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★分割自我復元★その118 ●味覚音痴とトラウマ●
by:
鈴木崩残
2012/09/13(Thu)09:45:25
トラウマと味覚音痴
●前投稿で紹介したブログで、トラウマについて書かれたものに、
こんなものがあります。
http://blog.goo.ne.jp/hakodate2012/e/e0413a616e56fabb39a1d8acac0ecd5a
●うまい喩えだと思いました。
話は少し飛びますが、私が小学生時代をすごしたのは、1960年代で、
私と同年代の人達は、「学校給食」の味を覚えていると思います。
はっきり言って「動物のエサか」と思うぐらいにまずかったのです。
ところが同年代の人に「給食は、まずかったですよね?」と訪ねると、
稀にだが「そうでもなかった」とか、さらには「おいしかった」とすら
言う人がいたのに、私はひどく驚いた。
●そこで詳しく話を聞くと、おいしかったとか、まずくなかった、
と答えた人の全員とも、家で母親が子供のための料理を作らない、
という家庭環境であった。
ただそれだけならばマシであるが、
ほとんどの場合に、そこの母親が精神的にも、
少々狂っていたというパターンであった。
●さて、当時、およそ食事と名づけられたものの中で、
おそらくは給食ほどまずいものはなかっただろう。
いわゆる「臭い飯」と呼ばれる刑務所の食事の事は知らないが、
小学生のときに私の担任は、私たち生徒に向かって、
「お前らの食べている給食は、一食55円なんだ。
これは刑務所の食事と同じぐらいの値段なんだ」と言い放ったのであった。
いったい、どういう話の流れで、その担任がそう言ったのかは分からない。
生徒の誰かが、「食べられないので残したいものがある」と言ったことに対する、
大人げない、反論だったのかもしれない。
「刑務所の食事と同じ単価なんだから、文句言うな」と。
●生徒のうちの何人かは、私も含めて、好き嫌いがあるので、
とうぜんのこととして、本人にとっては、吐き気がするようなまずいものもあり、
残そうとするが、当時の給食は、残すことは許されず、
「好き嫌いは駄目だ」「我慢してでも食べろ」という、
「小学校給食の歴史」の中では、恐ろしい「暗黒時代」だったのである。
●私は、給食のせいで嫌いになり、その後、社会にでて、
ちゃんとしたお店で食べたことによって、
その「味のトラウマ」が解決したものかなりある。
たとえば、
・「おでん」
給食のおでんほど、マズイものはなかった。
汁の味付けの、やる気のなさは、もとより、
貧相な味の、ちくわぶ、こんにゃく。
そのせいで、私はおでんが嫌いだったが、
小学校6年のときに、はじめて、
屋台で、よく煮込まれたおでんを食べたことと、
母親がうちで作ったおでんを食べて、それは解消された。
大嫌いだった、こんにゃくは、その時から好物に変わった。
・「酢の物」
ただ、すっぱいだけの、吐き気のするような給食の酢の物。
私は、ひかりものの青魚が、今でも食べられない理由はあの給食にある。
春雨サラダと称する代物も、ただ酸っぱいだけで、とにかく不味い。
・「牛乳」
どういうわけか、その後に、普通のパン屋さんで買って飲んだ牛乳と
学校給食で出てくる牛乳には、あきらかな味の差があった。
当時の給食の牛乳は、絶対に同じ品質ではなく給食のは劣化品だろう。
その上、私が、神戸市で小学校に行っていた数年は、
あの悪名高い「脱脂粉乳」を飲まされた。「おえっ」とくるあの牛乳である。
そのせいで、私は中学生になるまで、
自宅でも牛乳に砂糖を入れなければ飲めなかった。
・「マーガリン」「三角チーズ」「チョコマーガリン」
とにかくまずい。しかも、中途半端にまずい。
これも、食べられるようになったのは大人になってからである。
しかしチーズは、いまだに、種類によっては食べられない。
●とにかく、給食のおばさんらには、
「あんたら、塩以外は、味の素でも、ぶっかけているだけかよ?」
といいたくなるような、ひどい味付けだった。
あれは、子供を人間として見ている味付けではない。
そのせいで、楽しいはずの昼の給食は、12時近くなって、
廊下に給食の匂いが漂うだけで、私は、毎日、陰鬱な気分になった。
●給食を食べるということ自体が、常に苦痛だった。
なんとか食べられるのは、肉の破片しか入っていないカレーとか、
揚げパンとか、汁を吸い尽くしたうどん、とかだけで、
食パンひとつとっても、パサパサで、味も悪く、
それは、決して普通に市販されている食パンのような味ではなかった。
もしかして終戦後の「配給」の食材って、あんな味だったのか?
●いくつかの味は、家庭で母親が、ちゃんとした味のものを作って
食べさせてくれたおかげで、嫌いにならずに済んだが、「給食のせい」で、
社会でちゃんと作られているオリジナルの味を知らないままで、
私が大嫌いになった味は、かなり多かった。
それらの「本当の味」に触れたのは、
付き合った彼女と外食をするようになった25歳以後からだった。
●さて、ここで問題なのは、
オリジナルからは、ひどく劣化した、不味いものを食わされた場合でも、
味覚の場合には、のちに、本物を食べることによって、
その食材を嫌いにならずに済み、味の認識が回復するケースは多い。
ところが、自我の味覚音痴の場合には、
比較するような「せっかくのオリジナルの自我」を自分の外に見ても、
その味に気づかないばかりか、元々のまずい自我しか知らないために、
逆に、本物の味を不味いとすら感じてしまう事も多いようである。
しかし何よりも問題なのは、
「全自我の本来の味」というのは、生まれたときに既に失われており、
その上そこに、同じく、本来の自我の味を知らない親による、
苦痛が子供に与えられたらば、
それこそ「卵焼き」とはどういう味であるのかを知る由もないのである。
●たとえば、通俗的なカウンセリング療法では、
親の愛情を知らずに育った子供や、親の歪んだ偏愛や、さらには
親からの暴力を受けてきた子供が、
その後、大人になって、心理的不安や心理的障害を突然に発症した場合には、
(パニック障害や、赤面症や、吃音の症状が多い)
オリジナルの味の愛情や、正しい味の生活環境を、何かのきっかけで経験することで、
「軽減」はされるものの、根治には決して至らない。
●それが、まずい食事のような、あるいは、外界からのただの暴力、
といった単なる外界からの記憶であれば、
「真逆の経験」をすることで、正常な味覚のバランスが取れるが、
トラウマの恐ろしい点は、前述したブログの人が書いていたように、
まずいものを「おいしい」あるいは「これが当たり前の味だ」と
味覚洗脳をされることである。
狂ってしまった味覚には、どんなに美味しい本来の味を与えても、
それを認識することは出来ない。
そもそも、その傷を最初に受けたときには、多くの人たちは「幼児期」にあり、
最初は、「嫌だ」と言ったり、「泣いて抵抗した」はずだが、
のちに、その抵抗を完全なまでに、暴力や恫喝や、その他の、
その家庭(や村社会)にだけ特有の善悪の刷り込みによって、
捻じ曲げられてしまうことになる。
●だから、トラウマの恐ろしいところは、
まずいと知るための、オリジナルの味を知らない。
まずいものなのに、それが当たり前だと思ってしまう。
本来の味に出会ってもそれがそうだとは分からない場合もある。
食の味(与えられる環境)は正常でも、感じる側の味覚そのものが狂っている。
これらの原因のほとんどが、自我の希釈から生ずるという、その恐ろしさ。
●これゆえに、自我が復元されてゆく人達を見ていると、
その本来の自我が搭載しているべき「感覚」の回復は、
五感のすべてに及んでいます。
●蛇足ながら、
それでも、生まれつき「嫌いな味」または「嫌いな食感」が
残ることはあります。
それはある意味では正常なもので、
そもそも、料理などというものは、他の民族にとっては、
「こんなもの食えるか」という味も沢山ありますから。
日本の、味噌、納豆、梅干、糊など、それらは、外人に食えといっても
それを食えないのは、彼らのせいではありません。
逆に日本人では、とても食えないような、
中国の食材や、欧米の食材もありますから。
とくに、珍味といわれるものや、臓物の類、発酵食品は、
そこに「慣れ」がなければ、臭くてまずいものが多いのは当然ですから。
●私の場合にも、別に給食のトラウマのせいではなく、
ちょっと今でも引く食材や、
さらには、どうやっても食えないものもあります。
自分の家でも親が作ってくれていたものであっても、食えないものは
ありました。
まー、ごく「個人的な」ことなので、ここに羅列しても意味はありませんが、
・魚の卵巣類(つまりタラコやイクラや数の子)
・動物の脳味噌(甲殻類のはともかく、子羊の脳とかは駄目だ)
・生臭いものが駄目なのではなく、貝類は「カキ」以外はすべて好物。
・臓器類(イカの塩辛やモツ系)
・極端に癖のある発酵食品(特定のチーズや中国の豆腐とか)
私には、「ある特定の苦味」と「ある特定の酸味」に、
苦手なものがあるようである。
ただ、どれも、食えといわれれば食べられますし、
それしかないとなれば、我慢してでも食べますが、
「これだけは、死んでも食べられないほど大嫌い」となると、
今は、それほどにはないです。(ただし、全くないわけではない。)
●ところで、「嫌いなものでも、残さず食うまで許さない」という、
小学校における人権侵害的な「拷問」は、
私よりも20年ぐらい下の世代ですらも、
全国の学校で、平然と行われていたようです。
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