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[509]
■
★分割自我復元★その509■ トラウマ分析の報告 ■
by:
鈴木崩残
2015/10/09(Fri)06:34:40
トラウマ分析の報告
*********
鈴木 崩残 様
お久しぶりです。
早いもので、こうしてメールを送り始めて、もう2年がたとうとしています。
中略
家族の中では、「不登校も、誰にでもあるだ」、
という思い込みで片付けられ、「無かったこと」のようにされた。
兄弟の中で最初に不登校になったのは弟だった。
弟も発達障害と診断されていたと後で知ったが、
思い返しても、これといって家族の対応に変化はなかった。
弟は、機嫌がいいかと思えば些細なことで怒り出し、
外に出ればうって変わって口数が減り、
内弁慶な性格だと家族には言われてきた。
やがて弟は学校でいじめられるようになり、不登校になった。
両親は引きこもった弟を精神病院に連れて行き、
父親は霊能者まで持ち出して、未だに頼っているが、
今まで弟や自分がどんな思いをしてきたのか、
深く考えることはしなかった。
両親が狂っているのは、そういう「無関心さ」だった。
本当の理由が何なのかなんて、実際には興味もなかったのだろう。
何かの病気なのだ、はたまた、家系の運が悪いから起こった、
と両親はそれぞれ考えた。
結局は、自分たちが納得できる、都合のいい理由が欲しかっただけだ。
自分が学校に通いだした後、その時の担任の先生に父親が宛てた手紙に、
父親は間違ったこともあったのかもしれない、と書いている。
父親の認識は、その程度のものだった。
自分の行動が、正しいのかどうかも未だにわかっていない人間に、
自分はあれこれと指図を受け、「躾け」られていた。
自分が初めて、母親に自分の過去について尋ねたとき、
「終わった話をなんで今更」、と言ってきたことがあった。
母親の心の中では、不登校のことなどすでに片付いてしまっている。
当時を思い出しても、
両親は子供が苦しんでいても、どうでもいいみたいだった。
その証拠に 、自分が小学生のとき、こんなことがあった。
父親から散々説教を受けた後に、
母親が、まだ泣きはらしている自分のところに来て、
「何でお父さんのいうことを聞かなかったの?」と聞いた。
このときは、何といっていいのか、答えようがなかった。
そもそも、質問の内容もおかしかった。
思い出した今でも、本当に訳の分からない質問だ。
嫌だから、以上に何の理由があるのか?
それに、怒られる子供を放って置いて、
後で理由を聞いてくるなんて、どこまで人の気持ちがわからないのか?
その一方で、母親や祖母は、自分が熱を出して寝込むと看病した。
タオルや氷水の入った水枕を取り替えたり、スポーツドリンクを飲ませたり・・・、
甲斐甲斐しく世話をし、その時だけは、
いつになく、自分は気にかけてもらえている、と感じた。
それなのに、本当はやる必要のない、自分が嫌がることを無理やり私にやらせ、
私が父親から怒られたり、自分の心が傷ついた時には目もくれない。
両親の言った、「今までちゃんとしてきた」、という主張は、
子供を「躾けた」、身の回りの世話はした、そういう理由からだ。
心が、ない。
どう思おうが、何の興味もない。
他人の心がどうなろうが、知ったことか。
これが私に、うつってしまった。
自分だって苦しい、我慢しているのに、
どうして子供の心の面倒まで見なくちゃいけないのか。
両親の本音はこれだ。
そして、自分がそうだ 。
他人に理解を求めても、自分の都合しか考えようとはしない。
そのくせ、わかってもらえない、と不満をためる。
他人に大して関心がないのは、発達障害だから、という理由だけじゃない。
両親は自分たちの子供に、大して興味がなかったんじゃないだろうか。
でなければ、父親はともかく、母親が、子供である自分を放っておいて、
母親自身ですら多少はおかしいと感じていた父親の言動をかばいはしない。
自分の気持ちをないがしろにしてきた親に、
どうして、子供の気持ちを大切にできるだろうか。
不登校のとき、学校に行けという理由のはじめには、
「お前のためだ、今休めばずっと行けなくなる、どうしてお前は行かない」
がついていたが、今 思えば、子供が苦しい思いをするより、
世間に顔向けできないことのほうが重要だったことを、
そんな言葉で親は、ごまかしていた。
こんなこともあった。
自分に家事の手伝いを持ちかけるときは、その場にいる弟や妹にも聞いた。
弟や妹は、手伝う、と言うことがある。
その時に、両親や祖母は自分に向かって、
「ほら、○○はしているけれど、手伝わないの。」と聞く。
母親は、弟や妹の言動を、無意識に利用していた。
そう言われると、私の中には、情けなさと悔しさが入り混じって、
意地でも手伝いたくなくなった。
その後で、正しいことを自分はしなかった、という罪悪感を感じた。
弟や妹が手伝っているのに、自分は意地になってやらない、
という状況が自分がわがま まで幼稚であるように感じた。
母親の、心配しているというのは、
「ほらみろ、私の言うことを聞かないからそんな目にあうんだ」
と子供をせせら笑っているのと変わりない。
自分の不安を擦り付ける行為のことを、
「子供のことを心配している」と言っているに過ぎない。
自分の幼いころを映したハンディカメラを見返した。
ビデオの中で渓流の浅瀬で遊んでいる自分たち兄弟といとこが写っていたが、
両親やいとこの親ともども、しきりに名前を呼び
「危ない、危ない」と、実にうるさかった。
ビデオの中で自分の名前を呼ぶ声が聞こえると、今でもうっとうしく感じる。
思い返せば、おもちゃで遊んでいたり、景色に見入っていたり、
人が楽しんでいるところに、何かあれば何度も名前を呼ぶので 、
邪魔をされた、いやな思いを何度もしていた。
まともな親であれば、川岸でのんきに指示を飛ばして騒いでいるのではなく、
子供に説明するか、川に入ってそばで見守るかぐらいのことはするのではないか。
実際に他の親は、浅瀬で転ばないように子供を支えていた。
でも、私の親たちは子供が川で転べば笑い、
本気で心配などしていないくせして、そんなことをいうのである。
自分の中の家族の定義が、間違っていたのだと思う。
あまりにも個人の境界線があいまいで、
親は子供に命令ばかりしていたのだから。
家族は血のつながった赤の他人、と思えば、
少しは距離感を保てるのかもしれない。
仕事の実習の作業中に、小さな不快感が出てきたのに気づいた。
作業を続けて、疲れが出てきていたが、それでも作業を続けていると、
指示をする職場の人に、自分の体調を気遣ってほしい、
という不満を持ち始めた。
気づいた後に、自分で休憩を申し入れてしばらく休憩を取った。
休憩しながら思い返すと、
相手に対して不信感を抱くきっかけが、この不満だった。
自分の体調を逐一把握して気遣ってもらうなんて、無理な話で、
それなのに一方的な不満を感じていた。
休憩中にメモを取り、
「自分の辛い気分を無視したことがあったか?
加えて、他人の指示を優先したことがあったか?」
と書き出すと、
はじめに、習い事に行かされた、
不登校のときに登校させられたことが思い当たった。
というより、その出来事に限らず、これまでの大半がそうだった。
もし、無理強いをする相手だったら、
間違いなく、この不満のおかしさに気づかないまま、
不信感を生んで、自分で苦しさを作るところだった。
でも、この職場で注意されるときは、
自分が無理に力をかけたり、手間のかかるやり方をして、
自分で自分を苦しくさせるやり方をしたときだけだった。
なぜこういうやり方のほうがいいのか、理由も説明したうえで、
違うやり方をおしえてもらうのである。
そこが、両親といくつかの先生とは全く違っていた。
彼ら(両親や先生たち)は、普段、態度や本心では突き放しておいて、
しきりに自分のやり方を押し付けたかと思えば、
たまに言葉でほめた。
家庭訪問や三者面談のとき、母親は先生に向かって、
「真面目で自慢の息子です」、とほめていた。
最近まで、自分の長所は?と聞かれれば、真面目な性格です、
としかいえなかった。
だけどそれをはじめに言ったのは、母親だ。
真面目だといったのは、母親で、
小学生のときは、自分がそうだとはすこしも考えてもみなかった。
自分に無理強いさせることも、真面目だと自分で思い込んでいる節があった。
親から与えられた理想の人間像を押し付けられて行き着くのは、
「そこから外れている他人」を見つけては、
何で自分は真面目にやっているのに、こんな思いをしなければいけないんだ!
という、「恨み」の繰り返しだった。
言い換えれば、
何で自分は苦労をするだけしたのに、誰も認めてくれないんだ!
という、自傷行為にも似たこの行為を認めてもらえないのを恨んでいた。
自信がない割りに、相手にありもしない報酬を求めて、
不満や恨みを蓄積させていく。
正しいと思い込んでやっていても、
いつまでたっても事態が良くならない。
ほめることが毒になる原因は、親の態度と言動の矛盾にあった。
これで以上となります。
中略
恐らくは、また近いうちにメールにて報告すると思います。
引き続き、よろしくお願いします。
*********
■以前にも書きましたが、この方は、自我復元をしている方の中で最年少です。
両親から離れるための自活の重要さと、トラウマ堀りを進めるために、
現在、仕事を始めているところです。
20歳前後の年齢である場合に、それ以上の年齢層の人たちよりも、
トラウマを掘るときに、少しだけ有利な点があります。
前にも言いましたが、まずは「時間的に幼少期が近い」ということです。
幼少期の記憶を思い出すのに、30歳、40歳を過ぎてからよりも
20歳ぐらい時のほうが、思い出しやすいという点です。
●が、それよりも有利なのは、
「まだAC人格」がそれほど肥大していない場合がある、
という点です。
ただしこれは個人差があります。
すでに5歳ぐらいのときには、完全にパターンが固まってしまった
AC人格(=親から不快を受けないことだけを目的にしてしまった人格)
これをもったまま20歳前後になっている人もいます。
●一方で、AC人格というのは、社会に出たり、人間経験をするほどに、
「複雑になり、やり方が陰湿になり、誤魔化し方が、小ずるく」なります。
経験してゆく先で、AC人格が、上手く自分の本心と他人を
ごまかせた経験を持つほどに、AC人格は自信をつけて、
どんどんその人の中で、のさばってゆきます。
しかし、そうした対人関係の中で「ずるく成長してゆくAC」が
20歳前後では、まだ発達していません。
●おそろしく、「ベタな、あくまでもフィクション」の話で恐縮ですが、
昔の「学園ドラマ」で、家庭に問題のあった子供(生徒)が、
何かのきっかけで、変化する、という設定が、この年齢層にある
というのは偶然ではありません。
大人社会に染まる前だからこそ、
まだ、ごまかし切ることの出来ない「本心」がたくさん生きている、
その可能性があるのです。
*********
●ただし、明確に言っておきますが、
だからといって年齢が若ければ有利、中年になっていたら不利、
だから、自分は掘れない、というのも間違いです。
なぜならば、中年、高齢であっても、
掘り始めたら、すぐに掘れた人もいるからです。
では、トラウマ堀りの進展は、個々によって、何が違うのか?です。
●一言にいえば、それは、報告文にすべて現れています。
報告文の内容に「ラッピング」がされていないか少ないもの。
これがトラウマが掘れている場合であり、
もっといえば、原主体というものが、トラウマ堀りを進めている段階から
すでに起動している人の報告です。
実は、この今回紹介した彼の報告は、それにあたります。
途中では、若干、意識が弱ったりしながらも、
一環して、「自分の本心を、包装紙に包まない」報告内容であるのです。
●自分の心をまっすぐに直視して報告文を書いていることと、
報告文の中にまで、盛りだくさんのAC人格による言葉がある場合、
この違いを、見る人が分からないとでも、皆さんは思っているのでしょうか?
●トラウマ掘りと、AC人格分析の報告が寄せられる際には、
当然に、掘っている動機、報告している動機、掘り方、誤魔化し方、
それこそ、報告文そのものが、
自分の問題に向き合い、自分の本心を助け出すこと、とは別の動機で
ラッピングされている部分は、AC人格が書いていることです。
報告文にまで、かっこうをつけたり、すかしたり、言い訳がましいことが満載のものです。
それだけしかないような報告も「ごく稀に」ですが、今までにありました。
●一方で、ほとんどの場合には、
トラウマを堀り、報告を書いている中に、
AC人格と、本心の「二つが葛藤しつつ」、混ざっています。
そのAC人格ではないほうの本心の部分の報告、ここが
あるとき、突然に比率が増えてくることがよくあります。
この事例を私は本当にたくさん見てきました。
●最初のころの報告などは、
目も当てられない、AC人格だらけのものだったものが、
記憶やトラウマが掘れるに従い、ある時、突如として、
それを見たり、分析しているのが、AC人格ではない、
もともとの子供の目に戻っていることがよくあるのです。
だから、そこから、一気にその人たちは自我が復元されてゆきます。
しかしその、AC人格やトラウマを分析している、
視点そのものの入れ替わりが起きるまでには、
人によっては、長い歳月がかかることもよくあります。
自我復元やトラウマ堀りを初めてから、2年、3年目に、
はじめて、その視点が開花することもよくあります。
だから、トラウマ掘りは、諦めてはならないのです。
それをしないままに、今後生きたり、先に進んだり、
あるいは死んだらば、せっかくのここ数年間の、
価値ある自分への働きかけが無駄になってしまいます。
それがどれぐらい重要なものだったかを
死んだあとに、あるいは老いたあとに痛感しても、手遅れなのです。
●そして、トラウマが本当に掘れる時、
言い換えれば、掘っている者が、本物の自我の視点になるというのは、
決まって、「切羽詰った時」です。
自我復元はゲームではありませんし、
他人から認めてもらうためのものではありません。
私がその判定をしてきて、認めたり、まだですと指摘するのは、
本当に「本人」が発現し、起動をしたか否かを基準にしています。
また、AC人格と、本心の「混合比率」はいろいろですので、
白か黒か、100点かゼロか、というのではありません。
だから、私は幾度となく、問いかけるのです。
「何のために自我復元を始めたのですか?」と。
「自分でも嫌で、不快な自分の部分変えたいと思ったから」、
これ以外にはないはずなのです。
自分で自分を不快だと感じられないほどに鈍感になっているAC人格は、
自我復元をする必要はありません。
●だから、それが出来ないとか、関心が薄れたとか、
努力をしているつもりなのに、行き詰まるとしたら、
「別に、この部分は変わらないでもいいじゃないか」
そう思っている部分があることは間違いありません。
むろん、そう思っているところは、
本人が違和感を持ったままで、「変わらないまま」になりますが、
これでいい、問題ないじゃないか、と思っているところの大半が、
毒親由来のAC人格であることは、
今までの報告からも、無数にありました。
●今回の報告の彼の場合には、
掘ろうとしいている、見ようとしている視点の目そのものが、
初期のころから、AC人格ではない地点から見ているために、
AC人格の挙動やトラウマが、
非常に「平坦な言」で語られていますが、
多くの機能不全家族の「本質」を、もの見事にスバりと突いています。
決して、分かりやすい暴力家庭ではありません。
しかし、トラウマというものは、「暴力や恫喝」なしにであっても、
>>「説教や小言の多い親」
>>「酒に酔っ払っている親
>> (キッチンドランカーの母親もいますが特に父親)」
>>「他人の前で偉ぶる親。やたらに格言を口にする親」
>>「テレビに向かって他人や社会を小ばかにする親」
>>「子供を馬鹿にして、せせら笑う親」
>>「片方の兄弟だけを褒めるなど、兄弟間差別をする親」
そして何よりも、
>>「子供を躾けるという形で自分の存在意味を作り出したり、
>> 代理復讐をする以外の目的では、子供に無関心な親。
>> さらには、子供を邪魔にして、いなくてもいいかのように扱った親」
これがもっとも子供にとって毒となり、傷になることは、
これまでの沢山の、多くの人たちの報告の中に見出せるはずです。
そしてそうされた人(つまりあなた)は、
その毒親と全く同じような、
小ばかに出来る他人を探し出しては、馬鹿にする態度を、
他人に対して取っているのです。
その、連鎖しているトラウマの表現のされかたの複雑さ、陰湿さ、ずるさは、
書籍の「いらない親」に私が、前文または後半にまとめたとおりです。
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