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[220]
■
★分割自我復元★その220■ 自我復元の報告 ■
by:
鈴木崩残
2013/06/05(Wed)18:43:58
判定依頼の報告文の一部
●この方は、何度か、トラウマ掘りその他で部分的に掲載をさせて
戴いている男性です。
奥様も自我復元をしているという、大変に珍しいカップルです。
先だっての、最悪のケースとは異なる、ご主人の心遣いが、感じられます。
*********
崩残 様
いつもお世話になっております。
自我復元による変化・効果等の報告がまとまりましたので、
自我判定をお願い致します。
前回の自我判定をお願いしたのは、1月5日でしたから、
もうそろそろ5ヶ月になります。
振り返ってみますと、ほんの些細な事や大きな事まで、
自分の中の感情や思考および行動等において、
何か変化を感じなかったことは、ほとんどありませんでした。
また、自分自身の心の中を見よう、探ろうとしている自分がいることに、
たびたび気付くことがあります。
その頻度が、以前に比べて増えてきています。
日々、色々な事を考えたり、妄想したりしているわけですが、
「本当に、これでいいのだろうか」
「いや、これでいいんだ」
「いやいや、いいはずはない」
というように、自問自答する事が多くなってきています。
「悩んでいる」とも言えるし、「自己観察している」とも言えますが、
どちらとも言えないです。
悩んでいるというほど、気分が滅入ったり、心が折れたりして
精神が参って、動けなくなっているわけではないですし、
逆に、観察しているというほど、冷静に自己を観ているわけではありません。
別の言い方をすれば、苦しんだり、悩んだりする事が増えましたが、
その反面、それを楽しんでいるという感覚もあります。
いくら思い悩んでも、いくら苦しんでも、
これ以上、絶対に侵されないものがあるという事を、
感じ始めているからだと思います。
今、こうして、文章を書いているわけですが、本当に、難しいです。
特に、冒頭の文章を書くことは、とても難しいです。
この冒頭の文章は、何度か書き直しました。
文章を書きながらも、書いた文章を読み返したりして、
「これは、自分の正直な気持ちなのだろうか」
「嘘がないのだろうか」
というように、心の中を探っています。
そして、書いている途中でも、書き直したりしています。
しばらく時間を置いて、読み返して、違和感があり、
全て書き直したりすることもありました。
崩残さんに報告するという形をとっていますが、
実際は、自分が、自分自身に対して、報告しているような感覚もあります。
だから、本当に神経を遣います。
ある意味、自分自身に対して宣言するとも言え、自己責任も発生します。
ですので、なかなか思うように筆が進みませんので、少々気が重いですが、
変な話し、こうしている自分が一種の快感を感じていたりもします。
今回、自我判定をお願いするのは、いくつか変化があったからですが、
その中でも、とりわけ顕著な出来事がありました。
詳細については、後で書きますが、
ある時(5月10日)、「自分という存在」を強烈に感じたことがありました。
この時は、過去に無かったほど、自分というものの価値を感じました。
強烈に感じたのは、その時、一回限りでしたが、その感覚は今でもあります。
それで、その日以来、
「このように感じられる自分と言うのは、
どのくらいの自我率になっているのだろうか、知りたい」
と思うことが多くなり、そろそろ、自我判定をお願いしようかと思い、
現在に至っております。
*中略*
■前回の判定(2013年1月5日)以後の復元作業回数
カレンダー日数は148日で、ほぼ毎日行っておりました。
昼間の通勤途中の電車の中でも呼びかけを行っておりましたが、
実際の回収は、朝の起床時の1日1回のみ行っていました。
呼びかけから回収までが1セットで1回にカウントし、
また、完全にできなかった日、つまり、
呼びかけ、または、回収のどちらかができていない日が4日間ありました。
ですので、延べ回数は、144回でした。
■作業を行った結果、感じたことや変化したこと
日々、感じた事や変化等、記録したり、メモしたりしています。
その全てを報告すると、膨大な文書量になり、私の拙い文章力では
取りとめのない事になってしまうので、
変化に特徴があり、現在、重要な問題であると認識していることについて
いくつか、項目別に書きたいと思います。
●自分の考えについて(3月1日の記録より)
自分で考えた事というのは、素晴らしいことじゃないか。
最も尊い事ではないか。
それが、例え、他人の考えと比べて駄目だとしても、
良くない事だとしても。
自分のしょぼい、へぼい頭で考えた事だから、
大した考えではないかもしれない。
間違っているかもしれない。
だけど、自分の中から出てきた、
自分の頭で考えた、無い知恵を振り絞って考えた、
これほど凄いことはない。尊い事はない。
なぜか泣けてきました。
どうして今まで、この事に気付かなかったのだろう。
今までは、自分の考えと比べて、それより良い考えがあれば、
簡単に、その考えを変えていた。
そうやって、他人と自分の考えを比べて、
どちらが良いか考え、
良い方を選択していく事が正しいと思い込んで、
それをおかしいとも思わなかった。
でも、それは、違っていた。
それでは、自分は、いったい何なのだ
自分の考えではない、素晴らしい考えをどんどん取り入れていっても、
それは、どこまで行っても、自分の考えではないのだ。
だから、何か板についていない、
何かしっくりこないのは当たり前じゃないか。
元々、自分以外のものだから、すぐに手放すし、愛着がないし、
足に地が着いていないのは、当然だ。
他人の素晴らしい考えを知って、それに納得がいったら、
それまで持っていた考えを捨てて、
そちらに替える事が良いと思っていた。
そして、そうする事が、自分で考える事だと思っていた。
つまり、その考えが素晴らしいかどうか、良いか悪いかが重要だった。
それに価値を置いていた。
でも、それって、考えの方がエライのだろうか。
価値があるのだろうか。
考えと言うのは、自分から出てきた結果であって、
それは自分ではない。
だったら、自分というのは、いったい何なのだろうか。
いや、違う。
自分があっての考えであって、考えが先ではない。
それでは、自分がいらないではないか。
考えが良いか悪いかに価値を置いていたのでは、
自分がないではないか。
考えは、自分の中から出てきたものであって、
自分が考えに考え出てきたものが重要なのであって、
色々と疑って、これが最終的に、自分が正しいと思った事に、
価値があるのである。
考えは結果であって、それは、自分自身そのものではない。
その考えが、良いか悪いかは、その後の問題である。
それを試してみて、行ってみて、検証してみて、もし間違っていれば、
また、考え直せば良い
他人の考えを本やインターネットで調べたり、聞いたりして、
自分の考えを改める事ではない。他の物にすり替えることではない。
自分の中から出てきたものが、最も尊いものだ。
その良しあしは二の次だ。
考えが間違っていたら、考え直す。そして、古い考えを捨てる。
こだわる必要は、まったくない。
考えは、自分ではないのだから。
それが、間違っていれば、潔く捨て去っていいのだ。
こだわるのは、自分だ。自分自身にこだわる。
最も醜いのは、無自覚に、自分以外の考えをコピーして、
自分の考えだと思っていること。
だから、親から植えつけられた考え、つまり、トラウマや、
宗教等から教え込まれた考えは、
自分の中から出てきたものではなく、汚いし、醜い。
しかし、その人自身の中から出てきた考えは、どんなに小さく、
些細な事であっても、間違っているように見えても、
その人の存在そのものから出てきたものだから、
それを否定する権利は誰にもない。
それを否定したり、間違っていると言う事自体が、
その人の存在否定に繋がり、大きな過ちである。
(私の親が、私にしてきたように)
そうすると、私は今まで、他人の考えについて、自分と比べて
「これは正しい」
「これは間違っている」
と軽率にやってきたが、とんでもない事をしてきたと感じました。
特に、妻に対しては、
「俺の考えが正しいのだ」とやってきた。
本当に申し訳ない事をしてきました。
今まで、彼女の存在否定を大いにやってきた事を反省します。
そして、また、自分自身が、無自覚に、親から受けた考えや
◆◆◆という宗教の考えを自分の考えと勘違いしてきました。
これは、自分自身の存在否定にも繋がり、
自分自身に対して、大変申し訳ない事をしてきました。
本当に、自分に対して、申し訳なかった。
今の自分は、たいした考えもできないが、希釈自我なりに
自分自身で考える事をようやく始めていけそうです。
●身体のエクササイズを行っています。
頭、顔、胸、腹、下半身をバランス良く鍛錬
また、マッサージにもハマってしまいました。
一時は、暇があれば、一日に何回もマッサージをやったこともあります。
今は、落ち着いていますが。
このマッサージをすると、本当に気持ちが解れ、楽になりました。
頭や顔の緊張が取れるだけで、こんなにも楽になるのだと感じます。
普段から、よっぽど緊張しているのだということが、よく分かりました。
これをきっかけに、笑っている時や話している時等に、顔の筋肉が緊張して
引きつったりしていないかどうか、かなり意識する様になってきています。
そして、暇を見つけて、顔の表情筋を動かしたりして、筋肉のこわばりを取り、
自由に柔らかく動くように練習しています。
親からのトラウマによって、子供の自然な感情等が抑制され、
顔にストレスがかかり、結果として、
顔の骨格や筋肉が歪んでしまった可能性が高いです。
私の4、5歳頃の写真を見ると、今ほど顔が歪んでいませんでしたから。
つくづく、親のしてきたことには、ムカつきます。
でも、ある程度、顔の歪みが元に戻るのではないかと、少々期待しています。
また、頭と顔が引き締まって小顔になり、若い頃の顔に戻れるというのが
このマッサージの、元々の効果ですが、
実際、明らかに、顔が引き締まり、小顔になってきています。
私は男性ですが、女性以上に、顔の美容にこだわっているように感じます。
意外な所から、自分の新たな面を発見できた事は、嬉しいものです。
*中略*
また、これらのエクササイズを行う事に合わせて、
「自分の身体を擦る」という事も行うようにもなりました。
そして、その事を通して、冒頭でも書きましたように、
「自分という存在」を強烈に感じたのです。
次の項目で、詳しく書きます。
●自分自身の身体を擦ること。
自我、つまり、慈我(じが)(我を慈しむ)
のっけからですが、
「自我というのは、慈我(じが)であり、我を慈しむとも言えるのではないか」
このように、ふと急に思いました。4月22日のことでした。
単なる思いつきですが、この言葉、「慈我」、かなり良いのではないか。
「我ながら、本当に、いい言葉を思いついたものだ」と、
自画自賛しております。
実は、全自我になった暁には、
禅書をお願いしようと目論んでおります。
ですので、
「これは、お願いする文字の一つに確定だな」と思いました。
と言っても、他の3文字は、まだ何も決まっていませんが。
この時は、単に、この「慈我」という言葉を思いついただけでした。
しばらくしてから、
この言葉の意味について、実際に体験することになったのです。
前の項目で書きましたように、エクササイズを行っていますが、
加えて、自分自身の身体も擦るようになってきていました。
●5月10日の夜に寝る前でした。
胸、脇の下、わき腹、お腹等を、くまなく、
自分自身の手でマッサージしておりました。
自分自身が気持ち良くなるように意識して擦っていると、
だんだんと身体の緊張が、解れてリラックスしてきます。
そして、擦っているうちに、
ますます気持ち良くなって、リラックスするだけでなく、
自分自身が愛おしく、かわいくなってきました。
「ああ、なんて愛おしいのだろう」
「普段、いつも頑張って仕事したりしているからなあ」
このように、自分自身をいたわる気持ちになってきます。
大袈裟かもしれませんが、
この世界で、いや、この宇宙で一番、愛おしく、
価値がある存在に思えてきます。
過去に、◆◆◆という宗教に長い間、洗脳されていた頃に、
自分は、世界で、いちばんエライと思い込み、
何とも鼻持ちならない人間になっていたことがありましたが、
その頃に感じていた感情とは、まったく違います。
「自分という存在が、こんなにも愛おしかったのか、価値があったのか」
と思います。
以前は、いつも他人と比べて、自分は優れている、
劣っているということばかりに、意識がいっていました。
そして、いつも不安でした。この不安が嫌でした。
これを隠すために、見たくないが為に色々とやっていたと思います。
このように思っていた自分というのが嘘のように感じます。
今は、この自分という存在が、
愛おしく価値があると自然と思えるようになりましたが、
まさか、こんな日がくるなんて、本当に嬉しいことです。
このように思える私は、
「いったい、どのくらいの自我率になっているのだろうか」
と思います。
このように、身体を擦っていた時に、
自分という存在の大切さ、愛おしさというものを感じました。
その時は、本当に、気持ちよく、リラックスし、身体の細胞も、
私と同じように、喜んでいるように感じました。
何か奥深い所から、力が沸いてくるようでした。
そして、次の日、通勤途中にも、立っている時、歩いている時に、
足の下から脚、腰、腹、胸、顔、頭をエネルギーというか、
何か力が伝わってくるのが感じられました。
「凄い」と感じました。
「ああ、自分がここにいる。充実している」
「生きているといったらいいのか。何と表現したらいいのだろうか」
昨日、擦っている時に感じた、愛おしいという感情に、
さらに、新たな価値を自分自身に感じられました。
●振り返れば、自我復元、トラウマ掘りをしてきました。
以前から、自己の存在否定が色濃くありましたが、
これが無くなった事が、私のトラウマが解消されたかどうかの
ひとつのポイントになると思っていました。
「今の自分に自己否定があるのだろうか」
「子供の頃、親、特に母親から植え付けられた、
自己否定は無くなったのか」
と自問してみました。
無くなったのではないかと思います。
●トラウマについて
先日(5月17日)の中間報告で、
トラウマのことについて、下記のように書きました。
「結論として、親から受けたトラウマの悪影響は脱したというのが、
現在の認識です。
つまり、自分自身が問題としてきた「自己否定」、「脅迫観念」について、
親からの影響は、ほぼなくなったと言えると思います。
しかしながら、自分自身は、影響を受けなくなったが、それに関連する影響を
他人に与えているという点では、まだ不十分であります。
つまり、妻に、悪影響を及ぼしているということです。
ですから、「トラウマ解消宣言」は、まだできないと認識しております。」
このような認識に至ったのは、
まずは、前の項目で書きましたように、身体を擦るということを通して、
「自分という存在の価値」を強烈に感じたからです。
その時は、本当に「自己否定」は無かったと言えます。
「自己肯定」しかありませんでした。
この体験は、その時、一度きりでしたが、
感じる度合いが弱くなっただけで、
今でも、この感覚を日々、感じております。
では、普段の日常生活において、
本当に、「自己否定」は無くなったのだろうか。
過去、どのような状況において、
「自己否定」の感情が出ていただろうか。
1/体調が悪くなったりした時
2/自分の能力が劣っていると感じた時
(他人との比較または自分自身の定めた基準との比較において)
これらの状況になった時、必ずと言っていいほど、
「私は、駄目だ。だから、駄目なんだ」
というような感情が出てきていました。
1/の場合ですが、
私は、元々、体が弱く、ちょっとしたことでも、すぐに疲れてしまいます。
それは、今でも、それほど変わっていないと思います。
最近は、色々とエクササイズを行ったりして、多少は、元気になったようです。
また、自我復元によっても、少しは、疲れにくくなっているようにも感じます。
でも、基本的には、変わっていないと思っています。
周りの他人と比べてみても、それは明らかです。
ちょっと無理をすれば、すぐに疲れるし、
何よりも、胃腸がそんなに強くない。
かなり弱いので、食べ物に、結構、気を使わないといけないです。
以前は、この身体が弱い自分が、
「本当に大嫌いでした」
「もう、嫌で嫌でたまりませんでした」
スーパーマンのように、
何をしても、大丈夫な頑丈な身体になりたいと
本気で思っていました。
しかし、最近、それがないのです。
仕事で残業が続いたり、ちょっと無理をしたりすると、
「疲れたあ。しんどい。調子悪い」
となるのですが、
それによって落ち込んだり、
精神的に塞ぎ込んだりすることが無くなっています。
もちろん、身体がしんどい時は、そんなに気分が盛り上がらず、
ちょっと、ゆっくり休みたいと思うのですが、
精神そのものがダメージを受けなくなっています。
これ以上、侵されない精神の部分があることを感じるのです。
まったく、ダメージを受けないと言えば、嘘になりますが、
ちょっとは、ダメージがあるのですが、それ以上は、侵されない。
それ以上は、入ってこれないというような感じです。
何か防護壁のようなものがあり、その中に自分自身がいる為、
大丈夫であるというような感じです。
これは、自我復元による自我率の上昇とトラウマが取れたことにより、
防護壁そのものの、材質が強化され、
歪みや欠損が取れたからではないか感じています。
今では、身体が弱いのは、生まれる時の契約に失敗して、
弱い身体を選んでしまったのではないかと理解しています。
2/の場合も、1/と同様に、
防護壁によって、これ以上、侵害されないと感じるから、
「自己否定」しなくなったと言えます。
他人と比べて、自分の能力が劣っていると感じても、
「それがどうしたのだ。これが今の私の能力の限界だ」
「もし必要があれば、努力して、その能力を獲得すればいいじゃないか」
「それで、私の価値が下がるわけではない」
と思えるようになってきています。
このように、普段の日常生活においても、
「自己否定」の感情がなくなったと言えます。
でも、妻に関連することもあり、
「トラウマ解消宣言」は、まだできないです。
また、トラウマの掘り残しがあり、何が出てくるか分かりませんので
全自我までは、油断できないと思っています。
問題は、日々のちょっとした言動や行動等に、必ず出てくると思うので、
ちょっとした違和感にも、注視していきたいと思っています。
*中略*
5月の連休あたりから、
崩残さんの性の3部作を読むようになりました。
過去に、3冊とも読んだことがありますが、
結局、何も理解していませんでした。
そして、以前、妻とSEXをしていた頃は、
実際に試したこともありました。
結果として、私の勉強不足および鍛錬不足で、
彼女に本当のオーガズムの喜びを味わってもらうことは、
できませんでした。
でも、急に、また読みたくなったので、
まずは、「虹のオーガズム」を読み、現在、「性恋愛教本」を読んでいます。
*中略*
>[218]■ ★分割自我復元★その218■ ★自我判定法の見直し ■
この投稿を読んでいる途中、下記の文章を読んだ時でした。
>「私が問題視しているのは、数名の人たちだけです。しかし、少数とは言っても、
> 今後も事例として、何人か同じ症状の人が出てくる可能性が高いので、
> 私にとっては、まず判定の段階で、
> その様相を判定できるように改善をしなければならない課題です。
> しかし、原因は、もう分かっているのです。
> 本人が、せっかくの自我という宝物の、使い道を持っていないのです。」
この文章を読み終えた時、なぜか急に涙が溢れ出てきて、
涙が止まらなくなってしまいました。
次の文章を読み進めることができなくなってしまいました。
しばらくは、感情に任せて、泣いていました。
その理由は、すぐに分かりました。
妻に関することでした。
今は、自我復元の話をしていないので、
実際の所は、分かりませんので、
以下は、あくまで私の視点または推測にしか過ぎないですが、
最初の自我判定を除いて、彼女から崩残さんへの自我復元の報告は、
今の所ないと思います。
ですが、諦めず頑張って、自我復元を毎日行っていると思われます。
彼女なりに自我復元の重要性を分かっており、
真面目に取り組んでいると思われます。
しかし、彼女自身、多少の変化をしていると自覚しているが、
自我復元の依頼をするほど変化しているとは感じていないようでした。
このように、彼女の事を認識していましたので、
>「彼女自身が、せっかくの自我という宝物の、
> 使い道を持っていないのではないか」
そして、
「私と一緒にいることで、自我復元して、
全自我にならなくてもいいと思っているのではないか」
「本音では、今のままでも、特に困っていないのではないか」
つまりは、
「私と一緒にいることで、彼女が自立したり、自主性を持つことが
切羽詰まった問題になっていないのではないか」
「私と一緒にいることで、彼女の大切な人生の邪魔をしているのではないか」
と思い、涙が出てきました。
*中略*
先日(5月17日)に、崩残さんから以下のアドバイスを頂きましたように、
>「そもそも、自我復元に関するサポートは、私の役目です。
> この旦那様にも、奥様にも、どちらにも、本来は、
> 私が「個別に」対応すべき問題ですから、
> 旦那様は、奥様の自我復元には、推進役となろうとしないで下さい。
> 奥様が、ご自分のことをどうするか、
> 放置して、何も解決しないままに老いてゆくか、
> それとも、少しだけでもいいので、出来るだけのことはしてみるか、
> それは、本人が決めることです。」
何度か、ご報告させて頂きましたが、
今の所は、彼女の自主性に任せていくことが、いちばん大切だと考えています。
それが、今までの自分にいちばん欠けていたことですから。
それに関連して、彼女の話(愚痴や不満も含めて)をよく聞いていく事を
していきたいと思っています。
しかし、
何よりも、誰よりも、
自分が自分自身をどうしていきたいかが、
いちばん大事だ。
以上、報告文が大変長くなりましたが、報告は以上です。
お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
_______________________________
*********
●もうひとつ・・・・おたよりを。
この文体は、むろん「あの方」です。
>自我復元というのは、
>単なる好奇心から、オモシロそうだから始めたのですか?
>それとも、切羽詰まった問題意識がありましたか?
この問いは、私に向けられたものではありませんが、やってみました。
わたしが自我復元に乗り出したとき、既に、
治療目的で「気」をいじるつもりでいましたが、
その手のエネルギー治療師の有名どころは、
幼少期から、普通ではないようでした。
有名になるつもりはなくて、市井に紛れてこっそりと治療するだとか、
医療業界に潜入して、
気功的・死にゆく人観察、とか、
気功的・難病原因追求、とか、
そういう事をして、こっそり楽しもうと思っていました。
それらをするには、見る力と治す力が必要で、あとはその力の程度ですが、
身に付けるなら、とことんいいものを、と思うと、
やはり目指すのは、有名どころレベルになります。
わたしは物凄く普通で、しかも、気がわかるとはいっても、
本当にはっきりわかるわけでもなく、訓練したわけでもありません。
そんな状態ですから、有名どころレベルを目指すのであれば、
絶対に自我復元が必要だと思いました。
ということは、自我の復元なしに、
自分の「気功的覗き趣味」はなし得ない、と思ったのです。
自我復元を完了させることは、土俵に上ることです。
そこから先は、また別の問題ですが、
希釈自我では、土俵に上る資格すらないのだと思いました。
●自我復元理論が本物でもインチキでも、とにかく、
よさそうなものは何でも試してみようと思っていたので、
ほいほい自我復元に誘われました。
出荷時のミスで、本来の人間の機能が発揮されない。
しかし、それを直す方法がある。
と言われたら、あんな少ない投資で済むのだし、どうあっても、
自我復元に手を出さずにはいられなかったと思います。
●ちなみに、「ひきつりながら読む精神世界」を読んだ後でしたし、
自我率について思い当たる説明もあったので、
自我復元理論がインチキ臭いとは思いませんでした。
自我復元に興味を持ったのは、もう一つ理由があって、
それは絶対に外せない、
「地球に生まれて来ないための」、というこの文句です。
スピ系の本で、死後世界を探求しましたが、
どの本も、
「地上は魂の所業場だ。魂は修行したいのだ。
だから、一旦地上から戻って休んだら、
また、地上に生まれることになる。
どうしても、それをしたくなるのだ。
魂は、成長を望んでいるのだから、
地上に修行しに行きたくなるのだ。」
という論調でした。
これにウンザリです。
わたしは、一旦死んだら、もう二度と地上に戻るもんか。
と思っていましたが、
ご丁寧に、そういう人向けのメッセージもありました。
「地上生活ではそう思っていても、魂の状態になったら、
また、修行したくなる。それがあなたの魂の本質なのだ。
成長し、向上し、大霊と和合するのだ。
あなたの魂が、それを望んでいる。」
ぐおおおおお!よせええぇぇぇ!
と思ったのは、言うまでもないのですが、
本当に、再び地球に生まれてくるのがいやでした。
何で好き好んで、こんなおかしな世界に戻らにゃならんのだ。
戻らないためには、魂の修行をするしかないのか・・・
と、こんな具合でげんなりしたところで、
「気の技を鍛えて、人々に貢献して、地球やめる」
という発想が浮かんだのです。これでどうにかならんか、と。
それなので、「ひきつりながら・・・」の「宇宙の肥やし」話は、
ははぁ、そら「成長」とか言いながら生きてもらうよなあ。
なんて、するりと入って行きました。
スピよりも、自分好みの話でした。
●ところで、先日の旦那さんとの問題を抱えた、
自我復元者の女性についてですが、
問題を感じたら、勝手に掘り進むと思うのですが、
それが無いようで、不思議です。
これだけ大きなとっかかりがあるのに、
そこに手を付けないのか、それとも、手を付けたくないのか。
なんで手を付けたくないのか、とか、いくらでも掘れそうなもんですが。
「なぜ、こう考えるのか」と、その辺を考察すれば、
それだけの自我率なのだから、掘れるでしょー、と思うのですけどね。
_______________________________
以下は崩残です。
●ちなみに、その例の夫妻の、旦那さんは、
こんなトンでもないことを言っていたようです。
以下は、++さんからのメールの一部です。
↓
>>それから、ご質問の答えです。 夫に聞いて、私がまとめました。
>>◆ご質問の答え
>++さんが、自我復元をすることで、
>旦那さんが「不安になること」は何ですか?
>>スポーツや資格の勉強などとは違って、自我復元は脳や精神そのものに
>>作用するもののようだ、と思っている。
>>たとえば、パソコンを起動してアプリを使うのと、
>>パソコンを分解して内部を触ることくらいの違いがあると思っていて、
>>その分、見ている側には緊張感と不安感がある。
>>精神に作用するものなので、スポーツよりは不安を感じる。
>>何かがあって、妻が精神的にめちゃくちゃになったら
>>生活が崩壊するのではないか、という恐れがある。
>>隠し事をされたり、嘘をつかれたりすると、不安になる。
>>自我復元だけでなく、日常生活でも同じ。
>>前に一度、判定したら教える、と約束したのに、妻は隠して教えなかった。
>>それですごく不安になった。
>>だから、自我復元に関することで嘘をつかれたり、隠し事をされたり
>>すると、その活動自体に不安を覚える。
これに対しての私の返信と、助手(いつの間にか助手になっている?)の
所感は次の通りです。
*********
・私の所感
そもそも、自我復元を奥さんが始めるずっと前から、
旦那さんが自ら、妻に皮肉を言い続け、
夫婦の関係を壊しておきながら、
妻が精神的にめちゃくちゃになったのは、自我復元のせいだとか言われるのは、
大変に迷惑な妄想ですので、++さんの判定を、やめる選択を考えました。
そもそも、旦那さんは、他の方の復元ブログも読んでいないし、
++さんが、きちんと旦那さんに説明もできないから、そのようなことになるのです。
*中略*
私が一番、呆れた部分は、
「妻が精神的に錯乱したら困る?」というくだりです。
「おめぇーは、自我復元を知りもしないし、行ってもいないで、
自分の奥さんのしている、自我復元に、判定結果を言えだの、
判定したときには知らせろと、口出しするくせに、
何人もいる、自我復元ブログすら、全く読んでねぇーよな?」、
と言いたいです。
そして、貴女も旦那さんに対して、
「復元している人たちのブログを読んだの?
あの人たちのどこが、精神がめちゃくちゃだって言うの?」
と、++さんが、自分が大切にしていたつもりの自我復元を、
きちんと説明すら出来なかったということが、大変に残念です。
普通だったら、
「精神がおかしくなるだって?
医師の処方薬を使うものでもなく、催眠ですらもないのに。
あなたの方が、頭おかしいんじゃねぇーか?」で、おしまいですよ。
「そんなことあるわけないし、
他の復元者のブログは読んだの? 読んで、どう思ったの?」
そういうことすらも言えなかったのでしたら、もう、どうにも出来ません。
*中略*
◆一言に私からの所感を言いますと、
この分では、++さんが、たとえ、
親や知人にも言いたいことを、本当に自分というものの中から、
率直に、はっきりと言えるようになったり、
交友関係が変ったり、良いパートやお仕事が見つかったり、
せっかく、その他の、自我復元に独特の、いろいろな良い変化が起きて、
それが、++さん本人には素晴らしいものでも、
旦那さんの、妄想と、わがままにとって、気に食わないような変化は、
なんでも、旦那さんからは、(そちらに対して言葉に出さなくても)
「自我復元のせいで、俺は妻の最近の態度が面白くない」にされるのですから、
自我復元の側は、たまったものではありませんね。
このような、足手まといになる伴侶のいるケースは、
こちらでもはじめての事ですので、
とにかく、一度、自分自身の体勢を立て直してください。
そのためにも、今後は、メールもお断りします。
最後に、お聞きしますが、 自我復元というのは、
単なる好奇心から、オモシロそうだから始めたのですか?
それとも、切羽詰まった問題意識がありましたか?
*********
●ところで、さすがに、私も、今までのように、
1人で、沢山の相談者のメールと向き合うのにも、限界がきまして、
今回は、人生経験の豊かな「戦車さん」に相談し、見解を聞いたところ、
以上のような感想を戴きました。
これは、当事者の++さんにも転送しました。
>戦車さんの所感
メールを読ませてもらいました。
途中、目を見開いてしまいました…ツッコミどころ満載です。
印刷して、突っ込みどころにペン入れてしまいました。
順を追って、感想を書きます。
>>私には本来、私が単体で、自分のために、やることがあるはずだ。
>>つまり結婚してなくて子供もいなくても、
>>そして食う目的の仕事以外に、私がやることが。
>>それは、トラウマ掘らなきゃ、絶対出てこない。
>>他人にけがされてない、「自分」というのが出てこなければ。
これが、どうも、
「宿題やらなきゃ」とか言いながら
夏休み最終日を迎える小学生とダブるのですねえ。
で、このセリフは、ただのポーズに見えます。
わかっているのだったら、その自我率を活かせば掘れるでしょーよ。
++さんの場合は、「あるはずだ」、と言い、
「やること」が、どこからかコロリと出てくると思っている、
ように見えます。
この部分だけを見ると、
「正体不明の『やること』を手に入れるために、トラウマを掘る」
という図に見えるのですが、
その「やること」は、本当に欲しいんですか?
というところから始めないとダメな気がします。
本当は、そこまで欲していないと思いますが、
じゃあ、何なら欲しいんだよ、となった時、
もう少し、危機意識が出るだろうと。
>1/旦那さんが「具体的に困ること」は何ですか?
>2/旦那さんが「不安になること」は何ですか?
>>についても、その時に聞きます
こここそが、目を見開いてしまった箇所です。
ダンナに「聞く」ってか!?
それ、あなたが分析するべきところでないの?
既にショボショボと判明したダンナが、
「ダメな女から脱却されたら困る」だなんて、本音を言うわけないじゃん。
と思いました。これが、自我率95%なのか。
「問題意識のなさ+トラウマ」って、もの凄い影響ですね。
>>・二人の間では基本的に自我復元の話をしない。
>>夫は私の復元作業が現状どうか聞かないし、夫が桜の間見ることも自由。
そのうち、溜まった不満や不安を、体全体で表現あそばすようになると思います。
>1/旦那さんが「具体的に困ること」は何ですか?
>>困っていることは特にない。
>>むしろ、この数年で妻が変わってきていることを感じる。
なら、何で報告求めたりしたんだよ。
困っていないだなんて、そらインチキに決まってんじゃねーか。
>>何かがあって、妻が精神的にめちゃくちゃになったら
>>生活が崩壊するのではないか、という恐れがある。
「そんなに不安なら、自我復元の正体を確かめろよ。
お前もDVD見ろ、メモとりながら。期間決めてやってみろよ。」
と言いなさい!++さん!
>>隠し事をされたり、嘘をつかれたりすると、不安になる。
>>自我復元だけでなく、日常生活でも同じ。
「ゴミ箱を蹴られると、私は不安になる。」とダンナに言い返したのか?
>>結局、私が正々堂々としていなかった故に、
>>夫が不安になったのだ、とわかりました。
++さんに正々堂々とされると、
ダンナさんには新たな不安が生まれると思います。
>>それから、今回の話し合いで、
>>ここ数年の夫から見た私の変化が聞けたのは、嬉しかったです。
えーーーーっ!!
そんなダンナからの講評が嬉しいんですか!!??
どーせロクに見てないよ?
ところで、++さんのダンナさんに対する本音は、
どんなところですか?
そのダンナ、なにか旨みあるの?
*********
以下、再び崩残からの最後のメールです。
*********
そして、最後に、もう一度、繰り返しますが、
++さんの場合には、本当の意味での、
「自分」というものから出てくる自主性が全く見られませんので、
今、私が何を言っても、
それに対して、本当に自分自身の全身全霊で納得してするのではなく、
いつでも、誰かに「言われたから」が言動の動機となってしまっています。
ですので、今後は、当サイトを、見なくても、見ても、
すべて、ご自分の意志(または旦那さんの意志に付き合って)で決定してください。
無明庵の体系との正しい関わり方についても、
復元作業の事も、もうこちらからはアドバイスはいたしませんし、
自我判定もいたしませんので、
あとは、すべて、そちらで決定の上、
何か変化があっても、また何も変化がなくても、
自己責任にて、お願いいたします。
敬 具
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -