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[305]
■
★分割自我復元★その305■ 【『 極めて 重要な 自我判定用 報告 』】
by:
鈴木崩残
2014/01/05(Sun)09:08:09
非常に重要な報告の紹介
●皆さんが、親子関係、家族、学校などの中で受けてしまった「トラウマを掘り」、
そして長年、あなたの中に住み込んでいた「AC人格」を、
少しずつ首にしていってください。
私は、皆さんの全人格がAC人格であるとは私は言いません。
それぞれの人には、いろいろな個性や才能もあります。
しかし、いつでもあなた人生の中で、
「ここぞ、肝心なところ」という局面で、
後になってから、結果として、
御自分の足をひっぱるような問題行動を起こしてしまうのが、
まさにAC人格の性質であることは、
御自分の問題を掘ったことのある人であれば、誰しもが自覚があるはずです。
*********
●さて、読者の方からの今回の御報告内容が、どういう重大な意味を持つのか、
それは、全自我になった人や、
全自我の間際まで、AC人格が解除できている人たちは、
等しく、トラウマの影響の重大さを、痛切に理解するはずだからです。
●昨年の年末に、たたみ掛けるように私が書き記した投稿は、
その人が、無明庵(あるいは他の何かや誰か)に関わるかぎりは、
それが、好意からであれ、軽蔑からであれ、
好奇心からであれ、依存心からであれ、
すべての人に「共通した」重要なものでした。
そのことを、
ようやく、本当に、心底理解をした、一人の自我復元実習者の方から来た、
判定依頼の際のメールの一部を、以下に紹介します。
年末からの、私の一連の投稿によって、
私が理解をして欲しかった問題の「要点」を、
この人は、(ほぼ)正しく理解し始めたと言えます。
************************************
非常に長い報告文でしたので、あちこち割愛させて戴きました。
なお、とてもよく、まとまっていましたので、
内容におうじた「小見出し」は、私(崩残)がつけました。
AC人格との直面
序文
崩残 様
ちょっと遅いですが、新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
自我復元による変化・効果等の報告がまとまりましたので、
*回目の自我判定をお願い致します。
一時期、トラウマ掘りが停滞し、このまま本当に終わってしまうのではないかと
思った時もありました。
自我復元に由来すると思われる仕事上の変化はあったのですが、
一番肝心のトラウマ掘りが停滞し、
自分の内面の思考等がほとんど変わっていない事がよく分かりましたので、
とてもご報告できるような状況ではなかったのです。
12月に入った当たりから、ようやく再起動し始め、
正月休みは、トラウマ掘り等の自我復元作業三昧にしようと決めていました。
正月休み明けまでは、自我復元の依頼をしたいという気持ちは大いにありましたが、
トラウマ掘りが進まなければ、
自我判定を延期せざるを得なかった可能性もありました。
しかし、この短期間で、思った以上にトラウマ掘りおよび分析が進みました。
今回の報告は、非常に長くなってしまいましたが、以下に、書かせて頂きます。
あと、余談ですが、梅の間で、
ご紹介頂いた『絶品の醤油』ですが、買いました。
実は、私は、【お醤油大好き小僧】なのです。
だから、おソースよりも、お醤油を使うことが多いです。
『フンドーキン 八本木樽醤油』、とても美味しいです。
崩残さんが言われるように、ほんと、
味の素が入っているのかと勘違いするほどです。
我が家では、今まで、『**醤油』がお気に入りで、ずっと使っていました。
味比べをしましたが、その味の差は、はっきりと分かるほど、違いました。
『**醤油』の味がとてもキツく、ちょっと辛すぎるなと感じました。
今まで、そんなことを感じたことは一度もなかったのですが。
辛過ぎでもなく、甘過ぎでもなく、絶妙なバランスです。
しかも、コク(うまみ)が、なかなかいいです。
私は、食べるのが専門ですが、
色々な料理の味を引き立たせてくれそうで、楽しみです。
やっぱり、美味しいものを食べるのは、「しあわせ」ですから。
____________________
復元の作業
中略
■前回の判定(2013年6月3日)以後の復元作業回数
カレンダー日数は216日で、ほぼ毎日行っておりました。
昼間の通勤途中の電車の中でも呼びかけを行っておりましたが、
実際の回収は、朝の起床時の1日1回のみ行っていました。
呼びかけから回収までが1セットで1回にカウントし、
また、完全にできなかった日、つまり、
呼びかけ、または、回収のどちらかができていない日を除きますと
延べ回数は、202回でした。
■作業を行った結果、感じたことや変化したこと
いくつか、項目別に書きたいと思います。
自己嫌悪が再び戻る
●停滞していたトラウマ掘りが起動(12/22時点)
今年の6月、7月頃には、自己嫌悪または自己否定が
ほとんどまったく無くなっていたと思っていた。
実際、日常生活においても楽しく、
新しい趣味(エレキベースを弾くこと)も始め、
毎日が楽しかった。
そして、これが原主体の意志ではないかというものも、
日々感じられていました。
いや、実際、その声が聞こえていました。
そして、このまま順調に全自我に向かって進んでいくのではないかと
期待しました。
しかし、7月末に仕事の契約が切れ、最初の1か月間くらいは、
エレキベースを弾いて楽しんだりしていたが、
なかなか次の仕事が見つからず、
だんだんと不安になってきて、それどころでは無くなってきた。
それに連動して、体調の方もだんだんと悪くなってきた。
さらに、今までになく強い自己嫌悪または自己否定が出てきて、
まるで、自我復元前の自分に戻ったかのように感じられた。
結局、8月、9月の2か月間は、仕事が見つからず、自宅待機していた。
ようやく、仕事が見つかり、
10月から、新しい仕事を開始して、現在に至っているが、
一時の激しい自己嫌悪や自己否定が落ち着いたものの、単に落ち着いただけで、
完全に消え去ったわけではありませんでした。
振り返ると、10月から12月までの時期は、
平日と休みの日それぞれの自分の姿が、余りにも極端でした。
まるで別人かと思えるくらいでした。
つまり、平日は、仕事に行くわけですが、仕事を楽しんいる、
職場においても、周りに冗談を言ったりして、
いつも笑っていたりしています。
しかも、周りとの人間関係もうまくいっており、一番年上にも関わらず、
若い人達とうまくやっている。
しかも、実際の仕事においても、色々と問題があれど、的確に対処できている。
しかも、驚いたことに、それを楽しんでいる自分がいます。
正直、仕事を始めた頃は、分からないことだらけで、
どうしようかと不安になったこともあったが、
今では、すっかりと日々の仕事や職場の人たちとのおしゃべりも楽しんでいる。
以前(2009年9月24日)に禅書を注文した際、
今、思えば、当時の自分の妄想劇には、とても恥ずかしい思いですが、
書を注文した理由として、
「心に夢を抱き、いつも笑顔でいられるような、仕事を続けていきたい」
と書き、希望文字として、
夢、笑、仕事、関心をお願いしたことがありましたが、
「いつも笑顔でいられるような、仕事を続けていきたい」ということが、
今まさに、実現し、それを体験しているように感じます。
あくまで表面上、そのように感じておるだけで、
冷静に自己の内面を探ってみると、
確実に自己嫌悪や自己否定があります。
実際に経験していることが、余りにも、自分の思い通りに動いている。
いや、自分という存在がここにあると感じられ、
全てが自分中心に動いているように感じられる。
簡単に言うと、自分の思い通りに行っている、
楽しく感じられる部分が非常に大きい為、
マイナス面が見えなくなっているといった状態です。
しかし、週末の休みの時に、家にいる自分の姿は、
まったくの別人かと思えるくらいでした。
つまり、休みの日になると、
朝、布団から起き上がることができず、実際、頭が痛くなったり、
体全体がだるくしんどかったりして、お昼ごろまで、惰眠をしておりました。
起きても、何をする気力も湧かず、しんどくて、だらだらと過ごしておりました。
まさに精神病者、うつ病の患者のような状態でした。
休みの日になると、平日の自分の姿がまるで嘘のように、
身体がしんどくてしんどくて何もする気が起きず、
妻の作ってくれたご飯を食べたり、トイレに行ったりするだけで、
だらだらと過ごしておりました。
当然、そのような自分の状態を認めることができず、
激しい自己嫌悪に陥っていきました。
トラウマ掘りの停滞
当然、トラウマ掘りや不快年表作りは遅々として進みませんでした。
やろうやろうとするのですが、それに立ち向かおうとすると、
胸が痛くなったり頭が痛くなったり、急にやる気が失せてきてしまい、
そんな自分を責めたりして、どうしようもない状態でした。
それに加え、このまま、自我復元が進まず、全自我にもなれないで、
このまま死んでしまって、また、自我が希釈されて、地球に生まれ変わり、
今よりも、さらに悲惨な人生を送ることになるのではないかと、
自分の未来を不安に思い、
だからと言って、それを何とかしようと努力しようともしない自分に嫌気がさして、
ほとんど、投げやりな状態になりかけており、
もう自我復元もあきらめてしまうのではないかと思えるほどでした。
このように、両極端な自分の姿が出てきて、
どうしようもない状態が続いていました。
どちらが本当の自分なのか。
もしくはどちらとも本当の自分ではないのか。
まったく分からず、どうしたらいいか分からない状態が続いていました。
もう本当にダメだ、せっかくここまで、自我復元も順調に進んできて、
頑張ってやってきたのに、やっぱりもう駄目なのかと思いました。
もう本当にこのまま終わってしまうのか。
まさしく本当に終わってしまってもおかしくない状態でした。
せっかく出てきた原主体も、すっかり影を潜めていました。
でも、でも、でも、あきらめたくなかった。
これで終わらせたくなかった。
このままで良いはずはない。これでおしまいにしたくはない。
心の奥底では、分かっている。
最後の最後で、トラウマ人格が新しい
自分に生まれ変わることを邪魔していることを
トラウマ人格が最後のあがきをして、総攻撃をかけてきている。
分かっている。
こいつは、どうしても、自由な本来の私になることを邪魔したいようだ。
そんなことをさせるものか。
お前は、私ではないのだから、
お前は、作られた仮の私なのだから。
お前など、いらないのだ。消え去れ。
私の最も弱いところを攻撃して、
つまり、身体の調子を悪く、しんどくするとそれに負けてしまい。
だらけてしまう。惰眠の方に走ってしまう。
私の弱さを利用しているのだろう。もうその手には乗らないぞ。
私は、本来の私に戻りたいのだ。
今まで、お前と生きてきて、
多少なりとも役に立ち、お世話にもなったが、
結局、何もいいことはなかったじゃないか。
いつも不安と恐怖があり、びくびくしていたじゃないか。
たとえ、何か達成されたり、仕事がうまくいったり、人間関係がうまくいったり、
自分の望みがかなったりしたって、
心の奥底に、不安と恐怖、自己否定がある限り、
何の意味もないし、
それらがある限り、それが何だというのだ。
成功したり、うまくいったりするにこしたことはないが、
それらは、結果であって、たとえ、失敗したり、
うまくいかないことがあったとしても
重要なのは、いつも本来の自分でいられること。
いつも自分が今あることを肯定し喜んでいられること。
私は、そうありたい。
自分自身がそこにいること、
思いを発していることに対して、自然であること偽りのないこと。
そういう自分でいたい。
そうでなければ、自分で自分を最も信頼できなければ、
ここに存在している意味がないし何をやったって、意味がない。
それならば、存在しない方がましだ。
自分が自分であること。どのような状態においても、
どこまで行っても、自分であり続けること。
今の自分に納得できること。そうでなければ意味がない。
だから、お前なんか必要ない。
いつも不安や恐怖で周りの事を気にしたり、
事の成否を気にしたり、そんなことは重要なことではない。
だから、お前は消え去れ。
このような自分の本当の思いが、ようやく、12/22に確認できました。
やっと、トラウマ人格に対して、宣言することができました。
AC人格の言い分
このトラウマ人格を完全に消し去るためには、どうしたらいいのだろうか。
こいつは、いったい何を言いたいのだろうか。
以下に、こいつの言い分を書く。
・僕は寂しいのだ。だから、かまってくれ。
・僕を否定しないでくれ。無視しないでくれ、心が傷つき不安になるから。
・お母さん、僕に優しくしてくれよ。僕にかまってくれよ。
・妻は、俺のことを面倒みろよ。
・とにかく、よけいな面倒なことを俺の所に持ってくるな。俺は余裕がないのだ。
・俺の時間を邪魔しないでくれ、でも、あなたの時間を俺にくれ。
つまり、俺が興味ないこと、嫌いなことは、俺に話してくるな。
でも、俺が話したい時は、ちゃんと付き合え。
・僕のことを認めろ。お父さん、お母さん 私の妻。
・皆、僕のことを嫌っているのだな。僕なんていなくていいのだな。
・どうせ、僕なんていなくていいんだろう。
●トラウマ掘りについて(12/31時点)
私自身の今の状態を一言でいうと、
・自己嫌悪、自己存在否定が、完全に解消されていないということ。
・自分自身を完全に信じ切っていないということ。
だからこそ、
今、ここにある恐怖や不安と正面切って対峙することができていない。
怖い怖くてしょうがない。
いったい何が怖いのか。
今まで、自我復元、トラウマ掘りが順調に進んできた。
少なくとも、2013年の8月頃までは、それまでは、自分自身は変わった。
昔の自分とは、まったく違う。そう思い、そう感じていた。
また、桜の間で、知らぬ間に、原主体を掘り起こしていたと言われ、
自分自身でも、昔の自分とはまったく違う自分というものを明確に感じていた。
その一つの証として、
今まで、まったく興味がなかった分野である音楽に興味を持ち始めた。
具体的には、エレキベースを急にやってみたくなり、
当時は、自分の好きな曲をエレキベースで弾くのが楽しくてしょうがなかった。
エレキベースの弦を弾いた時に奏でられる低音に、身体がしびれ、心がしびれた。
今までに味わったことがない感情または快感に一人で酔いしれていた。
エレキベースを始めたばかりのまったくの初心者ですから、下手くそでしたが、
そんなことは、おかまいなしに、自分自身が奏でる音に涙したこともあります。
そのようなことがあったことが、今はまるで夢のように感じますが、
当時は、嘘偽りなくそのように感じ、楽しんでいる自分の姿がありました。
しかし、今は、どうだろう。
自己嫌悪、自己存在否定、不安、恐怖等、
このような感情が、優勢を占めている。
今まで、自我復元およびトラウマ掘りを進めてきて、
自分は本当に変わったと思っていたが、それが、嘘だったのか。
今は、自我復元を始める前の弱弱しい自分の姿しか見ることができない。
今でこそ、このように、この文章を書いているが、それまでは、自分自身を見つめ、
冷静に文章を書けるような状態には、遠く及ばなかった。
9月から12月までの間は、
一言で言えば、精神病者、夢遊病者のような
無気力な人生を捨てたようなやる気のない状態でありました。
自我復元の呼びかけ・回収は、何とか続けていましたが、
その成果が上がっているかどうかまったく分かりませんでした。
自我復元を続けて、全自我にならないと、次に生まれ変わった時に、
今よりももっと不幸で苦しい状態になるということを、恐怖し、その強迫観念にかられ、
まるで、壊れた機械のように自動的に、
自我復元の呼びかけと回収を続けているといったような状態でした。
特に、(前述したように)仕事が休みの時、
つまり、土日の休日の時は、ひどかった。
中略
これは、今までの私ではあり得ないことでした。
今までは、全てにおいて、受け身で、周りに合わせるというようなことがほとんどでしたから。
人の目を気にすることがなくなった。他人が怖くなくなったというようにも見えます。
見えますと書いたのは、
実際は、他人の些細な一言やちょっと難しい仕事になった時等に、
自己存在否定、つまり、
「俺って、やっぱり嫌われているのかなあ」
「俺って、やっぱり駄目なのかなあ」
というような思考が頭の中で、生じるからです。
これらの思考はわずかな時間の間、生じているが、時間の経過とともに、
消え去っていくので、注意深く観察をしていないと、
見過ごしてしまいそうになりますが、確実にあります。
この思考を、絶対に放置するわけにはいきません。
このように平日と休日でまったく違う人格が表れてきています。
まるで、ジキルとハイド氏の物語のようです。
どちらの人格が、私の本当の人格なのだろうか。
いや、どちらも私の本来の人格ではないのだろうか。
正直、9月以降、何か月も、この二つの人格に翻弄され続けてきました。
しかし、今、はっきりと言えます。
どちらの人格も、私の元々の人格ではないと。
一見、仕事を楽しんでいる自分の姿が、本来の自分の姿に近いように感じますが、
あくまで、近いだけで、これは、私の元々の人格ではない。
ある意味では、自分自身が望んだように思ったように仕事をやり、それを楽しんでいますが、
何かまだ、他人の評価等を前提に思考したり動いている自分の姿が見え隠れし、
違和感があります。
あのエレキベースを弾くのを楽しんでいる時に、はっきりと垣間見えた自分の姿が、
元々の私の人格であるように感じるからです。
その時に現れていた自分の姿が、まだまだ完全に表れてきていないように感じます。
その時、一時的に、その人格が優勢になったように感じました。
でも、あくまで、優勢になっただけで、完全に入れ替わったわけではありません。
そういう意味では、自我復元により自我枠が大きくなり、意識が拡大したことによって、
仕事を始め、物事が思い通りに進むようになり、大きく変化したものの、
コアな部分、根本的な所では、何も変わっていないと言えます。
つい最近までは、上記のようなAC人格に翻弄され続けてきましたが、
もう覚悟を決め、決心し、AC人格を捨てなければ、この先、進んでいくことができないし、
このまま、他人の評価等を気にし、常に不安と恐怖がある人格と付き合っていくのは絶対に嫌です。
これでは、余りにも、私の元々の人格、つまり、原主体に対して申し訳なく思うからです。
というより、今のままの不安定な自分のまま、今後、生きていきたくないし、
このままでは、立ち入って行かないということが、はっきりと分かります。
不快年表
ここで、ようやく、自分自身のトラウマ掘りについて、書いていきたいと思います。
今までのトラウマ掘りの状況についてですが、
今まで何度もトラウマを掘ってきましたが、その過程において、
・トラウマの原因となった記憶を掘り起こした。
・当時の子供の頃の生の感情についても、掘り起こした。
・一時的だが、原主体が出てきた。今は、影を潜めているが。
しかし、そのトラウマの解析と分析については、まだ不十分である。
当然、その先にある、AC人格の解除についても、まだである。
まずは、不快年表を書き、今までのトラウマや不快な出来事について
時期別に一覧表にした。
この不快年表については、情けないことに、12月になって書き始めることができ、
ようやく、完成しました。
それまでは、不快年表をいざ書こうとすると、胸が何かに圧迫され、痛んできて、苦しくなり、
なおかつ、身体全体がしんどくなり、どうしても書くことができませんでした。
不快だった出来事を一覧表にするだけの簡単な作業であるはずなのに、
ほとんどまったく書くことができませんでした。
自分自身が見たくない事、辛かったこと、苦しかったこと等を書くわけですから、
そのような状態になるのは、ある程度仕方がないことだけれども、
今回ほど、私は、自分自身を見つめなおすことが嫌なのだ。できれば避けたいのだという思いが、
余りにも強く、自己分析もできないどうしようもない人間なのだということを
痛感させられたことは、ありません。
今だから、言えることですが、
AC人格の側なら、
自分の都合の悪いことを知られたくない、自分の死活問題にも関わるので、
当然と言えば、当然なのだけれども、
このAC人格の抵抗または攻撃には、ほとほと参りました。
一時は、本当に負けそうになり、
「もうこのまま不快年表なんか作らなくてもいいのではないか」と思ったこともありましたが、
一方で、「このままでは終わりたくない」という強い思いがあり、それに支えられ、
何とか、ここまでこれたのだと思います。
この不快年表を書きながら、忘れていた記憶を思い出しました。
母親からの虐待
・既に幼稚園の時に、母から、押し入れの中に閉じ込められるという
虐待を受けていました。
小学生の頃に、家の外の冷たいコンクリートの上に正座させられるとか、
家の中の場合、冷たい廊下に正座させられたり、
または、畳の上の場合、正座させられ、膝の上に重い荷物を載せられ、
その上、手を後ろにまわされ、紐で縛られるというような虐待を受けたことは、
明確に記憶しており、以前にも報告させて頂いたこともありますが、
もしかしたら、押し入れに閉じ込められたという記憶も少しありました。
しかし、それが、いつの頃なのか、はっきりしませんでした。
それが幼稚園の頃であることを明確に思い出しました。
なんで怒られたのか、その理由まで思い出せませんが。
母に、押し入れに閉じ込められている光景をはっきりと思い出しました。
最初の頃は、嫌だと言ったり、泣いたりして抵抗していたように記憶しているが、
何度も虐待されるうちに、それもだんだんとしなくなりました。
今、分析すると、子供なりに、その方が、得策だと考えてのことだと思います。
そして、お母さんの言う事を聞かないと、暗い押し入れの中に閉じ込められてしまう
だから、お母さんの言う事を聞いたほうが良いということを学習したようです。
このように、この時から、AC人格が形成されたように感じます。
今の所、トラウマの原因となる記憶としては、最古のものです。
友達からの否定
幼なじみに**ちゃんという子がいて、幼稚園に一緒に通ったりして、
仲が良かったが、特に、身体的なことで何度もからかわれた。
「お前は、目が小さいから、ゴミが入らないだろう」
「白男、白男、男にしては、顔が白すぎる」
「下唇が出ている」
正直、仲が良く**ちゃんのことが好きだったので、本当つらかった。
「**ちゃんは、なんで、そんなことを言うの」
このように思い、本当は、怒りたかったが、言えなかった。
怒ったら、**ちゃんに嫌われると思ったから。
今、思えば、これが、私の対人関係の基礎になっていると考えます。
つまり、この頃から、対等な対人関係が築けなくなっており、本当は、嫌なのに
自分が我慢することによって、相手と仲良くしてもらおうとしていた。
そうしないと、誰も、僕と仲良くしてくれないと思い込んでいたということです。
結局、このような思考をしてしまう原因として、母との関係の中で、母の
言う事を聞かないと、母に怒られる。つまり、母と仲良くしてもらえない。
そのように変な学習をしてしまったことにあると考えられます。
中略
知人との付き合いでのAC人格
卒業してから33歳頃までの約**年間、
私の人生の中で、最も長く続いた友達関係の男性がいましたが、
この関係においても、対等な関係ではありませんでした。
つまり、彼とは、車でドライブをしたりして、遊んでいたが、
いつも彼の都合が優先され、強引に彼に合わせて、
私が我慢をしなければなりませんでした。
彼と私の住むところは車で2時間近くの距離があるのですが、
平日仕事から帰ってきてから、
「今から来いよ。真夜中のドライブに行こう」とよく誘われていました。
仕事で疲れてしんどい時もあり、
「なんで、こんな夜遅く、そんな遠くまで行かないといけないのか」と
思う時もありましたが、彼の強引な誘いを断れず、高速をブッ飛ばして行きました。
大学生の頃は、社会人と違って、時間に余裕があるので、
そのようなドライブに、よく誘われていました。
今思えば、相手の都合ばかり合わせ、よくそんな不公平なことができたなと思います。
これも、元々は、母から受けたトラウマが原因によるAC人格だからこそ、
受け入れられたのだと思います。
正常な人格であれば、このような理不尽なことは、けっしてできないでしょうし、
正しく、自己主張できるでしょうから。
私の今までの対人関係は、このように、相手に自分がほとんど支配されるか、
または、今の夫婦関係のように、実際に支配できているかどうかは別として、
自分が支配できそうな相手としか関係を築くことができませんでした。
振り返ると、対等な対人関係を築いたことがないです。
●AC人格のえぐりだし
私が、今、最も不自由している、
いや、最も狂っていると感じている感情があります。
今、振り返ってみると、同様なことは、何度もありました。
しかし、余りにも醜い自分の姿である為、
何とか隠し通して自我復元の過程で、
どこかに消え去ってくれないかと、
自分勝手な都合のいいことを考えていたのですが、
そんな事があり得るはずもありません。
このままでは、
この先、どうにもこうにも進んでいくことができません。
ですので、ここで、私の醜い姿をえぐり出します。
無明庵に投影されるAC人格
まずは、崩残さんに出したメール(12/31付)についてです。
生まれて初めて作った替え歌で、
しかも、「なかなか上出来」と自分で勝手に思い込んでいました。
_________________
>崩残 記・・・この方がメールで、
>ご自身のトラウマを「替え歌」にしたものを報告してきました。
>悪くない出来で、感情もきちんと伝わってきましたが、返信のコメントをする
>という必要は感じませんでした。それよりも、しばらく様子を見ようと思いました。
_________________
後で見直してみると、思ったほど、いい出来ではありませんでしたが。
だから、メールでも書いたように、大変嬉しかったという気持ちは、嘘ではなく、
当時は、感情的に有頂天になっていた部分はありますが、本当にそう思っていました。
しかし、自分の本心(おそらく原主体の意志だと思う)では、分かっていたのですが、
私が最も言いたかった事については、メールには、あえて書きませんでした。
メールの文面からは、見え見えでしたので、崩残さんでなくとも、
誰が見ても明らかに感じ取れただろうと思います。
その時、私の心の中では、次のようなことを考えていました。
「うん。自分にしては、なかなか傑作だ」
「これなら、きっと崩残さんも、喜んでくれるだろう」
「当然、桜の間には、掲載されること間違いなしだ」
このような事を思っていました。でも、同時に次のような不安もありました。
「これって、余りにも見え見えじゃないか。でも大丈夫だろう」
「崩残さんは、替え歌が好きで、色々作っているので、心配ないだろう」
「もしかしたら、メールの返信も何もなく、桜の間にも掲載がないのではないか」
「いやいや、そんなことはない。
他の読者は、まだ誰も替え歌を作っていないはずだ」
「きっと大丈夫だ。きっと大丈夫だ。でも、やっぱり駄目かな・・・」
このような事を思いながら、
希望(正しくは、崩残さんへの強制・強迫)と不安が錯綜する思いを抱きながら、
メールを出しました。
結果、自分の本心(おそらく原主体の意志だと思う)では、分かり切っていたことですが、
メールの返信もなく、桜の間の掲示板にも掲載されないということになりました。
今、こうやって、この文章を書いていますが、
私のAC人格の癖がえぐり出されました。
その状況について、以下に書きます。
メールを出した当初は、達成感と満足感で満たされていました。
実際、ここ何か月間も、胸にあった重苦しさ、圧迫感、痛み等が、
一時的に消え去っていました。
自分でも、
「これで、トラウマ掘りが進んだな。ちょっとは、感情が解放されたな」と
勘違いするほどでした。
でも、今、振り返れば、
「崩残さんに喜んでもらえる。ほめてもらえる」という
自分勝手な希望に満ち溢れた妄想に満たされ、
一種の恍惚状態になっていただけなのだと言う事が、よく分かります。
気になって気になってしょうがないので、何度も何度もメールチェックをしたり、
桜の間の掲示板をチェックしたりしていました。
ほとんどストーカー状態です。
最初のうちは、それが楽しみだったのですが、だんだんと不安感が増大してきて、
気分が落ち込んできました。胸も苦しくなってきました。
私の心の中からは、何度も何度も悲痛な叫び声が聞こえてきました。
「なんで、なんで、崩残さん返事くれないの」
「なんで、桜の間に掲載してくれないの」
「メールが届いていないんじゃないか」
「崩残さん、忘れているんじゃないか」
「崩残さん、忙しいんだ。そのうち掲載してくれるさ」
もう本当に、この思考回路は、
ちっちゃい子供と何ら変わりありませんでした。
これを大の大人がやっているのですから、本当に始末が悪いです。
メールを出した日(12/31)は、ずっと、このような思考を繰り返していました。
次の日も正月にも関わらず、朝から、とてつもなく気分が落ち込んでおり、
胸やお腹がいっぱいで、食欲も余りなかったです。
妻に八つ当たりしました。愚痴も言いました。
多少は、彼女も、慰めたりはしてくれましたが、
私が何度も言うので、当然の事ながら、そのうち相手してくれなくなりました。
妻に対しても、AC人格満開で、
まるで、ちっちゃい子供が駄々をこねるような事を何度も言いました。
その内容については、上述した内容と同様に、
余りにも程度が低く、幼稚ですので、割愛します。
でも、妻に言われた言葉が痛烈で的確でした。
「これでは、あなたは、他人に簡単に騙されるね」
「相手をほめるなんて簡単よ。一言、凄いね、と言えばいいんだから」
「それに、ほめられたとしても、本当かどうか分からないんだから」
これを聞いて、私は思いました。
「もし、崩残さんからメールの返信がきたりして、その中で、
ちょっとでも、ほめられていたら、たったそれだけのことで、
天にも昇るような気持ちになり、さぞ、喜んでいただろうなあ」
つくづく単純で程度の低い人間です。
余りにもベタ過ぎます。分かり易い男です。
そして、「よし。やったぞ。俺もこれでいける」と、
それで終わっていた事でしょう。
今、文章を書いているように、掘り進めることをしなかっただろうと思います。
ここから、やっと、AC人格の分析に入れます。
今回の件で明確に分かったことは、以下のようなことです。
いや、今までも、何となく分かっていましたが、直視できませんでした。
・いつも誰かから、ほめられたい、認められたいと思っていること
・その相手が、自分が尊敬できる、凄いと思えるような相手であれば、
より一層、その相手に、ほめられ認められることを切に望んでいること
・いや、そんなに尊敬できる相手ではなくても、その人からほめられ評価されたなら
たったそれだけのことで、無条件で、その人を好きになったり、その人を私が
認めたりしてしまう傾向が非常に強いこと
・他人からほめられ認められることが、自分自身の評価基準になっていること
それに留まらず、自分自身の存在意義にまでなっている節があること
・このようなことなので、他人の自分に対する評価に、いつも翻弄され、
それに一喜一憂し、安心したり不安になったりしていること
・逆に、他人から貶されたり、バカにされたりした場合、怒りを覚えたり、
落ち込んだりして、「やっぱり、俺ってダメだなあ」と思うことは
言うまでもありません
ある時期(2013年の6月〜7月頃)、自己嫌悪や自己存在否定が無くなり、
自分自身のことを信頼できるようになっていたと思えましたが、
根本的には、何も変わっていないことが、よく分かりました。
他人との関係において、いつもいつも、その他人からの自分に対する評価が、
気になってしょうがなかったということです。
それしか、見ていなかったということです。
言い換えれば、今まで、自我復元の報告を何回もさせて頂きましたが、
この他人からの評価によって、自分自身が変化をしたと思い込んでいた節が
かなりの部分、占めていた可能性があります。
この屈折した歪んだ、AC人格の眼で、自分自身の変化を判断しているわけですから
当然と言えば、当然ですが、今さらながら、今までの変化は何だったんだと思います。
一言で言ってしまうと
根本的に、何も変わっていないじゃないか
ということに尽きると思います。
異性や伴侶に投影されるAC人格
このような、他人にほめられたい認められたいという病理は、
夫婦関係においても、大いに出ていました。
以前、報告させて頂いたように、今の妻と結婚した目的は、簡単に言うと、
・母親への代理復讐の為であること
・こいつ(彼女)なら、私の言う事を聞くだろう。支配できるだろう
この2点に集約されますが、
このようにバカにしている妻に対してでさえ、
この「ほめられたい認められたい病」が満開でした。
「どう、俺って、凄いでしょう。なかなかやるでしょう」
「俺、変化したでしょう。変わったでしょう。良くなったでしょう」
「俺の顔の肌きれいでしょう。
いい顔しているでしょう。いい目しているでしょう」
今まで、自分が妻に対してしてきた言動を、今、振り返っているのですが、
もう本当にどうしようもないというか、壊れています。
自分がバカにしている妻に対してでさえ、ほめられたり認めてほしいのですから、
虫が良すぎるというか、余りにも始末が悪すぎます。
このようなAC人格が形成された、その原因または発端については、
母・父・弟との関係に原因があるのですが、
その事を報告させて頂く前に、
この私の病理が明確に表れている事実(私の思考)がありますので、
まずは、この醜い姿を明らかにしておく必要があるので、
こちらを先に報告させて頂きたいと思います。
以下に報告させて頂きますが、私の勝手な妄想劇で、
この内容について書くことは誠に恐縮することでありますが、
このAC人格の醜態をさらさないことには、
私自身が、この先進むことも、後に戻ることもできません。
ですので、大変なお目汚しになることは、重々承知しておりますが、
私の身勝手な妄想、誠に申し訳ないと思っております。
他の自我復元ブログに投影されるAC人格
実は、天音さんのことです。
彼女に対して、思っていること、感じていることを書きます。
「とにかくムカつく。あの上から目線は何?」
「崩残さんから、可愛がられ、ひいきされていることがムカつく
また、それを彼女が分かって、文章を書いていることが感じられ、嫌だ」
「なんで、天音さんばかり、ほめて、ひいきするのだろう?」
「あの文章が嫌。崩残さん、見て見て、私凄いでしょうと感じられ、
もう嫌で嫌でしょうがない」
「全自我になった雨樹さんをかなり非難したことがあったが、
何をエラそうに。また、それをフォローしている崩残さんにムカつく」
「もうすぐ全自我になれそうだが、失敗して、途中で死ねばいいんだ」
もうこれ以上、書くと収拾がつかなくなるので、やめておきます。
好き勝手なことを書いてしまい、すみません。
天音さんだけでなく、崩残さんへの不満や怒りも混在していますが、
今の私は、このように思っています。
はっきり言って、狂っているとしか思えないような言動です。
まったくフォローのしようがない言動ですが、
これが、嘘偽りない、余りにも醜い私の姿です。
自分でも、狂いに狂っていると思うのですが、この思考が、
ちょっとした事で自動的に出てきます。
自分でも、「こんなことを思ってはダメだ」、「お前、おかしいだろう」
と思うのですが、この思考が爆発して、自分でも制御できません。
止めることも、消し去ることもできません。
本当にどうしたらいいか分かりません。
ただ分かっていることは、
私は、狂っているということです。
一方で、マディアさんについてですが、AC人格も完全解除され、
全自我になって、ちょっと羨ましいのですが、
天音さんに対するほどのムカつく感情は湧いてきません。
この執念深い、嫉妬深い、私ですから、もっとムカついてもおかしくないと
思うのですが、そこまでの感情は出てきません。
マディアさんのブログを通して、全自我になるまでの過程を見させて頂き、
その中で、励まされたり、とても参考になったりすることが多くありました。
もちろん、天音さんのブログを通しても、
助けられたり、参考になったことは多くあります。
2人とも、実際にお会いしたことはないので、
あくまで文章から、私が勝手に感じていることですが、一言で言えば、
マディアさんには絶対に敵わないと思っている。
しかし、天音さんは、
ちょっとボーっとした抜けている所が感じられ、
もしかしたら、勝てるのではないかと思っています。
そこで、私は、自分の大学受験の時を思い出しました。
私がいた進学校は、東大や京大に合格する人もいました。
そのような成績優秀な人達に対して、非常なコンプレックスを感じていたのですが、
特に、東大に合格するような人達に対しては、私が努力しても絶対に敵わない、
絶対に勝てないようなものを感じておりました。
何か頭の思考回路自体が、生まれつき違うのではないかと感じておりました。
私と勝負にならないというか、
同じ土俵に引きずり降ろすこともできなという絶望感を感じておりました。
それで、努力では絶対に報われないことがあることを思い知らされ、
自分自身の能力の無さに打ひしがれることもありました。
マディアさんに対して、そのように感じるのです。
余りにも完璧で優秀すぎる。
余りにも高い所にいるので、腹が立ちようも、ムカつきようもないのです。
逆に、ちょっとでも勝てる部分があると感じれば、それに飛びつき、
そこをつけ入っていくという、
何とも卑怯な小癪なことを虎視眈々と狙っているという
私の姿が浮かび上がってきます。
一方で天音さんに対しては、
私と同じ土俵に引きずり降ろし、勝てるのではないかと思えるのです。
この違いがある為、感情の発生の仕方が違っているのだと、分析しています。
ここでも、私のAC人格の新たな癖が出てきています。
ほめられ認められたいという癖だけでなく、
他人と自分をいつも比較し、
自分自身が勝手に決めた基準で優劣を判断し、評価するという癖です。
しかも、ちょっとでも、勝てる可能性があると感じると、
相手を自分と同じ土俵に引きずり降ろしたいと思っています。
実際に、自分が努力したり、行動したりするのではなく、
自分が何もしないで、
ただ単に、その人の不幸を切に願うという、誠におぞましいAC人格です。
私のAC人格は、このような事を考えているわけです。
もちろん、弁解の余地はまったくありません。
仕事場で投影されるAC人格
***の頃、***に住んでいて、前の会社に勤めていた頃ですが、
死ねばいいと思ったくらい、もしくは、殺したいくらい、ムカついた女性がいました。
その女性は、とても頭が良くて、仕事の能力がとても高い人でした。
当然、会社の社長からも、お客様からも非常に高い評価と信頼を得ていました。
しかし、性格が悪かった。人間性が破壊していた。
だから、他の社員からも嫌われていました。
中略
当時は、社長のことを尊敬しており、その人からひいきされ、
好き放題やっている彼女が許せませんでした。
私も社長から、ほめられ認められたかったからです。
そのようなこともあり、日々の仕事の中でのストレスもあり、最終的には、
私が、うつ状態になり、会社を1か月間ほど休業することになってしまいました。
この時の、恨みや不満が解消しておらず、
ひいきされている人を見ると不当にも、怒り等を向けてしまいます。
その怒りを、不当にも、
天音さんに向けてしまったのだと分析しています。
宗教グループで投影されるAC人格
さらに過去に遡りまして、**歳〜**歳の頃までですが、
私は、****が主宰する***という宗教団体に関わっておりました。
**歳〜**歳の頃までは、弟子入りしていたほどで、
無明庵以外で最も影響を受けました。
今は、この団体とは、まったく縁が切れましたが、
もし、無明庵を知らなかったら、今も関わっていた可能性が高いです。
それほどまで、心酔していましたから。
***に関わっていた頃は、**氏を最も尊敬しており、絶対視しておりました。
当時、私は、**氏が語ることは、絶対正しく、
それ以外は、全て正しくない、と思い込んでいました。
思慮もなく全てそのまま信じ切っていました。
疑うという思考は、ほとんどまったく生じませんでした。
今、思えば、バカ丸出しですが、
当時の私にとっては、***以外のことは考えられませんでした。
ですので、全ての評価基準が***にあり、
自分自身の存在価値や存在意義でさえも、***が基準になっていました。
だから、そこの信者にとっては**氏にほめられ認められることが、
自分自身の喜びであり、存在価値を高めることになっていました。
逆に、**氏にほめられ認められなかった場合は、
自分の存在価値が無くなってしまうということになってしまうのです。
特に、弟子入りしていた時期は、**氏にほめられ認められることが、
私の全てでした。
また、**氏は、彼が気に入った人達を特別にひいきすることが、とても多く、
非常に好き嫌いや感情の起伏が激しい人でした。
ですので、周りの弟子達は、いつも振り回されておりました。
同様に、私自身も、彼の態度や言動に一喜一憂し、翻弄されておりました。
彼に認められないと言う事は、ある意味、「死」を意味することだったからです。
結局、ほめられたり認められたりすることは、数えるほどしかなく、
ほとんどの場合において、ほめられ認められることはありませんでした。
また、私はひいきされない側の人間でしたので、ひいきされている人達が
とても羨ましく、時には、怒りを向ける事もありました。
私は、いつも挫折感や屈辱感を味わっておりました。
このように***に関わっていた時期が20年近くと、非常に長く、
また、約*年間、弟子入りしていた期間もありましたので、
相当色濃く影響を受け、この毒が、骨の髄まで浸透していると感じます。
認めざるを得ません。
無明庵人格に形を変えるAC人格
無明庵の影響で、この***と縁を切ることができ、
今まで自我復元も行ってきましたので、
***から受けた洗脳は脱したと思い込んでいたのですが、
とんだ大間違いだったということが、よく分かりました。
単に無明庵にすり替わっただけのことに過ぎないということが分かります。
実際、**氏の前では、ガチガチに緊張し、彼の顔色を伺い、
いつもビクビクしておりました。
それと同じように、崩残さんの言葉にいつもビクビクしている自分がいます。
私の身体のあちこちに染みついているということが、今は、よく分かります。
「ほんと、気持ち悪いです。消し去りたいです。醜いです」
さらに過去に遡っていきますが、ようやく、元々の原因または発端である、
母・父・弟との関係についての分析が書けます。
両親との関係
幼稚園の頃に遡ります。
幼稚園の先生にほめられ、確か、何かの展示会に展示されたという記憶があります。
その絵は、今はありません。いつ頃なくなり、どうして無くなったのかも
