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「分割自我復元」
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[149]
■
★分割自我復元★その148 ■ 【・おたより・】 ■
by:
鈴木崩残
2012/12/15(Sat)11:25:53
自我復元に関するおたより
自我率は・・%、・・%UPとのことで、
自分の復元方法が間違っていない事、
大きな減速は起きていないことがわかり、ほっとしました。
今回、このタイミングで判定依頼を出そうと思ったのは、
自分のトラウマが、おおかた掘れたと感じたからでした。
自我率が上がっていても、トラウマが掘れていなければ、
いずれ減速し、復元が行き詰まってしまうと考えていたからです。
崩残先生にも、お手紙の中で、「おばさん」の記憶に行き当たった事を、
「よかったですね。」と言って頂き、
自分の中での胸のつかえが取れたように感じました。
崩残先生に判定のメールを出した直後に、祖母の訃報を知りました。
実は、祖母が亡くなる前日に、夜、呼びかけをしていると、
祖母の顔が浮かんできそうになり、呼びかけを止めました。
そして、その日の夜に、祖母の夢を見たのです。
内容は、祖母がバスに乗るために、
私がそのバスまで祖母を連れて行くのですが、
タッチの差でそのバスを乗り逃がしてしまう、という夢でした。
その夢が、あまりにもはっきりして、忘れられない夢だったので、
急遽、数日後に実家へ帰るバスをキャンセルし、
次の日のバスに乗りましたが、祖母の最後に立ち会うことはできませんでした。
祖母が亡くなった日、時間帯は夜中でした。
丁度その日、私が寝る前に呼びかけをすると、
どうしても祖母のイメージが出てきてしまい、
そのイメージを払いのけようとしても、何度も祖母の顔が出てきました。
私は、「死ぬ運命にない人に呼びかけても、自我はもらえない、
だから、自分が呼びかけた事が原因で誰かが死ぬ、ということはないはずだ。」と、
頭では分かっていながら、どうしても祖母の自我をもらうことを
イメージすることはできませんでした。
その日は、呼びかけを断念しました。
これまで、「死に行く方々から自我をもらっている」、という感覚が、
実感としてはあまりありませんでした。
顕在意識と眠りの狭間で行っていることだから、
夢の中の出来事のように思っている節があったのですが、
今回の祖母の一件で、本当に死に行く方々から、自我を分けて頂いているのだ、
ということを実感しました。
そして、呼びかけの際に浮かんでくるイメージは、
自分が勝手に作り出しているわけではないのだと思うようになりました。
私は、復元で生死の境にいる方々に対して、一年以上呼びかけていながら、
「死」というものについて、接した事が無さ過ぎて、
リアリティーを持てていなかったのだと、思いました。
そして、祖母の葬儀で、15年ぶりに、おばさんに会うことができました。
私の記憶の中のおばさんと、何も変わっていませんでした。
15年の歳月がありながら、私を呼ぶ声は、優しく、
私のことを自分のことのように考えてくれました。
葬儀の二日間、私は、どぎまぎして、うまく甘える事も、
ちゃんと目を合わせることもうまくできませんでしたが、
自分の本当の気持ちは、手紙で伝えることができていたので、
私は焦る必要はなかったし、
おばさんは、私からの手紙を、本当に喜んでいたようでした。
********
送られてきた滲み書、オマケの書を沢山入れていただいて、うれしいです。
滲み書は、どこか荒々しく、勢いのあるタッチで書かれており、
おまけの書は、画面いっぱいに力強く書かれており、
自分に縁がある文字が選ばれているので、どれから飾ろうかと、悩みました。
どの書も、今の自分の好みとぴったりと合っていると感じました。
特に、「・・」と書かれた書に釘付けになりました。
そういうものの美しさが書に表現されていましたし、
私自身にも、とてもフィットする言葉でしたので、
早速、額に入れて飾らせていただきました。
「・・」は、私の自我復元への執念を代弁してくれているように思えてきますし、
この書は、そう遠くない日に、使いどきが来るのだろうと感じました。
********
砂手さんが作ってくださった匂い袋も同封していただき、ありがとうございます。
まず、白と黒の糸の質感が楽しい生地と、割とビビットなピンクの紐が鮮やかで、
目を楽しませてくれ、ミントのようにスッキリと香る匂いが、癖になります。
掲示板で紹介される匂い袋を拝見したときは、
割と渋い色調がベースになっていたように記憶していたので、
同封されていた匂い袋は、思いがけず可愛らしく、
私が普段着ている服や、持ち物の色調に似ていたで、少し驚きました。
年内に、3/4自我を超えるでしょうと予測していただき、
それは他人からの影響を受けない地点であると同時に、
自分個人の内面には、釈然としない不満が沸いてくる領域に入るかもしれないと、
お手紙のなかで書かれていましたが、
最近の私の焦点は、まさにその部分に移行していく気配を見せていて、
「自分自身が納得できるかどうか」、という基準が、
自分の中でかなりシビアになりつつあります。
取り繕うことが精一杯だった、以前の自分では、
考えられない次元の話だったように思います。
と同時に、そのころの私は、自分自身に対して、
手加減なしに生きる事ができる人に憧れていましたし、
子供の頃は、自分はそういう大人になるんだと信じていました。
しかし、1/3自我では満足に周りに拮抗することもできませんでした。
自分には、その力がないことを、薄々分かり始めた頃から、
私の願い事はいつも「自分を納得させられるような、自分になりたい」
という主旨のものでした。
今では、それが「原型自我」という言葉に代わって、
それは願い事ではなく、目標になりました。
これから先、自分自身に「これでいいか」という問い、
そこにまつわることで停滞感がでたとき、
崩残先生にメールをさせていただくことがあるかとおもいますが、
どうぞ宜しくお願いします。
追伸
他の実習者の方々は、呼びかけのときに、
提供者との間でどういった反応があるのか、分かりませんが、
私の場合は、呼びかけのかなり早い段階で、
(「生と、死の中間状態に・・・」のあたりでしょうか)
提供者が横たわっている状態で、その人の顔がイメージとして上がってきます。
そして、文言を唱えている間に、その人の顔の全体の雰囲気がつかめる、
といった流れです。
クーラーボックスに入れてもらうくだりでは、
提供者に自分を同期するイメージで、「自分という自我・・」とつぶやきながら、
・中略・
そのとき、割とはっきりと、その人の「匂い」のようなものがして、
その人の雰囲気が分かります。
ここ一ヶ月で、かなりハッキリと顔が分かるぐらいになりました。
たまにですが、有名人の訃報のニュースを見ると、
「ああ、昨日くれたのは、この人だったかもしれない。」
と思うことこともあります。
今までは、自分の想像を片っ端から当てはめているのだと思っていたのですが、
祖母の顔が浮かんでくるようになった日にちと、
祖母が意識不明になったタイミングがぴったり一致していたので、
やはり、自分の想像だけではなく、きちんと中間状態にアクセスできている、
ということがわかりました。
報告を読んでくださった崩残先生に、うるっとして頂けるなんて、
なんだか嬉しいような、照れくさいような感じです。
しかし、私は、崩残先生に、
お礼をどれだけ言っても、言い切れないほど、感謝しております。
なぜなら、復元に出会う前の私は、年中精神不安定で、
ほとんどまともな人間ではありませんでした。
自分自身に苛立ち、自分に攻撃的になっては、絶望していました。
あまりにも無力な自分を自分だと認めること、
許す事ができず、気が狂いそうでした。
その気が狂いそうな胸中を自分なりの方法で表現すること、
それが、十代の私をつなぎとめている唯一のものでした。
18才から、一人暮らしをするなかで、私は、「本来の自分」を探し、
見つけ出すことが、ライクワークのようになっていました。
過去に書かれた本の中の言葉や、
自分を納得させながら生きていると思う人の言葉、態度から、
なにかヒントが無いものかといつも探していました。
自分がこれは!と思う言葉やイメージを集めたノートを何冊も作っていて、
願望実現法、自己暗示などの本も手当たり次第に読んでいました。
しかし、そんなものは気休めで、現実の世界では、歯が立たないままでした。
そんな自分で生きていかなくてはいけないなら、
このまま恥をさらし続けるなら、死んだほうがマシなんじゃないか、
と毎日思っていました。
今は、私がずっと求めてきたものがなんだったか、ハッキリ分かります。
自我復元法を始めてからの私は、
人生で初めて、自分を自分だと感じられるようになってきました。
そんな当たり前のことが、できなかった頃、本当にあれは生き地獄でした。
一日も早く、原型自我に戻るために、最善の努力をします。
___________
>以下は、私からの返信です。
●読者の方で、御自分のお父様が、病院で意識がなく、数日間危篤だったときに、
自我を分けてもらうように頼んだ方がいましたが、
その方の場合には、そのやりとりが、
実際には、どうなったのかは分かりませんでした。
しかし今回のそちらの経験ですと、偶発的に、または遠隔透視として、
そうしたイメージが不意に復元中に起きる可能性は低いので、
自我のやりとりと関係があると(断定は出来ませんが)
思っても構わないと思います。
私も初めて聞いた事例で、参考になりました。
●こんなことを言うのもなんですが、
自我復元の方法は、思いついたときには、ほとんど勘で、
その後、理詰めで「理論的には、出来るはずなのだが、、、」と考えて、
作ったものでした。
自分でやってみて、今までに経験したことのない、
それでいて、これは回収できた、という手ごたえがあったので、
そこから全ては始まりました。
私は、中学生のころから精神世界という分野にかかわってきたので、
この業界ウォッチングは、長いので、
ぶっ飛んだ話や、インチキまがいの話も沢山見聞してきましたが、
その私でさえも、呆れるほどに、自我復元法は、
絶対に「変すぎる方法」「御伽噺のような話」だと思います。
しかしながら、皆さんからこの二年に寄せられた、
膨大な量の報告を見て、結果が明確に出た事を確認し、
本当に、良かったと思いました。
ただ、残念ながら、
「こんな、リラックス法があるんだよ」とか
「こんな、美容法があるよ」とか、
「適当に誤魔化して、他人様に勧めること」が出来ないという、
大きな欠点はありますけどね。
実際の復元方法が、あまりにも想像も出来ない奇異すぎる方法だけに。
_____________________________________________
セックスの根本問題について
以下、ある自我復元をされている方へのメールの一部からの抜粋です。
人間が自然体でいられないのは、何も「ありのまま教」みたいなスタンスで、
リラックスごっこをして解決できるものではなくて、
そもそもが、親子関係の中で、自然体になれないように「された経験」
があるからであるのは、言うまでもありません。
ところで、男でも女でも、セックスが苦手になったり、嫌う原因は、
単純に、技術的な問題意識と努力が足りない、という事以外の大きな要因は、
言うまでもなく、両親が「子供に幸せなセックスをさせたくない」と、
無意識に思い、徹底的に「汚らわしいもの」という印象を与え続けた場合です。
ただし、彼らはそれを計画的にする能力はありませんので、無意識にです。
もしも女性が、良き男性と知り合って、心地よいセックスを経験したら
そのような性関係を経験できていなかった両親は、
自分たちの夫婦生活の在りかたを否定されますし、
また、そのときには、娘であるその女性は、
両親の支配するトラップから抜けてしまうからです。
平たくいうと、「子供を出来るだけ、無能で不幸にしておくことで、
自分が安心したがる毒親」というのが、最悪の性教育のパターンです。
●さて、「セックスそれ自体とは何か??」という定義は、
それを「どの切り口から見るか」で異なります。
男が女を支配するための場合もある一方で、その逆もあり、
女が男を支配する道具にされることもよくあります。
もっと言えば、自分たちが、自分の衝動や、性欲や、嫉妬を原因や動機として、
「相手をつなぎとめておく道具にしている」ということに気づかずに、
相手を支配したり、相手から支配されたりしている人達も沢山います。
●生殖行為そのものは、生物学的以上の意味はありません。
また「性欲を満たす」というのであれば、
それはただの「排泄」と、そう変りはありません。
私は、性というものを、不必要に美化はいたしませんし、
逆に、不必要に、汚らわしいと蔑みもしません。
●性が、もっともよく似ているのは、「食」だと思います。
食事も、立ち食いそばを、数分かっくらうように食べるオッサンもいれば、
時間をかけて、丁寧につくられたディナーを食べる人もいます。
食と性は、どちらも、食欲、性欲、という哺乳類の当たり前の衝動ですが、
その二つの唯一の違いは、
食欲は一人で捕食してもいいですが、
性欲は、「二人の同意と、協力」が必要であるという点です。
そういう意味では、現在のそちらのカップルとしての関係は、
食べる食事もお互いの為に、丁寧に、心配りをしてつくり、
また性の領域でも、お互いが自分と相手の両方を気遣いながら、
ギブアンドテイクが出来ているとしたらば、全く問題ありません。
協力的な二人が、二人で食事を作り、二人で食べるのが、
「食におけるコミュニケーション」であるならば、
性も全く同じで、二人が共同で流れをつくり、二人で満足に至るという、
当たり前の共同作業のひとつです。
もっといえば、(喩えですが)、あたかも子供同士が(男女でも同性でも)、
エッチな感覚衝動を発散、中和するために、
友達同士、お互いに助け合いながら、自分も相手も心地よくする、
というだけのことです。
本来は、性欲の満足とは「笑うことと同じぐらい健全な遊び」であり、
「対人関係」の一形態です。
ただし、ここに、
家族や親類に早く子供を作れとせかされる「子作り」とか、
「妻の義務」とか、「夫の義務」とか、
男はどうすべき、女がどうすべきとか、
さらには、セックスをしたという「既成事実を理由(盾)」にして、
相手を所有物であるかのように、支配しようとしたり、
逆に、セックスの相手をしてやったからという理由で、
それを相手に依存する道具にしたり、
場合によっては、暴力的行為の代用品にしたりと、
本来は、子供同士が「性的にじゃれているような有様」
という純粋なことであるべきところに、
「社会的な利害」が持ち込まれたり、
「歪んだ動機」による脅迫に悪用されたら、
その瞬間から、それは、「醜く、汚れたもの」になります。
●また、少し注意が必要なのは、
セックスというのは実は、
「愛情の有無の確認」にはならない、という点です。
もちろん、セックスの時には心底それを楽しみ、
お互いが相手を優しくするというカップルもいますが、
ただし、それだけをもってしては、「相互の関係が良好だ」とは言えないのです。
そういう形でしたらば、愛人とか別居でもいいのですし、
むしろそのほうが、いいケースもあるかもしれません。
逆に、同居する相手というのも、
これまた必ずしも愛情があるから、ではない場合も多くあります。
共に暮らすことにおいて、最も重要なことは、
愛情がどうのこうのではなく「信頼できるかどうか」です。
たとえ、その後に、決裂したり別れることになっても、その時に、
相手に対して、決して卑劣な手段だけは使わないと信じられる人です。
●愛情や、愛着、相手を愛でる心よりも、
「信頼が出来る間柄」であることが、
セックスにおいては、どんなことよりも重要です。
それがまずないと、いくら、熱烈に好いても、
あるいは性格や外見が、自分の好みにぴったりであっても、
それが、ただの「愛着」だけでしたらば、
いずれは、一歩間違うと、ストーカー化してしまう人もいますし、
逆に、憎悪や嫉妬に転じて、凶暴になる男や女がいますので。
●私の持論を言いますと、
セックスは、
>・第一に、「信頼できる人」かどうか、
>・第二に、そういう雰囲気になっても「違和感がないか」どうか
>・第三に、最低限のベッドマナーと「テクニック」。加えて何かの病気を持っていないか。
>・第四に、お互いのスタイルや性格への「好み」(行きずり的セックスも含む)
>・第五に、「好み」よりも強い「愛着心」(正式な付き合いや同居や結婚を望む等)
と、なんと、私の中では、セックスで重要性を持つものの定義は、
「愛情とか、惚れるとか、相手を何かを愛でる気持ち」は、
最後の五番目に位置しているのです。
一般には、「5」があると、いきなり、セックスしたがる人達が大半ですが、
ほとんどのケースで、飽きられた後には、トラブルになります。
「5」なしに、ちょっと好みだったから、と「4」だけでもセックスになる人たちもいます。
●しかし私から見ると、もっとも重要なのは、
一般的にはそうなる条件だといわれている「4や5」ではなくて、
特「1と2」が重要なのです。
1の、信頼性は、相手を観察して「頭」で判断します。
2の、それが自然で正しい雰囲気かどうかは、「直感」で判断します。
「3」も、むろん、とても重要なのですが、
「3と4」あたりは、補足的なものに過ぎません。
「1と2」こそが、相手とセックスに移行して良いか悪いかの「鍵」です。
そちらのカップルの場合には、その最も大切なものをきちんと持っています。
______________________________________________________________
分割自我復元のDVDとCD
●新刊の製品を量産する単純作業では、頭を使わなく済むので、
ひさびさに、5時間以上ある、「分割自我復元」のDVDを、自分で聴いてみました。
あらためて自分で聴いてみると、率直に言って、
「精神世界の中では、前代未聞の革新的な内容」だと思いました。
別に、全然「神秘学ネタ」とか「人々が好奇心を持って不思議がる話」
とか、全く何も展開していないのに、
巷に氾濫している、精神主義と相対的に比べると、
妙に「新鮮さ」を感じました。
●あれを作ったときには、収録することで精一杯でしたが、
今、聴いてみると、
「死後はどうなるか? 転生の仕組みは明確なのか?」といった、
普通の精神世界が、きちんとカバーをしていない部分を説明していますし、
「自我と意識と記憶」についても、他では絶対に類がないほど、
一から、丁寧に、「再定義」をしています。
また「雑談」を収録した部分でも、
これまでの精神世界が標榜した「馬鹿げた宗教の妄信」についても、
無明庵的な視点で、おさらいをしています。
●「分割自我復元」のDVDのテーマは、端的にいえば、
>あなたが、どんなワークや瞑想や技法をやろうが、
>「意識」を高めようとする努力の全ては無駄である。
>そうではなく、そもそもの「意識」が入る「容器」を、
>まず健全な、原型の大きさに戻すことしかない。
この事に尽きます。
●なお、DVDの中では、クーラーボックスの事を言い忘れていますが、
DVDのファイルを開くと、その中に補足説明の文書ファイルがあります。
それと、DVDを聴いたら「呼びかけ」は「布団で横になって」と言っていましたが、
それは、横になっての5分以上の呼びかけをしても、
「眠ってしまわない人に限る」という点の説明が不足していました。
桜の間でも、実践者の人達が助言で書いているように、
「眠くなる」場合には、起きて「座ったまま」で呼びかけをするほうがいい、
というのが結論です。
●ところで、新刊「バナナを創った宇宙人」は、もうすぐ発売になりますが、
それとは別に、
年末年始、皆さんが、時間のあるときに、自我復元をしている全員の人たちが、
「分割自我復元のDVD」を、もう一度、見ることをお勧めします。
時間も本編は3時間少しですから、くだらない年末年始のテレビやネットに
時間を使うぐらいであれば、もう一度、見てください。
↑
これは「性の異端書・三部作」と並ぶ、
【精神世界の異端書・三部作】といったところですね。
●また、CD書籍の方の「分割自我復元理論」もまた、改めて、今読むと、
どうして、自我復元という奇妙な方法が確立したのかという、
その「経緯と背景」「理論」、そして、
そこに至るまでの「無明庵の、約15年の歩み」が、分かります。
これらは、分割自我復元のDVDの中では、語っていない部分で、
なおかつ、重要な説明部分ですから。
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