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[222]
■
★分割自我復元★その222■ おたより ■
by:
鈴木崩残
2013/06/09(Sun)07:55:49
・おたより・
●自我復元に関する内容「以外」の投稿についてのおたよりを戴くことは、
わりと珍しいのですが、たまに、常連さんから戴きます。
先日の、短編小説の「初めてのバー」についてとか、梅の間の話についてです。
今回はそんなおたよりのひとつです。
******************
★桜の間の前回の投稿の「不毛な誤解と不毛な理解」ですが、
これは、ちょっとわかります。
自分の面倒を満足に見ることができなくて、
どうしていいかわからない、漠然とした不安があるのです。
それを共有したいのです。
そして、「自分だけではなかった」となったとき、
その不安が一時だけ、軽減されます。
ですが、根本の解決には至らないわけです。
意味がないのですね。
かつての自分には、こういう傾向がありました。
自我復元が進んで、そういうことはなくなりましたが、
希釈がひどいと、やはり、様々が弱いのです。
理解したい願望も、かつて抱いたことがありました。
「コイツは、どうしてこういう行動を取るのか」
ということがわかれば、もう少し上手く対応できるかも、
という予測から、どうにか分析しようとしたことがありました。
その他、恋人のメールを覗き見るとか、手帳を見ちゃうなんて
そんな恐ろしいことは、やろうと思ったことないです。
知らない方が幸せなこともあるし、
知ったところで、どうにもならんのだし。
なので、恋人のケータイをこっそりチェックしている、
とか言う人は、ある意味すげぇ!と思っていました。
自ら修羅場を作り出したいのか?
というのは(半分)冗談ですが、
他人のメールチェックなんかやると、そうなる恐れがありますからね。
支配欲から理解したいと望む場合が、ほかにもありそうですが、
そこんところは、よくわかりません。
理解してもらっても、根本の解決にはならないのですが、
そこは、「悪口を言い合って、仲良くなったように錯覚する」という
しょぼい関係と同じで、
「わかってくれた」と思うだけで、ある程度満足が得られるのですね。
理解が得られても、得られなくても、
話して聞かせると、スッキリする効果もあると思います。
なので、一般社会でも、
つまらない会話がものすごーーーーく多いのでしょう。
笑える冗談でもなく、連絡事項でも意見交換でもない、
「なんか意味あんの?」的な、相手には無関係の出来事の垂れ流し。
痰を吐くようなもんですね。
吐きかけられた方のことは、気にしない、というは、よく見る光景です。
ですが、話題によっては、
理解が得られないと、よりストレスになるので、厄介ですね。
そういう話題で理解を得られると、とにかくそれを言い訳にします。
こちらの心を汲んで、優しくしてくれよな。という要求もあります。
こういう例は、ちょくちょく見かけましたし、やったこともありますが、
すごーくいい!と言えるものではないです。
だって、何も解決しませんからね。
ということで、「わかってほしい」の場合は、
「優しくして欲しい、気遣いしてほしい」と言い換えることができます。
「わかりたい」は、コントロールしたい、ということでしょうか。
このどっちも、他人に刺さり込みすぎのような気がします。
自分をどうにかしなさいよ、という話なので、
> 自分が一体「何を放つか?」なのである。
これだけが重要ですね。
・・・・・・・・・
梅の間の投稿ですが、
看板娘に恋慕する心理を、ここまで分析した人は、いないんじゃないかと思います。
戴いたメールに、
>「看板娘に片想い」というのは、けっこう「渋い趣味」とも言えますが、
>見方を変えると、「なんと、しょぼくれた性根」だとも言えまして、
>どっちにも転がるのが面白いです。
とありましたが、
諸々の条件が整って、初めて「看板娘」に複雑な感情を抱き、
甘酸っぱい、ちょっとこそばゆい感じを楽しめるのですね。
そうやって分析すると、
日常には、様々な「快」が転がっていそうですね・・・
・・・・・・・・・
ところで、その前回の投稿にあった写真ですが、
バラがすごい!
虫食いはあっても、病気がない!
当然、農薬なんて使わないでしょうから、
すげぇ!と毎度お馴染みの、この叫びが出てしまいます。
メールでは、「お酒と塩で漬ける」とありましたが、
ジャムはよくありますが、塩漬けにもするんですね。
桜の花の塩漬けはよくありますが、
あんな感じでしょうか。いいですね。
わたしはバラを蒸溜しようと目論んでいましたが、
ついに手を出さずに、マイ・バラ園は解体してしまいました。
崩残バラ園は、フェンス越しで背景に物干しがあって、
普通でいい感じですよ。そういうのがいいのです。
フランス風の、びしぃーーーん!!と整った庭よりも、
イギリス風の、ゆるーい管理に見せかけた庭の方が好きなのですが、
そういう演出をしている庭は、なんか、胡散臭いのです。
全てが胡散臭いとは言いませんが、
あまりビシっとしているのは、好みじゃあないです。
******************
という、とても気楽な、ゆるいメールでした。
●その他の私から読者の人へのメール
・中略・
自我率1%の変化というのは、実感としては感じられないと思います。
前に掲示板でも言いましたが、本人の自我率というのは、
伸縮率があって、最大で、+−3%とか、平気で変動しています。
つまり自我率が20%と低い人がいたら、
17%から23%ぐらいまで、動いています。
それは、本人には、ちょっとした、
気持ちのアップダウンには感じられると思います。
また、抗うつ剤とかを毎日のように飲んでいた時期があると、
持って生まれた自我率の最低のボトムにまで落ちます。
しかしこの自我率近辺での、3%とか5%とかは、
「違う分数の自我率になる」ぐらいの差なのです。
たとえば、1/4自我は25%、1/5自我は20%
たった5%しか違いませんので、両方の変動値は、重なる部分があります。
そして、自我率が下がるほど、前後する分数の自我率にまたがっているわけです。
私が見ると、「ちょっとだが、変ったようだ」と見えるのは5%以上からで、
10%では、本人が何も変化を感じないことはないです。
ただし、最初のうちは、変化が大きく感じられ、
中には、そのまま30%ぐらいまで、大きな変化を感じる人もいれば、
その後は、最初ほどではないが、細かい変化を感じるという人もいます。
ただ、見ていると決定的な検証材料は、やはり報告内容です。
報告内容がぱっとしないわりに、1年ぶりの判定で、
2度目に、20%以上も変化していた人が、ごく最近いました。
この人は、変化を過小評価しているか、
いろいろ変化したことに、自分で気づけないようです。
でも、私から見れば、大きいのです。
その逆というのは、あまりないです。
本人は、すごく変化したぞと思い込んでいるが、
判定した自我率は、それほどでもなかった、というのは、非常に少ないです。
皆さん、結果の自我率には、自身で納得するものがあるようです。
一番難解なのは、90%あたりから、
すごく目立った変化を感じるかどうか?ですが、
物凄い障壁となっているはずの「課題」があるのに、
止まっている数名の人が、一体、それまでの変化をどう感じていたのかに、
私の中では疑問が残っています。
ただ、この自我が保存されたまま使われない前例は、
「さかなさん」のケースで一度ありまして、
その当時は、どう見ても、自我率は65%以上なのに、
明白に問題のあったトラウマも掘れていなかった、というものでした。
これは、クロマルさんに至っては、98%の自我率の段階で露見しました。
クロマルさんは、私が個人的に、つきっきりでトラウマ掘り手伝いましたが、
私が手伝っても、なおトラウマをほとんど何も掘れない女性もいました。
そうなると、私が口出しする機会がなかったり、
あえて、掘る場所を、私からは助言しない人の場合には、
生活の中で、決定的にヤバイ状況が、その人に襲ってきてくれて、
本人が、そこで覚悟を決めて決意して、掘りさえあれば、
98%ぐらいの自我率の人は、ひょいと全自我になれる「可能性」が、
ありそうなのに、本当にもったいないです。
中略
さて、話は「変化への本人の自覚」の事に戻りますが、
何人かの人がブログや報告にも書いてあるように、
気づくと、当たり前にやっているので、それを変化と感じなかったが、
しかし、前には、こんなこと出来なかったよね、
と振り返ってから、「これは、すごい事だよ」、となる人も多くいます。
中略
本職や専門が「アート系の人」というのが、
なぜか、ここ一年で、自我復元をする人の中に、かなり増えています。
たまたま知人に、精神世界→無明庵を知っている人がいたという縁の
人が多く、精神世界には元々関心のなかった人たちが大半です。
また、医療関係の仕事をされている方が、けっこう目立ちます。
中略
この世界が「おかしい」ということは、誰もが感じる当たり前の事ですが、
おかしい原因や、おかしい現場を見てきて、
自問自答したり、真剣に「自分のこと」として考えてきた人は、
たぶん、直感的に、
「自我復元理論」は、少なくとも「部分的には説明に筋が通っていそうだ」、
と感じると思います。
逆に言うと、今まで無明庵のサイトを、
私が投稿するようになった1999年ごろから長年読んできた人たちでも、
世界と自分の違和感や疑問に対して、他人からのものではない、
自分自身の中から自発的に生じる「自問自答」をせず、
ただ、ネットサーフの途中に立ち寄る、「趣味のひとつの無明庵」であるだけ、
ただの「話のネタや読み物としての無明庵」であるだけ、とか、
他ではこの世界に対する説明に納得できなかったから、
思想や宇宙観として、これなら、しばらく納得できそうだ、
という動機だけで、ただ、もんやりと、当庵と関わってきた人たちは、
その調子で、自我復元をしてゆくと、途中まではいいのですが、
肝心なところで足をすくわれて、中途半端な人生のままになっているようです。
一方で、無明庵など知らず、精神世界などに関心が全くなくとも、
「自分の問題」こそに大きな違和感を抱え続けてきて、
その解決策を、必死に模索してきた人は、
一度、自我復元が起動すると、確実な自我率変化の路線に入ります。
そうなってゆく、人のほとんどはは、
ちょうど、そのころに、自分で何か決着をつけたとか、結論を出したとか、
離婚したとか、あるいは逆に、その時に結婚して家庭を持ったとか、
とにかく、何かを自分で決断をしたり、必死に、何かを模索していた、
「ちょうどその時に、自我復元に出会いました」、という話をよく聞きました。
これは、本気で、自分に対する自分の不満をどうにかしたいと、探している人は、
直感で、自我復元というツールを探して当てるのだと私は思います。
しかも、何万人に1人しか通過できない悟り系の問題とは全く異なり、
自我復元は、よほど精神を病んだり、薬漬けになっていないかぎりは、
10%の自我しかない状態からでも這い上がれていますから。
一方で、最初から自我率が85%ぐらいもある人が、全く復元が進まないとか、
自我率(自我量)だけ変化して、実質的な変化に欠しいというケースもあります。
これについては「器」という文字によって、補足的な判定をし始めました。
中略
読者の人の中には、いわゆるヒッピー時代だとか、瞑想フリーク時代に
カップルになって、そのまま、ずるずると、
2人して精神世界をうろついてきたカップルが何組かいますが、
ほんの数組の、しかも「その片方の人」以外は、どこも冴えないです。
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