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Title
手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1094]
■
手裏剣術講座「今後の実戦手裏剣術」の予測
by:
鈴木崩残
2010/04/23(Fri)01:15:09
>4/23-16:30 文末に、梅の間へのリンクを「追加」しました。
まったり手裏剣術講座
↓
http://www.youtube.com/watch?v=bEoQVnOqTBc
●最近、緊張感のない、のんびりとした動画をアップするのが
マイブームになりました。
今まで、DVDの穴を4間、5間、6間の距離で狙ったり、
4間と5間での、ロウソクの炎消しとか、
そんな標的ばかりを狙っていたので、
難しいチャレンジには、なんとなく、少し飽きてしまいました。
無心の意識状態にさえ入れば、偶然の確率上の命中率よりも
遥かに短時間で刺せることは、よく分かりましたので、
「無心剣」の確認実験は、既にもう充分だろうと思いました。
●そこで、前々回も、そうでしたが、
日ごろ無冥流で、私個人が、地味にやっている基礎稽古の様子を
今回は、まったりと、お届けしました。
無冥流の、「初級の基礎部分」は、
3間と、特に4間距離あたりに、全て含まれていますが、
中級になると、同じ課題を行う距離が、
6間から7間あたりまで伸びるわけです。
距離が伸びても、精度や刺中率を変わりなく維持しようとするのが、
ここでの目標です。
とはいえ、やはり、倍の距離になると、難しくなりますね。
本物の飛刀術?
まずは、貴重な二つの「飛刀術」の映像から。
『大技』(大きく飛ばす)
http://www.youtube.com/watch?v=1b_P879EEQY&feature=fvw
『小技』(小さく飛ばす)
http://www.youtube.com/watch?v=qPZW28L4deo&feature=channel
『連続技』(二度、飛ばす)
http://www.youtube.com/user/failblog#p/u/19/E5LWmHirZJU
最後の、字幕がシャレていますね。
「こいつぁー、モデルたちの為の、軍事訓練に違いあるまい・・・」
■ どれも、当事者は笑えないですね。■
こちらは、「ロープダーツ」が一部に出てきます。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=wfB4GEyjscs
実戦的・投剣術の模索
●正しく言うと、これは「手裏剣術」という枠には、収まりません。
私は、ナイフスローワーのメンバーで構成される組織に所属していますが、
彼らとのディスカッションや情報交流を通じて、
日本の手裏剣術ではなく、「ナイフファイティング」の中での
ナイフスローということを常に、考察しています。
●日本の手裏剣というものは、
>「今から、あなたに対して武器を投げますよ」と
相手にバラしているようなものです。
その主原因は、当たり前のことですが、
そのほとんどの形状が「いかにも手裏剣」だからです。
(普通の「短刀」やまたは「暗器」ではないかぎりは。)
ところが、私はだいぶ以前に、松の間でも書きましたが、
ナイフというものは、相手に「単なる普通のナイフファイトである」と
「誤認」させることが出来ます。
その点では飛刀術も同じです。
この通常のナイフファイトと誤認させながらナイフを手に持ち、
相手がまさかと思う、予想外の間合いから、
それが一瞬でナイフスローになるという点では、
私は手裏剣よりもナイフに可能性を見出してきました。
(本当の実戦となった場合の「想定上の話」です)
なにしろ、手裏剣みたいな「分かりやすい投擲武器」を手にしていたら、
相手は「投げてくる可能性」を簡単に予測してしまいますから。
●日本の手裏剣術では、
>1−「相手の目から手裏剣を隠して使う」という「隠し武器的な」発想と、
>2−もうひとつは、相手に堂々と見せて、構える、
>というこの「二つの発想しか」ありません。
この点でも、私はその「中道」を模索してきました。
●つまり「ナイフを振り回しているように見せかけて」
単なる「ナイフバトル」だと思わせておいてから、その動きの中で
ナイフ投げに転じるという、相手にとって予想外の動きというのを
いくつか試しています。
ただし、これは翠月庵との共同研究とは別の分野です。
一部これに被るのは、「飛刀術」の部分です。
●こうした戦闘方法については、
手裏剣を使うのではなく、ナイフを戦闘法として持つ、
フィリピン出身の人と、私は、よく論議し、情報交換しています。
またラルフ氏も、軍におけるナイフファイトの技術についても
よく知っています。
ロシアの人とも、ナイフファイティングとナイフスローについて
たまに、英語でやりとりすることもあります。
●つまり、外人さんの場合には、それぞれに自分が学んだ、
空手、合気道、その他の「民族的な拳法」の動きの中に、
ナイフファイトを織り交ぜ、
さらにそこに、ナイフスローを組み込むという方向での、
実戦ナイフスローを模索しているわけです。
そこが、日本に固有の「古武器と手裏剣の組み合わせ」となる日本の
現在の手裏剣術との大きな違いです。
●どちらに軍配があるか、
それは、今後対戦のシミュレーションをしてみないと分かりませんが、
「ナイフファイト併用ナイフスロー」と、
翠月庵で行われている「刀法併用手裏剣術」とは、
非常に、拮抗した実力を模索している二つの双璧をなす分野だと
私は思います。
■ちなみに、これは中国武器におけるスタイルの一つです。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=iRU6v7Bewi0
■しかし、この人の動画には、ちょっと「なんくせ」をつけたいです。
他のこの指導者の動画を10以上見ましたが、
生徒さんに対してばかりの、散打の打ち込みが多すぎます。
こういうインストラクターまたは指導者は日本にもいますね。
以前に市村氏も指摘していましたが、
剣術で言うところの、仕太刀・打太刀の関係において、
良き指導者というのは、生徒側に攻撃法を教えるために、
自分が技を受ける立場に回ることも多いものです。
その点では、この指導者が、いつ生徒さん側に優勢な形での「型」の
攻撃を、自分で受けながら指導する場面があるのか?
と探してみましたが、ほとんどありませんでした。
生徒をボコボコ(軽く打って)、悦にひたっているだけに、
私の目には見えました。
もしも生徒さんが、全く遠慮しないスピードで約束なしに技をかけたら、
そんなに、この指導者は、上手くないと「私個人」は思いました。
見ると、スピードがちょっとした自慢のようですが、
仮に型や技は上手かったとしても、目の気配がよくありません。
興味深い動画
>「ナイフファイトに対するディフェンスなんか、出来るわけない!」
と主張するビデオです。
一番最初の動画は、ややショッキングな画像がありますので、
血や切り傷の映像に弱い方は、ご遠慮ください。
↓
1
http://www.youtube.com/watch?v=wsGggb0zizA
2
http://www.youtube.com/watch?v=v0kI9-bD5Bo
3
http://www.youtube.com/watch?v=CCopgQpC7ns
●この相手がナイフを持っていることを知らない、
というシチュエーションでは、確かに銃では間に合わないですね。
_________________________________
雑談
●全く話題は変わりますが、
最近、「衝撃映像」とかよくテレビでやっていますよね。
残念ながら、生活に、ちょっとした良いスパイスになる、
心霊モノとUFOモノが、めっきり減ってしまい、
事故、事件、災害、などの「衝撃映像」や「動物のお笑い映像」ばかりが
目立ちます。
●で、そういう「衝撃映像」の番組の中で、
ひと昔前と、変わった点に、皆さんは気づいたでしょうか?
私はずっと違和感を感じていることがあります。
それは、
>「この事故によって、幸いにもドライバーは、かすり傷で済みました」
とか、
>「彼は骨盤を骨折しましたが、大事故にも関わらず一命を取り留めました。」
とか、
やたらに、「死亡しなかった」という映像が多いのです。
むろん、たまに「この事故によって最悪の結末になりました」という
のもあるのですが、ごく、たまにです。
●私が10年以上前に、こうした番組を見たときには、
災害でも事故でも、「それによって人が死んだ」というシーンや
事実をもっと多く伝えていたと記憶しています。
つまり何が言いたいかといいますと、
放送倫理の敷居が何か変化して、
「悲惨な刺激的シーンは放映しないように」との規制でもあるのかもしれませんが、
そうなると、「現実のリアリティー」を伝えない番組になってしまうのです。
私が昔見た、そういう「衝撃映像」は、「人が死んだ結果になったもの」も
もっと多く含んでいました。
だから、そうした映像を見たときに「自分も気をつけよう」とか、
「ああいう死に方は嫌だ」とか、「嫌な感じ」をちゃんと感じました。
●しかし、最近の「衝撃映像」と称する番組のものは、
結果として人がそれで死んだというものを極端に排除したために、
どんな事故も事件も、「まるで、コメディー」のワンシーンのように
錯覚する子供が増えるのではないかと懸念しているわけです。
つまり、命が助かったり、軽い怪我で済んだなどということは、
あれらの映像の事故の中では例外的な「奇跡的」なことなのであって、
スタントや無謀なチャレンジなどやれば、
しょっちゅう人は、死んでもおかしくないのが「現実」というものです。
●「衝撃映像」の中に、
私は別に、生々しい人間の死を見たいわけでもありませんが、
しかし、衝撃映像の中での事故や事件というものは、
本来、「死んだり、半身不随になったり、植物人間になった」
というものが、「現実の大半を占めているという事実」を
我々が、どこかで忘れてしまうような編集をしている点が、
気にいらないのです。
ある意味で、都合よく「切り取られた現実」というのは、
子供に対する教育としては、害悪です。
●私は子供のときに見た「衝撃映像」には、
好奇心と同時に、確かに、
「気持ち悪さや不愉快さ」「後味の悪さ」を感じました。
人がそれによって死んだり、血を流していたからです。
しかし、死という事実を、忌み嫌ったり、
放映の倫理とやらで封じ込めたらば、それはある意味で
「インチキによる洗脳」に過ぎません。
実際、見てごらんなさい。
湾岸戦争以後、どれだけの現実の血と骨と死体の映像が、
ほとんど全く放映されなかったかを。(放映規制によって)
これでは、戦争をゲームとして考えてしまう子供が増えるのも
当然です。
●暴力シーンが、子供を暴力的にするのではありません。
そうではなくて、
>映画やドラマや、ゲームの中で「作られた暴力シーン」が、
>子供を暴力的な妄想に駆り立てるのみです。
逆に、「本物の暴力シーンや、死体や死や血や涙」は、
むしろ子供たちに暴力を起こさせない「抑止力」になり得ます。
だから、すべては、もっと現実性のあるものとして放映されるべきです。
たとえ映像にすぎないとはいえ、
それらに対する嫌悪感が、かつては、ベトナム戦争のときの
反戦運動を作り出したのですから。
●しかし、現在では、戦争地域の、
「現実の死と死体と、血と肉片」など、
特にアメリカと日本では、ほとんど放映されません。
それは極めて、「非現実」な報道であり、
「非現実的な、衝撃映像」に過ぎないのです。
私が教育者の立場ならば、現実を見せて、そこから考えさせます。
今のような、歪んだ利権による放送倫理、
つまり政治的なプロパガンダによって規制された状態では、
結局のところ、現実には、本来は凄惨であるはずの現場も、
「奇跡的に助かりました系」の絵ばかりを放映するために、
ただの「お笑い」になってしまっています。
________________________________
「必殺(即殺)」という幻想
●前述のような、「現実性」を欠く妄想というのは、
武術の世界にも存在します。
それが、「必殺」という妄想です。
「時代劇のチャンバラを見すぎた人」しか、
「必殺」などという妄想を持たないのが普通です。
人間の身体、または、人間の生死の運命というのは奇妙なもので、
それこそ、転倒して頭を打って死んでしまったり、
ごく些細と思われる衝撃や傷で死んでしまうこともある一方では、
何十箇所も切られたり、打撲したり、複雑骨折したりしても、
さらには、銃弾を至近距離で受けても、緊急手術によって助かり、
体に不具合を持ったままで、その後も、生き延びたりする人もいます。
●まる一日かけて、苦しみながら死んだというケースは
戦場では、古今、ざらにある事だと思います。
そういう点の現実を考慮すれば、
戦いに出て、相手を「必殺技」で倒せると思い込んでいたり、
また逆に、自分が散るときには、潔く死ねると思い込んでいる者が
いたとしたら、
脳内時代劇の妄想も、行き過ぎで、もはや「狂人」の妄想の領域です。
>ちなみに「致命的な攻撃」と「必殺」を混同しないことです。
致命的打撃というのは、「即死」を意味するのではなく、
「死に至る、主原因となる攻撃」という意味です。
●現実には、手足が切られて、しかも短時間で死ねず、
傷口に、蛆が大量にわいたまま、山林に放置され、
一日以上苦しみ抜いてから、息絶えた兵士たちが無数にいたことでしょう。
2年前でしたか、以前に市村氏と対談したときにも、氏から
>「実際の昔の戦場に、もっとも多く落ちていたのは、
>人間の指や腕だったらしい」
というお話を聞きました。
想像するだけで、とても潔い、美しい散り方とは思えませんね。
指や腕がないまま、その後障害を持ったまま生き延びたり、
または、体を動かすことも出来ず、自害も出来ずに、
そのままじわじわと死んだ兵士も、どれだけいた事でしょうか。
●そう考えるとき、いかに「急所」を狙ったとしても、
現実の戦場では、「映画や小説のようなこと」はほとんど起きず、
何度も、斬ったり、刺したりして、ぶん殴って、
やっと人は死ぬことが多いと考えるのが妥当です。
それもまた、確かな「現実」なのですから、
時代劇の必殺仕事人の見すぎで、
刀で切れば、ばたりと倒れて、すぐに死ぬとか、
切られれば「うぐっ」と唸ってから、すぐに死ねるとは、思わないほうが
正常の脳の持ち主です。
手裏剣などという、弓矢や鉄砲に遥かに劣る武器におよんでは、
そんなことは、言うまでもないことです。
そういう意味では、ごくたまにですが、日本の時代劇の映画やドラマの中で、
あちこちにゴロゴロと、地面に転がっている武士が、
「何人も、うめきながら、まだ動いている」というシーンをちゃんと演出しているものも、
ありました(何の映画かドラマのシーンだか忘れましたが)
時代劇のほとんどは、
ストーリー展開に関係する死体以外は、
死体役の人たちは、じっとしていますからね。
■
______________________________
武道では治るわけもない鬱病
■ところで、武術をやっているのに、パニック障害になる人たち
あるいは、鬱病になる人たち、というのを、私は何人か見かけましたし、
また「先天的なアスペルガー症候群か?」という症例も見ました。
そこで参考になる人にとっては、非常に参考になりますので、
梅の間掲示板に、簡単な説明をしておきました。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?U1378
_______________________________
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