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★分割自我復元★その372■ 『カルマの法則など真っ赤な嘘である』
by:
鈴木崩残
2014/07/14(Mon)08:04:58
カルマの法則など真っ赤な大嘘である
●昔からそうなのですが、私は、個別に、それぞれの人に
助言することが、全く違います。
ここのところ、何人かの生前の記憶に関わっているために、
その傾向は、ますます大きくなっています。
たとえば、Xさんに言ったことは、Zさんには絶対に言ってはならない
ということだったり、その逆もしかりです。
その時々の位置に応じて、まったく正反対の指示をすることも
頻繁にあります。
とうぜんその理由は、個別に事情が全て違うからです。
しかし、今回は、誰にとっても、全員に共通することなので、
少しだけ書いておくことにしました。
●私は、常に「結果主義」です。
故に、人が口で言う、能書きを全く相手にしません。
だから、「わかっていますよ」「知っていますよ」「やったことありますよ」
というこれらに全く取り合いません。
だったら、現実の実力はどうなのか?
それしか評価しません。
努力自体は、その質を見て、評価することもありますが、
「ほら、ちゃんと努力していますので、それぐらいは認めてください」
これは全く認めません。
結果を出すということは、明確に現象化するかどうかです。
また、明確に本人の中で影響するどうかであり、
それが唯物的であっても、精神的なものであっても、
結果の出ていないものは、全く評価しません。
私は、ネットが普及する前からも、本当に口先だけの人たちを見てきましたが、
ネットというものが蔓延してからは、
匿名性を悪用して
(本名であるか否かが問題ではなく「ハンドルを固定しないような奴」が)
ほんとうに、いつでも逃げられる状態にしておいて、
口だけで、中身はどうしようもないという状況を見てきました。
その点で、私は最近、放射線測定所の方たちとやりとりがあるのですが、
彼らは、社会的にも、きちんと表に出ていますので、
たとえ、意見が合致しても、また食い違っても、一定の信頼感があります。
それに対して、どこのウマの骨とも明示のない者、
特に、ブログやホームページを作るたびに、違うハンドルを使うような阿呆、
一定した人格を責任を持って引き受けらない者には、
本当に、無責任で、中途半端で、だらしない、ダメ人間が多いのです。
●さて、今回はその手の話ではなくて、
カルマの法則など、「嘘」である、という点についてです。
私が成果主義であり、結果を出さないものは評価しない、
というこの姿勢は、
人間社会以外の全てのものにも、投射されています。
あくまで、これは私の認識なので、無理に理解する必要はありませんし、
過去から言われてきたことを盲目的に信じていたほうが、
あなたの信念体系や、どこかのカルトや宗教の「ぼったくりビジネス」として
都合がいいのであれば、いつまでも、幻想を信じていればいいのです。
ただし、そういう者は、この私には、関わらないでください。
●カルマの法則というのは、「自業自得」「因果応報」とも言われていますが、
「一面だけでは」それは真実でもあるのですが、
ある一面では、全く正しくありません。
それは、再三にわたって、
この桜の間で、自我復元とからめて説明したように、
本人の「同意」を取れつけたことにおいては合法でも、
その本人を、催眠にかけていたら違法というのと同じです。
●私は、結果主義、成果主義ですので、
このカルマの法則なるものを標榜したり、流布した連中
(それが人間であっても、人間でなくても)に対しても、
それが全く効果を発揮していないことを、ここで指摘しておきます。
●ここで、
誰にとっても、とても分かりやすい事例をあげてみましょう。
イスラエルに生まれ、パレスチナ人を沢山殺した人が、
次に生まれるときに、
「あんたさー、パレスチナの女子供を沢山殺したよね。
ちょっとは、相手の立場を経験して、考えて、反省しろよ」
とか言われたとします。
それで、その人がパレスチナに生まれたら、どうなるでしょう。
単に、前には、近代的なミサイルだったものが、今度は投石に変わるだけで、
憎しみは依然として続きます。
では、「ちょっとは相手の立場になって、考えろ、反省しろ」は達成されましたか?
この目的は、全く達成されていません。
●つまり、「カルマだから、今度は逆の立場を経験しろ」
という屁理屈を持ち出したところで、
それを実際に経験した人は、バランスが取れるどころか、
ますます、敵を恨むようになり、ますます、戦争になります。
恨んで、恨まれてを繰り返すのみですから、
この結果から見ても、死後の中間状態で、よく悪用される、
「因果ですから、今度は、逆の立場で学びなさい」
は、真っ赤な嘘です。
その嘘を信じたあなたが、無知だった、
「この宇宙という世間」を知らなかったというだけのことです。
●しかし私が見たところ、
この「罪悪感」を抱かせられた人たち、
あるいは「何かを積極的にして、貢献しないと、
悪いように思って、とりあえず、自分がすることを、慌てて決める」
こういうトラップを逃れている人は、ほとんどいません。
無明庵の読者に関しては、全員が、簡単に、カルマなるものを信じています。
●ところが、それは、結果を見れば、
「本人のバランスを取る」「学ぶ」といったことに、まったく寄与しておらず、
結果としては、憎しみの対象が移動しているだけで、
いわば、恐怖と憎悪を人間の中で「生産し、培養したい側」にとっては、
裏で舌をペロリと出していても何らおかしくないほど、
子供騙しのようなへ理屈、それが「カルマの法則」なる詐欺です。
●カルマとか、前に何をしたから、とかを持ち出すと、
「はい、わかりました」となってしまうのが、
人間が洗脳され続けてきた「罪悪感」を悪用した詐欺です。
しかし、私に言わせると、本当のカルマとは、
自分が望んだとおりにしなかったこと、
自分の望みを精査しなかったこと、
自分で引き受けたり、妥協した、その結果が、自業自得なのであって、
それ以外のことに関して、
あなたの行為が、別の生物や対象に対して、
それが、どういう行為であったか、ということは、ほとんど関係ありません。
自分に嘘をつく以上のカルマなどどこにもなく、
それは行為の種類によって、
「相手の立場になって学べ」とか言われる筋合いはないのです。
●たとえば、あなたの毒親が、実は、あなたが前の生で、
さんざんに、虐げて、虐待して、軽蔑して、不自由な目あわせた
その「当人たちだった」とします。
すると、あなたは、死後に、中間状態に、
「あんなにひどいことをしたのですから、
今度は、あなたが、彼らの子供として生まれて、
自分がそういう目にあってみて、考えなさい」
とか言われたら、あなたはそれを、疑うこともなく信じてしまいます。
死んだばかりで、夢でも見ているかのように、
あなたは、ボケーっとしているのですから、なおさらです。
しかし、仮に、事実、前世がそういう関係だったと仮定して、
この生で、あなたは、何かを反省したり、
自分が虐待した相手に対して理解したり学習したでしょうか?
全くしてません。
せいぜい出来たのは、あなたを虐待したりいじめた相手に対して、
「おとなしくしている事」「逆らわずに穏便に従うこと」「こびること」
あるいは「相手を許せた自分は偉い」と、自画自賛の自慰にふけること、
どうあがいても、その程度の安っぽいことしか、できません。
しかし、現実には、
ただ、憎しみが連鎖し、繰り返され、やられたから、やりかえす、
それが繰り返されるだけです。
もしも、次の生になったら、あなたは、
「トラウマを掘ってみたら、私のあの両親は、私にこんなことをした。
絶対に許すもんか。
今度は私が、彼らの親になって、同じように、いびって、不幸にしてやる」
となるに、絶対に、決まっています。
それに対して
「いえ、その前は、あなたが加害者で、
その前は、あなたは、被害者で・・・・以下、延々と、同文」
こんな説明を繰り返しても、何の解決にもなりません。
●結局は、彼らが言うところ、
つまり、宗教や、カルトが言うところの、
「結果」も「成果」も全く出ていなくて、
出た結果といえば、
カルマにおびえ、あるいはカルマを理由にしては、
それを自分の行動の理由として、でっちあげたり、
あるいは、どうせカルマがあるので、今、修行しているのです
といった、しょーもない屁理屈にしがみついて、
結果として、「カルマの法則という強迫観念商売」のカモにされているだけです。
それは、戦争ビジネスと全く同じで、
いつまでも解決することがないカルマであり、
解決しない方が儲かるので、解決しないことをその目的としており、
あげくに、「解脱すればカルマから開放される」とかやっている馬鹿どもが、
よく知られたああいうカルト宗教である。
●しかし、そんなものは、自我を復元した上で、
ある簡単にこと気づけば、影響されなくなるのであり、
へんてこな瞑想や、奉仕活動など、全く何ひとつも必要ありません。
ごく簡単な「理」を、深く、本心から理解すればいいだけです。
●それは、たとえば、こういう事実です。
「他人から、優しくされた経験のない者が、
いくら、他人の立場になったところで、
その者は、決して他人に優しくできない」
言い換えると、
「他人に優しくするには、他人の辛さを理解し経験することが必要である、
というのは、完全な間違いである」、ということである。
そもそも、「経験したことのないものは、他者に行うことは出来ない」
相手の苦しい立場を理解しても、相手には優しくはなれない。
出来るのは、せいぜい、傷を舐めあうだけ。
この基本的な「理」が、きちんと、あなたは分かっているだろうか?
何かが、何か別のものに優しくしたり、
あるいは、何かを愛でたり、溺愛したり、
相手のことを配慮したり、
こうした行為は、その行為者が、
それを「したいからする」のであり、
何よりも、それを他人からされた経験を豊富に持つから、
当たりまえに、するのであり、
それは何も「相手を理解するため」であったり、
「罪滅ぼし」のためになど、行うことではないのですよ。
あるいは、自分を認めて欲しい、
などという「見返り欲しさの下心をまるだし」にして、
相手に対して、行うべきではありません。
●もしも、罪滅ぼしのためや、相手の立場を理解するため、
または、相手に認められたい、褒められたいから、
そのような下品なものの為の行為だとしたら、
それは、「あなたの勝手な学習やAC人格の都合で、他人を利用する」
というまさしく、(私から見れば)犯罪的なことをすることになります。
●いたわられたり、大切にされる環境を、きちんと「経験してきた者」は、
それを他者にも自然に行うだけです。
それは遺伝的なものですらあります。
それなのに、
そうした、優しくされるという感覚と感性を持っていない者、
経験をしていない者に対して、
「お前は、前の生で、あんなに身勝手で、他人の事を考えず、
他者を虐待すらしたな。だったら、逆の立場になって学びなさい」
などと、あることないことを言って説得させて、生まれる時の契約に同意させても、
そもそも、自分に経験のないものは、他者に向けては出来ないのです。
出来ないものを、無理に、脅してまで、
義務や、学習や、カルマの清算と称してやるのであれば、
それは、全く人生に、楽しいものや、安心できるものなど、
なくなってしまいます。
●では、そんなことの結果として、
この世界で、何かが「改善」されたでしょうか?
私には、とてもそうは、思えません。
●ある自分の行為の結果として、
自爆しようが、殺されようが、
苦しみもだえて死のうが、自殺しようが、
それらの自己決定に対して、
胡散臭い、他者の世界観、他者の信念体系、
(いやそんなも耳あたりのいいものではなく)、
「他者のやっている詐欺」には、絶対に屈しないことです。
●自分が選んだもの、同意してしまったものに対しては、
確かに責任があり、そこから物事は、展開してゆきます。
しかし、その選択や、同意の根拠の部分に、
この地球の管理局、田舎不動産屋が主張するような、
そんな、罪滅ぼしの義務など、あなたには一切なく、
宇宙は、そもそも、罪滅ぼしにあなたが時間を無駄にするよりも、
強いて言うならば、どんどんと、失敗しても、
「新しいことをして欲しい」という「一面」があります。
その一面が、行動理由として、
あるいはその根拠の正当性がどうかは別問題としても、
少なくとも、あなたは、
これはカルマだから、
前世があまりよくなかったから、
他人に罪深いことをしたから、
生まれつき、どうせ、罪人で、贖罪しないとにらないから、
と、そんな、しみったれた事に、脅されて、生きていたら、
そもそも、それは、地球で行われた、
最初の計画、最初の実験、またはサービスであった、
「自己意識を生物に付加した上で、
自己責任の下に契約する 人間という体験」
これに完全に違反する別の勢力と、
あなたは契約してしまっていることになります。
●よって、
キリスト教の原罪など、全くの嘘であり、
東洋宗教の、極楽や無間地獄など、全くの嘘であり、
それらが嘘ではなく、機能するのは、
そんなものを、安直に信じて「騙された、あなた」がいるからです。
はっきり言って、それらは「詐欺」です。
その、自分が受けている屈辱を理解できない人は、
自我復元などしなくて結構ですから、
絶対に終わらないように出来ているカルマの清算ごっこをしていてください。
一方で、私は、この単純な詐欺ぐらいは、
自我復元者には、理解していただき、気づいていただき、
二度と信じないことを誓っていただきます。
●なんといっても、結果主義、成果主義から見れば、
カルマの法則を押し付けて洗脳したところで、
地球人類は、全く何も改善もされなかったのですから。
全く、何も創造的になったわけでもなく、
全く、生き生きとした感覚を経験できたわけでもなく、
全く、喜怒哀楽の感情経験を、十分に満喫できたわけでもなく、
カルマの法則というカルト、
あるいは、天国や地獄という脅迫によって、起きたことはただ一つ。
あなたは、無気力で、淀んだ目をして、
まるで生を引きずるかのように、死んだような無感覚の中をさまよい、
「苦しみ」「悩み」「葛藤」「憎しみ」「不安」「恐怖」「戸惑い」
これが増大しただけです。
つまり、これは、現在の地球を仕切っている「悪徳産業側」にとっては、
大きな儲けと、安定したエネルギー、または収穫物になっています。
●では、皆さんに問いますが、
昨今、ブラック企業のものは、不買運動をしろというのは
分かっていますよね?
国民の持つ最大の武器は、それは、選挙権ではなく、
消費者としての不買行為です。
であれば、あなたは、悪徳カルマ商法の示す「転生商品」や、
悪徳不動産の薦める「人生物件」など、買わなければいいのです。
●そして、
皆さんが、いざ、本当に自分がしたいこととは何かを自問したときに、
それが分からないのは当たり前なのです。
なぜならば、今日まで、皆さんの多くがしてきたことは、
したいことではなくて、
親や他人から、馬鹿にされないように、
他人から、攻撃されないための、消極的な立ち振る舞い方、
自分が自分が惨めにならない、「いい訳」の捏造を妄想すること、
ほどほどに安全で安定した生活の維持、
劣等感から、何かを見返すための自分の出番待ち、
自分の好きな分野だと、勝手に思い込んでいただけで、
親から引き継いだものであったり、
前述したようなものしか、漠然と目指していなかったのですから、
いまさら、急に、自分のしたいことが、すぐに分かるわけがありません。
それは、前の前世を探っても、分かることでもありません。
●それは、自我を復元し、トラウマやAC人格を処分したあとで、
「これから」見つけるもの、新しく作り出すものなのです。
___________
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