作られた異なる文明や宇宙観があること、そのことに、本当に接触を
しなければならない事態になったときに、なぜ、それが、私は「精神世界となる」という
かといえば、その時に私たちが考えることになるのは、1の哲学と同じことだからです。
●すなわち、
>「一体、進化とは何なのか?」
>「なぜ宇宙や我々は始まったのか?」
>「我々は、どこへ行くのか?」
>「そもそもこの世界は本当に存在しているのか?」
そういった問題が、生の中で、重要な問題になってくるからです。
現在は、単に「いかにして、生きるか、食うかの時代」ですが、
これが「なぜ、食うか?」になるのが、そうした異なる知覚世界に接触したときです。
だから、異星人問題というのは、今は、全くただのSFチックな分野ですが、将来、
起きるかもしれない異文化コミュニケーションが本当に発生した場合には、
>「こんなことまでして、苦心したり、または進化までしようとしてまで、
>そもそも、なぜ、生きているんだ??、私たちは・・・」
というこの疑問は、哲学者の専売特許ではなく、
個人や国家や惑星全体にとっても、「現実的な重さを持ってくる」、ということなのです。
●ということで私がこの「精神世界コーナー」という書店の一角で、「精神世界である」
と認めることの出来る分野は将来的な可能性も加味して、
「何の役にも立たない異星人情報」と、
「悟りの問題」と、
「哲学」、
この3つだけです。
では、この3つには、「何が共通しているか」が、解るでしょうか???
この3つだけは、我々に、「生の道標を与えない」のです。
これらの分野は、そもそも、
その生とか意識そのものが「何であるのか?」という疑問に
我々がぶつかるのですから、
そもそも道標になんて、なり得ないのです。
●生の道標とか、生き延びるための技術、それは、この世界に「腐るほど」あります。
しかし、生存には何も貢献しない分野、それどころか、道標そのものを引っこ抜くことに
なり生存意義の根底をゆるがす分野、それが、ご利益主義だの人格形成問題ではない悟り、
お寺の腐った悟りやカルト集団のエセ悟りではなく、「本当の悟りを扱っている分野」と、
そして、もうひとつが、「純粋な哲学」という分野です。
これらは、生の知恵ではありません。ご利益のためのものではありません。
幸福になるためのものではありません。「幸福とはそもそも何か?」を、その根本から、
自分の頭で、考察し直すものです。また幸福になったり不幸になったと認識する、
「その認識の主体意識自体」を抹殺してしまう技術ですから。
哲学、悟り、異次元文化との接触、この3つだけは、
「おいしいところがなさそうだ」。「そこがいい」のです。
それこそが、真の「精神世界」であるために、重要な事なのです。
哲学は人間の知性を満足させるかもしれませんが「知性的満足は幸福とは全く無縁」です。
逆に、絶対的な幸福である悟りも、今度はそれは「知性的満足とは無縁」です。
つまり、この3つの分野だけは、
>「今の人間のためのものではない」、今の人間には「都合がよくない」、
>今の「人間を満足させるものではない」、それこそが実にいいのです。
嫌気がさした自分や世界を「捨てるごっこ」の逃げ場にもならず、自己陶酔の逃げ場にも
全くなり得ないのが、この3つの分野です。
1/ちょうど、何かの手段としての音楽ではなく、音楽のための音楽があるように、
知性以外の何かのため(たとえば幸福感のため)ではない、知性のための純知性(=哲学)。
2/幸福それ自体以外の何か(たとえば知恵とか万能性)のためではない、
幸福のための純幸福(=悟り)。
3/そして、人間の文化の発展のためではない、異文化情報(異次元)。
社会的にも、文化的にも、個人の自己満足のたしにもならないのが、この3つだけです。
●ちなみに悟りというと、古臭いとか、中にはTAO臭いと言われることもあるようですが、
これが、全く古臭くないんですよ。その 理由は非常に簡単なことです。
古臭いとか、使い古された技法という場合には、
それが過去に、「一定の普及」を見た場合、「流行」した場合にのみ言えることです。
ところが、悟りについて仏陀だの達磨だの和尚が、わめきちらして、それが、大衆の
「探求のターゲットとして流行した」ことは、何度もあっても、それが実際に、社会に
「蔓延したためしは、ただの一度もない」。
という事から古いも何もあったものではなく、
そもそも、それは、最初から「絶滅種に近い、天然記念物」のようなものなのです。
それは、そもそも、まだ「ロクに人間に、使われてもいない分野」なのです。
歴史上それ(悟り)が、一般的に「カジュアルに使われた」などという記録は、
どこにもありません。猿人でさえも、その状態にあったわけではありませんから。
ということで、いまだ、過去にも現在にも、そして、おそらくは、未来においても、
全くマイナーであり続け、その本質を外部から言葉や愚考で「勝手に汚した者」は、
多けれど、私の目から見れば、その「本質」は、「いまだ、手付かず」の、 超マイナーな
「書店のコーナーの一角」が、前述の「3つの分野である」というのが私の認識です。
●それは、人間のご都合主義の為に、あちこちに転がっているような「生のための知恵」
ではなく、いわば、強いて言うと、
>「死のための知恵」のようなものである。
宇宙そのものが、無限に新陳代謝を、「無意味な生存」のために、無目的に繰り返しており、
飢えて、苦しくなり、動いて餌を探して、食っては、排泄して出す、という行為や、
息を吸って吐くという行為。私達は、これらを、まるで「当然のこと」と思っていますが、
1/これら自体の意味を、もう一度「疑ってかかる」のが、哲学。
2/それ自体を「窒息」させてみるのが、悟り。
3/「我々とは違う新陳代謝の方法があることを知る」のが、異星人問題。
ただし、私は、3には、興味ないです。どれだけ宇宙の認識方法が異なっていても、
「新陳代謝している」という点では、どの星でも、どの次元でも「同じこと」ですから。
______________________________
■興味のある方は、ご一読ください。
全く宗教臭さのない、お勧めの本です。
目次を見ますと、書店にごろごろ転がっている
この手の本とは、異質な内容であることが分かると思います。
「悟りなき悟り」
悟りの全てがわかる本 【悟りと日常の接点を探る】
鈴木方山 著
★目次
■第一部・【基礎工事】
「日常の中にある不安」から「悟り」への交差点となるものを探る
日常からデッドゾーンへの入口----------------------------6
現在の虐待や、ひきこもりは、何が根本原因なのか?--------7
異常の主原因と思わしきもの------------------------------8
ひきこもりとは自衛反応である---------------------------11
自分にとって一番大切な時に、
拒否をしないとトラウマになる---------------------------12
重度のひきこもりの事例---------------------------------13
知らないうちに、多くの人が脳疲労をしている-------------18
AC問題やゲーム脳との関連性---------------------------20
身体も心も病まない秘訣---------------------------------22
非言語コミュニケーション-------------------------------26
眠ったまま生きる人々-----------------------------------29
「シラける」という形での覚醒への道---------------------37
ひきこもりの原因となる「私」---------------------------44
座禅や瞑想というものは、自分探しをするものではない-----51
■第二部・【避けるべき地盤】
現在、存在している、瞑想や座禅や宗教体系の「言い分」には気をつける
カルト宗教に、ハマりやすい人達について-----------------58
多数集団と化した宗教はアウト---------------------------61
ゴロゴロある新興宗教は、どうやって生み出されるか?-----62
「精神世界」って言うじゃない。でもそれって・・・・-----64
前世があるかないかの論議-------------------------------71
「現実感の濃度」または、人間の現実という感覚について―-79
精神世界の基本的な誤解---------------------------------86
■第三部・【新地に柱を立てる】
本当の悟りの定義は、シンプルかつ「非宗教的な次元の話」である
悟りという現象の再定義---------------------------------91
悟りという現象のトリガー------------------------------107
誰でも解る悟りの段階の定義----------------------------113
「大悟」と「偽の悟り」の違い--------------------------120
感動的神秘体験は不純物--------------------------------131
悟りとは意識の散開状態である--------------------------134
真の瞑想や座禅とは「仕上げ用の砥石」である------------137
本当に役に立つ導師たち--------------------------------142
グルイズムが崩壊する時--------------------------------153
雑念とプチ悟りの体験について--------------------------159
意識の「初期画面状態」--------------------------------169
雑念・妄想・連想の原因とは----------------------------175
思考という厄介者--------------------------------------184
人間が悟れない最大の理由と悟った場合の最大の特徴------192
■第四部・【庭造り】 あの懐かしき口調の講話
導師的「講話あそび」の試み----------------------------197
禅問答の本質とは何か?--------------------------------225
3人目の僧侶------------------------------------------237
あとがき----------------------------------------------260
★下記の書籍案内の、上から6番目にあります。
↓
http://www.mumyouan.com/i3.html
『正怒』
____________________________
★
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