分かりません。それを思い出すこともできません。
母に聞いても、父に聞いても、覚えていないという事でした。
先生にほめられ、展示会に出されるほど、評価された絵なのに、
どうしてないのだろう。
私が、絵を描いて、初めて先生にほめられ、評価された絵なのに。
このようなわけなので、本来であれば、楽しい思い出のはずです。
でも、なぜか、当時の記憶を思い出そうとすると、
なぜか、悲しいのです。
なぜか分からないが、悲しい、そして、寂しい感情が出てきます。
それが、何なのか、長い間、分かりませんでした。
でも、おぼろげながら、思い出しました。
その時、お母さん、そして、お父さんに
ほめてもらえなかった。余り喜んでもらえなかった。
そんな記憶を思い出しました。
だからと言って、当時、幼稚園児の私は、
泣いたりしなかったと思います。
でも、お母さんやお父さんの反応が悲しく、寂しかった。
母や父に当時のことを何度か聞きましたが、
「そんなこともあったなあ」と、いつも素っ気なかったです。
この頃から、母や父にほめられなかったという不満が始まっているように感じます。
兄弟間差別を受ける
小学校の頃ですが、ほめられないだけではなく、
弟と比較されることが多かった。
おやつ(甘い物とかケーキ等)を兄弟で分けて食べる場合がありました。
母から、「兄弟平等に仲良くしなさい」ということをよく言われました。
それで、おやつを兄弟で分ける場合は、母または父に分けてもらいました。
ケーキなんか、どんなに均等に切ったとしても、実際の大きさに関係なく
相手(弟)が選んだ方が、なぜか大きく見えたりしていました。
「弟の方が大きいやないか。僕の方が小さい」
「お兄ちゃんの方が大きいやないか」
このような感じで、よくケンカしていました。
母は、いつも、よく言いました。
「お兄ちゃんやから、弟の事、思いやらんといかんよ」
「弟の事を、いたわらんとあかんよ」
また、「お兄ちゃんなんやから、弟に譲ってあげないと」とも言われました。
そのくせ、弟には、「お兄ちゃんのことを思いやりなさい」とか、
「お兄ちゃんのことを立てなさい」とは、一度も、言ったことはありませんでした。
いつもいつも、不平等に、私が我慢させられました。
母は、いつも、弟の肩を持ちました。
でも、なぜか、「兄弟平等に仲良くしなさい」と言われました。
何が平等だよと思います。
悔しいので、私が、意地になって、弟に譲らず、
自分が選んだケーキを取ることもありました。
そんな時は、母に怒られ、
皆(父、母、弟)がいる暖かい居間から、
トイレとお風呂場に通じる、寒い冷たい廊下に放り出され、
「一人で食べなさい」と怒られたことがあるのを記憶しています。
「寂しかったです。ひもじかったです」
食べ物ではなく、違うことで、弟とケンカすることもありましたが、
同じように、
「兄弟仲良く、平等に」
「お兄ちゃんやから・・・」、
「弟を思いやれ」等、言われました。
後、よく言われたのが、弟が悪くても、「堪忍してやってや」です。
「何が、堪忍だろう。何が平等だろう。
弟の方が悪いのに、僕は悪くないのに」
同じように悪いことをしても、弟の方が悪かったとしても、
弟は、そんなに怒られなかったように記憶している。
同じように母の言う事を聞かなかった場合でも、私の方が怒られた。
それで、母に、「なんで、僕の事ばかり怒るの。なんで弟には怒らないんだ」
「いつも、僕ばっかり、怒られるやないか。なんで」
母は言いました。
「お前の方がキツイから。剣があるから」
「弟は、あたりが柔らかいから、そんなに腹が立たない」
「お前の方が、腹が立つ」
このように、何かにつけて、母は、
「兄弟仲良く、平等に」と言いました。
でも、やっていることは、弟のひいきばかりでした。
私は、本当に、平等にしてほしかった。
母の平等って、いったい何なのだと思う。
このように、私と弟は、育ってきましたので、
今でも、弟は、兄である私を立てたり、
思いやったりすることはありません。尊敬などしていません。
もちろん、私自身が、尊敬されるような器ではないが。
それにしても、余りにも、弟は、私のことをバカにし過ぎだ。
これも、母が、そのように育ててきたからだ。最も悪いのは、母親だ。
そのような母を見ても、黙認してきた父も同罪だが。
今でも、その状況は、変わっていません。
中略
母は、問題を起こすのが大嫌いで、たとえ仲が悪くても、表面上だけでも、
仲が良いように見えればいいと思っているようです。
誰が見ても、険悪な雰囲気であっても、表面上、怒ったり、ケンカしなければ
それで、全て良しなのだということのようです。
それが、母にとっての「みんな仲良しで、平等」を意味するのだから。
子供の頃から、全然変わっていない、バカ母です。
しかも、相変わらず、弟の肩を持つ。
「弟は、何をしても悪くないんだな」
このような状況は、次の年の正月も同じでした。
そのようなわけで、弟達とは、どうしても必要な時以外、会わないことにしました。
気分がこの上なく悪いし、時間の無駄以外の何物でもないですから。
どうして、このような状況になってしまうのだろうか。
母親の両親と育成環境
父と母それぞれの親について、聞きました。
まずは、母の方ですが、「子供の頃の事は忘れた」と言って、
なかなか話をしてくれなかったのですが、
最近になって、ようやく、次のようなことを話してくれました。
母は、長女で、上に、長男が一人、下に、次女、三女、次男がいます。
母の父親(私の祖父)は、普段は口数も少なく、ほとんど怒らないが、怒ったら、
非常に怖かったらしい。
母が子供の頃、押し入れに閉じ込められたことも、あったらしいです。
そして、母の母親(私の祖母)は、口が悪く、よく嫌味を言われたそうです。
「大嫌いだ」と言っていました。
家は、貧乏であった為、こずかいをほとんどくれなかったり、
欲しい物をほとんど買ってもらえなくて、我慢を強いられたみたいです。
母の子供の頃の時代は、長男が優遇され、今以上に男尊女卑が激しい時代でありました。
その為、あらゆる事において上の長男が優先され、かなり我慢させられたみたいです。
一番、悔しかったことは、高校へ行かせてもらえなかった事だそうです。
「長男が行かしてもらえるのに、なんで」と思っていたそうです。
母の表情から、長男の事が羨ましく、よく思っていないことが感じられました。
そして、子供の頃から身体がとても弱く、医者から、
「小学校へ入学するまで、生きられないかもしれない」
「もし生きられても、知能遅れになるかもしれない」
と言われていたそうです。
しかし、成長するとともに、身体が少しずつ良くなってきて、
そうはならなかったみたいです。
とは言っても、親や先生から、用心の為、
体育の時間は、ほとんど見学させられていたようで、
とても悔しく寂しい思いをしたようです。
母としては、身体の調子が悪いという自覚症状があったわけではないので、
自分としては、「みんなと一緒に運動できるよ」と思っていたそうです。
このような母の境遇を聞くと、
母が、なぜ、そうするのかが、よく分かりました。
私が、子供の頃、母がよく言っていました。
「私は、貧乏で、欲しい物は、ほとんど買ってもらえず、嫌な思いをしたけれど
あなた達(私と弟)には、不憫な思いはさせたくないのよ」
私の子供の頃を振り返ると、
確かに、物質面において、不自由な思いはしなかった。
でも、弟と不当な比較をされたことは、歴然とした事実である。
つまり、母は、
長男ばかり優遇されるという兄弟間差別を受け続けてきた。
その積年の不満や恨みを晴らそうとしたのだ。
だからこそ、弟の味方ばかりして、
兄の私に我慢させるという行為をしたのだ。
後、押し入れに閉じ込められたり、
家の外に正座させられるというような虐待をしたのも、
祖父から連鎖してきていることが分かりました。
父親の両親と育成環境
次に、父の方ですが、
父は、上に長男、長女、次男がいる、三男でした。つまり、末っ子でした。
父の父親(私の祖父)は身体が弱く、父が小学生の頃に亡くなった。
その為、長男が中学校を卒業してから、一家の大黒柱として、働いていました。
父の母親(私の祖母)はいましたが、家事全般を全て引き受けていたそうです。
ですので、一家の家計を支えているということもあり、絶対権力者として存在し、
誰も長男に逆らうことができませんでした。
全てのことにおいて、長男の思いが最優先され、色々と我慢させられたようです。
末っ子であった父は、特にそうだったようです。
だから、私が子供の頃、
父の家族のことについて、何度か聞いたことがありましたが、
嫌がって、ほとんどまったく話してくれませんでした。
私も父の両親の事は、まったく覚えていません。
父に聞くと、私が赤ん坊の頃に会ったことがあるくらいで、
ほとんど会ったことがないそうです。
最近になって、ようやく教えてくれましたが。
中略
父からも、
「僕は、貧乏で欲しいものも買ってもらえず、我慢したけど、
お前には、そんな事はさせたくない」
「俺は、中学しか出ておらず、学もなく頭も悪いけど、
お前には、そんなふうになってほしくない」
当時は、私のことを考えてくれているように感じたけれど、
今、思えば、単に、自分のコンプレックスを、
私に植えつけているだけなのだと思います。
だって、
「お前は、運動がどんくさいからなあ」とか、
「お前は、女にもてないからなあ」とか、
私が、コンプレックスを持っていて、一番言われたくないことを言われ、
父から、私は傷つけられていましたから。
中略
そういえば、私が、小学生から高校生の頃まで、
たまに、***の話を聞かされていたのを思い出しました。
当時は、分からなかったが、***にいたことは、
相当な自慢だったような気がします。
だから、よけいに、身体が弱い私を責めたのか。よく分かりました。
父は、暴力こそ、私に振るわなかったが、
とにかく、ことあるごとに、言葉の暴力を振るいました。
父自身は、自覚なくやっていたのでしょうが、
運動が苦手で、女性と話をすることが苦手な私にとっては、
かなり痛烈な言葉でした。
父から、言われるたびに、心が傷つきました。
身体の弱い母に対しても、同様でした。
父からすれば、母をいたわっているつもりなのでしょうが、
周りからすれば、怒鳴って責めているようにしか見えませんでした。
つまり、父も母同様に、
長男の絶対的権力の前に虐げられてきた積年の不満と恨みを
晴らそうとしていたのだ。
両親のどちらも味方ではなかった
母に虐待されている時に、
「もう許してあげたら」と母に言ってくれたこともあり、
父は、私の味方なのだと思うこともありました。
また、母同様に、物質面においては、
私が欲しい物を買ってくれたり、色々と遊びに連れて行ってくれたり、
そして、小さい頃は、家の庭で、鯉のぼりを揚げてくれたり、
私の好きなバイクに乗っけってくれたり、
一緒に、花火をしてくれたり、
父とは、本当に楽しい思い出がたくさんありますが、
結局、私の味方ではなかった。
父は母が私に対してやる暴力を、
けっして、咎めたり非難したりすることは、なかったのですから。
これを書いてから、
私は、
・・・・・
ずっと泣いていました・・・
・・・・・
今、落ち着いて、文章を書いていますが、
結局は、父も母同様に私の味方ではなかった
ということが分かり、
その内容について、上述したように書いている時も、
悲しくて、涙が出て止まりませんでしたが、
ついにとうとう、文章を書くことができなくなりました。
その時の私の状態を書きますと、
涙が止めどなく溢れ、
おまけに身体が震え、
泣き声がヒックヒックと、
まるで子供がひきつけを起こしているような状態になってしまいました。
私の自宅はマンションなのですが、
隣の人や上の人に聞こえているのではないかと心配しましたが、
自分では、どうすることもできなかったです。
その時、妻は別の部屋にいて、私一人自室に籠っていたのですが、
後で妻に聞くと、案の定、バリバリ聞こえていたということでした。
以前、もう何か月以上も前に、子供の頃の感情を掘り起こした時も、
かなり泣きましたが、その比ではありませんでした。
この当時の感情が吐き出された出来事は、1月3日でしたが、
その前日の1月2日までは、AC人格をえぐり出し、
その分析と原因解明について、着々と進んではいましたが、
私の感情がほとんどまったく出てきませんでした。
変に冷静な自分がいるのです。
それは、けっして、
トラウマを掘り切ったから冷静になっているわけではありませんでした。
何か不自然でした。
まるで他人事のように、トラウマ掘りを行っているのでした。
しかし、その時の私に、どうすることもできませんでした。
きっかけのひとつ
話は前後しますが、前日の1月2日までは、このような不自然な自分でしたが、
その頑なまでに無感情な自分に変化を与える出来事が、ちょっと前にありました。
1月3日のお昼頃だったのですが、マディアさんのブログを読みました。
それで、「小さなお葬式をやった」ということを知りました。
その時に、感じたことは、後述しますが、
この時に、私の中で、何かスイッチが入ったのだと思います。
それによって、今回、感情が引き出されたのだと分析しています。
前日の1月2日までは、
私のAC人格が、私に感情を出させないようにさせていたから、
まったく感情が出なかったのだと思います。
私は、すっかりAC人格に邪魔をされていたようです。
●AC人格の解除に向けて
まず、書かせて頂きたいことがあります。
(以下の文章を書いているうちに、涙が止めどなく流れ止まりませんでした。
私は、嬉しかった。
私も、マディアさんのようになれるんだということが
心の奥底から感じ取れたからです)
マディアさんのブログ(1月3日付)を拝見させて頂きました。
小さなお葬式をやったみたいですね。
今までも、彼女のブログには、
随分と感化されたり、励まされたりしてきました。
しかし、今回ほど、清々しいと思ったことはありません。
ブログを読んでいて、
何とも心地よい風が吹いてくるのが感じられました。
「全自我到達、本当におめでとうございます」
人間って、ここまでなれるんだ。
正直、今まで、マディアさんは、優秀で特別だと思っていたけれど、
今、思いました。
誰でも、マディアさんのようになれるんだと、
それを教えてくれているんだということがよく分かりました。
私も、今の、狂いに狂ったAC人格の解除に向けて、突き進んでいくことを
新たに決意させて頂きました。
さて、私自身の話に戻りまして、
これまで、私のAC人格の狂いっぷりを暴露し、
なぜ、そのようになったのかについての分析を行ってきました。
私のAC人格人生を振り返ると、
簡単に言うと、次のようなことになります。
まとめ
まず最初は、母親の言動や態度にビクビクし、
***という宗教団体に関わっていた頃は、**氏の言動や態度にビクビクした。
そして、今は、無明庵に関わって、崩残さんの言動にビクビクしている。
私の人生は、常に、他人の評価ばかり気にしていた。
全て、それに終始していた。
「ほめられたい」、「認められたい」、ほとんどそれしかなかった。
そこには、自主性はおろか、自分というものがほとんどまったくなかった。
自分自身の存在価値や存在意義を他人に明け渡してきたのです。
言い換えれば、本来の自分、
すなわち、原主体をズタズタに踏みにじってきたのです。
原主体の意志より、他人の評価を最優先してきたわけですから。
「こんな人生をこの先も、生きていきたいと思うか」
と自分自身に問いかけてみた。
「絶対に嫌だ」というより、このままでは、生きていく意味がない。
そこに本来の自分がいないのですから。
しかし、正直な所、どうしたらいいか、はっきりと分からないです。
どうすれば、この偽人格とおさらばできるのかということが、分からないです。
崩残さんから言われているように、言葉としては、分かります。
AC人格を消し去って、原主体を完全に取り戻せば良いということを。
でも、どうすれば、いいのだろう。今、分かっていることは、
今までは、このAC人格と私自身が同化し過ぎていて、
そのAC人格そのものになってしまっていることさえ、分かりませんでした。
しかし、今は、AC人格と私自身の間に隙間ができてきました。
ある程度の距離が出てきました。
ですので、今は、このAC人格をしっかりと見据えている私がいます。
だから、引き続き、手を休めることなく、
このAC人格のダメ出しを行っていき、
この距離を大きしていく以外に方法がないと感じております。
そして、このダメ出しが完全に終わった後に、絶縁状にハンコを押し、
このAC人格と完全に縁を切ることができるのだと感じております。
今は、まだ、絶縁状にハンコを押すことができていません。
まだ、このAC人格に未練が残っていると感じるからです。
その残っている未練をえぐり出していくことを、今後も続けていきます。
今後の課題
まとめ及び今後の課題については、
まずは、過去の自我判定依頼の際に書いた報告文を全て読み直しました。
トラウマ掘りについて、振り返ってみると、
3回目の自我判定のちょっと前に、母親に関連するトラウマがかなり掘れ、
当時の子供の頃の感情についても、掘り起こすことができていました。
しかし、父親に関連するトラウマについては、まだまだ不十分でした。
そして、約一年前、4回目の自我判の際には、さらに深くトラウマを掘ることができた。
崩残さんからも、お手紙の中で、以下のようなコメントを頂いていました。
>「トラウマも大変に深く掘れていると思います。
>おそらくは今後、トラウマ由来のひずみは、ほとんどなくなると思います。
>自我復元の足をひっばることはないと推測できます。(確実ではありませんが)」
今、このコメントを読めば、これの意味する所は、
あくまで、トラウマの悪影響を受ける事が、
ほとんどなくなるだろうという推測に過ぎないのであって、
トラウマを掘り切って、その影響が、まったく無くなったと
言っているのではないと言う事が、よく分かります。
しかし、当時の私は、このコメントを自分の都合のいいように解釈し、
「自分は、もう大丈夫だ」と勝手に思ってしまっていました。
ここには、都合のよい妄想で、拡大解釈するという、
AC人格が明確に表れています。
しかも、自分自身の感覚ではなく、
崩残さんという他人の影響を真に受けています。
そして、前回の5回目の自我判定の報告文の中では、
「今の自分に自己否定があるのだろうか。
子供の頃、親、特に母親から植え付けられた自己否定は無くなったのか
と自問してみました。
無くなったのではないかと思います」
このように、言ってしまっていました。
今、思えば、自分の希望的観測が入り込んでおり、
自己分析の甘さを痛感させられます。
当時は、一時的にハイ状態になっていて、
そのように誤認したのだということがはっきりと分かります。
ここにも、AC人格が表れています。
今なら、分かります。
AC人格が、私に、そのように感じさせたのだと。
しかも、以下の桜の間の投稿(2013/07/13付)で、
■ ★分割自我復元★その243■
『自我復元の目的とプロセスの再確認』 ■
>最も興味深いのは、以前に掲示板に、
>「かわいい女性と付き合いたい」といった内容のメールを掲載した方です。
>この方の場合、トラウマを掘っているときに、それと知らずに、
>その原主体を既に掘り出していました。
>原主体の衝動と、現在の大人の思考との調整がまだできていませんが。
というようなコメントを崩残さんから頂いた為、もう完全に舞い上がってしまいました。
ここにも、崩残さんの言う事なら、何でも真に受けてしまうという、
AC人格癖がはっきりと表れています。
これで、私のトラウマ掘りは、完全に停滞してしまいました。
まんまと、AC人格の策略に引っかかってしまったわけです。
今まで、AC人格は、私と同化し、しぶとく生き続けてきたわけですから、
そう簡単に、倒されるはずがありません。
敵も、敵自身の死活問題に関わってくるわけですから、必死です。
あらゆる手を使ってでも、私の邪魔をしようとしてくることは、当然なのですから。
それから今まで、私が、どのような状態になったかは、前述した通りです。
さて、現在のトラウマ掘りの状況についてですが、以下のようになります。
・まったく掘れていなかった、父親に関連するトラウマについて、
当時の子供の頃の感情を掘り起こせたこと。
母親については、これまでで、掘り起こせている。
・まったく思い出せなかった、幼稚園時代の、トラウマに由来する記憶が
掘れたこと。
・母親および父親から受けたトラウマが、現在まで、どのように悪影響を
及ぼしてきたかの分析が進んだこと。
ようやく、過去から現在まで一本の線で繋がりました。
今の私の感覚では、AC人格と私との間にすきま(距離)ができて、
AC人格の動き(言動や態度)を、私が見据えているというように感じます。
今後の課題、つまり、やるべきことは、
引き続き、トラウマ掘りとその分析を続けていくこと以外にないのですが、
具体的には、
・一応、完成はしたが、不快年表のアップデートを続けていくこと。
その際、特に、現在、生じている不快や違和感を重要視すること
・過去の事で気になった事等は、両親に聞いていくこと。
このようにやっていきたいと思います。
あと、問題なのは、
何を持って、AC人格が解除されたと言えるのかという事です。
最終的には、
崩残さんに自我判定依頼した際に、書かれる文字にはっきりと表れるでしょうが、
まずは、私自身の判断が重要であると考えています。
この判断を誤ると、また、同じ失敗をしてしまうからです。
しかし、これは、正直な所、分かりません。
マディアさんや天音さんのブログを拝見する限り、
AC人格がお亡くなりになり、完全に原主体に入れ替わったということは、
自分自身の感覚として、明確に分かるように見受けられます。
だから、「今までの自分は、完全に死んだ。まったく新しい自分になった」
と嘘偽りなく、感じられると言う事が、判断基準になるのかなと思っています。
中略
以上、報告文が大変長くなりましたが、報告は以上です。
お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。
***********************************
むろん、この方への判定結果の記述の時には、手紙をしたためます。
原文は、改行も多かったこともありますが、
プリントアウトして70ページになりましたが、
私は、4度、泣かされました。
今年も年始は、涙で始まりました。
★ 追 伸 ★
ただし、一箇所、AC人格が大喜びしそうな箇所があったので、
説明しておきます。
>>AC人格がお亡くなりになり、完全に原主体に入れ替わったということは、
>>自分自身の感覚として、明確に分かるように見受けられます。
ここは現時点では、間違い、または不確定です。
本人には、わかりません。
トラウマや、AC人格が掘れたかどうか、
そして全自我かどうか、
原主体の顕現率はどうか、
これらを自己判断するのは、非常に困難です。
もしも、その自己判断が出来る指針があるのであれば、
私は、それをこの掲示板なり本なりで提示して、
この面倒くさくて、体力や神経を極度に消耗する
自我判定をやめることが出来ます。
しかし、そうしたくても、出来ないには理由があります。
以前に、雨樹さんという人が、その基準を作ることを私に望みましたが、
そうできれば、それはそれに越したことはないですが、
そのようなものが分かったとしても、それを公開すれば、
AC人格は、間違いなく自己評価が甘くなり、
「俺は、もう全自我だ」と考えようとします。
しかしそうした事実誤認の結果がどうなるかは、
たくさんの人が知っているはずです。
全自我判定以前に、「トラウマが掘れたぞと思い込むこと」も、
いとも簡単に、AC人格はやらかしてしまい、
自らの自我復元を「台無し」にしようとします。
またそもそも「自分にはトラウマなどない、あってもたいしたものじゃない」
「過去に自分は親にも反抗したから、もう解決しているはずだ」
などと思い込む人が、本当に、たくさんいました。
ところが、その人たちこそ、もっとも重篤なAC人格者になっていました。
●次に、この報告をされた方も、掲示板を読んでいる人も、
全く知らないことがあります。
それは、私が、マディアさんにも、天音さんにも、
最後の一歩手前ところで、ダメ出しをしていたという事実です(過去形です)。
ダメ出しというよりも、厳密に言うと「最後のチェック」です。
「途中」ではなくて、「最後の最後の一歩手前」でです。
そこで、何通かのメールのやりとりをしていたのですが、
どうしても、公開できない内容になってしまっています。
それは他人が読むと、
多くの人たちが、曲解をしやすく、また複雑なやりとりの内容であったために、
掲示板でも一切公開していませんし、今後もしません。
そのように、もう、ほとんど全自我に近く、ほとんど自分のトラウマや、
AC人格を知り抜いたと思っている人でも、
盲点や、ノーチェックのところが、私から見えることが多くあります。
こうしたことを、自己判断できるかとなると、まだ、
今の段階では、困難を極めますし、私にも、厳密にはわかりません。
ですから、全自我かどうかの自己判定にしても、
AC人格が解除されたか否かも、
決して、すでにマニュアルがあるのに、それを出すと、
人々のAC人格が「自らを過大評価することに悪用」するから、
なのではなくて、
現実的には、あまりにもそのプロセスが複雑すぎ、
また、最後に必要最低限の言葉をかけるタイミングが難しすぎて、
到底、万人向けのマニュアルには、出来ないのです。
だから、本当に残念というか、困難な問題は、
私が生きている間は、
私がその人それぞれの状態や、判定文字を個別に観つつ、
何かを言う必要がある機会の「瞬間」を、
そのつど、読み取るしかないのです。
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