▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[311]
■
★分割自我復元★その311■ 【トラウマAC報告をまとめる予定】
by:
鈴木崩残
2014/01/17(Fri)06:45:34
トラウマ・AC報告の本
●昨年の秋ごろから、定期的に考えていたことがあります。
それは、皆さんから寄せられた何千ぺーじもの膨大な量の報告の中から、
【トラウマとAC】に関する報告のみを編集し、一冊の本にすることです。
ただし、無明庵と関連づけられる一切の用語を排除します。
自我復元とか、その他、無明庵に関係する用語や文は削除し、
完全に一般向けの資料としてまとめあげるという作業です。
かなりの時間と手間がかかりますが。
●表題は、たとえば、「最低の家族(サイテーのカゾク)」など、
ごく一般の人が手にとるタイトルを思案しています。
手に取るのは、小学生から大学生はむろん、未婚者、既婚者まで、
すべての層です。
従って、精神世界にからむ話は、その人が宗教や精神世界にかかわってしまったことを
AC人格のやらかした、ひとつの失敗として語る以外には、ほとんど登場しません。
原文を、「一般向け」にするのに、相当に難儀しそうですが、
今年の目標のひとつです。
●使われるものは、皆さんから寄せられた、
おもに、家庭内で幼少期に受けたトラウマ分析の報告のみが中心となり、
その他、ブログを持っている人たちのブログの
記事も、引用させて戴くことになります。
●そして、この構想を練っているときに、
どういう人の、どういう報告文を載せるかとなったとき、
明らかに、編集に組み込まれる人と、そうでない人とに、
大きな差異があることをあらためて認識しました。
たとえば、文が読みやすいとか、面白いとか、そういったことは
全く関係ありません。
唯一、基準になるのは「リアリティー」です。
リアリティーというものが、
本人にとってリアリティーがあるならば、それはすべてリアルだ、
という主張は、大きな間違いです。
本人が主張するリアリティー、現実感は、それ自体の感覚が、
嘘であったり、誤認であったりするために、
読み手に、決して、「現実感」を与えません。
トラウマやAC人格というものは、
ある決まったパターンが数種類ありますので、
個人の価値観や、性格や、好み、個性とは関係がありませんから、
個人によって、そのリアリティーの本質が異なるものではありません。
よって、本当にトラウマの根っこや、AC人格の原因、洗脳の解明、
こうしたものに、行き着いた人、行き着きつつある人の文は、
まるで、その他の人からの報告文とは違います。
それは、同じ境遇にある読み手、あるいは万人、または多くの人に、
必ず大小のショックを与えます。
主観的な妄想や想像上のトラウマやAC人格の分析などは、その前では、
簡単に吹き飛ばされてしまうのが、本物の報告の持つ普遍性です。
●従って、「私が苦しんでいる、と、思い込んでいるのだから、
それは私にとっては、リアルなんだ。」
という主張は、通じません。
リアリティーというものは、集団幻想とは違います。
それは、誰が見ても、ほとんどの場合に、現実感を伴っています。
その基準で見た場合、なぜ、私から削除依頼をしたり、
止まったまま消えていった復元ブログが多く出たのか、
その根拠、理由が、今回、明確にわかりました。
今現在、削除依頼ではなく、「留保」としているブログがあります。
渚さんと、S020さんです。
理由は、復元による変化報告、AC人格掘りについても、
まだ、問題点や、掘り方が不十分な点があるからです。
●以前にも書きましたが、復元ブログでは、
AC人格が、自分のトラウマについて、
「現在のあれこれの混線した頭」で、どう解釈したか、
どう理由や原因をこじつけられたか、ではなくて、
どう「見たか」どう「直視したか」を重視します。
どう見たか、どう感じたか、子供のころの本心は、
その時に何を叫んでいたのか、
それだけでリアリティーを持つものが、本物の報告です。
そして現在残ったのが、後述したブログです。
この方たちのブログからは、相当に引用をさせていただく予定です。
その他は、「ブログを書いていない人」のものでも、
その報告内容が、強烈なリアルさを持っていたものに厳選します。
●なお、全自我になった人のブログでも、
こと、AC人格問題についての言及、記事の少ないものは、
今回の書籍への引用対象からは、除外しました。
今回の本には、「自我復元による変化と効果」については、
一切、触れないようにするつもりだからです。
ただし、そこは、自我復元をしたからという部分は伏せて、
(嘘を書くことになりますが)、いろいろな分析を自分でして、
そこから、その人達は自分で抜け出したという形に書き変えておきます。
この編集の目的は、自我復元を宣伝したり、普及することではなく、
「機能不全家族」の実態を、
日本の社会、ないしは、今、その地獄のような家族の現場にいる
子供や学生に示す資料を残すことだからです。
●世の中に、家族についての愚痴や恨みをつづったブログ、
あるいは、カウンセラーの書いたブログ、そういったものはあれど、
虐待、感染、洗脳などの、被害を受けた「その当事者の本人の言葉」で、
ここまで、はっきりと家族問題、自分と親との問題について、
内省し、掘り出し、考え抜いた、そういう報告は、
この世界のどこにもないからです。
断片的な愚痴でもなく、型にはまった心理分析でもなく、
掘りつくして、元もとの正常な自我と共に、新しい人生に踏み出した人の記録、
そのようなものは、この世界のどこにも存在しません。
私の目から見ても、それだけの価値があるトラウマ報告であるのです。
●単なる虐待の記憶をつづった体験記録ならば、沢山あるでしょう。
単なるカウンセラーの書いた、つまらない本なら沢山あるでしょう。
しかし、私が自我復元の到達点としていることと、
従来のカウンセラーがしようとしたことには、
天と地ほどの違いがあります。
●それは、どこに帰着すれば、AC人格卒業、トラウマ解決、
原主体が主導に戻ったかという「基準」が明確にあることです。
従来の過去の方法では、(瞑想や宗教や自己啓発セミナーなどは「論外」として)、
正攻法で、行こうとした分野、
つまり家族に問題の原因があるとしてそこを解決しようとした、
いかなる精神療法や、カウンセリングも、
肝心の「大前提」の地盤が曖昧です。
ここで治療は完了したという、
目的地が見えていないし、その目的の是非を考えようともしていない、
とも言い換えることが出来ます。
●特に、精神科やカウンセラー、
彼らのやってきたことは、何だったでしょうか?
最悪なのは、薬づけと、病院への監禁や、軟禁で、
これは、犯罪性があればやむをえないとしても、通常は論外の治療法です。
しかし、精神科のカウンセラーが、「どうなったら正常」であるかについては、
単に、
「人並みの社会生活が出来るようになること」
「家族と和解すること」
「自傷行為をしなくなり、暴れなくなること」
「自殺願望や、ひきこもりが軽減されること」
「本人が楽に感じることならば錯覚でも良いではないか」
といった、こういうところしか、到達目標に出来ていません。
一方では、精神世界では、
「人格形成」という枠からすらも、脱線してしまい、
やれ、「願望実現」だ、「霊感の開発」だ、
あげくには「悟り以外には、どうせ価値などないんだ」
などと、現実逃避を、次から次へと上塗りしてしまい、
ここへ生まれてきた目標それ自体を、完全に見誤っています。
●私が言う目標とは、
この地球で、人間という生物を選択したかぎりは、
各自が、自分で設定した、目標が、本来はそこにはあり、
それは、全自我になった人であれば、
今現在に関連している前の生を思い出すことも不可能ではありません。
しかし、その目標の中でも最大級の、
「地球の人類に共通した経験課題」は、
「喜怒哀楽」、その他を含む「感情」の経験だったということです。
この経験を強烈に、しかも、「バランスよく」しないかぎりは、
契約して、人間に生まれた意味が全くありません。
●私は、昔から、感情が機能していない感情機能不全の人が大嫌いでしたし、
その人達には、意識の密度や内圧もなかったので、
彼らの思考は、本人がたとえ、何にこだわって、
