▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[383]
■
★分割自我復元★その383■ 『前世の記憶とミッションの扱い方の難しさ』
by:
鈴木崩残
2014/08/10(Sun)04:55:56
生前記憶の想起とミッションを一時中止
■現在までに生前記憶の探索は4名、ミッションは2名の
自我復元者、復元完了者の方に、お願いしましたが、
今は、いったん、中止にしています。
■まず、生前記憶、特に、ひとつ前の生の記憶と、
中間状態で、今回の生の選択をした際の記憶というものは、
前にも書きましたが、
それは、トラウマ掘りやAC人格分析の姿勢の延長線にあるもの、
という認識が絶対的に必要です。
今のところ、4名の人は、そのことはいささかも踏み外していませんでした。
■ここを踏み外す、とはどういうことかと言いますと、
トラウマやAC人格問題から現実逃避をしたくて、
「前世の自分を見たい、知りたい」と、
漠然とした「横道」にそれてしまったり、
「前世の自分は今より少しはマシだっただろうから、
何か使えるものが見つかるかもしれない」
とか、または、
「どうせ前世はこうだから、今がこうなんだ」と安直に結びつけたり、
とにかく、これも前に言いましたが、
立証ができない世界であるだけに、
本人がAC人格をまだ持っている段階で前世という曖昧なものを扱えば、
ご都合主義の願望がどんどん「投影」されてしまうわけです。
今回の4名には、少なくとも、それはほとんどありませんでした。
小さなミスリーディングはありましたが。
■とにかく、前世というものは、何かそこに希望を託したり、
または、原因を押し付けたかったり、そういう姿勢では活用できません。
何度も言いますが、今回の生でのトラウマ掘りとAC人格分析の、
「その延長線上の作業」として前世探索があります。
ただし、物理的な脳にある記憶ではないので、やや難しいのですが。
■さて、そこで、
今回のトラウマとAC人格は、今回の親から感染したものですが、
では、それらの影響をとっぱらった状態では、ピュアなあなたがいたのか?
となると、これは在り得ません。
当然、そこには、今回の生を決定し、選択することになった、
以前のあなたの「性質」「好み」「背景」があるわけです。
これについては、マディアさんも、Abyさんも、黒丸さんも、
その背景について、かなり現在と一直線上に並ぶ記憶を掘り出しました。
●ところが、では、前の生の中に、現在、またはこれから使える良き材料があるのか、
となると、実は全員とも、それはありません。
こう書くと酷に聞こえますが、ないものはないのです。
■なぜないか?といいますと、
たとえば、今回ACの元、トラウマの原因となったものは、
あなたの両親個人という歪んだ人格というよりも、
総じて俯瞰すれば、それは、どこの親にもある程度共通し、
世代間連鎖の過程でも、それらは、ほとんど同じパターンでした。
つまり誰か個人が、あなたにトラウマを負わせたり、虐待している
というよりも、地球に固有の「集団的自虐」「集団的虐待」であることは明白です。
これが、今回の皆さんの生の中で親からなされたわけです。
■ところが、どんどん前世を前へ前へと探索したとしても、
たいていの場合には、同じようなパターンの繰り返しが出てくるばかりです。
そこで問題になるのは、
今度は親子間で形成されるトラウマやAC人格ではなくて、
家族形態が今とは異なっていた古い時代の中でも、
それでもトラウマやAC人格は形成されてきたということです。
ここらへんに至ってくると、今度は、
集団的な世代間連鎖をしてきた親子関係によるものではなくて、
もう一個広い枠の中でのトラウマや、地球規模の事件や、あれこれの
個人の枠を超えたトラブルが関係・関与してきます。
何しろ、そもそも自我の分割自体が、
皆さんが望んだことではないのですから。
■したがって、まず最低限、今回の生でのトラウマやAC人格に
今回の親というツールを使って、徹底的に向き合えば、
それは、もう少し範囲が広い外圧に対しても、パターンとしては
似ている面があるので「応用がきく」ということです。
そこで使われるのは、
他者や社会に対して、斜に構えたような分析力や、批判心では断じてなく、
自分の思考と、自分自身の感情に対する徹底した客観視の姿勢です。
■何度もいいますが、
この現実世界の基礎的な生活姿勢というものが、
向こう側の別の世界でも反映されるからです。
精神世界やオカルトは
「別のところ、または交差する点にある現実」なのであって、
それは今ここにある現実を誤魔化したり、そこに泥を塗るために、
妄想したり悪用するものではないと、私が言い続ける所以です。
■このようなわけで、AC人格が十分に掘れている人だけに
生前記憶の探索をお願いしたつもりでしたが、
予想外に、上手くいかないケースもありました。
■ミッションについては、少し前にマディアさんと私が、
先に、あとから来る方のための「あるもの」を整備しようと
少し試みてみたのですが、今は中止しています。
最初にミッションを試験的にして戴いたのは、もともと明晰夢や
体外離脱的なことが得意だった、黒丸さんでした。
「バナナを創った宇宙人」の執筆中にお願いしたので、
もっとも早い段階で、テストをお願いした人でした。
それでも当時から、いろいろなトラブルや難しさが起きました。
●これはマディアさんも、黒丸さんも共通した認識ですが、
死後のミッションでは、
「自分が意識をむけた部分しか知覚が成立しない」という点です。
夢であれば、勝手にある程度風景や情景がセットされていて、
物語も勝手に進行してゆく面がありますが。
●しかしミッションでは、ものをひとつ見るにも、少し移動するにも、
視点を移動することすら、意志と関心によってなされるのです。
これがいささかでも揺らぐと、集中力が続かずに、焦点があわなくなります。
現実は、自分が創っているのだ、あるいは自分が選ばないと存在すらしてくれない、
そういうことを体験することになったわけです。
■現実というものは、皆さんは、自分の周囲で勝手に動いて
勝手に存在して、勝手に皆さんを翻弄したり混乱させていると想っていますが、
別の世界では、何から何まで自分で作り出さないと存在すらし得ない
そこにある現実の一面すら切り取って認識できないという側面があります。
こうしたこともあり、AC人格が十分に分析されつくしていなければ
対処できないのです。
いわんや、スケッチブックに描く自己イメージが浮かんでこない、
描いても、正直なところ自分で実感がない、といった状態では、
そもそも、異なる次元に存在する意味すらないのです。
■この問題について、「断片」のメモ書き程度なので、
参考になるかどうかはわかりませんが、
少しですが、私のメモを転載しておきます。
皆さんの生を取り巻く諸事情
弱肉強食が断じて自然法則ではなく、作為的法則であると知ること。
また実際には生物学的な進化は起きておらず、
その設計目的は別のところにあったと知ること。
その目的とは、毎回同じ安定的な資源として搾取し、
エネルギーを得るために生物を故意に劣化させたり捕食させたということ。
人間の味覚の好みという身勝手により、
より甘いトマトを作るには水の少ない過酷な環境の方が良い。
これと同じ理由で「より困る事」が多い生物を作ることによって
我々の上方にいる存在たちが得られるものがある。
たとえば、キュウリ自身は「来年はすっぱくなってみたい」と思っていても、
誰かがその意志を奪って殺す。
これと同じく、前の生の記憶を喪失するというルールに同意させれば
奴隷化できるという利点があった。
●宇宙においても、その一部分にすぎない、
悪い意味での知的生物が まだ幼年期にある時には、
自然法則を崇拝したり その法則の一部を応用できた気になる。
ところが視点移動により、
誰も全生物など擁護もしておらず、大切にもせず、
誰も、自分のことなど見守ってもいなく、
ただの資源として扱っていた事実を知った段階になると
ようやく宇宙でも成人したということになる。
が、しかし、この成人にまだ達していない異星人たちも多く存在する。
地球上では誰一人として信じないであろうが、
別の次元では常識のひとつに次のような事実がある。
それは 「人間型」の生物は、
お互いに殺したり、苦しんだり、悲しんだりを
「強烈に、したくてやっている」という事。
そもそもそれを、 強烈に望んだ事が、過去にあるということである。
それは、個人で望んだというよりは集団で望んだと言える。
●意志すればすべてが思うようになり、
意志すれば「その知覚の主観」の中においては万能で、
その自由さに制限はない。 完璧な不安の不在と自由さを持つ。
もしもそのような世界に何億年と存在したらば、
あなたがどうなるか想像はつくだろう。
必ず「自分の意志どおりにならない世界」に 憧れるものなのだ。
完璧な自由と万能性を備えた空間にいれば、
必ず生命感と生きる意志は「枯渇」する事は必至である。
となると 意図的に振動と運動を引き起こすためには、
思考が「焦り」「困り」「死にたくないと思いこみ」
その結果として、個体が、よく動きまわる原因になるような
「苦(つまり回避したい衝動にかられるような対象物)」を、
わざと創作すればいいのである。
地球にヒューマノイドを投入したり、移植した初期には、
この生物実験は、とても上手くいっていた。
それまで食べて排泄するといった、
そうしたごく基本的な感覚すらも知らなかった主体にとっては、
わざと不自由に設計された肉体からの知覚を経験することは、
病気や苦痛や死さえも当時は、その何もかもが感動的な体験となった。
ただ、失敗点は、バランス欠くほどに、それを「やり過ぎた事」だった。
「やり過ぎた」というのは、つまり、
「死や苦痛(空腹や寒暖や怪我による苦痛)を 回避しようとする衝動」の
そのプログラムがあまりにも行き過ぎてしまったことだった。
その結果、生物たちは、
「死にたくないと叫んでは、よくエネルギーを発生」したのだが、
それもやりすぎてしまい「死にたくなってしまう弱い生物」も発生した。
●この基本的かつごく単純なミスに管理者が気づく事になるために、
今から約4000年先の地球では、
生物が発生する「生存本能」は現在の約1/8にまで抑制される。
つまり、死ぬ事に大した危機感を感じない生物に改良される。
この地球での体験ツアーは、
現在のような中毒性と、記憶喪失による奴隷化という側面を改善し、
また、その体験との契約は、例外を含めても、3度までと制限される。
「地球2号」を創るという計画を私が彼らから聞いたとき、
私は別の太陽系に作るのかと思って彼らに尋ねたところ、
現在の地球を作り変えるようであった。
未来の地球にはエジプトにはピラミッドもなく、
一切の人工的建造物は無かった。 人類も存在しなかった。
ただし「複製された人体」は存在したが現在とは違う目的によるものだった。
そういうわけで「長期的なスパン」で見れば、
人間が作り出してしまった人工の放射性物質なども
跡形も無く消滅しているし、また隕石の衝突もないので、
私個人の自分の寿命を超えた 「長期的な視界」では、
実は個人的には何も心配もしていない。
また未来の地球は、今よりずっと美しく植物(今より全体に形が大きい植生)
に満たされることになるだろう。
その「計画中」の未来へと至るプロセスに位置する「現在」、
非常に面白いものが、「たまに」であるが上空を巡回している。
それは人間がその歴史の中で発生した、喜怒哀楽や多種の感情を、
採取し集めてゆく機械である。
これまでに人間が経験してきた 幸福感や楽しさの感覚も、
精査選別されて、地球2号で、来訪者・契約者が経験可能な形に製品化される。
●地球2号のよう惑星(娯楽施設)が完成した時に、
もしもあなたが 「たった一度だけ人間というもの経験できます」
と言われた時に、
その世界での知覚経験を形成する一要素である
「楽しいという感情サンプル」を、
自分は誇りを持って提供できるだろうか?
それを今いる世界の中で「自問」するといいだろう。
●理想を言えば、他者が経験してきたような楽しさは、
他の人の記憶で間に合うのであるから、
どうせならば、自分以外に誰も経験していない楽しさを、
将来の地球2号に提供したいとは思うものである。
しかし、こうした「自分は他人とは違うのだ」と思いたがるところに
AC人格はすぐに寄生したがるので、注意が必要である。
●人間が経験する心地よさは、
深い安心感→ちょっと楽しい→強烈な快感と、
そのレベルはいろいろだが、
その中には、面白いものもあれば、
実に、くだらないものもあるのは、いたしかたない。
●喜怒哀楽や、安心感、快感の他にも、
地球上で人間が経験した五感の感覚も収集され記録されている。
味覚、聴覚、視覚、触感、臭覚と、それに付随する感情などである。
その中でも、とりわけ面白いのが「笑う」という神経信号である。
これを専門に人間から採取しているチームがある。
ただし、よくありがちな下品で下劣な笑いや、軽蔑による冷笑は却下され、
多少なりとも品格のある笑いの感情だけが採用されるだろう。
■ ■ ■
人間の思考パターンに対する考察のなさと、
それに起因する人間の考える
「幸福というものの自己イメージの貧相さ」が、
戦争が消えない主原因であると私は思うときがある。
何が幸福と言えるのかを、
絵空事でもいいので「具体的に構築してみて下さい」というと、
出てくるものは、なんとも薄っぺらな内容が多くなるのである。
これは、生活の時間の大半が、意味ある思惟よりも、
AC人格に起因する全く無駄な思考に費やされる事が、
その原因でもあるのだろうし、食べることに追われ続けるのも一原因である。
●その結果、
「もしも、何でも願いがかなうとしたら、
どんな存在となり、どんな世界をつくり
どんな宇宙を作りますか?」と人々に問うと、たいていの場合には、
「***に困らない世界」と言い出すのである。
つまり、不幸や困りごとをまず前提にして「それがない世界」、
それを幸福の基準にしている。
不幸のイメージなしに、
純粋に心躍るような幸福の拡張をイメージできないのである。
この時点で既に最悪の不幸の渦中にあるのだが。
●では、プラスからプラスへと増大してゆく幸福を、
どのようにイメージするかと問うと、
「既知の幸福感が、もっと大きくなった状態」と願うか、
「機知の幸福感が継続して欲しい」と願う者が多い。
最高にハイな神秘体験でも、オーガズムでも、安心感でも、充実感でも、
不老不死でも何でもいいが、
人々は常に、まず自分が経験した、
「既知の幸福感の記憶」を前提にして、
それを、「より多く、大きく、」または「ずっと経験したい」と言うのだ。
だが、これ自体が実に不幸なのだ。
●また、こういった話を、誰かが耳にすると、必ず反射的にこう言う。
「そうよねー、身近の小さな幸せに足ることを知らないのが、
一番不幸なのよねー」と、
「小さな幸せが大切よねー」
と、全く「でたらめな事」を言い出す始末である。
だが、宇宙は、そんな暇つぶしをする生き物などに、
たいした興味はないと私は思っている。
そもそも、昔から、常に、毎回、生物達を悩ませてきた最大の原因は、
「知覚をしている という自覚を 保持したままで、
生存している感覚 が続く という事に、
正当な理由 が 見出せなかった事」だからである。
しかしこれはまた別の複雑な話になるのでここまでとして・・・
*********
●ちなみに、人間の死後の思考パターンは、
幽霊たちが 自分の出身地や名前も忘れている事が多いくせに、
恨み言や思い残しに関してだけは記憶が明晰であるのと、とても似ている。
具体的な自分自身の記憶の大半は消えゆき、
切羽詰まるほどこだわっていたもの、
死に際して望んだ事の、
その断片だけが、次を決定してしまうことが多い。
******************
■ところで、無明庵の読者の中には、いわゆる精神世界といっても、
UFOなど信じない、または見たことがないので実感がない、
という「少数派」もいるわけですが、
そもそも宇宙という所が、いろいろと「昔から変である」、
という事を想う際には、
何も遠くの銀河を想像する必要はありません。
最も近い所に位置する「月」からして異常なのですから。
これについてアマチュアではなく一級の天文学者に尋ねても
「謎だ」としか答えないと思いますよ。
↓
http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/tsuki.htm
■また、私の感覚でもいつも違和感を感じるのは、
いわゆる異星人というものが「大雑把な分類」ではあるものの、
五体があって直立しているということそのもの。
これ自体に「統一性」がありすぎて、違和感があるのです。
(むろん、もっと奇天烈な形で生きている知的生物も多いのだろうが)
●たとえば、文明を全く見たことのない原住民の人が、
東京やニューヨークやその他の都市に連れてゆかれたとします。
すると、確かに見たこともないものが動いているわけですが、
よくよく見ていると、なぜか、車は同じような形をしており、
同じような排気ガスを出して動いている。
目にする人間たちの居住環境も行動も、
少し見慣れてくると、だいたいは似ている。
●これと同じように、地球に現れる宇宙船というものが、
母船と小型機では違いはあるものの、ほとんどの場合に、
似たような推進力と、似たような動き方をして、
しかも、出てくるヒューマノイドも、おおざっぱには、二足歩行する。
つまり、私の感覚では、
外宇宙は「未知に溢れているのではなく」、
既に積み重ねられた「長い歴史」がそこにあるということ。
それは、おそろしく奇抜なものなのではなくて、
それなりの積み重ねを経て、現在、ヒューマノイド型と呼ばれる形も、
誰かの設計によって作られたものであり、
設計図があるからこそ、どこか似たよう形になったり、
いつも、だいたいは、似たような文明を辿るということ。
*********
●それでは最後に、
読者の皆さんの中には、学研の「ムー」と愛読していた人も多いと思いますが、
下記のサイトは、ちょっとお勧めでした。
どこがお勧めかというと、
とりたてて、力や熱をこめて持論も力説しておらず、
淡々と、記事を集めてきてある点と、その内容に、信憑性が高いことです。
下記のリンク先の文章は、妄想爆裂の精神世界というよりは、
もっと「事件簿」に近い形だと思います。
実際、ほとんどすべての事件に、それが起きた「年月日」が記録されています。
また、公的な記録だったり、TVや新聞に載ったとか、
裁判記録にまで残ったらしいものがあるからです。
●怪談を楽しむには、少し涼しすぎる気温となった、この2日ぐらいの間に、
よかったら、お楽しみください。
とかく、動画や写真にばかり、振り回されている人たちも、
とにかく、「読み物」として楽しめるのです。
これだけあると、どこから読むか、迷いますね。
でも、どれもそれぞれに面白いのです。
私の世代だと、この手の「学研のムー」っぽいレトロな雰囲気の記事中には、
「あ、あの話か」と、懐かしく思う話も多くあります。
↓
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/kaiki/00top.htm
■
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(383 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -