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「分割自我復元」
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[520]
■
★分割自我復元★その520●【 明 日 】●
by:
鈴木崩残
2015/11/03(Tue)20:59:37
最後の報告(判定依頼)
この方からの「最後の判定依頼」となりました。
実際の文書量や、話題は、この2倍も3倍もあり、
内容は、職場のこと、性妄想の問題、食事の問題、その他に及びましたが、
この一部のみを、掲載させて頂きます。
******************
この4日間で凝縮した体験、思い、考え、そういったすべてを
今回も、全身全霊で、そして、自分の舵で、書いていきます。
31日、1日、この月の切り替わり、
こんなにも泣いたことはありませんでした。
涙が抑えられない日で終わり、
涙が抑えられない日で始まりました。
時系列で、ご報告したいと思います。
中略
*********
この迷宮のようなものに、
結論が出ました。
考えた結果、というのでなく、
これも急に、わかったのです。
私はようやく、傷ついた私を救出しました。
傷ついた小さな私です。
トラウマを背負った小さな私です。
「もう、一人は嫌だよ」
この声です。
どういうことがこの数日起こっていたかを
瞬時に理解しました。
利他的な行為、として私がやってきたことは、
つきつめれば、恐怖から派生した行動パターンです。
上から目線でやってやっているんだ、という形ですが、
「この傲慢さを上手に隠すことだけ」を覚えてきました。
顔色をうかがって恐怖している、というのが本来の姿ですが、
それが、利他的な行動を装っていて、
それが、私の主たるAC人格が生きてきた道でした。
それと、もう一つの道が、私にはありました。
「こもる」という道です。
これも随分、かつて集中的に掘ってきたことです。
自分の時間、自分の場所、そうやって、
「引きこもるように」させられてきたのです。
ここなら、自由にやっていいぞ、ただし、一歩外に出たら、
迷惑かけるなよ・・・つまり、親に迷惑はかけるな、
マスターベーションでもしてろ、というやつです。
この二つに、私は、引き裂かれてきました。
私は、というか、AC人格というのは、
従うか、ひきこもるか、それしかできない。
従わないのなら、自分の内にひきこもっていろ、
出てくるのなら、従え、と。
恐怖ゆえに従い、恐怖があり続けるがゆえにそこからひきこもる。
本当は歪んでいる「明るい他人とのコミュニケーション」、
もう一方は、本当は歪んでいる「自由な私という世界」。
これは、私だけじゃない。
ありとあらゆるAC人格のなかに見てきた、
典型的すぎるほどの無個性さ、現象。
なぜ、こうなってしまったのか。
その原因が、ようやく、わかったのです。
主たる原因は、
「私が(精神的に)一人でいるのを、邪魔された」
ということです。
毒親の都合で、私一人という、当然に守られる個という、
当たり前のものを阻害された。
何が私に起こったか。
私は、おそらく、泣き続けたのだと思います。
しかし、彼らは、無視した。
従わなければ、生きていけないように、
従わないのなら、ずっと、泣いていろ、と、
小さな私に「死」をほのめかした。
「もう、一人は嫌だよ」
人間に、そんなことを言わせちゃダメだったんだよ。
一人、その人間が、当たり前にして謳歌する生の基盤は、
当然に守られるべきしてある個にある。
同時に、それは、絶対に、捨ててはならなかったものだ。
いかなる事態にあっても、裏切ってはならないものだった。
一人では生きていけない・・・
そうやって、私はどうしてしまったか。
毒親がほのめかした死の恐怖に屈して、
私は彼らの言いなりになった。
そして、それは飴の調教によって屈折し、
私は、「利他的であろうとする」大人子供(AC)になった。
残酷だったことは、
親は、その逃げ出した「自分一人」という状況が
実は「恐怖のありか」であるにもかかわらず(そうさせたにもかかわらず)、
否、むしろ、その事実を隠すために、わざと、
「自分一人、ひきこもって気楽に感じる世界」を作り与えた。
それが、私が、ひきこもり、夢を見、特別だと思い込み、
そうやって、
本当はオレはすごいんだ、自由なんだ、という妄想をはぐくんだ、
ちっぽけな、マスターベーションの快楽のチップだけを適当に配置された、
そういう「自分の世界」に私は逃避し続けた。
しかし、この自分の世界、というものには、違和感を持ち続けた。
私は、そこに、居続けることはできなかった。
いると不安になり、すぐに外部に刺激を探し始めた。
そうやってそうやっていった行く末に、
毒親からバトンタッチしただけの生が、私の墓場になる予定だった。
中略
今回もそうだった。
私は、私一人、それで歩くことを、
私は私一人が、「生きる」こと、これを知った。
しかし、私は、居心地が悪くなったのだ。それもすぐに。
これがおかしい、ということにも私は今回気づいていた。
それはおそらく中心のワークをやっているためであり、
関心地図など、徹底して、
この数か月、自分でないものを追ってきたからだ。
中心の感覚は、自分一人で、居心地が悪くなどならない。
この数日私に起こったことは、
この居心地が悪いことを思い出させ、
どんどんとAC人格の水路に私を流しこもうとするものだった。
居心地が悪かった40年の力、ともいえる。
40年の間の慢性的な違和感、
「自分一人」という状態とセットにあり続けた居心地の悪さ、
私は、自分では無自覚に、ずっとそこから逃げてきた。
すべて、私のACの行動の動機は、それだったともいえる。
一人が、実は、居心地が悪かったのだ。
マスターベーションの一瞬、その一瞬以外のほとんどは居心地が悪い、
というのが「事実」であり、この事実に、本当は気づいていたはずなのに、
無自覚だったのだ。
中略
この動機は何か、といえば何度も言うように、恐怖、ですが、
なぜ、そんなことになるかといえば、
私は、一人が怖かった。
完全に、自己の自我の中に閉じるのが怖かった。
なぜか?
それは、かつて、自己の自我の中に閉じた私に、
「恐怖」を毒親が与え、
従うよう、言いなりになるようにしたから。
トラウマが生じた瞬間だ。
私は、ずっと、これを引きずってきたということだ。
だから、怖いのだ。
本来、怖がらせてはならない、その小さな子どもの私に恐怖を与え、
自分一人という状態は怖いのだ、という認識の歪みを与えた。
それを解消するには、
よくまわり(親)を見ろ、
どうまわり(親)が考えているのか察しろ・・・
こうやって、毒親の調教は始まり繰り返された。
同時に一方で、
「自由」に絶対になれない「自分の世界」が、
いかにも自由であるかのように洗脳し、
こうすることで、私は、利他的な行為に尽くす私と、
本当はもっと自由で特別なはずの私、
この二つに引き裂かれた。
この二つに引き裂かれた人格が元になって、
私のいくつものAC人格が生まれた。
しかし、今回、もっとわかりにくかったのが、
こんなに泣いた日もないほど、二日にわたって泣き、
中略
そういう気持ちが募り、ついに、
「もう、一人は嫌だよ」という声になった。
「なんでまたおいてくの」という声でもあった。
せっかく今、崩残さんとようやく、
人間として話せるようになれるかもしれないのに、
ここでお別れなんて・・・と、妄想をしたのだ。
これは純粋なものだと思っていた。
でも、違った。
もっとも純粋だったのは、
私一人、生きる、と思う時、私の「一日」が始まる、と思う時、
その時の、その思いこそが純粋であり、
流した涙は、もう、これからは、私は執着すべきものでなく、
拭き取って進むべき、そういう涙だ。
なぜなら、その涙は、
「もう一人にしないで、と嘆いた小さな子どもの涙、
それを今、私が、再体験しているものだからだ。
こんな体験を、小さな子どもにさせてはならない、ならなかったのだ。
毒親の側の都合で、
私は泣き叫び、そして泣くのをやめたのだ。
この泣くのをやめたときが、私が自分を捨てたときだ。
泣くのをやめて親に従う(親のために世話をする)か、
泣くのをやめて自分の殻にひきこもるか。
この後者は、決して、
「自己の自我の中に閉じる」のとは違う。
自己の自我の中とは、
「泣くのをやめる」などとなるその前の状態であり、
泣くのをやめた私が、AC人格として活路を見出した
「自由もどき」とはまったく違う。
そして、ここが、今回も交差するところだった。
中略
窮屈さを感じるとは、外に出るのが阻止されていることが原因だ。
外とは恐怖があるところだ。
自分の殻にひきこもっていれば、恐怖は見ないで済む。
・・・しかし、だ。
これこそが、恐怖に包囲されて感じる「窮屈」の原因なのだ。
そして、元々は、決して窮屈などではまったくない「私一人」という状態が、
植え付けられた恐怖の作用によって、窮屈なものへと変わってしまう。
トラウマを背負う前後で起こることが、この変化だと思う。
その境目に、私はこの仕組みを一気に理解した。
迷うものはもうなかった。
「もう、一人は嫌だよ」とは私は言わない。
もう、一人でいい。
しかし、
「もう一人は嫌だよ」と恐怖のトラウマを背負った小さな子どもの
その声、
「もう一人は嫌だよ」という声を、私は聞く必要があった。
そうして、はじめて、この子が救出されるからだ。
もう一人は嫌だ、とは、もう私は思わない。
だけれど、
「もう一人は嫌だよ」と恐怖したその子を私は否定しない。
私はもう自分を手放さない。だけれど、その子の声を私は聞く。
もう一人は嫌だよ、そこから、毒親は私を引きずり出し、
ずたずたに尊厳を踏みにじり、洗脳し、調教し、恐怖に支配された生。
しかも、それも麻痺させ、完全犯罪を犯し、私に飴を与え続け、
事実を絶対に把握できないように、すさまじいほどの細工をしてきた。
もう、そこにつながる道も、絶つ。
その入り口の「この声」も、救出することで終える。
怖くない。
だって、私一人は元々は怖くなんてなかったのだから。
この今私が戻りつつある中心は、
本来、あらゆるものから守られるべきだった。
守るべきものだった。
還るべき点。
それは、トラウマが生じた場所でもあり、
それゆえに、ACへと誘導する強烈な入り口であり、
恐怖体験の場の核のようなところだった。
私はようやく、傷ついた自分を救い出しました。
ここまで、3年近くがかかりました。
中略
いずれにせよ、性欲だろうが、睡眠、食欲だろうが、
恐怖心に向き合いながらも、自分でコントロールする気持ちが
最近、本当に強まってきました。
逆にいえば、これらは逃避や麻痺の手段になっていたわけであり、
それを痛感しながらのACとの格闘であったわけであり、
死後も、私はこれに踊らされないようにしたいのです。
中略
性、睡眠、食欲について、
ここまで報告に書くとは思いもよりませんでしたが、
結局、こういうことが、いろいろな関心の大元にもなっていると感じます。
ここが変わっていくことで、変わる現実も多くあると思います。
中略
久々に、初回判定依頼の自分の書いたものを読んでいます。
この家族の認識欄、事実誤認だらけですね。あまりに酷い誤認の嵐です。
これが現在のように書き換わるまで、3年弱の年月がかかりました。
この作業は、本当にやめなくてよかった。
この地味すぎるほどの分析作業は、自我復元に欠かせないものでした。
AC人格との格闘が本格化する一年前までは、
分析のための分析に結果的にはなっていたと思います。
実際、一年前から、本当の苦しみが始まったわけです。
やっと「自分のこと」、になったのです。
でも、たまに思うのです。
それまでの自我復元の毎日も、本当に苦しかったなあって。
違和感や目隠し状態のような恐怖だったわけですが、
そういう意味では、
自我復元での格闘の苦しみは、まだ健全な苦しみでした。
しかし、自我復元を始める前までの苦しみは、
麻痺と逃避によって、苦しみすら、ねじれ、歪み、
まったく暗闇のなかで、自我復元をしてきたような毎日でした。
考えると、気味がすごく悪く、そら恐ろしいただなかだったわけです。
ただ思うのは、私は、やめない、それだけは最初から
ずっと確信をもって自我復元をしてきました。
それはこれからもです。
掘る手だけは休まないつもりです。
無明庵のアンケートの中に
>「そちらは、何を人生において、最も重視していますか?
> 他者や本に書かれていることではなく、御自身の中から実感として確実に、
>出てくるものだけを書いてください」
この欄を今読み返すと、
自分に「リアリティーがない」とはこのことだ、とわかります。
ここのリアリティーが自分にない、とわかるまで、
すごい長い時間がかかったことがわかります。
それも当然です。
私は、生きてなどいなかったのだから。
私が今、この質問に答えるとしたらどう答えるだろう?
今、考えてみたいと思います。
「***」です。
これに尽きます。
逆に、私には、これ以外に重要なことがあるとは思えないほどです。
ですが、これから、私は、本当にそれを原点にして、
重視していきたいものを、決めていきたい、
そうなっていきたいと思います。
今はまだ、何もありません。
だから、40年のしみついた感覚の記憶が、
今回、本文に書かせていただいたように、
ACの生き方、しみついた生き方に物事を誘導しようと抵抗します。
でも、トラウマ、小さい傷ついた子どもの私を救出した今、
もう、私は、本当の意味で
「自分を誤魔化す言い訳」ができなくなったことになります。
これでこそ、私が、最初に、本当に望んだ生、
活力に満ちた生だと思っています。
「今、何を解決したいか?」
ここも読み返してみると、今解決したこととは、まったく違います。
この当時は、解決したいことの「ピックアップや理由自体」が、
毒親の毒で染まっていました。
一方で、自我復元では
「なぜ、そう思うのか」が常に自問の核でした。
なぜ、そう思うのか、この時書いてきたに対して、
それを投げかけてきた3年弱でした。
当初、私は、この初回判定依頼の自分自身の課題に答えられ、
解決できたら、自分が変わったことになるだろう、
そうしたら、依頼をしよう、そう思っていました。
自我復元とは、そんなものではなかったのです。
問題認識を持つ自分自身の変革だったのですから。
中略
私が知りたいのは、
「器」の歪みがどのくらいなものか、です。
厳密に知りたいのです。
私がここに課題の関心のウエイトがあるということです。
かつて、マディアさんもブログで書かれていました。
「自分で把握していないことが、一つもないようにしたい」、と。
これは、当時は、まったく読んでいても理解できませんでしたが、
これこそが、生きる、ということだと、今は思えます。
まだまだ、このことの意識の力は足りないと自分では感じていますが、
この自覚は、これからも、もっと思い出していくべき、
自我の本来の感覚だと思っています。
そう、今、思います。
ここは、生きても死んでも、本気で取り組む課題です。
これと崩残さんが「もう大丈夫」と言ってくださったこととは、
別問題だと思っています。
これが意味するところは、
私は、「器の歪みを決して許さなくなった」という意味だと、
言葉でいえば、そういうことじゃないかと思っています。
だから、大丈夫なんだって。
もう大丈夫と決めたがる「これでいいんだ人格」が不要になったから、
だから、もう大丈夫、そういうことでもあると思います。
話は戻りますが、全自我かどうかはわかりませんし、
そうでなければ、時間が残されていない今となっては、
残り必死に生きている間に、全自我になることをするだけです。
それ以外、ありません。
ただ、私も、「もう大丈夫」という感覚に違和感はありません。
でも、それは矛盾するのですが、まったく大丈夫なんて言えない、
つねに、今回もそうだったわけですが、
闘いの連続であり、現実という中で、自分のなかだけでなく、
実際、たくさんのACにこの世の中は満ちています。
40年のしみついたAC臭さをかぎとり、近づいてくる罠が、
今後も待ち受けているわけであり、それは絶対に待ち受けているものであり、
このAC人格の格闘というのが、
決してやるまでは「大丈夫」などとは言えない真剣なものであること、
そもそも、大丈夫という油断がよぎった時点で殺されるという
そういう闘いだったことは、経験してきたことです。
だから、ぜんぜん、大丈夫など、言えるわけがない。
でも、だから大丈夫だ、というのが私にもわかるのです。
あと、AC人格解除でいえば、
今回の顔色をうかがうAC人格も徹底解除の課題ですが、
やはり、日々過ごしていて酷いなと思うのは、
やはり、「言葉」に相当毒されている点です。
相当に重ね塗りになって、もうすごいことになっている状態を
40年にわたって作り上げてきました。
この作業は、おそらく、私が今思っているより、
今後、解決すべき多くのことが提示されてくると思います。
ですが、今、やっている中心のワーク、
関心地図によって、その課題はつねに明示されてくると思っています。
「言葉の毒」を解除していくことは、
その都度、感情と取り戻すことだと思っています。
このあたりを、この頃、強く感じます。
そのためにも、中心に戻り続けなければならないと思っています。
AC人格は、まったく油断ならないものです。
綱渡りのようなものです。
一歩踏み違えたら、だいたい渡り終えてもアウト、死ぬのです。
だから、徹底して、しらみつぶしに殺していかねばなりません。
こういう徹底的な経験は、崩残さんもおっしゃっていましたが、
これからどこへ行っても、死後、決して無駄にならないと思います。
これが本当の意味で、知性を育むのだと私は思います。
崩残さんの「雑記」の記事は、いつも、その地点を思わせてくれました。
残酷なまでに。
中略
大学時代、自分探しのようなことを始めました。
そう、こうやって、私は、自分一人の状態など、居てもたってもいられなかった。
自由など本当はどこにもなかった。
ただ、恐怖が麻痺し、飴だけの人生のなかでは、
何が問題かがまったく自覚できなかった。
その頃、クリシュナムルティと、物理学者のデビットボームという人との対談集
「人類の未来」を見つけました。
それは、当時、一般教養の授業で宗教学をとっていて、
その授業自体は、古典的な宗教をとりあげていたのですが、
レポート課題で、なんでもいいから、
自分が関心のある宗教についてレポートするように、というのがあり、
分野なんでもありで本屋を徘徊していた私は、
はじめて精神世界という棚があることを知り、
そこで、それを手にしました。
それがきっかけで、和尚を知りました。
ただ、私は、哲学的に思えたクリシュナムルティが好きでした。
そして、ついに、もっとも哲学的で、これは本物だ、と思った
無明庵の書籍に、17年くらい前に、出会ったのです。
そのところからでした。
復元ブログに綴り始めたのは。
私は、どこの宗教団体とも無縁でしたが、
「最大のカルト」の中にいたのです。
家庭という、毒親カルトです。
最悪の、世代間連鎖による無自覚宗教組織、
それが毒親の元で育つ、ということだったわけです。
でもそれだから、無明庵はカルトではないのだと、
本当に、この奇跡的な庵、
そして自我復元に出会えたことは幸いでした。
あと、これは崩残さんに、伝え残しではなく、
伝えたいことがあります。
もし私や崩残さんがこの世からいなくなったとしても、
私は、どうしても崩残さんという医師を必要と思ったら、
探しまくります。
私は、そういう自分で、ありたいです。
初回判定時に自分で、こう書いてあります。
>>正直な気持ちは、今のこんなぼんやりしている自分が
>>自我復元したいと思うその決心すら私は疑っていたのですが、
>>崩残さんがどこかで「信じるのは後でいいから、まずできるかやってみなさい」
>>といった内容のメッセージを支えに、やってみようと決心しました。
>>「まずやろう」と。
この部分、正直、ずっと私は、3年間そうでしたし、
きっとこれからもそうです。
AC人格の格闘はいつも思います。
自分を信じられなくなる土俵そこ自体が、ACとの格闘場です。
だから、格闘中に、自分を信じています、
なんて私は一度も思えたことはなく
私だけでなく、誰だって思えないと思います。
でも、「やめない」ことはできるのです。
この経験、そう、成功体験と真にいってよい経験を、
私は自我復元で体験してきました。
だから、停滞はしませんでした。
しませんでした、というのは、ちょっと違います。
停滞なんか考えたことがありませんでした。
実際には停滞していても。
だから、医師の崩残さんが、その意識のギャップから、
グサっと指摘し続けてくれました。
桜の間は、私には、そういう場でした。
停滞していないと自分が思っていても、停滞している。
でも、これを認め、突き抜けるのも、
停滞なんて考えたことがない私がいたから、だから、ずっとやってこれたし、
これからも、やっていけるだろうし、「やめない」のです。
「やめない」
これだけが、完全無自覚ACの私が、唯一、「手動的」であれたところでした。
今回、トラウマ掘りに切り込み、親族との戦いにけじめをつけ、
そして、親が絶対やってはならないこと、
恐怖を「私」に与えたその恐怖を再体験し、
どうやって私は傷ついた子が生まれ、
「もう、一人は嫌だよ」と言わせ、
AC人格へと毒親がどのようにして誘導したか、
その入り口を見たこと、すなわち、
傷ついた小さな子どもの私のその声を聞き、
救出したことは、
この中心が、私が本来いる場所であることを
明確に教えてくれました。
中略
私は地獄の底にいました。
地獄の底から、はいあがり続けました。
そして、今、至った理解は、
そこは地獄ではなかったことです。
自我は、本当は、守られるべきものでした。
この子に、私一人が無邪気に生を謳歌するのを、
誰にも邪魔させてはならないものでした。
毒親など、選んではいけなかったのです。
「もう、一人は嫌だよ」
こんなこと、絶対、子どもに言わせてはならなかった。
泣かせ続け、孤立させ、
死をほのめかし、泣かない子にさせる、
そんな仕打ちを、親は、絶対にしてはならない。
「もう一人は嫌だよ」
これが自己否定、自己嫌悪の原点です。
こうして、それが私には地獄になりました。
認識の歪みです。
これが起こったのです。
私一人、個というものの自由を奪ったそのやり方は、
私一人、個というものへの否定を植え付けることでした。
もう、一人は嫌だよ、と思わせることです。
これが、最初の傷つき、トラウマです。
崩残さん、私にも、トラウマ掘りが出来ました。
この奇跡的なことができたこと、
私は嬉しくてたまりません。
とんでもない謎解きでした。
でも、私はもう、一人で大丈夫です。
中略
古いPCは、もう15年使っています。
かろうじて動いていますが、もうお年寄りです。
復元ブログを書き始めてからも、2年と4ヵ月、
このパソコンは私が使い、
今日までの私の苦闘をずっと見てきてくれました。
そして、PCの壁紙には、
保育園の頃の体操着の私がアップに映っています。
この子の手をはなすまいとして、
それを自覚するために、私は壁紙にその写真を選びました。
口をぎゅっとつむぎ、笑っていない私。
だから「まじめで、しっかりしているね」と言われる顔つきの私。
今思いました。
そうだったのに、
私はこの子を、いつもPCを立ち上げ見るたびに、
この子の中に潜むAC、
まるで、この子が魔物のような目で、見てきてしまいました。
これも、今、思います。
そう見てきたから、掘り続けてこられたのです。
でも、もう、この子は、魔物ではない。
泣いた子なのだ、と。
その泣く声をしっかり聞いた私は、
この子の写真を壁紙から消してあげなければならない。
これは、大事ですね。
今からそれをやります。
静止画像のこの子が、今、動いているように見えました。
私の心臓が、今、ドクドクし始めています。
以上ですべての報告となります。
________________________________
■判定結果は、全自我判定となったのですが、
ちょっと変わった形の判定文字となりました。
詳細は、本人と私だけが知っていればいいことなので、書きませんが、
今までの二件の全自我の方たちとは違う、非常にユニークな現象がありました。
*********
●さて、二度目の自我判定で全自我となると、
記録的な「最短の判定回数」となり、そうなると、
残った「6種類の滲み書」を送ろうか、とも思ったのですが、
それらを手元に広げてみて、何か違うな、と思いました。
「覚悟」 「生死」
「要」 「新器」
「巨無」
●そこで、せっかくですから、Abyさんに個人的に
新しく滲み書を書いてみました。
ひとつは、今回、手裏剣の合宿でテーマにした「連心」という文字。
もうひとつは、「明日」という文字を象形化したものです。
「連心」 「明日」
******************
■無干さんの今回のブログ、ようやく読みやすくなりました。
読みやすくとは、文章がどうこうではなく、
書いている本人自身が、やっと本当のトラウマ掘りを出来る状態になりつつある、
という意味です。
医学的な異常が発見されなかったことを確認したのも、
その点を、まずしっかりと行動して白黒つける結果を得られて、
良かったと思います。
↓
http://blog.goo.ne.jp/hakodate2012/e/11fe639aba9c1502aa79c87fdcd02cee
■「十記丸(じっきまる)」さん、いい名前が見つかってよかったですね。
かっこいいですよ。いや、ホントに、かっこいい響きです。
■朱いはがね さん
楽しい手紙をありがとうございました。
朱いはがねさんとしては、砂手の手作りのフィナンシェについて、
ごくごく正直な感想を書いていたと思うのですが、
随所に出てくる、その面白い言い回しに、二人で大ウケしました。
********* * * * * * * * * **********
自我復元ブログを書いている人も、書いていない人も、
沢山の人たちが、自我復元をしてきて、
その中で、トラウマ掘りのところで、
AC人格が抵抗して、挫折した人たちが沢山います。
しかし、それでもやめずに続けてきた人たち、
ある程度まで、掘り進んだ人は、
やめてしまったら、本当にもったいないです。
停滞するかもしれないですし、モチベーションが途切れることも
あるかもしれません。
何しろ、先天的にそれ(トラウマやAC人格の解除)をするようには
生まれてきたわけではないからです。
しかし、自我復元の作業と平行する、トラウマ掘りを投げ出してしまったら、
他のどんなものを投げ出したり、無視するよりも、無益なことになります。
自我復元と平行するトラウマ掘りをしてきた人たちのうち、
その記憶を掘った人であれば、
それをしなかった方が楽だったなどという人は、ただの一人もいないはずです。
むしろ、掘らなければ、どうにもならなかった、と実感する人がほとんどです。
あとの問題は、トラウマは堀りまくった。
なのに、AC人格がやめられない。
この場合にどうしたらいいのか、
そのことは、ブログを書いている人たちからのアンケート回答として、
掲載したことがありますので、ログを探してみてください。
また、最近では、中心に休むという技法が追加されていますので、
それだけに、すがらずに、トラウマ掘りと平行してやってください。
●このトラウマ掘り、時間を現在から逆行してゆくということは、
個人の中でも、宇宙の中でも、構造は同じです。
初期的なところに戻るには、その過程にある過去や記憶を通過するのは
当たり前なのです。
ひとつひとつの逆行する地点を体験として理解できずに、
その「前」へと通過することは出来ません。
●ちょうど、一瞬または、非常に短時間の中でその逆行をやっているのが、
関心地図や、中心で休む技法、だとすれば、
それを時間的なスパンを数十年という長さにしてやっているのが、
トラウマ掘り、記憶掘りであり、それと現在のAC人格との関連は
おのずと見えてきます。
●これは、大げさに言えば(実は決して大げさではないのですが)
個人の中で行ったということにとどまらず、
集合意識の中に、連鎖反応を起こすことになります。
それまで、無自覚ACだった人たちが、たとえ、復元ブログを一度も
見たことがなかったとしても、それは今後連鎖します。
時間としては、おそらくは数十年かかるかもしれません。
●これは、今まで過去に存在した、トラウマ分析や、カウンセレングやセラピーではなく、
そもそもが、地球の社会それ自体を、ある時代からは、病気で異常であると、
完全に認識したところから生まれたものです。
つまり、社会適応するのが目的ではありません。
しかし、通常のカウンセリングというものは、
あなたが、その毒親や、毒親社会と、折り合いをつけられたら完治、
または、毒親の影響が薄くなったら完治という、そんな理想点しかないのです。
私はそんなことでは、決して、満足しません。
自己満足という意味ではなく、
そんな中途半端な治し方などあってはならないと思っているからです。
●毒親たちが作り上げた社会にあなたを適応させようとしたり、
または、適応不能者にして、親に適応するように、仕立てたのは、
他ならぬ毒親たちです。
その毒親たちが作った社会などに適応するためのものを
無明庵や私が提唱するはずもありません。
しかし、過去に、無明庵には、そこに適応せずに、
本質的な意識に適応するという意味での極端な道しか、示せませんでした。
あの当時は、それが、精一杯の限界だったのです。
●しかし、今、私が、皆さんを適応させたいのは、人間の元の姿です。
人間というものが作られた以上、
そこには、もともとそれが持つ機能的な「定義」があります。
何をするには、人間のほうが他の生物よりも良く、
何をするには、他の生物の方が人間よりも効率的かという問題で
どちらが上という問題ではありません。
しかし、現在の状況は、どうそこに都合の良い、耳あたりの良い、
ポジティヴな解釈をしようとしても、明らかな「故障」と「劣化」です。
●この状況から抜け出すために、必死に戦い続けた人たちがいます。
今は、わずかに数人だけですが、それでも、
後に続く人たちのために、トンネルを大きくこじあけてくれました。
崩してゆく岩盤は、それぞれの人によって異なります。
だから、それぞれの報告が、次第に個性的になるのです。
ある人が掘ったところは、ある人には重要でなくても、
別の人には重要であったりします。
トラウマやAC人格の挙動には、確かに、共通性はありますが、
それを言葉で、簡単に分かり易くまとめてしまうのは、よくありません。
それは、あくまでも、執筆をしている私の仕事です。
●自我復元やトラウマ掘りをしている最中にいる人が、
うまく言葉にまとめられたものを見ると、
それを読んだだけで、それを体験した、解決したとまで思い込む人たちが必ず出ます。
ですが、トラウマもAC人格への分析も、
言葉や原理の説明が先にあるのではなくて、
必死に、手から血を流しながら掘っているうちに、
「その掘る手そのものが変容する」、ということなのです。
だから、やめないことです。
今は、自我復元や、トラウマ掘り、AC人格の問題に
「あなたの側が関心がなくなった」としても、
人類史上、最悪の病理である、AC人格のほうは、
ずっと、あなたを支配しつづける事に「強烈なまでの関心」を向け続け、
またAC人格である自分を滅ぼすような対象に、ずっと関心を向け、
それを、かたっぱしから監視していますから。
(そういう意味では、めいっぱいの皮肉をこめて言えば、
AC人格(=毒親の人格)とは、間抜けなことしか出来ないくせに、
抜け目のない、たいした関心を持ち続ける「監視人」です。)
そして、AC人格のやり口を、決して本人には自覚をさせまいとし、
この「桜の間」を読めば読んだで、
「AC人格ぐらいは、自分で自覚をしているんだ」という安心感に溺れさせ、
また、「いや、自分は分かっていない」といえば、問題をうやむやに出来るので、
そういう中途半端なポーズをとり、
少し前の投稿でも言いましたが、
「どこを切っても、AC人格の金太郎飴」のままとなります。
●それが、分からないのであれば、
それは、わからないままに、死んで、また同じことを繰り返し、
今以下の状態に、無意識になり、混濁していく事に、
何も抵抗感がないまでに、意識が劣化してしまった事を意味します。
しかし、皆さんの本体である主体核に、
もしも虫の息でも、まだ生命力が残っているならば、
「もう、この状態は、絶対に嫌だ」、と思うしかなくなるような機会、
自分がそれに立ち向わざる得ないようなチャンスを、
自分で自分に与える、
それ以外に、「きっかけ」はありません。
唯一、その「きっかけ」だけは、
本人以外には、外部からは、どうにも出来ないことなのです。
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