▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[197]
■
★分割自我復元★その197 ■ 【全自我人のサンプル−その2 】 ■
by:
鈴木崩残
2013/04/23(Tue)06:55:24
全自我として生きる姿勢のふたつめ
●前回が、現存している人間であったのに対して、
今回は、既に、とっくの昔に、他界しているサンプルについてである。
私が、20代の終わり頃から、30代の後半まで、
「少しは、まともに物事を考えた人たちが、いたのかどうか」、
これについては、
「不愉快な真実よりも、心地よい嘘こそを、心の食料にしている」精神世界の住人に、
その痕跡を見つけることは、ごく一部を除いて、ほとんど不可能であったが、
一般的な世界の中であれば、たまに見つけることは出来た。
今回は、そのうちの2つを引用してみたい。
●引用とは、すなわち、「手抜き」である。
ただし、引用というものは、何を引用するかにおいて、
その引用者の感性が表現されるという意味では、
「報道写真」に似ているだろう。
それは「事実の断片でしかない」が、どこを切り取るかに、
その撮影者の価値観を、垣間見ることが出来るからである。
今回、引用という、物書きにとっては、あるまじき「手抜き」をして
紹介するのは、これまた私が「先天性の全自我」であると認識した、
2人の人物である。
■一人は、アンブローズ・グウィネット・ビアス。
『悪魔の辞典』を書いたその人である。
■もう一人は、アルベール・カミュ。
とりわけ、私が取り上げるのは『シーシュポスの神話』である。
●この『シーシュポスの神話』については、ネットでブログなどを
検索するのは、やめておいた方がいいと、あらかじめ警告しておきます。
おそらくは、脳味噌が腐りそうな、コメントや書評しか見ることは
出来ないであろうし、私に言わせれば、どいつもこいつも、
己の歪んだ願望と、歪んだ期待と、歪んだ拒絶を、
カミュのこの作品に投影しているに過ぎないからである。
とりわけ、反吐が出そうなのは、
多くのブロガーの書評が、最後の部分、つまり、
「不毛な、石っころ転がし」を「すべてよし」としたと、誤読している点である。
もっと馬鹿なのは、この「石ころがしの拷問」を、チベット仏教の、
ミラレパが、マルパから命じられた修行と混同する特大のアホウがいるほどである。
●私はこうした、連中が、そののうたりんな脳味噌から出てくる、
蛆虫が死体を這うような、無力な言葉で、
一人の思索家の、命がけの業績を、踏みにじってゆくことに、
多少の不快感を感じる。
だから、今回は、これを取り上げることにした。
●前回の私の投稿との関連性について言えば、とりたてて、関連性はない。
強いて言えば、哲学とはこうあるべきである、という点で、
私の見解がカミュと一致した面が多いことと、
「ビアス」の『悪魔の辞典』については、
辞典とは、もともとが「定義」の集大成であるために、
その中から、いくつかの、本質の一部を突いた、シャレた解説を
引用してみたくなった次第である。
*********
【引用元・参考文献】
>>カミュ著 『シーシュポスの神話』 清水徹訳 新潮文庫 1994
*********
「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。
人生が生きるに値するか否かを判断する、
これが哲学の根本問題に答えることなのである。
それ以外のこと、つまりこの世界は三次元よりなるかとか、
精神には九つの範疇があるのか、十二の範疇があるのかなどというのは、
それ以後の問題だ。
そんなものは遊戯であり、まずこの根本問題に答えねばならぬ。」
*********
「おのれを殺す、これはある意味で、そしてメロドラマでよくある事だが、
告白するということだ。
生に追い抜かれてしまったと、あるいは生が理解できないと告白することだ。
だがこの類比にあまり深入りはすまい。
そして普通によく使われる言い方に戻ることにしよう。
おのれを殺すとは、《苦労するまでもない》と告白すること、
ただそれだけのことにすぎない。
もちろん、生きるのは、けっして容易なことではない。
ひとは、この世に生存している、ということから要求されてくるいろいろな行為を、
多くの理由からやりつづけているが、その理由の第一は習慣というものである。
みずから意志して死ぬとは、この習慣というもののじつにつまらぬ性質を、
生きるためのいかなる深い理由もないということを、変動のばかげた性質を、
苦しみの無益を、たとえ本能的にせよ、認めたということを前提としている。」
*********
「ふと舞台装置が崩壊することがある。
起床、電車、会社や工場での四時間、食事、電車、四時間の仕事、
食事、睡眠、同じリズムで流れてゆく、月火水木金土。
こういう道をたいていの時は、すらすらと辿っている。
ところが、ある日、《なぜ》という問いが頭をもたげる。
すると、驚きの色に染められたこの倦怠のなかですべてがはじまる。
《はじまる》これが重大なのだ。
機械的な生活の果てに倦怠がある、が、それは同時に意識の運動の端緒となる。
意識を目覚めさせ、それにつづく運動を惹き起こす。
それにつづく運動、それは、あの日常の動作の連鎖への無意識的な回帰か、
決定的な目覚めか、そのどちらかだ。
そして、目覚めの果てに、やがて、結末が、自殺かあるいは再起か、
そのどちらかの結末が訪れる。
倦怠それ自体には、なにか、胸のむかつくものがあるのだが、
ここではぼくは、倦怠とはよいものだと、結論しなければならぬ。
なぜなら、いっさいは意識からはじまり、意識の力によらなければ、
なにものも価値をもたないからである。」
*********
「ぼくらは未来をあてにして生きている。
「明日」とか「あとで」とか「あんたに地位が出来たら」とか、
「歳をとれば、お前にも分かるさ」とか言いながら。
ともかく、いつかは死ぬのに、こういう筋の通らぬ考え方をするとは、
なんともご立派なものだ」
*********
「世間の人々の誰もが、まるで《死を知らぬ》ようにして生きている事には、
いくら驚いても、驚き足らぬだろう。これは実は死の経験というものがないからだ。
本来、現実に生き、意識したものしか経験であり得ないのだが、
この死という場合、せいぜいのところ、他人の死についての経験を
語ることしか出来ない。
そんなものは代用品、精神の一見解に過ぎず、ぼくらはそれを固く信じている、
というわけでは、決してないのである」
*********
「魂についての、どのような美しい論説も、すべて死という、この事件に向かい合う時、
すくなくとも、しばらくの間は、いわば、次々と験算を受けるようにして、
その論証するところと反対の事実を、突きつけられることになる」
*********
「外部世界は《分厚いものだ》ということに気がつき、
ひとつの小石がどれほど無縁なものか、
ぼくらの世界のものたらしめるのが、どれほど不可能であるか、
自然が、あるひとつの風景が、
どんなに激しく、ぼくらを否定しかかってくるかを垣間見るのだ。
いかなる美であろうと、その奥底には、なにか非人間的なものが横たわっている。
かなたに連なる丘、空の優しさ、樹々のたたずまい、
それらが、まさしくその瞬間、ぼくらから着せかけられていたむなしい意味を失い、
もはやそれ以後は、失われた楽園よりも、さらに遠いものとなってしまうのである。
世界の原初の敵意が、数千年の時間を超えて、ぼくらのほうへと舞い戻ってくる。」
*********
「不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、
しかも人間の奥底には明晰を求める、死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、
この両者が、ともに相対峙したままである状態についてなのだ。
不条理は人間と世界と、この両者から発するものなのだ。
いまのところ、この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである。
ちょうど、ただ憎悪だけが人間同士を、離れがたい関係におきうるように、
不条理が世界と人間とを、たがいに密着させている。
なにがどうなるか解らぬ、ぼくの生が、つづけられている、
この途方もない宇宙のなかで、ぼくが明晰に識別できるのはこれだけなのだ。」
*********
「意識的でありつづけ反抗をつらぬく、こうした拒否は自己放棄とは正反対のものだ。
人間の心のなかの不撓不屈で熱情的なもののすべてが、
拒否をかきたてて、人生に刃向わせるのだ。
重要なのは和解することなく死ぬことであり、すすんで死ぬことではない。
自殺とは認識の不足である。
不条理な人間のなしうることは、いっさいを汲みつくし、
そして自己を汲みつくす、ただそれだけだ。
不条理とは、かれの、もっとも極限的な緊張、孤独な努力で、
かれが、たえずささえつづけている緊張のことだ。
なぜなら、このように日々に意識的でありつづけ、反抗をつらぬくことで、
挑戦という自分の唯一の真実を証しているのだということを、
かれは知っているのだから。」
*********
「あるひとりの人間の自殺には多くの原因があるが、
一般的にいって、これが原因だと一番はっきり目につくものが、
実は、一番強力に作用した原因であったというためしがない」
*********
「何もかも説明がつくか、あるいは何ひとつも説明がつかぬか、
ぼくは、そのどちらかであって欲しいと思っている。
しかもこの心情の叫びを前にして、理性は無力なのだ。
こうした欲求に刺激されて覚醒した精神は探求を開始する。
が、見出されるのは、矛盾と背理的な論証、ただそれだけなのだ。
ぼくに理解できぬものとは条理を欠いたものだ。世界はこうした理性では
説明のつかぬものに満ち満ちている。ぼくには、世界の唯一絶対のものが理解できない。
それだけで、世界はひとつの巨大な非合理的なものにすぎない」
*********
「この息が詰まるような空の下で生きることは、
そこから出てゆくか、そこに留まるか、そのどちらかを要求する。
ここで重要なのは、第一の場合ならば、どうやってそこから出てゆくか。
第二の場合なら、何ゆえにそこに留まるか、それを知ることだ。
自殺の問題、および実存哲学の結論に対して、抱きうる関心、
この両者をぼくはこのように定義する」
*********
「真なるものを探求するとは、願わしいものを探求することではないのだ。
「人生とは一体何なんだろう」というあの苦悶の底から発せられた問いから
逃れるためには、ロバのように、幻の薔薇を食べて生きなければならぬならば、
不条理な精神は、諦めて虚偽に身を委ねるよりは、
むしろ、恐れることなく、キルケゴールの答えである「絶望」を採るほうを選ぶ。
全てを十分に考えたとき、断乎たる魂は、常に「絶望」という答えを受け入れるであろう」
*********
「ぼくはただ、自殺から、その不純分子たる情緒的内容を除去し、
自殺の理論と自殺の誠実さを認識したいだけだ。
それ以外は、いかなる姿勢も、不条理な精神から見れば、ごまかしを前提とし、
また精神が自ら明るみに出したものを前にして、退却することを前提としている」
*********
>到底、こんな程度で、この書物を分かった気になってもらっては困るので、
>これ以後も、たまに桜の間で取り上げてゆきます。
******************
「アルベール・カミュ」
フランスの小説家・思想家。アルジェ大学を卒業後にジャーナリストとして活躍した人物。
その後発表した「異邦人(小説)」や「シーシュポスの神話(エッセイ)」などで注目を集めた。
また、劇作家としても活躍しており「カリギュラ」「誤解」などを発表している。1957年にノーベル文学賞を受賞。
主な小説作品(死後に発表された作品も含む)に「最初の人間(1994年)」「幸福な死(1971年)」
「追放と王国(1957年)」「転落(1956年)」「ペスト(1947年)」など。
主な戯曲に「悪霊(1959年)」「オルメドの騎士(1957年)」「尼僧への鎮魂歌(1956年)」
「ある臨床例(1955年)」「精霊たち(1953年)」「十字架への献身(1953年)」
「正義の人びと(1949年)」「戒厳令(1948年)」「アストゥリアスの反乱(1936年/共作)」など。
主なエッセイ・評論に「ギロチン(1957年)」「夏(1954年)」「反抗的人間(1951年)」
「ドイツ人の友への手紙(1943年-1944年)」「シーシュポスの神話(1942年)」「結婚(1939年)」
「裏と表(1937年)」「キリスト教形而上学とネオプラトニズム(1936年)」などがある。
_________________________________
『悪魔の辞典』A・ビアス
私の視点から見て、とりわけ、品質のいい作品は以下の通り。
******************
>【責める】
他人の非行や、くだらなさを断定する。
その者に濡れ衣を着せる事に対し、自己を正当化するものとして最も普通に行われる。
>【成就】
努力の死。不快感の誕生
>【知り合い】
お金を借りるぐらいの面識はあっても、お金を貸すほどには、よく知らない人のこと。
相手が貧乏で無名であれば、「一面識しかない」と言われ、
裕福でしかも有名人だったりすると「懇意(こんい)な」と呼ばれる友人関係の度合い。
>【人間】
これが自分の姿だと思う姿に、ひとり恍惚として思いふけり、
当然あるべき自分の姿を見落とす動物。
その主要な仕事は、他の動物たちと、自分の属する種族を絶滅することである。(略)
>【友情】
天気の良い日は二人くらい充分乗れるが、悪い日にはたった一人しか乗れない船。
>【偏愛】
幻滅への予備段階。
>【実際に】
多分、ことによると。
>【賞賛】
他人が自分自身に似ているのを、礼儀正しく認めること。
>【恩赦】
処刑すれば費用がかかり過ぎる犯罪者に対する、国家の寛大さ。
>【反感】
友人の、そのまた友人によって吹き込まれた感情。
>【謝罪する】
いずれ無礼を働く日に備えて、下地をつくる。
>【誹謗する】
何かの悪事を重ねたくなるような誘惑の魔手や機会にも恵まれなかった奴が、
そうした悪業の数々を、意地悪くも、他人のせいにする。
>【餌】
釣り針がいっそう口に合うようにさせるための調味料。餌としての最上種は美貌。
>【洗礼】
それを受けずに天国に昇れば、永遠に不幸になるという、霊験あらたかなるお祓い。(省略)
>【戦闘】
舌先三寸では、どうにも丸め込めぬ政治のもつれを、歯でもってほどいてみせる方法。
>【大砲】
国境線を引き直すのに用いられる道具。
>【美しさ】
女性が恋人を魅了し、夫を震えあがらせる為に用いる力。
>【乞う】
絶対にもらえないという信念に釣り合う熱心さで、何かをくれと頼む。
>【誕生】
あらゆる災難の中で、最初でしかも最も物凄いもの(省略)
>【退屈な連中】
こちらの話を聞いてもらいたい時に、しゃべりまくる人。
>【花嫁】
幸せになりうる、すばらしい前途への期待を、あとに残してきた女性。
>【災難】
この世の中の出来事は、我々の人力の及ばざるところにあるということを、
並外れた方法にて、明瞭かつ、まぎれなく思い出させてくれるもの。
災難には次の二種がある。
すなわち、自分の身に降りかかる不幸と、他人を訪れる幸福とである。
>【曲馬団(サーカス)】
子供まで含めて、人間が男女の区別なく、道化役を演ずるさまを、
馬や子馬や象たちが見物することを許されている場所。
>【気楽】
隣人の不安がる様子をじっくり眺めることから醸し出される精神状態。
>【商売】
AがBからCの商品を略奪し、その埋め合わせに、
BがDの懐の中から、Eの所有する金銭をかすめとる、という取引の一種。
>【国会】
法律を破棄するための集会を開く人々の集団。
>【相談する】
既に、採用する事に決めた方針について、他人の賛意を求める。
>【軽蔑】
あまりにも手ごわすぎて軽々しく対抗できぬ敵に対して、石橋を叩いて渡る男が抱く感情。
>【会話】
小者が打ち揃って、その脳味噌のでき具合を見せ合いっこする品評会。
めいめい自分の脳味噌を陳列するのに、すっかり手前味噌になって、
隣人の脳味噌の出来具合いを観察するゆとりなどあるものか。
>【技能】
のうたりんにとっては、脳味噌の代用品。
>【大胆不敵さ】
安全な立場にある者が、最も顕著に示す特質のひとつ。
>【世話になっている】
脅して巻き上げるわけにもいかないが、とにかく生活の糧を他人の寛大さに頼って。
>【運命】
暴君が悪事をする際に、よりどころとするもの。間抜けがヘマをやらかした時の口実にするもの。
>【誤解を解く】
隣人が受け入れた方が得だと、かねがね思っていた思い違いよりも、
もっと都合の良い別の思い違いを押し付ける。
>【識別する】
もしも、これが、できればの話だか、
特に、ある人、あるいは物が、他の人や物よりも、不愉快であるという点に注意する。
>【隔たり】
貧乏人が我が物とみなし、そのまま保ち続けても、金持ちが一向に嫌な顔をしない唯一のもの。
>【悩み】
友人の成功をまざまざと見せ付けられるのが原因でかかる疾患。
>【教育】
双方とも理解力に欠けていることを、利発者には、しかと知らしめ、
うつけ者には、隠して、しかとは分からぬようにさせる為のもの。
>【解放】
自分以外の者による暴虐から、自分自身による圧制へと奴隷がその身の上を変えること。
>【妬み】
最も見劣りする能力に適した競争。
>【勧告する】
宗教上の問題においては、
他人の良心を鉄串に刺し、こんがりと不愉快になるまで、焼き上げる。
>【絶滅】
神学が、未来のこの世の姿をでっちあげた時の原料。
>【信仰】
比類ない物事について知りもしないのに語る者が言うことを、根拠もなしに信じること。
>【忠誠】
まさに裏切られんとする人々に特有の美徳。
>【健忘症】
良心がない償いに、債務者に与えられる神の贈り物。
>【友のいない】
人に与える恩恵を持たない。財産のない。真実と常識をあまり口にしすぎる。
>【系図】
自分自身の血統を遡って調べる気など、特になかった先祖と、
自分が、どんな血筋にあたるのかを記述したもの。
>【習慣】
自由を束縛する手錠。
>【幸福】
他人の不幸を見ているうちに沸き起こる心地よい気分。
>【憎しみ】
他人が自分よりも卓越している場合にふさわしい感情。
>【霊柩車】
死の乳母車。
>【天国】
悪党どもが、一身上の問題を話したりして、あなたを悩ますことがなくなり、
今度は、あなたが自分の一身上の事を長々と語るのを善人たちが傾聴してくれる場所。
>【殺人】
一人の人間を他の人間が殺すこと。四種類の殺人があり、
1/凶悪な殺人
2/許していい殺人
3/正当と認められる殺人
4/賞賛に値する殺人 とがあるが、
どの種の殺人であろうが、殺される人間にとって、大した違いはない。
法律家には、都合がよろしい分類だろうが。
>【偽善者】
自分でも重んじていない、いくつかの美徳を備えているような事を言いながら、
軽蔑するその当のものに起因すると思われる利益を、巧いこと手に入れる者。
___
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(197 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -