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[371]
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★分割自我復元★その371■ 『 毒親との離別宣言と実行の一例 』
by:
鈴木崩残
2014/07/13(Sun)22:34:34
「皆様からの報告の一例」
■非常に積極的かつ、慎重に、
AC人格を抹殺してゆく過程にいる方の報告です。
何度か、桜の間で引用させていただいたYNさんです。
*********
崩残 様
いつもお世話になっております。
6/17に崩残さんからのメールを頂いて以来、
「親との縁切り」について考えてきました。
何を持って、親と縁を切ったと言えるのか。
ただ心の中だけで、「さよなら」と言だけではないはず。
当然ながら、物理的に連絡を絶てばいいというものでもない。
それでは、
「あなた達とはお別れだ」というようにただ宣言すればいいのだろうか。
そうでもないだろう。
崩残さんから頂いたアドバイスを何度も読み返したり、
自分でも考えたりし続けてきました。
これは、希釈自我またはトラウマ持ちの人達の陥りやすい傾向でもあり、
また、自分自身の悪癖の一つでもあるが、
とにかく一つのものにしがみ付いたり、飛びついたりする傾向が強いと言う事。
つまり、「これさえやっておけば、うまくいく」
と思ってしまう傾向が強いということです。
私自身の過去を振り返っても、そうでした。
ある宗教団体を盲信し続けて、実に無駄な時間を過ごしました。
その団体では、「**を整えれば、全てうまくいく」
というようなことを言っておりました。
当時の私は、ものの見事に、それに飛びつきました。
「そうか。そうなのか。**を整えれば、健康にもなり、
人生もうまくいくのか」と。
今思えば、もう本当にバカ丸出しです。
世間一般を見渡しても、私の知る限り、同様な、「何々すれば、うまくいく」、
「何々だけやればよい」等、ばかりです。
話が逸れてしまいましたが、
今回のテーマである「親との縁切り」についても、
「ただ宣言すればよい」、「ただ決断すればよい」
というものではないということは、はっきりとしています。
親との縁切りを宣言することは、当然、大事なことであり、
言ってしまえば、実際、このような一言になってしまうと思いますが、
それに付随した条件または前提条件というものが複数必要であり、
かつ、宣言したり、決心した後も、継続して続けていく条件がある
と考えました。
心の中で、親との縁切りを宣言することは簡単だが、
その言葉に力を与えるものが必要だ。
何が必要だろうか。何を心構えしておけばよいだろうか。
何をすればよいだろうか。
いくつか考えました。
●今まで、トラウマ掘りをやってきたが、
この親は、もう本当に駄目だということについて、整理する事。
●返済計画を立てて、借金を返済中(今年の12月に完済)だが、
何とか、もっと早く返せないか。理想を言えば、即、全額返済。
●今後、仕事をなくしたり、病気になったとしても、
頼る人がいなくなるということについて、十分に考えること。
●今後、親から何かのアクション等があった場合の接し方を決めておくこと。
また、その時の親の言動によっては、自分の心が乱されることもあり得るという事。
●心の中で、決心する事、宣言する事、当然、物理的にも連絡を絶つこと。
●今回の「親との縁切り」と「心の中にある親の亡霊の抹殺」とは同じではないということ。
つまり、「親との縁切り」は、「心の中にある親の亡霊の抹殺」へと
至る為の大きな第一歩であり、今後も、この亡霊との戦いは続くと言う事。
これらのことについて、考察しました。
●今まで、トラウマ掘りをやってきたが、
この親は、もう本当に駄目だということについて、整理する事。
本題に入る前に、大変遅くなりましたが、報告させて頂きたいことがあります。
先日(6/15)にメールさせて頂いた時に、
「母親と電話している途中、何度呼びかけても、
母親がまったく返事をしなくなってしまい、
実際、倒れてしまったのか、わざと返事しなかったのか分からず、
私が不安とパニックに陥ってしまった。
その後、何度か電話をしたが、
留守番電話に通じ、不通になっていなかったので、
母親自身が自ら受話器を置いたことは確実で、倒れたのではなく、
わざと返事しなかった可能性が非常に高いであろう。
でも、実際に確認はできていない」というような報告をさせて頂きました。
結局、予想通りというか、案の状というか、母親の毒親ぶりは健在でした。
私自身は、最初、何回か電話した後からは、いっさい電話しておりません。
母親がわざと返事しなかったことが、ほぼ確実だったことと
万が一、本当に倒れていたとしても、
「もうそんなの知るもんか」という意地もありましたので、
絶対に電話をしないつもりでした。
今も、いっさい会話しておりません。
これについては、「変な意地を通す」という母親と同じ偏屈な頑固さが見え隠れしますが、
ここは、譲れませんでした。
しかし、私が仕事に行っている時に、妻が母親に電話をしました。
恐らく、心配に耐えかねたのでしょう。自然な感情だと思いました。
本来なら、私が、電話しないといけないのですが、私の意地っ張りに、
迷惑をかけてしまいました。申し訳ないと思っています。
いや、正確に言うと、心の奥底で、
「電話してくれて助かった」と思っていました。
このようなずるい心の内が自分自身にありました。
本当は、心配で不安でお母さんの声を、状態を知りたかったのですが、
自分では電話したくない。もしかしたら、妻が耐え切れず電話するかもしれない。
このようなことを考えていた自分がいたことに気づきました。
この悪癖は、母親譲りのものです。
母親自身も、自分が安全地帯にいて、亭主である父親を利用したり、
私を利用したり、弟を利用したりしてきました。
いや、今もし続けています。
ここでも、私はどっぷりと母親の悪癖をコピーしていることを思い知らされました。
おぞましいです。こんなの嫌です。
話が戻りまして、妻から聞いた所によると、
母親と会話した中で分かったことは、次のようなことです。
・私が電話をするまで電話に出ないと言っていた。
→私に心配させ、「お母さん大丈夫」と言わせたかったのだろう。
・私に色々言われて、辛くて、しんどくなってしまった。
→何を言っているんだ。あんたのおかげで、人生台無しだ。
私の気持ちを分かろうとしたことなどないじゃないか。
・私を虐待していた時の話になったらしく、次のように言っていたようです。
虐待していた時に、どうして泣かなかったのか。どうして何も言わなかったのか。
弟と私がどうして黙っているのか分からなかった。
何か言ってくれるのを、何か反応してくれるの待っていた。
なのに、何も言わず、黙っていた。だから、許さなかった。
→何を言っているのかな。とてもじゃないが、そんな雰囲気ではなかった。
あの何とも言えない威圧感、言えないような状況を作ったのは
あんたじゃないか。
弟がなぜ黙っていたか分からないが、あの虐待は、幼稚園の頃、
暗い押し入れの中に閉じ込められたことに始まる。
その時は、私は、「嫌だ、出して」と泣いた。でも、無駄な抵抗だった。
何度か繰り返されるうちに、私自身も観念したのです。
それが、特にひどかった小学校低学年の頃の虐待へとつながっている。
そのように何も抵抗しない子供にさせたのは、あんただ。
だが、恨みはない。最後の最後まで、自分自身を守り抜くために抵抗し続けず、
諦めた自分にも責任がある事が、今は、よく分かるから。
・ほとんどの場合において、私と弟が一緒に怒られて 虐待されていたが、
母親としては、差別がないように平等に怒っていたそうです。
→それは、あんたにしか通じない平等だ。
以上のようなことが分かり、予想通りのことをしてくれる母親でした。
しかし、同時に、私の心の奥底で、
「お母さんが怒っていなくて良かった」と非常に安心している自分の姿が
感じられました。
これは、本当におかしいです。
私は、まだまだ母親に嫌われるまたは見放されることを恐れているようです。
でも、一言で言えば、この母親は、やはり駄目だということです。
今までやってきたトラウマ掘り、そして、
最近のやり取りや事件等においても、明らかですが、
妻から聞いた内容だけからでも、この母親の正体は十分に判明しています。
結局、この母親は、息子である私がどのように思い、
どのような気持ちでいるのか考えようともしていないということ。
一見すると、私の事を心配してくれている態度を示してくれているように
感じることもあったが、その根底には、
実は、私を支配したいという欲望があったことである。
これには、随分と騙されてきました。
特に、お金や物をくれたことです。
私は、子供の頃から、
両親からお金や物を十分に与えられ続けてきたことによって、
甘やかされ、親から自立できないように調教されてきました。
今までは、そのお金や物を親からもらう事を当たり前のように思ってきた人間です。
中略
今後は、絶対に受け取る気はないです。
だから、母親が心配そうな顔をして、お金または物をくれる時は、
私のことを心配してくれていると思ったこともありました。
しかし、実際は、そうではなく、私を支配したかっただけだったのです。
過去のトラウマ掘りにおいても、最近の出来事においても、
それが明らかになりましたが、妻から聞いた母親の言葉で、
そして電話の途中に返事をしなくなったことでさらに明確になりました。
母親が私に対して行ってきた数々の悪行為の事実を話した時に、
母親が示した態度で、よく分かりました。
ここまで言えば、さすがの母親も、少しは反省して、
「苦しかっただろ。しんどかっただろ。今までごめんね」
というような言葉をかけてくれると少しは期待しました。
期待は、見事に裏切られました。
嘘でも、言葉の上だけでも、
私のことを心配してくれている振りをしてくれてもいいと思うのだが、
それさえも微塵もありませんでした。
母親の態度見る限り、最後の最後まで、
「私は、悪くない」と思っているように感じました。
それどころか、年老いた母親を苛めている親不孝の息子であるように仕向けられ、
まるで、私が加害者のようです。
本当は、私が、母親の被害者であるはずなのにです。
期待を裏切られただけではなく、予想以上の毒親ぶりで、
「さすがです。お母さん」と言いたいところです。
また、父親についても、ダメな事は明らかです。
父親の正体は、以前、父親の病気の件でもめた時に、
「借金を返せ」と言われた事で、明らかになりましたが、
結局、父親もまた、母親同様、
自分の言う事をよく聞く息子しか望んでいないということです。
父親の場合は、特に、自分の身体が弱った時や、
病気になったりしたときに心配してほしいということ。
そして、これまた、父親の都合のよい時に、旅行や温泉など
連れて行ってほしいと思っていることです。
逆に、自分が元気な時は、余り関わらないでほしいと思っていることです。
一言で言ってしまえば、母親同様、息子のことなどどうでもよく、
自分のことしか考えていないと言う事です。
このように、母親も父親も駄目で、
こちらから何かを期待しても何も得るものはないです。
得るものがないどころか、
関わることによって、よけいな被害を受けてしまます。
それであるならば、道はただ一つ、関わらないことしかないです。
やはり、この母親と父親は、親の責任や義務を果たせなかった、
ただの毒人間、いや、人間もどきだったと烙印を押さざるを得ません。
●返済計画を立てて、借金を返済中(今年の12月に完済)だが、
何とか、もっと早く返せないか。理想を言えば、即、全額返済。
父親に「借金を返せ」と言われ、返済計画を立て、
只今、借金の返済中で、計画通り進めば、12月には完済です。
あとは、自分が決めたことをただ実行するのみですが、
迷いはありました。
というのは、父親に言われた当初思ったように、
「そんなに金を返してほしいなら、即刻、全額返してやる」といって、
直ぐに返したかったという思いが捨て切れていなかったからです。
「親との縁切り」について考えることを通して、
この思いが、また浮上してきました。
・やはり、残金を一気に返してしまおうか。
無理をすれば、何とか返せる金額だし、その方が、すっきりする。
・いやいや、残金は、まだ、***万円もある。
毎月の返済額だって、今の私にとっては、相当な額だし、これで十分だ。
このように、また、迷い始めました。
しかも、このような思いだけでなく、
正直な所、毎月の返済額についても、相当きつい。
できれば、やめたいとも思っていた。
さらに、母親から、
「お父さんは、借金を返せと言うたけど、通帳も見ていないし、
あんたがいくら返したのか知らないよ。私が返したと言えば、
それで信じるんだから」と言われました。
これに対して、言葉の上では、母親に対して、
「お母さんが、どう言おうと、これは俺の金ではないから、必ず返す」
と言いましたが、
内心では、次のような思いが出てきました。
「お母さんが言うように、お父さんは、本当に知らないだろうし、
借金を返せと言ったことさえ忘れているかもしれない」、
「お父さんにとっては、大した金額ではないし、
たとえ返さなくても痛くもかゆくもないだろう。
お金を返すことに意味があるのだろうか。
ドブに捨てるようなものかも」
「私にとっては、大金だ。
これだけのお金があれば、どれだけ生活が楽か。
これで好きな事をしたり、好きな物を十分に買えるし、何かもったいないなあ」
このような声が、次から、次へと私の中から聞こえてきました。
元々、お金と物で甘やかされ調教されてきて、ぬくぬくと育ってきたAC人格です。
この悪魔の誘惑の声に負けそうにはなりました。
でも、最終的には、「絶対に負けないぞ」という強い声もありました。
しかし、このAC人格の声に、何日も翻弄され続け、
心がグラつきそうになったことは間違いありません。
結局、私は、このAC人格に打ち勝ちました。
いや、そんないいものではなく、ぎりぎり負けませんでした。
今回、またしても、迷いに迷いましたが、
最終的には、自分の意志を貫くことができましたが、
ここで、思うところがあります。
「これで、いいんではないか。
今の私では、このような過程(回り道)をしていくことは、仕方がないこと」
「理想的には、すんなりと行きたいところだが、
それは、妄想であって、現状の私では、なるべくしてなっているのだ」
「最終的に、意志を貫き通せればいいんだ。結果が全てだから」
このような時間も、ますます無くなってきていますが、
確実にやっていきたい。
それで、具体的には、6/29に、残金の***万円全てを返しました。
このような決断に至った決め手としては、次のような思いがありました。
「やはり、このお金は、私のお金ではないし、汚れたお金である。
このようなお金は使いたくない」
「父親にとっては、大したお金ではないし、借金を返せと言って、
私を十分に脅せたことで、もうどうでもいいかもしれない」
「だから、私の貯金が減って、私の生活が苦しくなるだけで、
父親にとっては痛くもかゆくもないかもしれない」
「いや、それでも、これは、自分の決めたことだし、
自分との約束を果たすだけだ。親がどうのこうのではない」
「このようなお金との縁が切れないようでは、親との縁切りなんて、
程遠い。これは、その第一歩であり、これは、私の宣言でもある」
しかし、今、思い出しても、父親との借金に関する母親の発言ですが、
やはり、この母親は、異常、極まりない。
前述しましたが、以下の発言です。
「お父さんは、借金を返せと言うたけど、通帳も見ていないし、
あんたがいくら返したのか知らないよ。私が返したと言えば、
それで信じるんだから」
このクソ母親に一言言っておきたい。
「あんた、それは違うだろうよ。
確かに、家の財布の管理は、お母さんがしているが、
そのお金は、あんたの金じゃないし、お父さんのお金だ。
お父さん自身が、私に、借金は返さなくていいというなら、
まだ筋が通っているが、お母さん、あんたが、なぜ、言う。
見えない所では、お父さんの支配をしているつもりなんだろうなあ。
まあ、普段、お父さんに怒鳴られてばかりだから、その腹いせか。
お父さんも、あんたに騙されていることも知らず、バカだが、
あんたは、もっとバカできちがいだ。
死ぬまで一生お幸せにして下さい」
●今後、仕事をなくしたり、病気になったとしても、
頼る人がいなくなるということについて、十分に考えること。
これが、怖くて、「親との縁切り」について、一歩を踏み出せずにいました。
具体的に言うと、この恐怖心は、次のようなものでした。
「親との縁を切ってしまうと、頼るべき人が誰もいなくなってしまう。
私は、友達もいないし、妻も働ける見込みはない。貯金もそんなにない」
「だから、仕事がなくなって、収入がなくなったり、
または、病気をして、大きな治療費がかっかったりしたら、どうしよう」
「実際、私は、そんなに身体が丈夫ではないし、
妻も同様に身体が丈夫ではなく、いつ大病するかもしれない」
「今でこそ、仕事に対する意欲が湧いてきていて、
周りからも信頼され、順調にいくと、このまま仕事は大丈夫かもしれない」
「しかし、この先、何が起こるか分からないし、
やはり、最後の頼みの綱として、あんな毒親でもお金があるから、
一応、縁は切らない方がいいように思う」
「いやいや、何を言っているんだ」
このように、否定的なことばかり考え、不安になり、
なかなか、この恐怖心を打ち消すことができませんでした。
「他の親から、自立した人達は、
いったい、どのような思いでやっているのだろう」
「結局、私は、親から自立できないのか、毒親と分かっていながら、
この汚らわしいお金に頼って、生きていかなければならないのか」
「いやいや、そんなの嫌だ」
「でも、この恐怖心を断ち切らないと先へ進めないぞ」
行き詰まってしまって、
どうにも、こうにも前に進んでいけませんでした。
ただ救いはありました。
完全に進路が絶たれたわけではありませんでした。
崩残さんから教えて頂いた「A」という方法です。
良からぬ思い(AC人格)が出てきて、ちょっとやばそうな時は、
特に意識して行っていました。
他でも、歩いている時、仕事をしている時、リラックスしている時など
できるだけ意識して行うようにしています。
この方法を行うと、視界が鮮明になり、
頭がすっきりとした感覚になることが多いですが、
特に自意識が強くなるというか高まるよう気がします。
「自分がここにいるぞ」という感覚が強まります。
その結果として、このような不安や恐怖心が出てきた時にには、効果が大きいです。
実際、不安や恐怖が和らぎます。
しかし、また、不安になったり、恐怖心が出てきます。
そのたびに、この方法を行ってきたわけですが、
これでは、イタチごっこです。
同じことの繰り返しで進展がまったくありませんでした。
一言で言えば、この方法は、自分という意識にカツを入れているとも
言えると思いますが、ただそれだけでは、意味がありません。
一時的に、自意識が強くなって、AC人格に対抗できるようにはなったが、
まだまだ十分に、その力を活用できていない。
というようなことに、最近、気づきました。
結局、AC人格をやっつけてしまわなければ、
何の意味もないと言う事です。
そのようなことを考えつつも、
この恐怖心にどう打ち勝ったらいいか分からない日々が続きました。
この恐怖心とは、いったい何なのか。
私には、名付けると、
「まだどうなるかも分からない未来に対して、
勝手に悪いイメージを持ってしまうというAC人格」があります。
このAC人格は、自分の知らない分野、新しい分野、苦手な分野に
関わろうとした時に出現してきます。
今回、親との縁を切って、新しい世界に行こうとしている時に、
このAC人格は、語りかけてきます。
「良くないことが起きるぞ」、
「だから、無理をして進まない方がいいぞ今の方が安心だぞ」
というようなことを囁いてきます。
その結果、私は、恐怖心に見舞われ、
それに翻弄されてしまっています。
このように、この恐怖心の正体は分かっていましたが、
どう打ち勝てばよいか、どう消し去れば良いかの答えが見出せませんでした。
このような事が原因かどうか分かりませんが、
体調の悪い日々が続いておりました。
元々、そんなに身体が丈夫な方ではないので、
今日は、絶好調というような日は、まずないのですが、
ここ最近は、特に体調が良くありませんでした。
でも、昔と違って、今は、仕事が楽しく、仕事場においても、
周りの人達と楽しくやっているということもあり、
仕事に行けば、何とかなり、体調不良で仕事を休むということは、
ここ一年以上、皆無でした。
それ以前の自分は、仕事自体が嫌で嫌でしょうがなかったので、
体調不良を理由に仕事を休むことが多かったのですが。
しかし、ついにとうとう、風邪を引き込んでしまいました。
熱も下がらず、全身も重だるくトイレに行くのにも
壁で手を支えながらでないと歩けないほど、体調を崩してしまいました。
今は、体調も何とか回復して、この報告メールを書いているのが、
7/12ですが、昨日と一昨日の7/10と7/11の2日間ダウンして仕事を休みました。
その2日間は、ほとんど寝ておりましたので、
過去を振り返ったり、
トラウマを掘ったりと自分を見つめ直す時間が、十分にありました。
実際、半分以上は、
余りにも身体がしんどくてうんうんと唸っていることが多かったですが。
その中で、この恐怖心について、
ちょっと視点を変えればいいということに気が付きました。
今まで、これに打ち勝とう、
消し去ろうということにしか意識の視点がなかったのですが、
そもそも打ち勝つ必要なんかないのではないか。
そもそも消し去る必要性なんかないのではないか。
この恐怖心は、あっていいのだと思えてきました。
むしろ必要ともいえるのではないかと思い始めてきたのです。
さらに考察を進めていきました。
私は、今までの人生において、
親の傘下にいて、一度も自立したことがない。
でも、自立して生きている人はどうだろうか。
私が感じるような恐怖心があるのだろうか。
もしくは、恐怖心はないのだろうか。
今までは、多少はあるだろうが、そんなに恐怖心がないから、
どんどんと進んでいけると思ってきた。
でも、ちょっと待てよ。
本当にそうなのか。
よく考えてみたら、そんなことは絶対にないはずです。
どんな人でも、例外なくお腹が空き、食べなければ生きていけないし、
食べられないことが続けば、衰弱して死んでしまう。
生きている限り、至極当たり前のことである。
現在では、その食べ物を得るためには、お金が必要だし、
お金を得るためには、仕事をして働く必要がある。
この食べないとお腹が空き、これが続くと、死んでしまう。
これは誰も避けられない事で、本能として組み込まれているはず。
このように考えていくと、
仕事をしない→お金が無くなる→食べ物が得られない
→お腹が空く→ついには、死んでしまう。
このように思う事は、
私だけが特別なのではないと思うようになってきました。
そうすると、自立した人達と私は、何が違うのだろうか。
私の場合、ずっと親の傘下にいたので、
この恐怖心とまともに向き合う事がなかった。
親が向き合っていたので、私自身が直接に向き合う必要はなかった。
子供の頃は、これは当たり前で、当然の権利ですが、
大人になって、実際は、自分自身も働いて、
見た目上は自立しているように見えても、無意識下においては、
子供の頃のままで、親に依存し、自立した人達が当たり前に感じる、
この恐怖心をまともに感じることをしてこなかった。
結果として、この恐怖心の扱い方を学んでこなかったのです。
だから、どう扱ったらいいか分からなかったのです。
だから、闇雲に恐怖心を肥大化させてしまったのだということに気づきました。
ようやく、親との縁を切って、自立の道を歩み始めようとした為、
生まれて初めて、この恐怖心とまともに向き合う事になったので、
どう扱ったらいいのか分からないのは、当たり前です。
これから、扱い方を学んでいけばよいのだと思いました。
●今後、親から何かのアクション等があった場合の接し方を決めておくこと。
また、その時の親の言動によっては、自分の心が乱されることもあり得るという事。
先月の6月下旬頃、父親から退院した旨の電話があり、
父親と話してから、父親と会話していません。
母親とは、6/15以来、一度も会話していません。
6/29に借金を全て返したが、私の方からは、特にお金を返したことは伝えていません。
話す必要もないし、話したくもなかったからです。
そして、振込をした口座は、母親が生活費のために利用しているものですから、
必ず、引き落としなどして、通帳の記帳状況を確認していることは、
間違いないですから、知っているはずです。
しかし、それについて、何の反応もありません。
ある程度は予測できたことであるが。
このような親の無反応については、散々やられてきました。
また嫌な記憶を思い出しました。
過去に旅行や温泉に連れて行って上げたり、父親が体調を悪くしたり、
または、母親が体調を悪くしたりした時に、
両親の為を思って、本当に色々として上げました。
普通の感覚なら、何か物を貰ったり、何かして貰ったりしたら、
嬉しかったら喜ぶだろうし、不満だったら、不満そうな顔をしそうなものだと思います。
だが、私の両親の場合、感情の神経がどこか切れているのだろうか。
とにかく無反応なのです。
嬉しいのか、嬉しくないのか分からないことが、ほとんどでした。
これほど、何かをして上げるというやりがいのない人達も
なかなかいないのではないかと思います。
それでも、以前は、親に調教されたままの人間でしたので、
必死になって、両親を喜ばそうとしてきました。
でも、今は、それをやる必要がありません。
話が逸れましたが、
今後、親から何のアクションもないことも考えられます。
今までは、それに対して、私の方が痺れを切らして、
「お父さん、お母さん、どう、元気」というように電話をしたりしてきましたが、
今後は、私の方から、一切しないので、間違いなく親から動くと考えられます。
まあ、多分、両親のどちらかが病気したりとかした場合、
つまり、彼らに何か不幸があった場合に限られると思いますが、
あと、「正月は、帰って帰ってくるのか」ぐらいです。
中略
また、親の言い方によっては、腹が立ったり、
感情的になったりすることもあるだろうけれども、
それはそれで、その時の自然な感情に任せてしまえば、いいと考えています。
今までのように、その結果、嫌われたりすることを、
もう恐れる必要もないわけですから。
●心の中で、決心する事、宣言する事、当然、物理的にも連絡を絶つこと。
ここまで、「親との縁切り」の為に、色々と、考察してきましたが、
両親に対して、心の中で、次のように、宣言します。
「あなた達のおかげで、私は、今までずっと不幸な人生を送り続けてきました。
断言します。
あなた達を親として選択したことは間違いでした。
だから、金輪際、あなた達とは関わりたくありません。
また、あなた達のおかげで、私は、間違った人格を育ててきました。
その人格は、あなた達にとって都合の良い人格かもしれないが、
私にとっては、この上もなく、有害です。
だから、私は、何れ、この人格を殺します。
すなわち、私は、あなた達の知っている優しい息子ではなく、
その息子を殺したいと思っている敵であると言う事です。
だから、私の事を恨んで結構です。
今後も、あなた達が正しいと思う人生をどうか歩んで下さい。
それは、あなた達の自由です。同様に私も自由です。
それでは、さようなら」
●今回の「親との縁切り」と「心の中にある親の亡霊の抹殺」とは
同じではないということ。つまり、「親との縁切り」は、
「心の中にある親の亡霊の抹殺」へと至る為の大きな第一歩であり、
今後も、この亡霊との戦いは続くと言う事。
「親との縁切り」を決心した今、
「心の中にある親の亡霊の抹殺」すなわち、AC人格の抹殺に向けて、
意識の視点を切り替えて行きたいと思います。
それに向けて、何をやっていけばいいだろうか。
・AC人格列伝の作成、崩残さんから、やるようにアドバイスを頂いていましたが、
いまだにできていません。最優先でこれをやっていきます。
・継続して、トラウマ掘り、さらなる記憶の掘り起こしを行っていきます。
・興味があったり、楽しく感じることは、たとえ未経験であっても、
やってみること
これらを最優先してやっていきたいと思っています。
最後になりましたが、
「親との縁切り」について、ようやく決心することができたと思います。
両親に対して、心の中で、離別宣言をしたわけですが、
この宣言を、有効に生かして本物にしていくか、
ただの言葉上の叫びだけに留まらせるかは、
今後、これを実践し続けるかどうかにかかっていると考えています。
この宣言を心に銘じて、日々を生きていきたいと思います。
報告は以上となります。
_____________________________
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