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「分割自我復元」
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[521]
■
★分割自我復元★その521●【 無明庵の周期と歴史 】●
by:
鈴木崩残
2015/11/04(Wed)17:43:11
無 明 庵 の 2 4 年
●無明庵の周期というのは、次のように4つの時期に分かれています。
これは意図してそうなったというのではなく、私自身が個人的に持つ
6年周期に起因するという事がもっとも大きな理由のようです。
■第一期・無明庵 1992年〜
1997年
■第二期・無明庵 1998年〜
2003年
■第三期・無明庵 2004年〜
2009年
■第四期・無明庵 2020年〜
2015年
■第一期/無明庵 1992年〜1997年 意識変容問題
【地の巻】
意識変容の問題のみを扱っていた初期の段階です。
初期の無明庵の書籍が販売されたのもこの時期の後半です。
ところが、扱っている内容とはまるで「反比例」するように、
この時期に無明庵に関わったり来訪した読者その他が、最も質が悪かったのです。
今にして思えば、無自覚AC人格者だらけだったのです。
しかしその中でも、死人禅の行法に関しては、
関西に2人、関東に1人、合計三名が、確実にある領域に意識の一部を
移動することが出来た、という経緯がありました。
なぜか3名とも女性だったのです。
またこの時期に、私はそのうちの一人の女性から彼女自身の経験した
家庭内の問題や、自助グループの存在などを聞くことにより、
各種の「依存症」の原因について、少し関心を持ちました。
結果としてそれがのちに「自我復元の中のトラウマ問題」のみならず、
トラウマ問題全般へ対処する際の、大きな基礎になっています。
各種依存症とは、自分の問題(痛みを伴う直視)から逃げる為の麻酔である、
という結論が大原則となったのでした。
この時期は、社会的にはオウム事件があり、
書店から一斉に精神世界の書籍が激減した時期でもありましたが、
そんなことは、おかまいなしに、
堂々と「廃墟のブッダ」と題された一連のシリーズの書籍が販売されました。
この時期に無明庵を知った人の中で、自我復元を出来ている人は、
ほとんどいないと推測しています。
ちなみに、この時期は、扱っていた問題は高度に瞑想的な領域でしたが、
一方で、私自身も、二度ほど転職しながら、会社へ勤めており、
そういう意味では、むしろこの時期は、まだ「地の時期」と定義できるのです。
■第二期/無明庵 1998年〜2003年 セックス問題
【水の巻】
無明庵のインターネットサイトが形が出来たのがこのころです。
私は東京にいましたが、この間の主なテーマは、セックスでした。
虹のオーガズムの書籍を書き上げて自費出版した時期でしたし、
同時に、当時のパートナーとは、とことんセックスの領域を極めるという
実験の連続でした。
一度も同じセックスがないぐらいに毎回変化がありました。
これらを元にしてセックス系の掲示板に私が書き込みや助言をしていました。
それらの膨大な、セックスと恋愛に関するアドバイスをしてきたものは、
のちに「性のレシピ」と「性恋愛教本」への流れとなりました。
この期間のうち、
1997年からのパートナーとの間で練り上げられたのが「虹のオーガズム」であり、
2000年からは砂手にパートナーがバトンタッチされ、
それが「性レシピ」の「一部」へとも、つながりました。
第三作目の「性恋愛教本」は、私の20代以後の「総まとめ的」な指南書となり、
長年の間に7人の女性との間で経験した「性の技法と理念」の集大成書となりました。
この時期に無明庵を知った人では、現在自我復元をしている人の中にいます。
個人的には、母が他界したのが1998年、
東京を離れたのが2003年という、大きな変化があった時期でした。
まさに性の問題に集中したという意味でも、
そして、砂手の中における未解決の感情問題が破裂した、という意味でも、
まさに「水」がテーマでした。
■第三期/無明庵 2004年〜2009年 社会問題
【火の巻】
富士山の麓の町に移動して、まずここで行われたのは、その前の時期に
セックスと恋愛の掲示板をめぐっていたときに経験した、
