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Title
手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
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[1098]
■
手裏剣術講座●武術としての手裏剣術●軽量剣と重量剣の打剣速度の違いを生むもの。
by:
鈴木崩残
2010/05/16(Sun)17:23:18
お馬鹿チャレンジの失敗映像
第一投目は、まだ単に横にゆっくり(時には風で速く)回っている板の穴を狙うので、
まだ比較的条件は緩いのですが、
剣が「当たった後」は、もーう、そりゃ、
板が、回りながら、上下・左右・前後・斜めに、不規則に動くのなんのって。
こんなのが、もしも、7.2メートルから穴に入ったら、奇跡に近いです。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=LoDUhsg7vT8
失敗した手裏剣の「珍百景」
●変な失敗映像が、ふたつあります。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=bigjoSMIN7U
それまでの打剣によって、もう既にレンガにヒビが入っていて、
割れる寸前の状態だったようです。
でなければ、たったの45gの剣でコンクリートレンガを割る事など
絶対に不可能ですから。
●ちなみに、今までのデータからすると、
このコンクリート材質のレンガの場合には、
時速60キロ程度もあれば、簡単に刺さるという事は、以前にテスト済みです。
このコンクリートは、比較的、柔らかい材質なのだろうと思います。
●それで、思ったのですが、
最近のホームセンターにある、レンガブロックが何種類かテスト用に
我が家にあるのですが、
中には、ハンマーでちょっと殴ったぐらいでは、びくともしない
ものすごい強度の「建材用のレンガ」があります。
よくある一般の「コンクリートブロック」でしたら、固いところに叩きつけて
落とせば、わりとあっさりと割れるのですが、
そういう特殊な強度の「レンガ」だと、刺す事など、もう到底「無理」。
また、たとえ、どんなに強力な手裏剣を投げつけても、
割ることすらも、全く出来ないと思います。
______________________________
武術としての手裏剣術
●私見では、日本で、これがはじめて研究対象となり、
また誇大妄想や誇張なしで「正常な論議」をされた場所が、
「翠月庵」であると思っています。
つまり、近代で、手裏剣術を始めて「武術」として考える動きの発端が、
翠月庵であったわけです。
●そもそも、ここ数年の手裏剣術が、
その少しばかり以前(10年前)よりもブームになったその発端が、
言わずとしれた甲野氏の影響であったわけですが、
剣筋と手裏剣とのその「曖昧な関係」や、
「曖昧な意味での精妙な身体操作」と称するものを根拠としたり、
あるいはまた、武術道場の看板の中のメニューとしてあったほうが
人気が出そうだ、ということで取り入れたところも多そうです。
あるいは、最も大きな動機のほとんどは「好奇心」だと思います。
●しかし基本的にはその稽古のほとんどは、標的に対して
剣を打ち込むという、独り稽古です。
ごくわずかな「型」は残っていますが、それは対戦の中での検証は、
されていませんでした。
●さて、手裏剣術を「武術」としての視点から考えるということになると、
そもそも、手裏剣術を、
「誰が」どう「位置づける」かという問題を避けて通れません。
この場合の「誰が」とは、
すなわち、手裏剣を使おうとするその人間が、
いかなる状況下でいかなる地位(地位は兵士の武装形態と関係するため)
を持ったり、いかなる目的を持ったりしているか、ということである。
これをもっと単純に言ってしまえば、
忍者が逃げるためにそれを投げつけるのか、
武士が戦うときに、相手にスキを作るための戦法として使うのか、
そのときその武士は刀を主武器としているのか、
それとも槍を主武器としているのか、などの違いです。
●そういえば「槍術併用手裏剣術」というのは、不思議と、
どこにもないですね。
今後、槍術をされている道場で取り入れてみるのも面白いと
私は思います。
ただし、日本刀とは違い、槍は両手がふさがっていますので、
構えに少し工夫が必要かもしれません。
*********
●さて、手裏剣術の位置づけというのは、既に言いましたように、
それを「武術」として「何の武器を持った誰が」、「どのような目的」で使うかです。
仮に相手にスキを作るのが目的であれば、投げつけるのは石でもよく、
もう少し相手にダメージを与えられる武器らしいものとしては、
「車剣」があるわけですから、
何も、刺すのが面倒な棒手裏剣を、わざわざ使う必然性はありません。
携帯性さえ、きちんと工夫すれば、車剣は、棒手裏剣に劣るということはなく、
実際、車剣の方が、よっぽど「剣術の動きと矛盾しない操作」で
打つことが出来ますから。
●時代にもよりますが、現代剣術でしたら、
そもそも、敵が自分に対してモノを投げつけることに対しては、
「防御」の心得ぐらいは想定していても、
「自分から進んで、敵にモノを投げつけつつ刀で攻撃する事」が、
体系として組み込まれている剣術など、極めて希少だと思います。
先日書きました、宮本武蔵や、あるいは柳生新陰流ぐらいしか
私は聞いたことがありません。(他にもあるかもしませんが)
●投刀(日本刀を投げる)という行為は、
奇襲攻撃法として、(頻繁にではなく)たまにですが、
実際に使っていた可能性は大ですが、
それも、時代が江戸時代になってからは、
侍が、侍の魂である刀を投げるということは忌み嫌われたはずです。
またそれ以前の時代の戦では、手裏剣のような非効率的な武器には、
さしたる出番はなく、(それ以後の時代も出番はありませんが)
したがって、
>武器を投げる+武器を操作する、ということが、
>自分の側から相手に対して仕掛ける兵法として、明確に研究されたり、
>確立した形跡は、一般には、ほとんどありません。
したがって、現在の武術道場で、手裏剣術が行われる動機とは、
おおむね次の動機に分類されます。
1−剣術の技の為の補足(これはほとんどが他人からの受け売りです)
2−精神修養(それに役立つとは全く思えませんし、集中力を
養うのでしたら、他にいくらでも効率的なものがあります。)
3−他道場もやっているから、自分の道場でも目録に加えたい。
4−元々手裏剣をメインの甲板としているところ。
ただし現状では、単に投げて刺す事を稽古する段階にのみ留まり、
武術的な対戦の実地研究と、その試行錯誤は、
翠月庵以外では見たことはありません。
5−武術としては、どう使うべきかの研究段階にあるところ。
翠月庵は、この5番目に属すると思います。
無冥流は、私個人の道楽でやっている総合研究ですから、
このどれにも該当しません。
●手裏剣術が対戦的に使われたという、いくつかのわずかな逸話は
残っていますが、別にそこに体系化された上での対戦記録があるわけではなく、
ある意味では、たまたま「まぐれで当たった」とか、
たまたまそれが「有効に作用して」、たまたま、あだ討ちに勝ったとか、
そうした、ほとんど講談に近い類のものでしかありません。
●刀法を併用する手裏剣術の型は、少数のみ残っているようですが、
実戦の中で練磨・練成された結果できたものという形跡はなく、
ある意味で、伝統といわれているものでさえも、
実はその型が作られたその当時でさえも、
まだ「試作段階」であったものを、そのまま現在も使っていたり、
または、剣術と手裏剣術が、単に「強引に結びつけられた」と思われても、
いたしかたないものが見受けられます。
●現実に即した形での優れた研究の一例として、
市村氏が、打剣と試斬を併用した、間合いについての所感、
以下の氏のブログで述べています。
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/
●剣術その他、拳法や何の武術でもそうですが、
長い時代と実戦の洗練を経て作られた武術の「型」であれば、
こうしたこと(間合いの誤差)は本来起きないように私には思えます。
*********
●さて、冒頭に述べたように、
手裏剣術を武術として考える場合には、
手裏剣を「受ける側、打つ側」その双方の立場で考えねばならず、
また、相手または自分が、刀その他の武器を持っている想定なのであれば、
さらにそれに沿った、複雑な術理を組み立てねばなりません。
●ちなみに、逆に私が、もしも刀しか持っていなかったと想定して考えた場合、
棒手裏剣の飛んでくる軌道そのものは、剣の動きに例えれば、
その軌道だけを取り出せば、正面から「突き」に相当しますので、
体裁きや避けるための対応は、剣術の動きで良いと思うのですが、
問題は、剣同士の戦いなのであれば、
刀を受けたり避けた直後の時点で、相手は「攻撃可能な間合い」にいますが、
手裏剣からの攻撃は、第一打のそれを避けても、
相手はまだ刀の間合いの外にいる。(当たり前のことですが)
また刀対刀とは違い、
手裏剣を「刀で受ける」ということはほとんど無駄であり、
危険なことですから、受けるのではなく、避けるしかありません。
●今でこそ、市村氏や私の見解では、
一打目さえ避ければ、2間内外(または3間以内)であれば、
相手が、連続で打ってこようが、両手打ちだろうが、
相手の打剣と同時またはその直後に、
相手を斬れる間合いまで詰められるし、
そこには勝算はある、と認識しました。
それは模擬剣による対戦をやってみて初めて分かったことであり、
もしやってみなければ、剣術が手裏剣または投げられる武器に
対抗するといったことが、明確に体系化されている剣術は、
ほとんど存在しないと思われます。
もしも、対戦をやってみなければ、
石や武器を投げつけてくる相手に対しては、
まず相手に投げさせてみて、いかにそこにスキを見て、
斬れる間合いに入れるかという「探りをいれる」程度の事しか
思いつかなかったり、また現実にも、それぐらいしか出来なかったと思います。
●しかし、実際には、
相手が手裏剣を投げるのを様子見するのではなく、
投げるモーションを起こした瞬間に、
それが投げられた後の軌道を予測しつつ、
相手がモーションを起こすと同時に、
攻撃に踏み込むというのが、有効ですから、
剣術側は、手裏剣に対しては、「受けのつもりで待ったり」、
何打かの手裏剣が自分に対して投げられるのを「様子見」をするのは、
あまり良い策ではありません。
●むしろ、剣術側は、前述のように、
>相手の打剣動作と同時に攻撃に出るか、
>または、もっと言えば、自分の側から手裏剣側に対して仕掛けてゆき、
>相手に、「いやおうなしに打剣をさせ」、
>その上で、相手の「打剣行為そのもの」に拍子や角度のスキを作ることで、
>勝ちに持ってゆく、
>というのが最も高度かつ実用的な剣術側の対策です。
●ところが、こうした攻撃法というのは、
あくまでも現代において対戦という形式で組み立てた場合の話。
実際の戦場では、後方の敵がでっかい石を頭に投げつけてくるかもしれず、
その石を避けても、飛んできた矢に刺さってしまうかもしれずと、
多敵を相手にする事などは当然のことで、
その戦況は、実に「混沌としたもの」だっただろうと思います。
●ただ、対戦条件を「無条件にリアルな戦場」にまで拡大してしまうと、
そもそも、限定的な体系すら作れないことになりますから、
そういう意味で、現在では、一対一の対戦で、手裏剣は
どう使うべきか、どう避けるべきか、それにどう反撃するべきか、
ということが翠月庵の市村氏の手によって、模索されているわけです。
*********
●ここで話はまた基本的な問題に戻りますが、
剣術の稽古の補足とか、剣筋を良くするためとか、
そういう、どこかの誰かが吹聴したような論理を鵜呑みにするのではなくて、
純粋に武術として手裏剣を抽出した場合には、
隠し武器として、奇襲的に使い、相手を倒すかまたは、
相手にスキを作ることをその目的とするのか、
それとも、奇襲的ではなく、手裏剣と刀の二つを、
相手に見せることによって、その心理的圧力も利用して、
相手(剣術または手裏剣術)を倒すことを目的とするのか、
その想定の違いによって、作られる型も変ってくると思われます。
●「刀法併用手裏剣術」または、「手裏剣併用剣術」
というものが、そもそも昔の時代の標準的な戦法として普及するまでには
至らなかったために、この分野は、全くといっていいほど、
>何も整理されておらず、検証されておらず、
>よって、そもそも、現代ですら
>「まだ武術になっていない分野」として考えた方が良いと思います。
過去の逸話というのは、すべて
「偶然の勝利、または、偶然の敗北」に過ぎず、
武術的な「体系と体系」が戦った記録としての価値は全く持ちません。
_________
■非常に個人的な好み、または非常に個人的な美観でいいますと、
ナイフスローがその原点にあった私としては、出来得るならば、
手裏剣やナイフといったものを、相手にスキを作るための道具ではなく、
主戦力として、それだけで、剣を持った相手を倒せるのかどうか、
というところには、興味があります。
むろん1本ではなく、ナイフを最大で4本を使ってということです。
しかし、一人の相手を倒すのにナイフや手裏剣が四本も必要だというのは、
なんとも「効率の悪い武器」ですね。
可能ならば、遠くから打つのではなく、
面と向かって相対した相手に、2打ではなく、
「たったの一打で倒したい」ところですが、
それは「武術としての手裏剣術」が最も理想とする問題になると思いますが、
現実には、手裏剣ではなく、大型のナイフでも投げないと、それは不可能でしょう。
ただし、「相手の戦闘能力を落とす」という意味でしたらば、
軽量剣や中量剣でも可能だと思います。
珍しいタイのナイフスロー
http://www.youtube.com/watch?v=8xLdjkPC-0E
●直打法ではなくて、「一回転打」なのですが、面白いです。
変化打ちや両手打ちを含みます。
足のステップなどが、少し無冥流に似ていて、
個人的には親近感を持ちます。
腕のしならせ方も「押さえ打法」を極端にした形に似ていて、面白い。
モーションはゆるやかですが、重量のあるマチェットですから、これは怖いですね。
■しかし、この動画のBGM・・・
聞きなれないタイプの歌謡曲のせいか、
半日ほど、頭に残りました。(笑)
五輪書(宮本武蔵)
●市村氏から、原書「五輪書」「兵法家伝書(新陰流)」「精解・五輪書」
をお借りして、読んでいました。
私が、もしも剣術を学んでいたとしたら、
「五輪書」は愛読書の一つになったと思います。
なにしろ、精神論を廃して、徹底的に「具体的」なところが、私好みです。
●そして市村氏も指摘していましたが、これを
どこをどう読めば、「精神論」になるのやら、全くの謎です。
はっきり言ってしまえば、少しばかり精神論に聞こえるような部分は、
武蔵がわざとやった「文学的な演出」にすぎず、
どうでもいい部分であり、
この書物の根本は、これまた市村氏が指摘したように、
>「ケンカの仕方の明確なマニュアル」であり、
>「多敵との戦い方であり」、
>そして「剣術の具体的な技の解説」でした。
だてに60回以上、戦ったのではない宮本武蔵ならではの
実戦論が終始展開されていました。
ただし著者の兵頭氏も指摘(推察)しているように、
何も宮本武蔵が、60戦全勝したわけではなく、
また60人殺したということでもなく、無傷だったわけでもなく、
60回以上の戦いの修羅場を経験してきたという意味にもとれます。
こうした事に関しては、著者の兵頭氏は、
北九州にある「小倉碑文」を例にあげ、
武蔵の没後9年して書かれたこの内容には、
いくばくかの「誇張」が含まれているのではないかとしている。
その中に、木刀や真剣を相手に投げつける、いわゆる
手裏剣に打つといった記述もあるようです。
五輪書の「火の巻」に登場する「無刀」に関しては、
兵頭氏は、自分の太刀に執着しないという意味での「無刀の位」
(柳生宗矩)と照らし合わせて、刀を投げ打つの意味にも
とれるとしている。
敵の目の前に刀を投げ捨てて敵を驚かせて勝とうする戦法もあるようです。
●私は古文は苦手なので、主に、兵頭氏の本を読みました。
著者の「解釈」が完全に正しいかどうかは私には分かりませんが、
「裏の拍子」「先の取り方」「ねばる」などの概念も、大変に実戦的で、
どれひとつとっても、「具体的な戦法」ばかりで、
対戦型の手裏剣術を考える場合にも、
いくつか参考になる部分がありました。
●たとえば、兵法三十五箇条の「拍子の間を知ると云事」の章にある、
反射神経の鈍そうな相手と、反射神経の鋭そうな相手によって
戦法を使い分ける点や、「無念夢想」「おくれ拍子」などは、
まさに、試合経験をしてきた武蔵ならではのリアリティーがあり、
手裏剣術の攻防でも応用が利きそうでした。
また、相手が多敵の場合で、
「縦に重なっている敵兵の、その先頭にいる奴から倒せ」という、
その理の明確さが、実に痛快でした。
■それと、余談になりますが、
剣術でよく出てくる「小指」の問題ですが、
それを考えると、もしも剣術を手裏剣術に応用したいという人がいる場合には、
そもそも手裏剣の保持の仕方を変えた方が良いのではないかと
ふと、私は思いました。
つまり、小指を強めに握らないと、剣術で使うときの「筋肉」とも
合致しないのです。
しかし、それが打剣において、良いのか悪いのかは、
各自で研究すればいいと思います。
私が知る限りでは、握った小指に力を入れて打剣するという、
「応用方法」を持つのは、某軽量剣流派だけです。
「古典的な手裏剣」では、
握りの手の内は、軽量剣、重量剣に関わらず、
やんわりと(そっと)と持するのが基本ですから。
●実は、無冥流でも、常識的な手裏剣術の手の内の力とは違い、
若干、強い力で剣を保持する方法(二指を使う)が、一部にありますが、
この場合には、やや強めに手を振っても、剣が手から離れない程度の
力で保持するので、伝統的な方法とは、かなり違います。
●ちなみに、現代で、この先、将来、
「手裏剣術版・五輪書」を書けるのは、
たぶん翠月庵の「市村氏」だけだと思います。
______________________________
軽量剣と重量剣の速度の違い
●またまた、とても「マニアック」な講座となります。
今回は、軽量剣と重量剣とでは、
打剣速度の違いが「打剣動作の、主にどこで」生ずるのかを検証してみました。
■基礎データ■
●テストをした距離は、3間ですが、
時速計算のときには、手離れの位置を考慮して、
距離5.2m前後で計算しています。
●使った剣は、約80gと約183g。
長さは、ほぼ同じですが、重さが約2倍違います。
ボールは硬球とゴムボールで、146gと27gです。
こちらは5倍近く重さの差がありますね。
●打剣の「強さ」ですが、各物体とも、40回ほど回数を投げないと
統計がとれないので、力加減を安定させるために、
フルパワーの、約7割から約8割としました。
●また、軽量剣になったときに、わざと打剣動作を、
ことさらに速くするという事を、あえて避けまして、
重量剣を投げるときも、軽量剣を投げるときも、
なるべく同じような力加減を心がけました。
これは、なるべく純粋に
「剣の重さに起因するデータ」が欲しかったためです。
従って、普通ならば、このテストとは違って、
軽量剣の方が、剣速だけではなく、打剣動作全体も、
約10%以上は重量剣よりも、速くなると思います。
今回の実験は、剣の重さによる微妙な違いが、
最も生ずるのは、「全動作の中のどの部分か」を調べるためのものでした。
それでは動画をどうぞ。
【打剣動作の速度の検証=その1=】
↓
http://www.youtube.com/watch?v=N2EUluME2oI
【打剣動作の速度の検証=その2=】
↓
http://www.youtube.com/watch?v=7tIWZCQ6Qto
■言うまでもなく、軽量剣の場合に、わざと極端に速度を出そうとすれば、
この結果は、変ってきます。
もしも、そのようにすれば、腕が前進を開始した後の速度も、
軽量剣の方が、重量剣よりも速くなります。
■今回、とても良いデータが得られたのは、
剣の重さが打剣の「動作速度」に最も影響するのは、
手が前に移動している時の動きよりも、
>「溜めを開放するまでの速度」であるという点です。
>「または溜めを作るまでの時間」という場合もあります。
■理解しにくいかもしれませんが、
(喩えとして適切かどうか分かりませんが)
極端に言いますと、
もしもあなたが、重い刀と「少しそれよりも軽い刀」を振った場合、
いったん、刀を「振り始めた」場合に、その二つの速度を比較すると、
双方の速度差は(むろん差はあるものの)それほど大きくならず、
実は、重さの違いが、最も影響するのは、
>刀を「振り始めるまでの時間」においてであろう、という事です。
■しかし、これはかなり時間かかりました。
撮影時間は、1時間程度なのですが、
百何十回という打剣とボール投げの、その全てを、
秒間210フレームのハイスピード映像で、くまなく全部、
「コマ送り」にして、それを書き出しました。
その数値から、空中での平均剣速や、打剣動作のコマ数を割り出しましたので、
これを作るのに、3時間も、かかってしまいました。
■なお字幕の中で、
剣速を、軽量剣が3%から5%速いと書いてしまいましたのは誤字で、
正しくは6%です。
またうっかり、中量剣と言ってしまいましたが、
重量剣の間違いです。
無冥流では、
■重量分類法は、次のようになっています。
50g未満・・・・超軽量剣
100g未満・・・軽量剣
150g未満・・・中量剣
250g未満・・・重量剣
それ以上・・・・・超重量剣
■長さによる分類
200mm未満・・小型剣
300mm未満・・中型剣
300mm以上・・大型剣
_______________________________
江戸時代まで「なんば歩き」をしていた
という説は嘘らしい。
●則対歩と斜対歩のどちらが、武術的に理にかなっているか、
または応用がきくかという問題は、ここでは、「別問題」としておいておいて、
史実だけの問題で言えば、
いわゆる、甲野氏あたりが言ったことは間違いのようです。
●そもそも人間の「歩き方」、そして「走り方」を決める要因は、
次のものです。
骨格、衣服、履物、生活様式(=踊りや武芸などの文化をも含む)。
これらは、日本人が他の国の民族とも共通に持つ様式を含みます。
しかしだからといってその国の人たちが、
日本人と同じような歩き方をしているわけではありません。
つまり、江戸時代まで「庶民全員が、なんば歩きをしていた」は、間違い。
●たとえば、全く歩き方を教育しない子供はどうなるか?となりますと、
「その状況に応じて、歩き方を、変えるであろう」が正解です。
たとえば、皆さんは神社仏閣の長い階段を登るときや、
ハイキングでちょっとした岩場を上るときにはどうしているでしょうか?
誰に教育をされなくとも、現代の服装や履物であっても、
自然に順歩で登っています。
一方で、急傾斜の下り坂の降り方では、逆になります。
●また何かをする場合に、上体を捻って動かせない
という「制限を伴う作業」の場合には、
自然にそのような動きになります。
さて、面白いのは、次のリンク先のやりとりです。
◆江戸時代まで「なんば歩き」していたという説は嘘らしい。
↓
http://okwave.jp/qa/q3456738_3.html
また、逆の「肯定派」のPDF形式の小論文などもあって目を通したのですが、
主に、日本に固有の「履物の要因」にしか着目していませんでした。
さらには、もっと根本的な問題である、
「二足歩行の長短」についても面白かったです。
これは全くの「余談」の類ですが。
↓
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekarauroko/chokuritunisokuhokou.htm
______________________________
★
■では、武術的には、どちらがいいのか?となりますと、
それは、その「武術の種類」、または「技の種類」によって変る
ということは、言うまでもありません。
■日本刀やフェンシングといった操作、
またはその他でも、武器が体と一体構造にある場合、
または、「突き」などの動作において、
こうしたものである限りは、
「順歩」の方が自然であったり、技として理かなっている場合が
多く見受けられます。
●ところが、「打剣」となると話は全く別です。
もしも手裏剣を「掌剣」として使用するのであれば、
順体が良い場合もあり得ますが、
特定の間合いから、手から「投げ放つ」という場合には、
何も自ら進んで「相手の間合い」に入る必要は全くありません。
●また、「打剣力」そのもので言えば、順体も逆体も、
実戦的な間合い(3間内外または2間内外)では大して変りありません。
順体の方が強く打てるという根拠も証拠も何もありません。
また順体の方が、命中精度が良いという根拠も証拠もありません。
●私の見解では、最も理想的な手裏剣の打ち方とは、
「順体、逆体、自然体」、それらのどの場合にも、
>足を両方どちらも、半歩たりとも、踏み出さないか、
>もしくは、「後退しつつ」打剣する事です。
●実際に対戦のシミュレーションをしてみると分かることですが、
相手が素人ならいざしらず、
例えば、市村氏のような剣術を習得されている人の場合、
わずかでも、間合いを詰めてしまうような投げ方は、
実戦では致命的になると実感しました。
また、打った「後」の姿勢からすれば、
むしろ「初打」は、逆体の方が、安全性は高いですし、
第二打にも繋げやすい面があります。
(フェイントを使う場合には、初打に順体を使うこともあります)
●刀と併用する技である「刀法併用手裏剣術」の場合には、
以上の話は、当てはまりませんが、
自分が「手裏剣のみ」である場合、なおかつ相手が剣術師であるには、
間合いを僅かにでも詰める結果となる打ち方は、得策ではありません。
従って、相手が手裏剣かわしたり、
打剣と同時に反撃してくることが想定出来る対戦において、
「という前提」ならば、
私は、(順体打剣ではなく)「順歩打剣(打ち手側の足を踏み出す方法)」
には、否定派です。
●この点でも、手裏剣術というのは、
剣術や、その他の武術の身体運用とは「別のもの」として考える
必要があります。
手裏剣術のうちの「打剣技」というのは、
相手に斬りかかったり、相手と柔術や拳法のような、
とっくみ合いをするわけではありませんので。
むしろ相手の武器の間合いの届かないところで勝負をしなければならず、
かといって、距離が3間よりも以上になると、
たとえ軽量剣であってさえも、
相手にかわされる率が高くなる、というリスクを持っているのが
手裏剣術の「現実」の一つなのですから。
________________________________
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