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[369]
■
★分割自我復元★その369■ 『 引用と、全自我の人からのトラウマ掘り報告 』
by:
鈴木崩残
2014/07/11(Fri)09:29:25
「 報告 と 引用 」
●まずは、引用ですが、これはAbyさんのブログ記事からです。
重要だと思ったので、抜き出したものですが、
私からの解説は(私信ではしても)、この掲示板上では、
あえて、何もしません。
誤解するなり、理解するなり、曲解して自分の首を絞めるかは、
それぞれの人の自己責任です。
*********
このAC人格の挙動の典型的なふるまいだが、ここでも気になるのは、
コイツの出番を許し、のさばらせる用意や準備のようなものが、
自分の生前の性質の中にないだろうか?ということ。
・・・・・・・・・
おそらくこういう「あきらめ」のようなものが、
わたしの日々、わたしの人生の入口の入口にあって、
これを言い訳にしながら生きている。「だから〇〇なんだ」
という(説明の)準備をし、つねに他者の言動に反応だけしている。
・・・・・・・・・
今回もいつもと同様、
こうやって分析したり掘り出したりしようとする自分の姿勢のなかにこそ、
AC人格が顔を出してきて、その都度、向き合うことが多かった。
そのAC人格に足をひっぱられながら、格闘しながら、
それでもそのループから距離をとりながら、その末に、
「自分を取り戻すこと以外、何があろうか」と思い至ることが多い。
・・・・・・・・・
わたしの中の、たとえば、
「気づいた」と言いたくなる衝動、それを確認したくなる衝動は、
強烈な不快感をもたらす。
舵がとれない代表的なもので、しかしこれを維持しているのもまた、
「自分はダメだ、こんな自分ではダメなんだ」と
いう自己否定でしかなく、
ここに足がとられている限りは、「自分を取り戻す」ということ、
そのことに気づかなくなる。
正確には、そう思っていたはずの自分の意思や決意がぼやけていく。
だから焦って自己確認しようとすることが
またさらに、自己否定を核としたAC人格のループを温存させる燃料になる。
これは一言でいえば、成長しなければ、という妄想だと思った。
・・・・・・・・・
だから、ここでいくら「自分のため」といったところで、
そういう自分というものに対してはすでに「自我復元者」であったり、
「AC人格を掘る人」だったり、「生前探索をする人」であったり、
無自覚にそういう役回りを自分にあててしまっている。
そういうときは、いかにも目的や内容をしっかり把握しています、
といった演出が入りこむので、何をやっても捏造しかできない。
なぜなら、自分以外のところから、言動の道具を借りて、
それこそAC人格が納得のいくストーリーしか、作り出せないからだ。
・・・・・・・・・
役目遂行に駆り立てようとする衝動は、そのモチベーションの維持として、
「自分を欠けた状態にしたがる」という意味で、
自我復元の最大の邪魔をしている、そう思った。
「自分はダメだ」という自己否定が、役目に軸足を移す「理由」として
自分のAC人格が望む機能をしているとしたら、
「自分はダメだ」という自虐性に対して自己嫌悪が生じないのは当然だ。
むしろ歓迎すらしている。
・・・・・・・・・
当たり前だ。はじめからそのからっぽの自分役をあてがっておいて、
「不幸でも気持ちいいよ」といい続けてきただけなのだから、
何をどう達成しようが成功したと思おうが、
戻るところはその「不幸」であり、それでいいとした
「からっぽの自分役」だったということ。
・・・・・・・・・
だとしたら、なぜわたしは、
こんな自分をバラバラにすることを希望したりしたのか?
つまり、今回(今までもずっと)感じたような虚無感のようなものは、
生前の自分の性質でもなんでもなく、
自分役という作られた部分の性質であるなら、
それ以前の生前の自分の性質として、何がそうさせたのか。
そこにあった自分の価値観や衝動とは何だったのか?
・・・・・・・・・
そもそも「観察」という
何やら業務的なしぐさから必ず入る不自然さ・・・。
どうしてこんな行動パターンをずっととっているのか。
これがわたしの性質のひとつだとしたら、
何のために必要とする性質なのか?
・・・・・・・・・
「どれも興味ないと思っていますね、お客さん」
と声をかけられたりしたのかな?と想像してみると、
わたし自身が自分と同じようなその声のかけ方に、まんまとひっかかるな、と思った。
そこで、「まあ、座っていきなさい」みたいな展開にでもなれば、
わたしは「この人、わたしのことわかってくれそう」とか思って、
立ち寄ってしまいそうだ、そう思った。
・・・・・・・・・
このときの記憶のようなものによるおごりが、
今回の生または生前の契約時の甘くみていた姿勢に通じている、
といった印象を受けた。
・・・・・・・・・
その時のわたし自身があまりに「任務」というものと自己同化していたため、
自分や自我といったものの認識が相当に低かった状態にあったために、
自己犠牲ということや、役目や役割に扮するということが、
どういうリスクをともなうのか、
ということに相当に無知だったか麻痺していたか、
ということではないだろうか?
・・・・・・・・・
今回の生でも、「自分の保護」を全く考慮しているとは思えない。
根拠なく「自分は大丈夫だ」と思いこむ傾向も、
なにかの時には、「自分より上に置いた誰かが守ってくれるはずだと、
無意識下でそう考えているからではないだろうか?
・・・・・・・・・
それから後は、何度か地球での生を繰り返していて、
(というか、たぶん、出られなくなって)、
予想外の出来事(自分というものに対する不信感や違和感)が生じてからは、
元いた世界に比べれば、任務遂行という点に限っていえば
「利他という任務遂行業務」も、
さほど誇りをもってやれているわけでもなく、何の活力もなく、
では一方、自分というものを楽しめているか、というと、
まったくその反対で、ゾンビのような状態で生き、
毎回不完全燃焼を毎回の生に感じては、
「〇〇のために、〇〇に尽くせて、〇〇が達成できて、その点は、まあ、よかった」
という妥協を繰り返している。
任務遂行すら
「せめて後悔しないための言い訳程度」にしかなっていない。
さらに当初はなかった(であろうと思われる)罪悪感も、自己不信
という感覚が強まるにつれて抱くようになり、
ここ地球での幻想上の利他活動というループから全く出られなくなってしまった。
・・・・・・・・・
もしかしたら、
こういう「いい」「美しい」「得意」というようなビジョンも、
元いた世界で重宝がられた性質、任務遂行のための特技のようなものの
名残りなのではないだろうか?
こう思ったとき、
「これはただの性質であって、わたしのやりたいことでも好きなことでもない」
という理解に切り替わりはじめた。
・・・・・・・・・
ならば、いくらこの焼き直しとしての理想像を描いても、
そこには、自分などなく、またしても、自分を自分で守ることをせず、
任務や能力を担保してくれる大きな力や自分の上に立つ者の言いなりになって、
「活躍した気」になるだけじゃないだろうか?
>引用元は、以下のアドレスです。
↓
1/
http://mmjhb11.exblog.jp/20897853/
2/
http://mmjhb11.exblog.jp/20897885/
3/
http://mmjhb11.exblog.jp/20897888/
4/
http://mmjhb11.exblog.jp/20897894/
5/
http://mmjhb11.exblog.jp/20897896/
■ ■ ■
次は、自我復元後にトラウマやAC人格を掘っているというケースです。
私や、誰かに言われたからではなく、
マディアさんや黒丸さんも、自主的に継続して、AC人格との
格闘をしてきたわけですが、
今回のは、ブログを持っていない人のケースです。
トラウマ掘りだけに関していえば、そこには、
全自我であろうが、なかろうが、大きな差はありません。
逆に言うと、トラウマ掘りとAC人格への自覚が進まないかぎり、
「燃料的」には、全自我寸前または、全自我になってさえも、
それ以上には、何も進まないということです。
このあたりは、やはり、初期のころの全自我判定は、相当に敷居が低かったり、
希釈時代のトラウマによる障害が全自我になっても自我の形の歪みに出ている、
それまでに、自分はなんとかなっていると思い込んで、
しがみついていたAC人格の「ソフト」が消えていない、
といった現象がある事が考慮されていなかったので、
現在では、それらを考慮に入れて、判定は前よりは厳しくなっています。
厳しくといっても、むやみに厳しくしているのではなく、
出来るだけ、全自我後の作業が楽に出来るようにするためです。
トラウマは、本来であれば、復元中に掘るのがベストであることは、
マディアさんの例を見れば分かると思います。
あとからでは、もたつきます。
では、少し長いですが、紹介します。
かつて仮名で「雨樹」さんとして、数回桜の間に引用した人です。
***************************
前回のメールの時に、
『これからは・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
といただきました。
そこから約半年、
私にとっての原主体に発現に向けて生きることが、はじまりました。
原主体の発現はトラウマ堀りのように明確な方法が提示されていないので、
手探りで、さまようようにやってきました。
私がこの約半年、原主体の発現のためにやってきたことは
次のようなことです。
1 ともかく興味をもったことをやってみる。
2 しつこく、自我復元をする。
3 しつこく、トラウマ堀りする。
ということでした。
>>1 ともかく興味をもったことをやってみる。
興味をもったことをやってみる。
それが原主体からやりたいと思っていることかもしれない。
私はこれまでの人生で無駄に将来を心配しすぎて、
やりたいことをやらなかったことがたくさんあります。
この考え方は母からの感染です。
以前、トラウマ堀りの報告にも書きましたが、
母はお金に対する執着が異常でしたから。
旅行も、楽しむことにもお金を使うことは無駄金だという考えでした。
ちゃっかり自分だけは父からの給料と自分の自営業のお金を貯めて、
最後は父の退職金を持って家をでていきましたが。
母にとってお金は不安を解消できるものの一つだったのです。
AC人格の人は極度に常に不安になりますから。
自分も過去、不安神経症でしたから分かります。
母はそういった方針で、私も感染して同じ考えでした。
しかし今私が思うに「本人がやりたいと思った体験」は、
どんなものよりも貴重だと思います。
それが生産的なことにつながらなくても。うまくできなくても。
こういった考えは本当に最近思うようになりました。
どんなことをやったか。
私はちょうど崩残様から最後のメールがきてすぐ、
年始から3ヶ月ほど***にいたので、
やりたかったけど、前の場所では、やりにくかったことをたくさんしました。
数種類の******。
****作りや、***製作、料理の勉強会。
気になっていた美術館や、観光地への観光。食べ物屋さん。
崩残様がHPにも書いていた花吹雪にもいきました。
世界的に評価の高い車を運転してみたり。
あと、*****にも行きました。
「ともかく、お金がもったいないという気持ちを理由に、
興味をもったことに二の足を踏んで、自分の欲求を抑えるのは絶対やめよう。」
そう自分に誓ってプランをたててました。
一部、日程の都合でできなかったこともあるし、
期待ほどでなかったこともたくさんあったけど、
しかし、最期の日に「やったな〜」というやりきり感を感じました。
やったことで特に楽しくかつ、
「原主体の発現」に役立ったと思うものは2つ。
ひとつは、ある体操です。
中略
すでに崩残様へ書いたトラウマの事象のうち、
掘ったはずなのに、時々胸がざわつくようなトラウマの琴線に触れた
反応があった事象の、いくつかの反応が無くなりました。
体と脳が広がって一度リセットするような感じです。
もっとも、本当に掘れていないトラウマには体操だけでは変化はないと思います。
もうひとつは、***にある、小さな**屋さんです。
ここは抜群にうまい。
私が食べた中でも、ダントツで一番うまい。
仮に原主体の欲求から**つくる人が、それを職業にしたら
この**屋さんの味になるのではないかと思えたのです。
センスのいいと思える料理や、技術のあるなという料理は、
これまでも食べたことはありますが、心をこめた料理はあまり食したことがなかったです。
よく二束三文のことばで心をこめて料理を作るといいますが、
この御店は本当に心がこもっています。
職人さんも、楽しそうに軽やかにかつ集中して作っているのです。
それは、頑固職人が眉間にシワをよせて筋肉が緊張しながら集中するのとは、
まったく別物です。
私は料理って芸術だと思います。
むろん、すべての料理が芸術だと言えませんが。
>>4 しつこく、トラウマ堀りする。
普段の生活の中でAC人格が影響して現れていると思われる癖、性格、反応が、
何かのきっかけで自分にあらわれることがありました。
それで、ともかく納得するまでやろうと思いました。
以下、トラウマ堀りの報告になります。
報告にはすでに崩残様に報告した事例もありますが、
その掘る深さや、視点の違いがあったものは書きました。
また、トラウマ堀りをしている途中に『毒親無用』を購入しました。
これを読んでから、漠然と心のざわつきとして存在していたトラウマが、
具体的なものとして掴むことができて、トラウマ掘りが非常にすすみました。
*********
>>@女性に偉そうに話し気分が高揚している自分
デートに行って家に帰ったあと、
ふと女性に対して気分が高揚して偉そうに話している自分に気づく。
私の場合、偉そうな話し方といっても、
積極的な激しい話し方で自分の意見を押しつける話し方でない。
女性の話をじっくり聞いて、
その上で質問をしながらその人の話の矛盾点に気づかせるようなやり方だ。
カウンセリングでいう傾聴とか、開かれた質問というテクニックだ。
一見、良さそうに見える。
女性も話をじっくり聞いてもらった満足感あるかもしれなし、
好印象を持ってくれたかもしれない。
それはそうだ。
女性からそう思われるために、
私が策略的にやっているコミュニケーション方法なんだから。
そこに対等な人間としてのコミュニケーションなどありはしない。
やりかたは大きく違うけど、父母ともに常に私に偉そうに話していた。
子供の目線にたって話すということは皆無だった。
彼らは押しつける言い方で子供の私を言いくるめようと常にしていた。
それに反論すれば暴力が待っている。
だから家ではとても無口な子供だった
。私は普通に話したかった。
だから、親戚のおばさんや学校では堰を切ったようにおしゃべりしていた。
形は違うけど、
まともなコミュニケーションができてないのは私も同じだと思う。
私のコミュニケーションは心理学のテクニックという仮面をつけ、
相手のよくないところを気づかせて敗北感を味合わせることで、
自分の気分を高揚させて優位な立場におきたいんだ。
それは父母と同じじゃないか。
父母の祖父母はどちらも私は一緒に暮らしたことがないし、
私が物心ついた歳のときはすでに、多くのは他界してた。
だから父母や親戚の話からの推測になるが、
父母もまともなコミュニケーションをする家じゃなかったと思う。
母方の兄弟は末っ子の1人を除いて母のように、まくしたてるように話す。
母方の祖母は早く亡くなって、
母方の祖父は昔気質の無口で怒る時くらいしか話すタイプでなかった。
父方の祖父は早く亡くなり、実権は「父の姉」が握っていたようだ。
この姉も、まくしたて自分の価値観だけを押しつけて話しタイプの人だ。
父もゆっくり、家庭で対等な立場として話すことなど少なかったのではないか。
まとまなコミュニケーションができない父母に育ち、感染した私が、
まとまもなコミュニケーションをできるはずがない。
熱のこもった、心のこもったコミュニケーションしたい。
自分を守るため、着飾るための理論武装はもういらない。
理論は道具であって私じゃない。
つりには竿が必要だけど、私は竿じゃない。
>>@トラウマを掘っていて退行して見つけた感情
トラウマを掘っていて、トラウマ受ける前の自分。
AC人格の前の自分の感情を知りたくなった。
だから、これまで掘ったトラウマを思い出しながら、
退行催眠のように年齢を下っていった。
これは本当に苦戦した。
2ヶ月近く、ある時は机の上にノートとボールペンを出してじっくり座って、
ある時は足を組みながら、ある時は散歩しながら、ある時は仕事の合間に。
でもその感情がでてこなかった。ギブアップしそうにもなった。
やっと2ヶ月位たって、座っているときに掴んだもの、
それは「******」だった。
なんなんだろう、「******」としかいえない。
崩残様に分かりやすく説明できるように、
不安とか怒りとか何か的確な言語を当てはめたかったが、
******としか言えない。
それが、産まれた時のはじめの感情。
それが今、私が思い出せるもっとも幼少の感情です。
>>@どうしてAC人格は自分の親のような人をパートナーにしてしまうのか?
どうしてAC人格は、もっとも避けたいはずの親と似た人をパートナーにしてしまうのか?
例えば、DVで育った人は、絶対嫌いないはずのDVをする人を選んでしまうのか?
私はずっと疑問だった。
私はある女性と話していて気づいた。
彼女はバツイチで彼の浮気と感情の起伏が激しいことが嫌で夫と離婚調停中だ。
彼女のお父さんも同じように浮気して、感情的で家庭は大変だったらしい。
お母さんは、彼女に経済的に困らないで離婚できるように
仕事につながる資格を取るように洗脳のように子どもたちに言ってきた。
彼女は洗脳と思ってない。
むしろしっかりした母だと信じている。
実際に彼女は職に困らないで金銭的にも恵まれている。
彼女は、絶対に父のような人と結婚しないと誓っていた。
しかし、実際には同じような状況になった。
夫とつきあっているときは楽しかったそうだ。
感情の起伏が激しい人は調子がいいときは楽しいのだ。
また付き合う前、もしくは結婚する前は、
彼にとって彼女は狩るべき獲物だから大事にする。
それはけっして対等の人間としての大事さじゃないけど。
大事にされると彼女も気持ちよくなる。
彼女が「私は男性に積極的に押されると、つきあってしまうんですよね。
彼もすごかったから」というのは結局自分の判断や考えを放棄している。
自分から奴隷になることを認めているということじゃないか。
感情の起伏が激しい人は、調子のいい時は楽しい。
「なんだよ、ばっかじゃないか」「これいこうぜ、ついてこいよ」と。
特に彼女のように弱々しく、繊細そうな人は惹かれてしまう。
親しみやすい人、引っ張ってくれる人と。
でもそれは自分の責任を放棄して奴隷になることを意味してる。
例えば「ご飯をどこどこに食べに行こう」と言われた時、
一旦、本当に自分に聞いて、その後にyesなら良い。
でも何も考えないでyesといった時は、
それは自分の責任を放棄して奴隷になることを意味している。
AC人格が、親と同じような人をパートナーに選んでしまうのは、
親と同じようなAC人格の(あくまで表向き)いい面に惹かれ、
そして自分の責任を放棄して奴隷になることを受容してしまうこともあると思えた。
もちろん、これだけで全ての事例が説明できるわけでないが。
>>@大多数の人といると疎外感、孤独感を感じる
多くの人といると私には疎外感、場違い感、違和感、孤独感が襲います。
そういった時は、出来る限り自分の脳内で一緒にいる人たちを侮辱し、
偉い私は、愚かなお前たちと、一緒にいれるか!!という「妄想」をして自分を慰めます。
お前らとは次元が違うと、自分を特別視して自分を慰める。
そうしていると、人との壁がますます高くなる。
だからより疎外感、場違い感、違和感、孤独感が強くなる。
悪いリサイクルが出来上がっている。
いや、悪くない。だって自分が本心では、孤独になるように望んでいるんだから。
この疎外感、場違い感、違和感、孤独感はどこからきているのか。
私の家庭はともかく夫婦仲が最悪で、
かつ2人ともに、子どもとゆっくり遊ぼうとか、
子供目線になって話そうという気がまったくない人だった。
だから幼少の頃の私の唯一のリラックスできる場所は自分の部屋で、
妄想に浸ることだった。
私の家にはテレビゲームや、自分用のテレビとかなかった。
だから、自分の部屋で妄想することが、唯一の逃げ道でもあった。
この大人になっても胸のあたりがざわつく
疎外感、場違い感、違和感、孤独感の原因はそれもある。でもそれだけない。
私の父も、母も友達がいない人だ。
当然だ。母は狂っている。
自分ことや自分の考えをばかり興奮して話す。
そしてアル中で酒が入ると狂ってしまう。
まともな友人ができるはずがない。
母は祖母が早く死んで、せわしない姉妹なかで育った。
昔気質の祖父と一緒に。
そんな家庭で育った母は、幼少の頃に、ゆっくり母の話を聞く人がいなかった。
母も子どもとゆっくり遊ぼうとか、
子供目線になって話そうという人が欲しかったのだと思う。
そして今も欲しいのだろう。
だけど自分で経験したことがない母に、
まともなコミュニケーションができるはずがない。
だから、誰よりも孤独な母は、知らずに人に嫌われて、
もっと孤独になるようなコミュニケーションを人としている。
父も友人がいない。
積極的に人と話す母と違い、父は人に積極的に話かけられない。
人見知りで、なおかつ子供には暴力をふるい、
母には怖くて何もできない典型的な内弁慶だった。
父は世間的な常識がない。
自分から気を利かせて話しかけようという気持ちがまったくないのだ。
父の家は、祖父が早く死んで、死んでから祖母は人が変わって
「ああだ、こうだ」いう人になった。
おそらく、祖父に押さえつけられていたが開放されたのだろう。
父の家では祖母と、父の姉が実権を握っていた。
父の姉はアグレッシブな人で、本当に人の気持ちや、
返答をまったく考えないで自分の思うとおりに発言する人だ。
姉に父は抑えつかられた、ただ「うん、うん」と答える。
人見知りをする、おとなしい子になった。
しかし、その裏には、弱い人間には強いという優劣を象徴した増悪があった。
父が****になったのもこういった影響があるのかもしれない。
あの父は接客業や営業マンには、なれなかっただろう。
今、ここまでトラウマ堀りをして気づいたが、
母と「父の姉」は性格がよく似ている。
父がなぜ、あんな狂っている母と結婚したか不思議だったが、ようやく分かった。
私の母は、父の姉の代わりだったんだ。
押さえつけられ、自分を殺して生きてきた人は、
ご主人さまに服従する奴隷の生き方のほうが楽なんだ。
だから、母と結婚し、
さらに母が完全にアル中になっても離婚しなかったんだ。
私のこうした反応は、父と母のミックスした感染人格なんだ。
>>@緊迫した状態のときに、声がうわずり、涙たまってくる
緊迫した状態のときに、声がうわずり、涙がたまってくる。
誰だって緊張することはあるけど、
そういった自然の体の緊張反応とは明らかに違う反応がある。
他人に殴られたり、制圧したりすることもある。
威圧的なことばで威嚇されることもよくある。
それ以外に大勢の前で説明したり、人前で報告するときにも、
この病状はあらわれる。
このことに関して一番古い記憶をたどってみた。
たどりついたのは幼稚のとき、
私が何かにグズって家で泣いていた。
母はそれに対して「泣くな!!泣くな!!」と異常な顔つきで、
掃除機の柄で私を叩いていた。
幼稚園の私が当然ながら叩かれてもっと泣いた。
父も休日で家にいたが、無視をして止めることも何もしなかった。
高校生の時にこの件を母に問いただしたら、
母は平然と「だって、イライラするんだから」と言った。
この時、このババアは精神異常者だとハッキリ認識したことを記憶している。
(ここまでの話は、以前の報告でも書いています)
最近になって、父にどうしてあの時に止めなかったのか問いただした。
父は「知らん。知らん。」といった。
この人は都合の悪いことは全て「知らん。知らん。」ですませる。
政治家の「記憶にございません。」というのと同じで、
本当には知っているが、それを認めると自分の罪を認めることになるし、
といって完全に嘘を突き通すと、真実がバレた時に困る
という状態のときに使う常套手段だ。
その都度私は、「知らんとか言ったら、それですむと思ってんのか!」
「された方の気持ちは一生のこるんだ!」といった。
すると無言を決める。いつものパターンだ。
父も母も、私が幼稚園ころはよく暴力をふるった。
父は「家をでていけ!」で外に出すのが常套手段だった。
例えば、私がテレビを視ていたら
父「何時間テレビを視ているんだ!」
私「自分だって見てるだろう」
父。怒り。「でていけ。」
そう、今まで父と母は、
怒り方が違うと思っていたけど一緒なんだ。
父も母も、怒り暴力をふるう基準は、
「みんなに迷惑をかけたから」とか、
「ルールを守らなかった」というところじゃない。
私が彼らの反応に「感情的になった時」だ。
さすが夫婦だ。
父は少し母よりもまともだと思っていたけど、やっぱり精神異常者だ。
彼らは人が感情的になった時が怖いんだ。
それは彼らの幼少の頃の記憶からだ。
だから彼らは、幼少の私が感情的になると過剰反応したんだ。
思えば、この鮮烈に記憶しているときに、
私は暴力によって、彼らに服従して奴隷になっていた。
いや奴隷ならまだ人間だ。奴隷じゃない家畜になった時だ。
彼らは、自分が気持ちいいだけの子供じゃない。家畜が欲しかったんだ。
そして、誰よりも暴力を恐れていたのは実は彼らじゃないか。
私が高校生になったときから、父母をぶん殴って蹴りあげた。
アル中で飲んだくれて、
ションベンとゲロを吐きながら廊下に寝ている母を蹴りあげ、
それを見て何もしない父を殴った。
法律がなければ殺したかった。
彼らを殴って、すでに私の体は大きくなりケンカをしたらどっちが強いか
ハッキリしてから、彼らは少なくても直接的な暴力をしなくなった。
でも、だめなんだ。
一度しみつた暴力による私の家畜根性は、
父母をなくっただけでは抜けないんだ。
だから、緊迫した状態のときに、声がうわずり、涙がたまってくるんだ。
父母の両親は、どうだったんだろう。
両方とも棒で殴られた、とか納屋に閉じ込められたと言っていた。
そういう時代だったのだろう。
でも、それを父母がなんの感情をこめることなく、
あたりまえのこととしてケロッと言うのが嫌だ。
小さな子供のできることには限界がある。
しかし、少なくても怒りや、憎しは持っておくべきだと思う。
いくら親でも、時代でも、おかしいことはおかしいと。
それに順応させられたら、本当に家畜なるのだろう。
このトラウマ堀りが終わってから、
同じような状況になっても緊迫した状況でも、
声がうわずり、涙たまってくることが無くなった。
もちろん、自然な生体反応として、緊張した状況になることはある。
でも以前のようなことはパッタリとなくなった。
>>@何事もコツコツできない
これも、ずっとある癖だ。
勉強にしても、スポーツにしても。
ともかく継続して努力することができない。
もちろん、みんな楽したい、サボりたいという気持ちはもっている。
けど私は資格試験とか入試とか本来やらなければいけないことも、
やらない。
重症だ。
やらないで試験の日など必要な日にちがくると、
「まあ何とかなるさ。これだけが人生じゃない。
これまでもどうにかなった。」という、言い訳とごまかしと慰めが
脳内で始まる。
これは本当には長い期間悩んでいた。
まだ自我復元が始まる前、
催眠療法にもいった。自己啓発セミナーにもいった。
それ専門のセラピーもうけた。
本も読んで書いてあるたくさんの方法を実践もした。
でも治らなかった。
原因がつかめなかった。
全自我になる前のトラウマ堀りでも探ったが、
ピンとくる答えまで辿りつけなかった。
やっと最近、『毒親無用』を読んで、
はじめは父の感染人格だと思った。
父は高卒で、******だが、出世もしていない。
いつも、テレビをつけながらダラダラすごしている。
そんな父の感染人格だと思った。
しかし、
でも、何か違う。
ピンとしない。
無理やり『毒親無用』の事例を自分に当てはめようとしているだけだ。
トラウマの元凶を探った時のような
あのズンと太い柱が体と心を貫くような感じ無い。
ずーと探っていた。
私は小学校まで心臓が悪くて入院していた。
先天性の心臓病で手術をした。
母はつきっきりだった。
母はこのことを周りに言いふらす。
電話でも言いふらすから私にも聞こえる。
母が言いふらすのは、私が入院しているときに
「自分がどれだけ頑張ったか」ということだけだ。
何か悲劇のヒロインががんばったのごとく、涙ながらに言いふらす。
気持ち悪い、本物の精神異常者だ。
私が退院して大きくなって何年もたって高校生になったころも
言いふらす。
母はヒステリックで、アル中だったけど、
不思議なことに家庭のことは一般の主婦よりもしっかりしてた。
自営業をしながら、家事をしっかりして家でも私の弁当でも
冷凍食品が使われることは皆無だった。
休みの日でもゆっくり休んでいることを見たことがない。
いつも、せわしなく動いてた。
今思うと、母は本当の意味で家族ためにやっていたわけでないのだ。
私の所有物を他人に触ってほしくないから。
何事も自分の思うとおりにしたった。
だから、幼少の頃の私が手伝おうとして、
家事に手をだして少しでも気にくわないと、すごい剣幕で怒ってきた。
だから家のことは手伝わなくなった。それでも家事は進んでいった。
小学校のときに、自宅で学校の課題の絵を描いた。
母は気に入らなかったから、勝手に手をだしてきて、バッと絵を書いてしまった。
父は珍しく「才能があるだから、お前が手を出すなよ」と制したのを覚えている。
私の人生で唯一、母が怖い父が私をかばった時だ。
もっとも、母はやめなかったが。
私は絵が上手だった。特にデッサンは。兄も驚くほどだった。
母に絵に手を出された私は、どうだったか?ケロッとしてた。
楽できてラッキーぐらいに思っていた。
小学校2年生のエピソードだけど、このときに私はもう調教されてたんだ。
幼稚園の時に入院していたときもそうだ。
まわりことは全部母に任せてた。
もうずっと、私は母に調教されてたんだ。
母は、子供のことをかわいいペットだと思っていた。
だから手取り足取り面倒を見るが、牙をむけたらお仕置きだ。
入院してかわいい我が子の面倒を見る、悲劇なヒロイン。
母にとっては最高のごちそうだったろう。
もっとも、幼稚園の頃から、
周りのことは全て母任せのことに私は慣らされていった。
母にとっては子供は自分の思うとおりにするペットか家畜だった。
家畜として育てられた私は、母に面倒を見てもらうことになれ、
自分で努力すること、人生の課題と戦うことを忘れてしまった。
そういえば、私は死ぬ気で努力したことも、戦い尽くしたこともない。
何事コツコツできない。
当然だ。
母に調教されて育った私は「自分の目標のために努力する」ことも、
「戦った」こともないんだから。
動物園で精肉した肉しか与えられたことのないライオンだ。
父もそうだ。
家事を全般をする母に、父方の姉のかわりに調教してくれる人を選んだんだ。
だから、母がどうなろうと強く言えない。
>>@ヒーローになりたい
ここまで、トラウマ堀りをすすめて終わったと思った。
実際には胸のなかに引っかかるものがなくなった。
これでトラウマ堀りが終わったと思い、報告をまとめていていた。
でも、何かがある。
例えるなら、全自我になる前からずっと掘っていたトラウマたちを、
大きな膜でつつんいる、膜のような奴だ。
袋のなかみのゴミは気づくけど、
袋自体がゴミだと思わない感じだ。
これってなんだろうと探り続けた。
外食先でわかった。
私が食事がくる前までボーと妄想していたこと。
それはハリウッド映画のように、
世界の危機を私が救うという妄想だった。
私はしょっちゅう、この少年漫画のような妄想をしている。
私の理想の生き方は、世界を私が救うことだ。
そのためなら死ぬこともいとわないという妄想。
このヒーローになりたい人格は、以前に掘った
「人を見下す人格」や「優位な立場になりたい人格」にもつながっていて、
それを含めてもっと奥が深いと思えるものだ。
ずっと、何かのヒーローになりたい妄想の、はじめのトラウマが何かを探っていた。
はじめは、親に認められなかったから生まれたものだと思った。
それもあるがそれが根本でない。
なぜなら、親か、その代用となる人に認められたいのなら、
もっと何かでいい賞をとるとか、いい大学に行くだけでも良かった。
世界を救う必要はない。
世界を救うヒーローになりたい。
そんな妄想いつの頃からだろうか?
記憶範囲で幼稚園のころ入院していた影響から、
ママゴトならぬ、手術ゴトをして1人で遊んでいた。
それは純粋に遊びだった。だから、年齢的には、その後だった。
小学校3年生のころ。
はじめてヒーローになりたい欲求がでていた。
漫画とか映画の影響があったと思う。
しかし、漫画や映画のそういったところに惹かれるということは、
その前に私に惹かれる理由があったということだ。
それは何か?
これもなかなかつかめなかった。
長い時間探ると「正義感」という言葉がヒットした。
手術のままごとをしている時には正義感はなかった。
でも小学校3年生くらいから正義感という言葉がでてくる。
例えば小学校の掃除の時間、
他の人達は掃除をサボっている人がたくさんいたが、
私だけはやり続けた。
他にも学校の規則は無条件に守らないといけない頑な固定観念があった。
高校に行っても自分だけは学校の基準服を着ていた。
今でも、タバコのポイ捨てを見ると頭にくる。
基本的なマナー(本当は私が自分で正しいと思い込んでいるマナーなんだが)
を守れない人が嫌いだ。頭にくる。
だから、人と会うと必要以上に格式張った、丁寧な対応になる。
そんな考えの私が、世界を救うヒーローになったら最高の幸せだろう。
「正義」というのは、
私にとって根本的な守らないといけないと思い込んでいる、
絶対哲学になっている。
中略
いつのころから正義感に縛られたのだろう。
記憶をたどってみたがハッキリしない。
でも、父も「正義」だ。
父は「悪」をしないことに人一倍気にかけていた。世間体からである。
でもそうした空気は家族にも影響していた。
中略
父方の祖父は、村の*****だった。
父に聞くと村のもめごとを解決して、
村民から尊敬されていたということだ。
この話がどこまでが本当かは、どうでもいい。
大切なのは父が祖父のそういった行為を、
とても尊敬して自慢そうに話していたことだ。
私が囚われている「正義」というキーワード、
ヒーローになりたい妄想。
それは父、そして祖父からの感染だ。
記憶をたどってみたが時期がハッキリしないのは当然だ。
感染人格だから、明確な正義感に縛られた時期が曖昧なのは当然だ。
正義が、産まれた後からつけられた価値観なら、
そこに確執し続ける必要はないのではないか?
仮面を守るために、素顔を隠したままで何か意味があるのか!?
>>5 その他 思ったこと
@この半年間で2人の女性とつきあいました。
しかし、私から言って2ヶ月くらいで2人とも別れました。
つきあって一緒にいる時間が長くなり、SEXもすると、
どうしようもなく相手に対して、気持ち悪さがでてきました。
もちろん、女性の見た目のことを言ってるんじゃないです。
性格のひとつひとつをとって、ここが気持ち悪いというのでもない。
私は過去、そんな短期間で別れることはありませんでした。
たとえ、性格が気に入らないところがあっても、
それを乗り越えていくことが正しいことなんだという固定観念と、
相手を傷つける最悪感と、SEXの誘惑に負けて付き合い続けてました。
それが今回はダメで別れました。
こうなった意味が自分でもわからない。
もしかしたら、AC人格が解除されてくると、他人のAC人格も、
理屈ではなく感触的なもので察知するようになってくるかもしれません。
いい傾向なのか、悪い傾向なのかわかりません。
本当は付き合う前にわかればいいのだけど、
つきあって深い関係にならいとわからない相手のこともあります。
>>@報告をまとめていて思ったのこと。
@ここまで、原主体にむけてやって、
自分のなかに胸のもやもやがなくなったスッキリした感じがあります。
もし、今のタイプの自我判定を全自我になったときにしていて、
今もう一度、自我判定をしたら、文字に違いが出るくらいの、
明確な何かがあったと感じがあります。
いろいろやって、もっとも効果があったと思えるのは、
間違いなくトラウマ堀りです。
中略
私は本当に次生の契約の締結まで行きたいのです。
どうかそれまで、お願いします。
以上の、雨樹さんの、貴重な報告と、あわせて、
「朱いはがね」さんのブログも、お読みください。
相当数の人たちが、
これらと共通する毒親からの影響を受けたことは
間違いないことですから。
↓
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -