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「分割自我復元」
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[113]
■
★分割自我復元★その112 ■ 自我復元報告 ■
by:
鈴木崩残
2012/08/25(Sat)09:32:10
自我復元の報告
●今回の報告内容は、要点も、具体的な部分も、非常によくまとまっています。
まるで、自我復元報告の、手本のような報告です。
しかし、だからといって、これを見本にはしないでください。
復元の報告というものは、常に「個性的」なものなのです。
なぜならば、自我復元が取り戻す、大きな要素のひとつが、
その人が、塗り重ねた偽物の個性ではなく、その人の「本来の」個性だからです。
初めまして、鈴木崩残様。
この度、初めて自我判定のご依頼をお願いしたく
メールを送らせていただきました、◎◎◎◎と申します。
自我復元を開始するのがとても遅く
もっと早くに始めていればと後悔しています。
ですが、ようやく自我復元の報告をできるところまできたと思いましたので、
メールを送らせて頂いた次第です。
復元報告、アンケートの回答、夢の内容、トラウマの掘り起こし、と
ノートに書いた文章を自分なりに必要な部分だけを抽出したのですが、
とても長い文章になってしまいました。
お忙しいとは思いますが、何卒判定のほど宜しくお願いします。
自我復元と併用している瞑想体系はありません。
過去から現在まで睡眠薬や向精神薬を服用したことはありません。
自我復元を始めたのは2011年12月7日。
基本的に日本のみで呼びかけを行い、どうしても日本のイメージができないときのみ、
ヨーロッパ、インド、北米に呼びかけました。
その回数自体は非常に少なく合計で20回程度で、
それ例外はすべて日本上空のみでの呼びかけです。
夜に呼びかけを行ったけれど、仕事の都合で朝の回収が出来なかった日は、
失敗としてカウントしていません。
1月から5月までは夕方、風呂上りにも呼びかけを行っていましたので、
呼びかけ回数は多くなっています。
睡眠の間の効果を狙っているということなので、
途中から寝る前のみに呼びかけをする方法に切り替えました。
・中略・
初めの3ヶ月ぐらいはイメージが上手く固定できずに、
すぐにブラックアウトしたり関係のないものが浮かんできたり
映像がバラけてしまうことが多々ありました。
なんとか改善しようと自分なりに工夫をしたり、
ほかの自我復元者の方々のブログを参考にしました。
呼びかけは、私の声が光の粒となって日本に降り注ぐようにしたり、
声が風になって日本列島を包み込むようにしたりと、
その日の気分で変えています。
呼びかけの文言の最後に「どうかご協力お願いします」と付け加えています。
2,3度呼びかけて反応があった所に降りていき、
なるべく事務的な作業にならないような話し方で交渉します。
直接会ったら多分こんな話をするだろうな、という感じで話を進めています。
基本的にはクーラーボックスに入れて持ち帰るようにしてます。
・中略・
2月23日
自分の世界というか、エリアというものがなにか、少し分かり始めた。
その原因は怒りにあった。
自分の価値観、考え方、思考といったものに、全く相いれないものに対する、
嫌悪感がはっきり認識されはじめ、絶対的な拒絶反応を見せはじめた。
自分と外部の区別。
これがいままでは凄くいい加減で蔑ろにされていた部分。
本当は嫌なくせに、つい周りに合わせてしまって、
事なかれ主義だったことを後悔している。
そのことによって起きることは自分と他者の線引きが曖昧になり、
いい加減なものになってしまっていたこと。
いまはこれが凄く気持ち悪い。
こうやって相手の意見に対してなあなあになってしまうと、
自分が相手に吸収されるような、まるで周りに溶けてしましそうな感覚がある。
それはとても気持ち悪いものだから、自分で自分を守るという
はっきりとした意思表示をしなければならない。
そうでなければせっかくの自分のエリア、世界を他人に侵されてしまう。
拒絶ということを、いままでしてこなかったせいで「自分がない」
薄っぺらな人格が形成されてしまったのだろう。
今までの自分が嫌だ。
他人と混ざるのは嫌だ。
勝手な解釈で見られるのも嫌だ。
嫌なものは嫌だと突き放せる自分になりたい。
そうすることで自分のエリアを守れる。
誰も踏み込ませない、壊させない、混ざらない
自立した自分の世界が必要だと思う。
それで嫌われても構わない。
思えば、今までの自分は他人に流されてばかりだった。
自分の意見に乏しく、自己主張が苦手で、人の意見に任せてしまう人間だった。
一体ここにいるのは誰だろう?と。
情けなさすぎる。
もう二度と過去には戻りたくない、そんな人格とはオサラバしたい。
3月26日
日中、仕事中にものすごい眠気に襲われることがある。
立っているのも辛いぼど。
しばらく座って休憩して、落ち着いてから仕事に戻る。
自我復元をやり始めてから眠気が増したように思える。
気持ちのアップダウンが激しい。
呼びかけ、回収がうまくいかない日が続くと、激しく落ち込み自己嫌悪したり。
そのような時は気持ちの整理が出来ていないことが多く、
ひとつひとつの考えを纏めていくことでしか解決しない。
先週そんな感じで過ごしたが、本音の部分を文章にして、
書き出してみると気がついていない部分や、認めたくない部分が出てくる。
たまにこの作業をしてやらないと、心の中が散らかって
何がいまの自分の大部分を構成しているのか分からなくなる。
気負って突っ走ったり、それで息切れして続かなくなる。
そんな時は1度立ち止まること、本音を文章にして叩きだすこと。
気持ちに整理がつくと、また違った考えだ出来るようになる。
それは自然に行動に現れるようにもなる。
以前は自分を作ろうとしていた。
こう行動すべきだ、もっと押しを強くしようと。
けれど所詮は作り物。
自我が復元されていくと、それが自然と行動に出るようになるのだろう。
今は、まだまだだ。
3月29日
人と話すという行為は陣取りをしているみたいに感じる。
自分の陣地を広げ守らなければならない。
油断すると攻め込まれやられてしまう。
今はまだ自分の陣地を守ることに精一杯。
相手に自分の心を侵略されないように守らないと
自分を見失ってしまう。 昔は簡単に攻め込まれ丸め込まれていた。
今は頑張らないとダメダメ。誰に対しても拮抗出来るようになりたい。
陣地の城壁を固めないと簡単に攻め込まれ突破される。
これが最近なんとなくわかってきた。
4月8日 大きな心理的変化
他人に対する依存心が減少したこと。
これまでは友人に対しても依存心が強く、強い関わりを求めたり、
繋がっていたいと感じたり、悪い言い方をすれば「かまってちゃん」だったと思う。
人は人、自分は自分という考え方ができずに、
友達から連絡やメールがないと不安になったり、
自分のいない所で仲間内だけで遊んでるんじゃないかと考えたり、
疑心暗鬼になったりしていたが、それもなくなった。
むしろ連絡が無いほうが安心する。
心の距離を取れるようになったのは、自分一人で生きていくという、
思いが強くなったからかもしれない。
・中略・
4月16日
復元を始めての変化はいい事ばかりではない。
人のBlogや報告ではいいことが多く書かれてあるが、
自分の場合は己の弱い部分、未熟な部分が浮き彫りにされる。
状況説明があまりにも下手くそ。伝えたいことが伝えられない。
初対面の相手と電話で話すときにテンパってしまう。
落ち着きがなくなり、状況の整理がつかず、うまくいかない。
実際に相手が目の前にいればそういうことはなくなるのだが、電話だと全くダメ。
今回は本当に落ち込んでへこんで、この仕事に向いてないのではないかと本気で考えた。
10年以上続けてきたこの仕事を辞めようかと考えるほどに、
自分の未熟さを痛感し、肉体的な疲れと精神的疲労で参ってしまい、
そこから逃げ出したいという自分がいて、
立ち向かうこともできず精神的に逃げてしまう。
胃が痛くなり、吐き気もでる。これが今の自分である。
仕事の時は会社に迷惑をかけれない。
社員のひとりとしてお客に対して向き合わなくてはならないのは当たり前。
どうしても頭は上がらず謝ってばかり。叱られ情けない目で見られる自分。
社会人としての自分はこの程度でしかない。
・中略・
5月6日
どうして私は、ありのままの自分でぶつかっていけないのだろうか。
逃げ腰だったり、自分がそこにいなかったり
カッコつけたりしないと他人と関われない者になってしまったのだろうか。
自分には何が足りないのか。自分でも分かっていない。
自己分析すら出来ない自分。
他人と関われば押し負けて追いやられて自分を見失い、
考えも持てず他人任せにして楽をしようとするずる賢さ。
逃げてばかりなのは、自分がそれを引き受けるだけのキャパがないから。
人前に出るのが恥ずかしい。どう思われるか気になる。
いくら言葉の上だけで、人からどう思われようが関係ない、と言ったところで、
本音の部分では違っている。
とても臆病で弱く脆い人間だ。
その証拠に他人に対して強がる態度をとる時がある。
自分は強いのだと周りに示さなければ、強くない自分がバレてしまう。
虚勢をはるだけの自分。
当然、嘘なのだから、中身などなく空っぽ。
そこに他人の言葉や本で得られた知識で埋め合わせたたけの存在。
それが今の私。
人とぶつかり合うことでしか人は磨かれない。
いままでそれをやってこなかったツケが回ってきたのだろう。
5月21日
朝起きると気持ちと身体が軽かったのは、
昨日の夜に行った呼びかけから回収の流れのせいだと思う。
無明庵の掲示板で読んだものが参考になった。
呼びかけは反応を期待したり待ったりせずに
自ら勝手にイメージを進めて作って構わないとのこと。
これでは、反応を待って何の反応を示さなかったりで、途中で止めたりしていたが、
これからはそれもなくなり、
自分なりにストーリーを組み立てて呼びかけをやっていくことにした。
これだけでも、はかどらなかった呼びかけが進むのではないかと思うと嬉しくなる。
・中略・
身体的変化は自分でも驚く程、朝の目覚めがいいということ。
目覚まし時計が鳴る30分前ぐらいには目が覚めて、まだこんな時間か、と思うほど。
眠りに入るのも早いが、朝の目覚めが全く違うものになっていたのは驚き。
6月11日
自我復元のモチベーションが最近上がってきているのがわかる。
変化していく様と、湧き上がってくる自信を感じるため。
まだまだ、完全ではなくこれではダメだ!もっとしっかり!
自分の弱い部分が見えては怯え、
そこを矯正しなければ一人前にはなれないという、自分への怒りだったり。
もっと強く有りたい、そう願えば自然とモチベーションは上がってくる。
今日、近所の神社にお参りに行った。
しっかり頭を下げて、もっと心身共に強い自分に変われるように祈願してきた。
歩くスピードがゆったりしてきたと同時に、
背筋を伸ばし胸を張って歩いている自分に気がついた。
仕事の時の電話でも、以前は相手を気遣うあまり声のトーンを優しくしたり、
声も小さめだったが、いまでははっきりと順序立てて、
割と大きな声で喋れるようになっている。
自信のなさ、控えめな自分、自分を押し出すのが苦手だった。
けれど、今はもっと自分を前へ前へ、自己主張するように声が出ている。
それは家族と話すとき、友人、知人と話すときも自然にそうなっている。
6月14日
周囲の変化として、友人と疎遠になっている。
けれど今は自分一人でも充実した日々を送れているし、一人でいることがいまは楽しい。
構って欲しいとか寂しいとか、そんな感情がまるで出てこなくなった。
今は自分をそっとしておいてほしいと思う。
そして自分の中にも変化が。
まだその正体はわからないが何かが変わってきている。
おおげさだが、自分の中にもう一人いるような。
もっとよく自分を観察してみないとわからない。
7月15日
桜の間のつながりを求めないこと、「シェア待ち状態」について考えた。
夜中、なかなか寝付けないまま3時ぐらいにまで友人のことや、
これまで出会ってきた人達との繋がりについてずっと考えていた。
自我復元を開始するとほぼ同じくして、それまでやっていた◎◎◎を辞めた。
高校時代からの友人たちと昔から4人でよく遊びに行ったり
◎◎をやったりといった流れで始めた◎◎◎。
しかし、辞めたことで、それまで頻繁に会ったりメールしたりしていたのに、
ぱったりと関係が途絶えてしまった。一人はまだ今年に入って1度も会っていない。
メールで◎◎◎を辞めたと伝えた時からだ。
一人は仕事帰りに会って立ち話をしたのが1回だけ。
最後の一人は、昔からよく遊んでいた奴だが例年に比べると回数も激減した。
共通の友人だが、わかっているのは◎◎◎を辞めたその時から
全く関係性が薄らいでしまって、ほとんど合わなくなった。
この人間関係はどういうことなのか考えた。
友人と私。その間柄に共通する趣味があることで、
それを通した形で関係が成り立っていたということ。
その間にある、繋ぎとめていたものを失ったときに、
ぱったり会わなくなってしまう、繋がりが切れてしまうということが起きた。
これは私の人生には今まで幾度となく起きてきたこと。
友人であれ知人であれ、こちらから切ったものもあれば、自然に切れることもある。
友人だと思っていたものは同じ趣味、同じ価値観を持っていた場合に、
それを通して関係性を保っていられるだけの間柄に過ぎなかったということ。
今年に入って誰かと一緒に遊んだということもない。
誰かと飯を食べたということもない。
完全に孤立したような状態にいるが、不思議と嫌な気持ちにならない。
むしろこの状態を望んでいた。
うんざりしていた部分があったのだから当然とも言える。
何をするにも何処に行くにも一人きりで寂しいとかいう感情すら湧かなくなった。
昔は暇だったからということで暇潰しのために友人を利用していたことに気がついた。
人間の関係性については、同じ価値観、考え、趣味、
自分と共通する何かを他人に求めたがるために、くっつきたがるのだと思う。
それらは非常に単純で、自分を認めて欲しい、考えを正しいと言って欲しい、
ただ同意して欲しいがために群れていたり。
ようは始めっから自分の中で答えが出ていて、
そこに賛同してくれる人を欲しているだけだと気づく。
ならばどうしてそんな繋がりを求めるのか。
自分に自信がない、後押しして欲しい、
共感してもらえると嬉しいとかそんな理由。
自分がそう思うならそれでいいじゃないか。
どうして他人の同意を求めたがるのか。
以前は、自分のHPを持っていたが、結局、自分の考え方に共感してくれたり、
共通の趣味で盛り上がっていただけで、勝手に自己完結しておけばいいものを、
他人に言葉を求めていた。それも同意見だけ。ただの馴れ合い。
こんなことばかりやっている自分とは、頭がおかしいのではないかと思った。
ネットの世界でもこっちの世界でも同じだった。
やがて意見の食い違いがおきたり、興味の意識が別の方向を向いたりすれば、
それまでの仲間とは切れてしまう。
こんなことをずっと昔からやってきた。
改めて自分の人生を振り返ってみると酷い。
こんなもので何が満足して何が得られるのか。
なにひとつ育たず、なにも成長しない。無駄な時間を過ごしてきた。
これなら完全に個の中に閉じてしまった方が、マシな人間になれるのではないか。
他人を利用しない、他人の言葉に惑わされない。
自分のことは自分で解決する。自分で考え自分で決める。
今まで自分のやってきたことを一言で言うとただの暇潰しに過ぎない。
生命の無駄遣い。最低だと思う。
暇潰しに他人を利用してきた。
私と人のつながりってこの程度なのだと思うと悲しくなってくる。
だから一旦繋がりを切って個でいよう。その方が人としてまっとうだ。
せっかく個として生まれてきたのだから。
7月17日
自分自身に対して素直になれる。
自分の望みや考えを持てるようになる。
何をしなくちゃいけないのが分かり始め、
来世であれ、今生であれ、目的や望みがはっきりしないと原動力にならない。
こうこう、こうしたいから、今はこれをすべきだと。
最近特に変わったのはやっと自分で自分をコントロールできるようになった。
自我復元をやり始めた頃はまだダメダメで、必要もないのにネットに繋ぎ、
何時間も無計画に動画を見たり、用もないのにTVをつけたり、
やらなければならないことがあるのに目を背けたがる自分がいた。
そこには計画性といったのもが全くない。
やらなければならないのに心と身体がバラバラで、思考も言う事を聞かない。
自分の中に司令塔がいないのだ。
その場その場で好きなことばかりやって、目的はあるのに行動が伴わない。
言動不一致な状態がずっと続いてきた。
自我復元をはじめる前は人生の指針がなくて、動力源もない。
自分を動かす原動力となるのは目標だったり自分の理想の姿だったり、
来世の自分だったりで、それが大きいほど、今やらなくては!と、
自分の行動が始まる。
7月25日
自己管理がある程度できるようになった時にはTVも殆ど見なくなり
夕方のニュースを30分だけ見ればそれで終わり。
以前、1番酷かったのが無闇にネットに繋げば、
寝るまで見ているという最悪な習慣が続いていた。
これは止めようと頭が命令しても身体が全く言う事を聞かない。
暴走しっぱなしでブレーキが利かない。
ネット日記をつけても全然意味がなく途中で止めてしまった。
けれどある時期を境に急にブレーキが利くようになった。
はい、今日はここまでだよ、と頭が命令すればちゃんと体は言う事を聞く。
今ではネットをする時間も少なくなり見たいものが終われば電源を落とし、
ダラダラ巡回しなくなった。
ネット世界での時間浪費はとにかく怖い。時間喰いの化物だと思う。
また貴重な時間を浪費してしまったと、いつも、いつも後悔していた。
それでも止められない恐ろしさ。
でも、自分をコントロールでき、日々の自己管理が出来るようになってからは、
大丈夫だと思えるようになった。
ネット依存の時、とにかく止めよう、PCの電源を入れないようにしようと、
無理に抑えると物凄いストレスで、それって本当に必要なの?と言っても無駄だった。
この自己管理の手助けになったのが、関心マップで、
すごい効果があるのだと自分でもびっくりしている。
ほぼ毎日やり始めてから管理が強化されているのがわかる。
いま、意識を向けなければならないものが、はっきり文字にして表れる。
だから現実的で実生活にもすぐに影響する。これは凄いこと!
体臭の変化。
仕事柄、朝から物凄い汗をかきます。止まりません。
当然、シャツはびしょびしょ。
昼までにはシャツから汗を絞り出せるぐらいになり、
例年ならそのシャツがすごく臭くなるのですが、
今年は殆ど臭くなることもなく、昼からも同じシャツで仕事ができます。
体臭そのものにも変化が出ているようです。
汗のかきかたの変化。
若い頃には体の表面に水玉の汗が付着するのですが、
歳をとると水玉にならず、肩から腕をダラダラと流れるように落ちていきます。
それが今年はまるで皮膚が若返ったように、
水玉の汗が腕中に付着していることに気がつきました。
・中略・
8月6日
いま自分が何をしているのか、ということを意識するようになった。
そしていますべきことは何か、ということも。
というのも、仕事の時でもトラブルやちょっとしたミスというのは、
自分で現状を把握できていないときに起こりやすい。
いま、自分はこのためにここにいる。
だからこうすべき。
頭のなかで現状を認識して自分の立ち位置というものを、把握していないと、
うまく言葉も出てこないしミスもしやすくなる。
ひとつの事に集中していなければならないのに、
行動と思考が一致していないことが多い事に気がつく。
8月10日
集中力があがっているのがわかる。
先ほどトラウマの掘り起こしをPCに打ち込みながらやっていた。
はじめはノートに書いていたものを、そのまま打っていたけれど
途中で新たに掘り起こしを開始した。
気がつけば3時間が経過していた。
仕事の時にしろ、物事に集中し始めると、時間の経過が恐ろしく早い。
1度も休憩を挟まずにトラウマの掘り起こしを3時間もやっていたことに
自分でも驚いている。
記憶を掘り起こしている時に他の雑念が殆ど入り込まずに、
一気に掘り起こしたという感じ。
自分の過去だけを見つめている時に何も割り込まなかった。
信じられない集中力だった。
今やらなければならないことは何か、それをいつも自分の中心に置いている。
計画性というものがついてきているのがはっきりわかる。
もうダラダラと過ごす日々ではなく、
遊ぶ時には目一杯遊び、集中するときには一気に集中を加速させる。
それが出来るようになってきた。
8月19日
自我復元を始めてから音楽を聴く時間がガクンと減った。
それまで様々なジャンルの音楽を聴き、ずっと垂れ流し状態でかけていた。
TVをずっとつけっぱなしにするように、
私は音楽をかけっぱなしにする癖があったのに。
別に音楽に興味がなくなった訳でもなく嫌いになったわけでもない。
それでも無音の方がいい、と思うようになった。
無音といってもうちは田舎なので夜になると、
コオロギやクツワムシの鳴き声で賑わっています。
元々、静けさを好む性格をしていたのですが、それが顕著になってきている。
車の中でも、音楽を流さない時が増えている。
物事に集中する時間や考え事の時間がが増えているのに比例して、
音楽を聴かなくなってきているようだ。
ここからアンケートの回答になります。
>>1-まず、無明庵のサイトは、どういう経路から、いつごろに知りましたか?
>>他人の薦めや、書籍、ネット経由など。
私の住む地域でも、ようやくインターネットが流行り始めた1999年でした。
パソコン教室のようなところで、アレイスタークロウリーや、
クリシュナムルティーで検索をかけると無明庵がヒット。
あまりにも衝撃的で無明庵のサイトが見たくてPCを購入。
>>2-次に、そもそも、精神世界のような分野に最初に足を入れた
>>きっかけは、何歳の時で、何がきっかけでしたか?
子供の頃から不思議なものが好きで興味がありました。
小学生の時にはノストラダムスに興味を持ったり、
高校に入り雑誌ムーを買うようになりUFOやNWOの陰謀論が好きになりましたが、
本格的に精神世界に入っていったのは高校1年の時でした。
初めて本気の恋をし、告白し、初めて女性と付き合うことになったのですが、
長くは続かずふられてしまいました。
何がいけなかったのだろう?
自分にはそんなに魅力も価値もない人間なのだろうか?
そもそも自分ってなんだ?なんのためにいる?
何のために生まれてきて何のために生きているんだ?
この時、私は初めて自分と向き合った。
と、同時に答えの出ない難題にぶち当たり
なんとかその答えを得ようとした結果、魔術の世界に入りました。
様々なジャンルがあるけれど自分という精神を追求する分野は、
その時は魔術以外に見当たらなかったという理由でした。
それ以外はUFOであれ古代文明であれ予言であれ、
すべて自分の外へ関心が向かうもので、
私は自分がいったい何なのか?という答えが欲しかった。
人間と宇宙を繋ぐもの。人間が何であるかの説明。宇宙が何であるかの説明。
それがわかれば自分が何であるか分かると思った。
カバラの本はよく読みましたが難解過ぎて理解できませんでした。
そして時間は経過し、無明庵に辿り付きました。
>>3-ご自分の問題についての原因は、ご自分で分析は出来ていますか?
ある特定の状況になるとテンパってしまい、
自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまったり、
最悪の場合には相手の言うがままになってしまう。
とにかく打たれ弱く、逃げ腰になり、脆弱な精神。
なぜここまで弱いのかと本気で凹んで数日は引きずってしまう。
特定の状況とは電話対応の時。とにかくこれができない。
どうして相手に現在の状況をうまく伝えることができないのか。
社員の一員としてお客様を相手にする時のみこれが発生してしまう。
社会人として失格である。その原因はどこにあるのか。
社会人として電話対応やマナーなどは社会に出てすぐに学ぶべきこと。
それをやってこなかった。その場の状況観察力、冷静さ、考えをまとめ、
簡潔にわかりやすく相手に伝える。
電話だと相手と現場の状況の共有ができないため、うまく伝達する能力が欠けている。
社会に対応できない自分が嫌すぎる。
基本的に人間対人間のコミュニケーションがうまくとれないということ。
友人、知人会社の同僚、上司、親など、すでに見知っている人たち、
信頼関係が出来ている人たちとはなんともない。
なのに社会人としての私は全く不完全で。
この打たれ弱さの原因はどこにあるのか?
他人の他愛ない言葉や文字に簡単に傷ついてしまう。
時に怒り、恐れてすぐに現実逃避しようとする悪い癖。
精神面の弱さが原因なのだけれど、
弱いまま育ってしまった原因はどこにあるのか。
結局は社会に出るはずだった若い時に出ず、
19歳のときから家の仕事をやって、半分隠居生活を送ったせいで
社会の荒波に揉まれなかったせいだと思う。
社会に出れない、人前に出れないその原因は自分でも分かっている。
人前に出るのが嫌で、恥ずかしく人の目を気にして生きてきた。
これをなんとかしたい。少々のことではへこたれない精神力が欲しい。
>>4-ご自分と御家族の間に何か問題はありませんでしたか?
・中略・
5月2日(夢の内容)
場所も時代も分からない。世界が赤と黒になっていて、
そこでは巨大な勢力が世界を支配していた。
施設のような場所で仕事をさせられている人たちがいて、
その者たちは、もはや生気を失っているように見え、不毛感が漂っていた。
このエリアで働く人たちは、ここから出られずにいた。
とても暗くなんの希望も持てず、ただただそこに縛られて、
死ぬまで働かされているようだった。
そのに迷い込んだ私は、すぐにここから出ていくように言われた。
週に1度だけしかチャンスはないと。
火曜日だけしか開かない下界との通路がある。
あまりにも薄気味悪く陰湿で暗い世界で働く人々。
みな一様に目が死んでいて、実際の知り合いも数名いた。
その人たちのいる部屋の更に奥。裏側へ通じる扉の中には、
もはや手遅れの人達がいた。
目からは血が流れ、指の爪は赤く腫れ上がり血が出ている。
ここで何をさせられているのか、なんとなく分かった。
ここのエリアは放射能の中で働く人達だ。
もう助からない人達は、私に「直ぐに立ち去った方がいい」と言い、
助言通りそこから出て行った。
後ろを振り向くと黒い街に赤い空がとても不気味で
何とも言えない気持ちになった。
・中略・
全く知らない人と私が部屋にいる。日本家屋だが全く知らない家。
私ともう一人はコンセントの前に座っている。
コンセントは上下にひとつずつ。
私「これどうやって入るのか忘れたよ」、
もう一人「大丈夫、こうやるんだ」というと、それを真似る私。
一瞬にしてコンセントの中に吸い込まれる自分。
気づけば別の部屋にいる。
そこにもやはりコンセントがあり、すぐに理解した。
コンセントからコンセントに空間移動しているのだと。
肉体なのか意識なのか分からないが移動している。
コンセントに意識を集中すると、まさに吸い込まれるように入っていく。
集中と同時にコンセントが大きくなり、穴に吸い込まれて移動した。
すぅーーーーっという感じで入り、
入った瞬間、真っ暗で次の瞬間には別の部屋にいた。
8月18日
久しぶりにしっかり覚えている夢を見た。
場所は結婚式場。現実には結ばれることのなかった友人2人の結婚式にいる。
女性の方は高校時代に好きだった人。男の方は友人だった。
あの二人の結婚式なら出ないわけにはいかないよな、と
自分を言い聞かせているのだが、式場にいるのに私はずっと探し物をしている。
探し物とは、梅の間の重要な投稿をプリントアウトして綴じたファイルである。
ずいぶんあちこち探し回っていても見つからず
ある部屋の扉を開けると、高校時代の同級生に会った。
彼女も招待されたらしく式場に来ていた。
少しばかり話をして、少し太った?と聞かれたので
高校時代に比べて10kg太ったよ、と言ったのを覚えている。
結局ファイルは見つからず夢から覚める。
その日、スーパーに買い物に行ったら、
夢に出てきた女性が、そこで働いていて少しばかり驚いた。
かれこれ6年ぐらい会っておらず、
しかもよく行くスーパーで、今までいなかったのに、
夢に出てきた途端ばったり会ったので、不思議な感じがした。
■ここからトラウマの掘り起こしになります。
この人生で1番最初に、「つまづいた」とはっきり記憶しているのが、
小学4年生の時、年齢で言うと9歳。
わたしの通う小学校ではサッカーがとても盛んで、
ほぼすべての男子生徒がこのサッカー部に入っていた。
特別な家庭の事情がなければ入らなければならないような、そんな雰囲気すらあり、
うちの両親もスポーツをさせるのが当たり前という考え方があったと思う。
私自身は、正直やりたくなかったというのが本音であり
どうも誘導尋問のような形で無理やり、やるという言葉を引き出された。
やりたくない、けれどやらないと言えば叱られる。
叱られるのが嫌だから、仕方なく始めさせられたというのが正しい。
そしてサッカーを始めるにあたって、長かった髪を切るために、
散髪屋に連れて行かれて丸坊主にされて大泣きをしたのを覚えている。
まるで別人のようになってしまった自分の顔を鏡で見て、堪えきれなかった。
したくもないサッカー、そして強制的に自分の一部であった髪を切らされて、
耐え難い苦痛があった。
この時、両親共にさっぱりしたね、とか似合うやんとか言ったけれど、
私自身はどうしてこんな屈辱を受けなければならないのか、さっぱり分からず、
ただ親の言うことに従うしかなかった。
それまで学校の勉強にもついて行けてたのに、この時期から全くついていけなくなった。
この時点で、日曜日を除く日にサッカー、水曜と土曜に算盤。
日曜日に習字に行かされ、そのうえ、公文にまで通わせようと提案してきた。
これは断固拒否してやらなかったが、
それらの習い事は、私の意思で始めたものではなく、
親が勝手にこうしろと一方的に押し付けたものだった。
小学生、高学年のとき、私には休みなどなく、
ひたすら習い事と学校にいくだけで疲れきっていた。
しかし、どうして親に反抗したり習い事を拒否出来なかったのか。
叱られる、怒られる、叩かれるという恐怖を親に植えつけられたとしか
考えられない。
更に記憶を遡るとそれらの断片的な記憶の一部が出てきた。
それまで自分にはトラウマなどないと思っていたし
打たれたとか、叩かれたということはないと思っていた。
思い出したくないから記憶を自分で閉じていたみたいで、探せば出てくる。
はっきりと何歳だったか分からないが、おそらく小学生中学年か、もっと下かもれない。
あの頃、母親はいつもイライラしていたように思える。
なにが原因か分からないけれど、母からえらく怒られて、
手を力ずくで引っ張られ、外に出されそうになるのを、
必死で柱にしがみついて泣いている自分の姿。
力でかなうはずもなく、ぐいぐい腕を引っ張られて外に出された。
その時の恐ろしさだけが記憶に残って、自分が何をして叱られたのか覚えていない。
思い出しだくないと、記憶を閉じてしまうほどの恐怖があったはずで、
おそらく幾度となく叩かれていると思う。
口答えできなくし、操り人形のように、
親の言うことには、絶対に服従するように育てられた。
大声で怒鳴り萎縮させて、まるで私自身が選んだかのように思わせて、
本当は親が強制的にやらせているだけという構図。
強く覚えているのは自分に力が付いた時には、
絶対復讐してやるという思い。
力で負けて押さえつけられていた自分がいつも悔しかった。
いまならわかる。
いまの自分の姿は、昔の両親そっくりだということ。
かつて自分がされていたことを、そのまま親にやり返しているんだと。
相手を睨み威圧して、大きな声で恫喝する姿勢。
なにかあれば、力ずくで叩き伏せてやるという気持ち。
その昔、自分がされていたことだった。
暴力を受けていたのかどうか、それはまだはっきり思い出せない。
けれど、なんとなくそうだったような記憶がある。
まだ掘り起こせていない部分が残っていると思う。
親が買ってくれるものは、私が望んだものではなかったのをよく覚えている。
いつの頃からか、私は私の欲しいものを口に出せなくなっていた。
だから、欲しくないものばかりをプレゼントされた。
きっと私が欲しいものは、親が子供にさせたくないものだったに違いない。
どうせ買ってもらえないのだからという思いから、口に出せなくなっていた。
誕生日だったか、ホッピングマシーンという、
両足を乗せてピョンピョン跳ねて遊ぶという玩具を貰って
そんなもの、どこが面白いのかさっぱり分からず、やっても出来なかったので、
ほったらかしにしていたら、母にえらく怒られて、
「せっかく父さんが買ってくれたのに」そう言われて外に出され、
できるまでやりなさいと、夜の寒空のもとで泣きながら練習させられた。
どうしてこんなことをしなければならないのか、悔しくて仕方なかった。
同じように別の誕生日に、巨大凧をくれたが
これまた欲しくもなんともないもので、やらずにいたら父に無理やり外に出されて、
一緒に上げさせられたのも覚えている。
どうもこの親は、子供は外で元気良く遊ぶものという先入観があるらしく
部屋でゲームをしている私が気に食わなかったようだ。
私がなにを欲しがっているか、何をしたいかというのはどうでもよくて、
親の勝手な理想や思い込みを私に押し付けているだけだった。
両親は二人共子供の頃、貧しかったらしく、
特に父は6人兄弟の長男として生まれて苦労してきたことを、いつも聞かされてきた。
そんな父の口癖は「俺が子供の頃は○○だった」
○○の中には、こんなもの買ってもらえなかった、とか
いいものは食べれなかった、とか
自分の進路を親に勝手に決められたとか
不幸話ばかり聞かされ、「今のおまえはこんなに恵まれているんだぞ」という、
心の裏側の声が聞こえてくるようだった。
この文言は祖母がよく言っていたので、父は祖母の影響を色濃く受け継いでいる。
そして私が何か買うと必ず出てくる言葉は
「それいくらしたん?」である。
自分で稼いだ金で買っても、たとえそれがジュース1本でも聞いてきて、
私が自由に金を使えるのが妬ましいのが目に見えている。
父は話をするときに、何かにつけて私と比較する癖がある。
その比較は私だけには留まらず、ご近所や世間にまで及んだ。
もううんざりして次第に話をしなくなっていった。
反面教師の役割も果たしていたのが父で、
酒は浴びるほど飲んで帰り、パチンコが趣味。
年がら年中演歌を聴き、人を妬んでばかりの人間。
そんな父を見て、こんな大人にだけはなりたくないと思った。
母とは話をするたびに喧嘩になった。
小学生までは言ったことは素直に聞く子供だと思っていたようだが、
そんなもの私からしてみれば、嫌々させられていたに過ぎない。
自分の意思を表に出し始めたのが中学生になってからだった。
あれをしろ、これはやるな、という命令だけの母親。
理解とは程遠い世界だった。
もうこの生物とは一生分かり合うことはないのだと理解した。
私のやることなすことが全て気に入らないのだ。
思い出したことがある。
私が生まれた時、まるで女の子のようで、
その後、数年間、女の子のような服を着せられ、女の子のように育てられた。
母は女の子が欲しかったらしく、
まるで私を自分の可愛らしいお人形のように扱っていたらしい。
母の望む服を着せられ、母の望むようにしてきた。
しかし、私は誰のものでもない。
人形でもないし親の玩具でもない。
一個の人格を持った人間であることを、母親は分かっていたのだろうか?
それまで良い子ちゃんでやってきた私が、
急に反抗期がやってきて自分の意見を言いはじめる。
私はあなたのモノじゃない。
これがきちっと理解できていなかったようだ。
私は私であり、すべてあなたの望むようにはいかないと、
なぜ分からなかったのか。
まるで初めて玩具を与えられた子供のようにもみえる。
そうだ、思い出した。
私は、私を犠牲にすることで生きてきた。
親の望むように自分を殺しいいなりになって、
怒られたくない叱られたくないという考えで育ち、
自分の考え=わがまま、という構図が出来上がって、
自分の意見も言えず考えも持てずいつも待機状態。
自分を周りに溶け込ませることが得意。周りの人を傷つけてはいけない、
人が傷つくのなら、自分が犠牲になるという狂った考え方の根源は、
親から植えつけられたものに等しい。
周りは正しく自分はいつも間違っている。
人に迷惑をかけてはならない。
人を傷つけてはいけない。
それを回避するためなら自分が傷つけばいい。
小学生の時にすでにこの考え方が自分の中で出来上がっていた。
どう考えても異常である。
いつもいつも自分が悪いのだという、おかしな罪悪感があって、
それは親からの擦り込みだったのではないか。
悪いことをしたから叱られる。叩かれる。
全部自分が悪いのだ、という固定観念。
と同時に、自分は必要な存在なのだろうか?
という当たり前の思考も発生していた。
小学生の時、なぜかいつも卑屈だった。
どうしてそんな性格になったのか不思議だった。
どうせ自分なんか・・・という考え方。
どれだけ頑張っても成績は上がらずスポーツも苦手。
通知表には「良い」が一つも無い子。
自分では最大級に頑張っていた。
1教科でも「良い」が欲しかった。
せめて体育だけでもと頑張っても願いは叶わなかった。
親からは、また「良い」がないと言われ続けた。
頑張っているのだから認めて欲しかった。
褒めて欲しかった。
どれだけ頑張っても努力しても報われないと、自分で自分を見限ってしまう。
どうせダメなのだと。
それでも私は親から認められたくて。
それは小さな頃から親の言うことには逆らわず、
やれと言われればやり、そうして生きてきたのだから、
認められなければ何のために、ここまで頑張ったのか分からない。
ここにきても、まだ自分というものが登場していない。
自分が何をやりたいか、したいのかが分からない。
分かるはずもない。ただ親のために生きてきたのだから。
幼い頃、いつも叱られていたのを思い出した。
悪いことをしたから叱られる。
悪いことをした私=私が悪。
どうせ自分が悪いんだという思考回路ができあがると、
自分を大事にできなくなる。
自分よりも他人の方が重要になってくる。
ここまでくると擦り込み以上に洗脳に近いものがある。
少しずつ思い出してきている。
いつも泣いている私。
膝を抱え、うずくまって泣いている。
布団を頭までかぶって叩かれるのを我慢している私。
蹴られている、叩かれている。父から。
もうそこまで恐怖が強いと、なにが原因で怒られたのかさえわからない。
また思い出した。
私は婆ちゃんっ子で、叱られるといつも婆ちゃんのいるところまで、
走って行って抱きついて慰められていた。
わんわん泣いている。婆ちゃんは私の心の支えだった。
いつも私の味方をしてくれた。
やっと思い出した。
あまりにも酷いと、そんなことなかった事にしてしまう。
完全に記憶を自分で閉じてしまう。
自分にもトラウマはあったんだと思うと悲しい。
悲しいどころではなく、
人のトラウマ掘り起こしをみて、
「そんなこともあるのだ」と他人事ののように考えていた自分が情けない。
当事者だったのだ。
きっと父もまた、祖父から同じように育てられたのだろう。
それが連鎖しているのだ。父から子へと。
もうこんなことはしてはならない、絶対に。
泣けば、叱られ、怒鳴られ、叩かれていた。
弱い自分を自分で守れずに、いつも祖母を頼っていたのを思い出した。
怒鳴る叩くというのは当時では一般的なものだったのかもしれない。
けれど、それによって摘まれる芽というのは存在する。
自分を否定し殺してまで生き延びようとする。
けれど、そうして生き延びた人格は極度にねじ曲がる。
それは将来、恨みとなり暴力に変わる。
しかし、おかしなことに、
記憶を閉じて無かった事にして生きていれば、
親は自分の為にここまでしてくれたんだという、
感謝の気持ちすら出てくる。
恐怖だったことを忘れて、良かったことばかりを記憶に残して、
ありがとうなんて言ってる。
まるで出来の悪いドラマのようだ。
これが自分の人生のはじまりだったとは、今まで考えもしなかった。
自分がどこでねじ曲がり、おかしくなってしまったのか。
ようやく思い出すことができた。
以上が今現在、掘り起こすことのできたトラウマです。
後半部分は、泣きながら、PCに打ち込んでいました。
1度メモ帳に書き出したものをプリントアウトして、
自分で読み返し必要な部分と、そうでない部分を仕分けて、報告の内容としたのですが、
それでも、とても長い文章になってしまいました。
8ヶ月間、私なりに頑張ってきた結果です。
どうか、自我判定のほど宜しくお願い致します。
●以下は、判定結果に対する、この方からの返信です。
鈴木崩残様
今日の午後、無事に自我判定結果、滲みの書が届きましたので、
感謝の気持ちを込めてメールを書かせていただきます。
仕事中に届き、すぐに判定メモを見て
自我率が上がっていること、復元は成功しているという文面を見て、
ガッツポーズをとり「よし!よし!よし!よし!」と、
何度も何度も言ってしまいました。
自我率が何%なのか、ということよりも、
自我復元が上手くいっているのか、成功しているのか?
ということの方が、私にとっては重要でした。
自分のやり方が間違っていないという証明が今後の自信に繋がるからです。
◎◎%が今の自分なのだということも大事ですが
希釈自我には変わりはなく、ただただ前進あるのみ。
メモにもありましたが、もうすぐ節目である自我率に到達するとき、
どのような変化があるのか楽しみです。
・中略・
同封されていた滲みの書、ありがたく頂戴致します。
本来であれば、額縁を予め買っておいて、書をお迎えするのがズジだと思ったのですが、
実際に届いた書を見て、どんな額縁がいいのか選ぼうと思いました。
ですので、これから額縁を2つ買って、
ひとつは自分の部屋、ひとつは玄関へ飾りたいと思っております。
可愛いネコちゃんのメモ用紙に、
おまけの書とサービスの1枚が入っているというサプライズに、
思わずニンマリしてしまいました。
この滲みの書は手に取らなければ、絶対に分からない味があると感じました。
HP内にも滲みの書が掲載されていますが、実物は違います。
「泰風」「然」が特に気に入ってます。
「泰風」の文字の美しさが特に際立っていて、
感じたのは安定と優雅さが入り混じっている、でした。
「風」の字がとても優雅になびいて、しかし、しっかりとそこにある。
そんな感じに受け取れました。
そして「然」の書。
1枚サービスして戴いて感謝です。
そのどちらも「どーーん」とそこに「いる」という
佇まいが迫力を醸し出していて好きです。
紙からはみ出しそうな程、大きな文字で力強く書かれていて、
将来、自分が全自我に戻った時に、こんな感じになれたらいいな、と。
あくまで私の主観で感じ取れたことは、
「然」の文字と「茶」の文字がとても大胆に書かれてあるのに対し、
「泰風」と「落葉」には繊細さや自然の中の美しさが表現されているのでは。
そう感じ取れました。
滲みの書を太陽光の下に透かして見ると、まるで、氷の結晶のように見えたり、
花の花弁のように見えたり、とても不思議なものを見ているようでした。
そして、おまけの書として戴いた「◎」と「◎」の書。
実は、このおまけの書が、結構気に入ってたりします。
特に「◎」の書の躍動感が輝いて見えて、
最初にこれいい!と感じたのは「◎」の書だったりします。
どうして、この2つを選ばれたのかが気になりますが
書を定期的に入れ替えながら、楽しみたいと思ってます。
更に更に、身体安全の御守り、匂袋と、沢山のものを戴いて、感謝、感謝です。
御守りは、袋から出して、枕元に置いています。
首からぶら下げられるといいのですが、
何かいい方法がないか考えておきます。
以前掲示板でも、お見かけした匂袋。
おまけしてもらった人はラッキーだなぁと思っていたのですが、
まさか自分の元にやってくるとは思いませんでした。
とても嬉しいです!
砂手さんが袋を作り、崩残さんが香を調合されたという、
レアな一品を戴けるなんて幸せです。
普段、香水も付けず、あまり香りに無頓着な私ですが、
早速、ビニール袋を開けて香りを嗅いでみると、
いままで嗅いだことのない不思議な香りがしました。
お香と花の香りが入り混じったような面白い香りです。
なにか使うのが勿体無い気もしますが
折角なので密閉度の高いマイカーに乗せて、
香りを楽しみたいと思っています。
その方が香りが長持ちすると思いますので。
そして可愛らしい袋を作ってくださった砂手さんにも感謝致します。
本当に嬉しいです!
ありがとうございます!
判定メモの最後に書かれてある自我と意識の文字。
自我の字は左に流れて、しかも我の文字は画数が足りていません。
自我がまだ欠損していて不安定な状態なのだと解釈しました。
意識の識の字はなんとなく形はあれど文字として、機能していない状態である。
これが今現在の自分の精神状態を、文字として現されているのだと、理解しておきます。
メモにもありましたが自我の回収漏れがあるとのご指摘、
ありがとうございます。
いままでのやり方ではロスが多いということが分かりました。
ですので、回収の際、いままで以上に、
はっきりとしたリングを形成するイメージと、
取り込みを心がけてやっていきたいと思います。
すぐに出来るようになるとは思っていませんが、
回数をこなしていく上で、少しでも回収ロスをなくしたいと思います。
改めて何度も何度も判定メモを読みました。
私にとってはこれ以上ない賛辞で溢れていました。
復元が成功していることが、なにより嬉しく、
私の報告を褒めてくださったことに涙しました。
私は人からも親からも褒められるということがなく、
これほどの賛辞を受けたことはありませんでした。
仕事中にも関わらず、目が潤みっぱなしでした。
自我復元をやっていて良かった!と心から思いました。
良かったと、更に実感できるのは
自我率が◎◎%を超えた辺りからだと期待もしています。
自我復元を開始するにあたって、自分の中で約束事をいくつか決めました。
その中のひとつに、
「ただ長いだけの、中身のない報告は絶対にしないこと」
というものがありました。
その中には報告だけではなく、アンケートの回答も
トラウマの掘り起こしも含まれています。
ですので、実際、報告をしようと決意し、取り掛かったのは6月の中旬ごろでしたから、
かなり長い時間をかけて作成したものが、先日の復元報告になります。
復元ノートも3冊目が終わろうとしています。
・中略・
最後になりましたが、今回の自我判定、本当にありがとうございました。
届いた判定内容と滲みの書、生涯大切にしたいと思っています。
まだまだ先は長いです。
1回目の判定依頼に至るまで8ヶ月以上かかりましたので、
第2回目の判定依頼にも同等の時間を要す覚悟でいます。
ですが、決して諦めることはありません。
そして、私が本当にやりたいことは、
全自我に戻ってから始まるのですから。
今回、何度も何度も、自我復元に出会えてよかったと感じました。
この方法論を作り上げて戴いて、改めて感謝致します!
まだまだ崩残さんにアドバイス、助言を戴くことになると思いますが
何卒宜しくお願いします。
自我判定ありがとうございました!
______________
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