▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[352]
■
★分割自我復元★その352■ 『 自我復元報告のいくつか−その2 』
by:
鈴木崩残
2014/05/20(Tue)10:41:22
皆様からの報告より−その2
●今回の大雪で半分が死んでしまったローズマリーも、
生き延びた分が、花を咲かせました。
↓
*********
■さて、メールで寄せられたものから、一部のみ抜粋したものと、
ブログをリンクさせて戴きました。
*********
>・ひとりめ
久しぶりに頂いた書・・・
どことなく雰囲気が違うと感じるのは気のせいでしょうか?
「気」「雲水」「要」・・・
全て飾っておきたいところですが、やはり今は「要」を飾ります。
おまけとあった弾けるような「飛」、見てるとなぜか落ち着く
「気合」もありがとうございます。
「気合」は気が合う、コミュニケーションととらえることが自分に合うなと感じます。
中略
私には同じ年の従兄弟が何人かいて母の兄の息子が映画俳優のような顔立ちだった。
母と伯母(母の妹)が私の前でよく言っていたことが
「○○○君はいい男だね」「カッコいいね〜」
その場でこのバカ姉妹から言われた言葉はよく思い出せないが・・・
「それに比べお前はね〜」だったはずだ。
伯母の表情からは私はどうでもいい存在だった。
「お前は鼻が低いから寝る時は洗濯ばさみで鼻をつまんでおきな!」
子供の私でもそれで鼻が高くなるとは思えないのに
このバカ母は平気で口にする。
中略
子供の頃の私の家庭内では祖父(父方)の存在が大きく、
母にとっては恐い存在であったはずだ。
孫の教育係のように自分を位置づけていたようにも思える。
私の躾けのことで、
祖父から文句を言われないように気を使っていたことは確かである。
「ダメな嫁」として見られることを恐れていたはずである。
だから家事は完璧にこなしていたように思える。
部屋のホコリには非常に神経質だった。
まさに「おしん」状態だ。
高校時代に手に入れた私のオーディオセットにホコリがあると
掃除機をかけ、水拭きをしてしまう。
精密機器だからやめてくれ、と言ってもやめない。
何度それが原因で怒鳴り合ったかわからない。
中略
こんな母親だから私が母の気に入らない状況を作れば定番のセリフ…
「いやだよ〜、この子は!」とヒステリックにくる。
こんな母親だから私が子供の頃にぶたれて躾けられていない訳がない!
一度小学5、6年の私の態度にキレてぶったたかれたことがある。
母が私に対して怒りをぶつける時は、
「お前はおじいさんに似ている」とよく言われた。
だから母は祖父に対してイヤな思いを持っていたことだろう。
中略
母は実家では貧乏で苦労したらしい。
何かにつけ戦争での疎開の話や食べ物の話を聞かされた。
だから、子供の私が貧乏な家の友達とつき合うことを非常に嫌がっていた。
子供の私の交友関係を制限しようとしていた。
母は子供時代の苦労、結婚後の生活からだらしない生活を嫌っていた。
それゆえ、私の髪が耳を覆うくらい伸びた段階になると「短くしろ!」
とヒステリックに怒鳴った。
私の幼稚園時代の髪型はマルコメ味噌のキャラのような坊主頭だったからだ。
中略
その幼稚園の時、テレビの人形劇をクラスで見に行った。
子供向けの番組なので見学に行った子供たちも画面に写るのだ。
人形劇が終わるとその人形たちが汽車に乗って運ばれてくる。
そして子供達が人形に走り寄ってワイワイ喜ぶ。
でも、私ひとりだけが椅子に座ったまま動かなかった。
冷めていたのか、恥ずかしくて気が小さくてみんなのように、
振る舞えなかったのかは覚えていない。
番組が終わった時、母が私にヒステリックに言った。
「どうしてお前はみんなと一緒に前に行かなかったの!?」
「どうしてみんなと同じようにできないの!?」
これが私が回りに合わせることができなくなった始まりのような気がする。
この出来事もいつまでも心に残っている。
中略
自分のやり方だとつい最近まで思っていたことが、
実は母親からの受け売り、コピーだった。
復讐方法でさえ自分のやり方ではなかったことに愕然とする。
職場での自分のやり方を探ってみる・・・
私は仕事で他人に迷惑をかけることを嫌う。
迷惑といっても「物申す」ことでの迷惑ではなく、
仕事ができないという迷惑である。
だから仕事はこなす、戦力としては満足させる。
だが、仕事ができない奴にはとても敵意を向けてしまう。
ときには暴力行為に及んでしまう。
誰かに似ていないか?
そうだ、だらしない生活態度にキレる我が母親ではないか!?
これは昔、ダメな自分から脱する時に身につけた人格、
オリジナルなものではなかったのか!?
オリジナルなものはないのか?
これが自分ですよ、と言えるものは?
中略
「肥満という呪縛」
私のトラウマの原因は肥満に端を発していない、という崩残さんの指摘を探ってみた。
思い当たることが記憶に戻ってくる。
私は自分の弱さを克服するためか隠すためか若い頃、外国へ旅に出た。
中略
まさに呪いから解き放たれたようだった。
私はいい気になって酔いしれた。全てが洗い流されたと思い増長し始めた。
いい気になると苦悩の日々も忘れてしまう。
問題を見つめ、解凍したわけでもないのに・・・
憎しみは燃えたぎったまま、心の深層で凍結された。
今現在、思い出せた部分、記憶に残っていた部分、
長年ひっかかっていたことを書き留めてみました。
幼少の頃の記憶はまだベールに覆われている感じで、
記憶に上らせることができていません。
復元とトラウマ掘りを地道に進めていきます。
ここ数ヶ月で気づいた変化がひとつあります。
あまりやってきたことがなかったことに「絵を描く」というのがありました。
観るのは好きでしたが描く上手さはないと思っていましたが、
最近時間があれば描いています。
***************************
>・ふたりめ
お姫ちゃんさんのブログ記事を読んでずっと考えていたことがあります。
「私は、どうして親のことを、憎もうとしないのか?」
今日の朝、
「父と母にはできれば幸せになってほしい」と思っていました。
でも、これって本当に私の本心なのだろうか?と、
ふと思いました。
確かに、一緒に住んでいたころは、
早く死んでくれたらいいのにとか、思っていました。
でも、トラウマを掘っていた時もそうだったのですが、
「怒り」よりも「悲しみ」のほうが大きくて、
親に怒りを向けることを、避けていたような、そんな気がしています。
私は、他人のことを恨むことを、避けようとしています。
そして、そういう自分のことを、
「腰抜けで臆病者」と責めている私と、
「そういう自分はキレイなんだ」と言いたがる私がいます。
私は、本当は、ずっと怒っているのかもしれません。
でも、いま、その怒りは表に出せていません。
体に感じる違和感は、もしかしたら、
その怒りからきているのかもしれない。
そんな風に思いました。
なぜ、怒りを表に出せないのか?
それは、
怒りを表現することへの恐怖心もあるのかもしれませんが、
「怒りを抑える自分は相手のことを思いやれている」と
思っている私がいるからです。
親にあれだけ酷いことをされていて、なぜ怒れなかったのか。
それは、恐怖で怒りを表現できない代わりに、
私が親の上に立とうとしたからです。
お前の愚痴を「聞いてあげてるのよ。」
お前なんかより、「私は賢い選択をできる。いい人生を選べる。」
この醜い下心を持っていたからです。
これは、復讐心に他ならない。
怖くて直接怒りをぶつけられないから、
私はこういう「回りくどい復讐」をしようとしました。
それは、今でも完全になくなってはいないように思います。
***************************
>さんにんめ
AC人格について報告します。
○ネーミング
「同化する人格」
○どういう局面で出るか
自己の生存に影響する、脅威になる存在、
良好な環境を与えてくれそうな存在に出会った時、
他者の制圧圏内に入る「ふり」をして利用する目的・魂胆です。
他者の長所を取り入れ模倣する、
母親から「○○ちゃんはエライ、あんたはダメね」
この言葉で、自己の特性なんかは無視して無条件で同化しようとします。
大概は無駄に終わり自己嫌悪が残ります。
中略
やりたい事では無く、
迎合という自己の生存だけが目的で模倣した「ふり」では、
投影した他者に対する憧れ羨望や憎しみ殺意すらも含んでいて、
