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[223]
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★分割自我復元★その223■ 「判定結果へのおたより」 ■
by:
鈴木崩残
2013/06/14(Fri)05:20:05
自我判定結果へのおたより
●のんきに「梅の間」などを更新している場合ではなくて、
現在、主要な、「復元ブロガー」の人たちや、
その他の人たちからのメール内容が、
個別にすべて「違う層の問題」に関係しているので、
なかなか、この「桜の間」で、不特定多数の「自我復元者」の人たちに、
一般的にシェアできる話題に整形するのには、手惑いそうです。
まずは、おたよりからです。
この方は、ブログに、今回の報告や判定結果を更新する予定です。
*********
鈴木崩残様
つづきです。
滲み書ありがとうございました。
一晩考えた結果、戴いた滲み書こそが、
余計な贅肉をそぎ落とし、引き算した、
今の私の目指すべき、ついのエッセンスでした。
これに余計な講釈付け加えるのは陳腐でしかないと思いつつも、
思いつくままに感想を述べます。
●
「原光」「到」を眺めていると、ああそうか。
・中略・
私は光を誤認した。
インチキをほんものと錯誤した。
それは光でもなんでもなく、
ただ意識が故障して壊れただけでした。
それが今回の人生の大きなボタンの掛け違いだった。
幼少期の光の誤認(パニック症状)。
もしかして、ひょっとして、
私は、悪趣味なミステリーツアーの企画に、
面白そうだと、のってしまったのかもしれません。
・中略・
崩残様のおっしゃる「自爆型」の素質が十分にあるのが怖いです。
もしそうだったとしたら、危険すぎる。
たちの悪い冗談はやめてくれという感じです。
戦闘地帯を海外旅行の渡航先に選ぶようなもんです。
いや、もっと危険だ。永遠に幽閉されること覚悟で
キチガイの巣窟スラムへ単独で飛び込み、
意識を朦朧とさせながら、闇雲にふらふら出歩いているわけだから。
キチガイの巣窟スラムの中に迷い込んで、
毒を盛られながらも、意識を朦朧とさせながらも、
不幸中の幸いで、
無明庵というネオンサインをみつけたからよかったものの、
たどり着かなかったら、どういうことになっていたか。
このポンコツ意識も、地球に氾濫している海千山千いかさまの、
自覚症状のない果てしないペテンの混沌の中で、
ほんものをかぎ分ける嗅覚だけは、あったようです。
その点だけは、その一点だけは褒めてやります。
・中略・
私は、ドラクエの旅に出かけました。
ゲームでは主人公は勇敢な戦士ですが、
このゲーム、ミステリーツアーの主人公の私は戦士ではなく、
盲蛇に怖じず、怖いもの知らずのバカな旅行者です。
渡航先に到着するやいなや、いきなり毒を盛られて、発症してしまいました。
そこで、まずは、意識のメカニズムを熟知しているエンジニア、
ほんものの専門家の元を訪ねる必要がありました。
ほんものの専門家に私の症状をみてもらって、
意識に毒を盛られて狂っていた私の、
解毒の方法を指南していただく必要がありました。
●
崩残様が常々おっしゃっているように、
自我とは、筋肉、足の裏の皮と、一緒なのですね。
私は、
「皮が厚くなって抵抗力がついたら、そしたら歩こう」
「筋肉がついたら、運動しよう」
そういう、本末転倒なことを考えておりました。
これでは、いつまでたっても皮(自我壁)は厚くなるわけはありません。
自爆型の素質たっぷりの私は、今まで、
「止まるために歩け」を続けてきました。
「止まる(自分がこの世界に存在しているわけを知る)ために歩け(専門家を探せ)」
を続けてきました。
いや、「止まりたくて、彷徨ってきました。」が正しいです。
そして、方々歩き回り、
人生半ばにしてやっと探し当てたほんものの専門家は
「お前が幼少のころ体験して後生大事にかかえているそれは、
「『光』」ではない。
それは、ただの病気の症状を誤認していただけだ。
ほんものの「光」の状態とは、「原光が起きている」状態である。
お前はそのポンコツの自分を修理して、その名のとおり光の状態に戻れ、
すなわち、全自我に到れ」
そして「歩けるようになるために歩け(リハビリせよ)」とおっしゃいます。
「止まりたくて、歩く」を続けてきた者が
「歩けるようになるために歩け」といわれて、今までの行動原理と反対方向、