どれだけ、あれこれの思考をして、自らの理屈や理想をならべても、
常に、どんよりと、淀んだものでした。つまりあの悪臭がするのです。
何よりも、目的を最後まで貫けない人たちばかりでしたし、
そもそも、何かの目的設定することすらも、本当のところは関心がない人。
細かいあれこれの、自尊心の傷つきや、心身の不快さには敏感でも、
自分の人生そのものに、たいして真剣な関心などない人、
あるいは、関心ある「ふり」だけしている人、
そういう意味では、本当に、麻痺したような人ばかりでした。
そういう人たちは、何をしても全てが「中途半端」で終わっていました。
●一方で、
何か絶対に、この世で、他の人に出来ることではなくて、
自分だけにしか出来ない分野を開拓する、
その分野においては、責任を全部背負い、戦い、とことんやり抜いて、
誰もその人の右に出ないほどに極める、
といったことは、常に全自我の人にとっては、
当然の生きる意欲や、行動の動機となります。
しかし、希釈自我と機能不全家族で育てば、
すべてが万事、「中の上ぐらい」の中途半端なところで手を打って終わりとして、
ネチネチとした不満を残して、次の生では、またさらなる劣化を繰り返します。
しかし、それも当たり前の結果なのです。
●なぜならば、「中途半端」な「中の上あたりで、なんとなくいいや思考」は、
その人達にとっては、
もっとも楽が出来て、適当に他者を軽蔑したり、優越感を持ったりして、
そうやって家族や社会の中で背負った劣等感を、誤魔化せるからです。
「中途半端」でありさえすれば、その半端な位置にいれば、
もしも自分よりも、技術や英知において上の誰から何かを言われれば、
「いいえ、私はそんなことまでは、目指していません」と卑下したふりをし、
自分よりも下だと思った相手を見れば、
「おらおら、俺のようにやれよ。脳なし」と、とたんに傲慢になります。
口には出さなくとも、態度や文体で分かります。
●こういうことを、
中途半端に繰り返してAC人格による「麻痺」を続けるには、
自分だけの、追従を許さないようなオリジナルの頂点を目指すことや、
その孤高を背負うことや、その責任をまっとうすることを
「避ける」ことが必要となってしまい、
また、それについて、その人達は、あらゆる「いい訳」をしています。
それこそが、何をしても中途半端で、
今までに、いろいろな事を途中で投げ出して挫折して、諦めた人たち、
あるいは「このあたりなら、普通の人からは、文句は言われまい」という
「中の上あたり」という、実に、チンケな人生に甘んじた人達の選ぶ選択です。
●しかし、もしも、何かを「本気で目指す」とき、
特にそれが、なんとかして生計を立てたり、お金をもうけるとか、
健康を維持する、日々の不快を解決するといった、現実面とは異なり、
より形而上学的な問題、根幹的な自分の哲学、生き方を思慮においては、
そこそこの精神状態で良い、
そこそこ不快でなければ良いではないか、と感じるなどということは、
先天性全自我には、全くあり得ません。
中途半端ではない、生き方をするということ、
そして、ある意味では、
誰にも負けないような大成をもくろみ、実際にそれをやってのけること、
そうでなければ、
集団ではなくて、「個人としての意識が発生した」という形で、
この地球に生まれた本来の意味がありません。
「本当に、生きてみてよかった」と、嘘なく心から思いながら、死にゆき、
晴れやかな気分で、自分の意志を出来るだけ行使して、
次の生の契約では、妥協をせずに、望んだ通りに現実すること。
このためには、
AC人格によって歪んだ人格も、希釈自我も、使えません。
そのためには、原型の健全な自我から、何もかもを開始する必要があります。
『虐待によるトラウマ』と
『感染』の違い
補足です。
これまでに、トラウマAC問題について、従来の概念とは異なる再定義を
桜の間で、してきましたが、ひとつ追加しておきます。
■暴力、恫喝、これらによる心的外傷は、
「毒親によるトラウマ」と呼んでいいです。
これらによるトラウマは、
たとえると「外傷」つまり「怪我」に似ています。
怪我は、それをやった加害者についてあなたは記憶しています。
誰がやったか、どうして怪我をしたかの記憶が明確です。
痛みも被害を受けたときに、すぐさま瞬時に生じます。
だから、誰がやったのか覚えています。
■これに比べて『毒親の感染』は、たとえると、
『内科的な病気の感染』です。
つまり、発病するまでに時間がかかったり、
あるいは、毒親から感染したと分からずにいます。
感染者であるあなたは、
その犯人が親だとは思っていないのです(感染源は、親しかあり得ません)
トラウマは、直接的な暴力や大声などの恫喝なので、外科的です。
それは、親が直接的に殴ったり、怒鳴ることで子供が受ける傷です。
しかし、「感染」というのは、
親が子供を怒鳴らず、暴力をふるわなくとも感染します。
では、そこで感染するものとは何でしょう?
それは、
『親が、口できちんと言わずに、我慢した感情』です。
子供に直接に怒りを言動では向けずに、
子供にとっては、分からない、回りくどい形で、
子供に自分の抱えたストレスをぶつけた場合に感染します。
また、親がそうして鬱積して、我慢しているところを子供が察して、
親の我慢や、恨みや、心配や、不安をそのまま、自分の体内に取り込みます。
それが「親のせい」とは全く分からずに、
誰のせいか、何が原因かも、全くわからずに成人し、
やがて、自分が、いくら言動を親とは違う振る舞いや人生の選択をしても、
「物事に向かう姿勢や動機の根底」に、
自分の親とそっくりの毒があることに気づき始めます。
ただし、自我復元と、トラウマ掘りをしないと、気づかない人が大半ですが。
●しかし、直接的な暴力、恫喝、そしてそこに悪意が見えなかったために、
感染させた方も無自覚なら、
感染したあなたも親からのものだという自覚が全くありません。
●自我判定の報告や、トラウマ掘りを報告してきた人達のうち、
「親は別に、それほど悪い人間じゃなかった」、と口では言うくせに、
他者から見ると、どう見ても、
その本人が、著しく性格や考え方が歪んでいる、という場合、
ほとんどの場合には、原因は、この「感染」によるものです。
●だからこそ、
加害者である犯人が分かりやすい、
暴力や恫喝による「トラウマ」を持っている人達よりも、
「被感染者」は、感染源が親であることに気づくまで、難航します。
また気づいても、親のその毒の性質を、
本気では「敵視」ができないように去勢、洗脳されたような状態にあり、
毒親の性質が、その人が自分そのものだと思いこんでいて、
かなりの深さで自己同化してしまっています。
故に、心底から、インナーチャイルドの感情を引き出せない
という重篤な欠陥を持っている人がいます。
●この、めったに気づけない、この内科的な「感染」の怖さに鑑みると、
Abyさんは、「感染」よりも、さらに、もっと恐ろしい病原体であり、
並の人間では、とうてい気づけないような、毒親からの「調教」に、
あれだけの気づき方、掘り出し方を出来ているという点で、
驚愕に値します。
******************
【編集対象ブログ】
↓
『お姫ちゃん』さん
http://haripoteko.exblog.jp/i0/
『マディア』さん
http://jigafukugen1987.blog.fc2.com/
『天音(あまね)』さん
http://love3nyansfukugen.blog.fc2.com/
『朱いはがね』さん
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/
『Aby』さん
http://mmjhb11.exblog.jp/
『新子(あたらし)』さん
http://fukugen16.jugem.jp/
『どんガメ』さん
http://ameblo.jp/tekutekukamesan/
********************************
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(311 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -