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[202]
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★分割自我復元★その202■監獄にいるから、死にたくなるだけの話である
by:
鈴木崩残
2013/05/04(Sat)06:07:47
過去の無明庵と現在の無明庵の接点
●この問題を語るのは、非常に複雑な面があるので、
今回は、特に注意しながら、書こうと思います。
まず最初に、次のような状況を想像してください。
●監獄に長年監禁されていた人は、毎日、いつ首をくくろうかと、
そればかりを考えていた。
人生には希望など何もないと。
しかし、その囚人は、ある日、釈放されてシャバに出たらば、
遊びまくりたくなり、楽しくて楽しくて、死ぬことなどすっかり忘れ去った。
これと同じことが皆さんにも必ず起きます。
●手に職もなく、毎日、自分は何をやっても駄目なんだ、
人生とは何だろう、自分探しって、何だろうと思っていた人が、
宝くじが当たって4億円を手にしたら、
とたんに、自問などやめて、豪遊している。
これと同じことが皆さんにも必ず起きます。
●容姿やスタイルを散々に馬鹿にされて、自殺しようと思っていた人が、
ビューティーコロシアムで整形したら、まさに性格も変わって、モテモテ。
自殺のことなどすっかり吹っ飛んでしまった。
これと同じことが皆さんにも必ず起きます。
●その他、耐え難い旦那の暴力や、子供の不登校問題をかかえて、
しかし、家を出られずに、人生に悩み、あちこちの占い師を尋ねたり、
祈祷までしてもらったり、挙句に、「自分を救い出してくれそうな男はいないか」
と物色しても無駄で、死のうかと思っていた人が、
ちゃっかり、自分以外の家族全員が、事故で死んで、しかも旦那の
生命保険があって、悠々自適に数年生きられた。
そうしたら、悩みなど吹っ飛んでしまった。
これと同じことが必ず皆さんにも起きます。
●結婚しても、妻や家族と全く上手く行かず、
アリや、馬車馬のように働いていて、
俺はただ、このまま死ぬのか、人生など馬鹿げているから死にたい、
しかし、悔しいから、瞑想でもして挽回してやる、と思っていた男が、
どこぞかの資産家の美人といい仲になって、
セックスの相手さえすれば、悠々自適にヒモ生活を出来るようになったら、
とたんに、瞑想などやめてしまった。
(しかも「きっと瞑想の効果で資産家の美人と出会えたんだ」とか
言い出す始末。)
●地球ではやりたい事は全部やってしまった、もうあとは、
どう、宇宙から消滅して死ぬかだけだ、と思っていた人が、
いざ地球外に出たらば、
喜び勇んで、カシオペア製の最新型の宇宙船に乗り、
スーパーナチュラルツアーに、出かけてしまう。
宇宙から消滅したいと言っていたのは、どこの誰だ??
すなわち、
今現在、皆さんが経験している環境、心境、不満を理由として、
その程度のことで、「死にたい」のでしたら、
他人にとやかく言われる前に、とっとと自分で、
他人に迷惑かけないところへ行って、早く死ぬか、
もしくは、いつまでも、いつか幸運がやってきてくれることを夢見て、
今後も、ダラダラと生きてください。
●いや、少し、言い方を、間違えました。
「その程度のことで、自分はもうダメだから、悟りが必要だ」
と思い込むような人は、
宇宙に、ほっぽり出したら、監獄で不満をタレていた人と同様に、
翌日からは、悟りなどどこへやらで、遊び呆けるだろうということです。
●たかが地球という監獄で拷問や投獄に遭ったからといって、
それをもってして「二度と生存しない決心」をするなど、
ちゃんちゃら、お笑いです。
二度と、意識を持った生存形態をとることを拒否する決心というものが、
そんなに簡単に、軽率に出来るはずはなく、
そのような選択は、そもそも、多くの人達にとって「不可能」です。
日本で、年間3万人がするような、身体的な自殺をするのとは訳が違います。
そこにかかる覚悟と、失うものの大きさの次元が違いすぎる、
といった方がより正しいです。
永久、永遠、無限を知覚した事のない人が、
「永遠に」とか、「無限に」とか、「ずっと」消えたい、とか言うのが、
私には信じられません。
目先の1000年や5000年やそこらの、
「つかの間の休息」や「生存拒否」ではないのですよ。
本当の「それで終わり」を許諾して「契約する」ことの怖さを
ちっとも理解も経験もしていないのだと言うしかありません。
●さらには、
「まだ、宇宙で、いろいろなものを経験できたのに、したかったのに」と、
あとで気づいたが、その時には、もう遅かったが、
苦痛を感じる意識すらも、無の中へと消えていったので問題なし、
などという、「都合のいいこと」すら起き得ません。
また後悔をする場合も、意識が絶対的な空虚さの中に、
長期間さらされたままとなり、
「戻りたいが、もう戻れないし、先へも行けない。
なんという馬鹿な選択をしたのだ」
という自責の念に、さいなまれて、ずっと後悔する事態が予測されます。
●しかし、そのような状況になるには、
闇の「側」へと踏み込む覚悟と決意が必要ですが、
その決意をするに値する経験する(つまり飽き飽きする)には、
沢山の時間と空間での経験による「記憶」が必要となります。
●理屈の上だけで、宇宙が良い、とか、悪いとか、そのようなことを
単なる他者の見解として頭に入れて悩んでも、一方で、皆さんは、
ネットを見れば、つられて見てしまい、
出社すれば、我慢して仕事をしてしまい、
学校へ行けば、勉強をしてしまい、
休日になれば、遊びたくなり、
どこかに悟ったらしきグルがいると聞けば、
すっとんでいって、弟子入りしたいと頭を下げ、と、
それだけ「あちこちに、無関心でいられない」のに、
よくもまー、「絶望してます」なんて言えたものです。
●本当に、絶望しているのでしたら、
他人に頼らないように、自分で一年分ぐらいの生活費を溜めて、
まる数ヶ月は、何も見ず、誰にも接せず、何も読まず、
食うことと排泄と眠る事、
そして、自分が持つあらゆる疑問について考える事、
これ以外は、何もせずに、
結論が出ないのならば、諦めて、首をくくるか、
または、「自分は絶望すら徹底できない」という、
最悪の自己嫌悪が出るまででも、
その絶望感の中に、絶えず「浸り続けて」下さい。
そして、もうこれ以上に結論すべきことはないとなるまで、
考え抜いてください。
そうでなければ、軽がるしく「私は全てに絶望しています」などと、
言う資格などありません。
この地球の人たちというのは、
「絶望」というものにすらも、汚物をぶつけて汚すつもりなのでしょうか?
******************
生命の充実感を一度でもいいから感じたいと切望し、
他人が持っていて、自分にないものを得たいと切望し、
幸福な家庭を経験したいと切望し、
絶叫して気絶するようなオーガズムを経験したいと切望し、
興味を持った分野で大成してみたいと切望し、
なんの心配もなく、余生を静かに暮らしたいと切望し、
あわよくば、悟りでも開いて、自分一人が不安なく死ねることを切望し、
と、このように、
「欲望だらけ、不満だらけ、経験したいことだらけ」なのですから、
もとより「死にたい」だの、「消えたい」だの、「悟りたい」だのは、
多くの場合には、全くの「虚偽申告」であると、私は判断しています。
●なぜならば、前述したような、一切の希望、切望を、完全に断念し、
開放されなくとも良いと覚悟した、苦痛の連続の中で、
死んで消えられるかどうかも、永久に、その保障もない、
それでも、(主観としてではなく)事実として、
「それしか道がない」という人だけが、踏み込むべき場所だからです。
「べき」というよりは、「必然的に」そうでしかあり得ないのです。
そのようなものは「洞察」と「必要性」が生み出すのであって、
「不満の反動である希望」や、
同じくそれまでの経験から来る「不満の反動の絶望」が
生み出せるものではありません。
●このような理由によって、
まだ、「うんざりするぐらいに満喫できた快楽」すらも知らない者が、
何を、絶望したフリをして、自己憐憫と、自殺願望と、悟りたいだのと
馬鹿なことを言っているのか、というのが私の率直な見解です。
ただし、
私は、皆さんの理想や目的をしょぼいと批判したり、蔑んだりはしていません。
それは、どんなものでも、むしろ「大切にして欲しいもの」です。
ただし、それが叶わなかった、そんなぐらいの理由で、死にたくなるのは、
あまりにも、自殺の敷居が低すぎるということです。
*********
●しかし、それでも、どうしても、
他者とは関係なく、自分の全生命と意識をかけてでも、
決着をつけたい、生命、意識、万物など関する、
普遍的命題があるのだとしたら、
まずは、「5つの準備」をすべて整えるようにと、
私は「バナナを創った宇宙人」の中に明記しました。
●私は、この5つの準備を整えた人を、
ただの一度も見たことはありません。
ただし、「整えつつある人」は、
ごく最近、一人だけ、見かけたことはあります。
そして、自我復元は、それを整えるのに重要不可欠なファクターです。
●ただし、
私が今やろうとしていること、そして実際にやっていることは、
「絶望するなら、きちんと、満足してからにしてください」ということで、
まず、監獄から外へ逃がし、
だだっ広くて、時間は、無限に近いほど有り余り、
地球よりもに先行する種族たちが苦労をして作り上げたシステムがあり、
かつ、かなり楽しめる要素のある宇宙の、
それぞれの個別固有、あるいは好みの故郷へと帰還し、
そこで、まずは、生きてくださいということ、
「生き直して」くださいということです。
そうやって、地球以外の外宇宙や、次元に戻ってから、もしも悩むのであれば、
(地球ではなくて)「そこで」悩んでください。
このような監獄みたいな飼育所にいて、
生活安定だとか、恋愛だとか、なりたい職業だとか、
何かの研究だとか、精神世界だとか、
あるいは、死にたいだとか、人生は無意味だとか、
そんな、しょぼくれた事を口にするのは、
「生き物」として恥であり、自尊心を捨てている行為だと自覚して下さい。
まずは、肉体上の死の恐怖や、病の恐怖に、地球ほどには影響されない、
もう少し、まともなシャバに出てください。
それでも、そこで悩みが発生するのでしたら、その皆さんの感じる、
「悩みそれ自体」にも、なんらかの価値や意味が出てきます。
しかし、この、どうにもならない希釈自我事件(犯罪)の起きた
この「施設内」では、その悩みや、自暴自棄や、絶望感それ自体に、
評価すべき価値がありません。
そのような「価値のない悩み」を理由として、死ぬのも、
そして、生きるのも、(どちらも、無意味だとは言いませんが)、
「程度が、低すぎ」ます。
●「あー、それならば、君は、もう宇宙にいても、しょうがないね。
じゃー、本当に、魂そのものが根絶するまで、死んでみるかい?」と、
宇宙の「最高裁の裁判長」が、いやおうなしに、
「本人希望の死刑」を認めるぐらいの、
そういった経験の成熟をした、そういう場合にだけ、
死んでもいいですから。
ただし、いつ終わると分からない「煉獄」と「拷問的虚無」が、
その「通過儀礼」となります。
*********
●しかし、かつて、無明庵は、
これ以外の解決法を、提示できませんでしたので、
本当に、しょうもない動機と不満で自殺したがる人や、
悟りでも得れば、一気に楽になれるのではないか?と、
きちんと生きてこなかった事の不満を、悟りにぶつけて期待したりする、
そういう子供っぽい妄想した人たちを、沢山、惹きつけてしまったことは、
本当に申し訳なく思います。
むろん悪意からではなく、
その当時は、それが出来うることの「限界」だったのです。
●ところが、奇遇なことに、
自我復元法が、発見され、開発された最大の理由は、
「人間は、広大な意識の、断片を確実に内蔵しているにも関わらず、
何が原因で、なぜ(ほとんど)悟れないのか?」、
という謎(私の個人的な疑問)に取り組んだ事の「結果」でした。
つまり、悟りと自我復元は、
「同一平面」には属しませんが、同一の「縦軸」の上部と下部に位置しています。
自我復元は、悟りの次元にも、おおいに関連しているということです。
簡単に言ってしまえば、
全自我ならば、悟れる可能性が出てくるということであり、
全自我でないならば、絶対に無理である、と断言できます。
それに必要な「部品と容量」が揃っていないのですから。
●しかし、今では、
囚人ではなくて「軟禁状態」のある今の地球の人たち、
(正しくは、「詐欺に遭った無数の被害者ら」)が、
晴れて、宇宙という社会に戻り、生命をやり直せる方法としての、
「分割された自我の復元法」が、開発された以上は、
私は、その後に、皆さんが、地球外で、どういう生命体を選択するにしても、
とにかく、最悪の状況から、少なくとも、現在考えられる最良の状況に、
修復することを手伝うのみです。
ですから、皆さんも、必ず続けて下さい。
●無明庵では、遥か昔から、
「死ぬならば、生き切ってからにしなさい」と言い続けました。
しかし、その「生き切る」こと、それ自体が、
分割自我が考慮されていなかった当時は、「不可能に近い」ことでした。
それが今は、自我復元によって、「生き切る」ことが、
出来るようになったのですから。
死人禅の行法を、
やって良い人と、そうでない人
●これは、本当に識別が困難な課題のひとつです。
私が「分割自我復元DVD」の中では、死人禅の併用を認め、
「掲示板上では、禁止した」には、経緯があります。
自我復元法そのものが、実験途上にあったために、
どう作用するかが正確には分からなかったためです。
現在の結論としては、
自我復元が進む結果として、死人禅が持つ本来の正しい効果が現れる、
という人が、ごく稀にですが、存在します。
前投稿の冒頭に記載しました「初回の判定依頼をされた方」がそうです。
しかし、一方では、死人禅の行法を、やったがために、
自我復元が進まなくなるという人が、大多数を占めていました。
実は、自我復元と、死人禅の行法は本来は「相反するシステム」です。
●それゆえに、死人禅の実行回数、つまり「処方の分量」を大きく間違えると、
自我復元そのものを台無し、または減速してしまうことがあります。
まさに、「薬学的な、さじ加減」が必要なのです。
適量を微量混ぜることで、自我復元に、非常な効果を上げる場合がある一方で、
混ぜすぎると、メインの自我復元の効果を抑制してしまうのです。
●私は、実は、幾人かの、自我復元をしている読者の人には、
期間限定または、どれぐらい頻度でやったらいいか、
という条件つきで、死人禅の行法を併用することを、
個別に、メールで薦めたケースがあります。
その人たちの中には、すでに全自我に復帰した人もいます。
●ですので、原則的に、
自我復元の中に、死人禅を介在させて良いか悪いか、
これは、私の判断に全託してください。
決して、私の見解を聞かずに、死人禅と併用するのはやめて下さい。
全自我の人は、好きにやっても、やらなくても、どちらでもいいです。
しかし自我復元の途上の場合には、
死人禅の本質的な効果が、加速されて、自我復元にも波及する効果を出すケースと、
「逆に、自我復元を阻害する」ケースがあり、
これは、その人それぞれの辿ってきた「人生経験」に左右されますので、
独断では行わないで下さい。
独断で行っても良いのは、復元を完了した人たちだけです。
*********
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