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[390]
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★分割自我復元★その390■ 「 所 感 」
by:
鈴木崩残
2014/09/21(Sun)00:46:37
ブログについての所感
いくつか、簡単なコメントを書いてみたいと思います。
●無干さんのブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakodate2012
私の目から見ると、ようやく、トラウマ掘りが本物になりつつあります。
それまでは、傍から見ても、おそらくは本人が自分を見ても、。
もがいてはいるが、核心部分に当たらない時期を長く続けてきたと思います。
今回の投稿、何がこれまでと違うかといえば、
自身の日常生活における、いわば「不快年表」のようなものから
しっかりと切り込んだことです。
あれやこれやの、屁理屈を自分の体験の原因としてあてはめようと
あらぬ方向ばかり見ていたのが今までであるとすると、
ようやく、他のブログの方がよく言う、
「直視」ということの「きっかけ」をつかんだように見えます。
●最初から、AC人格が落としどころを予定しているような
そういうトラウマ掘りとか、自我復元報告とか、判定依頼もよくあります。
昔は、ひどかったですが、今でもあります。
その落としどころというのは、結局は直視を目的にしているのではなく、
現実逃避をする、言いわけと「理由づけ」に、自我判定依頼をするなどです。
本人に言わせると、それは「ちょうど良い区切れ目だから」とか
「変化があったと思うから」ということなのでしょうが、
私の目から見ると、あきらかに、自我判定の結果を、
現実生活での何かからの逃げの口実として利用するために、
AC人格が、てぐすねを引いて待っているのが見えることがあります。
そういう場合には、判定を延期することが多くあります。
そうではない理由で、様子見で延期することもあり、
ケースバイケースです。
●話は戻り、無干さんの今回のレポートですが、
毎日の目の前の問題、目の前にチラつく自身のAC人格や、
スケベ根性に向き合い、それに向き合う中で、
ようやく家系に受け継がれたトラウマやAC人格問題に繋がること
これが本当の意味でのトラウマ掘りです。
だから私は、以前に、幾度が、自我復元の手順の「順番」を書いたのです。
●不快年表から入り、そして、親の親のことは比較的後半にしないと、
あわてて、宿題みたいに、親の親を掘ればいいんだとなると、
親のせいにばかりして、自分の言動との関係性がつながりません。
*********
●その点で、その自らとの関連性を一環して、外さないように注意しているのが、
「朱いはがね」さんでした。
マディアさんは、ことの最初からそこを絶対に外さないようにしていました。
●Abyさんの場合には、分析力はあるのですが、
ともすれば、分析して満足してしまうタイプだったので、
それこそ、「わかりゃいいんだろAC人格」のようなもので、
そのAC人格は絶対に本人を現状から変えないことを動機としていたわけです。
ここを突破したのが今回の武術道場経験だったわけですが、
今回でやめず、続けてゆくことをアドバイスされたようです。
●「お姫ちゃん」も、金魚との生活で、
試行錯誤を行動の中で続けてゆくことで、
どんどん見えてくものがあると思います。
注意が必要なのは、「理解すりゃ文句ないだろ人格」は、
怠け者人格ですし、典型的なAC人格で、精神世界にも沢山いますし、
それ以外にもいます。
私は何度もいいますが、
現実的な形とならないものは、理解の意味がないのです。
まったくありません。
それでも理解したり、理解したと自分で思い込んだり、
あるいは、理解したことを他人に示す、こういったところを
「解決したかのように思い込む」のは、すべて、そういうことで
親子の関係を切り抜けてきたから他なりません。
●これについて、Abyさんからのメールのごく一部ですが、
引用します。
↓
*********
崩残様
略
崩残さんが無明庵を「道場」とおっしゃっていましたが、
今回は、もうひとつの医師から、病状の重篤さを
ご指摘・診断をしてくださったのだ、ということを、
何度も何度も読むことで、ようやく、気づきました。
自分の心が折れた状態にあることの自覚なく、無明庵の門をくぐり、
そこから、自我復元を続けてきたのだと思います。
それで思ったことは、徐々にですが、自分がその「心が折れた」状態
であることに、
今、気づきつつある時で、ここは、ぐっと一歩、踏み込むところじゃないか、と思いました。
深刻なレベルにいることが、やっと、自分でそれを自分のこととして、
捉えられつつあるように思うからです。
自我復元と、今回の格闘技体験は、
わたしにとってそこで起きていることをよく見てみると、
現実で直面している問題とも、あまりにそっくりです。
恐怖心はわたしの内に起こっていること、わたし自身のことなのに、
向き合わずに、逃げようとしてきました。それが、実質的に、
はじめて通用しなくなったところが、無明庵という道場でした。
振り返って思ったのですが、
もしもこの無明庵という道場でAC人格を掘る作業をしてこないでいたら、
仮に、今回と同じ格闘技体験をし、そこで同じ指摘を受けても、
そのすべてを、「自分のことじゃない」と思ったはずです。
そうやって、AC人格は、当然のように、逃げきれたと思います。
だとすれば、その時いくら体験しようと、何の意味もなかったと思います。
略
私の中には、
「顔を殴られる痛みなど、人間は知ってはいけないんだ、あってはいけない」と
いった強い思いこみがわたしにあったようです。
なんというか、もしもたとえば、誰かから腹を蹴られて悶絶するようなことがあったら、
そんな目にあった事など、決して誰にも言ってはいけない、
といったくらいの感覚が、どうもわたしの中にある気がします。
あってはならない、という感覚が、あまりに強くあります。
どんな痛みも、自分の痛みなのにです。
いろいろ考えてみたのですが、
まず、****に入会して実際に稽古をしてみようと思っています。
まず、今やってみようと思っているのから始めてみて、
やっていくうちにあれもこれもと考えるようなら、また、考え直していけばいいのかな、
と思うようになりました。
自我復元も、格闘技も、わたしにとって掘り続ける作業であることには、
変わりはないと思っています。
残り時間などほとんどないと思いますが、さらに両輪で掘るわけですから、
焦る一方、腰をすえてやろうという覚悟が出来てきました。
死後にも十分に影響をもたらす大問題ですから。
痛い思いをしていいんだ、「痛い」を毛嫌いすることないんだ、
と知って、いろいろやってみたい気持ちが、少しずつ、沸いてくるようになりました。
「野生であること」の感覚を、
生きている間に、なんとかとり戻したいと思います。
*********
●その他、今回、名前を出さなかった、ブログの人たちは、
個別に違うので、一様にはいえませんが、
「いちおう」全自我の人もふくめて、
完全に「停滞」に入っていると思います。
停滞の原因は、それぞれに違い、
ある人は、仕事に慣れるのに追われて余裕がないとか、
ある人は、復元に本心からは関心がないとか、
ある人は、いっこうに問題意識がなく、それこそ、
「わかってますから、いいんでしょ人格」のままだったり、
結局のところ、切羽詰った状態を日常生活で経験しないかぎりは、
真の決意あるモチベーションというものは起きないものです。
*********
●冒頭に書いた、自我判定の「延期」の理由、これは微妙なので
ここで書く内容ではないのですが、
ダメだから延期するのではなく、様子見が多いです。
私としては、依頼されれば、いちおう仕事ですから、
仕事をすれば、お金をいただけるわけですが、
今、判定をするのは、時期ではないので、もったいないと思えば、
私は延期します。
また、それが有料であろうが、無料であろうがに関係なく、
判定するかしないかは、以前とは違い、私が主導権を取るようにしています。
ここぞという時の判定でないと意味や効果がないからです。
●一方では、よろしくない動機での判定依頼や報告もあります。
それは、AC人格が安心したり、悪用するための報告や依頼です。
具体的に言うと、それらは「現状維持」のいい訳が欲しい報告に見えます。
しかし、そうしたものも、その人の動向、状態を見る上で役立ちますので、
かまわず送ってくださってかまいません。
ただし、AC人格の望んでいるような返信は、
私には出来ませんことはご了承ください。
●その他、自我復元に関係のないメールは、
初見で、そのままゴミ箱に送り、また受信拒否にしていますので、
返信がない場合には、受信拒否に捨てられたと思って間違いありません。
むろん、これは、これまでに自我復元をされてきて、
報告も何度もされている方のことではなく、
突然に、頭のおかしなメールをよこす人たちのことです。
地道に、自我復元の報告をされてきた人、
そのようなことをすることは決してありません。
*********
●さて、前にも言いましたが、
今年は、社会や、あるいは自分の私生活で、
目に見えている様子、感じている感覚よりも、ずっと多くのことが
激変していて、今年、その事に気づかないと、
来年には、もう手遅れといっても過言ではありません。
ですから、それを感じ取れている人が、今年は、頻繁に、
私とやりとりをしているのだと思います。
もう「暑いから」なんて言えない時期なのですから、
この時期に、トラウマやAC人格掘り、
その他、それぞれの人のいる位置で、歩を前に進められなかったら、
それは、何かのせいではなく、本人自身の責任です。
*********
数日前に、珍しい夢を見ました。
印象はそれほど深くないのですが、
とても小さな、それこそ2畳ぐらいしかない小型の宇宙船に乗って、
自分が、帰るべきところに帰るという夢でした。
誰かに、向かって、
「まるで魔法の絨毯ぐらいに、ちっちゃくて、
よく、こんなので宇宙を飛べると思うでしょ?」
と説明していたのを覚えています。
しかし、まだやることがあるので、今、すぐ帰るわけにはいかない
ということも、夢の中で自覚していました。
その超小型の宇宙船には、私以外に二人、合計3人が乗り込みましたが、
それは、私が、紀元前の時代に、最初にここに来て、
そしてまた、途中で私を回収した、同じメンバーです。
(バナナを創った宇宙人に、少し出てくる者たちです)
どうやら、私は三人一組のチームとして任務遂行しているようです。
むろん、現実の世界にはそれに対応する人はいません。
残りの二人は、ふだんは、地球外にいますから。
*********
>以下は、9/21に追記したものです。
「絶対に」という意志
●実は、今年の5月に、私はあることを決意しました。
かくも明確に「決意」というものをしたのは、久しぶりのことでした。
決意とは「絶対に〜〜〜する」という確たる意志で、
それを貫くことには、迷いはありませんでした。
●実は、それは他人に関することではなく、自分に関することでした。
昨年の9月ごろに私は自分の左手に異変を感じましたが、
そのまま放置していました。
しかしそれがだんだんと悪化し、今年の2月の豪雪の際には、
雪かきをしたその左手は、最も悪化した状態になりました。
症状を調べたところ、「指根管症候群」というものでした。
指の神経は、小指とそれ以外の4指は、別の系列のようです。
そのために、私の場合には、左手の小指だけは無事なのですが、
それ以外の4本の指が、何もしない昼間も、ずっと痺れていました。
また、第二間接あたりから先の感覚が麻痺とまではいかなくとも、
かなり鈍っていました。
●もっとも痺れが酷いときには、PCのキーを打つ左手の指が痛みました。
その痛みを何度か感じつつ、
「これは体の経年劣化や、自然なものとして放置すべきか、
それとも、どうにかすべきか?」を考えました。
しびれは酷く、時には痛み、また感覚が鈍いので、猫に触っても、
毛並みの感じすら分かりませんでした。
●右手は何ともないことから、脳の異常も疑ったのですが、
脳ではなく、前述の症状と病名でした。
原因となったものは、おそらくは、グラインダーの使いすぎです。
手裏剣を作るために、2003年から10年も使い続けたグラインダーの振動が、
私の手首の骨の中の神経を傷つけたようでした。
●それで、3月、4月と、症状はたまに良くなる日があるかと思うと、
痺れのひどい日もありと、小康状態でしたが、
ある日・・・
「この症状は、これで良いわけがない。
麻痺ではなくて、ちゃんと動くからいいではないか、とかは無しだ。
感覚がおかしいのだから、
これでは、左手が、不便に決まっているじゃないか。
このままでいい、などという選択が、あり得るわけがない」
そう、強く思い、そして、決意をしました。
本気で決意をし、本気で、絶対に、
「自分で、治してやる」と、「絶対的な決意」をしました。
もしも治らなかったらとか、そういう事は考えず、
絶対に自分で治す、と決意をしたわけです。
実は、他人を頼ろうと思えば、
私が信頼をおいている気功師の方がいます。
そこで治療を受ければ、なんとかなることは知っていました。
しかし、今回は、自分で治したかったのです。
●絶対に治してやると決意をしてから、
その日から、毎日、自分の右手の気を送り込み続けました。
●また、この自己治療をするにあたっては、ひとつ、自分で決めたことがありました。
それは、絶対に、マッサージはしない。
塗り薬もつけない。
絶対に、外部からの治癒は与えず、患部に一切触れずに、気だけで治す、
これを決意したわけです。
●それを決意したのが、5月の中ごろでした。
それから数週間、これまでにないほど、これでもかというほど、
気功を使い、自分の手首を治療し続けました。
一日に、30分程度ですが、欠かさずに行いました。
最初は、問題のある部分の位置すら分からなかったのですが、
探って行くうちに、手首から掌までの、ある数箇所に、
ここだというポイントがありましたので、
そこに集中的に右手からの気を流し込み続けました。
自分で自分を治療すると、治療されている左手に起きる反応も
面白かったです。
●そして、今月は、9月ですが、
私は今月は、一度も自己治療をしていませんでした。
つまり、治ってしまっていたことにすら、気づかなかったからでした。
それは少しずつ、少しずつ治っていったのですが、
5月の中ごろからはじめて、たぶん、8月の前半には、異常は2割か3割にまで
減っていたのだと思います。
手裏剣の合宿の7月には、まだ少し異常が残っていたのですが、
7月の後半あたりから、加速して治っていった覚えがあります。
●今回の自己治癒を、私に決意させたのは、言うまでも無く
「不満」です。
それも、最初は、加齢もあるだろうから、しかたのないこととして、
許諾しようかとも思った手の異変でしたが、
ある日を境にして、「絶対にお断りだ」と自分に結論を出しました。
「じゃー、高齢になった人は、
全員が、手がこんな痺れた状態なのか??・・・違うだろ!」
と、ごく「当たり前の認識」をしただけなのです。
●安静にしていれば治るのだから、
「自然に治ったのだろう」と言う人もいるかと思いますが、
5月から8月まで3ヶ月、私は、普通に作業をし、大工の作業もし、
料理では鍋も左手で振りますし、時にはグラインダーすらも使いました。
また、放射線測定器に使っている「11キロ」もある重い鉛を扱っていましたので、
左手に休息は与えていません。
まったく手首を安静にはしていませんでした。
薬は一切使っていませんし、気を送り続けた以外には何もしていません。
●そして、一切手を触れずに治す、というその目的を、とりあえず、果たしました。
現在は、最悪のしびれの時が「10」とすると、
0.2ぐらいは、僅かに少しだけ、違和感がありますが、
あえて意識を向けなければ、忘れており、気になったことはありません。
●このことを、決意したときに、私は7/4に、次の投稿で掲載する内容を書きました。
決意する、絶対に**すると自分に誓う、
そしてそれを実行し、きっちりと結果を出す。
この当たり前のことを、何度も何度も、人生のいろいろな局面で繰り返すこと、
それが自我の本来の機能であるからです。
●そして、その決意をさせる原因は、
常に「不満」「不快さ」「痛み」です。
だからこそ、
痛みや、不快さに、人は決して、鈍感になどなってはならないのです。
しかし、多くの人は、私も含めてですが、
その不快さや、痛みが、耐えられなくなるまで、
許せなくなるまでは、
決意や、覚悟や、絶対という意志が、腰を上げることはないのも事実なのです。
だから、私は、絶対に、〜〜〜〜する、あるいは、
絶対に、〜〜〜〜しない、
これをこれまでの人生の中で、どれぐらい社会や家庭の中で、
貫いてきたか、心が折れなかったということを、
その人を評価するときの、大きな基準のひとつにしています。
●また、特に、全自我以後の人に対しては、
あるいは、自我復元が、せっかくもう少しで完了しそうなまま、
そこで停滞している数人の人たち、
この人たちに対しても、いつか、決意や覚悟や、絶対の意志を貫ける
そういう状態から本当に、
「結果」を自分と周囲に出しているのかを見るようにしています。
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