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◆「独自の足」あるいは「尾」◆
by:
ほ う ざん
2002/08/31(Sat)17:07:18
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◆ちょうど、闇を超えての日記のほうで、世間論が書かれていたので、
連動するわけではありませんが、
前回に関連したことを少々。
◆世間から突出した才能や、感性を持ちつつ、
それが下降して逆流して、形になるという人は稀です。
◆人は、下降するときには、それまでの精神的な法のぬくもりを
捨てざるを得ないことが多い。
よく、そこらへんに、石を投げたら当たるほどいる
悟りだのと口走って、瞑想ごっこをしている連中など、いい例だ。
◆もともと、「高純度の意識」というものは、
「死活問題に関係する生命活動」とは無縁なものだ。
それは、生存活動ではなく、死滅点である。
◆したがって、俗なご利益宗教や魔術などは別として、
いわゆる意識の深化、または上昇にかかわる瞑想や座禅を行う者は、
基本的には、一定期間は、物質世界での弱肉強食や社会常識は
また、そこからの恩恵や交流は、一切犠牲にしなければならない。
◆何を勘違いしてなのか、
高度に精神的なものを、この物質世界に持ち込もうとするやからがいるが、
悟りの意識は、元々、ここに持ち込めるものではない。
また、時節を見ずに、むやみに、持ち込んではならないものでもある。
◆もしも、それを無知なままで行おうとすると、
世間とかかわる時には、世間で創られたシステムに完全に切りかえる必要に
迫られて、ここで、多くの者は、いわゆる精神的理想状態と世間との
ギャップなるものに直面する。
◆しかしこうなってしまう最大の理由は、
本人が、足の部分、すなわち、集合意識と連結する地の領域を
「借り物」を使うからである。つまり、独自ではない普及盤。
そうすると、瞑想しているときには、沈黙しているのに、
そのへんの近所の人に挨拶されたら、うっかり「こんにちわ」などと
全く無意識に答えてしまうことが起きるわけ。
ちょっとした不安や批難や事件が起きたぐらいで、
おいおい、一体何年瞑想したんだね?といいたくなるほど、
全く感情統制もとれないような、不安定な人間になってしまうわけです。
◆世間的な社交的態度、人当たりというものそれ自体は、
うまく無害に使い分けられていれば問題はないが、
これが、よりかかわりの濃度の強い家庭内とか、
社会的な問題への対応や、芸術的な創作分野だと、
そうした本人の内的ギャップは、致命的な「ギャップ」になってしまい、
本人は、一生、分裂状態のままで終わる。
分裂状態というのは、一言に言えば、何も楽しめない人間のことである。
◆これを回避する唯一の手段が、
「独自の自分の足」を創るということ。
これは、集合意識的に出来あがっている常識や方法論とは全く孤立して
独自性のあるのものであるので、
それを作り上げるには、何年もの歳月と経験が必要だろう。
しかし、いったんそれが完成すると、
つまり、平たく言えば「自分の表現スタイル」が完成すると、
その「足」、地の領域のエネルギーは、
全く世間的なものではないにもかかわらず、
世間の中を、楽楽と、泳ぐことの出来るものになる。
◆これを分かりやすく言うと、
かなりの変わり者であって、
しかも、世間的にも、はみ出しているにもかかわらず、
本人は悠然と世間を渡り歩く者たちである。
この典型的な天才は、岡本太郎である。
彼は全く妥協することなく、
しかも、世間のシステムから外れることもない。
逆に、彼は世間にある気流を起こす存在点となる。
◆世の中には、稀にだが、
この世界にちゃんと着床して「受胎する狂気」や「受胎する悟り」
というものがある。
それは、ひとえに、彼らが自分の意識を磨き上げただけではなく、
それにみあう自分独自の「足」を鍛え上げたからである。
それは、足というよりも、人間が自然界との接点として失ってしまった
「尻尾」の機能とも言えるかもしれない。
◆世の中のほとんどの人は、
この「足」または「尾」の部分を、
親、家族、組織、社会、惑星などの伝統的な代用品または、
「普及盤の製品」を使っているにすぎない。
ところで、世の中には、
悟りの意識に到達するよりも、もっと困難なことがある。
それは、その意識に見合う足、
つまり、その「悟りの足に合う靴」を、
自分で作るということである。
しかし、それが完成した時、
その者は、過去のいかなる覚者とも違う、ステップで
地上を踊り、遊びまわることになる。
まー、故岡本太郎以外でも、
そういう芸当のできている人はいますよ。
たとえば、占星術の松村氏とか、
あとは、華道家の「假屋崎省吾」さんとかかな。
あと、いきなり昔に飛んで、バッハとかかな。
つまり、「仲介業者なし」で、
この地球また宇宙とかかわれる人ということ。
えっ?私ですか?
私は、今、その尾っぽを作るために、奮闘中というところですよ。
まー、セックスという性の世界、つまり水の世界では、
10年以上かけて、その技法を確立する行為で、
もう完全に独自の「ヒレ」を得たので、水の中は大丈夫。
だから、後は、地の領域の制覇がテーマです。
だから、今は、
自分独自の視点そのままで、金、法律、政治、土地問題を
料理しようとしています。
全く意識性を損傷することなく、一切の妥協をせずにそれをするには、
世間からの借り物のエネルギーは、使い物にならないからです。
そういう点では、今回は、将門の首塚の結界の借用は、パスだな。
あれはもう古くて、使いモノにならないかもしれないので。
◆ちなみに、今、というか、最近、いつも私は、楽しいですよ。
ただし、私の見る世界は、「美しくはない」ね。(笑)
ゲームや学習というものは、楽しいが、「美しい」ものではない。
というのも、
世界が、この上もない「美」に包まれる唯一の瞬間とは、
世界が、一切のその意味と、
存在理由を喪失したときのみだから。
まっ、とにかく、今は、
生死の美を感じるよりも、生死を楽しむことにしている。
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