▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[355]
■
★分割自我復元★その355■ 『報告 と 自我復元に関する事 』
by:
鈴木崩残
2014/05/28(Wed)08:40:31
かなり激しくヒョウが降ったので撮影しておきました。
ここへ来てからこの10年間に2度目です。
↓
↑
ここは、5/29 15:00
「報 告」
■今回の報告も、トラウマ掘りをしている人にとっては重要です。
実は、ここのところ、
トラウマやAC人格が、かなり長期的に掘れなかった何人かの人たちが、
急に、掘れ始める、という現象が、不思議と「時期」が重なっています。
今年の、4/3以後から今日までの報告事例の全てがそれに当たります。
この方たちは、1年以上、AC人格の抵抗のせいで、トラウマ問題が
掘れなくなった人たちがほとんどです。
それが、不思議と先月の4月に本当に掘れ始めた人が、
なぜか集中しているのです。
原因は分かりません。
多くの部分で、それは、
今現在、自我復元ブログを書いている人たち全員が、
身を削りながら「放ったもの」のおかげだと、私は感じています。
*********
鈴木崩残 様
中略
私は病気に詳しくないので、推測しかできませんが、
なんとなく母方は、怒り溜め込み型で、
父方は、我慢溜め込み型のようにも思える。
父は、我慢の象徴ともいえるような病で亡くなった。
父方も母方も、どちらも機能不全家族であることは間違いありませんが、
タイプが異なり、
そのタイプの違いを兄弟もまんべんなく吸い込んだと言えます。
私は、****の出現で、
自分の一部は、奪還できたと思っている。
でも、まだ全体は奪還できていないのかもしれない。
今回の自我判定のお手紙の
「トラウマ、ACに関して、おおよそ半分ほど脱しつつある」という
崩残さんのコメントが気になっている。
一部は取り戻しても、一部がまだ乗っ取られたままでは
「私」はまだ、生きて呼吸をしていないことになる。
中略
アレルギーは、皮膚炎、鼻炎、喘息、いろいろ症状を出すのですけれど、
結局、突き詰めれば、自分が作りだしている病かもしれない。
AC人格と同じように。
母が勢力を占めていた家庭だったのだから、
兄弟3人、母にそっくりな体質になってもよかったはずだ。
でも、兄弟3人、体質は父そっくりになっている。
アレルギーとは、一体なんなのか?何が目的なのか?と考える。
その症状はいろいろあって、一概には言えないのですが、
自分の今回のせき喘息のような症状を見ると、
最終的には、呼吸器系統を阻害してくる。
呼吸器を狙ってくる。
これは、人を弱らせる威力を持っていて、
それも、長期にわたり、慢性的に悩まされることになる。
事の発端は、呼吸器(気道)なのかなーとも思う。
兄弟3人、出る症状は違っていても、
その体質を長く引きずっているところを考えると、
ある種、「脅えの病」という気がしなくもない。
幼少時に、正常で自然な呼吸を覚えきらないと、
こういう体質になっていくのか。
明確な「どもり」は、みられなくても、
私も兄姉も、呼吸そのものがどもっていたのかもしれない。
自分自身の呼吸を、親によって、またその家庭内の雰囲気によって、
「阻害された」ともいえる。
そして、皮肉なことに、自分自身のアレルギーによって、
それを再現する仕組みをわざわざ作り上げている。
考えていくと、トラウマを再現する仕組みとそっくりだ。
自分の体を痛めつけてまで、どうしてそんなことをする??
幼少時の自然な子供らしい感情と、それに伴う呼吸というのは、
本当に大切なのかもしれない。
体は大人になっても、そのヒクついた時の呼吸を忘れていなくて、
何度でも元に戻そうと、チャレンジを重ねるのか。
これはあくまでも予測というか、自分のための予測ですけれど、
子どもの頃の不安感、恐怖感、それも慢性的な・・・、
そういう家庭内での不安感をもう一度、
自分で追体験していくしかないのかもなと思う。
そして、自分の肺を奪還するためには。
私は、肺は、嫌なのです。
私は、こんな肺じゃない!!
本題に行こうと思います。
> あと、貴女に私が最も聞きたいこと、
> 他の人にも役立てて欲しいことがあります。
> それは、
> なぜ、トラウマやAC人格を掘るのに難航したかと
> ご自分で思うかです。
> 何が一番、自分自身の眼を閉じる壁になったかです。
> ここで躓いている人が、沢山いるというのが
> 私の印象だからです。
このことについて、今、自分がわかることを書いてみます。
私は、一つ、思い当たることがあります。
それは、「たった一人になることが怖かった」ということです。
私は、特に兄のトラウマに関して手こずっていて、
それはなぜかというと、兄と縁を切りたくなかった。
また、切るのが怖かったからです。
その恐怖は、2種類あったように思う。
一つは、現実的な生活の不安(肉体的な死の不安)で、
万が一のお金(保険・保証人)としての繋がりは求め続けていた。
私にとって兄は、唯一、親族で繋がっている人物でしたから、
私の中で最後の生命線のように思えていました。
だから、私はずっと心の奥底で、取り引きをしていたのでした。
「万が一の時には、兄に救ってもらおう。
(姉と違って、私には兄という助っ人がいるんだから!)
おにーちゃん、いい妹を演ずるから、そのかわり、私を助けてよね。」
こういう声が自分の奥底にあったということ。
その当時の私の理想は、
「兄にもイイ顔をしながら、トラウマを掘って全自我になる!」でした。
兄が多大なトラウマや悪影響を自分に与えたと頭でわかっていても、
心の中ではまだ「おにーちゃん」と呼んでいたこと。
自分の生命線確保があるために、スコップを手に取っていても、
「おにーちゃん」しか出てこない。
宿題感覚で、崩残さんに
「これぐらい掘れました!」とアピールするぐらいのところまで。
スコップは、そこまでしか行かない。
決して、それ以上、掘らせない。
私の優先事項は、生命線確保のための「いい妹」であることだったから。
桜の間でも、親とのお金の縁を切ったら、
トラウマ掘りが進むようになったという報告が載せられていましたが、
私は万が一のお金(保険・社会的信用)での繋がりを求める心が、
かなり強固にあったと思います。
これは、兄側も同じであり、
「お前、そんなものの言い方するならなー、もう助けてやらんからな!」
という恫喝で、私がイチコロにやられてしまうことをよく知っています。
私も兄も、「一人では生きていけない」という暗示がかかっている。
「いざという時には、家族と親族しかあてにできないんだから!」
という、家族や親族からの刷り込みがある。
そのあてにできるはずの家族、親族の中で行われる「火炙り」。
火炙りにされた人は、本当にみじめな恰好になり、
それを見た者は恐怖をつのらせて、家族・親族の奴隷となる。
私もその一人(奴隷)だったということ。
「一人では生きていけない」は、本来の私の声ではない。
私がトラウマを掘れなかった一つの要因は、
自分のトラウマ掘りをしているというのに、
兄にもイイ顔をしようとし、
崩残さんにもイイ顔をしようとしていたこと。
それにつきあわされていた崩残さんにしてみれば、
冗談じゃない!の騒ぎだと思うのですけれど、
そういうことを、まったく無自覚にしていました。
それは自分が生き延びる(と、自分が思いこんでいるだけですが)ためです。
自分の生命維持が最優先でした。
「自分の問題」よりも。
このガードがあったことに気がついたのが、今年の初めでした。
私はその「一人では生きていけない」
「兄に見放されたら生きていけない」の恐怖から恋人を利用しました。
私は姑息にも、生命維持の保険を「兄」→「恋人」へ移行したのです。
恋人へ保険が移って、それが安泰となれば、
イイ妹をしなくても済むし、トラウマも掘れるでしょー。
というのが、私のもくろみでした。
そんなおバカなカラクリに、恋人をつきあわせてしまったということ。
このことに気付いた時、
私をずっと縛っていた鎖がパンッとはじけ飛んだような感覚がありました。
そんな、家族がうんたら、親族がうんたら、うとまれたらうんたら。
それが一体なんだと言う??
私が、この私が生きる上で、一体それがなんだというの??
肝心なのは、私が生きる、私自身が生きるということでしょ?
それ以外に、一体、何がある??
この思いと、自分は、本当にひどすぎる!、という自分自身への烙印で、
私の掘削は、ようやく本スタートとなりました。
自我復元をはじめて3年以上、
自我復元ブログを閉じてからほとんど丸1年経っていました。
この烙印を押した次の日、幼少期の時の本当の気持ちと出会いました。
私のトラウマやAC掘りを阻害していた、一つの要因は、
死の恐怖(肉体的な)の徹底的な回避だと思います。
そのための「取り引き」を、まず、何よりも最優先していました。
全く自分自身に気付かせずに。
> ここで躓いている人が、沢山いるというのが
> 私の印象だからです。
と、崩残さんも書いていらっしゃって、
思いっきり私もその一人なのですが、
私はこの隠れた「取り引き」が、
結構要因としてあるのではないかと思っています。
それは、今の自分自身のことも含めてそう思う。
AC人格とは、
結局取り引き人格というか、取り引きしかしない。
そのための嘘、正当化、何でもやってしまう。
人によってその「取り引き」の様相は違ってくると思うのですが、
自分が「生命に関わる」と思い込んでいる取り引きが
結局自分を振り回してしまうのかもしれません。
そして、生命に関わることなので、見つけにくいというか、
まるでその取り引きに「磁場」があるように、
自分自身の眼を徹底的に寄せ付けない。
この生命維持の取り引きで、よく取り上げられるのが
親とのお金の取り引きなのだろうと思います。
でも、それ以外にも「顔」を変えて、いろいろあるのかもしれません。
私のように、万が一の保険を兄という存在にかけていたり、
離婚、転職、その他、とにかく今の維持を脅かすもの。
中略
私の場合は、兄への恐怖がもう1種類ありました。
それは、「兄のお蔭で自分は火炙りにならずに済んだ」と思っていて、
それを成功体験のようにしていて、
そのパターンから外れることができなくなっていたことです。
私は兄に反抗できない心の仕組みが出来あがっていました。
私に毒を入れたのは、確かに母です。
でも、私が抱えた「恐怖感」をより増強させてきたのは、兄。
その体感度は、かなり大きい。
だから、私という「ニセモノ」の成分の多くは、
この兄による脅しの回避でできあがっているのです。
なので、「兄」そのものを掘るということは、
かなりの私が「壊れる」ことを意味していて、
徹底的に避けるのですね。
これは、先に挙げた肉体的な死の回避ではなくて、
「精神的な死の回避」と言えるかもしれません。
この、今までのパターンを壊したくなくて、
いい妹のまま、トラウマを掘って全自我になりたかったのでした。
本当は、兄のことは穏便に済ませたかったのです。
トラウマ掘りに「穏便」なんていう言葉、あり得ないのに。
でも、私の本心はそうだったということです。
穏便に済ませておきたいことが、何かしらあると、
他のことで大騒ぎしてみたり、
おかしな挙動を起こしてしまうようにも思う。
私の恋人との一件も、一つにはこれだと思います。
こうして、騒いで、本当の自分の問題から目をそらす。
本当は、穏便に済ませておきたいこと、そのぬるま湯の中に
問題が潜んでいるのだけど。
違う所で火を起こして「火事だ!」とかやってしまう。
それに全く無自覚なところが、怖ろしいです。
ここまでのことが、崩残さんからのご質問を受けて
まず、ぱっと浮かんだことでした。
それは、総括すると
「たった一人になるのが怖かった」ということになるのですが、
でも、ここまで書いてきて、思う。
最も醜いのは、どっちにもイイ顔をしようとしていた自分です。
崩残さんに認めてもらおうとしながら、
兄との関係は現状通りに穏便にしておこうとした。
どちらにも年貢を納めて、
はい、来年もよろしゅうに、と言っているようだ。
「私」は「生きて」いなくて、「取り引き」だけに夢中でした。
先日の「桜の間」の投稿で、崩残さんの
> 私が思うに、
> トラウマが掘れない人、
> AC人格が分からない人、
> 分かってもそれに負けてしまう人の持つ、大きな理由のひとつが、
> 【恐怖感が、その形を変えた劣等感から生じた、復讐心と恨み】
> この部分が大きいと思いました。
このコメントについても考えてみました。
私は確かにこの復讐心、大きい。
でも自分は、それが、どれくらい自分の眼をふさいできたか?という
その大きさを、まだ感じ取れていないかもしれません。
ただ、私は、この復讐心のマグマが噴出したのは昨年の11月でしたけれど、
それが出てきたこと、ほとんど奇跡めいているような気もしています。
私は、自分の劣等感をノートにもたくさん綴って、
もう、そんなのわかってる。
劣等感を持ったこと、傷ついたこと、もう、すべて思い出した。
もう、さんざんやったよ!
と、本気で思っていたからです。
この復讐心が出てきたきっかけは「不快年表」でしたけれど、
そう思うと、不快年表はさりげないツールですけれど、
強力なのかもしれません。
特に、私のように親に持ち上げられた側
(正しくは、持ち上げられたと自分が思い込んでいる側ですが)の人間は、
自分の本当の姿を見ることがなかなかできない。
私は、生まれて初めて、自分の、そのめっきの剥がれた自分の姿を
不快年表によって「見た」のだと思います。
私は、紙を何枚も繋げて巻き物のような年表を作っていました。
その姿は、うろこが剥がれまくった一匹のタチウオのようでした。
私は、「何も実を結んでいない」のです。
本当に何も。
小さな、どうでもいいシーソーばかりを動かしていて。
その繰り返しでしかなく、なんにも「実がない」のです。
その事実をただ見るしかありませんでした。
昨年の3月、崩残さんから
「怒りの感情を文章にぶちまけてもいいのです。」
というメールのコメントをいただいていました。
結局、それができたのが、8ヶ月も経った11月でした。
その8ヶ月の間、ノートにひしひしと綴ってきたにも関わらず、
私はこの復讐心、
「相手が最も苦しむ方法で苦しませて、自分はほくそ笑む」
という本心(目的)を、決して出さなかった。
自分はこんなマグマが自分の内部に潜んでいたこと、
そして血焚きるように、それが、それこそが自分の本心だったことに
驚くというか、それは衝撃でした。
その噴出の引き金になったのは、不快年表だっただろうと思います。
私は「どうしてこう、自分はダメなんだ」
と思いながら生きてきた人間ではなく、
「アタシは大丈夫、やっぱデキてる!」と思いながら生きてきた人間です。
だから自分のぶざまな姿を見ることに、
ものすごく慣れていないのです。
常に私は、「自分はデキてる」と思わせる
言い訳を当たり前のように用意しています。
それは、呼吸をするように、私と「セット」になっているのです。
でも、その不快年表に、いつもの「セット」を用意できなかった。
私はこの時、ようやく、私が倒れかかったのだと思います。
そこから、私の、私による掘削がはじまっていったのではないかと思います。
ここまで書いてきて思うのは、私は、本当の意味で自分が「倒れる」のに、
ものすごく時間がかかったのだと思います。
普通は、ほとほと「倒れて」、無明庵にたどり着くというのが、
本来の姿なのだろうと思います。
でも、私は一向に倒れていなかったのです。
だから復元の目的は、全くあらぬ方向へ、
いえ、私が生きてきたそのまんまの方向(復讐)へ、
向かっていったのです。
その復讐のために、私は崩残さんに「年貢」を納めていたのでした。
考えるとおぞましいですが、そういうことです。
それでいち早く、全自我になろうとしていたんです。
中略
私は、もう一つ思う。
これは、自我判定の報告にも少し書いたのですが、
桜の間で書かれる言葉、そのものが私の中で上滑っていました。
>「自問する」「直視する」
今は、この意味がわかる。
でも、当時もわかるつもりでいた。
ぜんぜんわかってると思っていた。
なぜなら、1+1=2と判断する私がちゃんといる。
崩残さんに「自分がない」と言われても、
私は計算もするし、考え事もするし、悩み事もする。
でも、今は、「自分がない」と言われていた意味がよくわかる。
私は、本当に自分がなかった。
掲示板に書かれる言葉は、今、見れば、深くその意味がわかる。
でも、当時も同じ文章を読み、考え続けていた。
考え続けていたけれど、全く意味が通じていなかった。
「自問しろ」と言われても、
私のなかにはその肝心な「自」がなかった。
今、思うと、その「自」は、****のことだと思う。
でも、当時は「自」がなくて、その「自」は「他」になっていた。
他者からの眼、結局「脅え」が私自身だった。
自問という言葉は、私の脅えによってこう書き変わる。
「崩残さんにあれこれ言われないようにしなきゃ・・・」
直視という言葉も、こう書き変わる。
「トラウマ掘りのネタをなんとか調達しなくては・・・」
自分がないので、
「脅え」から「焦り」の言葉へと変換してしまうのです。
ただ、その変換器のように
「脅え」→「焦り」/「脅え」→「焦り」/「脅え」→「焦り」
の言語変換を繰り返していました。
結局これが、トラウマ掘りの「宿題感覚」に繋がっていきました。
同じ桜の間という掲示板を見ていながら、まるで言語が違うように
その意味の疎通がうまくいかないこと。
それを、自分は今、よく感じます。
決して上から目線のつもりはないのですけれど、
トラウマ掘れなくて、感情が出てこなくて、その苦しみもよくわかる。
その上滑り感というか、自分はそれを「上げ底感」と呼んでいました。
私は自分が無くて、崩残さんからのメールも、
頭でただ「わかる」ということしかできなかったのですけれど、
なにか自分が「上げ底である」という感覚はあった。
自分の底から打って響くものがない。
掘ろうとしても、上げ底な答えしか返ってこない。
いや、返してこない。
かろうじて、そういう感覚だけはあった。
でも、わかることといえば、それくらい。
崩残さんから叱咤されても、その上げ底な自分を突破できなかった。
本当に長く長く時間がかかってしまいました。
結局は自分が「倒れる」ということにならないと、
無明庵の言葉は浸透しない、ということにしかならないと思うのですが。
それが、本当の真実で、
それ以外、どうにもならないとも思うのですけれど。
中略
でも、この長期化する「上げ底感」も、
かなり苦しいことも自分は知っています。
中略
私は、自分で自分のスコップを手に持つまでに、
ものすごく時間がかかりました。
それは、「私は、誰々に復讐します」という自分自身ののろしに
気がつかなかったこと。
そして、穏便に済ませようと、隠れた「取り引き」をしていたこと。
あと、めっきの剥がれた、
何も達成できていない、惨めな自分の姿を、
「ちゃんと見れていなかった」「見ようとしなかった」こと。
こういうことなのだと、今は思います。
また、新たにわかったことがあったら、メールします。
今回は、以上となります。
よろしくお願いします。
*********
全てが「個別の対応」となります
●前回の投稿は、書かなければ良かったか、と思っています。
ですので、いつか削除するかもしれません。
というのも、最近、桜の間に「不特定多数」に向けて、
共通して重要な内容、というのを書くのが困難になっているからです。
それぞれ自我復元をしている人たちと私は、ほとんどの場合に、
メールでかなり定期的に、または頻繁にやりとりを交わしており、
その中で私が助言するとしたら、それは常に、個別に「相当に違う」からです。
●またブログを書いている人にも、時には、
「その事はブログには書かないでください」
というお願いをすることも、ここ最近は、かなり頻繁にあります。
その理由は、言うまでもなく、AC人格満開の人が、
すぐに、その言葉を勝手に解釈したり悪用してしまい、
結果としてそういう人は、ずっと死ぬまで何も掘れないままだからです。
●私がブログには書かないで下さい、とお願いする部分というのは、
言葉にすると本当にさりげないものであったりします。
しかし言葉さりげなくとも、誤解する人は、いくらでも勝手な誤解をし
誤解であるならば、まだその人の理解不足のせいですが、
「曲解」となると、自分のAC人格に都合よく悪用するのです。
●そういうわけで、最近は、とにかく、ひとりひとりに、
「ちょっとこうしてみて下さい」言う内容が個別に相当に違います。
ある人はやった方がいいことも、ある人は逆にやってはならない
ということも、その人のいる段階と時節により異なります。
したがって、
私がメールでその人に示唆したことを、
ブログに書かないようにお願いすることもあれば、
その方の内面から出てきた素敵な言葉でも、
まだそれを理解できない人が多い場合も、掲載しないようにお願いします。
あるいは、ある方法や言葉は、その人本人一人にしか意味を持たない、
という場合には、
読み手の誤解を避けるために、その部分をブログに載せないようにお願いします。
●ここで自我復元の中のAC人格の解除手順についておさらいしておきます。
まず、そもそもAC人格とは何かを、もう一度、少し整理の仕方を変えて記述しておきます。
・親からの恫喝、暴力、遠回りな脅迫、威圧、勉強の強制なども含み、
それによってトラウマ(心の傷の痛み)が形成されるケース。
・親と関わったことで、親も子も双方で無自覚のうちに、
親のAC人格の多くの部分が、そのまま感染したケース。
・親の都合の良い子供にする、親が不満のはけ口に出来る子供にする、
お金や不動産などの餌でずっと自立できない子供にする、
親の劣等感の掃き溜めにしたり親が偉ぶる掃き溜めとしての子供にする。
つまりこれは「調教された」ケースとなります。
こうした3種類の被害を受けた場合に、
まさに、今回の報告の方が言っていたように、
「親との取引き」によって、出来上がってゆき、
その後も、本人は無自覚でも、
常に、他人の目や、自立できない恐怖心から、
親とも他人とも、「取引しか出来ない人格」になってしまったこと、
さらには、その姑息な「取引きをする人格」が、
上手くいったと、自分だけで勝手に思い込むことを積み重ねた場合、
こうした結果、その人の「自覚のあるなしに関係なく」、
その人を、死ぬまで、あるいは死んでもなおも、
がんじがらめに「拘束」している、その「毒(原因)」と「病(挙動)」
これらの総称を、「AC人格」と呼んでもいいでしょう。
●多くの場合には、これは親に従ったままであるのですが、
親に逆らった「ポーズだけ」しか出来ず、
親に頼る依存心に、どっぷり毒されているケースがほとんどです。
●
自我復元のプロセスのおさらい
1/自分の問題で明確に困っている事がある。
(これは下記の「3」以後の、どの段階でも必須となります)
2/好奇心から始めたり、劣等感の克服という、間違った動機、
AC人格が、今のまま強くなってやろうという、不純な動機、
これを私は、今でも否定はしません。
入り方は、間違ってしまっても、しかたないからです。
ただし、どこかで1が本当に切迫した問題意識に上がってこなければ
その人の復元はそこで止まります。
今回のご報告の方は、燃料(電力)として自我率が98%を超えていても、
完全に停滞してしまったところから突破できた、珍しい好例のひとつですが、
やはり、切迫する状況と、問題意識の明確化が引き金となっています。
3/トラウマやAC人格の元となる「記憶」を思い出す。
この場合に、幼少期を正しく思い出せないケースが
圧倒的に多いので、
まず現在の年齢から始めて逆行してゆく
「不快年表」から入ると良い人もいる。
4/主に、3歳から10歳あたりの「幼少期」の記憶の掘り出し。
5/記憶だけではなく、その当時の感情の掘り出し。
主に、「怖い、寂しさ、悔しさ、怒り」などが多くなります。
6/掘ったと思っても、まだ掘り忘れがないかの再確認。
これは自我復元中にする人もいれば、復元後にする人もいます。
7/AC人格の自己分析
これも復元後に放置したままの人格が多々あります。
(これが後天性全自我の特徴のようです)
8/原主体の発動
これはめったには、復元中には機能しません。
前述の7までが完全なされた場合のみに起動することが分かりました。
したがって、全自我になっても、
原主体はまだ発動していない人もいます。
また、全自我になっても、
AC人格のソフトを解除できていない場合があります。
厳密に言うと、おそらく、今全自我の人の全員がそうです。
ただし問題に気づいて本気で強く決意して、
なくそうと意志すれば消えるはずです。
98%の自我率でも、AC人格やトラウマに全く気づけない
という事例もあります。
■何度か、今まで桜の間でも書きましたように、
自我復元というものは、この地球史上、一度たりとも存在したことが
なかったために、不明の部分がいくつかあります。
ですから、これを私は皆さんとの「共同実験のラボ」と定義しています。
●その中でも、とりわけ、トラウマへの対処、AC人格の解除というものが、
人によっては、95%あたりまでは、
自我率を加速的に上げることは確認できているのですが、
一方で、90%台にいるにも関わらず、全くトラウマの感情も掘れておらず、
AC人格も全く変わらないという人も何人もいました。
このあたりの整合性がまだ解明されていません。
■ただし、トラウマを掘り、AC人格の挙動に心底気づいた人たち、
特に、ブログを書いている人たちは、
もしもトラウマやAC人格を放置していたら、
ほんとうに人生を無駄にしかねなかったと感じていると思います。
途中では辛いと思いますが、
自我復元と併用するAC人格との格闘を、
やって後悔した人は、ただの一人もいませんし、
これからもいないと思います。
もしも、トラウマ掘りや、AC人格との格闘をしたのに、
やらなければ良かったなどと後悔する人が、万一にも、もしもいたとしたら、
これだけ、有用かつ、重大な問題なのに、続かないということは、
他の何をしても、「中途半端」な人だと私は思います。
AC人格との格闘をやって、後悔などするとしたら、
その人の「AC人格」が、自分に正直である事を怖がって、
本物の自分から、尻尾を巻いて逃げた、というだけの事です。
*********
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(355 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -