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[385]
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★分割自我復元★その385■ 【なぜ、契約内容が重要か?】
by:
鈴木崩残
2014/08/18(Mon)06:47:22
なぜ生前契約の内容が重要か?
■この問題を語る前に、分かりやすい話をしてみます。
ここ数日、土日には、昼間にキャンプサイドベッドで外で昼寝をしました。
キャンプ地やビーチによくある「可変式のベッド」です。
ここ数日は、ひどい残暑でもなく、風も心地よかったので、
私の足を枕にしている猫(ラインお嬢様)と一緒に、
うたた寝をしました。
■夜になり、雲間に星空も見えたので、同じくキャンプサイドベッドを
外に出して、仰向けになって、夜空を見ながら1時間ほど過ごしました。
時々、双眼鏡で見ると、その中には肉眼では見えなかった数百の星が見えます。
・・・・・・・・・
こういう事をしていると、必ず人間というものは(思考する生物は)、
あまりにも自分が今いる星が小さいことを実感します。
仰向けになってみている星々は、地上から見れば、
ただの「電飾」のようにしか見えませんが、
それらの恒星や惑星のいくつかには、文明があり、私達と同じように
そこには生命維持をはじめとする、生活という活動があります。
■その範囲は、双眼鏡で見える範囲どころか、
想像もつかないぐらいに宇宙は広く、そして深く、
その数え切れないほどの星の数を前提にすれば、
今、私達がいる地球は、あまりにも「とるに足らないもの」
という現実に出くわします。
■決して極論ではなく、「単なる事実」として、
地球上で、私を含めて誰かが死んだり、苦しんだり、楽しんだりしても、
無限ほどの多くの星をかかえている宇宙そのものには、全く影響などなく、
さらには地球そのものが、収集のつかない死の惑星になっても、
広大な宇宙にとっては、全く何も影響はありません。
太陽系から地球が消えても、少しばかりの、
たいした努力のいらない対処が必要なのは、この太陽系の生物のみです。
■さらに言うならば、今後、何人かの人がお世話になるかもしれない、
銀河系ですら、その全体がなくなったり、混乱したりしても、
無数の天体を有する宇宙にとっては、
それこそ「海岸の砂粒ひとつが消えた程度のこと」なのです。
■私のように実際に、外に出したベッド夜空を眺めながらでなくとも、
都会でもアパートの屋上でも星を見ることは出来ますし、
実際に見なくとも、ハッブル望遠鏡が捉えた、遠くの銀河や、小宇宙集団の、
その膨大な広さと想像できないほどの天体の数を想えば、
地球で起きることも、地球自体も、あるいは銀河系すらも、
ほとんど無に等しい「規模」のものにすぎません。
■これは現象として現れている「事実」であって、
心情的にそれにどう脚色したり、それでも人間や地球はかけがえがないと、
全く無力なことを頭の中で妄想し続けるかは、個々の自由ですが、
ただし、あなたも、私も、この星も、この銀河系も、
潔く、突然になくなったり、または、永久の時間、ずっと、
そこで誰かや多くの人が、苦しみ続けたとしても、
宇宙は、知らん顔で存在し続けるというのが「事実」です。
そして、もう一度、地球がどれほど小さく、無価値なのか、
それをよく想像してください。
天体写真の画像やDVDを見るだけで、
そのリアルな比較は簡単に出来るはずです。
■あなたに、まっとうな感性と想像力があるならば、
この地上であなたがしていることも、社会も、惑星それ自体の自然すら、
全くどうでも良いものに見えてくるはずですし、
実際に、なくなったところで、まったく宇宙には影響はありません。
■では、その歴然とした、誰も反論のしようのない
宇宙の大きさに比べた地球の小ささという「事実」がある一方で、
では、あなたは今、何を認識しているでしょうか?
空を見れば、地球もあなた自身も、そんなものがなくなっても
誰も問題にしていない、
また実際に、問題にならないほど宇宙は大きい。
しかし、その全く無価値な惑星の上にいる生物にとっては、
今、目の前で自分を食べようとしている天敵こそが、
「世界の全て」として認識されており、
ある人は、夜中に明日の仕事のことで頭がいっぱいになり、
ある人は、子供が泣き止まずに、頭がいっぱいになり、
ある人は、他人から馬鹿にされまいと、ネットで役にも立たない知識をあさり、
ある人は、性器をいじって自慰にふけり、
ある人は、夜中に、これから首を吊って死のうと考えている。
多くの場合には、
今日も、昨日とあまり変わらない生活を維持することを考えており、
変わらないことが苦痛であると、それを変えようとし、
変わらないことが楽であると、それを維持しようとする。
■冒頭に述べた、宇宙の広さと、地球のどうでもいいほどの小ささ
という事実の前では、全くどうでもいいようなことをしているのである。
つまり、片方では、
「別にいなくても困りませんので、あなたの存在自体が無意味です」
と、反論しようのない事実を突きつけられている、その一方では、
その絶対的なまでの事実よりも、今月の生活費の方が重要なのである。
そこで登場するのが「精神論」なる「悪あがき」ということになります。
■また、明日も今日と同じように生き延びるためには、
人によっては、嘘までつき、客を騙したり、
楽しみを感じられない職場で、我慢をかさねたり、
あるいは楽しみを自分で捏造して、
また、自分の存在に意味があるという自己暗示にしがみついたりしている。
こうした事、こうしたいわば「矛盾」した事実の間に、
人間や、あるいは人間ではない生物も含めて、生物が挟まれてしまう
その最大の理由の一つは、
まず第一に、「自分の身体が自由ではない」という事に起因します。
身体という構造が作られたその瞬間に、それはすべて、
何かの可能性を引き出すためではなく、
無限に存在した可能性を、真逆に「制限する」結果となります。
その制限された範囲の中で、多少の機能性が発達するというだけで、
そもそもの初期設計の段階で、それは無限を有限に制限したものです。
■そして、もしも、あなたや私が、
今回、使っているこの身体そのものが、一から自分で設計して
一から自分で作ったもの、であるならば、
それは、あなたがどうこう出来ますし、自由度はもっと大きかったでしょう。
しかし、現実には、これは「どこかの誰かという他者」が作り、
用意したもの、つまり「借り物」である、これこそが問題なのです。
■借り物であれば、当然のこととして、
それを借りる側は、それを貸す側の動機、理由、貸し手のメリットは何か、
借りる側のメリットは何か、これを考察しなければなりません。
もしも自分で一から作った身体や、社会や、文化や、科学文明であるならば、
それはある程度は自分の自由になります。
しかし、生まれてくる段階で、すでに、その身体それ自体が、
どこかの誰かが、何かの動機と目的で作ったものであり、
それは、「借り物である」わけです。
この時点で、自由性は、さらに制限されることとなります。
■ちょうど、遊園地の乗り物は、あなたが作ったものではない、
だから、それに乗れば、作り手が、乗る者に感じさせようと意図した
感情や感覚になりやすいのと同じです。
こうした他人が作った感覚ゲームに依存する人は、沢山います。
ゲームしかり、インターネットでの情報収集遊びしかり、
番組や映画やスポーツの閲覧しかり、
そればかりか、
何かについて一人っきりで思索しているつもりの事すらも、
その「他者が提供した情報」への依存の中で行われています。
■仮に、もしも、海岸や、山奥で、誰もいないところで、
周囲のものを観察したり凝視したとしても、
その時点で、そこで使われている「五感」そのものが、
既に大きな制限を受けていますから、それに依存している、
または、自由度を奪われているといえます。
■広大すぎるほどの宇宙の中の点にすらならない無価値な惑星の上で、
さらにのその数十億の人口の中で、いてもいなくてもいいような私やあなた。
そればかりか、一国の首相でさえも、いなくなったところで
すぐに代わりは存在しますので、公共的な意味では価値がありません。
仮に、どこかの国の首相の行為が、
その後1000年の地球全体の歴史を変えたとしても、
たったの、わずか、1000年の影響です。
宇宙の時間に比べたら全く無に等しいものです。
しかも、惑星のその大きさにいたっては、
全く無意味なほど小さく、影響がゼロであることは既に述べました。
■しかし、そこまで、徹底的で反論不可能な「事実」としては、
無価値で、死んでもどうでもいい、生きて楽しんでもどうでもいい、
楽しめずに苦しみ続けても、それもどうでもいいこと、
というのが、宇宙全体での、
あなたや私や、この惑星の「位置づけ」であるにもかかわらず、
いったん、知覚力を装備した生物で、かつ、
「捕食しないと空腹になるので動く生物」=可動性生物の中に
知覚主体が閉じ込められると、
そこでは、広大な宇宙の中の無価値さという事実などは、
一気に吹っ飛んでしまい、
「なー、そんなこと言ったって、人生なんかこんなもんさ。
まー、せいぜい、頑張りな」
といった、酔っ払いの言うような低俗なセリフがあなたの価値観になります。
■本当は、どうでもいいほど無価値で無意味な、
小さすぎる人類であるのが事実の一面であるにもかかわらず、
それでも、何か自分がこうして生きていることには意味がある「に違いない」、
そう妄想したくなり、そう妄想することで、
自分や、自分たちが、死にたくならないで済むための言い訳を捏造したもの、
それが宗教です。
これと全く同じものが、精神世界で言われる、
「目標」と称するものです。
その目標が、愛とかいうチンケなものであろうが、
悟りだとかいう、大げさで、いかがわしい目標だろうが、
高次元への回帰と称する、何の保障もない戯言だろうが、
このままのあるがままでいいんだ、という無力な寝言だろうが、
おかしなことに、どれひとつとっても、それを目標にしていれば、
「生きていられる」保障もないのにです。
変なものを信じたために、早死にする人も多いので、
宗教は、物理的に命の保障はしてくれません。
ダラダラと長生きしたいという物理的な命をなんとかしたい人は
医療や、医学情報や、霊的な治癒力なるものに、ひきつけられっぱなしになります。
■一方で、多くの人々は、実際に命の安全の保障をするというのではなくて、
その観念、価値観を頭と、自分の感覚に入れておけば、
自分を惨めに感じないで済む、そういう考え方、
自分を惨めに感じないで済む、
その為に、誤魔化しとして使える、日々の仕事や、暇つぶしや趣味、
最悪なのは、その為に、他者を軽蔑したり、自分の子供を馬鹿にして
自分の惨めさから逃げ回っている毒親や、毒人間たちです。
そして、結果、
自分に対して感じる惨めさによって自殺しないで済みそうな、
自分の存在している事の、かなり強引な意味づけ、
これを、提供したり、捏造したり、妄想しているのが精神世界と宗教です。
*********
■ここで話は本題に戻りますが、
生物が主体感覚を伴う意識を持ったまま、
乗り込む、その生物の設計そのものが、
あなたが創ったものではなくて、提供されたものであること。
そして、「どういう制限と契約しますか?」という契約を
皆さんは、交わしたということ。
そして、基本的には、それを作り出した側の意図こそが優位にあり、
借りている側のあなたには、あまり自由はないこと。
■この主従関係が、地球に限ればですが、
かつては「ほぼ対等」だった時代があります。
ちょうどそれは、今日の不動産の、貸し借りと同じように、
貸し手は家賃を得る、そのかわりに借り手はある程度自由に部屋を使えるようなものです。
これに似た対等性が「かつて、過去にはあったということ」は、
何度もこの掲示板に書きましたし、「分割自我復元理論」の本にも書きました。
■それは、この世界の不動産ですらもそうですが、
大家と店子(たなこ)が直接に契約すれば、
トラブルは少ないこともあり、逆にまたトラブルが増えることもあり
そのあたりは、微妙に難しいのですが、
この二者間に「管理会社」という「大家の代行をする組織」、
これが営利組織として入ると、これまた、
トラブルが減る面もあれば、増えてしまう面があります。
この話も、すでに概要は、幾度もしてきましたので、ここまでとします。
*********
■以上のような点、このような現状の事実から、
現実的には、どう見ても、全く無価値で無意味なほど小さな世界にいても、
そこで生息して、生きようという本能を持たされた生物にとっては、
なんとしてでも、その小ささと無意味さの事実は見ようとせずに、
手当たりしだいに、
「私は、***の為に生きているんだ」を、
脳内で独り事として言い始めたり、集団で叫び始めます。
この***の部分は、さも、おおげさな大義名分から、
こじんまりすると、自分の子供のためだとか、
果ては「みんな生きているんだから、しかたないだろう」と、
「しかたないから、生きている。かといって自殺もする気になれない」、
といった中途半端な状態に陥っています。
■しかし、いずれも、その原因は、
たとえば、自我の希釈と、それに伴う現実認識の誤認から、
毒親が子供を育てた長い歴史、その他、原因は複合的ではあるものの、
要約すれば、そもそも乗り込む身体が「借り物であること」に
かなり多くの要因があります。
くしくも、この問題の本質を、マディアさんは、その最初から
予見していた、看破していたといえます。
だからマディアさんのブログのタイトルは、
「私が契約した乗り物」
となっていたのです。
私は最初に見たときに、
よくも、あれだけ、本質的な問題を示唆するような、
見事に的確なタイトルをつけたものだと、感心したのを
今でも覚えています。
■それ故に、
トラウマとAC人格を掘りつくした、まっさらで、まっすぐな眼で、
あなたが、どういう性質の、どういう目的で作られた、
どういう制限のある肉体に乗ることを契約したのか、
その契約内容を、自我復元を完了して、
あなたが「自分自身で」再確認することは、
次に、どういう制限は許諾し、どういう制限は合意しないかを
あなたが自主性をもって決められることに繋がります。
■膨大な量の空間と、小さな惑星と、莫大な種類の知性が存在する、
この広大な宇宙の中では、
どの世界の、その知覚の中で切迫してくる「現実という感覚」も、
広大さの前には、全く無価値で無意味であるというこの「大前提」の上で、
どの「説明」、
どの「作業」、
どの「感覚」、
どの「目的」であれば、
自分を、惨めに感じなくて済むか、
虚無感にさいなまれなくて済むか、
死にたくならないで済むか、
そのための「位置」、ポジションを、
他者から「再び借りる契約の締結」、
それが、死後のミッションでやろうとしていることです。
■私も皆さんも、誰しもが、銀河系や惑星を最初から作ったり、
さらには、物理法則そのものを一から作れないのですから、
「誰が作った、どのルールの中で、どの制限された世界を選択するか」、
これだけが問題になってきます。
■今回の皆さんの生は、
自分が契約ミスをしたこと、
また、その契約自体に不備があった事を学習した、と思って、
次回にミスをやらかさないこと、そのための自我復元、
これを「当面の人生の日々での目標」とすることは、
他のさまざまな体系や、価値観が
皆さんにとって害になってしまっている現状に比べたら、
相当に、(他者ではなく)皆さん自身にとっての実益があり、
作業としても、納得できるもののはずです。
●ただ、再び、他者が作り出した世界、宇宙のルール、制限、
そして「個としての身体」または「集合的身体」、
次に、何を選ぶにしても、
まず、価値観そのものの、視野を現在とは比べ物にならないぐらいに
広げて欲しいために、私はミッションのプランを組み込みました。
■すくなくとも、私個人の視点からすれば、
どうしても、地球の未来に関心があるというのであれば、
この地球に、再び戻ってくるのは、地球がある程度落ち着いた、
3000年ほど先に延ばしておき、
当面は、地球へ戻る選択は、お勧めしません。
むしろ、次回の生の候補としては、避けてくださいと私は言いたいのです。
その理由はいろいろありますが、
人類の劣化が極にまで進んでしまって、もはや意識が混濁している
としか言えない状態であることと、
ここでは、愛など学べるわけもなく、
さまざまな、多様な価値観を見出せるわけもなく、
強烈な快感を得られるわけでもなく、
普遍的な安心感を得られる瞑想も成立しません。
つまり、それらは、皆さんをここに縛り付けておくための
「トラップ」だったと、率直に認められるレベルになった人もいるでしょうから、
ここの惑星の生活に、次回に期待を持つことは、断念してください。
何度か言いましたが、前記したような、そうしたことを、
本当にしたいとか、体験したいのであれば、
他の次元や天体に、いくらでも候補地はありますから。
■しかし、では、新しい肉体との契約といっても、よくわからない、
何を望んだらいいのか、サンプルを見たことがないので分からない、
そういう段階になった人への助言に、
私は残っている人生の時間を使いたいと、今は思っています。
*********
★
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