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[388]
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★分割自我復元★その388■ ★トラウマ・AC報告の一例
by:
鈴木崩残
2014/09/03(Wed)10:46:31
AC人格・トラウマの報告例
●現在、最年少の方からの報告です。
こうした報告が少し貴重なのは、
他の皆さんは、自我復元を通じて、トラウマを思い出す時期が、
30歳近く、あるいは50歳になってからとなる場合には、
「あのときは」という時間感覚で思いだすのですが、
この方のようにまだ二十歳前後ですと、「あのとき」ではなく、
たった「今」進行中の親子関係があるわけです。
では、一部編集しましたが、その報告です。
この方の場合も、最初は「暴力や恫喝などなかった」と思い込んでいたタイプですが、
こうして思い出し始めると、次々と親の異常さに気づいてゆくことは、
これまでの、沢山の人たちからの報告と同じです。
******************
鈴木 崩残 様
今回も通常の報告となります。長い文章になりますが、お願いします。
前回の嫌がらせの件についてですが、
事実とは異なった認識がいくつか見られました。
まずは大きな恐怖心です。
この恐怖心は電車に居るときよりも家に居るときに見られ、
現実にはあまり実現しないような想像をして恐怖心を何倍にも膨らませていました。
もうひとつは錯覚です。
自分が店の中を歩いていると、同じ様なあの声が聞こえてきました。
ついに出先でも付回すようになったのか?それとも幻聴か?と疑いましたが、
車のオーディオからも電車で聞いた声と全く同じものが聞こえてきました。
錯覚とはいえ、全く同じものが聞こえることには驚きました。
電車の中での声もどこまでが本当か怪しく、
思い込みや推測でどんどん自分が被害者になる妄想をする偽
人格が顔を出していました。
錯覚まで引き寄せているのかも十二分に疑う必要があります。
こんな状況にすら偽人格は、他人を見下す、批判できる状況が欲しいために反応し、
しがみついているのだと思います。
錯覚まで起こしてはいますが、今の自分にとって時間を浪費するほど
重要なことかといえば、そうではありません。
向かい合うべきは両親です。
批判すべきは自分の偽人格です。
電車に居合わせた他人ではありません。
この状況を利用して偽人格の出所を調べようとしていましたが、
あまりにも他人のことに関心を払いすぎていました。
結局は、偽人格に足をとられました。
この場合、他人に対して拒否する、嫌なものは嫌だという姿勢を取らなければ、
偽人格の解除などいつまでも出来ないのではないか?
と思いましたが、
そう思って対抗しようとするだけ、半端なことしか出来ず、
そんなことしか出来ない自分に不快感を感じ、
ますます他人に対して憎しみと恐怖を募らせていく結果になりました。
自分の中にある不安や、傷ついたという事実を無視して、
ちゃんと反抗しなければという思いに、完全にとらわれていました。
この思いによって自分は矛盾を抱え、
解決することもなく、かえって苦しんでいました。
自分の自我率は上がっているはずだからと、
自分をことさらに大きく見せたかったのだと思います。
相手が誰であってもそんなことを言われれば、やはり傷付きます。
自我率が高い低いに関わりなく、虚栄は虚栄でした。
電車の嫌がらせの一件から話を切り出し、
母親に改めて母親の家庭環境について聞いてみると、
自分の中に母親と全く同じ考えが根付いていることに気がつきました。
順を追って報告していきます。
母親に話を聞くと、まだあのサイト(恐らく無明庵のこと)を見ているのかと
訝しがられましたが、話をすることに持ち込めました。
母親の幼少期は、北九州の祖母と、曽祖母を行き来して、
その間何度も転校しなければならなかったのが辛かったと言っていた。
これは祖母の都合でそうなったそうだ。
母が3歳の時までは、実の父親と一緒に暮らしていたが、
家庭内暴力がひどく祖母は毎日のように殴られ、
働かない夫から金をせびられていた。
(この時、母親は「DV夫」と父親のことを呼んだ。
3歳の頃の出来事なので、祖母から恨み辛みを聞かされたのかもしれない。)
そして普段以上に、ひどくぼこぼこに殴られたのをきっかけに離婚した。
二人目の父親はそれを助けてくれたと母がいっていた人で、
この時結婚届は出さず同居していた。
二人目の父親には妻がいて祖母は愛人であった。
(祖母はこの人が別れた祖父だと言っていた。
自分はこの人しか祖父は居ないものと思っていた。)
父親は一人でなんでもしようとする社長気質の人で、
人の下で働くようなタイプの人ではなかったと母は言った。
給料が多い分、人との付き合いで出て行くお金も多く、にぎやかな人だったという。
三人目はヤクザの相談役で祖母からお金を前借して脅し取り、
母は足りない生活費をバイトで働いて生活費に充てていた。
三人目とも籍は入れていなかった。
(結局住んでいた家も抵当に入れられていましたが、
その三人目が自分の祖父にならなくてよかったと心底そう思いました。)
話を聞く中で、
母親には我慢して耐えて辛くなったら逃げればいいと言い、
その考えが強くこびりついているように感じました。
前回書いた、嫌がらせに対する自分の姿勢と酷似している考えでした。
これまでの自分の不快な他人に対する対処法そのもので、
何度も母親の価値観をなぞるように、
偽人格は何度もそんな環境を生み出したのだとすら思えてきます。
母親からの感染人格です。
他にも、周りのせいにしてはだめ、
(要するに、自分たち親のせいにするな!)という考えや、
我慢していれば周囲の人よりも強くなっていく逆境があれば、
それを乗り越えて(実際には引きずられて)強い人間、
優しい人間になると強く思い込んでいました。
そうあるべきだという意思さえ感じました。
というよりもそう思い込まなければ、
バイト代を稼ぎ家計を支えるという不本意なことを、
続けられなかったのだろうと思います。
後者について自分は、
「そんなことはなかった、人より多く辛い思いをした、人に付け入れられただけだ」
と返しても、
母親は、「他人から見ないと分からないことがあるのよ」
と、子供の意見を認めようとはしなかったのです。
辛い思いをしたのではないかと聞いても、それすら認めようとせず、
自分の育った環境を「特殊」だと言いました、
「異常」の間違いではないかと思いましたが、
そこにも自分のいた環境に疑問を持つのも許してこなかったことが伺えます。
以下の文章は書き溜めたものを一部抜粋、編集したものです。
*********************************************************
「自分が正しいと思い込んでいるだけで、
それすら自信がなくて、
他人に頼ったりして周りのことなど全く見えていない。
見ているのは見下せる相手。
こんなに惨めな自分でも見下せるような相手に、
コンプレックスにまみれた自分を何とかしてもらおうと、
いつまでも他人の陰口を叩くことしかできない、不毛な偽人格。」
他人の悪口を言ったつもりでも、書き出してみればそのまま自分に当てはまる。
自分の欠点を見ない為に批判を繰り返しても、
それは日頃自分の中にある不満しか使えないから、
見事にそのまま自分に返ってくる。
思い当たるとすれば、
父親の自分に対する、口やかましい説教や注意の数々。
これを全て悪口に置き換えてみると、かなりの頻度で馬鹿にされている。
食事のときは特にそうだった。
ひじがついている、
足を組むな、
きちんと座れ、
背筋が曲がっている、
人として当たり前のことを教えているだけだ、
と言っていたが、言い換えれば、
お前ら子供は人としてはまだまだだ。
俺を見ろ、俺は一人前だ!
お前らよりもよっぽど出来てる人間だ!
子供相手にそう言い散らしているようなもの。
人間としてだめだ、
人間が出来ていない、人間がどうこうというのは、
自分が見下している相手に心の中でよく唱えている言葉だった。
他の人の復元ブログの記事を見て思い出していた。
自分にも恋愛をする可能性があったかもしれないが、
毒親の代わりに自分がそんなことはいけないと思い込んでいた。
何故だ?
きっかけは中学生の頃で、ほんの些細なことだったが、
相手の隣に居るだけで変に緊張していた。
そんな経験は後にも先にも一度だけで、後は空想の相手に移って行った。
誰も傷つけないし自分の望みどおりの相手が居る、それでいいじゃないか、と。
そのときにはクラスメイトからいじめられ、
一部の女子からも馬鹿にされ奇異の目で見られているように感じていたので、
その疎外感と抑圧した不満が、
次第に社会での男女の優遇の違いの知識を取り込みながら、
女性蔑視の方向に変わっていった。
結果としては自分に苦痛を与えるだけの結果でしかなかった。
女性に対するこうした見方の下に、幼い頃の不満が見え隠れしていた。
わがままばかり言いやがって、バカのくせに!
よく親が毒親だった人が成長すると、
子供を嫌うことをよく目にしていたが、
自由に自分が言いたいことを言いまくる存在の生贄のターゲットとして、
私は、子供ではなくて、女性を選んだだけのことであった。
復元を始める前は、
電車の隣の席に女性が座っているだけで緊張と憎しみがわいて来るほど、特にひどかった。
一方で、自分に関心があるから隣に座るのだ、
という意味の分からない妄想もしていた。
相手を見下している一方で相手の関心を得たいという矛盾、
女性という他人に向けて、批判という見下しと、
受け入れて欲しいという依存がない交ぜになり、
ついには対人関係の基礎の歪みにまで達してしていた。
ここまで自分のことを馬鹿にした人間に反応して、
強い不快感を感じるのも、家でもそうだったということなのか。
実際に、父親は分かりにくい形で自分を馬鹿にしているのではないかとは思う。
それも、自分の言うとおり、思い通りにならないから、怒るんだ。
家から追い出す、注射を打つぞと。
お前はダメだ、と言うのではなくて、
「罰を与える」という行為が、父親が全く、とんちんかんなことを言って
バカにしているという自覚を覆い隠したのだと思う。
お前が悪い、
そう、直接否定するでもなく、
「俺の言うことが聞けないお前に責任がある。
お前が悪い。
だからお前は罰せられて、理不尽な扱いを受けて、当然なんだ」
ということを教え込まれていた。
だから、もし、自分意味に覚えのないことでバカにされても、
そこには必ず、
自分に何か悪い所があって、それで何か言われているんじゃないか?
という、偽人格の思考が間もなく出てきた。
それは相手に違うと言うのを躊躇させて、押さえつけられ、
ますます付けいれられた。
それはあてつけだと言うと、
母親が怒り出し、声を荒げて自分の様子がおかしいことを言われた。
事の発端は自分が荷物を持つのを手伝わなかった、
犬の散歩をしないことだったが、
これまでの自分の行動に傷つけられたと、母は言っていた。
祖母も母もこれまでの自分の行動に対して黙って気を遣ってきたとのことで、
怒りの限界だったようだ。
自分の態度の横暴さを責められて動揺していた。
自分がいきなり過去の話を持ち出したことにも不審がって変だと言ってきたが、
これにも動揺していた。
これまでの両親に非があることを背景に、
自分が冷たい態度を取っていたのは、
両親に分かってもらいたいことへの回りくどい要求で、
親にはまだ依然として当てにしているのではないかと考えた。
何より怒って声を上げる母親に怯んだ。
親の影響でこれまで幾度となく辛い目に遭ったということを思い出せば、
態度を変えることはおかしなことではないと思っていたが、
モンスターになるという言葉には、
そこまで言うか、と少なからず衝撃を受けた。
そこにはまだ、親がそうだといえば、そうだと思い、従おうとする自分がいた。
まだ、自分の言い分を押さえつけてこの場をやり過ごそうとする自分が居た。
母親の親だからという言葉が、呪いの言葉のように聞こえた。
そして、そのあと、母親は何事もなかったかのように振舞う。
今まで怒っていたことがウソのように。
これも自分の感情に信頼を置くことの出来なかった原因になっていた。
「なかったことのように扱われること」が、
子供の感情をどれほど否定し奪っていくのかは想像がつかない。
思えば自分だって間違いなく、いじめをする側に回っていた。
学校ではいじめられる側か、そうじゃない側に回っているだけで、
結局これまで出くわした中学生のときの、
いじめてくる人間と、その後の嫌がらせをしてくる人間、
どれも他人に憂さを晴らして自分の中の不満を解消する。
そして、じめじめとした陰湿なやり口。
弟をいじめる自分と大差がない同類を引っ張っていた。
自分は被害者だと思っていたが、
間違いなく自分はいじめの加害者にもなっていた。
弟は自分のものに固執していたが、その原因は、
自分が弟のものを、食べ物やおもちゃにしろ勝手に食べたいから食べ、
欲しいから奪うといったことが発端になる。
そこではもちろん弟もそれに対抗したはずだが、
結局は自分が一方的に取る食べる状況になり、
それで弟は必死に取られまいと、自分のものを隠したり名前を書いて、
少しでも触れようものなら大声で泣き喚いて抵抗した。
それを自分は殴るけるの暴力で鬱憤を晴らし、
力ずくで従わせようとした。
家庭の中で弟が問題視されることが多かったが、
自分も、いじめを止めなかった両親も弟以上に狂っていた。
そんな弟をつるし上げて、
他はまともだ、大丈夫だ、とお互いを慰め合い、
おかしいのは、言うことを聞かない弟のほうだと、
反抗し続ける弟を、家族は、腫れ物のように扱った。
しかしそれは間違いであった。
まして、問題だらけの家庭を皆で解決しようという姿勢にはならなかった。
父親に関しては弟に対して怒り狂う姿と、それに泣いて怒る弟の姿、
そして自分の家族であることを知られるのは嫌だった。
キチガイ一家と思われるからだ。
出先でこんなことをする父親にも、
果ては反抗する弟にも、
いなければ、もっと楽しくできただろうにと思っていた。
他人に自分の家族がどう見られているのかばかりを気にしていた。
誰のための人生なのか。
何を目当てに行動していたのか。
何をするにしても
常に100の力を出して物事を行わなければならないという強迫観念がある。
100が良しで、それ以下はダメか、
そこそこと言う評価しか自分に下さなかった。
ただしこれは、自分に厳しいということではない。
自分の調子の波を無視して
常に100の状態であることが、自分の安心できる条件で向かうべき目標だと思い込む。
すると、自分は100の力を出せないからいいや、と諦める。
結果的に、いつも、実力以下の力を出すことになり、
これが自分のレベル、その程度だろうと自己否定する。
毎日毎日、自分の調子を無視して、
親の目標を押し付けられていたことが原因なのだろう。
不登校の時が目立ってそうだった。
調子の良い日も悪い日も、学校に行かせようとしていた。
この自分の考え方や視点は、
大体が、自己否定や悲観的な推測から始まる。
親が自分に対して使う脅し文句と合致している。
自分のやりたくないことを始める時には、
親から「〜しないとひどい目に遭うぞ」、もしくは、
「家から追い出される、何か危害を加えられる」といった、
罰から始まって何かをやらされる。
事を始めるにあたって、こういった思考が圧倒的に多く、
試験の勉強を始めるときには、
落第する自分、試験で何もかけない自分を想像して、
自分に鞭を入れながらそんな恐怖から逃げようとするが、
そもそもやりたくもない、やっても恐怖から逃げているだけで、
何の面白みも気力も湧かない、苦しい時間だけがじりじりと過ぎる。
そして結局はそこから逃げることばかり考えて、中々進まない。
その状況にさらに鞭を打って拍車をかける。
自分だけが頑張っているのに理不尽な目に遭うんだと思っている。
真面目にしている。
他人を気遣っている。
文句も言わない。
だから、少しぐらい優しくしてくれ。
落ちこぼれのように扱わないでくれ。
諦めたように、自分に接しないでくれと、
失敗した自分、落第して惨めな思いをした自分、
その惨めさを隠そうとして、自分には事情があってこうなったんだ、
だから、ただ怠けただけの奴とは違う、と。
テストの点が良い連中にだって、
自分はちゃんと自分の問題を自覚している、立場が違うんだ。
だから、俺はマシなんだ。
誰かそれを理解してくれ、という思いがひねくれて、
他人を見下すことで、その埋め合わせをしようとしている。
そう思う偽人格を消し去るための分析も、
他人への認めてもらいたい寂しさが、すぐにねじれて、
他人を見下す目に変わる。
(以下の文章は、教育関係の文章を見て気付いたことを書いています。)
学校と家族との関係は、まだ手つかずの部分が多い。
聞いた話では、受験勉強の弊害は非常に大きいという。
小学生にも受験が始まったころ、(夏期講習を終えると)
目つきが鋭くなり点数を気にする。
勉強の出来ない子を馬鹿にする。
勉強以外に興味を持たなくなる、考えようともしない。
点数や受験に関わらないことには興味を示さない、考えない。
教科書通りに示された考えしか受け入れようとしない。
娯楽性がなくなる。
無駄と思うことを嫌う。
あいさつをしない。
両親は高く評価する。
これを読むと、中学生の自分と瓜二つだ。
成績が上がるにつれて心が歪んでいくようだ。
責任逃避をして、言われたこと以上は、やらない。
中学生の勉強しか娯楽のない、非常につまらない生き方、
そして今の学校に入ったその末路が、
自分を苦しめる役人根性のような偽人格、
非常に傲慢な自己中心的な人間に成り下がった。
これまで期待していた。
学力が、点数、知識のある人間は、人間性が高いに違いないという思い込み。
周りが過去問や仲間同士で情報を共有して高得点を取っていく。
自分一人勉強して熱心に補習に参加しても、結局は差がついて、
点数が高い一方で、
とても知性の欠片も感じない、下らない話しか出来ない
と思い込んでいた連中に追い越されて、
劣等感と不平不満を感じて、
初めて、自分の学力で努力というものが一切通じないことを思い知らされた。
この時の強烈な敗北感と、不条理さは非常に苦しく惨めであった。
そこでようやく、自分の学力や知識と言うものが現実には評価されない、
つまりムダだったという挫折を味わい、考えを改めざるを得なかった。
母親ははっきりとは言わないものの、
言葉の調子で落胆して励ましている様子が嫌というほど分かった。
自分は脱落した、落第したという思いを味わった。
その後どんな影響を及ぼしたか。
自分のテストで失敗したという思い込みの原因を、
学校のやり方そのものがおかしい、
学校がおかしいと思うようになった。
ここからどんどん自分を苦しめる渦に入り込んでいる。
意識も知識の詰め込みで鈍り、うつ症状に陥った。
高専を選んだ動機には学費が安いという利点がある。
安くつく、と学校を選ぶ前に母親からそんな話を聞いていた。
高専を知ったのも、母親が調べたものを見せられたからだ。
こんな事で自分が選んだといえるはずがなかったのに、そう思っていた。
こんな話を思い出した。
さんまを食べる時は、
苦いはらわたはいつも祖母がもらい、背中の脂の乗った所は自分が食べていた。
祖母や母が良かれと思ってやっていたであろうことが、
ことごとく、自分の中に投げやりで、依存心の強い自分の足枷にしかならなかった。
子供に媚を売るというのなら、
自分が子供に対して、妙に、にこやかでニコニコしていることのも納得がいく。
自分もまた祖母からされたように子供に媚を売る。今日もそれをやってきた。
何の為に何故、子供を上に扱うのか?
子供を下に見るのを、普通の心の歪みだとするならば、
ベクトルの異なる歪みを、私は振りまいた。
私は子供のことなど見てはいない。
自分の中の子供のイメージで子供を見ていた。
祖母の側に立っていたというだけで、
子供を決め付けてかかるのは、毒親である両親と根本は何も変わらない。
また一つ思い出した、
と言うよりも自分の親と全く同じパターンが事例で紹介されていた。
勉強しろとははっきり言わないが、
こうした勉強での弊害はしっかりと自分に根付いていた。
両親は家庭教師を雇い、分厚いファイルを何冊も買った。
5歳の頃と似たような状況。
これを勉強しろと言っていなかったと思っていた自分が、おかしかったのだ。
両親は、勉強はしなくても良い、とは言ってはいなかった。
代わりに高い金を払って、子供をあおったために、
何も言わずとも親のために勉強する奴隷に、私は成り下がった。
極めつけはご褒美で釣った。
終わり際になるとお菓子を出していた。
まんまと自分はそれに釣られて、自らそうなったと思い込んでいた。
満足感すら感じていた。
見ろ、自分の中にも分かりにくい形で、
確実に学校と親との間を心をコナゴナに破壊された跡が残っていた。
他人から言われて、
自分の心はどうやら冷たいようだと推測はかすかに出来たが、
まぎれもなくそれは、
学校と両親との間で破壊された人間性の末路だった。
スケッチブックに自分の希望を描き出すと、
初めから一貫して、安定、他者とのつながりと言う二つの側面があり、
特に他者とのかかわりについては矛盾する部分がある。
他人とは距離を置きたい、一人になりたいと思う一方で、
つながりを保持しておきたい、
そのつながりを求める以上安定と言うものも、
それは他者からの干渉がない状態を指している。
他人との関係を上手く作れない。
この上手くとはどういったものか?
孤独を恐れることから出発している。
私一人という個体だけでは、とても寂しさに耐えられそうにない。
しかし、もう人間相手に暮らしたくはない。
とにかく自分に干渉してくる存在がいない場所に居たいという欲求と、
鉱物の生命体を思い描くのに、
その理由を考えると、
自分という存在のもろさに対して不安を感じることから始まっている。
どれも、自分の感じる不安から端を発している。
これは自分の希望というよりも、
不安の解消をするための欲望といったもので、
〜したいとか、そんなものではない。
ただ、〜からは脱したい、
不安の渦の中からは脱したいという後ろ向きな考え。
希望らしいものとしては、
脱出した暁には、ゆっくり身体も意識も休めていたい、
という程度のものだ。
以上となります。
>以下、割愛
******************
★
.
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