「ゾンビ」という種類に分類される人たちについてでした。
現在の分割自我という観点からすれば、非常に乱雑な分類であったり、
そもそも、そうした人格が生まれる原因の背景は、
当時は、家族と幼少期に由来することは、ほぼ間違いないと確信していましたが、
もっと深い部分の原因にまでは、至っていませんでした。
実際、恋愛とセックスを話題にする掲示板では、今でいうところの
AC人格を沢山見ることが出来ましたし、トラウマをもっている女性も
多くみかけました。
ただ、その原因については、今ほどには深く切り込んでいませんでした。
それに深く切り込むきっかけとなったのは、
「秋葉原無差別殺人」の事件における機能不全家族を分析してからです。
単なるアルコールや薬物の依存症としてではなく、
ここで、初めて「毒親」というものがクローズアップしたわけです。
ですから、当時の私の投稿も、あの秋葉原事件の犯罪者の「親」、
そして兄弟関係などをも、徹底的に疑問視する形で論を進めています。
個人的には、2004年から手裏剣の稽古をかなり自由にできるようになり、
どんどんと、いろいろな実験と稽古をしました。
また、東京の狭いアパートから開放されて、音量を気にせずに音楽の制作が出来ました。
「Z−55」「Momento」「臨終の為の音楽」「機械の惑星」などを創りました。
日本最大の火山の1つである富士山の位置と、
その火を鎮める神社に囲まれているという意味では、
「火と水」の混合した期間と言えます。
■第四期/無明庵 2010年〜2015年 自我復元
【風の巻】
長年、魔術、あるいはセックス、あるいは手裏剣術の中で培った、
無心という意識状態を部分的に応用して、
カウンセリング的な禅書という、未開な分野を開拓したのは、
直前の第三期の、2008年から2009年ごろでした。
それが自我判定に応用できることが分かり、それまで不可能だと思っていた、
自我率の判定を開始し、同時に単に判定するのではなく、
膨大な量の、きめ細かい内容の手紙を添えました。
社会的には、2011年に3.11の大震災が起こり、
自我復元に少し出遅れた人も、それを機に、
いつなんどきにも自分の生命が中断するかもしれない、という実感から、
自我復元をしたり、また出会った人も多くいます。
時期としては、この第四期に無明庵と出会った人たちの中に、
自我復元が力になる人たちが相当数いると推測しています。
むろんその前の第三期あたりから無明庵を知っていた人の中にもいますが、
時代が後になるほど、読者の方の質は高くなってゆきました。
これは本当に奇異というか、ある意味で当たり前のことかもしれません。
高い次元は、より低い次元を引き込みやすく、
また、ゆるく高い次元は、それほど低くない次元を引き込むからです。
また、最初は、意識変容を扱ったものの、
あまりにも、性の問題と、トラウマ問題が片付いていない人たちを
多く見てきたために、まず「性」の完全な満足を実現すること、
これがテーマでした。
しかし、正常かつ健全なセックスパートナーを得て、セックスを謳歌して、
生のことに、妄想や関心を無駄に引っ張られないようにする事自体が、
そもそも、AC人格には無理でした。
だから、より大きな原因になっている自我の修復が、
この第四期のテーマとなりました。
報告内容のメインは、膨大な量の「トラウマ」と「AC人格」に
関連するものとなりました。
この間に「胸で整形して脳に送る技法」「関心地図」「スケッチブック日記」
などが追加され、そして最近になり、
「中心を探り、中心で休む技法」が追加されました。
それぞれの自我復元者の人たちが、
本来の自分の翼を取り戻して、飛び立とうとする意味で、
「風」の時期と言えます。
*********
●こうして、6年ごとの周期を24年かけて、4小節進んできたわけですが、
地上的な物事に限れば、「第四周期」でひとつの区切れ目を迎えます。
今年はその最後の年です。
24年続いた無明庵は、もしかすると、ここでひとつの区切れ目を迎え
以後、私個人が、全く別の活動をするという可能性もゼロではありません。
まだ、多くの部分は未定です。
●ただ、そんな中で、
私個人に現在起きている変化について、書き記しておきます。
これは昨年2014年の11月ごろから始まったので、
いつか書こうと思いながら、一年間が過ぎてしまいました。
「帰還勧告」
以下は、むろん「電波話」として読めばいいことです。
●私は、以前から、いつごろに自分が自分で決めた仕事(人間としてのそれ)を終えて、
肉体の死を迎えるのかという点については、概要は認識していましたが、
意志によって変化する(=延長される)ことも多くありました。
自我復元というものが、そこに割り込むことで、
私のこの地上における必要性のようなものが、新しく形成されたり
延期されたという側面もあります。
●しかし、2014年の秋ごろから今日までの間に3度、
私は「帰還勧告」を受けました。
それは、最初は、私に向かって、
「そろそろ、いかがですか?」といった意味のメッセージでした、
二度目は、
「そろそろ、お戻りになりませんか?」という意味でした。
三度目は、
「そろそろ、どうですか?」というものです。
以前の私であれば、明確な理由というものがないかぎりは、
それを拒否することはありませんでしたが、
この1年間にかぎっては、
さしたる明確な理由も自分の中に確定できないままに、
「あと、もう少し。まだです」といった、あいまいな返答をしました。
●もしも、これが2014年の秋以前まででしたらば、
私は、「自我復元者を可能なかぎりサポートするために、まだ残ります」
とはっきりと言えたのですが、
2014年の11月を境にして、その理由を主張することは出来なくなりました。
正確に言うと、私自身が、関心を失いつつあるのです。
自我復元者のサポートに関心がないという意味ではありません。
方法論が確立されたので、方法論の改善に関する心配事がなくなったという意味です。
私が自我復元というもの、特にトラウマ問題、AC問題については、
一時期は、それを解決する策について、悩みに悩みぬいたのですが、
結果として、これは「イケる」と確信したことが大きいのです。
●マディアさんが全自我になったときには、
相当に私はまだ、自我判定の見極めに対して神経質になっていましたが、
お姫ちゃんのときには、きっともうこのままいけば大丈夫だ、
という確信があったので、判定をした私も、妙に落ち着いていました。
それ以前ですと、それが厳しい道だっただけに、
私自身も、全自我になった人を見て、大喜びをしていたからです。
ごく最近のAbyさんについても、当然に、あのまま加速して到達するであろうと
既に、前から目算はつけていましたので、
ほっとした、ほんとうに良かったと心から感じていますが、
ただし、以前に私が持っていた、緊張感とかはなく、
方法論を何か伝え切れていないのではないか、
という自問というものは、そこに全くありませんでした。
●また、沢山の皆さんの大変な集中力と、問題意識と、真剣さ、
それが、何よりもの力と質となって、自我復元の中の最大の難関のひとつであった、
トラウマ、AC問題は、
あとは各自に「自分の中のそれを無視できないような事態」
そこに「踏みこむきっかけ」だけが必要であり、
技法システムには、完成されているので問題はない、という結論に至りました。
昨年の秋ごろのことでした。
●それからでした。
定期的に、私に「戻られませんか?」という声がかかるようになったのは。
前述したように、私はその声を、それまでの私なら、決してしないような、
不明確な理由で、「適当な延期」をしてしまったのですが、
それによって、次のようなことが起きました。
勧告一度の延期、(理由のない拒否)をするたびに、
約10%ほど、私の中から何かが別の場所に回収され、移動していました。
その移動先というのが、今のところ、はっきりしません。
ただ、分かることは、それは人間やヒューマノイドとは似ても似つかない、
抽象的な領域であるということで、特定の物理的天体ではないようです。
それがどこにあるのか、それを私自身は、今思い出す必要がありません。
それは今、生きている私が思い出す必要のないことなのです。
ブリジットがそうであったように。
●また、30%以上が移動した、その先というものを、
私が認識してしまうことには、弊害があると予測されることも、
その所在がどこにあるか、あるいはどういう世界であるのかを、
私が、あえて無視している理由です。
というのも、その30%以上の移動先と、今いるこの世界を、
もしも、まかり間違って意識が「往復」するようなことになると、
どちらの世界にとっても、中途半端なことになるからです。
こことは、あまりにも、根幹的に、かけ離れすぎていて、
その30%に同化しすぎることは、こちら側での生活に支障をきたすことが
十分すぎるほど、予測されるからです。
それであれば、戻ってから、向こうでの100%の状態をすればいいのですから。
●しかし、いわば魂を(自我とはまた違います)、
10%ずつ別の世界に持ってゆかれることを「3度」も繰り返すと、
さすがに、私の生命力の残量は、70%を確実に切っているというわけです。
4度目の、ゆるい勧告(「お迎え」)は、まだ来ていません。
これは体力とかには、何も影響はしないのですが、
もっとも影響が大きいのは「関心」、つまり注視や、好奇心が、
それまで、何事に対しても、ほぼ100%向かっていたのが、
70%未満になっているということです。
これは、加齢によるものや、脳機能の低下ではなく、
意識の核に近い部分で起きているので、身体的に何かをしても無駄です。
●この二つの世界に別れている自分の、一方の側である、
この地球での、自分の状況をも、全身で感じ、何が起きているのかを経験するために、
2015年、今年の初夏から夏にかけて、
私は、徹底的に「休息する」ということをしました。
しましたというより、それ以外に選択肢がなかったと言えます。
ごく自然にそうなったということです。
というのも、私がここでの人間としての人生の、
その「最後の時期が来たら、したいな」とずっと以前から思っていたことは、
何もかも忘れて(関心を薄めて)休むことだったからです。
あまりにも過度に、集中的に凝縮した24年間であり、
それ以前の約30年も、濃度の高い経験ばかりでしたので、
私は人生の最後は、本当の意味で、一定期間だけは、
次の何かのベクトルの為の「方向転換の為の一時停止」ではなく、
ただただ、休む、ということをしたかったからです。
ほとんどすべてのことを終えても、
それだけが唯一、していないことでした。
●むろん、一般的な人たちの何倍も、常にリラックスしており、
力むことのない24年間でしたが、
それでも、その極度に緩んだ心身である故に、
逆に、過酷なまでに、いろいろなことが通過するための道具として、
この心身は使われました。
いったい、普通の人の何倍の密度の意識で生きてきたのだろうと思いました。
●そうして、私が最後に望むことは「休むだけ」ということでした。
だから、キャンプサドベットに寝て、休日は、昼は、日向ぼっこをし、
夜は、星空を見るという生活が(延べにすれば、数週間もありませんが)少し続きました。
何かを感じ取ったり、知ったりするための休息ではなく、
ただただ、「スイッチを切るだけ」という、
深い休息を味わおうと思いました。
●これと同時に、自我判定依頼、あるいは報告文、
これだけには、唯一、全身で向かうと決めましたが、
あとのことには、関心を持つ必要のない状態に、環境を整理してゆきました。
●私にとって、無益で無駄な、いらない人間関係は、
おのずと切れるように、下ごしらえをしておきましたので、
今年に入ってから、意図的に縁(因果関係の原因)を切断した人たちもいます。
また、一方で、絶縁とは逆に、松の間の記事のKさんのように、
私の手裏剣術を受け継いでくれる方だけに私が関わるという理想的な形となり、
必要のない無益な人間関係も、上手く絶たれました。
自我復元者の方たち数名とは、まだ切断はしていません。
こればかりは、私自身が、最後までやらねばならない作業ですから。
●それで、3度の連絡(帰還勧告)を受けてから、
しばらくして、私に起きたことが、少し前に書いた、
「死の選択」のシミュレーションです。
その「死のボタン」というのは、手の届くところにあり、
まったくすべてが私の自由意志にまかされており、
いつ押してもいいものになっています。
あまり言うと、死ぬ死ぬ詐欺みたいになって、
そのわりには、いつまでも長生きしているじゃないか、と言われそうですが、
今では、このボタンを「押さない理由」のほうが次第に少なくなっています。
●ただ、面白かったのは、そういう状況が定期的にやってくると、
自分が、ごくごく心情的に、この世界に対して、
どういう愛着や、どういう関心や、どういう呆れや、
どういう問題意識や、どういう、やり残したことがあるのかを確認し、
あれは、もう少しだけ味わっておきたかったな、と思わないようにするには、
常に、その「肉体の死のボタン」が目の前に置かれるたびに、
「自問」をしてゆきました。
その意味では、Abyさんが、
「自己の中心の中に閉じてこそ、はじめて自問が可能になる」
というのはとても正しい表現です。
●その自問と確認を数回重ねるごとに、
意外にも、自分の身体を、まだあと少し使いたい、
と思っていたりすることが自覚されたりと、予想外の認識も生まれました。
●人間というのは、本当に、本番の肉体の死の際に、
「これで最後です。以後、二度目は決してありません」
という状況になった場合には、
よほど、その経験が、大嫌いで、二度と見たくもないものであるか、
もしくは、二度と興味すら持たないまでに「経験し尽くすこと」、
このどちらか以外には、その「永久の断絶を決断」できるものはありません。
ただ、この先、私自身は、どこへ移動するかのは、
今回は、私には未知であり、それをあえて、未知のままにしてあります。
●ここへ来たときには、すべてが計画されていました。
この人生でも、大半のことは、なるほどよくも上手く計画されていたと、
あとなってから思いました。むろん自分で選択してですが。
しかし、去る「その先」は、今回ばかりは未知です。
今までの長い魂の旅では、行く先は常に自己決定していました。
しかし今回は、違います。
最初は、まずは、この太陽系が周回している中心の、
シリウスを、ひとつの中継点として、そこから垂直に戻るのかと、
頭では考えたのですが、それは違っていました。
また、この銀河系の中心部の多層次元にも、
もはや、かつてのようなシンパシーは感じません。
ただ、とにかく、先のことは思わずに、
一日、一瞬を、身体と意識の両方で、感じ取り、
ふと考えが出てるくる場合には、少し考えてみて、桜の間で書いてみたり、
この、ある意味では、ありふれていても、
ある意味では、あれふれてはない、
この地球という世界を、違う角度から感じてみて、
もう少し、私はここに、関心を繋いでいるという状態にあります。
ただし、来年以後は、わからなくなります。
ほとんどの物事に、私は予測や、流れの向きを眺めてきたのですが、
今回だけは、風向きをあえて読まず、読もうとせず、
いわば、総括的な自分個人の「関心地図」を観察しているような感じです。
★それにしても、忙しい人生でした。
そして、十分に、いろいろなことをし尽くした人生でした。
私は、死後に、誰からも、
「あれは、やり残していないですか?」などという文句を言われることはなく、
「どうして、他者への利他的行動をしなかったのですか?」
などと、インネンをつけられる覚えは全くありません。
堂々と、「どうだい、この経験を、他者が追経験するとしたら、
高い値段がつけられるだろう」と言うことが出来ます。
つまり、ちょっとした売り物になるストーリーの人生(の記憶)だった
と思っています。
むろん世の中には、大変な大冒険とか、大経験とか、
普通にはない変わった経験をしたりする人、
または、感動の連続のような経験をする人は、山ほどいますが、
適度な、必要最低限の不快も含んだ上での、
「真に楽しい経験の集積」という意味では、なかなかの希少価値が
あるだろうと推測しています。
自分のこの人生の記憶を、もしも誰かが買い取って追経験するとしたら、
「決して、楽ではないですが、
コンテンツの面白さでは、ご満足いただけると思います」
と言うことが出来ます。
(「初めてのバー」に並ぶ、ボトルの一つになるかもしません)
・子供のときから、35歳ぐらいになるまで、ずっと
感情を抑制することを知らず、出し尽くしました。
・恋愛も、計画した通りの数種類の女性たちと、沢山しました。
もう本当に、最高にかわいい女性から、知的で母性的な女性、
いろいろな年齢を含む、複雑な味わいの女性、ただのエロ女性、
瞑想を共に出来た女性、遊び友達としての女性など。
・セックスはとことん、まず相手の満足、そして自分も満足するまで経験しました。
・手裏剣はただの道楽ですが、実は底流では、いろいろなところに
無心による「自動処理」という意識状態として、つながっていますが、
それを現実に、飽きるまでやり、実験記録として残せました。
・書も、皆さんのおかげで、たくさん書きました。
休めずに倒れるかと思うほど、休みなく書いた一年がありました。
・では、他者に対しては何に貢献できたか?
その責務というか、自分が得ただけのものを、
出力してバランスを取れたかという側面で見れば、
セックスでは、相手の方には、他では、なかなか経験できないほど充実した
セックスを、飽きるまで十分な回数(歳月)、提供できたことに、
私自身が全面的に満足しています。
・自我復元のサポートは、よほど気力のない人、不真面目な人、
自分自身に対する真剣さの全くない人、でないかぎりは、
私自身も、毎回、自分を燃やし尽くすように向きあってきました。
なので、サポートをやり足りなかったという思いは全くありません。
・全くの個人的な趣味で、
社会的な芸術性に対しては全く何の価値がーもありませんが、
自分の聴きたい「音」は自分で作ったということにも満足しています。
・おいしい料理も、個人的な行動範囲で可能なものは食べ、また自分でも作り、
調理と「味(これは食そのものと味覚の背景の二つが必要ですが)」
というものを、満喫できました。
それは価格の高いものや、珍しいものを食べたということではなく、
食べる側が自分に準備する「食べ方」というものには、
物凄い前提条件が必要だったのです。
・今回のこの身体の人間に生まる前に組んだ予定どおりに、
小・中・高の12年間、絵を描き、美大に入り、
そしてここ数年は、毛筆の書を描くことで、視覚、
音楽創りによって、聴覚、
料理を工夫することで味覚、
香マニアとなった時期には臭覚、
そしてセックスでは触覚、
それらをバランスよく、おのおのを徹底的に楽しむ経験をしました。
鑑賞する側ではなく、作る側に回ることで、より能動的な関わりが出来ました。
唯一、自分で創ることをしなかったのは、香と香水なのですが、
何人かの方に差し上げた、匂い袋を作ったときには、
香木の組み合わせだけはしました。
今後、むろん、死ぬまで「自我復元者」のお手伝いだけは、
最後まで、させていただきますが、
あとは、ただ、ゆっくりと、
いろいろな事に、自然に、無関心になって、休む期間。
私に必要なのは、それだけです。
●大変だった一方では、大変だったとも思わないほど、楽しかったです。
特に前半の約30年は、良い友や、良縁に、本当に沢山恵まれました。
学校でもイジメなど一切なく、
また、社会に出てからは、私は逆に「イジめる立場」でした。
(社員ではなく、その会社の「社長」をです。)
自分に対しては、極度の燃焼も施し、極度の冷却も施し、
やりたいことは、一切我慢せず、
やりたいくない事となったら、動きもしない事に徹しました。
●また、たとえ、それが人間の持つ誤認の一部であったとしても、
人の持ついろいろな感情や、損得勘定のない、下心のない優しさは、
とても素敵なものだと思いますし、
病気も、変な話ですが、私は、当時は、
看護婦さんを集めて談笑したりして、入院生活そのものを楽しんでいました。
そして、皆さんのトラウマの抱えた、つらさ、悲しさ、悔しさにも、
何度も泣かされました。
また、自我復元者の方が、そうしたトラウマを、一山超えた時の、
その嬉し涙も、沢山流しました。
予定していたことも、予定外だったことも、し尽くした、という感覚があります。
ですから、あとは、自分自身の中に、残っている、
愛着(と関心)のかけらを、見逃すことなく、丁寧に拾い上げ、
それを静かに、確認するのみです。
★ ▲ ● ▲ ★
【参考記事】
「近死体験」
http://www.mumyouan.com/k/?S501
___________________________
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