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[601]
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★分割自我復元★その601●『昭和の時代を思い出す』●
by:
鈴木崩残
2016/04/18(Mon)18:09:19
>4/19 5:15 後半に加筆しました。
少し時代を戻ってみています
●いろいろな意味で、1989年というのが、
日本の戦後経済の一つの終わりであるとともに、
日本の文化のひとつ終わりであったと私個人は感じています。
そうした中で、この掲示板を見ている人で、
下は、もっとも若くても、おそらく35歳以上、
それ以上の年齢の人であれば、記憶に残っているであろう番組を
リンクしておきます。
概要は、このサイトにもありますが、
↓
http://www.kyudan.com/column/jet.htm
詳しいことは、やはり、ウィキに飛んだほうがいいです。
↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/JET_STREAM
■ここを見ている読者の皆さんにも、それぞれの思い出があると思います。
中学や高校生のころに、この番組の最後の放送を聞いていた時代の人もいれば、
1970年代から、1990年代ごろまで、ずっとこの番組が記憶に
残っている人もいるかもしれません。
この番組は、1時ごろから始まる、深夜放送のトーク番組を待つ、
その前に聞いていた人も多いかもしれません。
(私が聞いていた、当時の深夜放送とは、
「野沢那智/白石冬美コンビの金曜パックインミュージック」あたりのころです)
■私が中学、高校時代は、ちょうど、
そのトーク番組の「深夜放送」の時代でしたが、
当時はまだカセットテープによる録音など、まだほとんどありませんでした。
深夜放送のトークを、イヤホーンで真夜中に聞いていた時代です。
なので、多くの話は「記憶の中」にしかありません。
(なお、現在は、TBSラジオから当時の深夜放送の復刻版が出ていますが)
■さて、何かの放送の「記録」ということを個人でできるようになったのが
昭和の時代における、庶民の生活の文化、ひとつの大きな節目でした。
記録するものがないとなると、放送日の翌日に話題を、
学校の友達と「共有」していたわけです。
●これを古い時代までさかのぼると、私が小学生のころからやっていた、
ドリフの番組であったり、ゲバゲバ90分といった番組であったわけですが、
「それらを見た記憶」によって同世代、同級生との、
コミュニケーションが成立していました。
当時のそうした時代が、良かったのか悪かったのかは、また別問題として、
カセットテープ(というより磁気テープ)によって、
「放送内容を、個人が記録できるようになったこと」
これが、テレビであれ、ラジオであれ、放送を視聴する時間が、
庶民同士で、共有されるものではなくなり、
「録画や録音をしておいて、あとで見る」ということに繋がりました。
「個人性」のより大きな定着が起きた時期です。
家庭用のビデオデッキの普及が、それに拍車をかけました。
■また、映画館という文化が、あちこちで滅びることになったのも、
ビデオレンタルの普及でした。
文化的な、あるいは技術の発達という視点での賛否はおいておいて、
とにかく、専門家であれ、庶民であれ、現代のスマートフォンその他にまでいたる、
「家電」とともに、社会や対人関係が変化しつづけたのが、昭和から平成の時代でした。
「よしあしは、別問題として」と、私は何度もここに書いていますが、
それでも、ある意味で、放送倫理も無法地帯で、なんでもありで、
むろん、公害やスモッグだらけで、農薬も使い放題の、暗黒時代でしたが、
過渡期だった昭和が、1989年のバブル崩壊と、昭和天皇の崩御とともに
終わりを告げるまでの時代、
そこが私にとっては、ある意味で重要な、青春時代の一コマだったのは確かです。
よしあしは別として、昭和を単純に「懐かしく想うこと」は確かです。
当時、多くの人が、
FM「ステレオ放送」に
夢中になった理由は、
その音のクオリティー
■その昭和にほとんどの放送がされ、平成に入ってから1995年に
ナレーターが死去した「ジェットストリーム」は、
音楽の趣味が自分と合わなかった時代には、聴いていませんでしたが、
何かとたまに耳に入る、息の長い番組でした。
12時ごろですから、
会社の残業中に聴いたといった、そういう「嫌な思い出」はありません。
多くの場合、自宅のラジオをヘッドホーンで聴いているものでした。
この当時、FM放送に夢中になった人の多くは、
その理由として、ステレオであったことと、
音のクオリティーがあると思います。
当時、放送番組で、ステレオサウンドを聴けるというのはFM放送しか
ありませんでした。
そうでなければ、アナログレコードを買うしかありません。
それが自宅にいながら、いろいろな局を、音質の良い、しかもステレオで
聴けたのです。
とくに、静かな夜中に、
密閉型のヘッドホーンで聴くFM放送の音の「広がり」は、
当時高校生だった私には、たまりませんでした。
また、下手に、自宅のオーディオシステムのプレーヤー
(ターンテーブル)で再生するよりも、
チューナーで拾ったステレオFMの「放送電波」の方が、音質がいいとか、
そういうこともあったのかもしれません。
******************
■こんな、昔のことを、つらつらと書きながら、
私個人は、今、今後、どう生きて死ぬか、ということを考えています。
これは昨年あたりから、特にずっと定期的に焦点を合わせていることですが、
地球のこの社会、日本であれ、海外であれ、地球で何かをする
ということは、(地域差や、個人差はあれど)私だけではなく、
多くの人にとって、関心の的ではなく、また、テーマでもなくなっていて、
多くの人にとっては、個人的な「地球での人間としての生活の記憶」を
どう精査して、何を自分の中に残し、何を捨てて行くか、
その「整理」と、「自己管理」だけが、あと数年、数十年の目標として、
残されているだけ、といった感じがします。
私にとってだけではなく、かなり多くの人にとってという意味です。
荷物をまとめて、出てゆく準備をしているわけですが、
下手な荷物(「関心」)のまとめ方をしたり、
下手な荷物(「関心」)の捨て忘れがあったり、
今頭にある妄想と大して変わらない妄想しか描けないという限界を
きちんと直視できない人たちや、
いろいろな問題も浮上して、つまらないことも沢山起きると思います。
私は、まったく、ほとんど何も、
今後の地球の100年間に、期待などしていません。
今すでに、昭和よりもずっと、つまらない時代ですが、
このつまらなさと、何をしても、馬鹿馬鹿しく感じ、
もう限界だと感じる人は、どんどん、これから増えると思います。
ポジティヴなんていう、役に立たない暗示と、漫画に毒されたような夢、
そして、そういう「ビジネスの食い物にされる用語」は、
精神世界からも、とっくの昔に、消え去っています。
それらに、まだ、しがみつくような人たちは、置き去りにして、
地球での、荷物整理と、地球からの引越しの準備、または実行、
それが今のテーマです。
城達也さんによる、ジェットストリームは、四半世紀続いたようですが、
無明庵も、起点日をいつにするかにもよりますが、
1992年を起点日とするならば、そろそろかもしれません。
(1994年起点説/1995年起点説などがあるため)
___________↓後半↓_______________
「 自 問 」
以下は、私が今までにも定期的に、自問してきたことです。
思えば、10代の後半を別とすると、
20代のころは自問することも少なくなりましたが、
30代以後は、何年かおき、または一年毎に、自問しています。
*********
【自問項目】
>・生きてみて、結局、どうだったか?
>・生きてみて、良かったと思ったことにはどんなことがあり、
> いくつあったか?
>・もう死んでもいいと、そのときには思えたような経験はあったか?
> あったとしたら、どんなものだったか?
>・どんなときに、どんな理由で、もう生きていたくない、死にたいと思ったか?
>・生きてみて、これだけは確実だと確信できる原理(規則性)を見出したか?
*********
■最後の問いに対して、私が暫定的に出した、一つの結論は、
人間の、いわゆる「正気」というものを保っているものは、
社会のルールでもなく、人間性でもなく、知識でもなく、精神的な技術でもなく、
単なる「慣れ」であるということです。
単に、その人間が「生存している環境(知覚内容)」への「慣れ」。
生まれつき、戦闘地域で育ったら、殺戮には慣れてしまう。
生まれつき、ほとんど何の争いもない国に生まれたら、それに慣れてしまう。
よって、慣れ親しんだ環境(知覚内容)が長く続く場合には、
仮に、実質的には、狂っていても、狂っていることには気づかないままで死ねる。
逆に、慣れ親しんだ環境(知覚内容)が、失われる回数が多いほど、
正気を保つのは困難になる。
*********
自分の死期を正確に割り出せたら、
世の中は、かなり変わってしまう
●同じく、私は、10代を別にすれば、20代のところには、
自分の寿命など、気にしたことは、ほとんどありませんでしたが、
30代に入ってから、こう考えるようになりました。
「自分の寿命を、正確に知る方法はないか?」と。
ただし、寿命が「宿命」ではなく、
自分の行動や思考によって変動するものであるのならば、
環境の状況と自分の行動パターンの集積データを元にして、
今のままいくと、自分が、何年、何月、何日に寿命が終わる、
ということを割り出せないかということです。
これを、「馬鹿な考えだ」と一蹴することは誰でも出来る簡単なことですが、
その自分の寿命を、もしも知りえたらば、
たとえ、自分の死期を知るのが、
自分が実際に死去する10年前、5年前、3年前であったとしても、
それによって、人生計画が作れるというメリットを考えれば、
(他人のことさておいて)自分の寿命を割り出せるかどうかは、かなり重要です。
というのも、もしも自分があと何年で死ぬと確実にわかれば、
その自分の残り日数を暮らすだけの貯蓄をしておけばいいからです。
それ以上に生活や生計を立てる心配をしなくていいのですから、
完全に、残り日数を生きるのに必要な経費の計算が出来ます。
(ただし、その死ぬまでの間に、何かお金のかかることをしたい人は、
その分を、稼がないとならないですが)
■ただ、これをSF小説として考えると、
自分の寿命が尽きる数日前に、犯罪をやらかす者も出るでしょうから、
そのあたりは、難しいでしょうね。
私が、昨年あたりから、自分の寿命について、
物事の流れや、自分の意志や感覚の変化から、
それがいつになるのか、推測できまいかと、試みているのは、
そうした「生活設計の計画」が立つからです。
もしも自分の死期が、少なくとも、年月単位で目算がつけられ、
それが正確なものであれば、
無駄に、生計を立てるために、働く必要はないからです。
■戦後なのか、どの時代以後の日本人の良くないところなのか、わかりませんが、
「死ぬ間際まで、作品を書いていました」とか
「死ぬその日まで、元気に仕事していました」とか、
そういう、燃え尽きる直前まで、活動の手を休めなかった人を
何かと賞賛してしまう悪い癖が出来てしまっています。
しかし私はそういうのは、個人的には大嫌いで、馬鹿みたいだと思っています。
人間というのは、その肉体が死ぬ間際に近づくほど、
活動を停止してゆき、自省する時間を多く持ち、
他者との関わりを最低限にまで狭め、
経済活動も、極端に落とし、
生活水準も質素にし、
肉体の死と、それに付随する、思考や記憶や、
自己同化していた対の死に、少しずつ慣れながら、
自覚的に、少しずつ死に行くのが理想的だと思っています。
肉体が死んでから、休みなく、
さっさと次の選択をする(出来るような)、無思慮で、
意識に変化のない移動方法がいいとは、私には到底、思えません。
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