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[2766]
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Re[2765][2762]: ◆松村氏の日記とか読んで思ったこと。
by:
ほ う ざん
2003/06/26(Thu)06:46:13
fe033217.fl.freebit.ne.jp:219.112.33.217:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; MSN 2.5; Windows 98)::::ja:
> 2762でほうざんさんが言われた
> 1/最悪なのは「なんでも私はポジティヴに捕らえます」というやつ。
> これは救いようがない。
> 某掲示板で、吐き気のするような腐敗臭をまきちらしていますね。
>
>
> 2/次のは、「あるがままに捕らえます」と、これも救いようが全くない。
> 別の某掲示板にも、カビになって、こびりついていますね。
>
>
> このことは斉藤一人さんたちが言っているような事も指しているのでしょうか?
> 彼らは、まずはこうしていけば、「楽になっていくよ」と言っています。
> これは、ほうざんさんの言う「混乱してない状態」とは全然違うのでしょうか?
> 私も混乱している自分をなんとかしたいと思い、まずは簡単な
> ありがとうをたくさん言ってみるとか、「ついている」というところから始めてみるをやっていたのですが、2762を読んで、痛いところを
> 突かれたような気がして質問したしだいです。
> お時間ありましたら解説をお願い致します。
■感謝というのはね、沸きあがるものと、魂胆あるものじゃ、
全然性質が違うんだよ。
そう心で言ったり、思えば、幸運になるというような下心があって、
感謝したところで、そんな感謝に何の意味がある?
せいぜい、言葉で逆に自分に暗示をかけて、
感謝「癖」がつくぐらいで、そういうのは、
いうなれば、レベル4の混乱の中にいることであって、
根本的に意識が変わるわけではない。
■感謝というのは、原則として本人がまず楽しんでいる、
という事が背景にある。
少ないお金や食事や生活を、それなりに工夫して楽しみを
そこに見出しているというその人の精神的な背景があって、
その上に、感謝というものも起きてくる。
それを、楽しみを感じる回路が麻痺して、人生に疲れてしまっている者が、
感謝だの、祈りだの、元気になる瞑想だのをしたところで、
いつまで経っても、「ごほうびは、まだか?」の思考が消えることはない。
■感謝すると、いいことあるから、変化するから、というのでは、
こういうのは、まったくもってして、混乱以外のなにものでもない。
おおかれ、少なかれ、
瞑想や座禅であっても、人は、何かを解決したいから行うわけであるが、
解決する問題の根本(テーマ)がどこにあるのかで、
一生の人生が全く変わってしまう。
瞑想や座禅の根本が、執着的な思考からの距離や、断ち切りを行うもので
ある以上は、
ご利益欲しさ、幸福欲しさに行われるどんな瞑想も、
無思考の状態の実現には、役に立たないのと同じである。
■何をその人の解決とか、変化と定義づけるかで、
こうした問題の評価や位置付けは変わってくるものであるから、
普遍的に説明は出来ないが、
少なくとも、長者番付などという、あまりにも世俗的な人間の問題を
観察対象にして、「どうなんでしょうか」もないだろうに(笑)。
■そうした人達には、その人達の人生背景というものがあっての感謝であるが、
それをマニュアル化した時点で、物事がおかしくなってしまうし、
それを真似て後追いしたところで、ろくなことにはならない。
世の中の、いわゆる俗に言うところの「経済的成功」には
それぞれ、彼ら独自の、社会の泳ぎ方というものがあり、
別の人間なら、感謝よりも、誠意とか、こだわりとかを主張するだろう。
さらに、名人的な達人は、最後には、「無心にしなさい」と言うかもしれない。
■しかし、もしもあなたが、感謝して気持ちよくなるなら、ありったけ感謝して、
暗示にかかればいいだろう。
しかし、それが自分のせこい欲望からのものであるなら、
顔で笑っても、心で白けて、ついには自分や他人まで誤魔化して、
結局は、落下物に当たって
(落下物に当たること自体やケガすること自体は全く悪くないのだが)、
「あー、なんだよ、嘘つきめ、もう感謝なんかしねいや、」
となるのが、世の常である。
「無欲になれば、弾が出るんだと、名人が言ったから」と、
言う理由で、無欲になろうとした者が、パチンコですられるのと同じ。
(ギャンブルの名人は、たいてい、その極意を「無欲」と断言する
のであるが、後追いして、わざとらしくやると、大失敗するのと同じ。)
■いいことがあろうが、悪いことがあろうが、
そもそも、いいとかわるいとか、浮かばない、
しかも、無心に瞬時に対処する、・・・それが無心の生活である以上は、
その出来事をいちいち、感謝したり、後悔している暇はない。
いわゆる「世俗的な心構え」ならともかく、
そこに、感謝すると、楽になるよ、その結果運命変わるよ、などという
そんな事を考える自分が、どれだけ醜いか、
という事の自覚から始めるほうが、はるかにマシ。
ここで言われている、番付の人達は、
彼らは、それが自分の生活の中に「沁みついた自然なもの」であり、
それは、彼らが自分の人生の中で、つかんだひとつの個人的な
精神的コントロールの技法である。
ようは、思考操作である。
思考操作は、ビジネス的には成功しても、
別に、それで思考が止まるわけではない。
方法として、全く効果がないかといえば、
これは、事件に対する、いわゆる「考え方」を変えることで、
ネチネチそれ以上考えないようにするやり方であるが、
それが有効に働いて、楽になる人は多くいるだろう。
そして、楽になれば、曇った視界がひらけて、
問題点が見えて、その結果、変化となるという
「ステップ」を踏むことになる可能性は十分にある。
■しかし、混乱した状態であるかどうか、
というこの質問者の質問に対する答えは、「YES」である。
社会的に何者になったとしても、それは「混乱=4」である。
ただし、世の中のいわゆる、成功者と言われる人達や、
経済的成功者ではなく、達人や名人と言われる匠の人達の一部には、
「3」から、さらに「2」無心の世界に、一瞬入り、
そこで、突然に、ひらめいたアイディアを拾ってきたということが、多くある。
■ということで、本来、竹の間で話題にするような話ではないが、
こうした問題は、この質問者が、どういう課題を自分に課しているか、
そもそも、何を「楽」と定義するか、
「混乱しているとか、いない」の基準とするかで、一定しない。
■作られたような感謝は、張りぼての、メッキである。
自然に、生まれる感謝は、自然なものである。
ただし、世の中には、嘘までついて、自分の感謝が自然に生まれてくると
主張する馬鹿もいる。
そういうのは、見え透いて、わざとらしくて、キモイのですぐわかるよ。
前述の掲示板にも、うようよいるけどね。
本当に、自然に感謝している人ってのは、
一言何かを、いっても、言うことがまったく違うから。
まー、これは、感謝にかぎらず、何を言ってそうなんですが。
■手短にまとめてしまうと、
いわゆる俗に言う「成功法」とか「楽になる」とかの問題を
こと、「竹の間」で問題にするときには、
大悟者たちの言う「楽」のみしか、基準としませんので、
私的にては、こういった話題は、論外といった感じです。
ただし、金とかビジネスとか、土地とか、金属の次元とか、
こういうものには、意識の次元とは、また別のシステムや、
駆け引きなどが働いていて、それが意識の次元とも関係するので、
わりと「複雑」なのです。
つまりは、精神的にえらく高度?な(「周波数の違うもの」)ものが、
全く逆に物質的で世俗的なもの(周波数の違うギア)と
結びつくということもたまにはある。
これが松村氏が言っている、
上下の呼応がないと、天体の力が受胎しないというやつ。
魔術の基本中の基本ですよ。
この話は、社会的に成功するとか失敗するという話ではなく、
高次のものを、着床させる技術にかかってくる。
そうなると、いかにして、上のものに対する
「逆さまの虚像とか、反転ネガ」を地上にデザインして
器とか、着陸するための魔方陣として、用意するか、
という技術の問題になるってくる。
だから、上の次元の実像をしっかり意識化できていない人が、
漠然と、「波動が高いもの」だの高次元のものを
地上に、引き降ろそうとしても、
そもそも、実像を捕らえていないので、
虚像や、反転像といったエフェクトのかかった像そのものを
デザインできない。
故に、たいていは、失敗する。ということです。
■次の問題を、よく考えることである。
長者番付に名を連ねる人達は、何も親の資産だけを受け継いでそうなった
わけではなく、本人が、何かのビジネスで成功したわけである。
となると、ビジネスで成功する秘訣はなんであるか?
それは、「世の中の需要」に答えた、ということである。
薄利多売で儲ける場合には、いわゆるヒット商品を作り出すことによるし、
一部の金持ちからお金をふんだくることで成功するには、
利権争いをうまく利用することである。(戦争商人みたいに)
どちらにも共通することは、
「いかに、他者の需要にこたえるか」しかも、
作り手が、消費者や利権争いの中にいる人間に供給するものや情報を
どう、うまく金銭と交換するかが問題となる事である。
■となれば、ビジネスで成功するというのは、
「集合意識」というものを相手にすることになる。
それは、人の根本的な生存欲や、恐怖や、欲望や、怠けたい
という気持ちをある程度利用することになる。
そこで、どういった消費者をターゲットとするかが問題となり、
その消費者の要望に自分をある程度合わせるわけであるから、
気をつけないと、思わぬ、拾い物をしてしまうことは、
前に書いた、「敷居」の問題が関係してくる。
おうおうにして、商品を売ろうとして、
「賢くないタイプの消費者」の意見を取り入れて、失敗する例も
多いからである。
■ということで、強引に、まとめてしまうと、
金銭的成功というものには、集合意識とその者の「足」が
どう連結しているかという問題の方がシステムとして重要であり、
精神的心構え、などというものは、二の次。そもそも問題が違う。
■一方で、無明庵は、集合意識を全く無視はしないが、
基本的には、それは「個人」にかかわっている。
だから、悟りといったものに関しても、
集合的動きとして見ることはしない。
実は、悟りの需要と供給に関しては、そういう広範囲の動きの中で
見るという「角度」の見方も、あるにはあるのだが、
EO師の反逆の宇宙や、その他の著作からも分かるように、
「自分、たった一人を救え」というのが根本ですから、
そもそも、この問題、
集合意識とか、社会的成功とかの問題と、意識の問題を、
「不注意に、ごっちゃにする事」それ自体が、
思考のピントが、全く、はずれているといえる。
いわゆる「愚問」と言える。
■
むろん、私は、人の中に「自然に起きる」感謝も否定しないし、
感謝「する」ことも否定しないから、したければいくらでも
好きにすればいいと思っている。私は全くそういうのには、興味がない。
何やっても言ってもいいけど、
「すごいこと」欲しさに、「感謝教」カルトに、ならんようにな。
著者本人には、その気が全くなくとも、取り巻きの馬鹿が、
いつでも、そういう事をしてしまうのが、世の常だから。
しかし、この理屈で言うと、
何か事件が起きるたびに、
それが幸運でも不幸でも、徹底して「ばっきゃろー、くそったれ」と
文句を言いつづけると、
これまた「すごいことが起きる」ということになる。
誰か、実験好きな人は、試すと面白いでしょう。
本がかけますよ。
「人生、常にたゆまずグチを言うと、
「すごいこと」が起きる」っていう本がね。(爆)
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