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[139]
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★分割自我復元★その138 ● ロバートモンローの言う、ルーシュとは何か ●
by:
鈴木崩残
2012/11/17(Sat)06:04:27
ルーシュとは何か?
ロバートモンローが、
説明不足のままに放置した領域。
■「ルーシュとは何か」については、
無明庵の書籍の中では、
>「ひきつりながら読む精神世界」の193p〜198pの6ページで
ざっと簡単に解説されている他、
それが、地球外の存在によって発明された経緯については、
>「分割自我復元理論」
にも詳しく書いた。
おそらくは、ルーシュについて、ディテールの部分でもっとも詳しいのは、
当サイトであろう。
実際、インターネットで「ルーシュ ロバートモンロー」で検索しても、
どれもこれも、正しい理解を出来るだけの基盤がないか、
もしくは「極端に人間本意に捻じ曲げた解釈と推測」しか出来ていないままに、
ルーシュについて語るブロガーばかりです。
地球の過去5000年の現状を見て、この期に及んで、
「愛のルーシュを生産しているんだ」と思い込みたがる「知性の低さ」
には、失笑せざるを得ません。
■ルーシュについては、いかなる意味でも、それを
「人間本位」に考えることは許されず、
そもそも、人間の「希望的観測」や、
「人間はこういう価値のある存在であって欲しい」といった、
色眼鏡をかけていては、その本質は、決して理解できません。
ルーシュは、そもそも地球の人類の側の心身の進化に寄与するかしないか
という点では、「何の関係もない」のであるから。
●そこで、ルーシュについては、前述した、
「ひきつりながら読む精神世界」と、「分割自我復元理論」を
読んでいただくのが筋であるが、
早ければ、年内に、私が出す「新刊」の中でも、
それが何の為に開発されたのかの経緯だけ、説明したので、
読者サービスとして、その部分だけ、掲載しておきます。
ルーシュについては、地球上に現存する中で、
最も「整合性」のある、正確な情報だと思ってかまいません。
■なお、何かの持論を展開して、それを主観として解説するための、
「部分引用」は、しても構いませんが、
出典元である、ここの投稿へのリンクを張らないでの無断掲載は、しないでください。
この投稿のリンクアドレスはこれ。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S139
これは著作権を主張する為ではなく、
それが、どこで誰によって語られた話なのかについて明記する事で、
ネット上での「曲解や、勝手な解釈の合成」が生じるのを避けるためです。
●それでは、2012年12月に発売予定の、
新刊(仮題・『単位分割禁止法』)より、一部の抜粋です。
■「苦痛」だけでは「不幸」は生産できなかった■
本書でも何度か繰り返した話であるが、この宇宙の中で、
とりわけ地球上の生物にとっての事件は「2度」起きた。
宇宙の中でというよりも、
特に「この地球で、その傾向が大きかった」といった方が、
より正しいかもしれない。
そもそも、地球には、無数の「食物連鎖の構造」があるが、
地球人はそれを、「自然界の法則」だとして、当たり前のように考えていた。
「地球の自然は、素晴らしく雄大だ。草木は美しい。
生物たちが殺しあって、食いあうのは、
見ていると、なんだか残酷だが、まー、しかたないじゃないか。
これも神が決めたことなのだろうし、
きっと強いDNAを残す為に、必要なことに違いないんだ」とか、
地球人類は、無理に思い込もうとしていたのである。
ところがどっこい、そもそも食物連鎖というものは、
生物設計の中では、絶対に不可欠なものではないのである。
宇宙では、何かを取り入れて、何かを出すという意味の新陳代謝は必要だが、
何も、いちいち、他の生物に捕食されて、しかも、その時に「痛がる」など
という機能は、本来は必要がないのである。
にも関わらず、食われるときに「痛みを感じる」という機能を追加したのは、
言うまでもなく、「ルーシュの採取」、
すなわち人間から薬品原料を抽出する為であった。
このルーシュと呼ばれたエネルギーは、植物が死ぬときにも発生する。
微量ではあるが、生命体が「過酷な環境に陥った場合」にもそれは発生する。
可動性の「動物」の場合には、植物の何十倍ものルーシュが発生する。
人間を含む生物たちに、「死にたくない」「苦痛は嫌だ」と思わせることで、
かなりの生産量が見込めるである。
しかし、可動性動物や植物からルーシュを抽出するためには、
いちいち、可動性の生物に「外圧によるストレス」を与えなければならない。
たとえば、突然に気温を低くしたり、高くしたりするなどである。
その点でも、いったん「弱肉強食の食物連鎖」さえ作ってしまえば、
管理する側が手を下さなくとも、お互いに捕食しあってくれるので、
それによって、ルーシュは「自動生産」されていったのである。
そのために、地球にはこれほど多くの、
生物の種類と食物連鎖が作られたのである。
何も、地球の生物たちは「誰かの趣味で作られた」のでもなく、
誰かの「観賞用」に作られたわけでもない。
あくまでも、生物間の食物連鎖を複雑にしてゆき、
全生物にストレスを与えること、苦痛を与えること、飢えを与えることで、
生物から感情というルーシュを搾り出すことが、
地球の生物設計の最大の目的だった。
何度も言うように、それらの生物が発生した振動は、のちに加工されて、
別の生命体の心身の健康維持のための「医療薬品」となるからである。
■ところで、快楽であれ、苦痛であれ、それ自体は「不幸ではない」という、
事実を見てみると良いだろう。
たとえば、動物が他の生物に殺されて食われるときに、苦痛が存在する。
また、生物がその生物にとって苦痛になるような、高温や低音の環境を与え
られたらば、その生物は苦しむだろう。怪我や病気でも苦しむだろう。
むろん、その「苦痛そのものから」もルーシュは抽出できる。
だが、もっと大量にルーシュを生産しようと試行錯誤して、
ある方法が発明された。
それが、人間という生物の中に「全体意識の断片」を埋め込むという方法だった。
これをされた側の人類は、どこにいても、年中無休で「不幸」を感じ、
世界と自分の主体の間の違和感を感じ、孤独感を感じ、
世界と自分が合致しない「落ち着かなさ」を感じる結果となったのである。
それも当然のことだ。
もともとは、惑星単位、太陽系単位で、ひとつの意識であったものを、
個人の個体(つまりこれが「自我」)の中に押し込んで、
圧縮してしまえば、常に違和感を感じるという仕組みが出来上がるわけだ。
こうして、地球上の多くの生物の中でも、とりわけ人間だけが、
「年中無休の 不幸生産マシーン」となったのである。
「苦痛」と「不幸」の違いは、次の点にある。
苦痛というものは、前述したように痛感神経によって生まれる痛みである。
たとえば、あなたが、生まれて初めて、誰かに、ぶん殴られたとする。
すると、その最初の被害を受けた時には、あなたは「痛い」と感じるだけだ。
しかし、もしも同じ相手が、次の機会にあなたに手を上げて向かってきたら、
「また痛い目にあう」とあなたは緊張し、警戒し、恐怖し、逃げるだろう。
この二番目に発生する「想像上の恐怖」こそが、
人類やその他の生物に「不幸」を生み出す主な原因となった。
痛みや、過酷な環境それ自体は、「苦痛」を生ずるが、
それに対して、「もう、いやだ」「もう、うんざりだ」「もう、逃げたい」
といった思考と、嫌悪の感情が発生した時点で、
それはただの「苦痛」から自分が「不幸」な状態にあると自覚することで
発生する「別の高濃度のルーシュ」へと成分が変化するのである。
本書でも説明しているが、これを理解するための最も分かりやすい喩えは、
動物たちは、自分たちの仲間や子供が死んでも、人間ほどには悲しまない。
ところが人間は、大切な仲間や大切な人との別れや、死別をひどく悲しむ。
これは「死」という現象そのものから発生するのではなく、
「死」や「離別」を「経験したくない、好ましくない不幸なものだ」
と考えることから生ずる。
「痛いのは、もう嫌だ」「寒いのは、もう嫌だ」「空腹なのは、もう嫌だ」
「死別するのは嫌だ」というこの「もう嫌だ」という思考が発生した途端に、
苦痛はただの苦痛から「自分を不幸だと感じる」という形へと変化する。
地球の無数の生物とそこに、弱肉強食の食物連鎖を作り、それまでは、
もっぱらその自動的なシステムによるルーシュを抽出していた組織は、
この時点で、「極めて効率の良い、苦痛の生産法」を発見したのである。
それが、単なる「苦痛」ではなく「不幸という感覚」の発明であった。
その不幸の中でも、最大級の高濃度のエネルギーが抽出できた手段は、
人間という生物の中に、「全体の意識」を断片化して組み込むことだった。
これによって、眠っている時以外は、人間の感覚には、
絶え間ない葛藤、絶え間ない不安、絶え間ない違和感、絶え間ない断絶感、
という「不満」が発生したのである。
こうなれば、断片化した意識は、元の全体意識に戻るまでは、
決してその不満は解消されない。
にも関わらず、「何かをすれば解消されるはずだ」と思ってしまい、
人間は無数のことを始め、思考し、文明を積み上げ、社会を作り上げたが、
それらはすべからく「不幸に思える感覚」を、より大きく拡大しただけであった。
瞑想などしたり、魔術など行っても、そのほとんどすべてが全く無駄に終わった。
それまでは、生物に苦痛を与えるためには、地球の管理者が、定期的に、
大量の生物に苦痛を与えるような「自然災害を与える」という方法が主に
行われていた。
そして、食物連鎖によって「自動的に発生し続ける苦痛」、
というこの二種類の苦痛しかなかったのだが、
人間の自我に意識の「断片」を埋め込んで圧縮したときから、
この「薬品原料の栽培農園」として地球は、一気にその生産量を拡大した。
しかしここで、ひとつの「大問題」が起きたのである。
それは、地球人類を、そこまで複雑に設計した張本人のチームが、
「その結果に満足して」、この「地球を去った」のである。
(正しく言うと、長期旅行に出たのである)
すると、しばらくの間、この人間を使ったルーシュ製造が続いてから、
ほどなくして、その「作物」や「家畜」としての人間の中に入ることを、
「新鮮な体験」として感じる知性体が、別の宇宙からこの地球を訪れた。
いわば、過酷な労働をしている「家畜」の中に入って、
「家畜体験」をするような、とても「悪趣味なもの」だといえるのだが、
その知性体らにとっては、それまでに経験したことのない、快楽や苦痛を
経験できるという意味で、地球人に入ってみることは、一種の流行となった。
自我という強固な殻の中に、全体の意識のかけらが埋め込まれている、
という「特異な、拷問状態」は、長くそれをやっている側には不幸そのもの
として感じるのであるが、それを「全く経験したことのない側」にとって、
それを、もの珍しいゲームと感じた事は、私も、否定することは出来ない。
なので、私も、この「家畜の立場を経験してみよう」のツアーまでは、
ぎりぎりで、許すことが出来る。
そもそも、人類という「意識の乗り物」は、
何も「面白いツアーを提供しよう」という「サービス精神」から作られたものではなく、
まぎれもなく、「それまでよりも効率の良い、薬品製造のための家畜」
として設計されたのであるが、
確かに、そこには「新しい苦痛と快楽」が経験できる仕組みがあったので、
私は、100歩譲歩して、そこまでならば、まだ許せたのだ。
「感情」や「苦痛」や「飢え」というものを全く経験した事のない意識にとっては、
まぎれもなく、それは「新鮮な経験」だったに違いない。
また、全体から意識が断絶されたことで、自分の内部では、
それまでよりも「個として自由になんでも思考すること」すらも出来たからである。
そこまでならば、私は、各自が契約内容に「同意」した上で、
地球の人間を体験するのであれば、否定はしなかった。
しかし、地球人類における最大にして最悪の不幸はそのあとに訪れた。
管理組織に過ぎないDチームが、人間の意識と記憶の器の乗り物としての
「自我」を「大量生産の為という名目」の下に、切り刻んでしまったために、
人類の体に乗り込んだ主体が経験できる「経験の質」までもが希釈された。
こうなってしまったら、そもそも、高濃度の感情や苦痛と不幸を搾り出すという、
家畜や作物を作ろうとした、根幹的な目的からも逸脱してしまい、
これでは、全くの「本末転倒」といわざるを得ない。
そもそも、人類を年中無休で「不幸」を感じるように設計して、
それによって高濃度のルーシュを抽出するのが目的だったはずなのに、
その重要な「単位」である自我の容量が減らされてしまったのであるから、
もはや、「正常な感情すら発生できない鈍感さ」に人類は陥ったのである。
地球の人類の自我を設計し、そこに全体意識の断片を埋め込んだのが、
「Cチーム」だとすれば、そのCチームが、もしも地球に戻ってきたら、
「Dチーム」の不正な管理方法と、人類の自我の希釈という行為に対しては、
彼らは確実に憤り、Dチームに処罰を与えるか、太陽系から追放するだろう。
なぜならば、それはルーシュ生産の質そのものを低下させたからである。
Cチームが、試行錯誤の末に設計し、その結果に満足した、せっかくの、
その成果を、Dチームは、めちゃくちゃにしてしまったからだ。
むろん、Cチームを地球に呼び戻せば人類の人口は現在の20の1ぐらいか、
少なくとも10分の1にまで減らすことを、彼らは必ず実行するだろう。
そして、人類の全員を「元の容量の全自我」に戻すに違いない。
しかし、それまでの「長い歳月」を待っている余裕など私達にはないし、
そもそも、Cチームが、「いつ地球に戻ってくるかも分からない」のに、
それを待っているほど我々は暇ではない。
(2300年以後になるまでは彼ら地球には戻らないと私は予測している。)
だから、私が開発した自我復元法によって、2012年以後に、
その死後に、地球に戻らない選択を出来た人達が、この時代にいたのである。
全自我ではない、希釈された自我では
どんな魔術や、瞑想や、体外離脱を試みても、その効率は極めて不完全で、
まともに、一人の人間としてすら、生命を経験することも出来なかったからである。
逆に言うと、全自我に戻りさえすれば、
それらの技法、魔術、瞑想は、その「本来の効果」を発揮できる状態になる。
ところで、「死にたくない。生きたい」という種類の感情としてのルーシュは、
人間以外の生物も常に発生しており、それも主力の商品であるのだが、
ただし、この「生存欲」を、あまりにも過剰に発生しすぎるように、
地球の人類を改造してしまったという「反省」から、
西暦2300年以後からは、Cチームによる改善が試みられる予定です。
それよりもさらに約1000年後になると、
最終的には、ルーシュ生産は、地球では「禁止」されます。
なお、新刊の中では、ロバートモンローが示唆した、
KT−95や、Z−55以外の、数種類の、
「エネルギー別の貯蔵タンク」の実例を、少しばかり解説しておきました。
ためにならない補足
●これは、「やめておいた方がいい」という前提で言いますけど、
「積極的・感情労働」を自ら進んで行う、という道もなくはありません。
「ポジティヴに、感情家畜労働を、意識的に行う」ということです。
これは、毎日、数十種類もの「感情の種別メニュー」を作り、
自分がその日一日に、
「どういう種類の感情を、どれぐらいの量を放出したか」を、
明確に毎日のように意識化して、記録し続けて、
その量を増やそうとする作業です。
ただし、この場合、思考の種類や価値観や善悪など全く関係なくなり、
感情の種類と放出量の向上だけが、問題になるので、
結果として、「感情的になる機会」を「喜んで待ちうける日々」の生活となります。
しかし、それが逆効果になって感情を沈静化していまいかねないわけです。
「不愉快な感情」になることを、自ら進んで「よっしゃ、どんとこい」
などと受け入れる姿勢を作ったら、対象との距離が出来てしまうからです。
また、これを基準にすると、どんな醜悪な感情も、不愉快な感情や、
楽しみや、笑いの感情も、それらを区別なく、
「納品物」として扱うようになるために、
社会的には、無法のカオスの状態、または犯罪被害にすら巻き込まれかねないので、
行うにあたっては、覚悟と注意と思慮が必要です。
_______
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