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「分割自我復元」
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[155]
■
★分割自我復元★その154 ■ ブレインマシーンの視覚化&おたより ■
by:
鈴木崩残
2012/12/30(Sun)21:07:58
●梅の間掲示板にリンクしました「自作のブレインマシーン」を
実際に目を閉じて見たときの「雰囲気」を再現してみました。
ただしエフェクトをかけて色調を変えました。
現物を使った場合には、赤色の光と、それが生み出す、
青緑色の残像が見えるだけです。
なんだか1970年代のコンサートで使っていた照明装置か、
最初期のビデオ・シンセサイザーみたいですね。
もしも画面の中央に「変な表示」が出て目障りな場合には、
右下にある「歯車」みたいなマークをクリックして、
画質を下げてください。
●使用しているBGMは、私の「機械の惑星」というアルバムから
「化学工場」という曲です。(既存する曲のアレンジです)
_______________________________
●久々のワームホールの映像がロシアから届きました。
ずっと探していたのですが、なかなか見つからず、
どうも今年は、出現回数が少なかったようです。
_________________________________
・・・今年の総括・・・
●今年は、松・桜・梅の各掲示板とも、フォントの色を記事の内容や、私の気分で、
いろいろと変えるようになったのがひとつの変化でした。
別に大したことではないのですが、文章というのは文字の色で少し雰囲気が変りますね。
もともとは、文字の色を変えていたのは、
私の文と、寄せられた感想などを「区別」するためのものでしたが、
最近では、私が書く文のフォントにも、色をつけることが増えました。
●さて、今年の前半の見込みでは、年末までに数人、全自我に戻る
というペースを予測していましたが、予測よりもペースが少し遅れました。
ただし非常に遅れている、ということではありません。
このペースでいくと、来年の前半までには、
あと5人ぐらいは全自我に戻る人がいそうです。
●今年、ひとつのテーマとなったのは、「トラウマ」の問題でした。
自我復元法を開始した当時は、眼中になかったのですが、
あらためて根が深いものであることは、
今年のいろいろな人達の報告からも分かると思います。
何度も同じことを言いますが、私もこのトラウマ問題に関しては、
それが自我復元の足をひっぱるのか、
それとも関係なく自我は復元されるのかについて、
何度も皆さんの報告を観察し、熟考しました。
●しかし考えてみれば、トラウマを掘ろうとした時に、
自我率が95%あたりを超えている人であれば、
論理的には、掘れないはずはないのです。
それどころか、自我率が50%付近の人でも、問題意識が明確だった人たちは、
見事に、既に「全部を掘りつくしている人」も何人もいます。
●自我率が95%であれば、キャパシティーとしては掘れるはずなのに、
そこでつまずく、というのは、原因のひとつとしては、
「機会」がないのだろうと私は推測しています。
これはどうにも掘らねば駄目だという自覚をトラブルなどの状況によって促されれば、
その人たちは、自覚的に掘り始めると思います。
ここで、もしも自我率があまりにも低いと、
せっかくトラウマに危機感を持つことが出来ても、
トラウマを掘ることそのものが難航し、または誤認もするのですが、
さすがに95%以上の自我率では誤認や分析間違いはあり得ません。
●ただ、無自覚なウィークポイントを自覚をせざるをえない状況というものは、
私が意図的に作り出すことは出来ませんので、
こればかりは、その人に残された時間の中で、運とチャンスがあれば、
トラウマの問題が浮上することになると思います。
●一方で、トラウマ掘りを無視して、ただ気力だけで、最後の圧力を満たして、
全自我に到達可能か、ということも課題にしましたが、
トラウマ問題は避けては通れないと私は思います。
せっかく全自我になったあとに、人生をフルに生きるのではなく、
まだトラウマに対峙する段階にいる、というのでは、
あまりにも、せっかくの全自我にも申し訳ないですから、
全自我になる前に、さっぱりとしておくに越したことはありません。
●「トラウマを掘った方が良い理由」や、
「自我復元法の改善法」についても、
この桜の間には、私からの指摘ではなく、
自我復元を順調に進めている人達からの助言もありますので、
慢心になることなく、
必ず、その人たちの、今までの試行錯誤を参考にしてみてください。
●前回、新しく自我復元ブログを開設された方を紹介いたしましたが、
また新年・新春には、自我復元ブログに、
さらに、あらたなニューフェイスが登場すると思います。
_______________________________
●話は変りますが、「バナナを創った宇宙人」の前半の「与太話」は、
予想したとおり、「フランクに読めた」という感想が、ちらほら来ました。
私自身があとで読み返しても、すんなりと、物語として読めましたから。
ただ、すんなりと読めるわりには、けっこう、ダークな話がいっぱい、
あちこちにありますので、
数ヶ月して、あとから、じわっと重く、のしかかってくる内容もあると思います。
特に、宇宙で生きてゆくのも、実は、お気楽なものではなく、
広範囲の宇宙を縄張りとして、長く生きている人たちにも、
それぞれに、「大変な苦労があるんだよね・・」というあたりです。
なにしろ、遠い過去に異常が生じて、今もなお「故障中」の宇宙の中に、
私たちの存在の一部は、定着しているのですから。
●私が皆さんに、2012年の締めとして、お勧めしたいのは、
むしろ、「バナナを創った宇宙人」の「後半2/3の部分」です。
今年一年、この「桜の間」で語られた重要なテーマを、
あらためて確認して、意識に叩き込んで「激動の来年」を迎えるために、
年末年始に、もう一度、読むことをお勧めします。
おたより「私はバナナが嫌いです」
■おたよりです。
呼びかけの時の変化ですが、
今まで、個々の反応を感じるということがあまりなかったのですが、
最近は、まるでソナーに反応する魚影のように、
反応があるところから、思い浮かべた地図に
円形の波のようなものが見えるようになりました。
その反応のあったところに行っています。
不思議なのは、最近集める自我が、半固形なことです。
以前は、液体状だったのですが、
ビンに回収するようにしてから、半固形になりました。
まるで丸いゼリーのような感じで、色もそれぞれ違います。
色は大体、半透明で、パステルカラーが多いです。
私には、人物像は見えないのですが、
このゼリーのようなものは、人によって、色も、大きさも違います。
たまに、風景が見えるような気がしますが、はっきりしなくて、
よくわかりません。
寒そうだなとか、秋のイメージだなとか、それくらいしかわかりません。
・中略・
>>・感情について
いろいろな人の報告と同じように、
最近「感情」が激しくなりました。
私の場合は、特に「怒り」の感情が激しいです。
ただ、感情自体が激しくなったのではなく、
感情を誤魔化したり、見ない振りをすることに、
危機感にも似た違和感を感じるようになりました。
まるで、センサーの感度が上がったような感じです。
そして、吐き出すと、それは消えていくことも初めて実感しました。
今まで、感情を吐き出す以前に、感情にふたをして、
見ない振りをして、逃避していたので、知りませんでした。
怒りの感情は、暴れ出すと、おなかにものすごく負担がきます。
吐きそうになる怒りもわいて、
こんなに激しいものが自分の中にあったことを、
気が付かずにいたのが、今では信じられません。
子供の頃、どうしようもない焦りを感じて眠れなかったのは、
私からの、救難信号だったんだと、今は思います。
この感情が激しくなったのは、やっと、
自我を使えるようになってきたからなのかもしれないです。
・中略・
>>・他人の意図がとても気になるようになった
何をしていても、ふと、
「この人は、なぜ、こう言うのだろう?」
「この人は、何を伝えたくて、こういう行動をするのだろう?」
と、自分の言動はもちろんなのですが、
他人の言動の「発生源」を探そうとするようになりました。
そうしたことをするときは、いつも「何気ない違和感」がきっかけになります。
先日、崩残さんに読んでいただいた、あの感想の文も、
最初は「・・・。なんか、へんだな・・・。」
という、違和感から、生まれたものでした。
この違和感を、自覚するセンサーは、とても大切なものだと考えています。
いままで、私が、ないがしろにしてきたものだからです。
「気にしすぎ。」
と、両親からの刷り込みで、ずっと勘違いだと、自分に言い聞かせてきたものです。
これが正常に働かないのは、トラウマのせいもあるでしょうし、
自我率の問題でもあるのだと思います。
・中略・
>>・やっと、スケッチブックに絵を描けるようになってきた
自我復元を始めた当初から、わたしは、まともに、
スケッチブックを描くことが出来ませんでした。
なりたい自分が全くイメージできないからでした。
この間、やっと、絵を描くことが出来ました。
やっとスタートできます。
・中略・
>>・パソコンを購入したときの事
「バナナを創った宇宙人」が発売される前に、どうしても欲しくて、
型落ちの安いノートパソコンを買いました。
やっと、これで、自宅で好きな時にDVDが見れるようになりました。
予算が決まっているので、中古でもいいかなと思いましたが、
どうしても納得できず、3回くらいお店に足を運びました。
結果的に、新品の、満足いく商品に出会えました。
また、プリンターも満足のいくものを購入できました。
今回の買い物で意識的に明確にしたのは、
「パソコンで何をしたいのか?」
ということでした。
どうしてもタブレットが最初は欲しかったのですが、
この「何をしたいのか?」ということを明確にすると、
その衝動が、「いつもの危ない散財なのではないか?」との考えに至りました。
タブレットでするより何倍も効率よくやりたいことが出来るノートパソコンに、
最初は全く意識が向いていなかったのですが、
「タブレットじゃネットぐらいしか私には使えない。」
「必要ないのではないか?
ならば場所も取らないノートパソコンにしたほうが絶対いい。」
となり、ノートパソコンを探すことになりました。
ここで、気が付いたのは、
今まで、私は何かを買うときに、
「何に使うのか?本当に必要なのか?」
と自問することがほとんど無かったということです。
今までは、
「欲しいんだから買うでいいじゃないか」
「欲しいんだから、必要なんだよ。」
と、考えていたことに無自覚でした。
そんな考え方をしていたら、
散財して無駄なものを買ってしまって、当然です。
その、「欲しい」と言っているものが、
何者なのか、全く考えたことがありませんでした。
これこそ、私の中のトラウマが言っている言葉でした。
「どうせ、何を買ったって、私には使いこなせないんだし、
欲しいもの買って、うっぷん晴らししたらいいじゃないか」
気が付けて、本当によかったです。
結果的に本当に欲しいものがちゃんと手に入りました。
この、パソコンの件から、買い物には、慎重になり、
一つ買うにも、時間がかかるようになりました。
ただ、必要もないものを買ってしまうことも激減しました。
今回の、この「自分」という、乗り物も、適当に選んでしまった結果なので、
慎重すぎるくらいで、今はちょうどいいです。
・中略・
>>・言葉の選び方が変わっている
最近、言葉の選び方がシビアになっています。
このメールを作っていて感じたことですが、
以前の私は、「〜だと思います。」という言葉を多用していました。
think と feel では、ニュアンスが違うのに、
今までいっしょくたに「思う」でまとめていました。
下書きの時点でも、多用していたのですが、
「これでは、正確に、相手に伝える努力が足りないのではないか?」
と考え、言葉を変更しました。
ですので、以前書いた文章を見ていると、
手直ししたいところがたくさん見つかります。
普段、送るメールも、言葉選びが変わったせいか、
「まるで別人が書いてるみたいだ」と感じることがあります。
・中略・
>>5−客観性のある「身体」の変化
いろいろな人の報告にあるように、姿勢がよくなったと思います。
とくに努力して「よくしよう」としたわけではないのですが、
猫背になってると気持ち悪くて、背筋を伸ばすようになったからです。
そのおかげか、呼びかけ、回収時の姿勢も、
猫背のままだと、気になって、できなくなりました。
また、風邪をひきにくくなりました。
いつの間にか、風邪が流行ってて、職場の人がみんなマスクをしていた時期も、
全く関係なく、元気でした。
わたしは、結構体が弱く、すぐに風邪をひいたりしていたのですが、
最近は、まったく無縁です。
・中略・
>>6−その他の「ユニーク」な変化
・片づけが上手になった
最近、会社の改装で、ストックなどを全部ひっくり返して、一から整頓しました。
そのとき、以前、自分が整理したときより、
早く、分かりやすく整頓出来るようになっていました。
しかも、一番驚いたのが、
それが、特に苦労もなく出来たことでした。
以前やったときは四苦八苦して、
終わった後の、疲れは結構あったのですが、
今回は何とも思いませんでした。
どこに何を配置しようというのが、
あまり考えなくても、パッと浮かんで、
作業時間も前回の半分以下で出来ました。
以前、片づけた時も、分かりやすくしようと、
努力して、置き場所などを決めていたのですが、
今回、それを見直すと、全然納得いく出来映えではありませんでした。
今回は、なかなか自分でもうまく収納できたと思います。
しかも、そんなに苦労しなかったのが自分では驚きで、
なんであんなに苦労したのだろう?と不思議に思うほどです。
>>・臨時収入があったこと
これは最近気が付いたことなのですが、
臨時収入が7月の終わりごろにありました。
金額にして●万円ほどでしたが、
そのお金で、私は新居の家具を買いました。
引っ越し費用で家具を買う余裕がなかった私には
とてもありがたい収入でした。
その時期というのは、トラウマを掘っている時期のなかで、
「死にたい」とか、「こんな私は嫌だ」と、戦っていた時期で、
ピンク色の崩残さんが、様子を見に来てくれた時期でもありました。
このお金で買ったベッドと、棚のおかげで、
私はほっと出来る家を手に入れました。
・中略・
>>■トラウマについて
・バナナ嫌いについて
私は、バナナが嫌いです。
なぜ、嫌いなのか今まであまり考えたことはありませんでした。
新刊のジャケットを見ながら、考えていて、
理由とおぼしきものに行き当たりました。
味が嫌いなわけではありません。むしろ好きです。
匂いが嫌いなわけでもありません。
触感は若干、嫌です。
でも、一番嫌なのは、バナナの形でした。
パフェなんかに入っている小さく切られたバナナは、
特に嫌悪感なしに食べられます。
でも、そのままの形のバナナを剥いて食べるのは嫌でした。
私は、バナナが嫌いなのではなく、バナナを食べることが嫌なようでした。
なぜ、嫌なのかと考えていくと、
小学二年生のときの、クソガキから受けたいたずらを、
思い出して、嫌悪感が募ってしまうから、嫌いなのでした。
それまで、バナナが嫌いだということはありませんでした。
でも、あの事件から、私は確かに、バナナが嫌でした。
文章を書きながら、久しぶりに泣くことになりました。
食べるという行為が、私には、とても気持ち悪く感じることがあります。
なんて醜いんだろう、なんて汚いんだろう。
それも、同じトラウマからきています。
>>・トラウマとはなんだろうか
トラウマ掘りのアンケートにあった、
>トラウマとはなんだと思いますか?
という質問に、きちんと答えられていなかったので、考え直していました。
トラウマを掘る前のトラウマに対する印象は、
「お母さん、ごめんなさい。だからぶたないで。」と泣く子供だったり、
そういう夢にうなされる人でした。
ドラマとか、マンガとかでみた、「トラウマを持っている人だ」でした。
でも、それは、正確には
「トラウマを乗り越えつつある人」じゃないだろうかと思います。
そこまで、自覚があるのであれば、
トラウマって乗り越えているんじゃないだろうか。
あんなに、はっきりわかっていたら、感情が出てきているのであれば、
きっと自我復元をしていれば大丈夫だと思う。
問題になるのは、トラウマ自体を自覚していないことです。
実際、私は、トラウマを持っていますが、
全くそれに無自覚で、その原因のトラウマにも無自覚で、
だから、湧いてくる感情にも、気が付きませんでした。
自分でも自覚できていない回避行動が起こることも多い。
そして、それに「気が付かない」。
回避行動が「当たり前」になってしまっているから。
だから、とても厄介なんだと思います。
今回気が付いた「バナナが嫌い」なのも、今までの私にしてみたら、
特に疑問に思うものでもありませんでした。
でも、今の私にとっては、トラウマからくる回避行動です。
回避行動だと、「認識」しているのと、気が付かないでいるのとでは
全く意味が違います。
当たり前だと、思っていることを、「おかしいぞ」と、
気が付けるようになるのは、自我復元じゃないと無理です。
他人に言われて気が付くこともできるとは思いますが、
そこに「危機感」は持てない。
こう考えていくと、トラウマとは、やっぱり化けものだと思います。
ただ、それ自体が、悪さをするのは、
私自身が、トラウマを無視しているからです。
自分の中にいる「子供の怪我」が
「トラウマ」というと私にはわかりやすいようです。
そして、その子供が、「怪我が痛い」と泣いて暴れるから苦しい。
苦しいから、別の部屋に隔離して、見ないふりをする。
痛いから、泣いて、暴れて、「気が付いて!!」と叫んでいるのに、
親に見捨てられたら、化け物になっても仕方がありません。
イメージとしては、「千と千尋の神隠し」に出てくる、
オクサレサマの中身を少し幼くしたものに近いかもしれません。
助けてあげられるのは、私だけですし、
助ける方法も、そんなに難しいことではない。
ただ、「痛かった」「嫌だった」「悲しかった」「怖かった」「怒り」
の感情を受け止めるだけでしたから。
でも、「助けよう」と思えないこと、
そこまでして、しんどい思いをしようと思えない鈍感さ、
それが、トラウマ掘りを難しくしているのだと思います。
潜るのは、見たくなかったこと、それまで無視し続けてきたことを、
素潜りで少しずつ潜っていくようなものだから。
しかも、掘っている最中も、
「そんなことしなくてもいいじゃないか。」と、
鈍感な自分が邪魔をします。
危機感が持てなければ、そんな「嫌なこと」をしてまで、
「子供の自分」を助けようと思えない。
本当はあったであろう、危機感を、毒親に徹底的に抑え込まれているから。
抑え込んでおかないと、自分が投げた汚物が、
自分に跳ね返ってくるとおびえている。
それが毒親なのでしょう。
確かに、毒親には個性もなにもありません。
あるのは、自己保身と、不満だらけの人生です。
この「子供の自分」とは、
私にとっては、何にも代えがたい「宝物」です。
いえ、人間であるならば、絶対に手放してはいけない「自我」です。
この「宝物」を捨てるくらいなら、
再び無視するくらいなら、私は死んだほうがいい。
>>・昔、父親、母親を探していたこと
自分の親の馬鹿さ加減にあきれて、
「なんで、私はこんな親の元に生まれてしまったのだろう。」
と、小学生、中学生、高校生の頃、何度も思いました。
そして、その不満を埋めるために、私は、
自分に優しくしてくれる、理想の「父」「母」を、ずっと探していました。
「この人が私のお父さんやったらよかったのに。」
「この人が本当のお母さんやったらよかったのに。」
そう、何度思ったかわかりません。
自分のしんどい時に、話を聞いてくれる。
言いたいことを、言える。
自分のしんどい気持ちを、慰めてくれる。
そういう人が、ずっと欲しかった。
こんな状態では、友達すら、まともに探せません。
事実、私には、友達、といえる人はほとんどいません。
でも、もう探しません。
私自身が、私自身の、親になります。
■その他の基本的な質問項目
>1-まず、無明庵のサイトは、どういう経路から、いつごろに知りましたか?
>他人の薦めや、書籍、ネット経由など。
高校生の頃、インターネットで、「避妊」について調べていたら、
無明庵のサイトにたどり着きました。
その後、5年位後に、パソコンを購入したので、無明庵を検索してみたら、
「竹の間」に行きつきました。
>2-次に、そもそも、精神世界のような分野に最初に足を入れた
>きっかけは、何歳の時で、何がきっかけでしたか?
23歳の時、無明庵のサイトに行きつき、
「ゾンビ化する人たち」を読んだのがきっかけでした。
>3-ご自分の問題についての原因は、ご自分で分析は出来ていますか?
今、感じている自分の問題は、
「最後まで、成し遂げるということができていない。」ということです。
あと一歩が、いつも、残ってしまう。妥協が多い。
そして、その妥協がいつも後悔や、不満になっているようだということです。
これは、トラウマからくる妥協癖がついているのが原因だと考えています。
>4-ご自分と御家族の間に何か問題はありませんでしたか?
父は、他人のことを思いやることなんてできない、マザコンです。
自己中心的で、自分のことを、
「なんで大切にしないんだ。俺様をなんだと思ってる」
と、自分のことは全く棚に上げて、人に不満をぶちまけてくる。
それを、妻に向けているのにも無自覚。
お酒の力を借りないと、暴れられない、臆病者。
母は、自分が妥協して生きているのに、
その妥協から生まれる不満をすべて他人のせいにして生きています。
「私はこんなに我慢しているんだから、お前も我慢するべきだ、
不幸になるべきだ。」
こういう風に、子供にたいして、本当は思っているくせに、
それに全く無自覚。
このどうやっても相容れない夫婦を、私は選んでしまい、
生まれる前から、嫌がられて生まれてきました。
どう考えても失敗です。
母から特に、汚物を投げつけられて生きてきましたが、
それにまったく無自覚でした。
「わかってるから大丈夫」と高をくくっていましたが、
トラウマを掘り起こすと、
「最初から問題だらけ」でした。
>a-ご自分の最も嫌いな点
何をしても、途中でプツリと、集中力も、気力も途絶えてしまうこと。
崩残さんに、送るメールを見ても、
「ああ、ここで途切れてる」と、やっと最近分かるようになってきましたが、
いつもメールを送ってから気が付きます。
この、無自覚の中途半端な感じがとても嫌です。
>b-ご自分の最も評価できる点。
トラウマ掘りは、一人ではもちろん掘ることすらできませんでしたが、
あきらめずによく頑張ったな、と少しだけ自分を褒めます。
トラウマ掘りをしているときに、
巷にあるACや、レイプ被害者の互助掲示板とかを見て回ったこともありますが、
自我復元と併用しなかったら、この複雑にからんだトラウマを、
ひも解くことはできなかったと思います。
また、ひも解くことが出来たとしても、
そこで止まってしまって、
「自分のことを大切にしよう」とまではたどり着けなかったと思います。
最近、過去のメールを見かえしてみていて、
私は、最初から
「母親に疎まれて生まれてきた」とは、わかっていましたが、
自分のこととしては認めようとしてませんでした。
まさに、「わかっているから大丈夫」と、高をくくって、
甘く見ていました。
感情を掘り起こすのに、時間がかかりましたが、
掘り起こせてよかったです。
頑張れたのは、自身の「頑固な性質」もあったからかもしれません。
その点は、昔から親に
「あんたは、ほんま、頑固やな」と叱られていたのですが、
本来は、ほめるところだと思います。
______________________________
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