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「分割自我復元」
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★分割自我復元★その59★ 読むと楽しく鬱になる、ツイッターのまとめ。
by:
鈴木崩残
2011/11/16(Wed)09:01:03
奇妙な銀河間法令
●いくつかのコンタクティー、および、チャネラーからもたらされた情報の中に、
共通する記述を見つけることが出来るがそれは次のようなものである。
>人類に対してとる事の出来る行動には、ある種の制限がある。
>誘惑と策謀による支配は、銀河間勢力によって容認されているが、
>力による支配は否定されている。
>もし彼らがこの世界の人々の心を支配できれば地球の住人を支配できる。
●ここで非常に素朴な疑問は、
1−そもそも「その制限」とは、
どこの誰(仮に集合体であったとしても)が、定めたものであるかである。
それにも増して不可解であるのが、
2−その制限、または協定を、守る義務を負わされていない種族は存在するのかしないのかである。
つまりこの法令の適応範囲は、どの空間まであるのかという点。
3−また、その制限を破った場合には、どこの誰が裁く権限を持っているか、
という刑罰の有無と、その執行者は誰かという問題である。
この銀河間勢力と呼ばれるものの法令は、
たとえば、一例として、アレックスコリアー氏の言う、
アルファ・ドラコニアンには、通用するのかどうかという点である。
●もとより、そうした法令が厳密に守られているとしたらば、
それを守らせるようなどのような全体システムが存在しているのかが疑問なのである。
法令を守らせることの大原則として、
「法令を破った場合に不利益が生ずる」必要があるのであるが、
それについては、どこにも明記されていないし、誰も言わない。
●ところが、こうした私の素朴な疑問をよそに、
実際に、この銀河法令は、どういうわけか、そこかしこで適応されている。
たとえば、もっとも皆さんに分かりやすい例は、
「自我の分割・希釈」である。
これだけ劣勢な立場に立たされながらも、
人間個人が、自我の分割に同意しなければ、地球の管理者には、それを行うことが出来ない、
という制限は、今もなお、続いているというのが私の認識である。
●そもそも、力と力によるぶつかり合いで何十万年も戦争をしてきた彼らが、
今更、共通の法令にしたがって、地球人に行うことに制限を持つ、
というのも、もともと、変な話なのである。
ただ、もしも、そこに原因が有り得るとしたら、可能性は二つである。
1−我々地球の人類は、誰かと誰かとの「支配ゲーム」の道具にされている可能性。
2−地球人類に固有の自我と、そこに付加された意識に対しては、
直接には外部から手を出せない法則的な構造がある可能性。
これは、私の調査予定項目なので、今のところ、結論はまだ出ません。
最近、ぼそりと、つぶやいたもの
★正しい論議の仕方は、科学的かどうかではなく、
「論理的かどうか」が問われるのみである。
だが「論理的」に言えば「神や宇宙意識が存在する」という主張ほど
「非論理的」なものはない。
だが人はそこは目をつぶるので、結果として無数のカルト宗教が生まれる。
★アーティストが、お金の為に作るのも自己顕示欲の為の作るのも最低だが、
「作りたいから作る」のも最低であるし、
「何かが意識に降りて作った」も最低だ。
「最高の作品」とは、気がついたら出来ていた。
「しかし、とても俺のものとは思えないな」なのである。
★人が直感を感じて危機を回避したり、又は直感を感じて何かを創作した場合。
次に気がついたら危機を回避したり創作が終わっていた場合。
この二つでは、圧倒的に後者が正しい。
なぜならば前者は「直感を感じられたこの自分は偉いぞ」という巨大なエゴがそこにあるからだ。
だが後者はその栄光の所有権を一切主張しない。
★人の心を、ただの一つも打とうなどしていない、
もの言わぬ枯葉や雪や風や光に、どうして人の心を打つ力があるのかを、考えてみればわかるさ。
心を打つ人、心を打たれる人、その双方がいないところにこそ、「無打の美」がある。
★美しい草花ではなくて、道端で人に踏まれた、名もない草を見て、
「この上もなく美しい」と涙する人の心境は、まー、それほど悪いものじゃない。かなりいい方だ。
しかし、まだそこには「美しさに歓喜する人と草」との間に距離がある。
そうではなく人である立場を捨てて、草そのものになれ。
★達成感を求め続けた芸術家や、専門家や、選手たちは皆こういう
「俺から●●を取ったら何も残らないさ」。
おやおや人間って、そんなに、つまらないモノだったのか。
これをなくしたら自分ではなくなるというモノを無くしてみて、
そこに何も残らないならその人はそれまでの人という事だ。
★もし宇宙が「生物や意識の進化」という目標をなくしたら、
それは宇宙ではなくなってしまうと、かつて私は思い込んでいた。
ところがどっこい「それをなくしたらおしまいだ」と思い込んでいたもの
(つまり進化するという目標概念)がなくなっても、なお宇宙は存在していた。
その現実に、たぶん人々は、いささか失望するに違いない。
★「魂や意識や生物や物質の進化」の為に宇宙が存在したり創造されたのではなく、
逆に「宇宙が、自転車操業的に存続する為」に、
「魂や意識や生物や物質が進化せねばならない」という強迫観念を洗脳する事が、この全宇宙に蔓延した。
それは、「どうでもいいような企業や、そもそも無くてもいいような会社」が、
社員や社会を説得しようとする詭弁に、とてもよく似ている。
自分の会社の存在意味が消え去らないようにと、あれこれの言い訳を並べているように。
だが、宇宙もそれと同じことをしている。
宇宙が対立しようとしているアンチテーゼは、実に単純なものだが、
それは最強かつ、普遍的だ。
なぜならば、
「宇宙は、最初から、なくても別に良いのではないか?」が、
そのアンチテーゼであり、究極の普遍性を持つ「問い」だからである。
こうなったら、宇宙も、あるいは創造主なる野郎も、
必死になって、「自分が存在する意味」を、捏造しなければならなくなるのである。
かくして、その「無力な、言い訳」が、今も繰り返されているせいで、
知的生物たちが認識しているところの宇宙は、
「まだ今のところ」は、くるくると、回っていられる。
もっとも、存在意味などなくても、平然として、宇宙は動き続けるのであるが・・・
ただ、その為に、多くの生物たちが、犠牲を強いられるケースが、
あまりにも多すぎるのが、ちょっとした大問題だ。
★
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