行足がついているところ、ギアを今度はリバースにいれようとしているのです。
クラッチがガリガリいっております。
その戸惑いはあれど、
今まで自分の行動の原動力となっていた『光』が、
実は精神分裂の症状であったということに気づくことができたため、
いままでの線上からクラッチの嵌合が切れてしまって解放されています。
じわじわですが、その実感が湧いてきつつあります。
「やっとわかった、あの正体が。
あの幼少のころに遭遇した『光』は、実は光でもなんでもなかった。」
バルドソドルにでてくるようなインチキの光を、原光と誤認した。
ほんものの専門家に鑑定してもらったところ、インチキだと判定された。
ショック。
そして、その誤認に今やっと自分で気づいた。
今までの人生の履歴が急速に色褪せていく。
砂上の楼閣が崩壊するときがきた。
ショック。混乱。←今ここです。
それで、私の器、城壁はいま大混乱を起こしています。
この混乱状態を切り取ったキャプチャー画像が、
あのへんてこりんな形の「器」なのだと思います。
縄文土器のできそこないのような私の「器」という文字。
これはもう、今のそのままの状態を反映しています。
●
そして、「流」、「流転」、「正流」
これから大きく舵をきって流れを変えていきます。
軌道修正です。
これから私は自我をどのように活用したいのか、
情けない話ですが、まだこれだ、これがしたいのだ、
というように「欲」煮詰まっておりません。
興味、関心がどこに向いているのか、
マップを作成して、じっくりと自分の気持を掘り下げていきます。
●
精神分裂の症状を光と誤認して、
そのまま突っ走り、廃人になりかけた私。
威張ることではありませんが、
廃人になりかけたからこそ、この恐ろしさがわかるわけで、
実際に体験していない人は、この恐ろしさはわからない、
危機感を感じない人がほとんどなのでしょうね。
あ、どの口がそう言う?
廃人寸前の状態になるまで
自我復元作業に着手できなかった私が言うことではありませんでした。
●
ご提案のとおり、ブログに掲載いたします。
この度は、ありがとうございました。
*********
●この方の今回の自我判定の報告の中で、特に私が注目したのは、
日常の中に登場した、仕事仲間へのちょっとした嫌悪感がきっかけとなり、
3歳以前の記憶を掘りあてたことです。
これは、私から見ると、かなり重要なことであり、
また、3歳以下という、全くの無抵抗状態にある幼児に対して、
親は、暴力も使わず、(この方の言葉を借りれば)指一本触れずに、
幼少期から、人間をダメにするような、精神分裂を作れるという点です。
この被害に遭っていながら、それを掘れていない無自覚な人が、
何人もいますので、そういう意味で、近日、更新される予定の記事は、
参考になると思います。
↓
http://blog.goo.ne.jp/hakodate2012
*********
次の方とは、このメールに至るまでに、
多少複雑なやりとり(質疑応答)があったのですが、
その部分は、省略します。
↓
*********
崩残 様
お世話になっています。
自分にとっての、「好みの、かわいい子」について、分析を進めています。
ここ最近、この事ばかり考えています。
その中で、心の奥底に潜んでいるものが出てきました。
これは、自分でも予想外の事で、少々、戸惑っています。
正直な所、自分が分からなくなってきています。
以下に、その内容について、書きます。
先日、崩残さんへの報告を出して、とりあえず一段落していました。
しかし、次の日の朝から、とてつもなく落ち込んでいました。
あの出した報告内容は、本当に良かったのだろうか。
確かに、まだまだ分析が甘い事は十分に分かっている。
だから、継続して、掘り進んでいく必要があります。
でも、今、感じている、あの報告内容に対する違和感、
これは、そのような事ではない。
このように、気分が落ち込み、違和感を感じながら、仕事に向かいました。
実際、本当に仕事もしたくないくらい落ち込んでいて、
仕事がないなら、家に籠もって一人でいたいくらいでしたが、
仕事を休むわけにはいかなかったので、
そんな気持ちに負けそうになりながらも、仕事をしていました。
以前だったら、このような場合、
本当に仕事を放り出してでも休んでいただろうと思います。
これも、私の成長の証でしょう。
いや、自我率が上昇したのだから、こんなのは当たり前です。
・中略・
その日は、そのような気分でいながら、
「私は、本当にセックスを求めているのだろうか」
「かわいい女性を求めているのだろうか」
そもそもの、私の中に起こった衝動に疑問を抱き始めていました。
・中略・
私の頭の中では、怒濤のように思いや疑問が湧き出てきました。
「そもそも、私は、セックスが嫌なのではないか?」
「もしかしたら、セックスを汚いものと思っているのではないか?」
実際、ここ最近は、長い間、女性とセックスをしていないわけですが、
むろん最初の数回は、好奇心や性的欲求もあった為、
とても楽しむことができました。
しかし、ある時にふと、「違和感」を感じました。
振り返れば、セックスに対する違和感を感じたのは、
それが最初だったと思います。
それまでは、女性とセックスがしたくてしょうがありませんでした。
しかし、現実は、そううまく行かず、
その頃は、トラウマにより女性恐怖症だった為、
セックスどころか、女性と付き合うことさえ、ままなりませんでした。
学生時代から、ずっと、そのような感じで、いつも欲求不満を抱えて、
セックスに対する憧れと妄想を抱いていました。
そして、ようやく女性と縁があり、付き合うことができるようになり、
セックスにまで至ることができました。
でも、私の妄想が余りにも肥大化し過ぎていたのでしょう。
実際のセックスには、正直、幻滅しました。
思っていたほど、気持ち良くなく、快感を味わうことができなかったからです。
最初の頃は、女性の裸体を見たり、触ったりするのが新鮮で、
快感も得られ、楽しかったのです。
そして、彼女の全身を頭から足先まで、愛撫していました。
しかし、しだいに、だんだんと面倒になってきました。
彼女を愛撫することが、しんどくなってきました。
体力のない私にとっては、それが重労働で、かなり疲れました。
実際、最初は、興奮して勃起して堅くなっていたペニスも萎えてきたりしていました。
しまいには、愛撫なしで、膣に挿入だけさせてもらって
ピストン運動をするだけで、十分だとさえ思うほどになりました。
でも、現実には、そんなことは叶わないわけで、
愛撫して、膣が愛液で濡れてこないことには、実際は挿入できません。
このように、労力の割には、たいした快感が得られませんでした。
そして、セックスをすることが、楽しくなくなってきたのです。
セックスがうまくいかなかった原因は色々あると思います。
・そもそも相手の女性との相性が合わない
・私のセックスの技術が劣っている
・セックスをする体力そのものが足りない
・私の性妄想が肥大化し過ぎた
でも、もし、女性とのセックスがうまく行って、非常な快感が得られ、
楽しいものと思っていたら、どうだっただろうか。
これは、想像の域を出ないが、
セックスに対して、嫌なものや違和感を感じていなかったかもしれません。
でも、本当に、それだけなのだろうか。
彼女とのセックスが、うまくいかなかったからだけなのだろうか。
他の何かに影響されて、このように思った可能性はないだろうか。
そこで、過去の記憶を探ってみました。
親から植え付けられたことは、ないだろうか。
親から、セックスに関して影響を受けた記憶はありません。
それでは、それ以外の他人や本や宗教等で、あっただろうか。
これも記憶にありません。
今のところ、過去に他から影響を受けた形跡はありません。
でも、セックスを汚らわしいと思っている節があります。
どのように汚らわしいと思っているか、自問してみました。
女性の身体、もちろん、私好みの身体であるが、
顔、胸、腹、腰、脚は、美しいと感じています。
胸の膨らみ、腰のくびれ等、全身が、
柔らかい曲線または曲面で表現されていて、とても美しいと思います。
特に美しい女性なんかは、芸術的とすら思えてきます。
でも、性器の部分に対しては、ちょっと違和感があります。
他の部分に比べて、相対的に、汚い、醜いと感じます。
なぜ、あのようなグロテスクな形になったのだろうかと思います。
私から見て、あの部分だけは、他の部分と違うように感じます。
極端なことを言えば、
無くてもいいのではないかとすら、思ってしまう節があります。
セックスでの合体は、性器の部分で行いますが、
そもそも、男性も女性も、あのような形状にする必要があったのだろうか。
男女が合体するのには、必ずしも、あのような形状である必要はないし、
あのような方法である必要もないと思います。
しかも、どうして、小便を排泄する部分と同じなのだろうかと思ってしまいます。
また、おかしなことを言ってしまいますが、
自慰をする場合、エッチな画像や動画等を見て行いますが、
それらを選ぶ際、女性同士の性行為、つまり、レズを選んでしまうこともあります。
特に、きれいな女性同士の性行為は、美しいとさえ思えてくる時があります。
本来は、男性と女性の性行為が自然でまともなのですが、
そこに、汚い、獣の様な男性がいることが、嫌だと思ってしまいます。
「男なんていらないよ。きれいな女性だけいれば」と思ってしまいます。
自分自身でも、不自然な思いだと感じています。
これについては、若い頃、独身時代に、
セックスへの妄想が肥大化し過ぎて、エッチな画像や動画等を見過ぎたせいで、
このような偏った考えを持つようになった可能性が高いです。
元々、あのような物を作る人達というのは、
まともでない、偏った人達が、多いように感じますので。
その悪影響を受けたのでしょう。
私のこの思いは、いったいどこからきているのか分かりませんが、
やはり、このように思うのは、
おかしいのではないか、歪んでいるのではないかと思います。
崩残さんは、頭、胸、性器それぞれの中枢は、独立しており、
それぞれで満足する必要がある。
それぞれがお互いに干渉してはならない、
というようなことを言われていたと思いますが、
私の中では、胸の中枢が性器の中枢に干渉していて、しかも、毛嫌いしている。
やはり、おかしい考えをしていると思います。
また、これも私の勝手な考えに過ぎませんが、
「かわいい女の子、純粋な少女のような心」が好きですが、
あの性器によって、それが汚されるように感じています。
あと、前の報告の中で、
「おねぇ」や「オカマ」に対して嫌悪感を抱いていると書きましたが、
これについても今までは、そう思っていましたが、
正直、疑わしくなってきています。
もしかしたら、
彼女たち(本当は男だが)のことが、うらやましいのではないか。
あのように自分自身の中の女性の心に素直になれることが、
うらやましいのではないか。
でも、肉体的には男であるのに、あのような格好はしたくない。
うらやましいという気持ちはあるが、あの格好は嫌だ。
また、前の報告の中で、
「男性として、力強く堂々としていて腹が据わっていたい」と書きましたが、
そうではなくて、
「女性のような美しい顔、身体で、力強く堂々として腹が据わっていたい」
のではないだろうか。
つまり、女性のような繊細さ、しなやかさ、美しさがほしいが、
それだけでは、弱々しい。
だから、男性のような力強さや堂々としたものがほしいと思っています。
主体は女性だが、それだけでは、物足りない為、
男性の機能の一部がほしいように感じます。
崩残さんから、私が、「好みの、かわいい子」を求めていることに対して、
>「少女」と「少女」の関係を求めているのか、
>男性の欲求として求めているのか、どちらか?
という質問がありました。
これについては、やはり、男性としての欲求は捨てきれない。
寄り道として、セックスもしてみたいと、先日、報告しました。
その時は、そのように思っていました。
でも、分析を進めていくうちに、
セックスに対して汚れていると思っている節があることが分かった。
また、崩残さんから、
>「少女」と「少女」のような関係を求めているのなら、
>「無理に息子さん(男根)を叩き起こしてまでする必要はないと思います」
と指摘されました。
現状としては、性器の機能は回復しておらず、
性器の鍛錬を続けていくことも苦痛になってきた。
さらに、セックスに対する違和感がある。
そうすると、「少女」と「少女」の関係で十分ではないかと思ってきます。
お互いに話したり、手をつないだり、じゃれあったり、触れ合ったり、キスしたり、
せいぜいペッティングまででいいのではないか。
セックスまで至る必要性はないのではないかと思えてきます。
仲が良い女の子同士のような関係ですね。
でも、今は、性機能は衰えているが、男としての欲求不満が残っています。
今まで、一人の女性としかセックスをしたことがなく、
その女性とさえ、満足にできていない。
だから、一度は、まともなセックスの快感を味わってみたいという欲求があります。
崩残さんは、それぞれの中枢は、それぞれで満足する必要があると言われています。
今回の私の欲求は、大部分は、胸の中枢からきているのだと思います。
あとは、少しだけ、頭の中枢と性器の中枢が満たされれば良いように感じます。
「少女」と「少女」のような関係で十分なような気もしてきます。
でも、それでは、性の中枢が不満を持ったままではないかとも思います。
私が学生の頃から、持っている、性の不満は、取り残されたままではないか。
本当に、それでいいのだろうか。
今のところ、「これでいい」とは、言い切れないです。
このように色々と思っていますが、
今、正直、自分の思いが、分からなくなってきています。
自分が、このようなことを思っていたなんて、
まったく思いも寄りませんでしたので。
正直、「どうしよう。困ったなあ」と思う所もあり、
予想外のことになって、非常に驚いています。
頭の中は、混乱し困惑しています。
でも、このままではいけないので、この問題については、引き続き、
掘り進めていきたいと思っています。
以上、文章がまとまっていないですが、
今の私の感情や思いをそのまま書いた方が良いと判断し、
このように書かせて頂きました。
*********
さて、この問題は、
私(崩残)の、かつての(古代の時代)での専門分野ですので、
一からまた、教授しないとならないハメになりそうですが、
まず、今、いかなる恋愛や、性生活や、夫婦や、同居生活をしているにしても、
そもそも、異性または、同性が、
「ひき合う」という現象の「原因の根幹部分」から解説しないとならなくなります。
それは、単純な磁石の極のような構造ではありませんので。
これについては、またいつか、日を改めます。
ただし、ここで皆さんにひとつ、宿題を出しておきます。
それは、
>性別に関係なく、そもそも、どうして人間は「他者」に関心を持つかです。
異性というのは、
その「他者」という「大きな枠の中のひとつ」にすぎません。
●プラトニックな恋愛であれ、セックスであれ、
まず、それは相手との「距離」の長短こそが関係性の基本になります。
この「距離変化」という物理現象こそが、
軽い関心から、セックスまでの全スケールの鍵を握っています。
●現代のように、メールだけで交流できる環境では、
メールだけで十分な交流が可能な人たちがいます。
私も読者の方たちのほとんどとはそうです。
昔であれば、恋愛というのは、リアルな現場から最初に生まれますので、
相手の外見や、仕草、外から現実に見える性格を元にして、
相手に関心を持ったものです。
しかし、これよりも一歩、メンタルな入り口から入るのが、
昔ならば「文通」であり、今ならば、メールです。
もしも、もっと文通やメールさえしておけば、
こんな相手と結婚しなかったのにと、悔やんでいる人もいると思います。
しかし、メール交換をしていてさえも、
相手を正しく判断したり、分析することを目的とせずに、
ただ、ナンパ目的だったり、セックス目的の会話をしているような関係では、
やはり、現実に付き合ってもそこまでのことです。
それ以後は、主に性格の不一致などで、苦しむハメになります。
●私はこの今回の生涯で、9人まで異性関係の契約枠があり、現在7人目ですが、
これまでのお付き合いの中で、リアルな「外見」と「性格」を原因として、
異性関係が出来たのは、二名のみです。
その二名は、実際に肉体関係や、デートや楽しく遊ぶことがメインになりました。
その他は、すべて実際に会う前段階で、何年間もの間、
文通をしていましたので、
その中で、しっかりと相手についての確認をしました。
特に、良好な関係にあった異性とは、文通の期間が数年に渡っていました。
一方で、その後に、問題が起きた相手とは、
文通やメールの量や質、つまり事前に相手の人格に対するチェックが、
不足していたケースがほとんどです。
●つまり、何がここでのテーマかといいますと、
事前の調査が、お互いに確認されていない状態での関係、
つまり、昔のような「リアルな出会い」しかない社会環境では、
ともすれば、外見と性格による、好感の有無を、
最終的な性的関係に至る、主たる入り口にしやすい一方で、
結婚後になってから、相手の本性が暴露されたりする弊害がありました。
●一方で、文やメールが、関係性の最初の入り口となる場合には、
身体については、時には全く相手の外見を知らない事もあるわけですから、
相手の性格、感情、知性などに、まずお互いの関心の焦点が合います。
もっとも、世の中の多くの人たちは、
相手に対する、勝手なイメージと妄想を膨らませていますが、
メールで最も重要なのは、性格や知性の部分です。
ですから、トラウマ持ちの人などが書く、嘘っぽいメールは、
実際に会うと、幻滅するほど、相手が変な性格だったり、情けなかったりして、
それまでのメールでのイメージと違うことがほとんどです。
実際に会ったイメージと、メールに誤差のない人、
というのは、比較的、正直な人だと思えばいいです。
もしも、そこに大きな落差があると、一回で、異性に蹴られるでしょうね。
実際、皆さんも、メールで知り合い、のちに会ったら、
幻滅したり、全然期待したほどではなかった、
という経験を何度かしているはずです。
●それで、私の専門分野というのは、
生物間の、結合欲求には、違うレイヤーの種類があるということで、
この話は、既に、3つの性教育の著作に書いたとおりです。
私が、著作に「書いていない」のは、
生物同士が、物理的に接触する場合には、その前段階では、
1/「お互いが、距離を縮める」
2/「お互いが、手足などの身体の一部を触れ合う」
3/「お互いが、抱き合う」
という三段階があり、これは、何も相手が異性ではなくても、
たとえば、動物と人間とが仲良くなる場合にも、
かならず、この3ステップを経ます。
(もっとも、下手に触れると、どちらかが危険な状態になる動物同士の場合には、
2や3が成立しないこともありますが。
たとえば、ヘビや爬虫類や、毒を持つ昆虫と仲良くようとしたら、
とんでもなく危険なことになったなどです)
●つまり、「生物間の距離の縮め方」というのが、関係性の第一歩であり、
最終的には、それは、触れたりして、最後に「ハグ」という行為となり、
そのハグには、これまた数種類あり、
そのハグの「変形型のひとつ」に、性行為があるに過ぎないということです。
●たとえば、相手の生物を抱く、抱擁する、または手を触れるという場合に、
必ずしも、それは一種類ではありません。
大きくわけても、ハグの目的には、4種類あります。
これは、動物の親子を見ていれば分かります。
1/危険な局面で、相手の手を引いて、ケガをしないように手助けをした場合。
2/危険な局面で、相手全体を抱擁し、自分が身代わりの盾になろうとまでした場合。
3/異性との求婚行為や、性行為における場合。
4/性別に関係なく、猿ダンゴのように、寒さから身を守るために
することもありますし、
また、再開のときに、お互いの生存を確かめて、喜び合うときにも、
性別に関係なく抱き合うこともあります。
●そうしたときに、もしも、1が目的なのに、KYに、2をすれば、
「よせやい。自分のことぐらいは、自分で守りますよ」
と相手に言われてしまうでしょう。
つまり、1で済む危険回避なのに、2までやったら「気持ち悪がられ」ます。
また本当は、子供や弱者にとっては、2のような保護が必要なときに、
親が1だけで終わらせたら、親失格と見られます。
しかし、3が必要なときは、これは「1」とも「2」とも違います。
実は、3のときに、
わざと1と2を絡ませると、相手は面白い「誤認」をします。
一方で、「1や2」が主目的のときに、3などしたらば、ただの変態です。
そして4は、これまた「別種」のハグです。
この4つは、すべて、「違うレイヤーのハグ」です。
●ここで、私が、何を説明しているのか、分かっていない人が、
ほとんどだと思いますが、
ハグも、性行為も、あるいは、それ以前の文通による関係での距離変化も、
それらは、すべて、たった「ひとつの人格」として、
まとまって、対象に関わっているのではなくて、
時には、本人が自覚できていない異なるレイヤーが、
個別に、または同時に、複数が機能しているということです。
この自分の複数の、異なる動機の差に、自覚のない人は、
対人関係の中、特に異性関係または、親密な関係の中で、
悪い意味でコントロールを失い、自分で自分がわからなくなり、
その船は沈没します。
時には、相手も巻き込んで、沈没します。
■余談ですが、
あまり深く考えたことはなかったですが、
地上の哺乳類の「ペニスを創った宇宙人」が、必ずいると思います。
たぶん、ネジとか、機械部品の会社みたいな、
「性器専門の大手の同一メーカー」で、
いろいろな哺乳類に対応した製品を、個別に設計したのだと思います。
半分、真面目なお話ですよ。
・・・とか、メールに書いたら、
>>生物一種は、最初から最後までを、
>>同一メーカーが設計するものだと思っていました。
>>生物も、地球の工業みたいに、
>>分業で作成して組み立てて、ということになっているのですね。
>>生物だから、という、変な思い込みでした。
という、返事が来ました。
別の投稿へ続く予定***
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