▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[13]
■
★分割自我復元★その12★ 東北大震災・福島原発事故と、個人の精神とのリンク
by:
鈴木崩残
2011/04/25(Mon)19:24:32
原発問題ほど大きな社会問題はない
●これほどまでに、日本の全ての社会問題が凝縮された問題はありません。
今回の福島原発の問題に含まれるファクターを取り出したら、きりがありません。
■原発利権・原発マフィア問題
■原発労働者問題
■報道メディア問題
■原子炉設計基準の問題
■耐震設計の問題
■防波堤設計の問題
■瓦礫撤去の問題
■災害者支援の問題
■日本の食糧問題
■土壌、海洋、食料汚染の問題
■被曝による健康被害の問題
■外交問題
■国家安全保障問題
■自衛隊問題
■発電の為の代替エネルギー問題
■首都機能移転の問題
■税金問題
■この災害と事故に関係する個人個人の問題
これだけの、全次元を含む「社会問題」に、
関心も向けられない精神世界サイトには、空いた口が塞がらない。
ほとんどこれは「戦争」が「始まった」のと同じ有事であるのに、
その現実すら分かっていないスピリチュアルサイトのゾンビたちがいる。
>●梅の間から、ここに移動しました。
↓
どうも、精神世界系の人たちは、
どうしていいのか、分からずに、おろおろしているようです。
たとえば口では、
「危機をチャンスにするべきだ」と言ったり、
「危機は精神に関係ない」と言い腐ったり、逆に、
「この危機を招いたのは、全員のせいだ」と、分かったような事を
他人からの借り物の言葉として吐いたり、
とてもではないですが、見ていられない「醜態」です。
たとえば、こんなアホウもいます。
↓
>>他人につっかからないと成立しないような自己主張や自己表現など
>>まさに糞だ。ウンコ召し上がれ、なのだ。
人間が何かに突っかかるときには、二つのルートがあります。
ひとつ・自己主張するような信念も知能もない者が、
単に他人に責任を押し付けることを、脊髄反射の平常業務とする。
これは、まさに、上述の発言をした馬鹿が毎日やっていることです。
ふたつ・常に軸を持った一環した主張をしており、それに基づいて、
批判すべきものは、きちんと批判する。
●そもそも「批判精神」というネーミングは、
まるで、批判する物を探している、ただの左翼みたいで、とてもチープですが、
「批判する知性」はチープではありません。
また、責任を明確にすることは、どのような事態の中でも必要であり、
またその責任は、必ずしも、「共同責任」ではありません。
●日ごろから、家族、恋人同士、会社、村社会などの中で、
「責任は、誰にもない」とか、逆に、
「責任は全部、お前にある」とか、または、
「全員が責任持つんだ」とか、
こういった、完全な「思考停止」を繰り返して生きてきた
希釈自我やゾンビの人たちは、必ず、こうした安直な極論に走ります。
こうした、極論に走ることの安易さは、
物事を直視せず、
その物事のディテールや真実を整理しないで済むからです。
●ひとつの問題が起きるときに、全員に責任があると、
よく考えもせずに言うのは「馬鹿でも言える簡単なこと」です。
また誰か特定の人や組織に「全部お前が悪い」、というのも、
実に思考停止した状態の典型です。
しかし真実とは、
>「この部分は、誰が責任を負う。この部分には誰は責任はない」
というものです。
電子機器や、いろいろな機械だって、
全部品が悪いのではありません。
たとえ、それが致命的な故障であっても、故障箇所は常に一部です。
●私は今回の震災については、
ある程度は、個人または、集団的な願望や不満がトリガーになっており、
従って、その責任を持つと、明確に言っていますが、
ただし、
それは、個々の人によって、負担する(または内部接続されている)責任は
「異なります」。
従って、個々人によって
>「自分の望んだ事と繋がっている、現象や、心理的な部分はないか」
>よくチェックしなさい。
と、言いました。
しかし、繋がってない部分までをも、ひっくるめて、
「誰もが共同責任者だ」というのは、完全な思考停止状態です。
●たとえば、そういうことを口走ってしまうのは、
「電力は全員が使っていたのだから、全員が責任があるんだ」という
トンでもない詭弁に暴走する人たちに、そっくりである。
まさに、あの東電や、原発推進派が、すぐに言い出しそうな台詞ですね。
おいおい、
騙されていた方に、その全責任を「共同責任だ」として、
背負わせたがるというのは、
いわば「騙されていた方が悪いんだ」という、
「ヤクザや闇金と全く同じ発想」です。
あるいは、
「あの議員や政党の口約を信じて投票したが、こんなことになった。
それは選んだ、お前ら有権者どもが悪い」
という、こういう屁理屈と全く同じです。
悪いのは、有権者ではなく、「嘘つき」の方です。
嘘を見抜けなかったことの責任は、あっても、せいぜい20%です。
●今回の原発問題では、
私は、自分がこの問題に、全く無知だったという事を、
本当に、深く恥じましたが、
ただし、「嘘つきを放置」する気は毛頭ありません。
冒頭に述べたような軽薄なこと
(他人につっかからないと成立しないような自己主張は糞だ、云々)、
としか言えない輩は、
そもそも、そういう者は、日々の生活の中でも、毎日のように、
他人の言う嘘にも、妥協し、自らも嘘で固め、
他人の嘘も、自分の嘘も、含めて、
事なかれ主義で放置してきたゾンビだろう、ということです。
だが、「嘘に対して、嘘と分かった時から、それにつっかかること」の
一体どこが悪いのでしょうか?
否定的意見も含め、建設的意見も含め、
論議を戦わすことの、どこが悪いのでしょうか?
>もしも、多くの日本人に本当の意味での「共同責任」があるとしたら、
>それは、「徹底した論議」から逃げた、ということです。
それがなければ、そもそも、原発問題の隠蔽も、マスコミの衰退も
起きなかったのですから。
しかも、この場に及んでまで、こんなことを言う馬鹿もいる。
↓
>>(^^)大阪は心の故郷マイソウルです…
>>東京が汚染でダメになっても日本には大阪があるから大丈夫♪。
気流の軌跡をよく見ろよ、アホウ。
その現在の気流に、
現在の10倍以上の線量が乗る可能性があるのであるから。
_______________________________________________
●実際には、自我率の高い人や、知能のある人たちが、
他人の責任をしつこく言い続けることは、有益です。
これをしなかったがために、日本は村社会を作ったのですから。
ただし責任をはっきりとさせ、責任を取らせ、また自分の責任も取り、
その上で、次に行くことが出来ます。
こんなことは社会や家庭で当然のことです。
しかし、実際には、きちんとした、論理的な整合性のある形での
責任追及や、責任を果たすということをせずに、
愚痴りながら、結局は、「責任すらも、ちゃんと押し付けられない」、
この歪んだ精神構造こそが、心理学的に、
>>傷について、誰かの責任にして、ずっと文句をいい続ける自己憐憫。
と呼ばれる対象であり、
こういうのはゾンビが持つ「単なる慢性的な病気」にすぎません。
●たとえば、次のような言葉も、安易に誤解をしてはなりません。
こういうことも、それを言う人が、言葉足らずだと、あっという間に、
希釈自我の人たちに都合よく「悪用」されるからです。
↓
>>傷を避けつづける(そんなことはありえないはずだと言い続け、
>>拒否し続ける)と、人生はそこだけ穴の開いた虫食い状になり、
>>第一誰かのせいにすると、その人に支配され続ける人生になる。
●これは、私がかつて、機能不全家族の問題の時に、何度も言ってきた事です。
これは、患者らの家族内に必ず生じている、
責任回避の癖と、
他人から相手にしてもらいたい願望、
他人から拒絶されることへの恐怖、
「原因への直視」を避けるという、
「歪んだ精神構造」であるわけですが、
ただし、東電や政治家や財界や企業やマスコミの責任を問う、
そういう行為は、こうした「歪んだ精神構造」には該当しません。
実際、小出氏や後藤氏その他の人たちの、なんと冷静で、知的で、
しかも、今までの反対運動への実績がある見てごらんなさい。
彼らは、にわか左翼でもなければ、にわか反原発でもないのです。
彼らは、今までに一環してずっと危険性を指摘してたのに、
私たちが、それに注意を向けなかった、
と同時に、権力がそれを隠蔽していたということ。
そして金で買収された人たちもいたこと。
そしてそれらの原因や、利権の連鎖は、非常に複層的であること。
しかし、その「嘘」と「利権構造」を、最早、知ったのであれば、
「責任を明確化」しようとすることは、
ちっちゃな家族や会社組織の中で、他人に責任を擦り付けているような、
そんな「精神障害」の問題とは、全くの別問題です。
利権心理というのは、構造的には個人と社会とが相似形になっている
部分がたとえあったとしても、
ただし、その人「個人の問題」としては、そのような歪んだ精神を、
最初から持たない人たちも、沢山いるからである。
つまり、その人たちには、批判する権利と能力がある。
●蛇足ですが、
話を、わざと少々大きくしてしまうと、
前述の精神構造は、次のように当てはめることも出来ます。
↓
>神や宇宙が、我々人間に、好意的ではない、だと?
>そんなことはあり得ないはずだ!、と言い続け拒否し続け、
>魂は必ず進化する、神は人間たちを愛しているんだ、と言い続けると、
>世界を認識する「自我炉」は、そこだけ穴の開いた「ダダ漏れ状態」になる。
_____________________________________________________________
●責任を他人に問うことは絶対に必要です。
しかし、責任は、常に「分担」されています。
物事や人が持つ責任とは、常に「全責任」ではなく、
>「どの部分は責任がある」「どの部分は責任はない」という構造になっています。
故に、私は、責任は個々に違うといい、
個々に違うからこそ、個々に違う責任を問い、負うべきであると言い通けています。
■希釈自我の問題もそうです。
私は、その全責任を、皆さん個人に押し付けることは、
到底出来ません。半分以上は、騙した側に責任があるからです。
しかし半分以下は、騙された側にもあります。
騙した側の手口を知り、騙した側の責任を問い、
そして、自分の側の不注意さを分析して、次回に騙されないようにする。
そうしたことの積み重ねによって、
あなたが、生存中の余計な苦痛を、本当にやわらげたいのであれば、
その為には、
>責任を、特定の個人や組織だけに押し付けるのも間違いです。
>ただし「全員が共同責任だ」と言い放つことも間違いです。
つまり、
>>誰かに責任を負わせ、誰かを恨むことで、人は「傷」を直視しなくなる。
こういう事は、「最低ラインに属する希釈自我のゾンビ」のやることであって、
逆に、51%以上の自我率を持つ人たちは、
まさに、「自分と他人の両方の傷を直視し続けたその結果」として、
誰は、どの部分の責任を負うべきであり、
自分は、どの部分の責任を負うべきかという、
>意識的で理性的な「責任の区分と、責任負担の区分け整理」をすることが出来ます。
________________________________________________
●そういうわけで、言いたいこと、指摘したいことは
いろいろとありますので、近日中に、桜の間に書きます。
今回の東北大震災は、単純な「共同責任」なのではありません。
「みんな原発の電力の恩恵にあやかっていたんだから、共同責任だ」などいう、
そんな単細胞的な意味づけで済む問題ではありません。
そうではなく、
「部分的責任」を「個々が自覚」することから、
「個々」それぞれの道が見えてくるのです。
そういう事が分からない希釈自我の人というのは、
こういう時期や情勢になると、
「誰かに現状を、霊的な視点で定義して欲しい」という
毎度おなじみの「依存心」でどっぷりです。
んなことは、「自分の頭」で考えるべきことです。
●また、そもそも、極端に分割された、希釈自我には、
この問題は、解決できませんので、
この先、日本全体が、何かの改善をするとは思わないでください。
その点では、国や社会としては、希望はゼロです。
自我復元をしている、個々の人が、
個々に、自分の作ってきた罠から抜け出すことにしか、価値はありません。
_____________________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(13 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -