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「分割自我復元」
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[147]
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★分割自我復元★その146 ● 自我復元のおたより ●
by:
鈴木崩残
2012/12/10(Mon)08:50:56
自我復元の報告のおたより
●この方の、トラウマの掘り方は独特です。
というより、対象となるトラウマが「独特のケース」であった事もありますが、
内容も文体の力強さも独特です。
文で説明する事に長けている点で、最初の判定の時から、
群を抜いていた方だったので、個人的に注目していました。
____________________________________________________________
報告内容
・トラウマについて・
私は、前回の判定から(六月上旬)徹底的に、トラウマを掘り出そうと決め、
生まれてから今日に至るまでの記憶、特に嫌だった事や、悔しかった事などを中心に、
毎日少しずつノートに書き出してゆきました。
その分量は、大学ノート二冊と、1.5cmほどの分厚いノート一冊分にもなりました。
(このなかには復元に関する他の内容も多少含む)
前回の報告では、父親から受けた刷り込みや、
暴力によって飼いならされてしまっていたことに気づいたところまででした。
そこから何度も何度も振り返っていくうちに、掘るべきポイントというのが、
おぼろげながらわかるようになったと思います。
そのポイントというのは、
>>考えようとすると、無意識に自分が避けようとする事柄の中に、
>>自分にとっての酷いトラウマがある、ということです。
私の場合、復元を始める前から、父親に対する憎しみの感情というのが常にありました。
そして、父親に関するトラウマは、もともと見当がついていたために、
あっという間に掘れたのでした。
しかし、父親に関すること、母親に関すること、家族全員分の考察をしても、
常に私の中で引っかかり続ける感情があったのです。
それは、私が中学生ぐらいから、常に感じてきた感情で、
「親のない子」のような、不安で、自分は親に捨てられたような感情が、
常に私の行動や価値観の基盤となっていたものでした。
ゆえに、私は常にやや自暴自棄で、
>>自分なんてどうなってもいいというような精神不安定が日常になっていたのです。
復元前の私にとっては、それが「アイデンティティーの大きな要素」でした。
それが一体、どこから来るのか?自我率が・・%の時点では、
父親の冷酷な精神的、肉体的虐待のせいだと思って疑わなかったのですが、
父親の記憶をすべて洗い出しても、
「もう100%、トラウマは掘れました。」とは断言できなかったのです。
そして、つい最近、
母親についてはほとんど特筆すべき点がないことを疑問に思いました。
私の母親は、子供よりも父親を優先し、
私がどんな仕打ちを受けていても、助けてくれない。
挙句の果てに、父親の肩を持つ言動ばかりしている人でした。
そんなこともあってか、私の母に対する思いはとても薄く、
母に気を使う事はあっても、母に甘えたり、頼ったりする事はあまりなかったのです。
トラウマ掘りをしていて、父に関する記憶をたぐっていると、
父親の非道さ、卑屈さ、そして悔しさがこみ上げてきて、
声を上げて大泣きすることが常でしたが、
母の記憶をいくらたぐっても、感情が出てこないのです。
不機嫌で、遠い存在・・・。という感じがするのです。
父親の母、弟の母ではあるけど、私の母、ではない?
その考えに至ったとき、私の記憶の中に、
祖母の妹の「おばさん」と呼んでいた人のことを、鮮やかに思い出しました。
おばさんは、私が3〜4歳で弟が生まれた頃から私が中学に上がるまで、
毎週末、家に来てくれていた人でした。
母は、弟に掛かりきりで、私と姉は、いつも、
おばさんにどこかに連れて行ってもらったり、遊んでもらったりしていました。
特に私は、本当におばさんが大好きで、いつもべったりくっついていました。
おばさんは、私の事を、本当に可愛がってくれ、いつも私を褒めてくれ、
私に肯定的な言葉をかけてくれていました。
おばさんが家にいるときは、父親は私に手を出してこなかったし、
思い切り甘える事ができたのでした。私の唯一の味方でした。
ここまでも思い出した時点で、私はぼろ泣きです。
おばさんの事を思い出そうとするとき、あまりに感情的になって、
涙が出てしょうがないので、少しずつ、掘っていきました。
掘らなきゃ、と思うと、暗い気持ちになり、考えたくなくなりました。
それでも、掘ると、私がおばさんに対して、母に抱くはずの愛着を
持っていた事がありありと甦り、
そして、別れの日のことを思い出したのです。
私が11歳ぐらいで、おばさんが遠くに引っ越すので、
もう家には来なくなるとおばさんから告げられたのです。
私は、泣きに泣いて、おばさんが帰ってからも、一人暗い部屋で、
声が出なくなるまで、泣き続けていました。
そのときの感情は相当すさまじく、
当時の私には、「鬼の館」に一人取り残される・・。
世界が崩壊したような気分でした。
その瞬間を思い出したときは、吐き気がするほどの感情のうねりと、
止めどない涙に驚くほどでした。
それと同時に、それ以降、私に付きまとい続けた、
「親のない子」のような感情の正体が分かったのです。
私は、おばさんを「母」として認識していた、ということ。
その唯一の味方である「母」が、私を置いて、突然いなくなってしまった事。
私の周りに、私を守ってくれる人が誰もいなくなってしまった事。
これが、私の「親のない子」のような感情の正体でした。
それからも、おばさんについての情報を思い出そうとしましたが、
祖母の妹であること、本名しか私は知りませんでした。
・中略・
それに気づいてからすぐのタイミングで実家に行く事があり、
なんと、実家に、そのおばさんから電話がかかってきたのです。
私は電話を代わってもらい、10年ぶりにきちんと話す事ができました。
ほんの10分ぐらいでしたが、連絡を取りたいと思っていたということ、
最後にもらったぬいぐるみを今も大切にしていることなどを伝え、
手紙を書くことを約束し、住所を教えてもらいました。
私の望むことは、実家の都合とは別に、私個人として、手紙のやり取りをし、
その中で、伝えたいこと、聞きたい事を書き、
個人的に連絡を取り続けたいと思っています。
気持ちの整理が付くまで少しかかりましたが、無事に手紙を出す事ができました。
手紙のやり取りの中で、私とおばさんの関係がどうなっていくかはまだ分かりませんが、
自分の中の「母」の記憶が、上書きされるような、そんな気がしています。
復元後の、新しい私が生まれることを象徴するような変化だったと思います。
(父親との関係の変化)
一ヶ月ほど前に、10日ほど実家に帰省したときのことです。
驚いたのは、10日ほどの間に、私の受けたトラウマの象徴的な場所、
状況が次々に現れたことです。
まず、父親との会話の中で、明らかに形勢が逆転していました。
父親が、私に対して、習慣としてオレ論を振りかざそうとしたとき、
私は本当に冷静に感情的になることもなく、父親の感情を逆撫でするわけでもなく、
事実を淡々と述べ、切り返すと、
父親は、「あれ??」という分かりやすい顔をして、
「ああっ、そうなんだ。」と、見たこともない変な笑顔&妙にソフトな
話し方になりました。
それから10日、父親と毎日顔をあわせましたが、終始、そんな態度でした。
父親は、自分の強い態度が全く効かなくなっていることに気づいたのだと思います。
復元をする前まで、私は父親の「あぁ!?」という返事にいつも恐れていました。
そのせいで、壮年期の男性と接するとき、その「あぁ!?」という返しをされると、
反射的にビクついて、媚を売っていたのです。
そんな自分が情けなく、死ぬほど嫌でした。
そのことを自覚していたので、父親の高圧的態度が少しでも見えたら、
「何?どうしたの?」と、一歩も引かず、
カタが付くまで口論したっていいと思っていました。
しかし、父親は、妙にニコニコとして、攻撃的な態度をとることが
一度もありませんでした。私はそれが、信じられなくて、
肩透かしを食ったような気分になりました。
「私は、数十年、いったい何にあんなに怯えていたんだろう?
長い間、私を一方的にサンドバッグにしておいて、
真っ向から対決はしないんだ・・。
自分は強い男なんだと、立派な自己宣伝をあれだけしておいて、なんだそれ?」
完全に父親の化けの皮がはがれ、弱いものには強く、強いものには弱い、
卑屈な人間が私の父親でした。
あまりの変わり身の早さに、「コント」みたいだと思いました。
そして、前回の報告の中でも書いていた象徴的なトラウマのエピソード、
父親に不当に殴られ、怒鳴られ、それを哀れに思った親類の方が、
私にフーセンをくれた、という話の現場である栗園に、
20年ぶりに、私と父と母で行く事になり、まさに、あの現場が再現されたのです。
トラウマ掘りをしている私が、たまたま帰省するタイミングで、
20年ぶりにその場所をたずねていくということが、
偶然にしてはよくできていると思いました。
そこは、古い立派な民家で、あの記憶の中の場所と、
ほとんど変わっていませんでした。
母親が私に、「昔、小さい頃にここに来たの覚えてる?」と、笑顔で聞きました。
私は、「忘れるわけない。よく覚えてる。」と答えましたが、
やはり、母は何も覚えていない。
私は、復元を始める少し前に、
母親に電話で父親の暴力について聞いた事があります。
母「そんなことなかったよ。」
私「ないわけないじゃん。全部覚えてるんだから。」と、私が繰り返すと、
母「お父さんも同じことされたのよ。」
私は、その時点で電話を切り、大泣きしました。
当時の私の自我は1/3で、それ以上、どうする事もできませんでした。
母は、普段は面白い人ですが、シリアスな問題には決して目を向けたがらない人です。
私は、何度も、そんな母の姿を見ているからか、母を頼ることができません。
父親は、そこで何があったかを覚えているようで、
私の発言に耳をそばだてているのが分かりました。
その場所が、私にとっては地獄の舞台だったのですが、
復元後の自分がその場所に行き、父親に危害を加えられることはもうありえない、
ということを自分自身に証明できた気がしました。
さらに、ほとんど音沙汰がなかったおばさんから電話があり、
手紙を書くことになったのは前述した通りです。
・体の変化
(肌について)
ひどい乾燥肌にもかかわらず、メディア操作にまんまと引っかかり、
一日二回の洗顔フォームでの洗顔をずっとしてきましたが、ある日、
「つーか・・・私の肌、洗う前から乾燥してるじゃん!」と思い、
石鹸での洗顔を一切止め、代わりに、乾燥していると感じるときは粘度の高い、
昔ながらの保湿クリームをぬるようにしたところ、
肌のトラブルもほとんど無くなり、
人生で初めて健康な肌になりました。
散々肌トラブルに悩んできて、ほんとに嘘みたいな解決でした。
(体の中の変化)
私は元来、肉食で、脂っこいものが好きだったのですが、
ほとんど肉を食べなくなりました。
たまに、鳥の胸肉のひき肉や、ハム類を使うぐらいです。
夏までは、普通に豚肉などを食べていたのですが、
ある日突然、肉類に対してテンションがあがらなくなり、
肉をたくさん食べていると、体が一日中だるく、疲れやすいような気が
するようになり、肉をなるべく避けるようになりました。
たまたまインスタントラーメンをもらうことがあり、
よく食べていたっけなと懐かしくなり、何度か食べたのですが、
100%お腹を下し、もう体質的に食べられなくなった事を痛感しました。
(顔の印象について)
自我率・・%の時点で、顔のむくみが取れ、顔色が良くなっていたのですが、
日に日に、顔の肉が落ち、シャープな印象になっていきます。
一ヶ月単位で顔が変わっているようで、数ヶ月前の写真を見ると別人のようです。
別人のようなのですが、私の主観としては、どんどん本来の顔に戻っている
という感じです。
今まで、セルフイメージの自分と、鏡に映る自分がイコールではなく、
鏡を見るたびに憂鬱になっていたのですが、
私の頭の中の自分像がどんどん現実の鏡に反映されるようです。
・中略・
体重自体は変わらないのですが、顔の印象が変わったためか、
「痩せた?」と聞かれる事が多いです。
・自分の表現方法における変化
私は、今年の4月から、作品の形で表現することを一切していません。
なぜなら、それまでの自分がしてきたことというのは、
自分が認められたいがためにアートを利用する行為だったからです。
そのことに薄々気づいていたからこそ、
100%アートに身を投じる事ができなかったのだと思います。
自我が復元がされる中で、どんどん、そういう自分を嫌悪し、
アートを汚していると心底思うようになりました。
私から、創作行為を切り離す事はできない、ということは確かですが、
自分自身が、アートを汚す事がない、自我率、もしくは全自我になるまで、
許す事ができないのではないかと思います。
・中略・
実家に帰省したとき、19歳のときに描いた祖母の肖像画を、
手直しする事があったのですが、自我率の差が恐ろしくよく分かる機会でした。
それは細密に描かれた絵で、部分的に直す予定で書き始めたのですが、
直すべきところがたくさんありすぎて、
ほとんど全体に手を入れなければいけないほどでした。
1/3自我の私の絵は、表情がこわばっていて不自然で、
しくじっちゃいけない、凄いと思われたいということばかりに集中しているのが、
絵を通してよく判りました。
私はその絵を描いた頃から、ほとんど絵を書いていないにもかかわらず、
何をどう直したら良いか、筆の運びや、絵の具の選択、など、
ほとんど、なにも考えて決める事がなかったように思います。
それは、当時の私の描き方の手順とは全く違ったものでした。
うーん・・と悩む事は一度もなく、
光と影の現象を画面の上で追いかけているのが楽しく、
あっという間に完成した印象です。
力まないで描ける、ということが、私にとっては新鮮で、
1/3自我のときに描いた絵の上に描くのですから、
嫌でも意識の量の違いを突きつけられます。
判断基準自体が変わっているし、
トラウマも絵に大きく影響しているのがわかりました。
1/3自我の時の私の絵は、
トラウマによって歪められたフィルターで物事を見ている、
ということを物語っていました。
(文章について)
前回の判定のお手紙の中で、
「なんでも文章に書きとめておくとよいでしょう」、
という崩残先生のアドバイスをいだだいてから、
毎日、頭の中に浮かんでくることを、残さずノートに書き写すことを
するようになりました。
日ごとに、頭の中の考えを、同時通訳のように文章にできるようになりました。
すると、頭の中でぐるぐると考えているより、文章にして書いているときに、
トラウマの原因がひらめいたり、記憶が甦ったり、
自分を納得させられるような考えにたどり着いたりするようになりました。
今でも、私の中では表現という出口を求めている何かがあるのを感じます。
文章や、言葉というのは、私にとって、非常に相性のいい素材のようです。
ノートを見返すと、自分の自我率によって、
文章がどんどん変化していくのでよく判ります。
数ヶ月前の文章と現在の文章を、客観的に読み比べ、
それを書いた人を想像すると、まるで違う人物像が浮かび、
自我率の変遷をみるようです。
(料理について)
料理も、私にとって非常に重要なものになりました。
一日一時間から二時間は必ず料理をします。
好みも、数ヶ月スパンで、
食の好みがどんどんあっさりしたものに変化していきます。
お気に入りレシピの新陳代謝が早いです。
私が、毎日料理をするようになって半年がたち、
食材や調味料の性質がある程度、わかるようになったのもあり、
料理の質が向上するのはもちろん、日々の料理を通して、
自分の変わってゆく価値観、集中力、味覚、色彩、食感などの、
バランス感覚を計ることができます。
それら全てが、出来上がった料理に反映されていて、
なおかつ美味しいのですから、毎日の楽しみになっています。
(対人関係の変化)
対人関係の変化が、自我率の変化と比例していて興味深いので報告します。
私が復元をする前の二年間、私はある人の事を、異常に几帳面で、
怖い人だと感じていて、なにを考えているのか全く分からず、
ひたすらに失礼のないようにすることが、当時の私にできるすべてでした。
その人と会話をするとき、蛇ににらまれた蛙のように、
極度の緊張に襲われていました。
しかし、決して私に対して敵意があるわけではないのです。
それがわかっていながら、どうしても緊張してしまい、ストレスに感じていました。
そのころから、一緒に食事をすることがあったのですが、
復元前の私は、あまりの緊張で、なにを食べていても、全く味が分からず、
全く楽しめませんでした。
しかし、復元をしていく中で、その人との食事が楽しくなっていき、
話が会うようになり、緊張しなくなっていきました。
今では、定期的に会って話す知人はその人だけになりました。
不思議なことに、今では、その人の言っていることは全くおかしくないし、
悪い人でも怖い人でもなく、私の周りにいる人のなかで、
理論的で一番まともな人に見えるのです。
その相手の人が全自我かどうかは、私には分かりませんが、
おそらくは一般的な人よりも高い自我率なのだとおもいます。
復元前の私は、その人のいつも全力のパワーが受け止めきれず、怖いと感じていたし、
人を見るときの、その人のまっすぐな視線が刺さるようで、
自分が恥ずかしく感じました。
自分が復元前に感じていた、高い自我率を持つ人間への恐れ。
それを思い出すと、自我率の高低が人間関係にもたらす力関係が、
すぐに理解できました。
復元前の段階では、その人との会話すら成り立たなかったのが、
自我率が上がるたびに、その人の言っていることがまともで、
復元前の私含め、その他の人が理論的ではない、と思うようになりました。
(自分に対する考え方について)
・・%と判定していただいた頃は、どんどん改善されていく自分が楽しく、
浮かれていた部分もありました。
今は、それとは逆で、自分に対して、ものすごくシビアな自分が、
どんどん強くなっていると感じます。
それは、原型自我を基準に物事を、自分の未来を考えるようになってからです。
100%が完全であり、それ以下は不完全。完全は不完全なものとは、
別次元といってもいいほど、天と地ほどの差がある。
心底、そう思えてから、復元のモチベーションも一気に上がりました。
復元前の私は、自分に手加減するということを、
無自覚にやり続けたことで、自分を見失ってしまった。
もう、二度と、そういうことはしたくないのです。
本来の自分を返して欲しい、いや、絶対取り戻す 。
最初に禅書、「・・」という字を注文し、「・」という文字も書いていただきました。
あの字は、私にとって特別な字で、あの力強く、謎のある「・」
という字のような人間になりたいと、書を見るたびに思っています。
長い文章を読んでいただいて、ありがとうございました。
自我判定、宜しくお願いします。
*********
トラウマ掘りに関するアンケートを書いてみましたが、
前回の報告は6ヶ月前と、かなり前なので、
私がトラウマ掘りに関して意見を寄せていいものかどうか、やや躊躇しました。
今回の報告に含まれるトラウマ掘りの記述を読んでいただき、
判断していただきたいと思います。
>トラウマをどうやって掘ったか(掘り進めた手段やその過程)、
ノートに嫌だったこと、悔しかったことを中心に、
少しでも思い浮かんだことはすべて書き出しました。
生まれてから現在までのことで、怒りや涙などの感情が出るところは、
重点的に、場合によっては数ヶ月おきに洗い出しました。
最初は、自分でも予想していた父親から受けた、
精神的・肉体的虐待について書き出し、泣き、叫びました。
本当に、苦しくて、自分の中の悪霊が正体を暴かれて苦しんでいるような、
異様な感情の出方でした。
そんな日が何日か続き、そのことを振り返っても、もう涙が出ないというのが、
現在の自分の中に消化できたというサインだと私は解釈しました。
しかし、それでも、私の人生に染み付いた、
「親の無い子」のような感情が、まだあることに気が付きました。
最初は、それも父親の虐待、母の傍観のせいだと思っていたのですが、
その感情が、あまりに強烈に染み付いていて、
私のアイデンティティーの大きな要素にまでなっていたので、
「こんなにあっさり解決するものかな?」と疑問に思い、もう一度、
ノートに書きながら、感情を追いかけていきました。
「母に対する感情がほとんどでてこないな」
↓
「そう、まず、父親の母親、次に弟の母親、
私の母って感じはあまりしないな。」
↓
「ん?私、小さい頃、母親以外に世話してくれてた人がいたよね・・・。
その人のこと掘らなきゃ。」
↓
「私は、一緒にいて安心できる、守ってくれるその人のことを、
母親よりも慕っていた・・・。
実際の母は、いつも少し遠くにいた。」
↓
そこで、その人が、もう来なくなってしまった日のことを思い出しました。
世界が崩壊するほどのショックを受けた自分がそこにはいて、
現在の自分もそれを追体験しました。
その感情の激しさから、その日が私にとっての、
大きなトラウマを負った日だということが分かりました。
>どうして掘ろうと決心したか、
私は、ほとんど毎日、自分の考えていることをノートに書く習慣があり、
4ヶ月間、ずっと過去の感情を探していたように思います。
なぜなら、未来のことを考えようとするときに、
>>何かをイメージしようとするとき、その動機が、
>>過去の嫌な記憶が根底にあるような劣等感からだったり、
>>復讐心からだったりしたので、なにか清算できていない記憶がある限り、
>>純粋な自分の理想を想像することができないと感じたからです。
>その掘り進む過程で、あるいは掘った結果として、
>トラウマというものについて、どう思ったか、
>>本当に重大なトラウマ、重要なことというのは、
>>自分自身が見逃している、フタをしてしまっていることなのだと思いました。
自我率が上がってくると、自分の感情とは別に客観性を保てるので、
何かがおかしい事に気づくことができ、
トラウマを掘れるようになるのだと思いました。
>そして、トラウマ掘りが進まない人に対して助言があれば、それを。
私がトラウマ掘りや、過去の自分のおかしな考え(妄想)を見つけるたびに思うのは、
過去から現在にかけて構築してきた自分をとるのか、
現在から未来に生まれて育っていく自分を選ぶのか、ということです。
重要な問題点を探る前に、自分の中で、
「どっちをとるの?」と、選択を迫られるように思います。
つまり、今までの自分にしがみつき、
今までの自分が否定されるような事実は見ないことにするのか、
それとも、今までの自分が全否定されるような事実がそこにあったとしても、
それを認めて、場合によってはそれまでの自分を捨てて、前に進むのか。
自我復元に出会ってから、
過去の自分がしがみつき続けた妄想を捨てるときにも何度も出てきた問いです。
復元をするにあたって、非常に象徴的な問いだと思っています。
______________________________________________________________
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