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マルチプレーヤーからエキスパートの時代へ●
by:
●〓方山〓●
2001/01/10(Wed)07:02
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●もちろん戦前だって、充分に日本人は楽しんでいたし、
むしろ戦前の方が楽しかったこともかなりありそうだ。
他界した母から、私は大正、戦前、戦後の生活の事をよく聞いたが、
明治や大正生まれの人達は、ある意味では、
実に「おしゃれな時代」に生きていたようだ。
●さて、時代は今「リーダーレス」「ヒーローのいない時代」と言われている。
しかし、そもそもどうしてそうなったのかと考えると、
次のような要素が考えられる。
1/戦後に世界が一気に(表面上は)アンチファシズムに向かった。
2/閉鎖的なものは悪くて、オープンがいいという考え。
3/情報はみんなで共有すべきだという考え。
4/マルチプレーヤーはいいという考え。
5/やさしさや癒しが必要だという風潮。
6/平等と自由がいいという建前。
●それで結果として、今日に至って結局のところ社会に起きたことは、
「平均化」である。
情報の平均化、教育の平均化、ファッションが平均化。
その一方で「多様化」と口先ではいいながら、
「自分達が魅力を感じない」よそ者や変わり者、つまりは
「商業ベースに乗らないもの」に対しては依然として排他的であった。
●平均化というのは、一見すると選択肢の幅が広くなったように
思うのだが、実際にはそれだけ「迷いが増える」わけであるし、
また、平均化というのは、その分、
個人の個性や社会を、どんどんとつまらなくする要素ともなってしまう。
●さて、この日本の戦後の社会の中で、
つい数年前までは、「風前の灯火」になりそうになった分野がある。
それは「職人の世界」である。
●バブル期には、生産性と合理性しか頭になかったために、
機械化によって、無数の職人たちが職を失った。
そして、彼ら職人のガンコさとか、一途なところというのが、
全く評価されないで、むしろ「古臭い」「時代遅れ」「ダサイ」と言われて
否定的に扱われていた一時期があった。
●ところが、ここ数年、ちまたで視聴率をとっていたり、
人気の高いテレビ番組の傾向を見てみるといいだろう。
料理の鉄人、
テレビチャンピオン、
筋肉番付、
なんでも鑑定団、
仕立て屋工場、
ガチンコファイトクラブ、
その他・・・
これらに共通するものは、
「職人の技の再認識」あるいは「職人の理論に基づくスパルタの効果」
つまり「職人の世界」である。
そして職人の世界の中でも、とりわけ「〜〜の神様」と呼ばれるような
人達が発掘されてテレビに出ることも多くなった。
だからこそ、いわゆる「カリスマ〜〜」が受けたのである。
カリスマとは、現代的に言えば
「マニアの長」「マニアの中のマニア」である。
●この「何かを極めた人=職人」というものが、
「下町ブーム」などの追い風を受けたこともあり、
とにかく、やたらに職人の技を再認識させられる映像に出会うことが
最近は多い。
とはいえ、シリコンバレーとか、最先端の建築現場でも、
多くの職人技が今も生きているわけではあるが・・・。
たとえば、シリコンバレーでも使われている基盤チェックのための検査棒。
その先端部についている「小さな小さな金属球」は、
日本の町工場の職人が、最終的には手作業で研磨し、
手作業で管の中に組み込んでいる。
また、たとえば、テレビでも放映されていたが、
全長40数階を越えるエレベーターなのに、
レール全体の歪みの誤差を僅か1ミリ以内にする職人技。
その人は、エレベーターのレールの歪みの、わずか0.02ミリの誤差を
目視で判断できる日本の「エレベーター職人」だった・・。
●だから、今後の予測としては、
マルチはマルチとしてそれはそれで生き残るとしても、
「平均的サラリーマン」などというものでは食っていけないという点と、
もうひとつは、人々が「社会的なリーダー」は求めてはいないが、
「ある狭い特定分野での掟」とか「そこでの基準」には
依存をする傾向に走るだろう。
●その心理的な需要を満たすのが、「職人の世界」である。
そこでなら、
常識教というプチカルト、世間教という名のソフトカルトも含めた
カルト宗教での作業のような不毛感もない。
●職人の世界では、
着実に身につけてゆく自分の「技術の成果」も確認できるし、
また、時代や組織が使い捨てるサラリーマンとは違って、
技の伝承という次世代への役目意識を(妄想のひとつとして)持つことも
出来るだろう。
●つまり、社会は、「ファシズムはもう沢山だ」という意識はあるものの、
その一方では、「自分が安心して依存でき、
そこでのお師匠さんのスパルタならば受け入れる」
といった風潮や心理的な好みが潜伏しているのである。
●あとは、職人の世界の魅力のひとつは、
そこに入る地点では、哲学など必要ない。
とにかく下積みと経験に時間を費やすのみである。
ところが、何かを極めると、
その「出口」では、
「経験から生まれた哲学のようなもの」が芽生えるのである。
●戦後の教師とか親は、能書きと言葉の空回りを子供に与え続けた。
しかし、職人は、能書きより、実力であり、
言葉ではなく、弟子の体や血にその教えを叩き込む。
カルト問題ではグルイズムが批判、罵倒されたが、
職人の世界では、「ある意味での」グルイズムのような服従なしには、
職人技や伝統芸の伝承はあり得ないのである。
●ただし、宗教と職人の違いは、
職人にはトリックも誤魔化しも、能書きも綺麗事もない。
また、職人は、技を実際に「作品」として体現しているという点で、
悟っているかそれとも悟っていないかも判定できないような曖昧なもの
でもない。
●こうしたことから、
政治に失望し、宗教に失望した人々が向かう場所は、
おそらくは、「職人の世界」だろう。
まー、手に職がつくという現実面もあるが、
精神的依存対象としても魅力を持ち、
さらには、若者が愚痴をよく言う「自分の居場所がない」という
心理状態も緩和される面があるだろう。
なぜならば、職人の性質自体が、
産業の中で「明確な位置」を持つことと、
無目的だった人間の中に、「狭い意味」でだが、
「その場では通用する意味や意義」を与えられる。
●また、職人は、ある事だけ出来れば、他の面は多少の免罪符を与えられる
という面がある。
分かりやすく言うと、
「感情的に多少キレるやつでも、技が斬れれば許される」というようなもの。
また、いわゆる仕事人間が家庭を振り返らずに家庭崩壊するという
構造も、職人の世界ではその結末は少し異なるものとなる。
●職人の場合には、会社組織と違って、
そこでは継承者を、とにかく「大切に育てる」。
職人の弟子というのは、
使い捨ての代わりがいくらでもいるというような組織の中の「歯車」でもない。
●そして職人に対しては家族が見る目もまた違う。
職人は、ガンコで強情で、多分に馬鹿な面も多々あったとしても、
「技」においては、家族も一目を置き、敬意を払う。
それによって、他の欠点は多少は許されてくる。
●しかし、これと全く逆行したのが「なんでも出来る人間になれ」とか
「仕事も家庭も趣味も大事にしろ」と押しつけられた教育である。
自主的にそうであるなら問題はないが、
それが一般的価値観みたいな形で親や教師から押しつけられたら、
子供はたまったものではない。
あれもこれもに完璧や平均化を求められたら、自己基準が失われてしまう。
その結果、結局は何も出来ず、何にも没頭できない人間を生み出してしまう。
それぐらいならば、「ガンコ一徹」「〜〜馬鹿」と言われる
「職人の世界の掟」の方が、精神衛生上、マシだろう。
●最後に余談となるが、
知っての通り、江戸時代は「リサイクルの手本」である。
多くの分野に「修理屋」が存在した。
また、作られた製品には、職人の魂のようなものが宿っていた。
だとしたら、使う消費者としても、
どこの誰が、あるいはどこの機械で量産されたか分からないものよりも、
職人の魂のこもった製品なら、それを一生使うつもりで大切にするだろう。
●ただし、すべての職人がそうであるわけではないし、
すべての職人的世界がそうであるわけでもない。
だから、極端に、またもや社会が
「軽率な職人ブーム」「手作りブーム」を生み出して、
それに乗せられることには各自の判断で注意をするといいだろう。
●あと大切なことは、
職人やその作品を選ぶのはあくまでも消費者であり「個人」であるから、
マスコミで持てはやされたからといって、その店に殺到などせずに、
自分に合う商品や職人は、「自分の足と頭で探す」のも、
これまた「粋な楽しみ方」のひとつなのである。
●だから、「ブランドブーム」は、もう終焉を迎え、
また「一生モノブーム」「流行に左右されない定番モノブーム」なども
いずれは、終わるだろう。
なぜならば、、、
もともと「価値」というのは、
ブームや伝統があなたに保証するものではなく、
その価値を、「自分の目で判断すること」に、
マニアとしての最大の楽しみがあるからである。
●
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