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「分割自我復元」
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[354]
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★分割自我復元★その354■ 『 スケッチブック 描いていますか? 』
by:
鈴木崩残
2014/05/24(Sat)09:01:34
>少し冒頭に加筆しました。
望んだ通りに不幸になる人々
●ところで、「セコム してますか?」 ではありませんが、
1/「自我復元 してますか?」
2/「トラウマ掘り と 感情想起 してますか?」
3/「AC人格の自己分析 してますか?」
4/「関心地図 していますか?」
5/「不快年表の書き出し していますか?」
そして、
6/「スケッチブック してますか?」
となります。
*********
■今回、ここに書く内容は、
一部の人、あるいは、多くの人、に向けたものですので、
これを参考にしない方がいい人もいます。
と、こう書くと、皆さんの中にどういう反応が起きるのか
きちんと、見てみるといいです。
この投稿は、「一部の人に向けて書きました」
●これを読んだ瞬間に、
それが、あなたにとって、
耳あたりが良かったり、
同意できたり、
自分はそうだと思いたい、
「自分はそれに該当するんだ」と考え、
一方で、
それが、あなたにとって、
耳あたりが悪かったり、
同意できなかったり、
自分はそうではないと思いたい、
この場合には、
「自分は、あれには該当しないんだ」と無視に入ります。
毎度おなじみの、食えない、腐ったAC人格の挙動の特徴です。
特に今回の投稿、スケッチブックについては、
>「そうだ、やらねばならない、自分には、これは必要だ」
>とAC人格が思ってしまう人(そう思いたい人)がほとんどだろうと思います。
しかし実は違います。
スケッチブックなど書く前にしなければならないほかの事、
特にAC人格堀りが必要な人がほとんどであり(全自我になってもまだ掘れていない人)、
逆に、スケッチブックは、今は書いてはいけない人、
いろいろといるのです。
たとえば、私個人の中では以下のようになっています。
↓
「自我復元 してますか?」
>これは、復元中の、ほぼ全員に対してです。
「トラウマ掘り と 感情想起 してますか?」
>これも、ほとんど掘り終わったごく一部の人を除き、
>復元中のほぼ全員に対してです。
「AC人格の自己分析 してますか?」
>これも、ほとんど分析し尽くしたごく一部の人を除き、
>ほぼ全員に対してです。
「関心地図 していますか?」
>これは、一部の人には必要です。
「不快年表の書き出し していますか?」
>今こそ、これが必要な人がいます。
「スケッチブック していますか」
>二種類の人がいます。
>今のレベルで、スケッチブック「いじり」などに逃避してはならず、
>AC人格をきちんと掘らねばならない人。
>スケッチブックを書くことが障害になる一部の人。
>スケッチブックを通じて問題点を明確化できる人。
*********
今回書いたことは、今朝、つらつらとツイートしていた独り言ですが、
そもそもどうして、自我復元をするのか、
その目的をもう一度明確にしておくために明記しておきます。
●これまでに、きちんとトラウマを掘ってきた人、
または掘っている最中の人にしてみれば、
全く全面的に同意できる内容のはずですし、
トラウマ掘り、AC人格の自己分析をしておかないと、
死んだ後どころか、今現在でも、どうにも立ち行かない
ということが明確に理解できているはずです。
●今回書いたことは、抽象的に見れば、
皆さんは、「自分の望みを明確にしてください」
という事なのですが、
そもそも、それが、
親の汚染を受けていないものとして明確にしないと
望んだはずなのに、そうなっていない、という事態になります。
それを回避するために、今回は書いておきました。
これまでにも、桜の間でも、何度か書いたことに内容は似ていますが、
今一度、なぜ、自我復元をしないと、
人間の生死の中で、選択権や、交渉が成立しないか、もう一度確認してください。
********* ********* *********
■序文■
第三次世界大戦を回避出来る可能性は限りなく低い。
原発すらも止められない日本、
暴走するアメリカを見れば自明の事だ。
もとより福島第一原発事故も
ある視点から見れば
大勢の人々が無意識に望んだ結果の現象である。
ただしミスがあったのは
「望み方が曖昧で中途半端」だったので、
結果も半端だったことである。
*
■本文■
★私はこの世界で、 何かを明確に望める人、
というのを見た事がほとんどない。
明確な望みのコンテンツのイメージを
その細部まで構築も出来ずに、
それで、何かを「漠然と」望んだところで、実現するはずもない。
たとえば、人間の描く望みが、
どれだけ「いい加減で不明瞭か」を以下に記す
*
>「それを聞いたら、悪魔でさえ困る、人間の望み」
「あーなんか、幸せになりたいわー、わたし」
「こんな家庭、もう嫌だ」
「こんな社会、全部ぶっ壊れてしまえ」
「健康ならそれでいい」
「みんな平和に」
「愛だよ愛」
もしも、宇宙における、「標準的知的生物」ならば、
これらの望みを聞いた時に「この生き物たちは、馬鹿なのか?」と思うだろう
*
なぜならば、前述のような望みには「具体性」が何らない。
「定義」もない。
イメージも曖昧。
時間や空間の「有効範囲の指定」も何もない。
こんな程度の人間たちを
もしも「望んだ事が何でもかなう世界」に連れて行ったところで
作り出せる世界は、たかが知れている
*
よく考えて欲しいものだ。
あなたがもしも悪魔や天使の立場にいたと想像してみて欲しい。
人間からの望みを聞く立場にいたとしたら、
あなたは、必ずこう言うハメになるのだ。
「あの、すいません。
もう少し具体的に明確にお願いします。
そうでないと貴方の望みをお作り出来ません」
*
つまり人間は 「望んだ事が叶って欲しい」と安直な事を言っているが
「じゃー、細部まで明確に望んでみろ」というとそれが出来ない。
すべての言葉、定義、イメージ 理想や信念も曖昧でピンボケだ。
これが原因で、不動産選びにも失敗し、
進学に失敗し、就職の選択に失敗し
今、もう既に、生まれてくる場所の契約に失敗している。
*
本来であれば、
生まれてくる際の契約書には、
何十項目という「希望欄」がある。
各自の条件や環境により、その全部が認められるわけではないが
相当の「選択権」と「指定する」自由があったはず。
それを「あー、えーと、あのー、そこは適当にお任せします」
とやってしまうのだ。
だから、今さら不服を言っても遅いと言える。
*
では、そういう「曖昧模糊」とした状態にいるのに
まるで日々自分が生きているかのように錯覚しているような状態で、
その中から脱して、
惰性に流されることなく、生きて死ぬにはどうしたらいいか?
