▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[204]
■
★分割自我復元★その204■ トラウマについての「復習」 ■
by:
鈴木崩残
2013/05/06(Mon)08:14:41
ACやトラウマ
■ACやトラウマとは、「自己否定」です。
■では、「自己否定」とは何か?といえば、
それは「自分の意志」を、他者から阻害されたと思い込むことです。
ただし、これが幼少期の場合には、単なる思い込みでは済まされず、
事実として、親という他者から「阻害」されます。
■では「自分の意志」とは何か?といえば、
それは、何度も掲示板で書きましたように、
「やりたいこと」と
「したくないこと」、それが自分の意志の基本です。
■このふたつを妨害される結果、
「したくないことを、させられ」
「したいことを、させてもらえない」という結果が生まれます。
■その結果「自己感覚」または「自己を死守する意志」が奪われます。
そうなれば、その結果は、
「自己というもの自体がわからない」
「自分がどうして、ここにいるのか分からない」
「自分の目的がわからない」
「自分が存在していい意味がわからない」
となります。当然のことです。
■または、その後は、本で読んだり、親から言われたこと、
他者の意見などに影響されては、
それを「自己の意志と考えだ」と誤認します。
●皆さんのこれまでの、
トラウマ報告、AC報告、コンプレックス報告を読みますと、
幼少期から、「全面的なまでに自己否定」させられた人、
「自己死守だけ」は生き残ったが、「部分的に自己否定」となった人など、
いくつかの種類があります。
むろん、ブログを書いている人、書いていなくて、地道に復元をしている人、
いろいろな人の全ての報告に、目を通しています。
●「自己否定」という事に関して、あえて、例のひとつとしてあげますと、
・『お姫ちゃん』さんは、父親から「女の子であること」を否定されました。
女性らしくあることを、徹底的なまでに、歪んだ父親の性格で、
阻害されました。
・『マディア』さんは、親から「男の子のように」あることを否定されました。
つまり「女は勉強なんかしなくていい」と。
本当は、男の子のように、好奇心に溢れて創造的だったのに、
か弱い女の子として存在はしていいが、力をつけるなと虐待されたわけです。
・『戦車』さんは、「子供」であることを、半・自己否定しました。
半というのは、境遇から来る否定と、自分の思いこみだけで否定した
二面があるからです。
・『さかな』さん、親から「子供」であることを否定され、その上、
「人間」であることまで親から否定されている面がありました。
・『くろまる』さんも「子供」である事を父親から否定されました。
・『S202』さんは、ことによると「男であること」を、
母親から否定されているかもしれません。
・『あたらし』さんも、『どんがめ』さんも、
親から「自分らしい子供」であることを否定され、
親が勝手に希望するような「別の子供像」を押し付けられました。
・中には、性別とは関係なく存在する、
自分の中の、母性、父性、といったものを否定される場合もあります。
他人からは、否定されなくとも、この世界で暮らしていて、
自分で否定「的」に考えてしまうこともあります。
むろん、他の方も、ブログを書いているかいないかに関係なく、
すべて、「自分の何かの側面」を、親から不当に否定されています。
●否定された自分の一面に対して、
反発を試みたり、反発に成功した子供時代の人もいますが、
惨敗して、そのまま成人し、40歳、50歳になった人もいます。
惨敗といっても、フェアーな勝負ではなく、
弱い子供を、いびりぬいた、
卑怯な親によってなされたイジメにすぎません。
このイジメの実体が、
親がその親にしたかった「代理復讐」であることは、
何度も説明したとおりです。
虐待、代理復讐は、ずっと連鎖しています。
●だから、この問題を解決していない人は、安易に子供を持たないでください。
もし、まだ成人前、あるいは幼い子供が、既にいるならば、
自らが、まずその連鎖を断ち切るために、自我復元とトラウマ掘りをしてください。
それが最低限、子供をこの世界に生み出した事で背負うべき責任です。
■さて、「自己否定」には二種類あります。
子供であった、あなたが無意識にしていた、自己否定は、
やがて、物心がつくと「自己嫌悪」になります。
「自己嫌悪」の正体とは、これまた、
「したいのに出来ない、この自分は嫌い」
「したくないのにやっている、この自分は嫌い」
というものです。
そして、この自己嫌悪、自ら自身に感じる「つまらなさの感覚」を、
どういうわけか、「社会嫌悪」に、摩り替える人がよくいます。
「この社会は、くだらない」「社会のシステムがいけないんだ」と。
そんなことを言っていたら、
マイケル・ムーアが何人いても、足りません。
●ところが、そういった人たちに、
「では、あなたの、したいことは、何なの?」と尋ねると、
いい大人の場合には、
とりあえずの「目的」は言うのですが、
そこには「その人の、自分」がありません。
また、その人が「自分で考えた自分の決定だ」と思っているものは、
どこからからの「まるごと借り物」か、
または「あちこちからの借り物の合成」です。
むろん本人には自覚がありません。
●「どんな人でも、完全な独自性はなく、借り物の合成になるのは必然だ」
などという机上の一般論は、ここでは通用しません。
問題は、「独自の自己」を持って、既製品を「組み立てたのか?」、
それともそうでないかは、歴然とその人の言葉や行動に出るからです。
つまり、「何を」組み合わせたかではなく、
「どう組み合わせたのか」です。
借り物の部品は全く同じでも、
組み立て方に、その人の独自性の有無が出ます。
●「自分を死守する」ということが、希釈自我では出来なかったために、
今日、皆さんの中に生じている、あらゆる問題が発生しました。
この希釈率は、さまざまで、
中には、生まれつき、80%、90%という人もいますし、
復元で、そこまで上がった人もいますし、
最初が10%、20%だった人たちも沢山います。
●しかし、いずれにしても、特に先天的に生まれたときに
欠けていた「自我率」の分だけ、
その人は、他者から、「自己否定」されるような事に出会います。
注意が必要なのは、
「自己否定」とは、文字どおり、「自己」否定ですから、
「ただの否定」ではありません。
「ただの否定」というのは、たとえば、
罵声を受けたり、軽蔑されたり、批判されたりする、酷評されたりする、
という「外部の他人の大騒ぎ」であり、本人には何も関係もありません。
しかし、自己否定とは、「本人が自分で自己否定すること」です。
そして、それが感覚としては、量の差はあれ「自己嫌悪」となります。
●自我率という「数値」から見れば、わずかに残っている欠落でも、
「自己嫌悪」を、まず探る必要があるので、
他者や社会に対して感じた不満や嫌悪感ではなく、
「自己嫌悪」をまず見るようにと、私は、言います。
そのような自己嫌悪すらない人は、よほど「鈍感で無意識的な人」ですから、
そればかりは、私にも、どうすることも出来ません。
せめて、自我率が少しでも復元すれば、自己嫌悪に気づくだろう、
ということのみしか、期待できません。
●自己嫌悪の原因は、「自己否定」ですから、
自分が、親の恫喝、あるいは家庭環境を原因として、
自分の中の「何を」「どの部分」を否定してしまったのか、それを探るのが、
「トラウマ掘り」、「AC掘り」、「調教掘り」です。
結果として、結局のところ、
幼少期、子供時代に、
「ほんとうはしたかったこと」
「ほんとうはしたくなかったこと」
これが、今の大人としての感情や理解ではなく、
「当時の子供そのままの感情」として掘り出せれば、
あなたの「自己」あるいは「自己の否定された側面」は救出されます。
●救出されれば、そこから、その子供を、
今度は、自分が親になって、その自分という子供の言い分を聞いて、
育てなければなりません。
「自我復元」を、地道に機械的にすることは、とても重要ですが、
同時に、もともとが、分割された自我だったのですから、
その生来の自我率が、高くとも、低くとも、
どうあれ、
この人生の中で、どうしても、他者の意志、または、自分の判断で、
「否定」してしまった自分の意志、
曲げてしまった自分の意志があるのです。
これは、どう言い訳をしても、
「したくないこと」をして、「したいことを我慢した」、
という現実として、記憶にあるはずです。
●それをすべて、もう一度、他者からの洗脳ではない、正常な、個人の意志に戻し、
自分の意志で、する、しない、ただし、それで生じた結果と責任も、
他人の意見や本の言葉や、他人の言動のせいにしない。
それが、復元がもたらす「本来の全自我」です。
唯一、他人のせいにしていいのは、
不正に、「自我が分割された事」のみです。
それだけは、人間のせいではありません。
************************************
●これについては、これをした種族または企業に対しては、
地球でいうならば、「極刑」が相応です。
なぜならば、極刑ではなく、たとえば、
今の地球よりも、もっと苦痛の大きな惑星やステーションを作り、
そこへ放り込もうとすると、
その小宇宙が、またも、宇宙の中で、特定の位置を占めてしまうからです。
私「個人」の意志としては、地球で自我を分割した連中は、
楽になど、死なせたくはないですが、
もしも無限に、いつまでも、殺さずに、
地球人類の味わった、1万年に渡る苦痛と同じ質の拷問で苦しませるための、
そうしたシステムを存在させ、かつそれを「管理」することは、
そのことに、「誰かしらの労力」が必要となるのです。
ですから、楽な極刑にはしたくはないのですが、
Dグループの管理会社の全員を「極刑」に処するのが妥当だと思います。
この場合の「極刑」とは、宇宙外の「無」に放り込むことではなく、
また、殺してくれと懇願しても、殺さずに、永久の拷問を与えるのでもなく、
素粒子的なモナドにまで、すりつぶして、
二度と「個体性の意志」を、持てないようにして、
今度は、皆さんの、娯楽と楽しさを形成する「建築素材」にするということです。
つまり、固体生物化した「意識」になる「権利」を永久に剥奪し、
物質意識に戻っていただく、ということです。
●「意識」を分割した行為、これについては、
今後、私はもう一度、「Cグループ」に接触しなければなりません。
私個人の意見は、あの意識分割は、まずかった、なのですが、
宇宙全体の中にある、別の視点では、そうではない意見も複数あります。
たとえば、そうした「視点」つまりは、
「宇宙に対する無理のある妄想」のひとつが、
>>「個の意識の中に、広範囲の意識が共存できたから、良しとしないか?」
とする派です。
>>「分離したものが元に戻る時に、喜ばしい安堵があるだろうから、いいんじゃないか?」
というふざけた連中もいます。
私は、この手の、あと付けのいい訳や、
後出しジャンケンのような「ド屁理屈」を言う種族は、大嫌いですので、
私は、その主張を、大昔から、一環して、否定しています。
彼らの言い分は、あくまでも「結果論」であって、
もともとは、「やってはならないこと」でしたから。
カオスと化してゆく宇宙に対する「応急処置」だったとは言え、
私は基本的には、意識の分断は、許されざることだと思っています。
ただし、これは、「自我復元」とは違い、
個人の好き嫌い、または個人の努力では、どうなるものでもないので、
私が他界したあと、シリウスに立ち寄って、
そこで報告書となる「ロート(結晶)」を提出するつもりです。
その表題には『単位分割禁止法』と「概念の思念」で書かれています。
これ以上、どんな精神粒子も、分解してはならないという法案の報告書です。
●Dグループは、抹殺すべきと思っていますが、
Cグループとは、多少の好意的な接触があるので、
私個人の心境は、複雑です。
しかし、もともとは、非人類型、
または、人類型生命体の改造になど、まったく興味を持っていない、
Bグループと、私は仲が良いので、
Cグループとの、お付き合いは、「今回限り」になりそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★シリアスな話題ばかりも何ですから、
最後に、「動物」に関する動画を3つリンクしておきます。
人間のような行動をする動物たち
↓
http://www.youtube.com/watch?v=lWuF-L-Aa5Q
ヒョウが取った行動の理由は?
↓
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=2baWiDI_v8A
動物を擬人化したアニメで、私が好きなもの。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=1qvyWFIIlkQ
______________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(204 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -