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[417]
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★分割自我復元★その417■ 【自我復元の進め方】
by:
鈴木崩残
2015/01/04(Sun)05:46:08
わかったなら行動する
●おさらいですが、
感情を我慢した、我慢させられた、という、
その事のトラウマが原因となり、
特定の感情は、出してはいけないという抑圧によって、
AC人格は作られる。
AC人格の目的は、感情を殺すことである。
つまり、AC人格とは、毒親そのものである。
皆さん自身に、
「本当にしたいこと」と、
「絶対にしたくないこと」を、教えてくれたはずだったのは、
どこかの教義でもなければ、
うすっぺらな格言でもなければ、手本になる偉人でもなければ、
導師でもなく、また、自己啓発本や瞑想本でもないし、無明庵でもない。
それは、あなたの子供のときの感情である。
もう一度いいますが、喜怒哀楽の感情の「四大元素」です。
●感情に対して、麻痺したり、麻痺するようなことをしたり、
我慢ということをしなければ、
必然的に、感情を出しながら、世界に、ぶつかり、
それと同時に、それは発散されて、
「感情の新陳代謝」という、当たり前のことが起きていたはず。
もともとは、感情を「強烈なまでに」子供のときに繰り返し経験することが、
子供時代のなんたかるかであり、
それによって、「好み」というものも出来上がってゆくのである。
ここまでが、前回話をした、「理想や目的やしたいこと」は、
経験の多さや、考えたことよりも、
まず感情経験の豊富さが基盤になる、ということの要点です。
******************
●では、次に、それが阻害されてきた人、
つまり機能不全家族で、毒親だった人の場合はどうしたらいいのか?です。
皆さんは、たぶん、たくさんのことを今までに、ノート、スケッチブックに書いてきて、
そのまとめや断片を、報告としてメールで送信してきたはずです。
●自分のAC人格がどういうものかを整理するのが、
「AC人格列伝」であり、
そのひとつひとつが「どのトラウマに由来しているか」を把握する、
ここまでが、自分で書くAC人格列伝です。
それをもしも、本気で全身全霊でやれば、必然的に、
「このAC人格は、絶対に繰り返したくない」と思うものが出てくるはずです。
実際に、皆さんの報告の中にも、自分が同じ反応を他者に繰り返していることに、
うんざりして、それを滅したい、もうやめたいと思っている
という、決意文のようなものをよく目にします。
●であれば、具体的に、
「社会や家庭で、これこれこういう局面のときに、何何は絶対にしない」
と、部屋の壁に紙に書いて貼るべきですが、ただしこれは、
一人住まいの場合になります。
たとえば、同居している人間に対して、
「あいつの言い分は聞かない」とか紙に書いて貼ったら、
その宣戦布告は、ちょっとまずいことになります。
また、その文言がやってくる知人や誰かの目に触れるということは、
それを意識して嘘や、かっこだけつけた文言を書きかねません。
壁に大きく、自分に対する禁止事項を書くというのは、
一人暮らしの人の場合であり、普通は、メモ帳や特別な台紙や紙に、
それを書いて、持ち歩いて、トイレにはいったときなどに見て
決意をゆるがせないことが必要です。
●さて、AC人格報告を、
「はい、報告しましたよ。
もう、自分で自分のダメさがわかりました。
私は、トラウマのマーケットでした。
感情を我慢してきました。
で、これでいいんですよね? 合格点ですか?
前世掘りをしていいですか?」
そんなことをやるような人は、さすがに最近は少なくなりましたが、
無意識的には、しょうこりもなくて、まだやっている人もいます。
●もしも本気で、AC人格を完全分析したり、あるいは少しでも理解したのであれば、
ひとつ、あるいは、いくつか、
「****は今後しない」ということ、
言い換えれば、
「したくないのだから、***は、絶対にしない」
と徹底して自分に言い聞かせ、また、書いたとおりのことを
その日一日、出来たか、出来ないかを自分で自問するべきです。
まず、これをやっている人がどれだけいるのかということが
私は疑問です。
******************
●次に、それを続けてゆけば、当然のこととして、
それはまるで、禁止事項だらけで、自分にブレーキをかけたまま、
走れなくなっていることになります。
しかし、少なくとも、「暴走」だけは食い止められる、
という点で非常に重要です。
食いとめられず、過去と同じ、
情けない反応しか、他人に出来ない日もあるでしょうが、
少しずつ、一歩ずつ、その禁止事項を、実行する以外に道はないのです。
怪我をして歩けなかった人が、一歩を歩くことから始めるのと
まったく同じことです。
何度もいいますが、リハビリとして、それは「当たり前」のことです。
それを一気に走ろうとなどして、また怪我をして、
元の骨折に戻ったら、いったい、無駄にしてしまう時間を、どうするんですか?
●ここで、やっている非常に重要なことは、
ある意味では、自分に対して、この上もなく「否定的」であり、
それは、禁止事項や我慢を、あえて、自分に強いるわけですが、
大きく違うことは、
かつての禁止事項が、「親の都合の禁止事項だった」のに対して、
自我復元を、ある程度進んだ場合の自分に対する禁止事項とは、
「自分で決めた、禁止事項」であり、
「自分が自分に強いる我慢」であり、
その内容の特徴は「したくないことは、絶対にしない」、
これを、自分で「行動」で貫く、「初めての経験」となることです。
●AC人格によって、
「したくないことを、してきた」のですから、
それを、振り戻すには、
「したくないこと(AC人格のやること)を、絶対にしない」、
という方法しかありません。
●そうすると、前述したように、
「自分に禁ずること」によって、身動きが取れなくなりますが、
少なくとも、嫌なことをしないことだけは、達成されます。
まず、AC人格が、あなたに我慢を強いたのですから、
今度は、AC人格こそが、
逆に我慢をさせられる番になって当然である、という正論も成り立ちます。
●これまでに親からされてきたことへの逆襲というのは、
親に対してというよりも、
親が作り出したその「あなたの中のAC人格」に対しては、
どれほど残虐な殺し方をしても構いません。
AC人格に対してまで、寛大なふりや、受け入れるフリを出来るとしたら、
相当にその人は、絶望的に病んでいますし、一生、嘘つきのままです。
その復讐は、自分の中に出来上がっているAC人格に向けるもの。
あなたが親からされたように、
今度は、その「あなたの中のAC人格」に対して、
口出し、などさせず、
自分に、歯向かうことなど絶対にさせず、
お前なんか、生まれてこなければ良かったと、ののしり、
お前など死んでしまえ、
私に従え、
従わないならば、苦しんで、のたうって、自殺でもしろ、
と、どれだけ、虐待して、抹殺しても構いません。
あなたの中のAC人格だけに対しては、
今度は、あなたが、虐待する側に回っていいのです。
ただし、何度もいいますが、そのターゲットは、
断じて、他者への八つ当たりではなく、
「あなたの中のAC人格」に対してです。
●これまでに、本当にトラウマとAC人格を掘ったならば、
それが、そのような冷酷な扱いを受けて、抹殺されても当然の者であり、
それを、「これもあるがままでいい」などと、生き延びさせたところで、
何度でも、あなたの人生を台無しにして、
あなたを殺しにやってくると思ってください。
●そうやって、今度は逆に、
AC人格に対して、自分の意志で、虐待し続け、
無視したり、しかりつけ、否定し、殺し続けてください。
では、それを殺し続けている者は何か、誰なのかといえば、
もしも、正常に機能すれば、それが、自我ということになります。
いまさら言うまでもないことですが、
世間や精神世界で言われていた自我とは、AC人格のことであって、
主体という意味の自我のことではありません。
●AC人格というものは、
トラウマを思い出しと、書き出して、それで終わるようなしろものではありません。
「理解しましたけど、次はなんですか?」とか呆けて済むものではなく、
抹殺しなければなりません。
自分の中に、他者に対する攻撃性や、怒りがあるならば、
そのエネルギーを、不毛で無駄な結果にしたくなかったらば、
それを残らず全部、自分のAC人格に向けろということです。
その戦い、その徹底した虐待と、残虐さだけは、戦う意味があります。
自分のAC人格だけに対しては、どのような徹底した報復をしても、かまいません。
あなたの人生を台無しにしてきた、そんなAC人格に対して、
「これも自分なのだから、認めてあげよう、
こんな自分も好きになってあげます、」
こんな偽善や、生ぬるい姿勢など、一切通用しません。
●あなたがが、これまでに、
八つ当たりで他人に心の中で、やっていた軽蔑や、攻撃的な感情を、
自分の子供や、家族や、他者ではなくて、
あなた自身のAC人格に向けて、黙れ、死ね、苦しめ、ざまーみろ、と
返り血を浴びてでも抹殺しつづるということは、
具体的には、
「AC人格のやることを、あなたの決意で禁止する」ということであり、
それが冒頭に書いたこと(メモにして持ち歩くこと)です。
●「したくないことを禁じて、そのとおりにする」
たった、これだけのことであっても、
それを繰り返せば、
「したかったことを、そのとおりにする」
というものが「両輪」として浮上してきます。
自分の中のAC人格を、息が絶えるまで、殺して、踏み潰し続ければ、
しばらくは、何をしたらいいのかわからないかもしれません。
しかし、AC人格を皆殺しにして、ブレーキをかけたままにすれば、
いずれ、そのブレーキからも、いつか、あなたは足をはずします。
もう、ブレーキをかける必要がなくなるからです。
******************
●では、次に、
どこへ向かってアクセルを踏んで、ハンドルをどこへ向けるか?
それは、そのあなたの本来の運転の邪魔を、いままでしてきたAC人格が
いなくなってから、考えてもいいのです。
******************
●しかし、逆説的に聞こえるかもしれませんが、
そもそも、この戦いを、基礎で支えるものは、
「AC人格からのものではない、自分のしたいことがある」ということです。
それがあればこそ、それを阻害するAC人格と戦えるのであって、
何もしたくないような鈍感人間は、何かに逆らうことなど出来ません。
それをやったら、逆らうことそのものに奮闘、奮起、興奮するだけで、
あなたという車は、その車内で、自分ではない運転手のAC人格と戦って、
運転席を取り戻す、というところで、止まってしまいます。
●しかし、そもそも、車に乗り込んだということは、
あなたは、その車を住む家にするためではありません。
いきたいところ、つまり経験したいものがあったから、
あなたは、車、つまりここの肉体に乗ったのですから。
そのしたいこと、いきたいところ、
経験したいことが、阻害されたり、自動的に阻害するように、
毒親があなたの車に乗り込ませた「別の運転手」がいるから、
そいつを抹殺するのです。
●もともと、したいことがあればこそ、いきたいところがあればこそ、
つまり経験したいことがあるからこそ、
だから、戦う、あるいは、戦えるのであって、
そういう意味では、
したくないことと、と、したいことは、本来は「二つの車輪」です。
●ただし、トラウマに由来することのほとんどは、
分析してみれば、まずは、したくなかった事ばかりであることが
明らかになるでしょうから、まずは禁止事項からです。
それと同時か、またはその次に、
「したいこと」を、書き出して、そのとおりに出来たかどうかを
自分で確認してゆくことです。
したくないこと、
したいこと、
このどちらも、
したいことは何なのかと、あーでもないこうでもないと、
ダラダラと、自問することによってではなくて、
喜怒哀楽の感情を再び生き返らせることでしか見つかりません。
他の方法で、これが自分のしたいことだ、と思い込んだものは、
必ず誤認となりますので、
それは、決して、AC人格から自由になるような結果はもたらさないと
予測されます。
●そして、これまで、毒親にまつわる記憶や、AC人格のせいで、
したいことを、しなかったのですから、
あなたは、強烈にアクセルを踏み、
不慣れでも、必死にハンドルを握って、操作しなければなりません。
楽しく生きたければ、あるいは、安心して生きて死にたいのであれば、
これまでに、してこなかったことを、しなければならないのです。
これまでに、してきたことを、やめなければならないのです。
そこには、相当の無理や、努力や、強い意志あるいは、
モチベーションが必要になるのは、当たり前のことです。
努力それ自体を他者に見せて「努力はしてますよ」とか言っても、
誰も、そんなことを褒めたりしません。
●何十年もの長い歳月をかけて、あなたの毒親が、
あなたの感情や心を、時間をかけて、捻じ曲げたのだとしたら、
その金属、あるいは剣を、まっすぐに「ねじ戻す」には、
相当のあなた自身の力が必要か、
または、もう一度、炉の中で、溶かして、鋼を打ち直せるぐらいの
加熱が必要なのです。
まさに、「朱い鋼」です。
普通ではないような、異常な圧力を、長い歳月にわたり加えられて、
あなたは、曲げられてしまったのですから、
普通にやっていて、済むことでもなく、
普通にやっててて直ることではないのです。
しかし、それを奇跡的に直してくれるものに頼ろうとするから、
一発逆転という、ありもしないシフト、ありもしない奇跡を、
いつまでも妄想している人が多いのです。
本当の奇跡を生むのは、
奇跡とはほど遠いように見える、
毎日の、ひとつひとつの、あなたの 在り方のみ、
決意の実行の積み重ねのみです。
●私が、あれこれと、何かを言うよりも、
それが現実に始まっている人たちのブログから、感じ取ってたください。
Abyさん
http://mmjhb11.exblog.jp/
朱いはがねさん
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/
マディアさん
http://jigafukugen1987.blog.fc2.com/
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