理解は異物となります。
ですが、それを強制する事で異物感とその毒に慣れてしまい、
内部に癒着して同化してしまうのだと思います。
これが、AC人格の形成パターンの一つだと理解しています。
本当は嫌いな、いじめっ子や不良また優等生に対して闘わないで迎合し、
その人物や集団との間に距離を置き境界線上にポジションを取って安全を維持し、
常に退路を意識し確保しながら、実は同化していました。
自分では、中道を歩いている、どこにも属さないと誤認していました。
これは狡猾な他者や組織に対する同化で、
社会人になってからも当然行っています。
この行為は孤独感・自己嫌悪を伴い、これが、とても苦痛です。
自分がとても狡猾な人間だと認識していながら行うので、
自己に対する信頼が失われるからです。
自己の切り売りです。
AC人格に占領される事です。
続けるうちに感覚・感情・思考ともに麻痺していき、
漠然とした鈍痛のような違和感・不安と自己表現が屈折します。
身体的には、筋肉は強張りお腹には異物の様な冷えた塊があって、
頭はスッキリせず痺れるような感覚を伴いました。
とにかく、居心地が悪いです、黙って座っておれませんでした。
常に逃げ回るように、何かをやっていないと落ち着きません。
自己を直視するのが怖い、自己存在がバラバラに分解してしまう感覚です。
不安によって満たされるのが怖いのです。
見もしないTVをつけ、会う気のしない友人と会い、仕事を捏造した。
不安を消すため、新たな不安を探し上塗りしてホッとする絶え間ない苦痛のループ。
自虐的な行為です。
だから麻痺できることなら何でも手当たり次第やった。
仕事・スポーツ・酒・異性・読書・・・すべてに中毒をしていました。
そして、この違和感・不安が溜り臨界点に達すると、
何かのきっかけで爆発・暴走します。
ホントの自分はこうでは無いんだ!
こう、やりたいんだ!
素直な軌道修正と言える行為なのです。
でも、嘘で固めた基盤の上に立っていて不安定です。
力が弱まると周囲から一斉に攻撃され利用されました。
残念ながら希釈自我では、何をやっても「自爆」してしまうだけです。
自分の信じた道を歩んでいたと思っていたのに、
気付けば奴隷の様に自由を失い、痛みを背負い、ただ生き続けているだけ。
どうしたら脱出できるのだろうか?
原因は何なのか?
自問自答し続けましたが、その原因・正体が解りません。
正体不明な痛みから逃れる為、
尊敬する人物、宗教や精神世界、自然にも、
とにかく、できるものなら何にでも迎合し利用し同化しました。
復元を行いながら、無明庵にも同化しています。
とても狡猾なAC人格、何でもすり替え乗り移る。
あぶり出し焼却したと安心していると、その下に隠れ何層にもなっている。
嘘をつくと、顔を出します。
背伸びすると、顔を出します。
調子に乗ると、顔を出します。
油断すると、顔を出します。
寂しさに浸ると、顔を出します。
虚しさに浸ると、顔を出します。
中略
小学生の時、土曜日の昼食も用意せず、度々家を留守にしていた事。
弟への「断乳の方法」の異常さ。
高校生の頃、母の作る食事に気持ちを感じられない事があって口論になった、
母は包丁持ち恫喝し、それでも抗議を止めなかった事に切れ、
腕を(刃の反対側で)峰打ちされシャツが裂け皮膚が切れました。
生きるための基本、食事を与えない、
小学生の記憶は緩慢な方法ですが、
断乳の際は直接的に毒を与えています。
中略
通院の期間相当我慢をしていた母は、自己の責任を背負いきれなくなった。
その時、長年に渡り、母が私に対して行って来た同じ行為、
自己逃避、責任転嫁、恫喝、無視、子供じみた代理復讐を行った。
中略
○結局何が言いたい人格か
生き残りが最優先。
その為には何でも利用する「自己の尊厳は蔑ろにしていいんだ」と云う主張、
その言い訳がしたい、それを認めてほしい人格。
○そのAC人格の挙動の原因は、親とのどういう関係にあったか
この同化するAC人格が形成されたのは、
乳児の時に母が私に否定的な感情・思考を待った事で、
生存の危機を感じ、それに対処したのが原因だと推測しています。
中略
物心ついてから間接的で陰湿な方法で、
両親は私を他者への同化へ誘導していました。
それは両親の「他者への陰口」です。
この行為は両親への不信感と同時に、
自己の生存の確保にとって大いに脅威になりました。
何しろ、両親が普段問題なく接している人々、尊敬していると思う人や、
面倒を見たり可愛がっているように見える、
その多くを陰で否定する訳です。
両親が何を基準に他者の評価しているのか分からなくなります。
当然、両親から私への愛情や評価も確信が得られる訳がなく、
いつでも、愛情や評価がひっくり返る可能性あって安心できません。
安全策として、一番確実な方法それは「両親に同化する方法」でした。
しかし、それは両親の人格の欠陥をさらに背負いこみ、
彼らの人生の課題までも背負う結果となりました。
中略
桜の間に掲載された報告文を読んでいて自己に対する違和感が沸いた。
掲載された復元実習者の人に対する嫉妬、嫉妬が不安に変化する。
崩残さんに認められたい、他の復元実習者に負けたくない。
不安が増大する・・・何とかしなくては・・行動しなきゃ!
不安、不安が、トラウマ堀りの原動力。
勝ち負けにこだわるAC人格・嫉妬するAC人格が
トラウマを掘らせている。
自己の意志で掘っている、そう思っていた。
だが違っていた。
無明庵人格なのか?
判定文にあった「AC人格の起動」とは、このこと事?
そうなんだ!
掘らせているのも、感じているのも、
自分が勝手に捏造した無明庵人格なんだ。
頭の色んな部分が痛む・・体も重い・・・
○母の・・・危ないは、危ない!
3歳の頃、
近所の家にあった大きな池、
周りには大小の石が埋め込んであった。
石の上を歩いていた。
小さな石、大きな石。
少しのぼる、少しおりる。
陽は明るく気持ちがいい。
大きな石が見える、
どんどん先まで行ってみよう。
すると、母の声がする。
「危ないよ〜危ないよ〜」
何だろう?何のことだ?
母の方を見る、
縁側でおばさん達と話している。
こちらを見ているみたい。
でも、なにが危ないの?
いいや、先にいこう。
「危ないよ、危ないよ」
また母の声だ・・・・
なにが危ないんだよう・・・
「危ないよ」
なんだ・・・いったい何が危ないんだ!
混乱、混乱、・・・・怒り・・・
あっ・・・
肩から落下していた、激痛・・・動けない!
「だから言ったでしょ!危ないって!」
何をいったんだ?・・何が危なかった?
何が何だか分からなくなって、
どっちに行っていいのか分からなくなった、
それで「えぃ」って前に出たら、
ふぁっとして、分からない、痛い、びっくりして痛くて泣いた!
「ほんとに!何やっての!危ないって言ったのに!」
何にも分かんなぃ!・・・・何が何だか分かんなぃ!
でも、分かった!
あんたの「危ない」が一番危ないんだ。
中略
珍しく、甥達の表情が自然だ。
嬉しくて盛り上げようと私は色々質問する。
画面が、海外旅行での射撃場の外観になり、二人の表情が一段と明るくなる。
この体験を自慢したいんだな・・・
なるほど男の子だもんな、いいよ、なかなかいい!
二種類の拳銃を撃ったみたいだ。
「オートマチックとリボルバーだね」
「で、なんていう拳銃なの?」
「へぇ〜」
「で、どっちがどうだった?」
「反動がね、こっちはこうで、これはこうなんだ」
いいねぇ〜、こういう会話、こうでなくちゃ!
「ライフルなんかも撃てるの?」
「高いから・・ちょっと無理なんだよ・・」
「いつか撃ってみたいよ〜ライフル、また拳銃も撃ちたい!」
退屈そうに話を聞いていた母が、
「危ないね〜、危ない、銃は、ほんとに危ない」
なんだこの突然の・・・意味が分からん。
甥達の表情が曇り始めた。
いかんこりゃイカン!無視して話を続行!
