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「分割自我復元」
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[218]
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★分割自我復元★その218■ ★自我判定法の見直し ■
by:
鈴木崩残
2013/05/25(Sat)23:13:52
なぜ95%を超えても、初期値の自我率から、
変っていないように見える人がいるか?
●今回の記事は、読者の皆さんにとっても重要ですが、
皆さんにとっての重要度よりも、私の作業にとって重要です。
従って、皆さんがこれによって、作業に何かを加えねばならない、
という話ではありません(今のところは)。
今までの重要サポート情報というのは、方法の改善についてでした。
しかし、今回の問題は、判定をする私の側が改善を迫られている、
という事です。
●幾度か、桜の間にも書きましたが、
95%あたりからの自我率の変化については、個人差がかなりあります。
全自我になった人の事例でも、すんなりと超えた人もいれば、
ひどく通過に難航した人もいれば、いつの間にか超えていた人もいます。
ただ唯一共通していたことは、
トラウマ、ACの問題を掘らずに、それを通過した人は、
ほとんどいない、という点です。
●そこで、ひとつの仮説を立てました。
自我が回収されるまではよい。
しかし、そのあとに、
何か効率の悪いエラーが発生しているのではないかと。
そこで、球体の整形と、脳に送るという方法を加えましたが、
それに対しての、大きな効果を感じた人たちからの、
かなり多くの報告が入っています。
ですので、ここまでは、方法に問題はない、と見ていました。
●判定の数値には、ほぼ絶対的な自信を私は持っていますが、
しかし私を長く、悩まし続けてきた問題は、
判定結果の自我率の数値には、見合わないような、
とても低い自我率のように見える言動をする人たちが、
何人かいることです。
もしも、その人たちの自我率が低いのであれば、
それは、自我率に起因するものとして問題視しません。
しかし、自我率そのものは、初期値から比べて変化しています。
●今見えている共通点は、その人たちは、トラウマを全く掘れない人達か、
または、トラウマ掘りそのものが、学校の試験でもやるように
自分の「問題意識から」ではなく、
無明庵でやっているからやってみる、という他人事にすぎない人たちです。
自我復元とトラウマ堀りの相乗効果が、
飛躍的に、確実にその人を別人のように変えた事例の方が圧倒的に多いので、
90%を超えても、元の性質とあまり変らないというのは、ある種の「異例」です。
全く変らないわけではありませんが、
他の多くの復元者に見られるような「圧倒的な変化」がないのです。
●今までに、私は、90%、さらには95%の自我率になってさえ、
まるで、1/2以下のような報告を書いてくる人、
私とのメールのやりとりでも、
まるで1/3自我以下に戻ってしまっているのではないか、
という事例を、何度か見てきました。
むろん、90%台だけではなく、
同じことは、他の自我率でも起きています。
●この原因については、トラウマ掘りが出来ていない、
という事とは別の、「もうひとつの推論」は、
その人のそれまでの生き方が、持って生まれた自我率を、
使いこなすことなく、無駄に腐らせるようなことをしてきた、
という可能性です。
何度かたとえに出したように、
「筋力の増強」と、「技」は違うということです。
しかし、それは、言っても取り返しのつくものではありません。
それを理由にしたら、その人たちは、
人生をやり直すぐらいの生き方と経験を積まないと、
いつまでたっても、全自我にはなれないことになってしまいます。
●そこで、ここ数日、
判定をする側の私の手法に「判定をしていない要素」がある、
のではないかと推測をしています。
現在、判定用の文字には「自我」と「意識」の二文字を使っており、
自我は、その人が現在保有している自我の「量」を意味し、
意識は、意識の「明晰さ」を意味します。
このふたつを照らし合わせると、自我は上がっているのに意識はボケているとか、
意識はせっかく明晰なのに、自我率が追いついていない、
という事例も沢山みてきました。
●しかし、では、私が現在判定している「自我量」とは何なのかを、
もう一度、本日、考えていたのです。
もしかしたら、それは、
保有している自我の「量」に過ぎないのではないかと。
つまり、・・・・
1/
呼びかけて、
2/
密閉容器に集めて保管し、
3/
回収し、胸で形を整え、その半分量を脳に送る。
ここまでの作業で、確かに自我は増加する。
しかし、それは、自我の本当の意味での「定義」となっている、
肝心の「自我壁」を構成しているのだろうか?
という疑問です。
自我の素材を集め、整形し、半分を脳に送り、
復元の素材は、本人の中に入った。つまり「材料」は手に入った。
しかし、その「自我の元となっている材料」で、自我復元をしている本人は、
自我壁となる「容器」、
そう、それこそ「格納容器の壁」を、きちんと作れているのだろうか?
これが疑問となって現れてきたのです。
●私が現在判定している自我率とは、あくまでも「量」です。
しかし、手にした自我で、容器を拡大できているか否か、
それは、「自我」と「意識」の文字以外に、もう一文字、
判定用に、編み出す必要があると、感じはじめたのです。
ただし、だからといって、既に全自我になった人たちは、
再度、判定を、私に依頼する必要はありません。
その人たちに関しては、私は、「もう1人で大丈夫です。」と太鼓判を押せます。
問題は、90%台の自我率の人たちに対して、
ずっと私の中にあった違和感を、きっかけとして、
私は、もうひとつ自我判定のファクターを増やすべきだと感じていることです。
おそらく、その為の判定に使用できる文字は、
「器」の一文字です。
左右対称形の文字であるので、
形のバランスの乱れや、整い方が、はっきりと出そうな判定用の文字です。
「自我」= 回収して、吸収できた「自我の量」を表す数値で、
現在、自我判定の時に記されている数値です。
「意識」= それによって意識はどれぐらい、はっきりとしているか、
について判断してきた「補足的」な判定用の文字でした。
「 器 」=自我を建材として、実際に自我壁が復元されているか、
球体に整形されているかどうかの判定文字。
『必要 は 自我復元の母』
●人それぞれの自我の「初期値」、
つまり、その人の「持って生まれた自我率」は、
おそらく、「自我壁」も、それに見合う容積を持っています。
つまり、生まれつきの「自我量」は、
「自我の容器の容量」とも、釣り合いが取れています。
しかし、「あとから自我を加算して、修復」をしてゆく中では、
単に、吸収しただけでは、容器が復元できていないのではないか、
というのが、今、私が推測している点です。
むろん、自我復元をしている大半の人たちは、
>回収と同時に「自我壁も、自動的に増加して再生されている」のです。
この順調な人たちが、回収した自我で、
同時に容器をも作っている理由は、とても簡単です。
>それは、その人たちは、最初から「必要」としていたからです。
>自分という家に、壁や屋根に穴が空いていると分かっている人がいたら、
>木材や建材を手に入れたら、すぐにそれを使って家の修理にかかりますから。
たとえば、何かの為にお金が必要だと、はっきりしている人がいたとします。
その人は、お金が手に入ったらば、必要としている事に、すぐに使います。
しかし、最初に、使う目的も持っていない人が、お金を手にしても、
全く何の生産性にもなりません。
まるで、プロテインを飲んだだけで、
筋肉にすらもなっていない、かのような人が少数いるのです。
せっかく回収した自我が、消化されておらず、
自我壁の素材に変換されていないという人達です。
●ただし、今回の話は、90%台の自我率であるのに、
私から、判定時期を延期されたり、トラウマをもっと掘るようにと、
実際にメールで直接に言われた人だけが、気にすればいいことです。
「その他の人たち」は、自分の、今のやり方に間違いがあるのではないかと、
「必要のない心配」をしないようにしてください。
他の多くの人たちは、順調ですから。
好き好んで、問題を作り出さないようにしてください。
●私が問題視しているのは、数名の人たちだけです。
しかし、少数とは言って、
今後も事例として、何人か同じ症状の人が出てくる可能性が高いので、
私にとっては、まず判定の段階で、
その自我壁の復元の様相を、判定できるように、
改善をしなければならないわけです。
しかし、原因は、もう分かっているのです。
本人が、せっかくの自我という宝物の、使い道を持っていないのです。
●そして、私は、もう既に、必要な事は、全て提示したと思っています。
観察してみると、
トラウマを掘れない人、あるいは、掘っている気になっているだけの人、
これらの人に共通するのは、
「今のままでいいや」、というのが「本音」なのですから、
「自分の未来に、何も、自己イメージのヴィジョンがありません」。
自我率(自我量)と、不釣合いな報告を書いてくる人の全員そうなのです。
日常生活から生ずるような、細かい不満は、普通の人並みにあれども、
自分の一生の「人生の柱」にするようなものを、何も持っていません。
だから、人間としての魅力も、とても薄いのです。
●私は、
「未来と過去」とは「同一の距離で両方向に伸縮する」と言ったはずです。
遠い未来に意識を向けるには、その分、過去にも向けねばなりません。
また、過去に意識を向けた人は、その分、未来へも向けられます。
このために、
「スケッチブックによる、自由で新しい自己像の構築」があるのです。
自我復元をきちんとしている人は、
トラウマが掘れていっている人たちが、ほとんどですが、
掘れていない人には、そもそも「葛藤する神経」がないようです。
「まー、生きていられているのだから、なんとなく、別に、これでいいや」、
という「神経麻痺」の中にいます。
しかし、食べてゆく事とは全く別に、
自分の「一生の柱」とするテーマがあれば、
自分自身の状態に対する問題意識というものは、必ず出てきます。
問題意識が出てくれば、
トラウマやACは、なんとしてでも掘らねばならなくなります。
●前述した、「家の修復」や、「お金の使い道」の喩え話のように、
問題意識、つまり自分が解決したいことを明確に自覚している人たち、
つまり自分という「自我の家」に、
歪みや、穴が空いていると自覚のある人は、
自我を回収したら、すぐさま「その補修に回す」に決まっています。
回収しただけで、それを肝心の自我の修理に使えない人は、
無駄にお金を手にして、お金を浪費したり、
または、お金を貯蓄して、使わずにそのまま死ぬだけの人にそっくりです。
●だから、もう十分に情報は出尽くしているのに、
足踏みをするとしたら、私にはどうすることも出来ないと諦めています。
1/自我復元を地道に出来るだけ毎日続けてください(クーラーボックスのイメージを使う)
2/回収のときに、胸で球体に整形し、半分を脳に回してください。
3/必ず、自分の過去のトラウマやACを掘りなさい。
4/自分の未来像を、具体的に構築し、スケッチブックに描きなさい。
5/暗い部屋で、目を閉じて、自分の関心地図の状態を、定期的に確認しなさい。
効果が上がっていなかったり、止まってしまうのは、
必ず、これを、きちんとやっていない人たちなのです。
そして、それでもなお、やらない、または出来ない、唯一の理由は、
その人は、今のままで、死ぬまで生きていても別にいい、
今のままで死んでもいい、
自分には問題などないし、死んだ後などどうでもいい、と、
本音では、そう思っているという「それだけの人である」という事です。
だったら、無明庵のサイトなど、金輪際見ずに、
ずっと、今のままでいればいいのです。
************************************
●これを今書き終えて、はっきりと分かりました。
自我復元という、これだけの有益で効果のある方法がありながら、
自我復元が、出来ていない人、途中で止まる人、やめる人、
この人たちに絶対的に共通していたことは、
>「自分に与えられるものを、無駄にする」
という点です。
無駄について知るには、
「無駄ではない、とは何か?」を考えればいいです。
無駄ではない、とは、すなわち、得たり、与えられたものを、
>無駄にしない「使い道」が、
>それを、「与えられるよりも前にある」ということです。
だから、今日まで、私は、禅書、自我判定、滲み書、そして、
個別の沢山の膨大なメールでの助言をしてきてみて、
前述したように、自分の自我という家の、
「修理したいところを自覚している人たち」は、
「禅書」、「滲み書」、「無無心の書」
「自我判定の結果の手紙の内容」、
「匂い袋」や「おまけの書」
「深刻なトラウマ掘り、でのメール」
「何気ない、気楽な、メール」の中の私の言葉、
そのすべてを、本当によく活用し、生かしてくれました。
報告をみると、とにかく、与えられたものや、
自分で得たものを、何ひとつも「無駄にしていない」のです。
●既に自我復元を終わって、全自我になった人は全員そうでした。
本当によく、アイテムやアドバイスを、無駄なく活用してくれました。
現在復元中の人も、「突出」した人達を、名指しで言いますと、
「戦車さん」「マディアさん」「お姫ちゃん」「さかなさん」「おめめさん」
「新子さん」「ちきさん」「シキさん」「湖月さん」、
その他の、公認ブロガーの人たちのほとんども、
そして、ブログは、書いていなくても、
しっかりと、または、ゆっくりと復元が進んでいる人たちも、
その報告文やメールを見ますと、
掲示板の情報や、個人的なメールや、判定結果や、
滲み書、禅書、匂い袋その他、なんでも、
あらゆるものを無駄にはせずに、本当に、よく使い込んで活用しています。
復元作業や、トラウマ掘りでの「自分なりの工夫の仕方」も独特です。
私は、その人たちの生きてゆく姿勢をその文面から感じるだけで、
深く打たれるものがあります。
単純に言えば、その人たちは、自分の人生を、大切にしており、
真面目に生きている、ということです。
●しかし、自我復元が「止まった人、やめた人、進まない人、やらない人」、
この人たちは、何も無明庵のものばかりではなく、
今までも、どこの組織や、体系に行っても、誰と関わっても、
与えられたものを、とことん無駄にしてきたであろうと、私は確信しています。
お金の、その大切さと、有用性を知っている人が、
お金を無駄使いしたり、逆に貯金魔などになるわけがないじゃないですか。
そして、何よりも、与えられたり、自分で得たものを、
「何に使いたいのか」が、最初からはっきりしている人は、
ものや情報を、無駄になどしません。
得たものやチャンスを、ことごとく無駄にしてしまうのは、
決まって、自分の人生に、
「自己責任を伴う、自分自身の目的を持っていない人」です。
*********
>以下は、5/27 8/50追加
ちょうど、新しい補足用の、判定文字の「器」を使って、
判定をする機会がありました。
この方の場合には、吸収した自我量は、
その分、容器に変換されていたので問題ありませんでしたが、
その容器が著しく歪んでいる、または部品が足りないという事例が、
他の方の判定の時に、これから発見される事例が出てくると思います。
●ただ、申し訳ないですが、
その場合に、「こうすれば、改善しますよ」とは、助言が出来ません。
なぜならば、この「器」の部分を形成する原因となるのは、
本人が、自覚して、自己修復すべき箇所があるという、示唆だからです。
この修復の「必要性」は、本人がそれを突き止めていようがいまいが、
判定の文字には出ると思いますが、「具体的な助言」は出来ません。
●他者から言われて持つような問題意識はインチキで長持ちしませんので、
早い話が、生きてゆく中で「踏んだり蹴ったりされる」以外に、
本人が気づくことは出来ないのです。
そうしたプロセスでしか、切迫して、それを自分自身の大きな問題として気づき、
回収したにも関わらず、使われてない自我を、
間違いなく必要な修復箇所にあてらるようになる方法はありません。
●自我率は多くあるが、全く自分の「穴」に気づけない人の場合、
自我率が実際に低い人との唯一の「優位差」は、
何か不快で苦痛を発する問題が発生したときに、
「原料の自我量」の貯蓄量はあるのですから、自分でどうにか解決できるはずです。
従って、私や、私ばかりでなく、
他人の助言など、その人には必要ないということです。
●ただ、そうは言っても、おそらくは、
95%以上のところで、ぴたりと復元が止まったままになる人は、
何度判定しても、そこから変化がなくなりますので、
必然的に、「どこに問題があるのでしょう?」と、
私に質問してくることになると思いますが・・・、
不思議というか、面白いことに、この人たちは、
もっとも肝心な「正念場」に限って、質問してきません。
かなり自覚が困難な穴で、
しかも、本人が、自分ではない他人の考えに、
無自覚的に、必死にしがみついている、といった印象を受けます。
しがみついていて、それが無くなるのを恐れているために、
その最後の5%前後の欠落の中に、おそらくは、
その人が最も無自覚的に固執している何かがあるのだと思います。
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