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「分割自我復元」
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★分割自我復元★その98 ●報告のおたより●
by:
鈴木崩残
2012/06/02(Sat)18:55:01
報告のおたより
いつも梅の間、桜の間を拝見しています。
いくつか変化がありましたので、2回目の自我判定をお願いいたします。
瞑想は行っていません。
薬は服用していません。
・人間関係が劇的に変わる
痛感したのは、今まで自分は正常なコミニュケーションを取れていなかった、
と、気が付いた事。
以前は、相手と会話をしていても、自分がどう思われたいだとか、
自分の話したいことで頭の中が一杯になっていて、
相手の話など、ほとんど聞いていなかった。
そのときは、全くそんなふうには思っていなかったが、
今思うと、妄想・・・。という表現に突き当たり、ぞっとした。
現在は、人間関係で嫌な思いをする事が全くなくなった。
以前は、アルバイト先で、状況によっては、「出勤するのが嫌だな。」と、
心底思っていた。
しかし、ここ2〜3ヶ月は一度もその考えが頭をよぎる事がない。
職場は、中には自分が優位に立ちたいという思いから、
私に対して強く出てくる人もいた。
そういう方に対しては、自分でも驚くほどピシャっと対応でき驚く。
私が、・・・・と聞くと、無駄に強い態度で出てきて、教えようとしない。
私は、この方と仕事をするのが久しぶりだったので、
「そういえ ば、この人はこういうひとだったなあ。」と思いつつ、
その態度を全く無視して質問の答えをきちんと返してくれるまで、
「どうなんですか?」と聞くと、明らかに、相手は戸惑っていた。
このやりとりから、今までの私がどんな風に思われていたかが分かった。
強い態度でいけば、コイツは薄ら笑いを浮かべて、自分の顔色を伺うと。
相手の中に、以前の自分がはっきり見えた。
そして、それ以後、その人が私に絡んでくる事はなくなった。
友好的な人たちに対しても、以前であれば気を使ってしまい、
へらへらした受け答えをして変な空気にしてしまい、
さらに的外れな事を言って、あちゃー。ということがあったが、
今はテンポ良く切り返す事ができ、
ドシっと構えてストレスを感じることなく、話す事ができる。
愛想笑いをしたり、自分をつくることも無くなる。
初めて、会話を楽しめるようになったのだと感じた。
さらに、これまでほとんど関わらなかった人たちや、
どちらかというと苦手。という人たちとも問題なく、
上手くやれるようになっている。
相手に対しての最低限の気遣いができるようになった事、
私自身が自分をさらけ出すようになった事。他にも様々あるが、
根本的には自我復元の効果だと確信した。
・五感の変化
4月から新緑の芽吹く季節への移行時期に、
「緑色が美しい。なんて美しいんだろう。」と何度も感じて驚く。
おそらく、私は生まれて初めて、心からそう思ったのだと感じた。
確かに、見ているものは去年と同じ。
去年までは、自分の周辺の事柄に常に囚われていた。自分がいっぱいいっぱいで、
自然を見てはいても、感じてはいなかった。
ベランダで植物を育てるようになり、
その日々の変化に、純粋に驚いている自分がいる。
ほかにも、自分のお気に入りの音楽を聴いていて、
何度も何度も聞き込んだはずの曲が、全く新鮮なものに感じる。
特に、名曲といわれるもの、今までは、歌詞やメロディーを聞いていたのが、
間や、空気感という視点から聴いている。
「うん、うん、おー!そのタイミングで、・・・それ、くるか!」
という感じ。
楽しくて、初めてロックを聴いた人のようになってしまった。
・料理に関して
この数ヶ月間は、自分の作ったことのない料理を作ることや、
試行錯誤することがたまらなく楽しく、料理の質が、格段に上がる。
「熱中する」という言葉がぴったりなほど、
レシピを徹底的に調べ上げ、安全な素材を選び、
おいしいものを作る。そのプロセスが、まったく苦にならない。
これまで、“買うもの” だったものが“作る”ものへと、
どんどん変化してゆくのも楽しい。
そして食品汚染や食品添加物の事もあり、これまで安くなっていると、
つい買って食べていた、お惣菜を買うことは全くなくなる。
料理をしていると、
「ほんっと、創造するという行為はスバラシイなあ!!」という気分になる。
・花粉症に全くならない
私は、小さいころから鼻炎で苦しんでいた。
ハウスダストや花粉、猫アレルギーなど。
毎年、春と秋の花粉症の季節は、一ヶ月は、
夜は眠れないほどのひどい鼻づまりになり、
食べ物の味が全く分からないほどで、薬は欠かせなかった。
しかし、今年の春は、鼻をかむことも数えるほどしかなく、薬も必要なかった。
本当に驚き!
・体質の変化
私はひどい冷え性で、夏でも手足が冷たい状態だった。
気が付いたら、手が温かく、冷え性が気にならない。
さらに、代謝が良くなったのか、体重はそのままで、筋肉になり、
ズボンの太もも部分がぶかぶかになっていくため、変化に気づく。
・中略・
私は、褒めてもらうために、現実逃避の為に、何かへの復讐のために、
自己実現のために、●●を利用してきたんだと。
本当に、情けないやら腹が立つやら・・・
そして、恐らく、私が感じてきた引っ掛かりとは、自分や周りの人間が、
自己主張の為になにかを作っているということだったんだと、ハッとしました。
・仕事
アルバイトをする生活をしながら、
その他の日は、ひたすらに自我を集めていました。
そして、・・月の下旬に、アルバイトを辞めることを決め、
すぐに・・月いっぱいで辞めることにしました。
理由は、自分を嫌いになりそうだったからです。
・年も勤めたバイト先は、仕事も問題なくこなすことができ、
人間関係も復元の効果で楽しいものになっていました。
しかし、「早く、今日の勤務おわらないかな。」という雰囲気があり、
自分も「あと何時間。」と考えたりすると、
そうやって一生が終わっていく気がするようになりました。
そうやって、仕事が安定しているからとか、
慣れているからという理由をつけて、ある程度の不満を持ちながらも、
自分で改善する策を講じるわけでもなく仕事を続けるのかと思うと、
自分を嫌いになりそうでした。
ここで手を打たなければ、自分を見失い、
二度と取り戻せなくなってしまうと思ったのです。
年中、自分を騙す、もっともらしい言い訳を考える生活をするのか、と。
そして、自分に出来る技術を使って、自分で仕事を始めようとしています。
以前から、考えていたことではあったのですが、
「できたらいいな。」という曖昧なものでした。
しかし、今は、
「例え失敗したとしても、少なくとも自分を嫌いにならずに済む。」
という、最低限の動機です。
吐き気を催すほどの、切迫感からくる行動でした。
このごろ、自己嫌悪というものが、私の中に強く存在しています。
過去の集積である現在の状況に、腹が立つ。
腹が立ってしょうがないのです。
過去をおさらいしても、過去の自分はやれる事はやっていた。
力は出し切っていた。
しかし、今の自分は、許さないのです。
復元をしているから、エネルギー量が全然違う。
ということが、頭には入っているのですが、
自分にイライラするという状況が続いているために、
すぐ行動を起こす、という方向に力が向かいやすくなっています。
・ トラウマについて
新しい仕事のことを考え出したとき、
「できない。できるわけがない。私にはできない。」
という思考が自動的に流れていました。
「そもそもなんだこれ?」と、怪しむことができたのは、
復元のお陰です。
無明庵で、トラウマや引っかかっている事についての記事が書かれていたことを思い出し、
小さい頃のことを思い出そうと思い、
ノートに書き出していたときのことです。
現在から、過去を遡って出来事を書き出していたとき、
私は何度かチャンスに恵まれていた、にもかかわらず、
反射的に断っていた、ということを思い出しました。
具体的に言うと、
・中略・
そのときに、思い当たったのは、私の思考の癖でした。
なにかラッキーチャンスが来たときに流れるのです。
私は、そういうチャンスが、「自分に見合わない。」と、思ってしまう。
なぜ、そう思うのか?
私には、心当たりがありました。
小さい頃、父親が何かにつけて、
私を「馬鹿だ。」「そんなこともできないのか、お前は馬鹿だ。」
とせせら笑い、馬鹿にするのでした。
私は、なぜそのように扱われるかが、理解できませんでした。
父親は兄弟に対して父が声を荒げたりする事すらなかった。
(何がいけないかを理解しようと、
他の兄弟にも同じ事を一度でもするかどうか見ていました。)
親戚の家に家族で行ったときの事をいまでも鮮明に覚えています。
帰り際にみんなで並んで挨拶をしていた。
父親がいきなり私に強烈なグーで私の頭を殴り、
「お兄ちゃんみたいにきちんとしろ!!」と怒鳴った。
私は、なぜ怒られたか分からず、兄を見て、同じ座り方で座りなおし、
兄と同じように言いなおした。
しかし、また同じように怒鳴られたので、私は、もう泣くしかなくて、泣いていた。
それを不憫に思った親戚の人がフーセンを私にくれた。
帰りの車内、風で揺れるフーセンをじっと見て、
心が張り裂けそうになった、あの光景が、頭から離れない。
よく父親に怒鳴られたり、殴られたりしていた。
いつも、強烈に殴られ、脳が揺れる感じがした。
父親が去って、泣いている私に、兄は「大丈夫?」と言って、
ティッシュを持ってきてくれる。
母親はいつも、私が落ち着いた頃に近づいてくる。
私が、「なぜボクばっかり。」と、母に聞くと、
「お父さんも、きっと同じ事されたのよ。」と言うのでした。
父親は、母と子に対して、絶対的な存在でした。
祖父母と一緒でしたが、祖父母と父は全く口を利きません。
口を利いても、ケンカ腰。
祖母はとても強烈な人で、家を金銭的に支配しています。
恐らく、父は今でも祖母を恐れている部分がある。
そして、私は小さい頃から、
父親にそっくりだと言われることがよくありました。
私は、物心ついたときから、自分が悪いと思わなければ、絶対に謝りませんでした。
それは、父親に対してでも、同じでした。
何度か、母親に「ごめんなさいって、言えば済むのに、
言わないんだから。」と言われたことを覚えています。
私は、高校生になるまで、父とまともに話す事ができませんでした。
父に何か言わなければならないときは、恐怖で手が振える。
そんな有様でした。
小学生のときまで、私と父親が同じ空間にいるとき、
いつも私は恐れていました。
なぜ、父は、私にそんなことばかりしていたのか?
父親は、私が、彼よりも優れた人になったり、
幸せになったりすることを予防したかったんじゃないか?
家族内での、絶対的な、自分の立場を守りたかったんじゃないのか?
父親は、今でも、親類の集まりなどで、自分が高校生のときの武勇伝を語る。
「柔道部の顧問を投げ飛ばして、辞めた。」とか、
「自分は停学になっても、仲間は売らなかった。」とか、
20年以上、同じ話をしている。
彼は、・・に入社し、・・で何年か働いていたが、
実家に呼び戻され、家業を継ぎ、「小さな地域の親分」となった。
つまり、彼は、私を自分以上の何かには、したくなかったということ。
叩きのめし、「お前はダメだ。」と刷り込む事によって、
私の心がどうなるか、分かっていたのではないか。
●このトラウマを3時間、泣きながら掘り起こし、
竹の間の過去ログでAC関係の記事を読むと、
あまりにも自分の話と符号する事が書いてあり、
自分の家庭が、機能不全家族であったと、認識することができた。
復元を始める前、・・%のころは、父親に全く、歯が立たない。
やり込められていると感じていました。
・・%と判定していただいた直後、帰省したときのことですが、
父親と話していてもあまり圧力を感じる事はありませんでした。
放射能の話になったとき、父親は、自分は福島にドライブに行って、
きのこそばを食べてきた。
そのとき、店主に「セシウム気になりませんか?」と聞かれたが、
「全然気になりません!!」と言ってやった。
と、自慢げに何度も繰り返していた。
私が「なぜ?」と聞くと、
「だって、国の基準値以下だろ。なんで大騒ぎするんだよ?
数値は大したことないのにさ。そうだろ?な?」
と、ドヤ顔で家族に言いまわっていました。
私は、あまりにも基礎的なことから間違っているので、
唖然としてしまいました。
「自分の父親が、おもいっきりメディア操作されている・・・。
しかも、食べて応援★★してる!!誤った見解を広めている・・・。」
私は、できうる限り、本当に起こっていることを話し、
正しい情報が得られるソースを教えましたが、
父親は、正しい情報には興味がなく、
なんとなくテレビで流れてくる情報を、自分の精神論に当てはめた、
持論を通したいようでした。
父親は、私に強く、「そうだろ?な?」と、何度も言いました。
以前の私に効力のあった態度が、
全く効かなくなっている事に気づいたようでした。
父親との関係、トラウマをしっかりと認識してから、
私の中で何かが変わりました。
●以前は、自分自身に対して、どこか無責任な瞬間がありました。
「いまの私は、私ではない私を演じている、今はテキトーでもいい。
とりあえず、やり過ごそう。」
そんな、無責任な瞬間が多くなっていって、
いつのまにか、自分自身を見失っていた。
私は中学時代から、自分の考えている事をノートに書きとめていて、
そこにはよく、
「あいつはどこに行ってしまったんだ・・・」と書くことがあった。
あいつ、とは、父親に屈する前の、幼い自分だったのだ。
と、理解する事ができたのでした。
やり過ごそうという考えが、どこから来たのか分かったことで、
無責任な考え方をすることがなくなり、
まだ日は浅いが、これまでと違う行動パターンを取れるようになった。
自分を背負っている、という感覚。
今まで止まっていた年齢が、動き出したような。
私にとって、ものすごく大きなステップでした。
本当に、劇的な変化ばかりです。
自我復元、
それよりも先にやるべきことなど無い。と断言できます。
悩んでいる人を見ると、
「すすめたい・・・でも、むりだ。変な人と思われて終わる。」と、
何度思った事か。
もしも自分が、分割自我復元法に出会うことがなかったらと思うと、
恐ろしくなります。
私は精神世界には、ほとんど関心のなかった人間ですが、
もしも、精神世界にずっと長くいて、かつ、復元法を知っているのに、
やらないとしたら、本当にもったいない。
そして、その重要性が分からない、
などということがあるのか?と思いました。
長くなってしまいましたが、報告は以上です。
自我判定をお願いいたします。
__________________________________________________
ここまで報告
私が、何度、ウルっときたか、わからない、見事な報告でした。
この方に、個人的に書いた手紙の内容以外に、
いろいろと、桜の間用のコメントはしたいのですが、後日にします。
_________________
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