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「分割自我復元」
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[102]
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★分割自我復元★その101 ●・【自我復元についての面倒な話】・●
by:
鈴木崩残
2012/06/13(Wed)06:39:21
自我復元法についての複雑な話
・下から上に移動する意識の重心・
●まず、誰にでも理解できる話からします。
よく昔、私は人に
「あなたという自己意識の中心は、からだの、どのあたりにありますか?」
と尋ねることがあった。
答えは人によって違い、「自分を指差す」ときに、
胸あたりを指差す人もいれば、自分の鼻を指差す人もいる。
厳密には、どこに自分という「視点の中心」の位置はどこか?
あるいは自己感覚が想起されているかを探ってもらうと、
頭の少し奥という人も多い。
●そもそも、人間の意識を、この話の中でどう定義するかと言えば、
注意力の分布のことであり、結果として、それは知覚の分布ということになる。
たとえば、今、あなたは、PCの画面を見ているが、
そのときには、自分の身体など忘れているかもしれない。
また、この文を読むために、目に意識の大半があり、
あとはせいぜいお尻にかかっている自分の体重ぐらいしか意識していない。
さらには、今この画面をじっくりと読もうとしながら、
なおも、部屋の中で鳴っている音や、外の音を同時に聴いているという人はほとんどいない。
そうしろと、誰かに言われなければ、
あるいは、外で人の話し声や大きな音がしなければ、貴方の意識の大半は、
そのときに、自主的に意識しているものか、または、
無自覚のうちに、意識させられているものに振りまわれている。
(たとえば、テレビによって、あるいは他人の言葉によって、ぶん回されているだけ)
●さて、意識の分布とそれに伴う知覚の内容によって、
自分の意識が、今どこにあり、その焦点が、どう変化しているかが
自覚できるわけであるが、
大雑把に言うと、
「意識の視点の中心位置」あるいは「意識の支点の位置」または、
「自己感覚」というものは、
子供から大人に向かうときに、次のように、下から順番に移動している。
1-【まだ歩行しない子供】
この段階では、排便や排尿の感覚と空腹が優性であり、
意識と感覚の大半は、腹部、排泄器官にある。皮膚感覚も優性である。
2-【歩行をしはじめた子供・足の時代】
この段階では言うまでもなく、意識と感覚の大半は、足に向けられる。
と同時に、並行感覚を発達させる為に視覚にも意識が集まる。
3-【手を使う子供・手の時代】
次の段階では、やたらに何でも手で触り、いじりたがることから、
この時期の子供は、手に意識と感覚の大半が集まる。
4-【尾てい骨の時代】
椅子であっても、床であっても、お尻をつけて「座る」ということが
生活の姿勢の中で大半になるこの時期から、
実は、いよいよ、人間の意識は、俗に言われるチャクラという中枢を
移動しはじめる。
5-【性器の時代・勃起や性感】
男児でも女児でも、性的な感覚を生殖器に感じるのは、
遅くとも小学校のころからであるので、この時期に、他の中枢や感覚
とともに、性器の位置の中枢に集まりやすくなる。
ただし、思春期にまたがる時期には、
女児は、性器だけではなくて、生理を通じて、子宮も意識するので、
この時期の子供は、必然的に女児の方が、男児よりも一段階上のチャクラを
既に使い始める。
このために、小学生から中学生の思春期には女児の方が男児よりも大人っぽい。
6-【腹の時代】
高校生あたりが、男女ともに、生殖器の上の腹の中枢に
意識と感覚が移動を始める時期である。
7-【胸の時代】
同時期に、恋愛や、不安や、動揺を通じて、
胸に意識と感覚が集まる。
8-【喉の時代】
高校生から大学のあたりの時期であり、
喉というのは、記憶能力と関係するので、
この時期には、知識と経験の蓄積というのが主流になる。
9-【眉間の時代】
ここは、おそらくは社会に出てから特に形成される中枢であり、
自主的な判断や、意志を、自分でつらぬくかどうか、
そして、相手や状況に対する「想像力」を形成しなければならない時期である。
10-【前頭部の時代】
眉間の時代が長く続くと、個人の意志だけではどうにもならない問題に
ぶつかり、ここで個人の意志や志向性を「わざと停止する」という事を
覚えるのが、前頭部に意識と感覚が集まった場合である。
社会の中で自他を同時に見る客観性が形成され得るのはこの時期である。
と同時に、前頭部では、思考が一時的にであるが停止するので、
そのときに入り込んだアイディアにより発明や発見に至ることもある。
むろん、一生の間、ここが発達しない人たちが大半である。
11-【頭頂の時代】
この中枢は、通常は一生、使われることはない。
普通は、唯一、死ぬときにのみ使われる。
ただし、無明庵のように、生きている間に、
前述の前頭部とここを、酷使する体系もある。
_____________________________________________________
■以上の「意識と感覚」の焦点の移動をよく見れば、
本来、子供にはどういう「教育の順番」が必要であるかは歴然としている。
性欲と恋愛感情と不安や動揺が渦巻く、高校生あたりまでは、
いわゆる「知識の詰め込みの勉強」など、ほとんどさせなくていいのである。
「読み書き そろばん」以外には、
避妊法教育を含めた、性教育でもしておけばいいのである。
あとは、農法や、漁法や、調理法の教育だ。
以下に記述した事は、不適切な時期に全くやってはならない、
という事ではない。やっても良いが、優先順位は厳守しろということです。
意識を向けるべきポイントを順番に言うと、
・第一段階
小さいときには、走り回り、
ものを投げまくり、ものを壊してもいいので、手足を使うこと。
・第二段階
よく食い(腹)、発情し、自慰もする(性器)、
・第三段階
前の二つの段階がきちんと心身に、ひととおり経験されるまでは、
とことん、子供は遊ばせ、スケベにしておけということ。
遊ぶことと、性欲や恋愛感情を、一切、何も抑圧しないことだ。
・第四段階
この正常な意識と感覚の集中が胸から下部のチャクラに対して
ある程度、行き渡ったあとで、ようやく、はじめて「記憶」をさせる。
つまり、何かの知識を、中身のない「ただの知識」として覚えさせる、
というのは、厳密には、高校生か大学生のときにのみさせるべきであり、
そんなことを、小学生や中学生の時には、絶対に子供にさせてはならないのである。
むろん、ある程度の知識の詰め込みは、中学生あたりからはいいが、
まだ、胸から下の中枢が発達していないのだから「やりすぎてはならない」。
またこの時期には、体育界系の「大きな声を出す」または「歌う」という行為も、
喉と記憶の中枢の発達にも影響してくる。
・第五段階
意志や、自主性、創作性といった要素は、早くても大学生になったころに
やっと生徒に要求してもよいものとなる。
つまり、ある程度、上っ面の知識を詰め込んだならば、次は、
それを自分の意志で、応用するというのがこの時期である。
そういう点では、知識もないのに、いきなりの応用は駄目である。
きちんと喉の中枢が使われたあとに、創作性への刺激が必要である。
・第六段階
自己意志と自己判断だけではない、
ある程度の「客観性」や「社会性」が必要になるのは、
平均的には22歳から23歳ごろに社会に出たころである。
それまでの「眉間」という「主観」だけによる思考や判断をしていたものが、
多種の他人が存在する集団の中では、通用しない局面にぶち当たることで、
普通は、順調に発達するものなのであるが、
どうも、地球の二足歩行の人間の、ほとんどは、
意識の中心支点が、眉間で止まっているようである。
だから最近は、客観的な冷静な判断が出来る人が、
社会にもほとんど存在していない。
●しかもその上、50や、60を過ぎても、まだ、
性欲中枢すらも未熟で、その自己管理の世話をした事もない人間も多く、
さらには、腹も、胸も、喉も、眉間も、
何もかもが「発達障害に陥っている人間だらけ」である。
●こうした順番が、大切であるのに、それを無視したような、
「知識の詰め込み教育」を、他の中枢が未発達で「土台が出来ていない」のに、
なんと7歳とかから開始してしまえば、いびつな子供が育つのは目に見えている。
●だが、狂っているのは、教育現場ばかりではない。
カルト教団や、クンダリーニヨガやら、ラージャヨガやら、
バクティーヨガと称する、大勢の馬鹿者どもが、
ろくに、性器や腹や胸や喉や眉間や前頭部といった「基礎工事の土台」も作らずに、
ただやみくもに、上の方向を目指した結果、
その「構築物」は、どこかで、あっけなく、すべて転げ落ちてしまうか、
曲がって、歪んだままの、みっともないタワーになるか、
あるいは、偉そうな事や、出来もしない理想をほざいたまま、
いつまで経っても、死ぬまで、性器の世話すらも出来ていない。
■さらには、ここに自我の希釈が、多大な悪影響をしているために、
もはや、この惑星に生息している、ほとんどの人間は、
かつて(古くは紀元前1500年ごろに)そうであった「プロトタイプの人類」ではなく、
現在では、それは、大量の「不良品」であり、
