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[488]
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★分割自我復元★その488■ 死後の軌道−その2−転生と自我復元 ■
by:
鈴木崩残
2015/08/24(Mon)20:40:18
>文末に動画をリンクしておきました。
自我復元と転生の選択
●これは、少し前に書いた「死後の軌道」の続編です。
「死後の軌道−その1」(必要なのは休息期間)
↓
http://www.mumyouan.com/k/?S485
自我復元との関係で転生を考えるとき、
今のところ、ほぼ確かと思われることは次のことでした。
>「直前の生」の記憶とパーソナリティーが、
>今回の生の選択を決めた主な「主体」である。
>つまり死後の直後には、次の生を選択して合意するまでは、
>現在の皆さんのパーソナリティーと記憶がそのまま継続する。
>次の生を選択して合意したその瞬間に、それまでの記憶の大半が消える。
*********
ただし、これを前提とすると、
次のケースでは、例外が生ずる可能性があります。
私個人の自主調査によると
現在の生に最も影響しているのは「遠い過去生の記憶や人格」ではなく
直前の生のパーソナリティーでした。
つまりこれだと次のような問題が生じます。
若かったとしても、もしも20歳ぐらいで死んだ場合には価値観あり
それを元にして次の生の選択基準とするが、
たとえば10歳以下で死亡すると、
「その精神年齢で」次の生を選択していることになります。
つまり60年を生きた人格によって選ばれる次の生の選択
(性別、国や地域、両親、環境=戦争地域か否か、食べ物に困らないか)には、
ある程度慎重になるが、
もしも直前に10歳ぐらいの子供で死亡していると、
その子供の人格によって次生を選択してしまいます。
これは、たとえると、重大な不動産契約をする被契約者が、
大人か子供かほどの違いがあります。
●さらにいうと、3歳程度や、まだ歩けない子供、
あるいは、堕胎や中絶で死亡した前世の場合は、
中間領域では、何も対策がないと、
その人格のまま、次の生(肉体という不動産物件)を
選択することになってしまいます。
といっても、中絶されてしまい、人生を生きていない人格では
選択しようがありませんので、その場合には、いったん戻って、
「再選択」となる可能性があります。
この点については、おそらくは、あっち側の世界に特有の、「未成年」の基準があり、
死亡時に、7歳あたりを越えたらば その年齢の人格に選択を任せていると推測しています。
●また、もしも前世で7歳未満で死亡していた場合には、
次の生の選択を出来るほどの人生の記憶と主体性がないために、
何らかの「保護者のようもの」が付き添うか、
または、そのひとつ前の前世の記憶と人格に判断させる、
という手続きがあるとも考えられます。
いずれにしても、死後直後は、今回生きた記憶も人格もそのまま在り、
次の肉体への降下を選択した瞬間に記憶を失うというルールのようです。
●つまりこの世界で生きたことの全ての経験というものは、
中間領域で次の生を選ぶ際に、
毎回新しい「判断材料」を持ち込めるとい利点があるわけです。
たとえば嫌な毒親、国、環境だった場合には、
次にはそうでない選択するでしょうし、
楽しかったならば その記憶を元に、より可能性のある次の生を選択するでしょう。
人間の肉体に生まれるということは、不動産契約とかなり似ていて、
ただ違うのは、選択の範囲は、実際にはかなり広いということです。
ただし「契約課 担当者」の説明の不備によるトラブルがよく起きます。
実際には誕生地点を選ぶ際には、
緯度経度(国や地域)・性別・両親・時代、その他の
「詳細な注文」が出来るのですが、
多くの人たちに対しては、両親や国の状況や経済状態以外にも、
かなりの種類のシナリオ(出会う人間、教育内容、目的にそった運命)
を選べるということを説明されないために、
「細かい点は、わかりませんので、あとは、お任せします」
という軽率な契約で手を売ってしまうのです。
その結果、本人にとって予想外または条件の悪い場所や親のところに
生まれることが多発しています。
このトラブルが続発している最大の理由は、
誕生契約課の担当者が事前に選べる項目を提示しないことが大きいです。
また、「その条件ですと250年ほどの待機となります」
「その条件ですと、あの国に限られます」などの説明です。
後者は、タイムセールを突きつけられて、慌てて選択をして生まれた
本人の責任ですが、前者は明らかに係員の「職務怠慢」によると私はみなしています。
******************
●とにかく、死後の世界というものは「胡散臭い」のです。
私は死後の世界の「有無の真偽」が胡散臭いと言っているのではなくて、
そこで行われる 契約の形式、余計なお世話や、説教ような事を言い出す存在や、
その死後の世界によって、勝手に押し付けられる価値観や世界観や、
不当に求められる次の契約、これを胡散臭いと言っているのです。
このことは、次の記事の後半部にある「中間生(うちでは中間領域といいます)」
に関する部分を読むとよくわかります。
まずご一読ください。(2ページあります)
↓
1.
http://matome.naver.jp/odai/2135764113524856201
2.
http://matome.naver.jp/odai/2135764113524856201?page=2
●今までに、人間は、繰り返し何度も何度も死んでいるくせに、
死ぬと何か「自分が弱い立場に置かれている」とか、
そこで登場する者の説明に「従わないとならない」と反射的に思い込む癖があるようです。
しかも、ホンワカとした、安心や至福を喚起する光を照射すると、
ほとんど家畜のように思考停止してしまいます。
これを繰り返しているかぎりは、たぶん自由意志は獲得できないでしょう。
●いわゆる、宗教とか、倫理とか、人格形成が重要だとか、
学習する魂だののスピ系とかの妄想に犯されている人間は、
誘導して、地球にまた放り込むのに、全く手間がかかりません。
その人たちを安心させたり、心地よくするような、
「彼らの大好きな映像世界」「価値観世界」が、
既に十分な種類のストックの用意があるからです。
●一方で、そうしたものに依存していなかった人に対しては、
死後に「完全な暗闇」に放置すると、必ず起きる事があります。
死んだばかりの人間の意識の主体を、
「完全な無音と暗闇」の中に、ほんのしばらく放置すると、
99%の人は、寂しくなり、不安になってきてしまいます。
闇の瞑想をしていたから自分は大丈夫だと思い込んでいる人たちも、
そもそも、イメージで擬似的に作られた闇を想像していただけに過ぎませんので、
身の毛もよだつような、足元から四方八方まで、無限に思えるほど
全く何も存在しない本当の暗黒に取り囲まれた瞬間に、
命乞いをはじめたり、頭が狂いそうになります。
これは、ただ、怠惰に暗闇にいるといった、
「なんちゃって暗闇」とは全く違います。
そしてその結果、つい、こう言ってしまいます。
「あのー、誰かいますか?」
すると、1秒もしないうちに返事が来ます。
「はい! なんでしょうか?」
待ってましたとばかりに、何者かが登場します。
また人でない場合には、光や、「出口」が現れます。
これが、現在一番よく使われている、最も単純なトラップです。
*********
●冒頭に書いたように、
死んだときに、今現在の記憶と人格がそのまま、向こうで機能しており、
今のままの皆さんの判断で、次の生を選択するという前提によれば、
自我復元をしている人のうち、特に、トラウマを本当に掘った人たちは、
次の生を選ぶときに、両親について、ものすごく慎重になると思います。
●自我復元をせず、また自我復元をしていても、
トラウマを掘らず、AC人格の分析もせずに、
「自分には、たいしたトラウマなんてないだろう」
「親に問題なんてない(と思いたい)」
とやってきてしまった人は、どういう親を選択するのが良策かが、
全くわかっていません。
「別に、食べ物に不自由せずに、戦争とかない国がいい。
親は、あまり自分を束縛しない程度に普通なら、それ以上は希望は出さない」
こんな程度の希望で生まれる両親を選んだらば、どえらいことになりますが、
そのどえらいことが、多くの人たちに起きたという証拠が、
この「桜の間」や「いらない親」にある、毒親に関する皆さんからの報告です。
●大雑把に言えば、
生まれる空間的な場所、時代、両親、環境などを選べる点では、
ちょうど部屋や借家を借りるようなものと似ているのですが、
ただし生まれる時の条件の中に、実は「もっと詳細な条件」を
つけることが出来たことを知らない人が多いのです。
●たとえば、五体満足といっても定義はいろいろですが、
外科的、内科的な病巣または症状がないこと、という条件も無論重要です。
●しかしそうした身体にまつわる条件だけではなく、
「何を自分の目的や課題として生まれるか」という目的を決めて、
その条件に合う誕生地点を選択するということもむろん出来ます。
この場合には、それはちょうど皆さんが、
「まー、ただ今の家が嫌だから、引っ越せばいい」、
という姿勢で物件を選ぶのではなくて、
やりたいこと、したいこと、またはしたくないこと、かかわりたくないこと、
などを明確にして、その上で、その物件の周囲の環境や、
室内を選ぶのと同じです。
この場合に、室内は肉体の内部のこと、
周囲の環境は、あなたの人生に自分で定めた生存目的に合うような
「運命」のシナリオをある程度選択できるということです。
必要ならば、生きていて、出会う人間の「種類」の指定なども出来ます。
親を選ぶ場合に特に重要なのは、
「その親の幼少期を見せて欲しい」と要望することです。
すると見かけが優しそうだなどの理由ではなく、
自分が生まれる予定の親に、トラウマがないかどうか確認できます。
(自我復元のトラウマ掘りをした人は、より理解しているので、
しかるべき親を選択できるはずです)
●つまり、
よく、「スケッチブックに、自分のなりたい姿が何も書けない」
という人がいるのですが、
それでは、次も、当然に「漠然としたもの」になり、
今よりもずっと望ましくない環境を選択する可能性が出てきてしまいます。
なりたい自分や、自分の目的が詳細に決められないのであれば、
少なくとも、絶対に、次の生では絶対に避けたいものぐらいは、
スケッチブックに書けるようにしておいてください。
そういうことをせずに、
前の生での「不満」や、「やりたい事が、やりつくせなかった後悔」
つまり、リベンジを目的にして生まれてくる人たちが相当数います。
しかし、やり残してしまったことのリベンジであれば、
まだしも目的がそこにありますが、
ただ漠然と、
「次は、ちゃんと結婚したい」
「次は、もっとマシな異性に出会いたい」
「次は、貧乏は嫌だ」
「次は、戦争は嫌だ」
「次は、何何をして遊びたい」
「次は、毒親のところには生まれたくない」
「次は、世の中の役に立ちたい」
とか、この程度の希望だけにとどまれば、
それは希望どおりになると思いますが、
「それ以外の条件」に、たくさんの「盲点」や、
「そんなことまでは考えていなかった」というミスを必ずします。
たとえば、前述のリンク先にも、
「世の中の役に立ちたい」と思って生まれるという記述が出てきますが
そんな漠然としたことで契約をしてしまったら、
一生の間、何の役に立てるのか?の放浪で終わってしまいます。
そうではなく、どういう分野でどういう意味で役に立ちたいのかの
細かいストーリーを描けないかぎり、本当に「漠然とした願い」のまま
精神的に路頭に迷ったまま、また死ぬことになります。
●むろん、皆さんの次の生に対する希望の全部が通るとは思えませんが、
希望すらも出せないのでは、
どんな「事故物件」と契約してしまっても後の祭りですから。
●とにかく、トラウマを掘り、AC人格を分析した人とそうでない人との間には、
次の生の選択に対する警戒心、注意深さに、雲泥の差が出ます。
生まれるところにいる両親の悪影響というのが、どれほど深刻な事かを
幼少期の記憶を掘った人ならば、嫌というほどわかると思います。
掘らなかった人にはその重篤さがわからないので、
両親の選択には、ノーチェックとなってしまいます。
この場合の両親の選択とは、お金があるとか、単に自由にさせてくれるとか、
そんな低次元なことではありません。
何が親を選ぶときに、最も重要なことであるのか、
それは、トラウマ自己分析をしてきた人ならば、すぐにわかるはずです。
してこなかった人、または、まだトラウマ分析をしている途中の人は、
いまだに、どういう親を選択すればいいのか、
それが全くわかっていないと思います。
●言葉を羅列する事などは、誰にでも出来ることで、簡単なのです。
「したいことをさせてくれる親」「したくないことを強いない親」
こんなことは、誰でも口では言えるのです。
でも、皆さんは、言葉なしに
「イメージだけ」で、明確にそうした親を描けるでしょうか?
死後の世界で有効なのは、明確なイメージであって、
「愛」だの「悟り」だの「静寂」だの「自由」などと、
「ただの言葉」を言うだけの、言葉遊びなどは、全く一切通用しないのですから。
死んだあとというのは、
五感の記憶、またはそれ以上の次元の感覚をも全開にして、
「リアリティーのあるイメージを形成できるか」だけが重要になります。
●そういう意味では、
ロバートモンローの言う、「非言語コミュニケーション」にも、
今、生きているうちに慣れておくといいです。
簡単なやり方としては、自分の中で一人で思考をしたり、
または、思考を相手に伝えるときに、
「スライドショー」、あるいは紙芝居のようにイメージを並べて
言いたいことを伝える練習を積むということです。
しかし、このときに、よく注意してください。
あなたが相手に伝えようとして並べたスライドショーを
あなたが自分で見たら、
それで本当に、相手に伝わるクオリティーを持っているのかどうか?
自分で見ても、意志や意味が、
相手に伝わらないと思えるようなスライドショーが、
相手に伝わるわけがないのです。
その相手が、人間でなくてもです。
■このことについて、清田氏がヒントになることを語っています。
↓
******************
■最後に、「朱いはがね」さんの、
「AC人格に失敗し続ける私」という投稿には、
文字どおり、そこで躓いている人たちへの、たくさんのヒントがあります。
↓
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/blog-entry-77.html
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