またも「心配なっちゃうよ〜、銃なんて危ないよ〜」
「うるさいね、黙ってられないの、あなたの出番じゃないんだよ!」
「だって、あ〜じゃない、こ~じゃない、心配なんだから心配なんだよ!」
いつもの開き直り逆切れ、取り残された自分が心配なんだ。
何で黙って座ってられないの?・・・不安なんだろ!
私と甥達が楽しそうに話すのが気に入らない。
自分が中心じゃないと気が済まない。
「あたしが、一番だ、そう、この中で一番偉いんだ!」
「あたしが居なかったら、あんたたち存在してないんだよ!」
そう心で思っているはず。
せっかくの会話、それをぶち壊し力を奪い彼らの体験を汚した。
水を差されて甥達の気持ちがすっかり下がってしまった。
小さい頃、活き活きとしていた甥たち、
それが成長するにつれ生気を失っていた。
その原因、毒祖母の犯行現場、両親も悪いがこの毒祖母は最悪だ。
どうせ後で、少額の小遣いを与え、とどめを刺すのだろう。
「あたしに従えば雀の涙位の金は与えてやる。
だから力を寄こせ、いや奪ってやる!」
醜いAC人格、鬼だ!・・・
おとぎ話の鬼は、実は祖母なんだ、母親なんだ。
子供の頃、母や祖母から鬼の怖い話を聞いた。
なんと、その鬼自身が、おとぎ話を聞かせ、警告していたんだ!
冷酷で残酷な光景、なんという惨さ。
私の祖母は心配性だった。
母も、いつも心配していた。
「僕の事、心配してくれているんだ、思ってるんだ」そうだと思っていた。
だが、真実はそうじゃない。
子供を保護する事。
その真の意味は必要なものを与え見守る事、そう理解している。
支配やコントロールでは絶対ない、あり得ない。
「心配している」という、その一言で不安を与え、動揺させ、混乱させ、
子供の判断力を奪う・・・そして、失敗させる。
「だから、言ったでしょ、
あたしの言うこと聞けばそうはなんないのよ!」
こうして、何度も何度も繰り返して洗脳する。
子供が何かを行う前に
「心配だ」「危ないよ」を先に言うのは責任放棄の宣言です。
本当に危なかったり心配なら、
子供に分かるように納得する理由を述べよ、です。
でも、毒親が、本当の理由など言えるはずありません。
それは、心配の「ふり」した攪乱、脅し、代理復讐でもある。
脅してコントロールする、魂胆は支配です。
自分の手先にするのが目的です。
私、両親からの、この罠に、はまっていた。
それだけでは無い。
この毒に乳児の頃、感染し、
祖母や母より遥かに巧妙に利他を装って支配しようとし支配して来た。
その自分が居ます。
まだ、居ます。
弱くなっていますが、居るんです。
弱くなっている分、余計に性質が悪いとも言えるんです。
感覚が鋭い相手も騙せますから。
だから前に出て他者にも自分にも、その姿を見せなければなりません。
隠せないように、嘘をつけないように。
太陽が頭上の一点にあるように影を無くす。
影を、AC人格を焼き尽せ!
中略
日々自己を見続け日記を書き、トラウマを掘り、分析して報告文に書く。
この作業・体験は、
自己嫌悪と自己肯定を毎日・毎時・毎秒繰り返す事。
辛さも悲しみも伴う。
でも苦しいだけではない。
同時に心の芯に自信が生まれるのが分かります。
その積み重ねる事の大切さが心に染みわたり、それが嬉しくもあります。
AC人格が弱まり、ゆっくり自己が統合されていく感覚がします。
本来の自分の姿が見える。
遠くにいるかのように。
隣にいるかのように。
報告文、最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
崩残様のご苦労に感謝いたします。
***************************
>・よにんめ
たまたまとはいえ、
私個人のために滲み書を書いてくださったとうかがって、胸が熱くなりました。
いちばん好きなのは、墨の飛沫とかすれの入った、
きっと凄い速さで書かれたであろう「氣」の一文字です。
身体の隅々まで、そして見えない身体まで、
この一文字が瞬時に充電してくれるようです。
中略
なんだか、今になって、自分が子どもをやりなおしているようで、
自我が増えたであろうぶん、楽しいことはずっと増えてきたけれども、
自分のイメージがどこか覚束なくなっていることに不安を感じていました。
だから、いまの段階でなにがたりないのか、早く知らなければ、
と思っていました。
ともかくこの1年あまり、精神的に大きなブレをたびたび経験しながら続けてきたことが、
はっきりと「正の数字」として還ってくるのは、何よりもありがたいことです。
「自我」と「意識」の文字が整ってきたことをうれしく思います。
中略
****に対する特別な感覚だけは、
1/4自我のころから奇跡的に保っていたと信じたいことです。
そこに両親や何かへの「復讐」のような契機が入りこんでくるようなことがあったら、
いったい何のために自我復元に取り組んできたのか、
ということになりかねないと思います。
それより怒りを向けたいことの本筋は、
自分が独立した人格をもつ人間として扱われてこなかった、ということのほうです。
中略
はじめて見る、「器」の文字にはびっくりしました。
もし昨年の判定でこの文字が使われていたら、
当時の自我率は、**%よりもっと低く出ていたのではないでしょうか。
ただ、前の判定文を読み直すと、
左右対称形を意識するようアドヴァイスを受けていますので
そのような歪みの兆候が<もうどこかにあったのかもしれない、と思いました。
「器」と書こうとして、いったいどうしたらこのような形になってしまうのだろう、
と、指先で何度も何度もなぞってみました。
中略
物理的に、いまの住まいは自我復元に着手したときのままで、
到底、原主体が存在するのにふさわしい環境ではありません。
両親に依存しているこの環境のまま、全自我に復帰するのは、
おそらく無理なのではないか、と思っています。
中略
あの親たちに対して、どうしてほしかった、と望む、
ということが私にはわかりません……
いまの視点でなら、私が泣くような出来事があっても、
そこで親は話をまず聞こうとすべきであって、
手をあげるなどもってのほか、と思えます。
が、子どものころの自分にとっては、
目の前にはあの親たちによる行為がすべてであって、
何をいっても否定され怒られ、宿題には手を突っ込まれ、
それを受けいれるだけでした。
なにかあるひとつの出来事とそのときの感情を思い出せたら、
ということではなさそうです。
ここまで書いていて、不意に、
口に突っ込まれたスプーンの、いやな感触を思い出しました。
離乳がはじまって1歳のころでしょうか。
食べたくないのに、口のなかに食べ物をスプーンで押し込まれて、
えずいて気持ちわるくて、吐き出して泣いて。
「いやなら食べなくていい」と母親が捨て台詞のように言っている。
それで叩かれてもっと泣く。
「いやなら食べなくていい」って言葉は、はっきりと覚えています。
母親に食べさせられることが苦痛だったのです。
その前に、母親からミルクを与えられることも。
それがいまも思い出す、おなかのあたりの、
妙に熱くて不快な感覚の原因かもしれません。
4歳になると、
幼稚園にもっていく小さなお弁当を母親は毎日つくってくれましたが、
それも3日に1日ぐらいは全部を食べきれませんでした。
そんなあるとき、母親はTVかなにかで見聞きした、
拒食症のような男の子のことを引き合いに出して、
食べないと、どんなに大変なことになるか得々と喋るのです。
私はこんな母親の下で生きのびることを、
えらく早い段階で放棄しようとしていたのではないだろうか……
おかげさまで、突破口が見えてきたような気がします。
食べることにまつわる苦痛については、肉体的感覚の記憶があるので、
それを手がかりにすると、なにか出てくるかもしれません。
感情の救出についてはっきりした変化が生じたら、
できることなら1年もかけないで次の判定をお願いしたいと考えています。
***************************
・以下は、新子さんの復元ブログからの引用です・
抜粋して、引用しようと思ったのですが、全文が重要なポイントなので、
そのままリンクします。
↓
http://fukugen16.jugem.jp/
朱いはがねさん
↓
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/
どんがめさん
↓
http://ameblo.jp/tekutekukamesan/
Abyさん
↓
http://mmjhb11.exblog.jp/
_____________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(352 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -