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[203]
■
★分割自我復元★その203■ 「天上天下唯我独尊」の意味するもの ■
by:
鈴木崩残
2013/05/05(Sun)06:18:06
「天上天下唯我独尊」
●諸説、賛否あるこの「神話上」または「メタファー」としての
この言葉ですが、
実は、私の見解では、これに最も正しい解釈をしたのは、
「さかな」さんです。
↓
http://love3nyansfukugen.blog.fc2.com/blog-entry-23.html
これでほぼ、完璧に正しいと見ていいです。
*********
●「天上天下唯我独尊」などと、産まれたばかりの「ちびっ子」が、
言うはずもないことですが、
これをそう語ったのが、誰であったのかとなると、
おそらくは、「地球」の人間経験に、慣れていなかった者です。
●「天上天下唯我独尊」と言ったから、釈迦はもともと、悟りを得ていた、
もとから偉大だったんだ、などと解釈するほどの馬鹿はいないとは思いますが、
もしも、もともとから悟っていたのであれば、
彼は、ちびっ子のころから、とっくにブッダであったはずです。
ところが、彼は、
散々にノイローゼになったあげくに、虚しくなって、出家したものの、
いくら師を尋ね歩いて、修行しても、死にそうになる寸前まで苦行をしても、
「ちっとも、自分は安らかにならない」と、その自らの徒労に絶望した。
●この経緯を冷静に考えれば、
多少なりとも、よく無明庵の書籍に精通している読者であれば、
「天上天下唯我独尊」とは、
「自我宣言」であったことが理解されるはずである。
ヤンキーっぽく言えば、
「やったぜ、ずげぇーじゃん。
ボクは、自分一人が、周囲から孤立して、生きている感じがするぜ。
おいら、なんでも自分で決められる感じがするぜ。
なんだか知らないが、自分が一番偉そうな錯覚をするぜ」
と、いわば、高次元意識が、初めて「自我という枠」を着たときに、
生ずる、ある意味では、新鮮な感覚を、言葉にしたのが、
「天上天下唯我独尊」です。
つまり、これは「原型の全自我」に、
しかも初心者マーク付きの「ビギナー」として入った時に生ずる感覚を
率直に言葉にしたものです。
別に釈迦でなくても、そうしたことは、釈迦がいるずっと前から、
中東の地域(というより世界各地)では、頻繁に行われていましたので、
これを言ったのは、
始めて、全自我の人間という器に入った、地球外知性体です。
「おー、なんてこった。オレ様感覚が、するんだぜ! こいつぁ、ナウイぜ。」
これが、あの言葉の真意です。
何も、ことの最初から、どえらい「じゃりん子」だったわけではありません。
あの言葉の意味するところは、
「自我獲得宣言」です。
「ブラボー自我!」、そう叫んだ奴は、おそらくは、
ビバシ、シキ、ビシャフ、クルソン、クナゴン、カショー
このうちの、どいつかです。
*********
●ただ、この「天上天下唯我独尊」という「新感覚」の獲得、
これには、その後に、「問題」が発生しました。
これについて、最近、私が書いたメールの一部を掲載しておきます。
******************
1/
>> こうやって考えると、欲しいものが沢山あるのですが、
>>本当に大事なのかどうかは、よくわかりません。
2/
>> よくわからないので、要らないのではないかとも思いますが、
>> 本当に要らないのかと言われれば、やはり欲しい、となり、
>> 拾っておかないといけない気になります。
それでいいんです。
原型の地球の人間型生命には、
この1と2が交互にやってくるようになっています。
(設計上のミスで、それはあとから判明した不具合なのですが)
分かりやすく言いますと、
「何もかもがどうでもよくなってしまう感覚」と、
「どうでもよくはない感覚」が、
常に、真っ向から、矛盾した形で、
人の中で、葛藤を生ずるように造られています。
これは、ほぼ地球の全員がそうなのですが、
1と2の比率には差があります。
どんなに夢を実現して、輝くような目をしていたり、
悠々自適な生活をしている人にも1はやってきます。
例外はありません。
しかし、年中、無気力となっている1の人にも、
2はしつこくやってきて、
そうして、その人の死ぬ意志(または非活動性)を削ぎます。
●人類型の生命体を、おそろしく単純化して言うと、
「死へ向う意志」と「生へ向う意志」の二つが
常にせめぎあうようになっており、
実は、すべての心理的な問題も、これに派生しているものです。
これが生じたものが、
幸運なのか、不運なのか、この宇宙でも、賛否が分かれています。
●死へと向う意識は、
そこに高次意識があることを意味します。
むろん、「桜の間」に先日、書いたように、
何かささいなことがあるたびに、すぐに死にたくなる軟弱な人もいますが、
彼らの中に発生するのも、あなたと同じく、
「どうでもよくなる」という思考(または放棄)です。
一方で、「生」は、たった一つの命令しか与えられていませんので、
そのコマンドは、「どうやっても動き続けろ」です。
これは太陽系でも同じです。
実際それが止まったら惑星も太陽も衛星も崩壊しますから。
となれば、
どうでも よくない=生の性質
どうでも よくなる=死の性質
この二つが合成されたのが人類で(地球では特に顕著)、
もともとは、そうやって、死んだらいいのか、生きたらいいのかで
常にその二極を揺れ動き続けることが、
その出力を搾取する側にとっては、
「エネルギー生産に役立ったから」というのが、
地球型の人種(品種)開発された「当初の理由」でした。
●究極的な高次意識というのは、
絶対的な「動きの停止」と非依存性です。
それゆえに、他に何も必要としません。
究極的な低次意識とは、
絶対的な「多動症」的な「落ち着かなさ」です。
それは、常に退屈し続けます。
「退屈」を定義すれば、
動かないと、イライラしてきて苦しくなるということです。
それは、食べないと、空腹になるのと同じです。
これほど相反するものを一つの生命の中に圧縮すれば、
その生物が、激しく不安になり、
Loosh(葛藤感情)を生産するのは目に見えています。
ただ、それでも、この一生続く、せめぎ合いに対して、
もともとの「全自我」であれば、耐えうることは出来ます。
これは良い状態なのか、悪い状態なのかは、
銀河系の評議委員会でも、意見が分かれるところですが、
今のところ、「そうでしかない」、というのが現状です。
●いずれにしても、
あなたが抱える、まっこうから、矛盾して見える、
「どうでもよくはないんだ」、
いや、
「どうでもいいじゃないか」
この二つは、どんな人間にも共通して内在しており、
この二つの入れ替わりのタイミングや、
振幅強度に違いがあるのみです。
・中略・
ですので、あなたも、
「生きたくなったり」、
「どうでもよくなったり」を、往復し続けるのです。
無明庵、または私が、
俗世間の「精神世間」と唯一大きく違うのは、
私は、人の中に、定期的にやってくる、
虚無感と不毛感を、決して、拒否も、否定もしないということです。
ある場合には、それは「必要だ」とさえ言います。
なぜならば、そこには、究極的なものが内在しているのですから。
ただし頭でそれを求めることは不可能ですから、
(頭の操作でどうにかなるものなど究極と言うはずがありません)
●とにかく、持っているものが、燃え尽きるまで、燃焼させ、
その火の暖かさを十分に自分の手に受けたとき、
「火を燃やすのも、それもまた、いいものだった」と、
悔恨なく、過去を振り返ることが出来ます。
その暖かさは、いわゆる「達成感や満足感」に似ています。
無常で、いずれ消える、つかの間の炎ではあっても、それは心を暖めます。
●その炎が、燃える「その暖かさ」の良さも経験したことのない人が、
「火など無意味だ」「火などそのうち消えるんだ」と、
焚き火に水を注して消してしまい、
あとから、寒くなって、さみしくなって泣く、
そういう愚行を私は、これまで、叱咤してきたのです。
あなたは、矛盾に葛藤しながらも、
最後の一本の薪まで、燃やし、体を温めることを、
私は、期待しております。
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