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「分割自我復元」
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[154]
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★分割自我復元★その153 ■ 「個性」というもの ■
by:
鈴木崩残
2012/12/27(Thu)10:28:30
>梅の間と松の間も更新されています。
新規の自我復元ブログの紹介です
新たにブログが加わりました。背景がとてもステキな色です。
最新記事に、既にコンテンツがいくつかあります。
↓
1987年、私が契約した乗り物。〜分割自我復元法〜
http://jigafukugen1987.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
______________________________
人の「個性」というもの
ある方からのメールに、こんな一文がありました。
>>もともと、誰かと仲良くしようという意識があまり湧かないうえに・・・
●誤解を恐れずに言うならば、この言葉には、とても含蓄があります。
この言葉を見たときに、多くの人が、すぐに誤解してしまうのは、
「誰かと仲良くしようと思わない」=この人は閉鎖的な人だ、というイメージです。
または、この言葉を「他人と群れないこと」や「自立性」と「混同」してしまい、
「あー、自分もそうだ。誰かと仲良くなんかしようとしないから」と思いたがる人です。
または、単なるコミュニケーション障害やトラウマが原因で他人と関われないくせに、
「誰かと仲良くしたいとは思わない」と、虚勢を張って嘘ぶくわりには、
「誰か、この私にかまってください!」の気配を、周囲にダダ漏れしている者などです。
●このメールをくれた方の場合には、まだ若いながらも、
しっかりと、自分なりに、「世渡り」をしてきた人です。
コミュニケーション能力では、うちの読者でもトップクラスに入ります。
私が今、大きな信頼をおいている数人のうちの一人ですので、
閉鎖的では全くありません。
●この「誰かと仲良くしたいという意識があまり湧かない」ということは、
人生の中では、非常に重要な要素で、
かといって、「仲良くしようとしては駄目だ」と思って、
クールになろうとするのは、全く無意味ですし、
また逆に、「仲良くしようという意識を持たねばならない」
という強迫観念も、全く無意味です。
これはその人が持つ性質の一つなのですから、真似ることは出来ません。
●そもそも、一般の人たちが、完全に間違っているのは、
「仲良く」というのは、
「しよう」として出来るものではないという事です。
「仲良く」というのは、結果として「なる」ものであって、
「しよう」としてする「仲良く」という場合には動機は二つしかありません。
1・ひとつは、誰か(特定の誰かである事が多い)に、かまって欲しい
という一方的なわがまま。
あるいは自分が相手を好いているからというだけの理由からの、
「仲良くなって欲しい」という思考。
2・もうひとつは、相手が自分にとって、情報、知識、助言、
あるいは、金銭的、または快楽的な面で、利益があるから、という動機での、
「仲良くしたい」という思考。
後者は、よく自分の心の細部の「動機を自覚」している場合にはマシですが、
この部分が、もしも、全く無自覚だと、
無自覚な嘘つきの、偽善者になりやすいです。
●そもそも、仲良く「する」とか「しようとする」ことなどは「不可能」であり、
「おのずと」気がついたら「仲良くなっていた」というのが物事の筋です。
逆に言えば、その関係は、いつの日か、これまた自然に、
「仲良くなくなっている」ことがあっても当たり前のことです。
仲良くというのは、双方が歩み寄ったり、妥協して、
「操縦」したり「操作」するものではなく、
あくまでも、「結果」なのですから。
その「結果」を成立させている前提となっている利害関係や、
相手への好みの基礎が、もしもその後に変化すれば、
とうぜん結果として、「前ほどには仲良くなくなり」連絡が途絶える、
ということは、同性でも異性でも、無数に経験しているはずです。
●それを、ただ、付き合っているからとか、夫婦だからという、
それだけの、何の基盤にもならない理由で、
無理やり、いつまでも「仲良くしよう」「仲良くすべきだ」と、
自分や相手に無理強いをするカップルや夫婦は、本当に愚かです。
もっと細かく言えば、毎日毎日、その関係性は、変化しており、
関係性が良い日、または良い瞬間もあれば、それほど良くない瞬間もあり、
それは1分単位でも、入れ替わっています。
_______________________________
●さて、今回の話は、そのことではなくて、
「個性」とは何か、についてです。
沢山の、いろいろな人からのメールを拝見していて、
私が「個性」を感じる人と、個性の薄い人とには、明確な差があります。
その差は、一言に言えば、その人の「存在感」なのですが、
この、よく一般に人々が言うところの、
人の「存在感」とか「個性」を説明するのは、なかなか難しいものです。
●私から見れば、その人が自分を説明するときに、その人が、
>「今までに、やってきたこと」
>「今までに、見聞してきたこと」
>「今までに、経験してきたこと」
などを、ただ羅列する人には、私は、個性を全く感じません。
特に、自分の意見ではない他人の意見や情報を模しているだけのタイプは、
私の目には、最も無価値に見えます。
●そして、どういう経験や知識を持っているかという事実関係の自己説明だけではなく、
>「それに対して、今まで、どう考えて、どう行動してきたか」
という説明が加わると、若干ですが、その人の中から、
「個性を伴う一面」が出てきます。
しかし、どういう事を知っていて、どういう経験をして、
そして、どういう事に対して、どういう考えで、どう行動したか、
ということの「自己説明」だけでは、
私は、まだ相手の人に「個性」を感じません。
普通でしたら、これだけ説明すれば、その人は個性を持つと評価されるのでしょうが、
私の視点からは、まだ全く足りません。
●私が本当の意味での「個性」を感じる人というのは、
実は、「過去の事象の記憶」や「過去の言動」よりも、
その人の「存在そのものの方が、際立っている人」です。
しかし、これは「言葉」で説明するのが、本当に難しい。
●たとえば、前述した私が信頼を置く読者の人は、
具体的に言えば、
「・・に興味を持ち」「・・・をめざし」「・・・をしている人」
「過去には・・・をしていた人」「トラウマはこうだった」
という、ひとつひとつの事象がそこにあるのですが、
ただし、それらをもっていて、その人が成り立っているのではない、
というところに、個性があります。
その人が経験してきた事象や、独自に考えていること、
これらを除外しても、なおも残るものがあるというか、
その人の印象というのは、「・・・ の ●●さん」ではないのです。
●分かりやすく言いますと、
たとえば、皆さんは、誰かを思い出すときに、
「瞑想指導している●●さん」「セミナーやっていいる●●さん」
「外見がイケている●●さん」「博学な●●さん」とか、
「・・会社の社長の●●さん」「過去に大変な経験をした●●さん」
「自分に親切にしてくれた●●さん」「自分が愛でている●●さん」
という形で、その人にまつわるエピソードとその人を関連づけているはずです。
つまり、その相手は、「タイトルつき」であるわけです。
「フーテンの寅さん」や「社長の・・さん」みたいなものです。
●しかし、私から見て、「個性」のある人には、
「タイトル」がつきません。
タイトルは、つきませんが、
ただし、それは形而上学的な意味での「誰でもない無垢な意識」という、
そんな大それた意味で言っているのではありません。
しかし、確実に、濃い濃度の「個性」がそこにあります。
●そういう場合、私がその人のことを思い出すときには、
すばり名前で「●●さん」です。
たとえば、私と親しくして戴いている知人が、
プライベートで何人かいますが、いずれも、
「・・をしている●●さん」「・・に興味のある●●さん」ではなく、
すばり「●●さん」という形で、私の意識に立ち上ります。
●これが何を意味するかを理解できる人は、とても少ないはずです。
これは、その人の実体験の経験や見聞してきた物事よりも、
その人「自身」が持つ何かが、存在感として大きいということです。
その人が自分の経験について語るときに、語られる経験よりも、
その「主体の持つ存在感」の方が、いつでも上回っているとでもいえます。
●この存在感を作り出しているものが、
単に相手の人が、私が「個人的に好む個性を持つ人だから」、
という事は、その原因ではありません。
私が個人的には好まない相手であっても、
その存在感がある場合も稀にあるからです。
●個性というのは、単なる経験が作るものでもなく、
現象に対して、本人がどれだけ、生来持っていた自我を駆使して、
それに対峙してきたかの「経験の積み重ねの結果」として、
何かがそこに「結晶」として結実しているものというのが、
私が、その人たちから受ける個性の「印象」です。
おうおうにして、その人自身の人生の中で、
常に「目的」を明確にして、行動をしてきた人たち、
理想主義だと言われても理念を捨てなかった人達に、その傾向があります。
●ですから、たとえば、そういう人は、私の中では、
「武術をやっている●●さん」ではなく、「●●さん」そのものであり、
「音楽家の●●さん」ではなく、「●●さん」そのものであり、
「オカルト趣味のある●●さん」ではなく、「●●さん」そのものです。
「アーティストの●●さん」ではなく、「●●さん」そのもの。
このニュアンスがどう伝わるかは分かりませんが、
たとえばですが、
私の家族の「博士君」は、「猫の博士君」なのではなく、
「博士君」という生き物なのです。
それに比べると「ラインお嬢様」は、まだ「猫の、ラインお嬢様」ですが、
ここ最近は、「ラインお嬢様」という独立した生き物になりつつあります。
●そのようにして、私は、その人達の「個性」を認識していますし、
その個性を、とても敬愛し尊重しているので、
そういう個性を持たない人たちが、口先で言うことや現実にやっていることや、
あるいは、あたかも自分自身を客観視できているような事を言ってきても、
全くピンときません。
むろん、全ての人が、それなりに、それぞれに、
過去に、何かをやってきたり、経験もしてきたのでしょうが、
それでも、私から見ると、「無個性」または「薄い個性」なんです。
●この個性というのは、もしかすると、日本語では、
「人格」という言葉に置き換えることが可能かもしれません。
人格は、「性格」とは、ちょっと「層」が違いますし、
人格は、むろん外見でも、所作でもなく、
人格は、その人の経験から生まれるが、
ただし、ただ経験しただけでは生まれません。
人格は、見聞した知識にもよりません。
私がここで言う「人格」とは「人核」とも言い換えることがふさわしいもので、
一般的な軽薄な人たちが言うところの、
「あの人は人格者だ」とか「あれは人格者でない」という意味とは全く違います。
私が言うこの「人核」とは、
何度も言うように、「・・・の、●●さん」ではなくて、
「●●さん」そのもののことです。
日本語で、これに近いのは、人格よりもむしろ、
「人 柄」という言葉です。
あるいは、
その人に感じる「味」、つまり「その人のテイスト」です。
●つい先日、武友の方の真剣の日本刀を持たせて戴く機会があったのですが、
その時に、手に握った瞬間に、その刀に固有の「人格」つまり、
その真剣の持つ「人柄」「生きざま」のようなものが伝わってくるのを、
初めて体験しましたが、「個性」とは、それにも少し似ています。
それは言葉にはならない、その刀の「生きざま」と「風格」を一瞬で感じる、
という抽象的なものなのですが、それは、とても「確かな感覚」でした。
●たとえば、皆さんは、私のことを、
「無明庵の、崩残さん」とか、
「自我復元を開発した、崩残さん」とか、
「おもしろい話をする、崩残さん」とか、
「自分には、いつも優しい崩残さん」とか、
「厳しく指摘してくれる、崩残さん」とか、
「何かの能力を持っているかもしれない、崩残さん」とか、
「自分に助力になるかもしれない、崩残さん」とか、
「手裏剣を投げている、崩残さん」
さらには、
「バナナを創った宇宙人」を読んだ人たちは、ここにもっと荒唐無稽な、
私に関するイメージが加わったかもしれません。
そういう「何かの利害関係」や「特性」をあらわす「タイトル」をつけて、
他人を分類しているはずです。
●しかし、これらの「タイトル」を全てどけても、
なお、皆さんの記憶の中で「崩残さん」というカテゴリーに入っているとしたら、
その場合には、その人は、私の部分的な言動によってではなく、
私の「ある種の 個性の総体である 人柄(テイスト)」によって、
私を脳内で、他と分類していることになります。
ですから、私にとって親しい人、というのは、
どの人も皆、私の脳内での呼び名は、「●●さん」なのです。
「・・・の ●●さん」ではなく。
もっと、極端に言えば、
「人間の●●さん」ですらない、「●●さんという生き物」という
ほどまでに、個性が満開の人がいたら、それこそが、
私が心底尊重する、その人の「個性」ということになります。
●で、そういう人は、最初の話みたいに、
もとから「誰とも、仲良くしようとしていない」タイプの人に多いのです。
「個性」というのは、そう簡単には、他人と仲良くなどしたがりません。
そういう中で、個人主義や、個人的な完璧主義に徹してきた人が培うものであり、
そういうものを育ててきた者同士の間でこそ、
仲良く「なる」という、「結果としての現象」が、
たまに発生し、やがて消滅してゆく、というのが自然なのです。
【最近の禅書作品】
梅の間にも、動画をアップしました。
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