方法は、簡単ではないが可能だ。
まず自分の望みを細部まで明確化しろ。
次にそれが別の目的を動機としていないか自問しろ
*
多くの人たちが、「不満です」「不安です」「不快です」と言う。
しかしその望みの細部まで聞いて、
本人の本音を引き出してみると
「結果的には、あなたの望んだ通りじゃないですか?」
となる事が95%以上だ。
つまり、本人自身が自分の望みを分かっているつもりなだけで
全くの自己矛盾を起こしているケースばかりである。
*
具体的にそれを自覚したければ
自分の望みを、無際限に、紙に書き出してみるといい。
次に、
もしもあなたがそれを実現する(人間ではない)立場にいたら
そこに書かれた文言だけで実現可能か考えよ
すると、あなたが書いた「望み」の文言は
あまりにも具体性がなくて、手のつけようがない事が分かるだろう
*
>人間に生まれる場合の注意点。
ここまで書き連ねてきたような注意点を厳守して
仮にだが
「一生食う事には困らず」
「結婚できて」
「戦争のない平和な国」
と、なんとも「こじんまりした人生」を貴方が選択したとする。
するとどうなるか?
「食うに困らず」とはあるが「働かずに」とはない。
「結婚できる事」とあるが「平穏な結婚生活」という希望の明記はない。
「戦争のない国」に生まれる事は出来ただろうが、ただそれだけだ。
ほら、あなたの望みは全部、今でも叶っているじゃないかね?となる。
他に、いくらでも条件をつけて細かく望めたのに
あまりにも適当すぎる契約内容で失敗したのである。
*
ここで話は、原発事故に戻る。
原発事故のすぐ直後に、梅の間にも書いたことだが、
多くの人たちが事故前に
「あー嫌だ嫌だ、こんな社会嫌だ」「壊れてしまえばいいのに」
と思っていた事だろう。
ところが「自分も死んで」と望んだ人たちは津波に流され
「生きて、他人に怒りをぶつけたい」と望んでいた人は、
生き延びたのである。
*
つまり「こんな世界壊れてしまえばいいんだ」
「こんな家族は嫌だ」と望んだものの
「壊れた後にどう社会や家族が再建されたいか」
という先のヴィジョンがない。あっても曖昧。
これでは、ただ壊れたり死んだりするしかないのは当たり前。
望んだ程度の事しか起きないものなのである。
*
自分も含めて死んで終わりにしたいと、明確に望んだ人はそうなり、
望んだ事が「自分の死」までは含まず、
曖昧なただの社会の混乱であったり
「抑圧してきた怒りを、どこかに、ぶつけたい」
「他人に偉ぶりたい」
「自分の生きる意味を、そこで捏造したい(見出したい)」
などであった場合には、その通りになるだけである。
*
多くの場合、不満に起因して、社会の混乱や崩壊までは望んだものの
ただし自分は、そこそこ生きたままでそれを観察し
その中で、退屈この上ない自分の人生に活路
又は「見限る決心」を見出したい、と望んだ人たちが多数だったために
まさにそのように望んだ世界が、今、日本に展開しているのである。
*
残念ながら、今の地球の技術では、
人の思考内容や集合的傾向を、
本音アンケートとかという嘘をつけるものではなく、
具体的な幾何学図形で見ることの出来る機械はないが
もしも、それで観察すれば、
震災以前に日本中の人々が何を望んでいたかは、一目瞭然だ。
ただし不満を言う捌け口のチャンスとしてではなくて
混乱後の解決法を明確にイメージしていた人達は、本当に極く少数派だった。
*
自分の精神に対してであれ、
家族や社会に対してであれ
何かに対して「破壊してやる」「壊れてくれ」
そう望むのは多いに結構だ。それは必要な事だ。
ただし 「壊れた後に、これはこうなって、こう収まって」と
その先の明確なイメージ構築もなしに
ただ「壊れろ」とやってしまったのが今の日本である。
*
ただし希望は、少しだが残っている。
もしも庶民と、いわゆる特権階級の連中と比べた場合に
残念な事だが、彼らには一般人よりもある程度は明確な
未来構築のヴィジョンがある。
それが庶民の望みを「上回って明確である場合」は、
彼らの望んだ世界になる。
しかしその醜悪さに対抗できる
きちんとした未来像を描ければいいのだ。
*
人間という生き物には
望んだとおりの世界を手にする力はあるのである(本来の全自我ならば)。
ただ唯一の大問題は、多くの場合に、
「自分が何を望んでいるのか、自分でも分かっていない」
「望みに具体性がなく、イメージが明確でない」
「なぜそれを自分が望むのか、自問すらしない」
これではせっかくの性能が台無しである
*
もしも「思考傾向検出器」があれば 今後どうなるかは予測できる。
ごく一部の者たちだけが生き延びて あとは抹殺して
自分たちだけで社会を再構築したいと望んでいる勢力がある。
それに対して「そんな事は許さん」という勢力がある。
だが後者が明確なヴィジョンを持たない為に
「多数決的に」勝つだけなのである。
*
「多数決的にだけは勝つ」が意味するところは
選民思想を持った狂人たちの目的を「阻止」する事は出来るが
それは結局、現実的には「核攻撃」になるということ。
めでたく望んだとおりに阻止は出来た。
しかしその後の200年を明確にイメージしなかったので
その結果は悲惨だ。
明確で、具体的で、「細かい注文や条件つき」の、
展望も描かずに、ただ反体制を叫ぶ人間、
展望も描けずに、ただ毒親からの脱出を目指す人間、
展望も描かずに、ただ地球転生システムからの脱出を望む人間、
何の理想も、展望も、実体験も、実力も持っていないのに、
ただ他人を小馬鹿にする事しか出来ない、ポンコツ。
それらに似ている。
★最後に、蛇足ながら、
私が、理想の能書きだけ記した「憲法」が、
全くの駄文で、非実用的(非現実的)だという最大の理由は、
身近なところでは、
憲法の下に施行された、民法、刑法の恩恵があるかどうかの有無に関わらず、
そもそも、庶民の日常生活では、憲法が持ち出されることはない。
実際に、生活の中で有効に機能しているのは、刑法と民法である。
つまり、能書きの憲法より、罰則がある法律の方が、
「法」律というものの存在価値からすれば、ずっとマシ。
そこで、試しに、
第一次大戦、第二次大戦とも、
それを国家間の紛争という視点ではなく、家族同士の殺し合いという、
現行の「刑法」ではどう扱うかを法律学者は考えればいい。
そうすれば、
欧米諸国と日本の双方が十分に罰せられる判決になり、
裁判は「今でも」まだ続いているだろう
*
第二次世界大戦の参戦国が、
その「勝敗には全く関係なく」
もしも、殺人罪を扱う一般の「刑法」に鑑みて判断されるならば、
侵略だろうが、自衛だろうが
その戦争に「正当事由」があったか否かで、
70年経過した、今現在も、
双方が、喧々諤々と主張を対立させて
今も、法廷にいなければならないのだ。
そもそも戦勝国主体の裁判などに、
「法律的な意義」や「法の美学」があろうはずもないのだ。
理念または憲法は、
その国における、現実の歴史と経験を経て、形成されたと主張できる
その一方では、
現実の歴史と経験とは乖離した、妥協、世間体、誇大妄想で
作られる部分も多いと心しなければならない。
ようは、
「理想や指針とは、他者や歴史に学ぶものではなく、
自己の経験と思慮の内にのみあり」
ということ。
______________________________
このように、
●自分で望んだと思っていた、自分の理想が、
まったく使いも物にならない、親の漠然とした価値観そのままだったこと、
それを掘り出せて、解除できた人でなければ、
スケッチブックや頭の中に描ける未来も、
相反したままの望みが、自己矛盾したまま、という状態になりかねません。
だから私は、トラウマ感情掘り、AC人格掘り、は、
徹底的に「正直に」やってください、と繰り返し言うのです。
徹底して、自分に正直でなければ、
利益相反している望みが、自分の中に混在していることに気づけないからです。
どれが毒親が望んだことのコピーで、
どれが自分のか区別もついていない人がほとんどなのですから。
●ですから、まず、全自我になり、
また全自我になっても、AC人格ソフトは生き延びている人もいますので、
まずきちんとそれらを完全に分析してください。
また、自我復元の過程にいる人でも、
スケッチブックを活用できる人もいます。
今回書いたような、イメージや望みの具体化や、明確化や、
その望み自体がどうして出てくるのかの自問をしてください。
■このことの重要性は、
自我復元をきちんとしてきた人たちには、深く理解できるはずです。
自分自身を、自分で精査し続けること。
それこそが、自己管理であり、自我の本来のあり方なのですから。
______________________________
★
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