発達障害と、自我が希釈された、「病人の集団」だと言える。
しかも、治療法のある病棟の病人ではなくて、
単に病人が野放しになった、狂気の世界である。
■こういう世界にいる「現在の地球の現実」を認識や実感もせずに、
「地球では、それなりに学ぶことがある。経験できることがある」
とか、ほざく馬鹿が、もしもいたら、直ちに、そこを逃げ出してください。
あなたの人生の大切な時間が、
そのスピリチュアルと称する「与太話」のせいで、無駄になります。
■また、そこに理のない禁欲を強いるものも全部アウトです。
そもそも、すべての身体素材は、まずフルパワーで使い尽くす必要があり、
「フルパワー」で、全中枢を使えるようになったあとに、はじめて、
「調整」「節制」「浪費を抑える」ということが出来るようになる。
それ以前に行う、どんな禁欲も、溜めたエネルギーを腐らせるだけです。
「溜め」というのは、それを一瞬にしてフルパワーで出せる人だけが
行うものであり、
また持久戦においての「ペース配分」というものも、
最終的には、フルパワーを出し切るためにこそある「計画性」のことを
いうのである。
●そういう説明や教授もなしに、節制や、禁欲や、何かの抑制を良しとしたり、
奨励するのは、「お馬鹿な武術家」と同じです。
性欲を禁欲しているだの、自慰やセックスをしてないだの、
そんなことを恥ずかしくもなく口にする馬鹿は、
そもそも、性的に不能か、早漏か、性の未熟者だと思っていいです。
性の未熟者は、いつまで経っても、下部チャクラすら制御できず、
歪んだ塔か、または、そこで意識が、死んでも、ひっかかったままです。
●そもそも、原則として、どういう素材や、器官組織も、
まず「大きく体を動かし」、「フルパワー」を発揮し、
それが充分になされた後で、はじめて、
力を無駄に使わない「技」を教えるのが、当たり前の順番です。
それを最初から、非力で、全力も出せないネチネチした人間に、
エネルギーの有効な使い方としての「技」など教えても、全く無意味です。
●これと全く同じことが、チャクラと言われるものを、
現実の生活の中で、自然に発達させるべきである事に通じます。
まずは、意識を向けて使え。
その力を使いきり、発散しろ。酷使すらしろ。
無駄な動きをなくすための調整や、溜めり作り方や、
その他の「小技の使い方」を教えるのは、その「あと」である。
そして、その際に、通過する「中枢の順番」を間違えてはならない。
常に、精神世界では、低いと「勝手に思い込んでいる」、
「下部の世界の力」から、まず構築しろ。
この場合の、下部とは、喉までを下部と言う。
他の身体の中枢全部と、上手く協調しながら、
本格的に「自我」が、自主性や創作性として応用されるのは、
眉間から上に意識の中心が、移動したころからだからである。
喉の中枢までは、「ただの基礎」である。
ただし絶対に無視したり、回避してはならない「重要な基礎」である。
■ここで、情報に振り回される事を自分で勝手に選んでしまう読者に、バナナを一本。
私の体系では、チャクラは「30」あります。
通常の縦のラインには、普通の七つ以外に、2つ。
左右に6つ追加されていて、しかも、各チャクラに裏と表の作用があるので、
合計で「30」です。
これはイスラムの28にも、インドの7にも、ケルトの9にも、
エジプトの32や37や、ユダヤの10にも該当しない、
私の独自の定義づけです。
こういうものは、当然、頭で分かっただけでは使えません。
「使わないと、使えない」のは当たり前ですから。
・転生している主体と記憶の合成・
●現在、自我復元法で扱っている自我を「自我1」とすると、
自我には、(私が認識している範囲では)、自我2、自我3、自我4、自我5があります。
これは、自我復元で扱っている「自我」の「枠」が、
現在は、個人という「単位」に限定しているという意味です。
ただし地球では、これこそが重要性を持つ単位であったので、
あえて、惑星や太陽系の範囲の「自我(自己同化機能)」については、
今はまだ扱いません。
●私は、こういう話は、極力したくないです。
たとえば、「自我1から自我5まである」と書くと、
愚かな人たちは、オウム返しに、「自我1から自我5まであるらしい」
とか、実感もなく、知りもしないことを、他人に言い始めるからです。
もしも、あなたのそばに、そういう精神世界カブレがいたら、
こう質問するといいです。
「あんた、それは、自分で経験し、実感した事なのかよ?」と。
本やネットで読んだりしたことを、知ったかぶりをして横流しするなど、
馬鹿でも出来ます。
そんなくだらない人を「ものを知っている人間」とは断じて言いません。
●さて、そもそも、転生の主体となる自我はあるのか?
という問題については、「ある」としておきます。
ただしその「着物を着替える主体」となる自我は、
現在、皆さんが自覚しているような「自分という感覚」や、
その現在の自分感覚の根拠となっている「記憶」の集積によるものでは
ありません。
つまり、皆さんが死んだときに、ここで生活してきた中で
自分の人生だったと記憶しているものによっては、死後の自我は出来ていません。
今の記憶を継続したような形や、今の自我の感覚をもって、
次に行くということは、有り得ません。
●では、服を脱いだ裸の意識は、どういう自覚のある自我であるのかというと、
まるっきり、何もかもの記憶がないわけではなく、
いわゆる俗に前世と呼ばれるものの「ソフトウエア」だけは、
継続していることが多いです。
つまり、データは吹っ飛んだり、管理者によって回収されますが、
人間になるとき、または、なる前に、搭載してきたソフトウエアまでは、
消えないことも多くあります。
●以下に私が言うことは、あまり正しい喩えではありませんが、
皆さんがここで生きて経験した記憶というのは、
ウィキペディアの辞書に収録されるものの「ようなもの」になります。
ウィキペディアという「共同作成の辞典」は、ネットでは、
異論や間違いが、利用者らの判断によって自然淘汰されて、
「一般化した意見」にされていますが、
地球で人間経験をした記憶は、分類整理され、ファイルにいれられて、
契約時に、「他人が利用できる記憶」になります。
つまり、次にここに生まれる人が、ある程度の最低限の
バックアップデータとして、搭載できる商品になっているということです。
●一方で、その記憶を置いてゆき、次の生存の為の記憶を入れかえる
その「主体」は何かとなりますと、
「全自我」の人の場合には、もう一度、地球でリピートして、
ここに留まるか、それとも他にいくために出てゆくかの選択権があります。
しかし、たとえ、7/8自我であっても、その選択権は奪われます。
●肉体が死んだときに、全自我が起動した場合には、
原則として、その「自我1」を成立させている、「自我2」も起動します。
「自我1」は、地球型自我でしたが、
ここから出てゆくときには、いったん「自我2」を起動させ、そのあとで、
別の惑星や、別の次元に固有の乗り物である「自我1」に戻ります。
この工程では、どうしても「自我2」を引っ張り出さないとならないのですが、
それは、全自我の人が、死ねば、おのずと分かりますので、
ここでは、くどくどとは、説明しません。
●ずっと前に、「梅の間」で書きましたが、
死後に、記憶が入れ替わる様子は、
まるでビデオの「クロスフェード」にそっくりです。
現在の自分とは、全く異質な誰かの人生の経験の記憶であっても、
自分の記憶が消えるに従い、準備してあった別の記憶が流入してくるので、
記憶喪失という感覚は、ほとんどありません。
(消えてゆく記憶を無理に思い出そうとしたり、執着しないかぎりは)
●そして、ケロっとして別人格に乗り換えて適応してしまいます。
ただ、そのプロセスでも、失われない自己同一性があり、
それは、現在の脳という限定された記憶よりも、一層上の記憶にも由来するのですが、
私の感覚では、それは記憶によるものというよりは、
もともと、そこが本人の意識のベースだったために、
単に本質と再度フィットするという感覚です。
●現在、自我復元をしていて、順調に行っている皆さんも、
取り戻しているのは、皆さんの「記憶」ではありません。
取り戻しているのは、かつての皆さんの人格ではないのです。
いわゆる人格は経験した記憶によって、出来上がっていますが、
皆さんが現在経験している、主体感には、個性はありません。
それは、「自我」という意味においては、地球に限定された中では、
普遍性を持っていて、誰が経験しても「同じ自己枠の感覚」として経験されます。
自分が自分の主体性と境界線管理を握っているという、単純な感覚です。
●生活や感覚に起きてくる、いろいろな「変化」は、
その人が、たとえ希釈自我の状態の時期でも、
そこで、どれだけの力を出そうとしてきたか、
そして、どういう経験を今までしてきたかによって、雲泥の差があります。
●逆に言うと、今までの生で、うすっぺらな人生だったり、
経験内容が未熟であったり、または重篤な何かの欠陥がある場合には、
そればかりは、自我復元では、修復は出来ません。
自我復元に出来るのは、自我を元の容量に戻し、意識の明晰さを、
その容量に見合うまで復元することだけです。
従って、経験もしていない事を分かるようになることは決してありませんし、
理想が最初から低かった人の理想が、いまさら理想が高くなることはありませんし、
さらには、希釈自我だったときに、精神が何かの事故に遭えば、
そこで失った、精神の片足や手は元には戻りません。
●そもそも、生まれるときに、両足がない身体(自我の比喩ではない)を
選んだ人は、いくら自我復元をしても、足が生えてくることはありません。
選んだものが先天的なものであれば、それは復元は無理です。
また、物理的な脳障害や、各種の先天的な「症候群」を持つ人も、
それが物理的に由来するものであれば、手足や臓器と同様に復元することはありません。
この話は、自我復元法で変えられる部分と、変えられない部分で、
詳しく後述します。
●いずれにしても、「自己同化システム」というのが、
宇宙における自我の定義であり、
それは、意識が何かを「知覚」できるための「枠」を形成しています。
その自我壁という「枠」との自己同化が、個人であるか、惑星であるか、
太陽系であるか、銀河系であるか、小宇宙であるか、
中宇宙であるか、大宇宙であるか、超大宇宙であるか、
それとも、限界極宇宙であるかによって、異なる「自我枠」があります。
●それぞれに、保存された、ソフトウエアや記憶データがありますので、
現在の自我枠や、現在の記憶を失っても、転生の「主体」は維持されます。
転生の主体というと、これは、実は言い方が間違っていて、
厳密には、「経験の主体」または、「知覚の主体」の意味あいです。
・現在の地球は学習や経験の場ではない・
●ただし、ほとんどの人が、全自我でない状態にある現在の地球では、
最低限の主体性を維持したままで死んで、移動できる可能性は皆無です。
死んだあとで、どうなるかといえば、
どこかの、仕事に怠惰で、身勝手な、管理会社によって、
かなり適当な記憶のデザインと、希釈自我という乗り物が、
死んだ人間に押し付けられて、
「養殖場」または「農地」のようなプラントに、戻されます。
●昔は、訪問者の意識が乗り込む「人間の記憶の構成」についても、
「こだわりのある記憶デザイン」がもっと多くありました。
今、地球に入るときに売られている「記憶作品」は、
まるで、手抜きの、インチキ商品です。
●私達が、主体性を持って、数回の人生を満喫して経験する場であったのは、
はるか昔の話であって、その後、幾たびかの、不正な経営と、
品質とサービスの劣化によって、現在は、ただの「家畜」または「農作物」
として人間が栽培されているという表現が正しいです。
この現実を認識しない人は、いつまでも、
本当は信じてもいないポジティヴ思考や、スピリチュアルな幻想によって
「地球人は、どこかの神々から見守られている」というチープで、
子供しか信じないような御伽噺に、一生しがみついたままの状態となります。
●皆さんが、ご自分が住んでいるこの惑星や、自分が選んだ人間については、
「なるべくならば、人間の可能性や夢や、
人間には生存している価値がある、という傾向の定義をしてほしい」
と思ってしまう、その人間の心情は、分からなくはありませんが、
そんなことを言っていたらば、
「放射能に汚染された地域」にしがみつく人々の言い分と同じことになります。
「なるべくならば、自分が住んでいる惑星を悪く言わないで欲しい」、
「ここに住むことには、価値があり、地球の人間が復興できると信じたい」と。
しかし、そんなことは、でたらめです。
●自分が住んでいる惑星や、国や、個人や、人間の価値性そのものを否定されるのは、
決して、気持ちの良いものではないのは分かりますが、
放射能の危険性を、真剣に言う人たちがいるように、
誰かが、地球についても、本当の現実を言わなければ、どうにもならないのです。
●たとえ過去の地球の幻想を妄信している人たちや、
うすっぺらな教義の異星人教の信者になってしまっている人達や、
今、地球にいる普通の人間に恨まれたり、嫌われたり、
分割自我理論など、でたらめだと、どれだけ否定されようとも、
「ここは、あなたたちが、昔の映像資料で見て知っていた、
あの当時の地球と、あの当時の人類ではありません。
もう危険だから、ここから出なさい」
と、私が言う必要があるのです。
・自我復元をしても個性が希薄な人たち・
●これは、残念ですが、どうにもなりません。
その理由は、前項で説明した、契約時に選択した「乗り物」に搭載された
データが、著しく少ないか、または品質が悪かったためです。
つまり、同じ1/2自我の乗り物でも、
それは、自我と意識の容量、つまり器は1/2の大きさがあっても、
人間として暮らして経験するのに有用なデータが、搭載されていない、
という人間製品です。
●これに、かなり典型として該当する人を、現在までに3名見ました。
たとえば、皆さんが「中古」などでパソコンを買った場合、
ハードディスクの容量が、自我率に喩えますと、
搭載されているソフトウエアや、フォントなどの基本データが、
「記憶」にあたります。
「分割自我復元」のDVDの中で、
私は最初に「魂」を構成するトライアングルを、暫定的にですが、
「意識、自我、記憶」としましたが、
記憶の部分は、もしも最初から、不足している部分があれば、
今回、生きている中で、不足しているものを補充するしかありません。
●ソフトを買ったり、ダウンロードしたり、データをインストールするのは、
コンピューターならば簡単な事ですが、人間の場合には、
「自分で経験して学習」をしなければなりません。
その学習できる資質がなんとか出来たという事だけは、
全自我になれば、その点は、保障できますが、
ただし、その買ったときに(生まれるときに契約した時点で)、
不足していたデータは、自分で生きて経験して見つけないとなりません。
●自我復元の報告や判定をしてくる人たちは、総計で、現在百数十人いますが、
95%以上の、ほとんどの人たちは、
「基本的なソフト」と「必要なデータ」は搭載されていました。
ただし、ハードディスクの容量が、自我率が1/4以下だと、
せっかくのソフトが上手く動かないでしょっちゅうフリーズするのが、
自我率の復元で、動くようになるものですから、
その人が元々持っていた個性が、輝くように、見事に発揮されてくる
というケースがほとんどです。
●一方で、個性が、ほとんどない人たちには、数種類の自我率があり、
下は、1/12で、これは個性を語るよりも以前に、やはり自我率の低さの問題である。
次が、1/6自我あたりですが、これも基本的には、自我率の低さが原因。
●しかし、なんと、65%あたりの自我率なのに、
いっこうに本来の個性が発揮されないというケースが一件だけありました。
これは「ハードディスクに問題があったケース」で、極めて珍しいものでした。
つまり、ハードディクスの設定に「パーティション分割」というのがあり、
メインのドライブとサブのドライブを、容量を分ける設定があります。
これと全く同じではないですが、「似た」現象がありました。
本人は、せっかく自我率が増えたのに、本人の主人格とは別の人格が、
別のドライブを乗っ取っているというものです。
●その結果、せっかく自我を復元しているのに、
メインドライブにいる本人が使える自我はあまり増えずに、
サブのドライブが大きくなるだけで、しかも、そのドライブを
占領している別の人格は、全く、その自我を使えない。
たとえて言うならば、
あなたの自我口座に、自我が振り込まれているのに、
あなたの使える自我は、振り込まれる前とほとんど変わらず、
その同じ口座を管理している別の者が、使いもせずに溜めているだけ、
という奇妙なトラブルです。
現在、このトラブルをどう解決するかは、まだ今は、分かっていません。
もしかすると「二重人格」または、「多重人格」の場合には、
自我復元とは「別の修理」を必要とするのかもしれません。
●もうひとつの例はこれも、非常に少ないので、一般的ではありませんが、
「重大なソフトウエア」の欠落です。
ソフトやデータが欠損する場合には、二つの理由があり、
ひとつは、いわゆる「トラウマ」によるものですが、
これは、仮に幼少のころのものでも「後天性」なので、
自我復元法によって、ほとんどは、回復できます。
●しかし、先天的に「ソフトウエア」または「データ」が欠損している
場合があります。
これは、昔の地球では、あまり見かけませんでした。
そんな製品は、当時ならば、完全に、お払い箱になったからです。
パソコンでいうと、通信機能がなかったり、メールソフトが入ってなかったり、
必要なシステムが入ってなかったりといった不具合です。
また、欠落しているのが、データベースの場合には、
たとえば、文書作成ソフトは、ちゃんとあるのに、
「フォントのファイルが壊れていて」使える字体が少ないなどです。
●こうした場合には、自我率が回復して、たとえ全自我になったとしても、
もともとの、ソフトやデータの補充がされるわけではないので、
生きてゆく上では、不具合が生じています。
ただし、希釈された自我だったときとは違って、
ソフトウエアやデータは「経験という学習」によって補充さえすれば、
なんとかなると思います。
●ただし、この「先天的な欠陥」があるケースは、かなり稀です。
たとえばの一例ですが「アスペルガー症候群」と呼ばれている症例は、
社会的には、主に「コミュニケーション障害」となって現れるのですが、
その機能だけは、どうやっても、カウンセリングや薬では治りません。
そして、これは自我復元法でも治せない可能性があります。
●人間という製品の中には「自我率」が問題なのではなくて、稀にですが、
「無くてはならないソフトウエアや重大なデータベース」が欠落していた、
不良品が出回っているらしいことは、ごく最近になってわかってきました。
この場合には原則として、自我復元ではその部分は改善されず、
本人がこれから生きてゆく歳月の中で、自分で集めるしかありません。
ただし、現在の地球の人間の状態は、これが主原因ではありません。
何度もいいますが、ここまでの「先天性の欠陥商品」は、珍しいです。
自我復元者のほとんどには、この「標準的な基本ソフト」の欠落は、
発見できませんでしたので。
・自我が復元しても残るトラブル・
●これも前項の内容に関連しますが、
全自我になっても、何もかもが解決するわけではありません。
そんな虫のいい話はありません。
全自我というのは、前項で説明したように、
ハードディスクが元の容量に戻るようなものですから、
それまで「やろうとして」出来なかったことは出来るようになります。
しかし、最初からやってもみなかった事が出来ることはありません。
また、今回の生の中で、精一杯生きてこなかった人たちも、
そんなに簡単に、物事が解決はしません。
●もっと、これを分かりやすく、たとえて説明しますと、
ここに、武術やダンスをしている人が、二人いたとします。
片方の人は、自我率が1/8だったとします。
片方の人は、自我率が1/2だったとします。
1/8自我の人は、低い自我の中でも、精一杯、いろいろな技を習得しようと試みて、
それでも、ことごとく出来なかった人だったとします。
もう一方の、1/2自我の人は、怠け者で、技や踊りを学ぼうとする意欲がなく、
基礎体力では、1/8の人に圧倒的に勝っているのに、なかなか技術が伸びません。
●この二人が、揃って、めでたく、全自我になったときには、
次のような差が出ます。
1/8自我の人が、技が出来なかった原因は、
基礎体力である筋力などが足りなかっただけ。
だから、その人は、それまでにやろうと努力してきたことが、
出来るようになって感動する。
1/2自我の人は、チャレンジ精神が少なかったために、
筋力はせっかくマッチョになったのに、
それを活用した運動がほとんど出来ないという、でくのぼう状態。
こんなことは、スポーツの世界では、日常茶飯事のことです。
筋肉をつけるという、その人の、そもそもの目的がなかったか、
目的が曖昧だったために、馬鹿みたいに筋肉トレーニングしかやらなかった結果、
ただ筋肉が増えただけで、それを「どう運動させるか」を学ばず、
またそのことに関心すらも持たなかったので、運動神経は悪いままです。
一方では、運動神経を懸命に洗練しようとした人ならば、
筋力がついたらば、とたんに、上達が形として現れます。
●現在、自我復元法によって、
効果を確信し、実感できている人のほとんどは「後者」です。
実習者の、ほぼ9割以上の人がそうです。
しかし、「稀に」ですが、自我率が95%を超えているのに、
それに似つかわしくなく、まるで、1/4自我以下の人のように、
ごく普通の事が、出来ないままの人がいます。
この原因は、既に説明したように、次の原因に分類されます。
◆ケース1・・・生命経験の浅さと、その結果の理想点の低さ、
による問題意識の希薄さ。
◆ケース2・・・重大なソフトウエアの欠落、
による問題意識の希薄さ。
◆ケース3・・・重大なデータベースの欠落、
による問題意識の希薄さ。
◆ケース4・・・ハードディスク内のパーティションの異常、
による問題意識の希薄さ。
ただし、ケース4以外は、全自我になったあとでも解決できる可能性が
あると考えていいです。
ここで興味深いのは、こうした先天的な欠陥の結果は、
すべて「問題意識の希薄さ」に現れてくるという点です。
・結語・
分割自我復元法だけという、単体技術では、
回復困難な故障や、人間の心的領域があるようであり、
それは、今後の課題である。
●開発者の側、つまり私の中で現在、最大の問題なのは、
そもそも、誰一人として「復元型の全自我」を見たことがない、
という点である。私も含めて見たことがないのである。
なぜならば、私の中にある、全自我の人たちのイメージとは、
最初から全自我で、人間をやってきた人たちであるので、
独特の濃さや、意志の明確さや、適応能力の高さや、
何よりも、(何の努力もなく自然に)物事に無意識にならない特徴を持っている。
ところが、地球史上、まだ誰も「復元型の全自我」を見たことがない。
そもそも、自我の分割などという不正行為がなければ、
自我復元などという処方薬も必要なかったのですから、
まったくもってして、面倒なことをしてくれたものです。
そして、復元型の全自我は、私が知っていた、元から全自我の人たちとは、
あきらかに違う部分があるだろうと予測している。
●元から原型自我の生を繰り返してきた人たちは、
常に、人間に搭載されている機能、特に心的機能をフル回転させた形跡がある。
しかし、希釈自我、分割自我からスタートした人たちは、
その復元の「過程」で、その活用を行っている場合がほとんどであるので、
全自我に到達したとしても、まだ、扱いきれていないものが残る。
しかし、それでも、私の目から見ていると、
自我復元と、この変化内容が順調な人たちは、全自我になったらば、
「もう、何があっても、自我率に起因する問題はないですから、
いろいろ大変でしょうけど、もう大丈夫ですよ」と、
いわば、健康になった人を送り出す医者の立場のような言葉を
言うことが出来ます。
そのあと、その人が、どこかで怪我をするかどうかは分かりませんが、
「製品としての不備は治った」と、太鼓判を押せる、
それが私が持つ「全自我に戻った人たち」のイメージです。
●ところが、自我率が98%あるのに、部分的に見ると、まるで、
自我率が、25%から30%しかないように見える人や、
もう自我率が90%を超えているのに、私のイメージからすると、
どれだけ大目に見ても、65%にも満たないように見える人がいます。
しかし、自我判定をすると、その数値自体には、間違いはない。
となると、なぜ、自我率がこれだけ回復しているのに、
1/4自我や1/3自我の人たちですらも分かっていることや、
出来ていること、持っている「軸」を、全く持っていないのかと、
私が特に「違和感」を持つ人が、数人だけいます。
それが今、明確化しているケースは、厳密には、たった3人ですので、
この人たちは、一般的なケースではなく、
「異例」の症例またはケースとして分類しないとなりません。
「90%を超えているのに、
この支離滅裂な自己認識の欠落の仕方は、ないだろう・・・」と、
そう思えるケースがあるので、ただ今、その原因を調査中である。
このわずかな人たちは、たとえ、全自我になっても、
「もう、大丈夫ですよ」とは、言いがたいのであり、
下手をすると、部分的には「1/4自我以下の未発達な部分」があります。
ただし何度も言いますが、これは極めて異例で、
復元をしている人たちの9割以上には、そういう違和感を感じるような、
停滞状態や、製品の故障はありませんので、御安心ください。
ただし、開発者としては、たとえ全体の5%以下でも、
少しでも不具合や、未知な事例があれば、
その原因と対策が分かるまでは、無視はできないのです。
原子力ムラとは、どえらい違いです。
というか、サービスや企業というのは、本来そういうものです。
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