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「分割自我復元」
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[463]
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★分割自我復元★その463■とても、繊細な報告より■
by:
鈴木崩残
2015/05/17(Sun)10:28:28
とても繊細な報告
●いつもであれば、私は単に「報告より」と書くのですが、
あえて「繊細な報告」としているには意味があります。
その理由は、読めばわかると思いますが、
ほんとうに「わずかな違和感」を自分の行動の中に感じて、
そこから、本質的なトラウマを掘ってゆく、その様子が実にすばらしいからです。
●ところで、AC人格の自己分析や、トラウマの掘り出しを、
「素晴らしい」などと賞賛するのは、実に変な言い方であることは、
私も自覚しています。
ご本人にとっては、大変な不快さや、つらさを通りながら、
掘る自分の手を、パンパンに腫らしながら掘るようなものですから、
むしろ「お疲れ様でした」と声をかけるべきかもしれません。
●それでも私が時々「よく掘れましたね」とかではなく、
「素晴らしい報告でした」と言ってしまうのは、
何がそこで素晴らしいかというと、それは、
自我復元というものは、自我を補充することと、
AC人格解除のために、行動指針を自分の力で変える、
というその部分以外は、すべて「荷降ろし」だからです。
●この、無自覚に親から感染したAC人格や、トラウマの荷降ろしは、
通常のカウンセリングでも、形式的だけであれば行われるものでしょうが、
自我復元の過程で行われる皆さんの自己分析は、普通に世の中にある
トラウマ分析の5倍は、精密にやっていると思ってください。
普通のカウンセラーならば、もういいです、としてしまうところを
私は、そんな甘いことは言いません。
なぜならば、甘いことを言って、結局、問題が解除されていなくて
その後苦しむのは、ご本人だからです。
治ってもいないのに、退院させる医者はいません。
だから、本当に治るまでは、とことん、皆さん個人個人に付き合っています。
●自我復元というものの、そのまたひとつ奥の背景には、
人の本質にかかわる部分が連結されています。
それ故に、自我復元というものは、ただのカウンセリングではありません。
ただのカウンセリングで事足りるのであれば、このような方法は
編み出されませんでしたし、
私自身、皆さんからいろいろなメールや相談を受けまして、
かつて、2006年ごろは、こうした問題は、
「一般のカウンセリングか何かで解決してからにしてください」
と言っていたことも多いものです。
つまり、精神世界どうのこうの以前の問題として、
みなさん自身で、他で解決してから、うちに来てください、
といったことを思っていたわけです。
●逆にいえば、それだけ、一般的なカウンセリングの効能、効果が
皆さんに効くであろうと、私も期待していたということです。
ところが、よく構造的なその蓋を開けてみれば、
カウンセリングでどうにかなるものでは到底なく、
まず、必要になったのが、欠損している自我の「量的」な補充でした。
しかし補充が100%になっているのに、その100%が、
ゆがんだままの器で100%であった事例が、数は少ないですがあり、
結局のところ、自我を補充+徹底的なトラウマ掘り、
これだけでは、どうしても解決できないものが残りました。
実は、その最後の部分も、カウンセリングの手法の中に、
「行動療法」として存在しています。
しかし、それもまた、今日まで、桜の間に掲載されたものや、
皆さんが、桜の間で紹介してきた、自我復元ブログを見るとわかるように、
普通にトラウマを掘っているだけでは、まさにまだ他人事なのです。
それが、強烈な自己探求に本当になっているのが、あるいは、
今はもう復元を完了して、かつて、強烈な自己探求になっていたのが、
マディアさん、お姫ちゃん、Abyさん、朱いはがねさん、無干さんらです。
天音さんは、かなり難しい壁にぶつかっていますので、どうなるか不明です。
*********
●話は戻りますが、
自我復元とそれにまつわる、トラウマやAC人格の解除というものは、
正確には、何かを新しく得るというものではありません。
私が、常に見ているのは、
皆さんのAC人格が、これまでに何をできてきたか、
何を積み上げてきたか、何を努力してきたかではなく、
「どうして、そういうことをしてきたか?」であり、
それを皆さん自身が掘った結果、自分で意思したことではなく、
親の悪影響を多大に受けていたことが判明するわけです。
つまり、獲得するというのではなく、
病巣を発見して、自分で切り落とす、という作業ですから、
どういう重荷がなくなったかが、重要な部分となります。
いっぺんにどさっと、ではなくても、少しずつでも、
本当にその重荷が取れた人は、独特の文体と雰囲気になります。
私はその変化を決して見逃しませんし、
逆にいいますと、その変化がまだないケースも見逃しません。
●そういう意味では、無明庵は、ずっと昔から、
その人が、何をできるか、何をしてきたか、何を努力してきたか、
などは、一切評価の対象では全くなくて、
どれだけ、心理的に身軽であるか、身軽になったか、
つまり、その人、つまり皆さんが、
自分のもの(心の支えや、価値観)として、持っているものではなくて、
余計なものを持っていないか、だけを評価してきた、という点では、
もう、約20年も、その方針は全く変わっていないわけです。
その余計なもの、その人の人生を、あたかもなんとか生きてこられた
というだけで、何とか人生経験らしきものはできた、と思い込んでいたただけで、
実は、幼少期のごく一部を除いては、
そのほとんど全部が、AC人格のやらかした挙動の結果で、
全く、「生きてすらいなかった」、
その事実が、炙り出されたのが自我復元でした。
そういう意味では、より「精神が身軽である」ことを評価する
その方針は変わっていないのですが、
その身軽になる具体的な方法が、出来上がったということが、
2010年以後の最大の違いです。
●さて、では、ご報告のメールです。
***************************
崩残 様
ご無沙汰しています。
前回よりだいぶ時間が経ってしまいましたが、
途中経過の報告をしたいと思います。
宜しくお願いいたします。
●子供の頃 時々母から恥ずかしいとか、がっかりしたという言葉をかけられ、
それが原因で自分を恥ずかしくてみっともない人間だと思うようになった、というのは
そうだろうと思う。
だけど自分の存在のやましさ、人前に立つときの後ろめたさは
感覚的に、どうしてもそれだけでは説明がつかなかった。
私が人前で躊躇するものを挙げてみると
●バスを降りるときブザーを押すこと
●店員に、買う商品を渡すこと
●喫茶店に入ること ●喫茶店から出ること
●電車で空いた席に座ること
●写真を撮ること
●挨拶をすること
●話しかけること
●咳をする
●鼻をかむ
●カバンから何かを取り出す
●その人を見る 等
今まで当たり前だったから気づかなくて、自分でも驚いたけれど
傍に誰かがいるとき
どんな小さなことでも、ほとんど全ての行動に疚しさを感じていて、
カバンから携帯を出すということさえ出来ず、断念することもよくあるのだった。
自分が動くことで 世界にさざなみが立つことを 酷く恐れていて、
それは自分は出来が悪いと感じるのとは異質だった。
以前から気にはなっていたけれどそのままにしていたことに
自分は歌が好きじゃない というのがあった。
高校生の時、どんな歌が好きかという話になり
「歌そのものが好きじゃない」と答えたことがある。
「興味がない」ならともかくおかしな答えだった。
それは今日まで変わらないのだ。
私が音楽を聴くのが好きじゃないのは共鳴とか共振が酷く苦手だからだと思う。
それで、敢えてあるバンドの曲を聴いてみた。とても重苦しいイヤな気分だった。
共鳴することに強く抵抗しているのが分かった。
普段聞き流している分にはなんでもないのに
じっと耳を澄まして聴いていると、胸騒ぎがして、変な汗が出てきた。
構わず、延々聴き続けて そしてなんとかそいつを掴まえた。
それは、
「自分は気持ちの悪い奇形のような存在だ」という感覚だった。
これは何かに影響された妄想だろうか。
今まで親との関係を思い起こして、
「年季奉公に出された子どものよう」とか
「恥ずかしくみっともない人間」とか、
「母と自分は被害者と加害者のようだ」
という認識を持つようになったけれど、更に踏み込もうとすると
壁にぶち当たってループしてしまう感じだった。
だけれど、今回はループから外れた、もう少し奥にある感覚だった。
人に見られたくない、意識されたくない、
本当は居てはいけないし、共鳴などしてはいけない、
自分は気持ちの悪い存在なんだから、と思っているようなのだ。
そして行動することでさざ波が立ち、
自分がここにいることを知らせてしまうから
何をするにも怯んでおたおたするのだ。
「何をするにも怯んでおたおたする」
昔、母にこの行動を見たことがある。
母は常に父と行動を共にしていて、
大方は、社交的な父が、他人との交渉にあたっていたから、分かりづらかったのだが
たまたま母と子どもたちだけで、喫茶店に入った時、
母は、注文をすることさえおぼつかなかった。
まるで自閉症者のように、ぼそぼそと独り言を言うように注文をしていた。
自分からウエイトレスを呼ぶなどということは、とても出来そうになかった。
私とそっくりだ。
●私は母に抱きついたり、しがみついた記憶がないが、そういうことをしても
恐らく母は顔をよじって控えめながら拒否の姿勢をとったと思う。
これは私に対してだけでなく、他の子どもに対してもそうだったろう。
そういう親密な関わりを生理的に好かなかったと、
母の立ち居振る舞いを思い出して思う。
子どもの頃の記憶を辿っても
2歳の頃には、すでに思い切り泣いたり、
駄々をこねたりしない子どもになっていた。
それは母のさりげない生理的拒否が原因ではないかと思う。
通常生理的に拒否されていると分かったら、
もうその人との関係は諦めるしかない。
好きだからと言って接触しようとでもしたら、返って遠ざかってしまう。
なるべく相手に意識されないよう何もしないのが、
今の関係を維持する一番の方法だ。
その事を理解していたのではないか。
そういう関係が、大きなトラウマを生まずとも日常化していた。
そしてよく分からないまま私を寂しく不安な気持ちにしていた。
物心つく頃にはこういう心の状態が、ベースに出来上がっていたのではないだろうか。
母と祖母との関係は、よく分かっていない。
母は祖父のことは、時々話題にしたが、祖母のことはあまり語らなかった。
子どもの頃、私たちが母の実家に泊まると、
祖母はたまにしか来ない私たち孫をとても可愛がり、一緒に寝たがった。
そして私をかかえるように抱き寄せて寝て、その上いびきをかくものだから、
子ども心にすごく居心地が悪かった。
母にはああいう、子どもを抱き寄せるような一面はない。
あんな風に孫を抱き寄せる祖母が母に生理的な拒否を示すとは、今は考え難い。
また、私たち姉妹は母方の親戚に可愛がられていたが、
そこにはH子(母)の子どもたちだから可愛い、という思いを伯母たちの中に感じていた。
子どもだった母は、自分の姿を思えば、
積極的に人と関わることなんて、とてもできなかっただろう。
家族にどこかで生理的な拒否をされたかも知れないけれど、
誰に言われなくても、
自分を「気持ちの悪い存在」と思っていたのではないか。
だからなるべく目立たないように、まるで居ないかのように
ひっそりと暮らしていたのだ。
大人になった母は、髪の毛もあったし、いつも綺麗にしていたし、
みなに美人だと言われていて、そんなことおくびにも出さなかったけれど、
みっともない、という言葉では足らない、
もっと致命的な感覚を持っていたのではないだろうか。
●私が母に深く同化してしまった原因の一つは、
母に罪悪感を植え付けられたことだ。
私のした悪い事を戒めるために叱るのではなく
その出来事を利用して罪悪感を抱かせるのだ。
21歳から約5年間*****に関わっていた。
出会いはたまたまだったが、その教理に様々な矛盾を感じながらも
居続けた理由は、やはり罪悪感だった。
人に罪悪感を植え付けて、贖罪を求める。
私のもともとあった罪悪感、加害者意識がぴったりそこにはまったのだ。
親には隠していたが、いよいよバレて、
父に、顔の形が変わるぐらいボコされて
*****と縁を切ることを約束させられた。
母は時々「本当に行ってないわよね」と不信感抱いていたが、
私は「信じてくれない」と言って否定した。
本当は隠れて行っていたけれど。
母はその頃「茶断ち」を始めた。
私が*****から抜け出せるよう、
「大好きなお茶を断って、願掛けしてるのよ」
というようなことを言った。
そしてまだ連絡を取り合っていることがバレた時、
「『信じてくれない』って言ったじゃない。
だから信じてたのに、本当は行ってたんだね。騙してたんだね。」と言った。
上目遣いの、責めるような、とても恨みのこもった顔を覚えている。
自分の子どもが、変な宗教なんかに関わっていいわけがない。
でもこの時は、
このままじゃ子どもが不幸になるとか、教理が絶対におかしい、
という感じじゃなくて、
「あなたのために自分の一番好きなものまで断っているのだから、
もっと罪悪感を感じて、言うことを聞くべきなのに、よくも騙したね。」
ということだったと思う。
どれもこれも罪悪感を誘おうとする言葉だった。
申し訳ないと思ったものの、
「信じてた」という言葉は、空々しく感じられた。
子どもの頃から、私を信じたことなど一度だってなかったのだから。
中学生の時、部活でテニスをやっていた。
春休みだったか、部活の後、
お腹がすいて、途中でインスタントラーメンを買って家で作って食べた。
母はまだ仕事をしている時間だし、夕飯まで時間があった。
見つかったら怒られるだろうな、と思ったけれど夕飯まで待てなかった。
そしてやっぱり見つかった。
「あんたは、なんで、そんな勝手なことをするの!」
と叱られた。
お腹が空いたから何か買って食べる、
というのは友達が普通にやっていることだったけど
私には、隠れてやらなければならない、酷く罪悪感を伴う行為だった。
いつの間にか、やること色んなことに、罪悪感を感じるようになっていた。
母は、私に罪悪感を抱かせ、何を禁じていたのだろうか。
この時母が怒った「勝手なこと」というのは
お腹がすいて“自分”で好きなものを買ってきて食べた、
ということだったと思う。
「お腹すいた、何か食べるものある?」と母に尋ねれば問題ないのだ。
自主的に何かをすることを禁じていたのだ。
いつの間にか、
自然の欲求や行動を悪いことに感じるよう教育されていた。
罪悪感を抱いて、欲求や行動を、自主規制するようになっていた。
友達の誕生日のプレゼントを買うこと、友達と遊ぶこと、家から出ること、
部屋で勉強以外の好きなことをする、
家族と居ない、母と関係のない世界に居場所を作ることに、罪悪感を感じ、
自主規制が働いて、それが出来ない人間になっていた。
まともに友達とも遊べない人間になった。
だってそれは(母から見れば)身勝手な、悪いことだから。
罪悪感によって自由意思は奪われて、
やりたいように動くことが出来なくなっていく。
おどおどするばかりで、やりたい事が分からなくなっていく。
自然と母の言いなりになっていく。
母がいないと生きていけないようになる。
そうやって同化していった。
母が「月の砂漠」が好きだ、と言えば、ピアノの発表会で
「月の砂漠」を弾きたいと思ったり、
「月見草が好きだ」と言えば自分も月見草が好きになったりした。
母に依存し同化するという生存方法しか習得していなかった。
だからガン無視されたら、 消滅していくような恐れを抱いたんだ。
それは死の恐怖なんだから。
「自分は生理的に気持ちの悪い存在なんだ」という感覚は
幼少期に、髪の毛のなかった母から感染した感覚と
小さいころに、生理的に拒否された感覚と
そこに植え付けられた罪悪感があいまって、
私の中に沈んていたのだと思う。
そう思うと、色々な事が納得できた。
なぜ夕飯時、母に「お醤油取って」と言えなかったか。
なぜ人に何かしてもらうことに引け目を感じるだけでなく
人に何かしてあげることも申訳なく思ってしまうのか。
なぜいつも、こそこそと隠れてしまいたいのか。
●ある朝、自我復元作業をしていたときのこと。
突然不安が襲ってきた。
昔からよく襲ってくる馴染みの感覚だったけれど
何の不安かと注視してみたら、
「これは母と関係のない世界だ」
「こんな事をしていたら自分が消滅してしまう」という不安だった。
頭を抱えて、うずくまってしまった。
本当の自分は、もういないんじゃないかと思うくらい
どうしようもなく強大な、母と同化した自分。
本当の自分がどこにも居ないということが、とても怖い。
いったいこれは何のホラーだろうか。
私が音楽にでも、人にでも共鳴することが苦手なのは、
そういうことが生理的に気持ち悪いと感じる母の感覚に感染しているとも言える。
私は誰とも、何とも響き合ったことがない。
それはやってはいけないことで、気持ちの悪いことで、
母を裏切る行為なんだ。
*********
●今の自分に出来ることをやろうと思った。
人前で行動を起こすことに怯んだら、絶対にそれをやること。
おどおどではなく、堂々と。
喫茶店から出るとき、うつむいてこそこそ出て行きたくなったら、
ゆっくり立ち上がって、身支度をして、
少しまわりを見渡して、急がずに出ていく。
鼻をかみたくなったら、思いっきりかむ。ブーンって音を立てて。
人がいて顔を上げられないと思ったら、すぱっと顔を上げる。
馴染みの不安が襲ってきたら、振り切って突き進む
何をするにもいちいち怯むから、私は自分にけしかける「堂々といけ」
色々な事が少しづつ、疚しさを感じずに出来るようになってきた。
だけどそれもちょっとした事で吹き飛ぶ。
誰かと二人きりになるときが、それだ。
会社で他の社員と向き合って座ったとき、
宅急便の配達人と玄関口でやりとりするとき、
私は全く顔をあげることも、相手を見ることもできなかった。
かなり落胆するけど、これからだって、やっていくしかない。
やりたくないことをやってみるのも大事だけど、
何か、やりたい事をやってみたいと思った。
本当に自分の好きな事。
絵を描くこと、書道、ヨガ、語学・スポーツを習う。
やりたいと思ったけど、どれも母の手垢がついている。
今、私がやってみたい事で、絶対母が手を出さないもの、
決して賛成しないものがあった。
歌を習ってみたい。
歌を聴くことも、歌うことも、ずっと嫌いだった。
私は共鳴を嫌っていたが、本当はずっと求めていたことだったんだ。
だけどこんな自分はそんなことをする資格がない人間のように思われて
嫌いになって避けていた。
そして共鳴以前に、そもそも自分自身が振動していない。
優しい子とか、お母さんによく似てるとか言われ、言いつけ通り、
息もしていないような静かさで、お行儀よく、圧迫されたまま、
私は、ずっと死んでた。
私は、死んだままでいたくない。生きて振動していたい。
○歌を習いたい。
今、一番やってみたいことでした。
この人に教わってみたいという先生を見つけて予約しました。
家族がこれを知ったら、訝しがるだろうな、と思います。
は?、いい年してどうしちゃったの
頭、大丈夫?
そんなものにかけるお金、どこにあるの?
自分の中でも、そういう声がします。
だけど、初めて、心からやってみたいと思ったことを、やめる気がしない。
誰にも何にも邪魔されたくないと思っています。
報告は以上です。
読んでいただいてありがとうございました。
***************************
■今回の方の、報告は以上でした。
この方の報告を読んでいて、思い出したことがありました。
この方の報告と直接には関係しません。間接的に関係します。
親のAC人格が、そのまま子供に感染しているケースのうち、
「母親」「父親」に関係なく、共通するのが、
その、あなたの親は、
>「どのような他人(のどういう点)を馬鹿にしていたか?」
>「どのような自慢を繰り返していたか?」
ここはかなり重要です。
たとえば、今までにあった事例では、
夫に先立たれて母親が必死に子供を育てているようなケースでは、
その母親は、「自分は女手ひとりで、子供を養っている」
ということを心の中で自慢にしているとともに、
そうではない人たちを「馬鹿にして」います。
また、自分の夫をののしる母親や、自分の妻をののしる父親です。
そうしないと、彼ら本人の中で、
自己存在証明ができなくて不安になるからです。
●同じく、いろいろな親に関する分析でも、
それこそ、マディアさん、お姫ちゃん、Abyさん、朱いはがねさん、
などには、特に顕著かつ、明確に、親の素行が書かれていましたが、
ポイントになるのは、その親が、
「どういうタイプの人間や、人間の言動を、見下げて馬鹿にしていたか」
と、
「どういうことを、しつこく自慢していたか」
この2点で、その親が背負っていた境遇からきている「AC人格」の
内容がよく見えることは、言うまでもありません。
テレビや新聞を見ては、いちいち、「こんな馬鹿なやつら」と
愚痴る「毒父親」というのは、そこらじゅうに蔓延しています。
では、その毒父親自身には、何ができるのか、どんな考えを持っているのか、
となると、独自なものは何もなく、
いわゆる「借りものの格言」だらけ、という典型的な毒親も、
皆さんが見てきた報告に、たくさんあったはずです。
これが父親ではなく、母親の場合には、
「自分が、どれだけ生活で、苦労と我慢をしてきたか」
ということが自慢の種となり、また他人や子供にも、その我慢を強要します。
●結局、親の親がされたことが、皆さんの親に感染し、
その皆さんの親がされたことが、皆さんに感染し、
しかも、時代や環境とともに、
手口が、より、陰湿で、わかりにくいものになってゆきます。
が、元をたどると、
「親に認めてもらえなかった」
「親に、意志や、夢や、時には、存在まで否定された」
「親に、何かに対する、罪悪感を持たされた」
「親にとって迷惑にならないように、萎縮して言うとおりにした」
「親に小馬鹿にされた、からかわれた」
「親に自主性を奪われた」
「親に反抗しようとした結果、親と同じになった」
といった傾向が埋め込まれてしまいます。
その結果、1から2歳の幼少期を過ぎて、5歳ぐらいまでには、
ほとんどすべての人格の「骨組み」が出来上がってしまい、
●その後、学校、社会へと生きる場を変えて、
そこでどのよう学習をしたり、
どのような経験をしたり、
どのような努力をしたり、
どのような分野にかかわったり、
どのような、「自分の世界」を築いても、
それだけの時間と労力をかけたものが、
すべてたったひとつの方向を見ていること、
たったひとつの病理から発生していること、
自分で決めたことだと思っていたことが、そうではなく、
何をどれだけ積み重ねても、
「私のように、子供のあんたも、
あるいは世の中のやつらも、苦労しなさいよ。」
という歪んだ、精神状態となり、
では、その「私のように」とは何であるのか?というと、
苦労や努力をしたその親ではなくて、
「私のように不幸になりなさい」と、毒親は言っているのです。
私は、子供のときに、自分の自由を奪われたのだから、
「あんたが、自由に生きるのなんか、許さないわよ」
これが毒親の本音です。
しかし、毒親たちは、その醜い口先では言います。
「子供というのは、自由にしなきゃねっ!」
「お前たちには、自由にさせてやっただろ」
でも、私が出会う人たちは、その親のせいで、
不自由になった被害者ばかりです。
***************************
●私は、皆さんに、苦労をしろとも、努力しろとも言いません。
ただ、「観ろ」と言います。
それは私が自分の親にそう言われたからではなく、
私がそれによって苦労したり、
その苦労で私が得たものがあるからでもなく、
私のように、なってほしいからでもなく、
「観ろ」
これは、宇宙それ自体が、あなたに命じたことだからです。
そしてそれに同意して、あなたは生まれたからです。
なのに、目を閉じるならば、それは契約違反です。
違反すると、罰則として、どうなるかは知りませんが、
たぶん、それは、
「目を閉じて歩き回り、行動すること」になるので、
精神的にも身体的にも、
あちこちに、不具合が生ずると推測されます。
しかもこの「観ろ」は、一部だけではなく、
「全部を観ろ」です。
都合の良いものだけではなく、都合の悪いものも、
不快なものも、また、率直に楽しいものも、
とにかく、観尽くせ、ということです。
●自我の欠損(不足)は、その視力を奪います。
また、薬物やアルコールの常用者に対しては、
私が決して自我復元のサポートを引き受けないのは、
それらの弊害は、極端なまでの、視力低下を起こし、
意識性は、「全盲」にまで悪化するからです。
この中には、抗精神薬もむろん含みます。
しかも、座禅や瞑想も、やり方を間違えているケースが多いので、
その視力低下を、たびたび引き起こします。
瞑想や座禅が、覚醒どころか、
都合よく、問題から逃げて、眠りこける手段になってしまうケースは
無数にありますし、ここでも報告もされてきました。
それを修正するために「関心地図」というものを、ある時期から、
私は提唱し始めました。
●トラウマの記憶の本当の姿と、本当の感情、
そして、捏造されていったAC人格を掘り出さないとならない、
というのも事実ですが、
それを掘り出す過程での、その人の中の、
「AC人格 VS 原主体」の、命がけとも言える作業によって、
その「観る」という「眼」そのものが、息を吹き返します。
知識や本など、全く何も必要ありません。
必要なのは、「濃密な時間」です。
時間の長さではなくて。
●そして、そこでは、あなた自身が、その「対象そのもの」なのですから、
必要なのは、
テレビを消し、ネットから離れ、アルコールなど飲まず、
あなたたった一人と、
部屋を薄暗くして、
それを見る、時間(機会)だけ。
自分の過去と、
自分の親、
自分と自分の親の関係で、出来ていってしまったものは何か?
それだけを、「とことん」見ればいいのですから。
今回の報告をくれた人のように、
そして、今までに公式の自我復元に書かれているように、
あるいは、「いらない親」の書籍の中の事例にあるように。
******** **********
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