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[256]
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★分割自我復元★その256 ■「原主体に対する誤解をしている人たち」■
by:
鈴木崩残
2013/08/20(Tue)04:32:39
『原主体教』を作り出さないこと
●「原主体」を早く見つければ、万事解決するのだから、
早く原主体らしきものを、掘り出してしまえ、
もしも、そうあなたが思っているとしたら、とんだ間違いです。
●原主体というものを、もしも、
「原主体」をさっさと見つければ、もう苦しまないんだろうから、
となってしまうとすると、
それは、無明庵で最も軽蔑されてきた、
「悟りさえあれば、万事解決」と思い込む馬鹿と同じなのです。
●そもそも、原主体というのは、
それこそ、大げさに言えば、命をかけて自分の問題を解決しようとした人が、
まずは、トラウマやACを、これでもかというほどに掘り進めた結果、
その地層の最も深い部分に、偶然に発見されるものです。
それは期待してそこにあったのではなく、
堀り尽くした果てに、そこに潜んでいたというようなものです。
「たぶん、このあたりにあるこれが原主体なんだろう」という
目算で掘り当てられるものではありません。
実際、それは、「掘削のイメージ」の延長にはないのです。
掘り進める力は、物理的な深さではなく、
人生そのものや、命がかかっているかどうかです。
●たとえば、あなたが、「たぶん、これが原主体だろうか」というものを
脳内で、擬人化したとします。
では、その擬人化した原主体が、そんなに正しい判断をするならばといって、
その原主体の言うとおりに、明日から家庭や職場で行動できるでしょうか?
原主体が嫌だといったら、仕事をやめ、上司を殴り、家庭を壊す、
といったことを、明日から出来るでしようか?
●私が何度か、この桜の間で書いたように、
「原主体の意志」は単純ですが、
ことに、トラウマやACや調教を食らった人たちは、
そもそも、それをストレートに出せない希釈自我の状態に生まれたわけですから、
その扱いに全く慣れていません。
●自我復元をしている人の中では、そのことをよく理解している人がいて、
「原主体」も、育てなければならない、と実感として理解しています。
厳密に言うと、育てなければならないのは、原主体ではなく、
原主体の言い分を、どうストレートに表現するかです。
この表現部分、出力部分が、希釈自我では、歪みまくったわけですから、
まともに表現できたためしはありません。
●このAC、トラウマ、調教の人格と、原主体との関係は、
社長と、幹部または社員の関係によく似ています。
社長は、単純な決定しかしません。
あの会社とは契約するな、とか、契約しろとか、こうしろああしろと
それしか言いません。
それが、社長の権限だからです。
そこで、良いブレーンがいれば、それを効率よく実現します。
しかし、上層部が馬鹿だったり、ACやトラウマ持ちだったら、
ことごとくヘマをやり、
しかも、トラウマ人格は「自分の存在意義ばかり」を主張しますので、
途中から、あたかも社長に成り代わったような気になったり、
「社長は馬鹿で、勝手なことばかり言うが、
現場で苦労して、今まで、やってやっているのは、この私なんだ」、
とか言い出す始末です。
●もしもこれがこの世界での会社組織であれば、そういう事実関係も
現実にあります。
つまり、実際に社長が愚かで、社員のほうが利口というケースです。
しかし、こと、原主体ではそうではありません。
そもそも、原主体が、
この制限のある世界そのものに生まれることを最初に決定したのですから。
●原主体があり、それが正常な形で表現通路を得る場合には、
それを「人格」と呼びます。
AC人格とか、トラウマ人格、調教人格、と呼ばれる歪んだものに
対比させるために、何も前につけずに「人格」と私は呼びます。
良い人格とか、悪い人格とかではなく、ただの人格です。
「正常人格」と言ってもいいものです。
●そもそも、機能不全家族の中で形成された人格は、正常ではあり得ませんので、
その人格が、原主体の言葉を言動で表現することは不可能です。
そこで、賢明な人は、問題のある人格は、捨てるか殺すかして、
あらたに、「正常人格」を育てる必要を感じています。
この、「正常人格」を、一から育てなおすという意気込みがある人も、
むろん、自我復元をしている人の中に、何人かいます。
しかし、「原主体さえ見つければいいんだろう」の人は、全くダメです。
●そこでまず、問題のある人格を、
徹底的に自己分析した、その果てにしか、原主体は出番がないし、
今もまだ、やりくりできるような機能不全の人格に、しがみいていられる人は、
もっと痛い目に遭うまで、しがみついていればいいのです。
しかし、本当に、トラウマを掘りつくした人は、その果てに、
期待もせず、予測もせず、イメージもせず、意図せずに、原主体を見つけます。
●このあたりは、言いたくありませんが、
悟りに大変に、よく似ています。
何も期待などしていない、
救いなど何もないと、思っていた、
ただ、とにかく掘り進めた、
何も「保証のない、完全に未知なもの」に向かい続けた、
その結果として、そこにあった、というパターンです。
質は、かなり悟りとは違いますが、到達までの条件は、おそろしく似ています。
しかし、
「***さえ、見つければいいんだろう。
そう誰がが言っていた。本にも書いてあった。
だから、それを見つけてやるんだ。そして楽してやる、偉そうに振舞ってやる」
これでは、今までの皆さんの無駄な人生と「全く同じことの繰り返し」に過ぎません。
原主体に対してまでも、
またも「同じ愚かさ」を繰り返さないでください。
ほとんどの人にとって、悟りなど、到底、無理です。
しかし、原主体には、ほとんど全ての人が到達可能です。
●そして、原主体の意志を表現できる人格は、
今までのものは、使い物にはなりませんので、
新たに、「育てる」必要があります。
ここが、先天性全自我の人とは違うのです。
●こういうことも、極力、言いたくはないのですが、
もしも、強いて言うならば、それは悟りにおいても同じです。
先天的に生まれつき、悟っていたなどという人は、
地球では、ほとんどいないのですが、
そういう人の悟りでは、一生の間、問題は生じません。
しかし、ここでの人生の中で、それが起きた人は、
その日を境にして、それまで使えていた人格は、ほとんど失われます。
何年もかけて、再度、この世界に、新しく適応しなければなりません。
つまり、悟りの意識が、表現方法を獲得するには、
そこから、まるで赤子のように、
その人格の歩みは、四足歩きのような状態から始めなければならないのです。
●これと同じように、原主体に行き着いたとしても、
その「原主体の意志」が、立って歩けるまでには、
「足の育成」が必要なのです。
足の育成とは、すなわち「正常人格」という表現媒体のことです。
この違いを少し、分かりやすく最後に説明しておきます。
●私は幸いといいますか、自分の(調査報告書と法令作成という)職務上、
希釈自我に生まれて、時間とチャンスを無駄にするわけにはいきませんでしたので、
業務遂行上の理由で、原型自我の乗り物に乗りました。
幼いころには、何かを抑圧した覚えは全くありません。
一例として、私は、アメリカにいたとき、4歳かそれぐらいのとき、
何かの会社か、学校のパーティーの時に、
変な叔母さんが、私を抱き上げて、愛でたのですが、
私は、そいつが、気に入らなくて、気持ち悪かったので、
そのオバサンの顔に唾を吐きました。
あとで、両親は、頭を深々と下げて、平謝りしたと聞かされましたが、
そのときのことは、覚えています。
相手からは「一体、どんな教育をしているんだ!」と両親は責められたようですが、
まー、「こんな教育」である。
つまり、したいようにさせてきただけです。
ベタベタの化粧と、その匂いと、汗ばんだ、オバサンの顔が、
私の顔に、ぺったりつくのは、気持ち悪いんだよ。
しかも、私のほっぺたにキスしやがった。
そのオバサンに、抱き上げられそうになっているその時点で、
最初から、嫌だ、嫌だと、私は言っていたのに、
そのオバサンは、それを無視して、私を抱き上げて、
汚らしい唇で、キスをしやがった。
私は、嫌がって、警告したのに、それを無視したんだから、
唾を吐かれて当然である。
だから、私は、一切謝らなかった。
あ、これを書いていて、今、思い出しました。
あのとき、私は英語で、こう言ったのだった。
「私は、あんたが、嫌いなんだよ。 んっもーう、地獄へ落ちろ」
I hate you. Go to hell」
いやー、英語圏で、一番言っちゃ、いけない事を言ったのでした。
まー、そういう言葉は、白人のトモダチか、誰かが私に教えたんだろうけど。
●一方では、気にいったら、徹底的に気にいるタチで、
まだ6歳のガキのくせに、
20代の日系二世の、好きな女性教師に告白をして、キスをしました。
●万事がそんな調子で、そのまま私は大きくなった。
そして、そのまま社会に出て、現在も、まだそのままである。
ただ、子供のときと違うことと言えば、
子供のときの原始的な方法とは、違う形で、
私は、その後も、ちゃんと、相手に唾を吐き続けたということであった。
●一方で、ACやトラウマの人は、唾を吐かなくなる。
嫌悪感をあらわにしなくなる。
本当はそこに怒りや、拒絶や、意志や、喜びや、悲しみがあるのに、
それを、「ないかのような顔」をする。
あるいは、別のところで、それをやる。
弱い者イジメなどは典型的なそれだ。
肝心のその自分が対峙すべきだった相手に直接に向けられないものを、
他人に対して誤爆したり、
自分の意志や感情を、別のものに摩り替えたり、無視したり、
忘れてしまって誤魔化したり、酒を飲んだりと。
●全自我の人が形成してきた人格と、AC人格は全く違います。
同じその原主体の意志であっても、
先天性全自我の人は、それをストレートに表現するには、どうしたらいいか、
ということを、家庭や社会の中で、何十年も、積み重ねてきたのです。
礼儀はわきまえますし、ある程度ルールは守りますが、
自分自身の気持ちや意志を、ないがしろには絶対にしませんし、
そもそも、そんなことは、「出来ません」。
努力だの、我慢だの、忍耐だの、そんな言葉の意味すら知りません。
したいこと、と、したくないことを、
可能な限り、そのまま実現するための方法だけを、
この世界で、日日、培ってきたのみです。
したいことを、我慢するだの、したくないことを我慢してやる、
などということは、それ自体が、自分に対する裏切りになります。
そういう、我慢とかを、しないのではなくて「出来ない」のです。
●むろん、サラリーマン時代には、残業は我慢してやりましたが、
あれは、私には全く我慢ではありませんでした。
どうやったら、残業が面白くなるか、しか考えていませんでした。
で、結果として、過労で、倒れて入院し、
熱が下がらずに、座薬を肛門から入れられるという、
生まれて始めて経験する、アナルプレイをされましたが、
熱が下がってからは、病院の看護婦さんたちを5人も6人も私のベッドに集めて、
タロット占いをしたりして、入院生活を楽しみました。
1ヵ月後に退院するころには、
「看護婦さんの人生相談」をやっていました。
「私、この看護婦の仕事が、合っているのか、見てください!」、
とか真顔で、言われました。
たしか、28歳か29歳のときでした。
しかし、そのあと、検査で「結核菌」の疑いが出てしまい(結局「白」でしたが)、
隔離病棟に何週間か入れられましたが、
そのときは、個室の病室で、空手の稽古していました。
お見舞いに来た彼女とは、エッチなことしてました。
あ、監視カメラとか、当時まさかないと思うけど、あったのだったら・・・(汗)
夜中は、まるで脱走兵みたいに、看護婦さんの見回りの間を見計らって、
トイレでタバコ吸っていました。
(病名は、「胸膜炎」なので、タバコは、ご法度でしたが)
えらく、密閉性のある、隔離個室病棟に入れられてからも、
これまた、ずいぶん、入院生活を楽しめました。
その後、やっと退院できて、
しばらくしてから、病院の支払いの手続きか何かで、病院に行ったら、
看護婦さんたちに、髪型を、「かわいい」とか「おしゃれー!」とか、
よくわらんことを、キャーキャー言われました。
「精神的なナースプレイ」は、あのときに、たんまりしたおかげか、
私は、まったく興味ありません。
若いころに、悪霊とか怨霊とかは、ボコボコにして、殺しまくっていたので、
SMプレイにも興味ありません。
後悔することは、今は、何ひとつもありません。
当時は、後悔しなくて済むように、ひとつずつ、その欲望の種を実現して、
後悔になりそうな種を、どんどん潰してゆきました。
自分が、したいことで、途中で諦めたものは、ただのひとつもありません。
つまり、原主体に、全面的に協力できる人格を、幼少期から作ってきたのが、
先天性全自我であり、
分割された自我を選択した場合には、その自我率がいくつであるかに関係なく、
必ず、手落ちが出ます。
そして、後天的に全自我に戻った場合、または戻る過程で、
AC人格、トラウマ人格、被調教人格は、全員、首にして、
一から、別の社員(表現者)を育てないとならないのです。
そこのところを、くれぐれも、理解して復元をしてください。
万事解決したり、一発逆転できるのではありません。
この宇宙に、そんな美味しい話があると思うほうが、キチガイです。
* 追 記 *
我慢したことが「ひとつもない」というは正しくなく、
ひとつだけ、私が我慢したことがあります。
それは、高校生のころ、私を母におしつけて離婚した父親が、
ほんとうに、食べてゆけるギリギリの生活費しか、よこさなかったのですが、
その渡し方というのが、現金書留とかではなく、
月に一度、父親の会社のラウンジに呼び出されて、
そこで、1時間ばかり、そのたった数万の生活費を、
「出してやっている」という父親の「恩着せ」と「意味不明な話」を聞かされること、
あれにだけは、我慢したのは覚えています。
もう少し、あの時の事情を理解していたら、
会社の社員らも見ている前で、
テーブルひっくり返してやっても良かったですね。
「未成年の子供の生活費を出すのは、親の義務だろう!
何を、偉そうに、恩着せてんだ馬鹿野郎が」と。
実際、その後、私は、19歳で、バイトで少し自活するようになってから、
父親の家のテーブルを割る勢いで殴りつけて、絶縁状を叩きつけました。
今だから、絶縁状出しても、法定相続人は降りられないと知りましたが、
当時は、絶縁状出せば、縁を切れるものと思っていました。
そういうわけで、たったひとつ、
そのくだらない「恩着せの薀蓄」を1時間も我慢しないと、
毎月のギリギリの生活費を手に出来なくて、母も私も食えない、
だから、我慢した、というあの約3年は、確かに、私は我慢をした。
その当時の学校は、バイトが禁止だった。
母は、松葉杖を付いていた時期があり、足が悪く働きには出られなかった。
だから、母や私が働いて生計を立てるの困難だった。
そもそも、大正生まれの専業主婦に、いきなり働けというのは困難な時代だった。
そして、あのアホウな父親に対しても、アメリカでも日本でも、
ちゃんと、重役や社員の接客やパーティーの料理も全て手作りして、
その専業主婦をやってきた母だったが、
その母に向って、父親は、
「子供の事が心配ならば、袋貼りの内職でもすればいいのだ」と、言い放った。
しかし、よくあれで、父親は、「頓死」できたものである。
私が知らなかった、その後の30年数年間に、
父親は、どこかで、
カメか、スズメか、クモでも、助けたのだろうか?
そういうわけで、
当時、高校生だった私が、どうしても我慢せざるを得なくて、味わった、
あの時の「不快手当て」は、父親の遺産から、しっかりと戴くつもりです。
それと、母親に対する「家政婦」としての賃金の分もである。
母は、帰る実家はなかった。
また、まだ小さい子供を手放すことを決してしない、という母親の弱みを
父親は利用した。
普通は、法律的に離縁したらば、母親には養育義務はないはず。
それを、母親という「他人」に押し付けたのであるから、
私を育てる教育係、家政婦に支払うのと同じ対価を、
父親は母に支払うべきだったのである。
普通、こういうときには、(親権は父親にあったので、)
離縁した母親から子供を父親が引き取ってしまうものなのだが、
まー、それは絶対に出来なかったですね。
私と母との間には、お互いに了解しての明確な生前契約がありましたし、
それは、私の公務にからんだことでしたので、
地球外からのバックアップも、目一杯ありましたから。
その縁を引き裂くことは、父親ごときの平民には全く不可能でしたし、
何よりも、私は父親の手には、到底負えなかったので、
父親は、私を引き取り、後妻に育てさせる気はゼロでした。
おかげで、馬鹿な父親に、物理的に接触することは、
その高校の3年間に月一回と、アメリカにいた2年半以外は、
ほとんどありませんでした。
母親だけでも「まとも」ならいい、という契約内容だったのだと思います。
●ちなみに、唾吐き事件ですが、
その後、私は両親のどちらにも、しかられたり、責められたりしませんでした。
機能不全家族の毒親だったら、私は間違いなく、そのあと帰宅してから、
「親に、なんて恥をかかせてくれたんだ!」と、フルボッコにされるか、
お仕置き部屋行きとすか、食事を干される事は、間違いないです。
しかし、父親は、あまりの私の素行にパニくって、対処不能になり、
心の中で、何事もなかったことにし、私への対応を母親に押し付け、
一方で母親は、
「嫌がっているのを、あんな無理にだっこしたんだから、
それは、嫌だったわよね。」
と、私に理解を示した。
私は、ちゃんと、何度も大声で、嫌だと言っていたんだから、
唾なんていう、「特定通常兵器使用禁止制限条約」でも禁止されていない、
「平和的な武器」で済んだだけマシと思えよな。
それに唾を吐く以外の、どんな行動をしたら、
あの気持ち悪い、強引な頬ずりを、やめてくれたんだ?
子供の私に、あんなことしたら、普通なら、顔面を蹴るぞ。
●ちなみに、あの時も、親の方を見て助けを呼ぶ事はせず、自己解決しました。
そもそも、親が「子供が嫌がっているので、やめてください」とか、
そのオバサンに言うと、大人同士の変な空気が生じますからね。
子供自身で拒否の姿勢を示しておいて、正解でした。
______________________________
■「ゴボウの浅漬け」が人気だったので、もう一度レシピです。
今回は、ゴボウを10本まとめて漬け込みました。
★レシピ
★皮を剥いたゴボウ、約5本程度に対して、
★水・・・・・・600cc
★白だし・・・・100cc
★酢・・・・・・100cc
★醤油・・・・・・50cc
★みりん・・・・・50cc
★唐辛子・・・・・約一本分(輪切りのもの)
☆必ず「冷蔵庫」で冷やして、お召し上がりください。
ゴボウの「あく抜き」は、必要ないです。
煮込む時間は、水の水温の状態から、中火で約15分から20分で、
あとは自然に冷ましてから冷蔵庫へ。
______________________________
★
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