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[1957]
■
●瞑想体系というもの。
by:
ほ う ざん
2002/02/09(Sat)10:32
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●宗教と「体系」は違う。
体系というのは、精神「化学的(科学ではない)」なもので、
本来、瞑想体系もここに属する。
●瞑想は宗教ではない。
しかし、多くの場合にそれは宗教と直結してしまっている。
まともな「体系」とは、
少なくとも次のことぐらいクリアーすべき。
1●崇拝対象(宗教的絵画、彫刻や人物像)を持たない。
2●茶道のように、「作法」はあってもよいが、
くだらない祭壇への礼拝形式を持たない。
3●そのような意味では、
グルを崇拝するすべてのカルトは私のいうところの
まともな「体系」ではないし、
宗教絵画や、建築の宗教的装飾も必要ない。
(単にそれらは歴史的な美術遺産であるか、
さもなければ、くだらん除霊補助にしか使えない。逆に、
よくそういう絵画や彫刻には、
人間の勝手な願望が逆に多く付着してしまっていて、
とんでもない邪気を放っている寺院も多い)
■ところで、禅寺では、礼拝のいくつかは、
ワークとしての意味を持つが、
それらは、心身の「動作ワークの体系」であればいいのであって、
そこには、たとえ釈迦像といえども、仏像へ礼拝も読経も必要ない。
(発声という事はワークになり、また
その発声の特殊な倍音によっては、それは瞑想のサポートにはなるが)
4●特定の衣装、ユニホームは必要ない。
5●瞑想技法とその補足的な指針のみを指導すればいいのであって、
その他、瞑想には関係しない生活における戒律は一切必要ない。
6●瞑想とは精神というフラスコの中の化学であって、
宗教でもなく、また世界観でもないので、
瞑想の実践にあたっては、一切の、論理的考察は必要ない。
論理とは、その瞑想体系が生まれた背景程度でいいのである。
その背景を、実習者に長々と口で説明してもしかたない。
そういう説明は、各自で、本からの情報で得ればいいのである。
そして、重要なことは、
7●瞑想指導は、その指導において、
本来は、いかなる金銭も取ってはならない。
たとえば、教材などの必要経費というものはあるだろうが、
指導そのものに、ビジネスを干渉させてはならない。
(こういうと、すぐに、お馬鹿な組織や個人は、すぐに必要経費の
項目を増やして、高額な教材費を請求してぽったくるのだろうが・・笑)
●従って、瞑想の全ての指導は、本来はタダで行うべきある。
もしも、それが不当にタダであったのなら、
指導を受けた者は、いずれ、どこかで、
それをどこかの誰かに返さなくてはならなくなる
というだけの話である。
何も指導をした者が、その指導料を受け取る必要はない。
●その理由としては、
いわゆる「物々交換」される「物質」の代用品が、
もともとは貨幣というもののルーツである。
しかし、物質または物質操作の技術を売るのではない瞑想においては、
それは、もともと物質とは次元的にも関係がないものである。
物質的操作とは、たとえば、セックス技法は、これは物質操作である。
しかし、瞑想というものは、身体に対するワークではない。
身体的ワークとは単なるトリガーであって、
瞑想は身体の次元のものではない。
●同じように、元々、
精神的カウンセリングにおいても、
医療器具を使って検査して、
脳を薬で治療するのでないかぎりは、
相談料など、本来は無料であるべきもの。
ただし、まー、精神科の場合は、
相手にしているのが、人間の「記憶という一種の物質的なもの」
であるので、
その点は、瞑想と違うので、
ビジネス化してもしかたない面はある。
が、本来ならば、カウンセリングなど無料でしかるべきだと
私個人は思っているが、まー、現実には、そうもいかないだろう。
●しかし瞑想が扱うのは、
人の「記憶」ではない。前世の「記憶」でもない。
瞑想が扱うのは、「記憶を超えたもの」である。
それは、実際、指導にあたって、
カロリー以外の何かを消費するわけではない。
●だから、瞑想指導で支払われる唯一の金は、
その指導をした人の人件費ぐらいである。
その人件費とは、せいぜい、一人あたり1時間の
「お喋り労働」に対して1000円〜多くても2000円程度だ。
(風俗やマッサージなら、肉体労働なので話は別だが)
●それ以外の付加価値など、支払うに値しない。
教義やらの内容では価格は設定などされない。
●今後、いかなる形であれ、
霊能者だの(除霊とか気功師は、一種の肉体労働なので別としても)、
瞑想指導だの、
つまりは「口で精神世界の商売をする者」は、
それの本来の姿のように・・・、
小さな原始的な村社会の「相談役の長老」がそうであったように・・・、
最低限の人件費または無償で行うべきである。
●こういう看板を掲げている人達は、
てめーの飯代などは、別の仕事で稼ぎ、
瞑想指導料は、最低限の必要経費にすべきものである。
決して、瞑想ワークなどを仕事にしてはならない。
●ほとんど大抵の瞑想指導者や、組織が、
まず最初に「おかしくなる」きっかけは、
そこに、布施だの、高額な指導料だのの、
瞑想修業には、何の必要もない金銭の往来が発生してからなのである。
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