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[579]
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★分割自我復元★その579●自我復元サポート動画(音声のみ)●
by:
鈴木崩残
2016/02/12(Fri)10:58:13
自我復元サポート動画(音声)
●以下は必ず、最後の「6」までご覧ください。
対象は、「自我復元者全員」です。
その1
https://youtu.be/xZPw4ANcDCk
その2
https://youtu.be/uOmJh1j_i38
その3
https://youtu.be/bOGPU0Mm1So
その4
https://youtu.be/3RYNdudm3lQ
その5
https://youtu.be/VwRe67tYoHM
その6
https://youtu.be/lsfnoHQDE10
私が、これほどまでに、
皆さん(の一部の人達)を「馬鹿呼ばわり」する理由は
実に簡単です。
何かやるとすぐに「安心」がやってきたら、いいんだと思う馬鹿。
瞑想ごっこや、ワークをやると
「何か分かったから、見えたからいい」と思い込む馬鹿。
そもそも、無明庵に関わった者の多くが、
「安心こそ至福」につられて、
のっけから、勘違いをした馬鹿。
なぜならば、
そもそも、
「新しい何か」が、
安心の中でやってくる・・・・、
そんな馬鹿な話があるわけがない。
新しいものは、常に不安とともにやってくる。
不安なしには新しさなどあり得ない。
不安がない、というのは、新しくない、ということだからだ。
だけど、不安といっても、
皆さんが日々、経験している、その不快、
または、不安とは、
それは、機知のものです。
もう何十年も、壊れた機械のように繰り返してきた、
不毛で、どこにも行き着かない不安。
しかし、
新しいものを引き込む原因となる不安(あるいは不快)は、
それは不安とは、呼ばず、
未知と呼ぶ。
そこには、必ず大きなリスクがある。
大きな、不安と、不快がある。
巨大な破滅もあるし、異変もある。
そんな、ごくごく基本的なことも分からない人に、
精神世界が分かるわけがなく、
魔術が分かるわけもなく、
瞑想が分かるわけもなく、
死に方や生き方が分かるわけもない。
そういう、馬鹿
が多すぎる。
馬鹿といわれるのが、習慣脳の反応として嫌に感じるなら、
馬鹿と言われない所へ、さっさと出て行ってください。
新しい未知は、不安と不快なしに、やってこない。
「当たり前のこと」です。
「当たり前すぎること」である。
それを、
何が
「安心できました」だよ。
正真正銘の、知能のない、
馬鹿だ。
その馬鹿どもが、慕っていた、
Oshoが言っていたはずだ。
「エゴは、新しい間違いすらも、作り出せない。
何度も何度も、同じ間違いしか生み出せない。」
エゴとは、AC人格である。
正常な欲望ではなく、歪んだ欲望をエゴという。
だから、AC人格の欲望はエゴである。
そのエゴが、やらかした、たったひとつの「新しい間違い」
それがトラウマ掘りとAC人格掘りである。
それは、「新しい 間違い」だ。
いつも同じ間違いしかしでかせなかったAC人格にとっては、
始めて行った「新しい間違い」だ。
それはAC人格にとっては、とんだ誤算だ。
しかし、AC人格が、
せっかくの「新しい間違い」を嫌い、
「安心できる、いつもの、同じ間違い」に戻ろうとする。
それが自我復元に失敗した者たち、
または、自我復元をしなかっり、途中でやめた者である。
****** * ******
だが、中途半端な、鈍感さと、麻痺の中で、中途半端な安心しているよりも、
半端ではない、敏感さの中で、
半端なく、不安になっているほうがずっといい。
そういう人は必ず、決意して、自分に猛烈に「働きかけはじめる」
それが出来ない、
そんなことは、したくない、
やる気がしない、
鈍感な麻痺の世界のほうが、ほっとできる、
そういう人は、
トラウマ掘りも、自我復元もしなくていい。
新しい間違いすらもできないほど能無しの、エゴの世界に戻ればいい。
なぜならば、トラウマ掘り、AC人格殺しとは、
中途半端なインチキの安心を感じるためのものではなく、
中途半端ではなく、
「正しく不幸を感じる」ための神経を
取り戻すためのものだからだ。
中途半端ではない幸福は、
中途半端ではないほどに「正常な神経」にしか感じられない。
当たり前のことである。
あまりにも、当たり前のことすぎる。
だから、
こういう「当たり前」のことを否定したがる者。
または、「当たり前」のことが理解できない者。
それは、馬鹿と言われて、当たり前なのである。
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