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「分割自我復元」
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[135]
■
★分割自我復元★その134 ●自我復元者からの報告●
by:
鈴木崩残
2012/11/02(Fri)20:09:29
自我復元者からの報告
■今回の方は、本当に素晴らしい報告でした。
ちなみにこの方は、今までで、誰よりも、
短期間で、大きな幅の、自我復元をやってのけた人です。
鈴木崩残 様
前回私が、判定してもらいましたのは今年の1月初旬になります。
それから、私は日々復元を行い本当に変化し大変感謝しております。
早速になりますが、変化についての報告とトラウマの掘り出しについて
書かせてもらいます。
長い文になりますが、どうかよろしくお願いいたします。
1回の回収にかけている時間は、正確に計っていませんが約10分ぐらいです。
合計581回(10月28日現在)
□感じられた変化について。
○疲れにくくなりました。
体力がついたといっても良いのですが、
何か、運動などのトレーニングをして体力がついたという感覚とは全然違います。
特に精神的な面での疲労が少なくなったのが大きいと感じます。
あれこれ悩むせいで何もしないうちに疲れることが多かったのに
その、悩むということに対してへこたれ難くなり
へこんでも回復が早くなったので、
どんどん、行動へ移していっている。そんな状態だと思います。
○以前勧めてもらった近所の・・神社、・・神社へ行くと
思考、感情に足をとられにくくなるように思います。
時間にすると、大体ですが一日半ぐらいは、
そういう状態が継続することが多いと感じます。
○ケンカした後でも、すっきりしている。
先日、ガレキの説明会で役所の方と大声で議論になりました。
会話中の冷静さは、私にはありませんでしたが、議論の後の私の落ち着きには驚きました。
以前ならば、こういったけんか腰の会話後はびくびくとしていたと思います。
今回は、しっかりと自分の意見を怒りとともに相手に示せたと感じます。
○他人の目を見て話せるようになった。
以前までは、私は言いたいのに言いにくいこと、
しっかり聞くべき時に聞きたくないことなどがあると、
相手から目をそらして、うつむく癖があったのですが、
今は、そういった場合に意識をすれば、
しっかりと相手を見てやり取りすることができています。
○自分がやりたいこと、思ったことを表へ形として出さなければ、
ストレスとなり、溜まる一方で、それはそのつど解決しなければ、
その後の人生に影響するのだということを感じました。
感じると書いたのは、
まだそれが人生にまで確実に影響すると確信は持てないまでも、
そうなる可能性が高いと思っている状態です。
それは今回ガレキ反対運動に参加して、
自分でビラを製作したりDVDを製作したりする過程でわかりました。
ビラや、DVD、DVDのジャケットに自分のアイデアを思ったままに形にして、
表現する日々はとても困難なもので、完成したものもありましたが、
途中でいやになって中断したものもありました。
そして、中断するものが増えれば増えるほど、
当然ですが後悔やストレスが溜まりました。
以前ならここで投げ出していたのですが、今回は中断したものも再開して、
最終的になんとかですが全部完成させました。
完成するごとに無くなる自分のもやもやした気分を感じて、
今まではそのもやもやを無視し、やっても意味が無いなどと言い訳して
やりたいことをやってこなかったのだと気がつきました。
一度あきらめれば、また同じような場面に会ったとき、
あの時あきらめたけど大丈夫だったじゃないかと言い訳し、
結局自分のやりたいことは何もできない人生になってしまう。
そして自分は今までそうやって自分をごまかして甘やかし
自分を弱体化させてきたのだと思います。
〇直近の変化を感じた9月17日から特に大きく変化を感じました。
なにか、感情を抑えることなく、
素直に声に出して外へ発言することが自然とできるようになり、
他人に対して負ける気がしなくなりました。
しかし、なにか力みすぎているという感じがします。
以前は、自分を隠すために必死でヒステリックに大声を出していたのが
今は、自分の思ったことを素直に大声で出している、
(そうではない時もまだあります。)
しかし、そんなに大声で言う必要はなく、
なにかそこには自分を失いたくないという焦りが混じっているような感じがします。
○復元が感じられた日から2日間ほどは、気分が晴れ渡っているような、
何でもかかって来いといった気分が続きますが、
2日ほど過ぎると、また元に戻り、今まで通りの同じ思考パターンの
繰り返しに足を取られる状態へと戻ります。
ただ、足を取られてそのまま終了するのではなく、
立ち直りが以前より早く、そうできる力がついてきたと思います。
また、どっしりと落ち着いている部分が自分の中に、
少しづつですが増えていく感じがします。
〇がれき反対運動をやっているのですが、
市長のあまりの横暴な行動と行政の卑劣なやり方、態度に心底腹が立っています。
今まではこんなに人を憎めたことはありませんでした。
腹が立っても、どこか自分の人を憎む気持ちに「嘘くささが残る」
そう感じていたのが以前までの自分で、
今は、こんなにも人を憎めるのかと驚いています。
〇人との会話、メールなどのやり取りが変わりました。
今までは、人と対する時の私の言葉、行動は常に相手は自分をどう思うのか?
こればかり気にしていたと思います。
また、メール、言葉の中身のほとんどが、自分を隠すために
埋め尽くされた言葉ばかりだったと思います。
それだけ、中身の無い自分を隠したいそう思っていたのだと思います。
そして自分を隠すためには嘘までついて自分が思ってもいないような
言葉や、
他人からの言葉をそのまま引用して自分のもののように見せかけたりと、
そんな言葉で埋め尽くされた、会話、メールでした。
今はというと、完璧に改善されたとは思えませんが、
自分の言葉が少しずつ出てきていると実感できます。
言葉を出したとき、特にまだ会話よりもメールなどで多いのですが、
「自分の思っていることを吐き出せた」という感触が増えてきました。
ただ、まだ会話というよりも自分のエゴを、周りの状況に関係なく
相手にぶつけているだけと言った発言も多く感じます。
○交友関係が広がりました。
がれき反対運動に関わったというのが大きいのですが、
いろんな方との出会いがありました。
・中略・
そういった感じで、
がれき運動で生活の大半の時間が取られる期間が四ヶ月ほど続いて、
だんだん復元へ集中しなければいけないという心配が大きくなってきたので、
今は、少し運動と距離をおいています。
○動物に興味がわきました。
先日、たまたま近所の動物園にいったのですが
私は今までどちらかと言えば動物はあまり好きではありませんでした。
しかし、動物園で馬やキリンを見ていて、
これまでにないほど、興味がわいてしまいました。
何でなのだろうかと考えてみると、
動物だけでなく人間以外の生物を見て生命というものを感じる。
そんな、感じを今まではできなかった。
その新鮮な感じに驚いているというのが一番大きいと感じます。
猿山なんかは、檻に囲まれて生活する姿が自分を見ているように
思えるというのも多少ありましたが。
その生物というくくりの中には、山とか植物も入っていて、
先日、山に行ったときに、
山が大きな生き物の用に感じる事があったのですが
山は自分が以前より好きだったので、
山についてまた、深く思えるようになったんだな、
というぐらいにしか思いませんでした。
しかし、ぜんぜん関心のわかなかった動物にこんなに興味がわくなんて、
思いもしませんでした。
山や植物よりも動きがあったりするのと、哺乳類であるせいか
人間に近い感じがして身近に感じれるからなのだと思います。
それで、なんとなくなんですが、動物に私が興味を持っている事が
伝わっているような気もします。
馬屋で馬を見ていると、馬が二度も頭を横にして、私の前に倒してきたので、
さわってほしいんだなと思って、なぜてみたりしました。
しかし、さわった後、馬はちょっと不機嫌そうな感じでブルブルと頭を振って、
離れていったのので、気に入られはしなかったのだと思います。
また、その日動物園の駐車場で車のドアを開けて昼食を食べていると、
近所の猫が寄ってきて車の中まで乗って来ました。
偶然かもしれませんが、こんなことは初めてです。
〇滲み書に親しみを感じる日があります。
特に「茶」の字がほんとうにかわいくてしょうがなく思える日があったり、
違う日に見ると凛と感じられたりし、それと同時に親しみを感じます。
変化については、私の観察不足もありますが、こんなところです。
□トラウマについて□
まず最初になりますが、
>>桜の間
>>[105]■ ★分割自我復元★その104 ●地球脱出に不可欠なトラウマの解消●
>>「トラウマの有無を自己診断して下さい。」
を参考に診断した結果は、自分は重度のトラウマの可能性があるとなりました。
私自身、トラウマはあると思っています。
今は、トラウマについては少しずつですが、
空き時間をみつけて掘り下げているところです。
それで、最初に崩残さんが作られた診断表をアンケート形式で答えてみたので、
まずそれを、お伝えいたします。
何か私のトラウマについて、お気づきになられたことがあれば
教えて頂ければと思っております。
よろしくお願いいたします。
>>1::::
>>子供であるあなたに対して、
>>【父親が、あなた、または母親に、暴力を振るったり、怒鳴っていた】
私:
父は、私に対して暴力を振るうことは良くあったと思います。
憶えている限りでは、4〜10歳ごろまでの間続いていたと思います。
ただ、怪我をするような酷いものではなく、平手打ちや、
足を持って振り回す程度でありましたし、頻度も少なかったと思います。
それよりも、怒鳴り散らし周囲を威嚇するほうが酷かったと思います。
父はよく、気に入らないことがあると怒って怒鳴り散らしており
それは、自分に向けられている事ではなくても私はびくついていましたし、
そうやって周りの人間が萎縮することが父の目的だったと思います。
本当に怒りを感じた人間へ直接ぶつける勇気がなく、
たまった怒りを反抗しそうにない人間にぶつけて
鬱憤をはらしていたのだと思っています。
父から母への暴力は無かったです。
そして、父が幼いころに同じような扱いを受けていた可能性は高い思っています。
それについては父の家庭環境を詳しく後で書かせてもらいます。
>>【父親の暴力や横暴さに対して、母親はあなたを守らなかった =安心出来ない母親】
私:
当時、夫婦間で子供を叩いたりして躾、教育を行うということになっていました。
(母が言うには当時アメリカの躾本が流行っていて、
それにそう書いてあったとの事でした。)
父が私を押入れに入れたり部屋に閉じ込めたり、
平手打ちをしたりした事はありましたが
その間、母が止めに入ることもたまにですがあったと思います。
私は母へ一定の安心感は持っていました。
ただ夫婦喧嘩、嫁姑のイザコザでの不満を、
態度や言葉で私にぶつけられたことは多少はあります。
>>2::::
>>■次に、
>>【自分の家の家計が逼迫していたのを、
>>子供時代に心配して、なんとかしようとした】
私:
父は自営業を営んでおりました。
その会社は、私が高校を卒業する頃までは業績があまり振るわず、
夫婦間ではよくお金の事で揉めていはいました。
その事で、私が働いたりする事まではありませんでしたが、
小学3年頃からは親に何かをねだったりはしないようにしていました。
ただ、それは金銭的な家庭の事情だけではなく、
親からよく、
「自分の子供のころは、何も買ってもらえなかった。
そのおかげで、今の子供のようなわがままな性格の子はいなかった。
あの時代は本当に良かった」
と、常日頃から聞かされ、私はその当時の戦後の子供のように
振舞わなければならないと思っていた、
という二つの事情から何もねだらないのが良い事なのだと、
無理やり自分に言い聞かせていました。
しかし、私の内心は何もねだらない子供を演じる事で、
親が子をかわいそうに思えば良いのに、
と常に願っているひねくれた心境で、
今思えば、お金の事を私に言ってもしょうがない、
そんな自分達の事情を私にまで押し付けるのは、やめてもらいたい。
と、私は言いたかったのだと思います。
しかし、母の反応は
何も欲しがらない自立心の高い子供、
手間の掛からない子供、
親を頼る事がなさ過ぎるので、さみしい。
という、全く私の予想とは違う物でした。
>>■さて「1」のトラウマにも「軽度」と「重度」があり、その見分け方があります。
>>仮に、自分にすっかり自信を無くすような形に親から制圧された場合にでも、
>>それに対して、明確に、違和感と反感を持って、
>>徹底して、親に「感情的に怒りをぶつけて戦った経験」がある場合には
>>まだしも「軽度」。
>>心の中でずっと反感の種は持っていても、問題意識も持たず、
>>単なる親嫌い、や、「親を軽蔑しているだけ」で、
>>結局は、事なかれ主義で、今日まで来た場合には「重度」。
私:
15歳頃から、親の支配から「違和感」「反感」を持って
多少戦った事もありましたが、最後は事なかれ主義で来ました。
徹底して戦ったという感覚は私にはありません。
私には幼少期から続く親の言うことは絶対に正しいという、
親からの刷り込みがどこかにあり
親は徹底した金銭的援助で子供を手放さないようにし、
私もそれに甘んじていた。
そうやって、お互いに甘えあいながら過ごしていたと思います。
そして、今から10年ほど前の30歳の頃に無明庵に出会い、
当時「竹の間」でやっておられた、
機能不全家族の問題を参考にさせてもらって、
親から貰った物を全部捨てたり、
お互いに泣くまで何度か話あったり、
実家を出て暮らしたり、
といった感じで親の影響を受けないように努力はしてみましたが、
今思えば私は自分の中にある家族との問題が、
具体的に何なのかはよくわかっておらず
何か人に言われてやっているだけ、という感触が非常に強かったと思います。
ただ、親が子を何時までも手放したくないという態度に
気持ち悪さを感じていた事だけは確かです。
しかし、結果として私にはほとんど変化はありませんでした。
そして、昨年復元の影響なのか、
自分の年金と自動車免許を親が立て替えていたことを思い出し、
直感ですが「これは後々まずいことになる」と思い、
現金で●●●万ほどになりましたが思い切って全額払いました。
気分的には少しすっきりしたぐらいでしたが、
なにか親とのパイプが一本切れ、
影響を受けにくくなったという感触はあります。
そういったことがあったとは言え、
まだ親の言うことに絶対的なものを感じている部分が
ありますので自分は重度のトラウマ有だと思っています。
>>■次に、実際には「1」に類する暴力的な扱いを受けた事実があったにも関わらず、
>>「どうしても思い出せない記憶の時期」がある場合は「重度」の可能性あり。
私:
この項目の重度に自分が当てはまるのかどうか、確信はもてないのですが、
3歳までの記憶はほとんどありません。
残っている記憶は3点ほどですが、
・中略・
>>■または、「1」のような虐待的な事実があったにも関わらず、
>>何事もない平和な家庭だったと、ずっと思っていたか、または、
>>多少の家庭内での荒れはあっても「大したことではなかった」と、
>>甘く見ている場合も「重度」の可能性あり。
私:
これは「重度」であると思っています。
私は自分の家族では特に父と父の母が、人間的に嫌いでした。
それでも、私はそのすべてを憎んではなく
他の家庭と比べたりしながら、そう酷い家庭ではないと思っていました。
しかし、他の家庭と比べること自体が間違っていたと思います。
それではただの我慢比べのようなものだと思います。
今回トラウマを掘り始め自分の中にある父への憎しみが、
こんなにあるのか???と思うぐらいに在ることを思い出しました。
>>■「1」のような虐待的な事実があった中で育った場合でも、
>>人生の中で、自分のしたい事や天職が明確に分かっている場合は「軽度」。
>>30歳から40歳であるのに、
>>未だに「自分のやりたい事」が、あまり明確でない場合には「重度」。
私:
これも私は重度です。私は現在●●歳ですが、
自分のやりたい事が全く見えていません。
いままで、やりたい事をしていたとしても
何かの分岐点や苦悩して乗り越えなければならない時に差し掛かったとき、
親から受けたトラウマがブレーキとなっている形跡を感じます。
そういう時は父の「そんなことやっても無駄」という
馬鹿にしたような態度と言葉に父に馬鹿にされるのではないか、
という焦りを感じたり、
逆にその言葉をあきらめるための言い訳にしたりします。
また、母のとにかく心配する姿に自分は親に申し訳ないことをしている、
とにかく親が安心するように行動しなければならないとなり、
全身が緊張すると言う事もあります。
この二つのことが私の言い訳でもあり、
私の自主的な行動を妨げるようによく出て来る事柄です。
>>■そもそも、毒親が、子供を骨抜きにしようとする時の常套手段は、
>>「痛み」や「恫喝」による「恐怖」「不安」「萎縮」を刷り込み、
>>「親のいう事をきく」ように洗脳し、あるいは「親に逆らわないよう」
>>または「親に同情する」ように洗脳し、
>>子供のことを「自主性」を持たない「サンドバック」に仕立て上げて、
>>自分がその親から受けた不満を、自分の子供にぶつける事だからである。
>>これを親からされた時期が3歳以下の年齢から既に発生していた場合には「重度」。
>>4歳か5歳以後からの制圧だったのならば、まだしも「軽度」である可能性もある。
私:
「自主性を持たないサンドバッグ」に仕立て上げられたのは確かですが、
年齢の部分が3歳以下の記憶がほとんど思い出せないために、ここは不明です。
憶えている虐待、恫喝は主に5,6歳頃から15歳ぐらいまでのものばかりです。
そうなるとここは「軽度」ということになります。
□次はトラウマの掘り起こしについて書きます。□
トラウマを堀り初めてすぐに思いついた場面が
両親と乗っていた車内の場面です。
このときの出来事は、振り返れば、ずっと忘れることなく、
記憶に刻まれていた出来事で、
ここ20年ほどは特別に思い出すことはなかった出来事です。
今回、そのときのことを詳しく思い出しているうちに
私はそのころいつも、自分が思っていた気持ち、心境を思い出しました。
それは、何故忘れていたのかもわからないぐらいに、
当時の私が常に抱いていた気持ちで、
深く心をえぐる様なそれぐらいにつらい思い出でした。
<以下、思い出の車中にて>
車の後部座席に私は上半身を横たえるようにして座っている。
前席では、両親が楽しそうに仲良く会話している。
私は、その間自分の存在をなくすような、
自分の内側にある気持ちが存在しないような、
そんな存在になるように努力している。
自分の言いたいこと、やりたいことを我慢していて
とても胸が狂しい状態だが、
両親はとても楽しげに二人で話している。
>>『その時の、またはその当時よく思っていた心境です。』
私が、いなければ両親はずっとこうやって楽しく暮らしていける。
私がこの人たちの言うとおり、望んだとおりの人間になれば全ては、
うまくいく。
わたしは、ロボットのように、
この人たちの言うことを聞かなければならない。
そうしなければ、この人たちは怒る。
私はそれが怖いし、それはこの人たちに迷惑をかけることになる。
だから、私は今これだけ苦しいが、私が苦しいからこの人たちは、
安心して、楽しんでいられる。
だから、私はこのまま苦しむべきなんだ。
私は本当はこの状態がいやだ。苦しい。
でも、この人たちが私の生活を支えてくれてる、
この人たちがいなければ私は生きていけない、
それは、本当のことだ。
この人たちに感謝しなければならないよ。
だから、苦しくてもそれは当然のこと、義務だよ。
そうか、じゃあこの人たちが楽しく過ごしているときこそ
私は、静かに邪魔にならないように、横でロボットのように、
すべてこの人たちの言うとおりに過ごすべきだね。
僕は、いない方が良かったのかもしれない。
そうだ、いない方がいいんだ。
私が楽しくはしゃいでいるのが、
父には気に入らないことなのかもしれない。
だって、いつもそうだ。
私が、はしゃぎだすと機嫌が悪くなる。
だから、どんなに楽しくてもはしゃぐのも駄目だね。
静かに、言うことを聞いて、楽しそうに過ごさずにいて
もし、楽しくなりそうになったら、
この苦しい気持ちを思い出せばいいね。
もし、機嫌が悪くなって、怒鳴りだしそうになったら、
叩かれそうになったら、
そうなる前にこの苦しい気持ちになっていれば、
また父は、機嫌が良くなるかもしれないね。
これから、ずっとそうしていよう。
そうだよ、この人たちの言っている、
この人たちが認める人間は、
自分よりも楽しいことがなく、
誰にも相手にもされず、
身よりもなく、貧乏で、何を言われても反抗しない。
そして、この人たちの思ったとおりに行動する人間だよ。
もういやだよ。
生まれ変われるなら、親がいない人間に生まれたい。
あしたのジョーのように、生まれたときには両親のいない人生がいい。
そうすれば、自分の好きなように生きても良いんだよね。
そうすれば僕も、きっと自分の好きなように生きれるよ。
そして、こんなに苦しい心境になっているのは、
自分のせいではない、親のせいだ。
私は親の言うとおりにやっているだけで悪くはない。
親はいつか子供が苦しんでいる事に気がつくはずだし、
その時に後悔すればいい。いい気味だ。
(そして、親が後悔する姿を何回も想像していた)
私は、その時まで、このまま我慢してやる。
そして、かなり重苦しい胸を抱えるようにして丸まって
横になっている思い出があります。
そして、その苦しい心境が親からはもう何も言われない所に自分はいる、
親の言うとおりの人間になっている、という思いと同時に強烈な孤独感の中で、
私はとにかく耐え凌いでいました。
しかし、当然かもしれませんが親の態度は何も変わりませんでした。
親がそのころ言っていた私への感想は、
母
積極性のない子供
おとなしくて、よく親の言うことを聞く子供
父
自分で何の計画も立てれない人間
何を言っているのさっぱりわからないきちがいかと思うような人間
(子供なので当然だと私は思う。)
といったところだったと思います。
□「父の恫喝に恐怖していた日々」
父との車中にて(小3〜4年頃、9歳か10歳頃)
父の恫喝は、掘り起こしをはじめて、
すぐにトラウマの思い当たる、ポイントになりました。
それは、日ごろからされており、
私にとっては父といる時は常にいつ恫喝されるのかを気にしながら、
地雷を踏まないように慎重に緊張しながら過ごす時間でした。
恫喝されたことを思い出そうとするときに必ず思い出す場面があります。
<父との車中にて(小3〜4年頃、9歳か10歳頃)>
父の仕事場へ向かう車中でした。
その日は日曜日で私は休日でした。
休日はその頃父が私の相手をするということになっていました。
母は、父が私のこと思い、
休みには必ず子供の相手をしてくれる良い父だと今でも言っていますが、
当時の私はそう思ってはいませんでした。
なぜ、休みの日には父と一緒にいなくてはならないのか?
だって、父は私といてもちっとも楽しそうではなく、
不満ばかり口にしているし、
私にとっても父の不満の言葉が自分への恫喝としか思えず、
全部ではないにしろほとんどが苦痛な時間だ。
と、私はいつもそう思っていました。
苦痛の原因は父が何に怒っているのか、
その理由が私には全く理解できず、
どう、振舞えば恫喝されずにすむのかわからない。
そしてそれを私がわからないこと自体も、
父には怒りの火種となっているようでした。
振り返れば、私は父の言うとおりにしなければならないと、
思い込んで生きていました。
私の父は●●を営んでおり、
サラリーマンのように完全な休みというのはなく、
その日も突然の電話に日曜日であるのに急遽、仕事場に向かうことになりました。
そういったことはよくあって、
私はちょくちょく父と●●へ行くことがありました。
父がその日、私に一緒に●●に行くか尋ねてきた時、
私は嫌な予感がしたのですが、
父とともに●●へ向かうこととしたのを憶えています。
嫌な予感というのもそういった場合にはいつも父の機嫌は悪く
他人から受けた不満を怒鳴るように撒き散らし、
私は恫喝をうけている気分にさせられることが多かったからです。
そういうことが頭をよぎったのでした。
思い起こせば、当時私は常に父のご機嫌を伺いながら接していました。
そうして、車に乗り込み5分も立たないうちに父は激怒しはじめました。
その日の激怒はいつにもなく私へ向けられているとしか思えないものでした。
父「何で偽木もわからないんだ。そんなもの小学生でもわかるぞ」
「あんな人間になったらだめだ、人間のくずだ」と、
すごい剣幕で、もう、狂ったようだったと思います。
自分も小学生だがその偽木がなんだかわからない。
どうしよう。
私も父が恫喝している対象に入っているということなのか?
そう恐怖したのを憶えています。
そして、私も父にとって「人間のくず」なのか、
ということが大きなショックでした。
それを、確かめたくて父に
「小学生って何年生までなの?五年?六年?」と聞いたと思います。
返ってきた答えが良く思い出せないのですが、
私が人間のくずに入るのかどうかは判断できない、
なにかそれを、うやむやに誤魔化したような、
そんな答えだった事は憶えています。
今にして思えば、偽木という、コンクリートで作った偽物のなんて、
私にはわかるはずがありません。
父の言い方はまるで、お前も偽木を知らないから社員と同じ人間のくずだ。
そう私に思わせたい。
そのためにわざわざ語尾に「小学生でも知っている」と付ける。
そして、相手を自分が作った基準の上での人間のくずに仕立て上げて、
社員と同じ種類に括り、
その場の自分の不満の捌け口の対象人物に仕立て上げる。
そういった、手口がこの日だけでなく他でも多かったと思います。
言い方も、私に言っているとしか思えない言い方で、
私の方を見ずに誰に言っているのわからない感じにして、
お門違いのことを私のせいだと感じさせるように言ってくる。
そうやって、本当に言うべき相手に、
面と向かって言うことができない不満を子供へぶつける。
私はそのころまで、父に反抗した思い出はありません。
それどころか、父に脅威を感じてとにかく機嫌を損ねないように
気を使っていました。
ほんとに父が不満をぶつけるサンドバックだったと思います。
偽木の話の後は、
父「相手が何を思って、どうしたいのか、その先の先まで読んで
常に相手の思っている通りに行動できるようにならなければいけない」
「おれはいつもそうやって仕事をしている」
と、これも私に押し付けるように、
まるで私を実際にへまをした社員に話すかのように恫喝してきました。
この言葉は、今でも父がよく使う言葉でもう何度も聴かされていいるのですが、
この日は、特に印象に残っています。
その話を聞きながら私は周囲にある物すべてが消え去り、
たった一人で生きていかねばならないそんな心境とイメージが浮かび、
恐怖と少しの腹立たしく悔しい気持ちがあったのを憶えています。
私はそこでも、反抗はできませんでした。
それよりも、どうやったら父の気に入る人間になれるのか、
そればかり考えていました。
当時、このような恐怖を母に助けてもらいたいと思っていましたが、
私にはその恐怖の原因を母に説明する事は無理でした。
父の言うことが正しいと思っていたことと、
私に向けられていないけども向けられているように感じて、
恐怖したりする事は私が勝手に思っていることであって、
父を責める理由にはなりえないと考えていたのだと思います。
母は父の「殺す」や、「運転中の他車への恫喝」に対しては
「いちいち気にすることじゃないでしょ」と、
静止させようとはしていましたが、
その事で子供が恐怖を抱いているとは思っていなかったと思います。
そうして、●●へ向う途中も、前を走っている車へ
不満をぶつけたりしながら行きました。
父「何でこんなところで曲がるんだ!」
「えーいどこ見て走ってんだ」
「死ね」
と暴言を吐き、そのたびに私は恐怖におののいていました。
この日に限らず、今でも父は車に乗ると必ずそうなります。
何故父は車に乗るとここまで他車を非難するのだろうと考えたのですが
おそらくそれは、
相手が絶対自分の言葉を聞く事はないからだと思うのです。
父が面と向って誰かに自分の意見をはっきりと言った事は
見たことも聞いた事もありません。
そういう父は無意識に走っている車に向って
溜まった不満をぶつける癖がついてしまったのだと思います。
このような関係のない話相手に不満をぶつけて、
それで発散するということは本当に醜い迷惑な行為です。
私はそういう発言をしても相手に迷惑を掛けたと思わない父を軽蔑しています。
しかし、この部分は私もそのまま父をコピーしている節があります。
車中では父のようにならないように口に出さないようにしていますが
心の中では走っている車へいちいち文句を言っている自分がいます。
また、相手の意見に違和感を感じたりしても、何も言う事ができない。
誰かに言われた従いたくもないことに従い、
その不満は家に帰ってから、家族に当たったり、
1人でもんもんと相手が悪いのか
自分が悪いのかという思考を
延々と繰り返したりしています。
そうやって、父の仕事場に着き、私は恫喝を恐れ必死に
偽木を探しましたが、自分が使っているところでもない場所で
見た事もない偽木など見つけれるはずはありません。
父の態度は、私が見つけれなくても当然という態度で
「子供には無理だから、いいよ」と比較的優しくなっていました。
私は、ほっとして探すのを辞めるのではなく今度は
父に褒められたいために必死に探しました。
今から考えれば自分が気持ち悪いですが、本当の事です。
そういう、脅された相手に優しくされると
尽しだす態度を私はずっとやってきています。
□父の恫喝に恐怖した日々
(5歳〜14歳の頃)
朝食のとき、父は常に不機嫌でした。
はしの持ち方、茶碗の位置などを細かく
私に指示するのですが、それは躾というよりも
脅して子供を自分の思ったように動かしたい、
そういう思い出しかありません。
そのときを思い出して私の思ったことを書いてみます。
父「明日戦争になったら、どうするんだ。
急いで食べろ。
爆弾が落ちてきたらそんなにゆっくり食べている暇は無いぞ」
こう言っている時が本当に毎日だった。
そんな怒号の中、朝食を食べる気になるとおもうか?
異常だよ。
戦争を意識して食べる朝食。
戦争が起こったときのために早く食べるというあんたの理由。
これは、父親が子供に教える躾とは思えない。
ただの、脅しだ。
父「急いで食べるために俺はこうする」
と言って、
ご飯に味噌汁をぶっかけて食べる父の食事は本当にまずそうだった。
まねもしてみたが実際にまずかった。
あなたは、そやって幼少期に食事をしていたのだろう
それは、急いで食べなければ、
同居している親族に痛い目に合わされたのかもしれないし
おかずが無かったためにそうなったのかもしれない。
それは、かわいそうだとは思うが私に同じことを
押し付けることはやめてくれ。
そして、父の言葉で強く思い出す言葉は
「お前、何様のつもりだ」です。
これは、父の母である祖母も母も私に対して使ってきました。
ですが、祖母が母の言葉をコピーするとは思えず
父方から受け継がれた言葉なのかもしれません。
私は事あるごとに、「お前は何様のつもりだ」と言われ、
そのたびに自己嫌悪になってました。
親が何か子供に言い聞かせたいことがあったり
子供が言うことを聞かないことがあれば
「お前何様のつもりだ、誰のおかげで生活できていると思っているんだ」
と言っていたのが強く思い出に残っています。
私はそのとき何も言い返せない言葉だと感じてました。
確かに私は一銭も稼いではいない。全部親のおかげで生きている。
そうだ、私は親がいるから生きていれるんだ。
そう思っていたことを思い出しました。
しかし、今思うと
何様であろうとも、良かろうが悪かろうが
自分の思った通りに生きることさえできない人間の人生は、
存在する価値もない。
そんな人間を育てようとするあなた達の言葉に、
人を教育する資格はない。
だいたい、
子供が働いてお金を稼ぎ自分で生活することなど、不可能だ。
万が一、子が働くと言い出したらそれこそ、あんたらは
なんやかんやと理由をつけて、止めに入っただろう。
あなたたちの言っていることは自分の子に言うには無責任すぎる。
自分たちが産んだその責任はどうなるんだ。
第一、子供を産もうとした理由があなた達にはちゃんとあるのか。
そのことは何回聞いても「そこまで考えてもしょうがいない」
という答えしかかえってこないじゃないか。
もし、子供に何か伝えたいのなら子供にわかるように言え。
あなたたちの説明に納得できた思い出はない。
親が仕事で稼いだお金で子供が生活するのはこの国では当然だ。
母へ
昔は子供も働いたとか、自分の当時を持ち出して
「何様のつもりだ」とか言うな。
大体、あなたは幼少期に働いていたわけではなく
働いていたのはあなたの姉だ。
あなたが言おうとしていることは、子供が働くとか
そういうことではなくて、子供に自分の気持ちを伝えたいだけだろ。
論点がすぐにずれていく癖を直せ。
そして、父の「何様のつもりだ」には、
自分が言われて虐げられた幼少期が感じられる。
自分がやりたくてもできなかった、
わが子の子供らしい、わがままが、許せなかったのだろうと思います。
□18歳の頃のトラウマ堀だし
18歳の頃私は高校を卒業したら家を出て自分を一から
すべて無かったことにしてやり直したい、やり直せる。
名前を変え、出身地もすべて嘘をついて変えて違う自分になりたい。
そういう思いを抱いていたことを今回思い出しました。
そう思っている自分を知ったきっかけの一つは、
母に私が大学へ進学する気持ちがないことを、伝えたとき、
母は泣き叫び、その場に突っ伏せて、
「大学に行かないなら、この家を出ていけ」
と言った時でした。
私には母がそう思う気持ちが全くわかりませんでした。
これは、母の人生ではない。私の決めることだ。
この人は私の人生を自分の物と勘違いしている。
気持ち悪い。
そんな気分でした。
それと、同時に自分は
勉強をすると母に嘘をついて全くしてこなかった母には、
辛い思いをさせてしまったと自分を攻める気持ちもありました。
そして同時にここで家を出ることは、
私にとって待ちにまったチャンスだ。
私はずっと親に見捨てられて、
縁を切る事になる機会を待っていたはずだ。
ここで妥協すれば私は駄目になってしまう。そう思ったのでした。
しかし、自分の部屋にもどり荷物をまとめようとすると
恐怖に怯える自分がいました。
ここを出て自分は明日からどうやって生活していけばよいのか
その方法が全くわからない。
今から友達の家に行けばよいのか?そんな友達は私にはいない。
どうやって生活費を稼げばよいのか?
どうやって仕事を探せばよいのか?
卒業までの高校はどうやって行けばよいのだろう?
そうした思いが頭をよぎり、
私は恐怖に怯えながら自分の無力を感じました。
結局、私は恐怖心に負け家を出ることはしませんでした。
そして、そのまま気まずい家族との関係を妥協しながら
何となく過ごし、またそのまま親の支配下へ戻っていきました。
そのとき私は初めて、
自分が親の言いなりになることしかできないということ。
親は私を自分の物だと思っていることに気がつきました。
それと、自分を変えたい、
家を出て親から離れたいと思っていた当時のもう一つの理由は、
父が何かあるごとにびくびくする姿、周りに怒鳴り散らす姿を見て
「自分ももしかすると、今は平気かもしれないが、
何かあったとき、何か重要な自分の身に降り懸かる問題を、
解決しなければならない時がきた場合に、
父のようにびくびくと狼狽して、
その醜い姿と同じようには絶対になりたくない」
そう思っていたからです。
しかし実際に高校を卒業して家を出ることとなったものの、
それは親から脱出するのではなく東京の専門学校に
親の手厚い仕送りのもとで始まることになりました。
それでも、私は親と一緒に暮らさなければ自分の
やりたいような人生が送れると思っていました。
今思えば、私が家を出て行きたかった理由は、親の支配から脱出したい。
親から刷り込まれたのではない、
自分の本当に求めている人生を送りたかったのだ思います。
家を出て、一人暮らしを始めてから
私は自分が何をすればよいのか、どうしたいのかが全くわからないし、
自分ではどうにもできないのだ、ということが、浮き彫りになりました。
自分がどうしたいのかが解らないということは、家を出ても
解決することでは無いとうっすらと気がついてはいたのに、
私の行動を邪魔するのは親の言葉であるのだから
家を出ればなんとかなるだろうと問題を先送りする形でやり過ごして
いたと思います。
そして、家を出た私が始めた事は他人のコピーです。
私は自分がこうなりたいと思える人物に会うと、
その人の趣味や話し方、考え方などを必死にコピーし、
同じようにすれば自分を変えていけると本気で思っていました。
また、それしかできなかったのだと思います。
しかし、結果は何人コピーしても自分が変る事はありませんでした。
それから、ずっと今に至ると思っています。
■最近、自分のトラウマについて感ずいたことを、あまりまとまっていませんが、
パッと思いついたメモも書かせてもらいます。
○父から対人関係を学ぼうとしていた
私は人に言葉、暴力によって攻撃されたとき
どうやって対応していいのかわからなかった。
それを、父の行動から、コピーしようとした思い出がある。
しかし、父に学ぶ物はなかった。
父は、人に対して、自分の意見を主張することはできない人間だった。
にこやかに、対応しているくせに、その人が去れば、
徹底的に貶し、自分が相手にいえなかったことを不満として、
まわりにあたりちらす。
相手の暴力的な対抗に対してもなにも参考にはならなかった。
父はすぐに自分が悪くないと思っていても脅しに負けて謝ったりする。
また、人に何か指示されたり利用されそうになると、おどおどと怯えて、
ものすごい剣幕で慌てふためいて、動き回る。
わたしは、本当に父の様にはなりたくないそう思った。
どうにかして、対人関係において相手にちゃんと意見を言う、
そういう人のコピーがしたいと思っていたし、
そういう人をコピーの対象にしていたと思う。
しかし、気がつくと私は父と同じように、意見の言えない
言っても怯えるために必要以上に声がでかく、
ヒステリーになる。ほとんど、父と同じ道をたどってしまっている。
○過剰に人の事を気にする自分
人の行動を過剰に気にする自分が入る。
今朝、マンションの階段を登っていく人を見て思い出した。
それは、幼少から疑問に思っていたこと
「他人は自分のように、他人と居て不安になったりしないのだろうか?」
「私はすごく不安になる。」
「あの人は自分をどう思っているのだろうか?
私の事を気に入らないのではないだろうか?」
思い出せる範囲では4歳頃、ちょうど幼稚園に行き始めた頃に
自分がそうした心境になることに気がついたことを思い出した。
〇自分は対人恐怖症であると思った。
これが起きたのはいつからなのか?探っている
今のところ思いあたる節がない。
自分が他人と意見が違うとその発言者に嫌われるのではないかと、
異様に気になり怯えて、一人になったとき、
家に帰ってからその相手を心の中や、言葉で攻撃し始める。
特に自分の発言、行動に間違いがあったときに起こる。
その他、他人が非難する人間像に自分が入ると思ったとき非常に怯える。
そして、誰の発言が悪かったのか?相手の行動は間違っていないのか
などと、その状況を検証し自分が怯える原因を探そうとする。
そして、見つかったこと、解消されたことは今まで一度もない。
しかし、今日そう考えている時間が無駄であると思えた。
そうではなく私が今大事にしなければならないのは、
なぜ自分は今怯えてしまうのか?その原因はいつからあるのか?
その記憶を探ることが急務であると思った。
トラウマについてはまだまだ掘らなければいけないと思っています。
とりあえず今の所はここまでです。
■今回トラウマを掘ってみて父の影響が大きいと思いました。
そして、父の幼少期を改めて書き出してみると、
それはゾッとするような時代であったと思いました。
長いですがそのことを書かせてもらいます。
・中略・
□私事になりますが同棲を始めましたので、お伝えします。
彼女について、●●月頃から私は同棲をしています。
彼女とこうなったのは復元の影響とは、私は思ってなくて、
復元をしていない自分であったとしても、
同棲をしていたのではないかと思っています。
が、あえてここで書かせもらおうと思ったのは、
彼女も一応、自我復元の実習者であるからです。
彼女と知り合ったの当時私は今とは別のところに住んでおり、
彼女とは同じアパートの住人同士でした。
そのアパートはキッチンが共同であったので、
そこでよく、会話を交わしていて親しくなったという間柄です。
親しいと言っても恋人同士ではなく、友人としてという範囲でした。
・中略・
震災後のあるとき、数日間、原発事故について会話がはずみ、
私たちは同棲してみようということになりました。
・中略・
しかし、彼女も無明庵の読者であったおかげで、
同棲を始める際に「同棲契約書」を共同で制作できたり
復元に関することや、その他掲示板に書かれたことについて
話し合える環境にあったり
原発、放射能に関しても無関心派ではないので、
家にいてもそういった話題が心おきなくできる、といった、
お互いにとっても、過ごしやすい環境にある部分もあります。
各個人の復元作業については、お互いにほとんど関与することはなく、
やるやらないは個人の自由ということで、やっております。
以上、今回の報告になります。
長い文にお付き合いいただきありがとうございました。
正直、まだ書いていてしっくりと書けない自分を感じるのですが
それも、私の現状と思い送ります。
今後も、日々自我復元に励んでいきますので
最後まで、よろしくお願いいたします。
敬具
■ ●●・●● ■
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -